東方帽子屋   作:納豆チーズV

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二.無意識の衝動に誘われて

 その出会いは偶然などではなく、おそらく、いつかどこかで必ず起きるようにできていたのだと思う。早ければ数年前にはすでに会っていたのかもしれないし、遅ければ何百年も後になるはずだったのかもしれない。それでも会うことがない、なんて結論に至ることは絶対になかっただろう。

 名をつけるならば、運命とでも呼ぶべきか。

 いや、と首を横に振る。俺の在り方は運命の行く末を否定するようにできている。だからこれはきっと運命の出会いなどではない。ありとあらゆる偶然がわざわざ遭遇を仕組んでいたわけではない。

 宿命なのだ。『答え』を失くし、幻想郷へと渡ってきた時点で決めつけられていた、決して変えようのない必然の逢着だった。

 ――彼女は自ら望んで、『答え』を捨てていた。

 

 

 

 

 

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 ちょっと前までは夜中しか人間の里に訪れられず、実際に行ったとしても超警戒されまくりの居心地最悪状態だったのだが、人間化魔法を習得してからは本当に便利になったなと、こうして来るたびに毎度思う。

 ローブとフードのせいで怪しさは満載であるが、危険度はそう高くないと判断されることが多い。妖怪が普通に出歩いている光景もよく見かける人里で、半人半妖への用心なんて二の次どころか五の次くらいなんだろう。

 そこらの人間や妖怪と気軽に話すことができるし、適当な店で食べ歩きすることもできる。たまに慧音がやっているという寺子屋をこっそり覗いてみたり、阿求のところに遊びに行ったり。

 

「それで、荷物はこれだけなんですか? 他に持つものはありません?」

「これだけと言っても、結構な量ですけれど。でも、これだけですわ」

 

 咲夜が人間の里に買い物に出かけるということで、今日はそれを手伝うためについて行っていた。俺も咲夜も袋に入れた大量の食材やらを両手に抱え、これ以上は持てないという具合である。

 

「それなら、里を出たらこれを魔法で作った私の空間にしまって、ゆっくり飛んで帰りましょうか。ここでは目立ちますし」

「そうですね。ところでお嬢さま、私はメイドです」

「はい、知ってます。それがどうかしました?」

「いえ、今更ながら主の妹さまに雑用を任せるのはさすがにダメなのではないかと」

「確かに今更ですね。でも、私がいいって言ってるんだからいいんですよ」

「私のメイドとしての矜持が許しません。やっぱりその荷物、里を出るまでは私が持ちましょう」

「ダメです。渡しません」

 

 両手の荷物をぎゅっと抱え込むと、咲夜が途端に困ったような表情を浮かべる。時を止めている間は俺を認識できないので、俺に危害を加えず俺の知らぬ間に荷物を奪うことが彼女にはできないのだ。

 

「……あ。ほら、レーツェルお嬢さまは見た目が子どもなんですから、こんなに重そうなものを持たせていたら私の人里での信用に関わります。私のことを考えるなら、どうか渡していただけませんか?」

「あ、ってなんですか。完全に今思いついた感じの説得じゃないですか」

「ですが事実です」

「咲夜、今の手荷物だけでも十分重そうですよ。私は吸血鬼ですから全然余裕ですし、むしろ私がもっと持ちたいくらいです」

「レーツェルお嬢さま」

「渡しません」

「……レーツェルお嬢さま、お願いいたします」

 

 俺と咲夜は、人間の里でも食料やらがよく売られている、人の往来が絶えない道の端の方で会話をしていた。要するに人の目が多くあったのだが、それを気にも留めず、咲夜は俺にすっと頭を下げる。

 

「私は、紅魔館に仕えるメイドでございます。レーツェルお嬢さまが親しく接してくださるのは非常に嬉しいのですが……それと同時に、主従関係であり続けたいとも考えているのです。レーツェルお嬢さまの手を煩わせるわけにはいきません」

「あ、えっと、ここで変わったことをしてたら目立ちますよ? とりあえず顔を」

「そのお荷物を渡してくれるまで上げませんわ」

 

 どうやら今回の彼女は、紅霧異変の時に立ち去ろうとしていた時のように本心を隠しているのではなく、本気で言っているようだった。

 

「レーツェルお嬢さまは宇宙人が異変を起こした際に、生きる意味は自身の死を確信した時にしかわからないとおっしゃっていました。しかし私はそれとは別に、自分がどう生きたいかは自分自身がいつでも決めることができるのだと思っています。私は幼き日にはレミリアお嬢さまに拾っていただき、未熟だった時にはレーツェルお嬢さまの抱擁と言葉に救われました。だから私はお嬢さまがたの従者として在り続けたいと、あなたがたに仕え続けていたいと、心から強く感じているのです」

「……そんなこと言われたら、渡さなくちゃいけなくなっちゃうじゃないですか。っていうかこれ、ただ買い物の荷物を持つかどうかっていう会話ですよね。ちょっと内容が大仰すぎな気が……」

「これくらいのことを言わないと、レーツェルお嬢さまはそのお荷物を渡してはくれませんので」

 

 咲夜がぺろりと舌を出すのを見て、「ぬぐぐ」と悩みつつ、最終的には左手の袋だけを手渡した。右手のそれはそのままだ。

 

「……咲夜ばっかりに持たせて、隣の子どもが持ってないとなったら、『お姉ちゃんの手伝いをしようとしない我がままな子』に見えちゃいます。主従関係が大事だって言うんなら、私のことにも気を遣ってください」

「私はメイド服を着てますから、レーツェルお嬢さまが主の関係者だということは周りにもすぐに伝わって、大して問題にはならないと思うのですが……」

「『我がままなお嬢さま』にするつもりですか?」

「……はぁ。まったく、参りましたわ。敵いませんわね、レーツェルお嬢さまには」

 

 頭を下げるのをやめた咲夜は俺の差し出した袋を受け取って、彼女が元々両手に持っていたものと合わさって合計三つになる。ずいぶんと重そうなのだが、大丈夫だろうか。

 そんな思考を見透かしたかのように「平気ですよ」と声が降ってきた。俺を安心させようとする優しい笑顔に、思わず思考が停止して目をパチクリとさせてしまった。

 

「咲夜、よく笑うようになりましたよね」

「そうですか?」

「そうです。それもすっごく綺麗というか、見ててこっちの気分がよくなるような気持ちのいい笑顔です」

「ふふっ、もしかして口説かれてますか?」

「どうでしょう。さ、早く帰りましょうか。咲夜にあまり長い間、重い荷物を持たせていたくありません」

「わかりましたわ」

 

 出口へ向かって一緒に並んで歩き出す。チラリと横を見ると、少しも堪えた様子を見せず、むしろ涼しい顔で足を進める咲夜であったが、手の平の袋を掴んでいる部分が目に見えて赤くなっているのが窺えた。きっと彼女は、俺に心配させまいと無理をしている。

 やっぱり渡さないでいた方がよかったかなぁ、なんてちょっぴりだけ思った。

 

「口説く云々で思ったんですが、咲夜はそろそろ恋愛くらいしてもいい年頃ですよね。そういうの興味ないんですか?」

「ええ、まぁ、そういうことを意識したことはありませんわ。私が一生紅魔館に仕えることは確定として、そもそもそれに付き合ってくれるような方がいるかどうか。それから私を口説きたいなら、レーツェルお嬢さまくらい偉大で優しくしっかりした心の持ち主でないと」

「あれ、もしかして口説かれてます?」

「どうでしょう。それに、私のことを言うならレーツェルお嬢さまもではないですか? 見た目はアレですけど、一応数百年は生きているわけですから」

「ふふん、私のスピリットは全部お姉さまのものですよ。他の誰にも靡きません」

「心はハートですよ。あと、それは家族愛ですわ」

 

 手が空いているぶん、こちらは時にジェスチャーを交えながら、わいわいと会話を弾ませる。恋愛の話からレミリアの話へ、レミリアの話から末っ子のフランの話へ、フランの話から最近仲がいいパチュリーの話へ、パチュリーの話から健康的な問題として大図書館の衛生に関しての話へ。

 道から人の影が少なくなっていき、あと少しで人里を出るという頃、ふと立ち止まる。

 視界の端に緑がかった灰色のなにかが見えた。

 

「――――今、のは……?」

「レーツェルお嬢さま? どうかいたしましたか?」

「いえ……」

 

 俺のすぐ隣を誰かが過ぎ去った。ただそれだけの、なんら珍しくもないこと。普段なら一片たりとも気にしないこと。それがどういうわけか、今だけはなんだか無性に引っかかった。

 まるで探し求めていたなにかを見つけてしまったように、自分が欲しかったものを他人が持っていて、それを目で追ってしまうように。

 振り返って視線をあちこちに向けてみる。しかし俺の隣を通りかかったであろう人物は、人間や妖怪を問わずに一人も見当たらなった。

 

「……んー……?」

 

 ただ見知らぬ誰かが隣を通りすぎただけの話だとはわかっている。いくら引っかかると言っても、本当にただそれだけなのだ。気にするだけ時間の無駄だということはわかっていた。

 それにそれよりも今は、咲夜の負担を早く、なくしてあげなければならない。いつまでも彼女に重い荷物を持たせ続けているわけにはいかない。ただ見知らぬ誰かが隣を歩いていただけだから気にする必要はないと、そう自分に言い聞かせ、こんなところで立ち止まっている暇はないと、「行きましょう」と前に向き直って歩みを再開する。

 ――すれ違った際に覚えた奇妙な感覚が、どうしても頭から離れなかった。

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 後日、俺はまた人間の里を訪れていた。時刻は以前咲夜とともに来た時と同じくらいの昼間で、通る道もまたその日の工程を再現していた。

 どういうわけか、あの日のどうでもいい些細なことが記憶にこびりついたまま消えようとしない。妙な連帯感とでも言うべきものを感じたからか、探せ、見つけろ、と本能が幾度となく語りかけてきているような気がした。

 咲夜と歩いた道を一往復し終え、なにも違和感を覚えなかったので、もう一度最初から同じ道をたどり始める。

 

「なにしてるんでしょうね、私は」

 

 まったくもって不思議というか、不可思議だ。まるで深層に沈んだ意識、すなわち無意識がそれを求めているかのように、思考を支配して俺の体をわざわざ人里まで誘導してきている。

 あの時あの瞬間、たかが隣を通りかかっただけの人物を突き止めて、俺はどうするつもりなのだろう。

 自分でさえも理解できていない。なにせここまで気にかかる理由すら一つたりとも思い当たらないのだ。

 

「それに、そろそろ日差しがキツいというか……」

 

 いくら全身にローブを纏ってフードをかぶっているからと言って、吸血鬼である俺がずっと日の下を出歩いていて、いい気分になるはずがない。むしろ具合が悪くなってきた。

 ちょうど慧音の寺子屋の近くを通りかかり、その付近の日陰にあった長腰掛けにストンと腰を下ろす。ふぅ、と一息吐いて、特徴の一切を知らない途方もない人探しをいったん休憩することにした。

 いや、手がかりなら二つだけある。ただそばを通っただけでこんなにもざわつく気持ちになったんだから、次に一目見ればきっと直感的に理解できるはずだ。あと緑がかった灰色のなにか。

 

「……一人で探しに来たの、失敗だったかもしれませんね」

 

 なんて呟いてみるが、仮に今の記憶を保持したまま今日の朝に戻っても、どうせ俺は一人で人間の里に訪れただろう。

 わざわざ俺一人だけの、しかもこんなくだらない用事のために他の誰かの手を煩わせるわけにはいかない。それにもしそれだけして見つからなかったら、一緒に探してくれた人に申しわけない。

 はぁ、と小さくため息が出た。本当、なんでこんなことしてるんだ。帰ろうかな。でも、帰ったら帰ったで、また気になってここに戻ってくるんだろうな。

 どうにかして探し出さなければ胸騒ぎは収まらない。わかってはいるのだが、あいにくと手がかりが少なすぎる。どんな姿かたちをしてるのかもわからないから、人に聞こうにも聞きようがないし。

 段々と思考がネガティブな方向に偏って、気が滅入ってくる。もうしばらくは動きたくないと、ぼーっと宙空を眺めていた。

 

「――――ぁ」

 

 スッ、と。限りなく存在感の薄い一人の少女が俺の目の前を通りかかっていたことに気づいたのは、実際にそれが起こってから数秒後だった。

 頭の中に昨日覚えた奇妙な感覚が完全に蘇る。妙に気になる、連帯感にも似た関心の感情。惹かれるまま、半ば無意識にその場を立ち上がった。

 彼女が過ぎ去った方向へ目を向けても、すでにどこかへ行ってしまったようで見当たらない。それでも、なんとなく『ここを通ったかもしれない』という直感にも似た確信に誘われて、建物同士の間にある路地に入り込んだ。

 ここを右、こっちは左。ここはまっすぐで、ここを左に曲がったところに――。

 そこは路地の行き止まりだった。立ちはだかった細い縦に長い壁を前にして、少女は、なにをするでもなくそこに立っていた。

 背後に立つ俺に気づいたのか、彼女が振り返り、邪気がまったく感じられない無垢な表情が俺の前に露わになる。

 少々クセの目立つ緑がかった灰色のセミロングに、薄く輝いているようにも見える宝石のような緑の瞳。頭にかぶっているのはオプティモのクラウン部分を丸くしたものに似た黒っぽい色の帽子で、巻きは結び目のある薄い黄色のリボンだった。白の二本線が入った緑の襟と、ちょっと大きなひし形の水色のボタンが特徴的な黄色の服を身につけ、袖には黒のフリルが窺えた。深い緑色のスカートを穿いており、なにやら変わった花の柄が描かれている。

 そして正直、服装やら容姿やらがどうでもよくなるくらい、その少女は他と異なった特殊性を備えていた。

 閉じた第三の瞳があったのだ。目玉を藍色の膜で包み込み、そのまま瞼を閉じてしまったような物体が心臓の付近に存在している。そこから伸びる二本の管が右肩と左肩を通り、前者はベルトのように彼女自身に巻きついてから左足のハートマークに帰結し、後者はぐにゃりと曲がってハートの形を象ったのちに右足のハートマークに帰っていた。

 

「あの……」

 

 意を決して話しかけてみると、彼女はこてんと首を傾げる。

 

「私を追ってきたの?」

「えっと、そうなりますね」

「わー、ストーカー! ストーカーだー!」

 

 初対面にも拘わらず、そんなことを言って俺を指を差してきゃっきゃと笑ってくる。いや、まぁ、間違いではないけども、もう少しオブラートに包んでくれても……。

 

「それにしてもよく私がわかったねぇ。今まで誰かから話しかけられることなんてほとんどなかったのに」

 

 いつの間にか俺のすぐ目の前までトコトコと歩いてきていた彼女が、じっと顔を覗き込んでくる。あまりにも自然な動作だったから、反応できなかった。

 

「私は……レーツェル・スカーレットと言います。吸血鬼です。あなたは……?」

 

 この少女が昨日すれ違った、俺の探し求めていた人物で間違いないだろう。なんというか感覚がそう告げているし、視界の端を掠った緑がかった灰色は彼女の髪の色に違いない。

 やはり、どうしてかはわからないが、この少女のことが妙に気になる。同族意識にも似た奇妙な感性と、もっと知りたい、知らなければという脅迫概念にも近いわずかな欲求。

 名前を名乗ったのも、問うたのも、ほとんどは無意識による行動だった。

 俺の質問に、その少女は純粋なまでの笑顔で答える。

 

「古明地こいし。地底から来た(さと)らない妖怪よ」




※本話のタイトルは「二.無意識の衝動に誘(いざな)われて」です。
 また当然ながら「古明地こいし」も原作キャラクターですが、すぐに人に忘れ去られてしまうその特性によって、レーツェルくんは瞬時に原作知識から呼び起こせない状態に陥っています。後々になれば思い出せるのではないかと。

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