東方帽子屋   作:納豆チーズV

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七.かつて得た破壊の解答

 姉妹との就寝はいいことへの前触れでもあるのか、レミリアと一緒に寝た時と同じく、フランと寝床を共にした日より後は順調な日々が続いていた。

 最初に、父のもとへレミリアを連れて二年ぶりとなるしっかりとした会話を行い、なんとか仲違いを解消した。

 次に、いずれ義母になるであろう眷属の女性とも向かい合った。元が人間でありながら吸血鬼の父に入れ込むだけはあり、なかなかに胆が据わった人物だった。

 三年弱。それが父と元の仲を取り戻し、眷属の女性と互いに「家族になってもいい」と思えるようになったまでの時間である。

 

「レーツェル、お誕生日おめでとう」

「ありがとう、お姉さま」

 

 レミリアの部屋で八歳の誕生日を祝われて、喜色の混ざった声でお礼を言う。

 本来、吸血鬼……というか、この時代の者たちに誕生の日を祝う習慣なんてない。この世界の現在は西暦一五〇〇年程度の時世であり、数え年はあれど誕生日なんて概念はなかった。

 こうして祝ってくれるようになったきっかけは当然俺である。誕生日なんて存在を知っているのは俺だけなのだから当たり前だ。

 未だ今世の産みの母が生きていた頃に、レミリアが生まれた正確な日付けを聞いて「誕生日おめでとう」と、当日に俺が口にしたことから始まった。

 それ以来互いに祝い合い、こうして今年も気持ちよく誕生日を迎えられたというわけである。

 

「今日の未明が楽しみだね」

 

 そして去年に眷属の女性と誕生日を祝う習慣についての雑談をした時に「面白い」として、今年は誕生会を開いてくれることになっていた。

 先日迎えたレミリアの誕生日の時には試しとして小さな祝いの会を開いている。今回はより本格的なものに挑戦するらしく、人間の頃に作っていたオススメの料理をたくさん振舞ってくれるんだとか。

 

「あの人の料理は美味しいもんね。私も待ち遠しい」

「人間の文化もバカにならないってことか。今度、人里にでも降りてみようかな」

 

 吸血鬼は血以外のものを食事として必要とはしないが、嗜好品としてはいくらでも食べられる。

 俺は前世ではむしろそちらの方をメインとして食べていた。レミリアも自分の誕生日に料理を食べて「バカにできない」と感じたらしく、それなりに楽しみにしているようである。

 ……この館の料理は調味料として人間の血を混ぜているので、正直な話、吸血鬼以外が食べても美味しくは感じないが。

 

「私たちが人間の前に出ても、怯えられてまともに会話できないと思うよ」

「それにしては、お父さまが懇意にしてるあの眷属は何の警戒もなく私たちに対応してくれるけど」

「ああいう人間も稀にいるってだけの話。本当なら人間は未知の存在や敵対する強い力を本能的に恐れるものだから」

 

 暗闇とか幽霊とか人間だった頃は超怖かった。今は吸血鬼だからそういうものは逆に心地いいと感じるけど。

 

「ふーん。レーツェルは物知りだね」

「そもそもとして、人間って生き物は私たちにとって興味の対象である以前に食糧でもあるからね。私たち吸血鬼は結構有名で力もあるし、相対すれば『いつ襲ってくるかわからない』って恐怖で体を縛られて、ろくな会話も成立しないんじゃないかな」

「情けない生物ね」

 

 ひどい言い様だ。木を片手で持ち上げるだとか自動車を越える走力だとかを持ちながら、人間を食糧にする。そんな存在を恐れないはずがない。少なくとも前世の俺がそんな存在に遭遇すれば「あ、これ死んだな」と絶対に思う。

 

「大半の人間はそんなものだよ。例外もあるけど」

 

 元が人間だったからこその回答だったが、なんだか結果的に小難しいことを語ってしまった。

 その後は人間ではなく料理の方に話題が転換し、やがて館の鐘が鳴り響く。

 はた迷惑なことに紅魔館の鐘は真夜中だけに鳴る。現在は午前〇時、未明まではまだまだ時間があった。

 そんな折、コンコンと部屋の扉がノックされる。

 

「二人とも、いるか?」

「入っていいよ。どうしたの、お父さま」

 

 ガチャリと開き、姿を現したのは今世の父。かつての母や俺たちに負い目でも抱いていたのか最初の頃は態度がぎこちなかったけれど、最近はその堅さも抜けてきた。

 彼は部屋をキョロキョロと見回した後、「ここもダメか」という風に首を横に振る。

 

「いやなに、あいつが姿を消してしまってな。館中探してるんだが……」

 

 ここで言うあいつとは、あの眷属の女性のことだろう。

 

「部屋にもいないの? あの人は何も言わず勝手にどっかに出かけるような人じゃないと思うけど」

「ああ、館の中にいるのはほとんど間違いない。しかし、ここにもいないとなると……いったいどこに」

 

 しばらくそうして考え込んでいた様子であったが、ハッとしたように突然目を見開いた。唇をわなわなと震わせ、なにかを言おうとしては言葉にならない。

 首を傾げる俺たち姉妹に、焦点の合わない瞳で問いかけてくる。

 

「……お前たち、あいつにフランのことを教えたか?」

 

 ――その時湧き上がってきた感覚は、母がフランを出産する日に感じていた胸騒ぎと酷似していた。

 答えるよりも早く立ち上がり、父の脇を抜けて部屋の外へ体を投げ出す。

 レミリアの「待ちなさい!」という静止の声を無視して廊下を走りつつ、思考が高速で広がっていく。

 あの元人間の眷属は俺たちを産んだ母と非常に性格が似ていた。子ども好きで穏やかな雰囲気の女性。だからこそ父が入れ込んだのだろうし、俺たちも数年という年月で親しい関係を築くことができた。

 だからこそ、彼女が地下室に幽閉されているフランの存在を知った時――仮にそれが危険な存在だとしても、誕生会くらいなら参加させてもいいんじゃないかと、そんな考えに至るであろう確率は――。

 直接フランのことを話したりと言ったことは一度もしていない。しかし、妹の示唆するような発言を本当にしなかったか? 疑いを持たせるような語り方を本当にしなかったか?

 

「フラン!」

 

 地下室へ向かうための通路は迷路のような構造になっている。さりとて幾度となく通ってきた俺が道を間違えるはずもなく、最短の行路を駆けながら妹の名を叫ぶ。

 返事は、『答え』はない。

 杞憂かもしれない。いや、むしろ思い過ごしの可能性が非常に高い。いなくなったからと言って、ピンポイントに父の眷属である彼女がフランに会いに行くはずがない。この迷路を抜け切れるかもわからない。彼女がフランの存在に気づいているかもわからない。

 なのに、なんだよ。この胸騒ぎは。

 母が死んだ時もこんな感覚だった。確かに大丈夫なはずなのに、この手からこぼれ落ちる確率なんて雀の涙ほどしかなかったはずなのに。

 フランのいる部屋の前にたどりつくと、バンッとノックもせずに勢いよく扉を押し開けた。

 

「あ――――」

 

 ――そしてすべての歯車が狂い出し、禁忌の『答え』が顔を出す。

 部屋の一角が限りない赤に染まっていた。中央に立つフランの服はいつも以上に濃い色で、その白い頬や腕はところどころに絵の具を塗りたくったように赤が貼りついている。

 彼女の周りに飛び散る肉塊は――最早原型すらも留めていない、人かも犬かも吸血鬼かもわからない物体は、いったいなんなのか。

 

「お姉さま?」

 

 無邪気に首を傾げる彼女の足元に、あの眷属の女性がつけていた青い宝石の首飾りが見えた。

 飛び散った紅蓮の液体にまみれて、その輝きはすでに米粒ほども残っていない。

 

「なんで……」

 

 なぜ、どうして、なんでまた、どういう理由で、どういうわけで。

 ただただどうしようもない疑問だけが頭を過ぎる。答えの来ない問いだけが脳を占めた。

 いつもすべてが唐突に終わりを告げる。あまりに突然で、わけがわからなくて、なんにも悲劇を受け入れる準備も心構えもできてなくて。

 わからない。わかりたくない。俺はまた、

 ああ――――失敗した。

 

「――フラァァアアアアアアアアアアアアアアアンドォオオオオオオオオオオオオオオオル!」

 

 突如、隣から響いた空気を震わせる怒声。ほぼ反射的に目を向ければ、そこに憤怒の形相で自らの娘を睨む父の姿がある。

 大声に怯むフランの元へ、吸血鬼の脚力を以て一瞬にして詰め寄った。

 同じ種族と言えどたかだか五歳のフランが抵抗し切れるはずもなく、容易にその首元へ父の手が届く。

 目で見てわかるほどに強く握り締められて「か、は……ッ」とフランが息を漏らした。

 

「いつもいつも……お前がァ……! どうして、俺の血を引いたお前がァッ!」

「ぁ、ぐ……ぅぁ……」

「なぜ俺の幸せを奪う! なんでこうも俺の愛だけを無為に落とす! お前は、お前はァ! 俺が憎いのか!? 俺が何かしたって言うのか!? なんでだ、なんでなんだよ! 答えろ、答えろよ! フランドォオルゥ!」

 

 嘆きにも似た怨嗟の怒声。心の底から溢れ出た哀れなる悲しみが外に出て、娘の形をした化け物へと憤怒の感情を浴びせかける。

 首を絞める強さが上がったのか、フランが余計に苦しそうに呻き、やがて力が抜けたように手足をブランとさせた。

 それでも父は手を緩めない。地に彼女の頭を押しつけて、喉を潰すために更なる力を入れる。

 

「なにが最期の言葉だ! なにが守れだ! こんな、こんな化け物をどうして俺が……! お前は、ここでぇ!」

「お父さま!」

 

 俺や父を追いかけてきたのか、立ち尽くす俺を横切ってレミリアが父の元へ走り寄った。

 フランを殺そうとする父の手を止めようとするが、一〇歳になったばかりの彼女では明らかに力が足りない。

 

「だったら……!」

 

 レミリアは一旦二人から離れると、助走をつけて父へと体当たりをしかけた。

 重量が足りなかったのか、首を絞める手をはがしてフランから一メートル程度離れさせるだけに終わる。

 

「邪魔を、するな!」

「ぐっ!」

 

 振るわれた腕がレミリアを打つ。吹き飛ぶ彼女であったが、すぐに体勢を戻すと再び父のもとへ飛び込んだ。

 なにがなんでも妹を守ろうとするその姿は、母がいなくなっても父が豹変しても変わらない、憧れてやまない理想の姉の姿。

 その身にいくつもの痣を作り、血を流しながら父を止めようとする健気な彼女。

 ――そしてレミリアの願う運命は叶う。

 

「こ、の」

 

 明らかに意識が朦朧としながらも、フランの瞳は父の姿を捉えていた。

 開いた右の手を取っ組み合う姉と父に向け、ただ一言。

 

「……ドカーン」

 

 握り締めた瞬間、いつかの母のように父の肉体が内側から弾けた。

 まるで風船を爪楊枝で突っついた時のように、まるで体内の爆弾が起爆したように、呆気なく。

 血飛沫と肉片、ちぎれた臓器がレミリアの周囲に飛び散った。

 本人にもかかった肉の欠片を、呆然とした様子で掬い上げて、

 

「お父、さま……?」

 

 いつか誰かが発したものと同じ、懇願にも似た呼びかけ。

 『答え』はない。

 ついさきほどまで取り戻しかけていたはずの幸せの温もりは、そこら中を漂う異臭に紛れ、最早思い出すことは叶わない。

 ――――ああ。

 

「…………フラン」

 

 おぼつかない足取りで、自らの妹の元へ足を進めていく。

 血の海を踏みつけて、足やスカートにかかる血飛沫さえ気にも留めない。

 己の手が震える理由もわからぬまま、それを彼女へと伸ばして――。


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