東方帽子屋   作:納豆チーズV

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五.静かなる冥界の吸亡

 しんしんと降り積もる雪を眺めていると、どうしても春雪異変のことを思い出す。あの時はもうちょっと強く吹雪いていたけれど、長すぎる冬と西行妖の存在は自身が思っている以上に俺の中に印象的に残っているらしい。

 吐く息が白い。だから、首元に巻いたマフラーを強く握った。あまり寒さを感じることができないからこそ、こういう動作で冬を味わうようにしたい。

 

「今日はよくいらっしゃったわ。一応お茶を入れてきたから、飲んでちょうだい」

「ありがとうございます。って、幽々子が入れたんですか?」

 

 春雪異変のことを思い出してしまうなら、と今日は冥界を訪れてきていた。ろくにアポも取らずに門を越えてきた俺を、幽々子は嫌な顔一つせずに出迎えてくれた。

 冥界もまた、幻想郷と変わらないくらいの寒さを誇っているらしい。異変の際に来た時は春を冥界が奪っていたために幻想郷と季節の違いが生じていたが、普段は大体が現世と同様に、冥界にも四季があるようだった。

 縁側に座り、幽々子からお茶をいただき、それを口に運ぶ。ほんの少し苦いながらも、いつまでも味わっていたいと感じるような――飲み慣れた紅茶もいいが、こうしてたまに口にする緑茶はとても心が落ちつく。

 

「妖夢はいないんですね」

「ええ。あの子、人魂灯を失くしたのよ。だから探しに行かせてて」

「人魂灯?」

「光を灯すと幽霊が集まってくる、冥界にしかない道具よ。主には多すぎる幽霊を誘導するのに使うものね」

 

 光に集うなんて蛾みたいだ、とか言ったら幽々子は怒るだろうか。案外「確かにそうね」と納得してくれるかもしれないが、心の外に出すのはやめておいた。

 幽々子が隣に腰を下ろすと、俺と同様に外の景色を眺め始める。紅魔館の庭は洋風で眺めているとこれまた楽しげな気分になるのだが、白玉楼の庭は和風であり、降雪に彩られる庭石や小さな池などは風情を感じさせる。自然とため息が漏れてしまうくらいには美しく、そんな俺の様子に幽々子はずいぶんと満足そうな表情をしていた。

 

「幽霊を集める道具……ですか。それを失くしたって、もしかして結構マズいんじゃないですか? 冥界で失くしたとかならまだいいとは思いますが、幻想郷で落として、それを誰かに拾われたりなんかすれば簡単に悪用ができちゃうんじゃ……」

 

 それだけではない。どういう原理かはわからないが、幽霊が集うということは、幽霊にはその光が察知できるということだ。つまりは人魂灯を持っていると悪霊のようなよくない存在も近づいてくる可能性もわずかながらにあり、そうなれば悪い人物に悪用されるよりもはるかにマズい事態が起こってしまう。

 

「ええ、そうね。人魂灯は幻想郷にあるわ」

「ある、って……どうして断言なんです?」

「だって、私には人魂灯の場所がわかるもの。魔法の森の入り口辺り……香霖堂だったかしら? そこにあるわね、人魂灯は」

 

 ……霖之助、なんてものを拾ってるんだ。しかしまぁ、今回は都合がいい人物が拾ってくれたとホッとするべきか。

 魔法の森近くなら悪霊なんていないだろうし、誰よりも道具に興味を示す霖之助が道具を悪用するだなんて考えられない。おそらく俺の知り合いの中でもトップクラスに安全な人物に渡ったと言える。そして俺と同じ考え方だからこそ、幽々子もこうしてゆったりと白玉楼で過ごしているのかもしれない。

 

「妖夢に人魂灯の場所は……」

「もちろん教えてないわよ。でも、光は灯しておいたから幽霊が集まっている場所を探してきなさい、とは伝えてあげたわ」

「それなら、まぁ、失くした罰としては十分……なんでしょうか。でも霖之助のところにあるんですよねぇ。妖夢は戦闘時とかならともかく、普段は結構弱気なところがありますし……取り返すのは苦労がいりそうです」

「冥界に住んでるくせに怪談が苦手な変わった子ですものねぇ」

 

 霖之助にはそこそこめんどくさがりの気質がある。霊夢や魔理沙のように我が強いと付き合う上にまったく問題も関係も生じないが、妖夢のように未熟さと真面目さを掛け合わせたような人物では少々キツい部分があるかもしれない。具体的には、人魂灯を返してもらいに行った妖夢が、霖之助に人魂灯の値段代わりとかのたまわれて香霖堂の雪かきをさせられたり。

 しかしそんなこともまた、幽々子にとっては織り込み済みのことなのかもしれない。そうでなく、俺がここで霖之助の性格について教えたとしても、おそらくは「あの子にとっても勉強になったんじゃないかしら」や「なくしたぶん、探して取り戻す苦労を知ってよかったじゃない」等と答えてくるだけだろう。

 妖夢も今回のことで懲りて絶対になくさないようにするはずだから、ある意味、霖之助も妖夢も得をする結果なのかもしれない。

 

「って、妖夢って怪談が苦手なんですか? 幽霊じゃありませんでしたっけ? 半分だけですけど」

「ええ、きちんと半分は幽霊よ。それなのに苦手って言うんだから、面白いでしょう?」

「……もしかして怖い話とかよく聞かせたりしてました?」

「ふふっ、本当に可愛いのよ? よく妖忌のところに泣きついたりしててねぇ……あ、妖忌っていうのはこの屋敷の前の庭師のことよ。厳格でねぇ、私もよく怒られたりしたわ……」

 

 そんな人物がいるとは、原作の知識がある俺でも知らなかった。知識と言ってもゲーム内の大雑把な会話の流れと、適当なキャラクター設定くらいしか覚えてないから、少しでもコアな部分となればわからなくなるのは当然だけれど。

 感慨深そうに目を閉じる幽々子を見ていると、その妖忌という庭師に興味が沸いてくる。いつもはしゃぎまくっている印象がある幽々子のストッパーなんて容易に務まるものじゃないし、妖夢と親しかったようであるし。

 

「その妖忌さんって方はどこにいるんです? 前の庭師って言ってましたし、今は引退してどこか別の場所に?」

「それがわからないのよ。突然私のところに来ては暇をもらいたいって言って、それっきり。まだまだ未熟な弟子の妖夢だけを残して、霧のように消えてしまったわ」

 

 その時の妖夢もずいぶんと泣きじゃくって、可愛かったわぁ。そう呟く幽々子の顔には、しかし楽しげな様子は感じられなかった。妖夢が心の底から泣いていたからか、妖忌が突然いなくなったことに自らも腹を立てているからか、あるいはその両方か。

 これ以上、妖忌という庭師について質問をするのは無粋というものだろう。抱いていた興味をまとめてゴミ箱に捨て、違う話題を脳内で検索する。

 

「……私、そういえば妖夢とあんまりしゃべった記憶がありませんね」

「あら、そうなの?」

「どちらかと言えば咲夜の方が妖夢とたくさん話してますね。宴会なんかで仲良く飲み合ってるのをよく見かけます」

 

 昨日の敵は今日の友。主人に苦労をかけられる使用人同士ということで、気が合うのかもしれない。

 

「今度、適当に話題でも考えて改めて話しかけてみましょうか」

「熱心ね。あの子のことが気になってるの? ここから奪ってあなたの館のメイドにでもするつもり?」

「違いますよ。ほら、だって妖夢ってかっこいいじゃないですか」

 

 幽々子が、本気でわけがわからない、という風に首を傾げた。

 

「可愛いの間違いじゃなくて?」

「かっこいいですよ」

「かっこが素晴らしいの間違いじゃなくて?」

「なんですかそれ。さすがに無理がありますよ。かっこいい、です」

 

 日本刀を二本、それも長いものと短いものの二刀流を使いこなし、天狗の目にも留まらぬ神速を瞬発的ながら出すことができる近接戦のエキスパート。これだけでも十分かっこいいし、いつもの頼りない感じのギャップと相まって、実際に戦う時はより一層に魅力が引き出されている気がする。

 

「剣術でもなんでも、なにかのジャンルで実力を持つ者には誰しもが魅せられます。美しい弾幕に目を奪われるように、完成された技術は人の目を引きつけるんです」

「あの子の剣は、完成って言うほど磨かれてはいないわよ。まだまだ未熟、妖忌には遠く及ばない」

「だからいいんです。今でさえ引きつけられる剣技が今後さらに成長していくと思うと、もう目が離せません。そうですね、言い方を変えるなら……ファンみたいなものでしょうか。そもそも剣術って存在自体がかっこいいですし、それを扱える妖夢には結構憧れてるんです」

 

 前世は日本人だから、特に日本刀を用いた剣技とかは憧憬を抱く。居合いで銃弾を斬ったりとか、妖夢なら本当にできそうだ。

「やっぱり変わった悪魔ねぇ」と幽々子が言う。元から強大な力を備える吸血鬼が技術を褒め称えるなんて、と。

 

「まぁ、ファンとは言っても、お姉さまには全然届きませんけどね。お姉さまは至高の邪神です」

「あの子どもがそこまで立派な存在とは思えないけれど」

「ふっふっふ、お姉さまの素晴らしさが理解できるのはほんの一握りですからね」

「一握りって、あなただけでしょう?」

「このクオリアは誰にも渡しませんよ」

「はいはい。いりませんから」

 

 気がついたら、すでに湯呑みの中身がなくなっていた。幽々子に新しく緑茶を注がれ、「ありがとうございます」とお礼を述べる。

 冥界のお茶はとてもいい茶葉を使っている。少なくとも、いつの間にかなくなっているくらいには美味しい。俺が魔道具で紅茶の茶葉を変換して作るようなものはしょせん紛い物でしかないし、霊夢が出してくれるのは二番煎じだったりすることが多い。

 

「そんなことより、あなた、確か猫になる魔法を使えたじゃない?」

「耳と尻尾を生やすだけですけどね。それがどうかしたんですか?」

 

 鋭く目を細めて、使いませんよ、と言外に伝えておく。幽々子みたいにイタズラ好きの亡霊の前で使ったら、魔理沙にやられたのと同じようなことをされる可能性が大半だ。絶対に使わない。

 

「別に今ここで使えだなんて言わないわ。ただ、聞いてみたくて。その魔法って妖夢には使えるのかしら?」

「……無理ですね。妖術を組み込んだ特殊な魔法ですから、妖力を操れる存在にしか扱えません。そもそも自分の体をいじる魔法は結構な繊細さが要求されますから、少なくとも一〇〇年間は魔法の勉強が必要です」

「あら、残念ね。猫耳の妖夢、きっととっても可愛いはずだわ、って思ったのに」

 

 個人的には、妖夢は猫よりも犬の印象がある。それも小さく可愛い系で、耳が垂れている感じだ。咲夜も印象は犬だが、あちらはお茶目な忠犬、優雅な立ち振る舞いが似合うような犬がちょうどいい。

 どちらも同じ種族の動物ではあるけれど、やはり普段の言動からイメージというものは違ってくる。俺は妖夢と咲夜を今の二つのように捉えたが、レミリアや幽々子等に言わせれば別のなにかになってくるかもしれない。

 

「猫耳ってすっごい辛いんです。いえ、猫耳が辛いって言うより、触られるのが受けつけられません」

「そうなの? あなた、魔理沙に触られて、息を荒くして気持ちよさそうだったじゃないの」

「それは、少しは心地いいですけど……慣れてないからか、それが気にならなくなるくらいくすぐったいんです」

「そういうものなのかしら。まぁ、猫として生まれたならともかく、途中から新しく追加したのなら、慣れなくて当然かもしれないけれどねぇ」

 

 妖術で化けるだけでは収まらない。猫の特徴的な部分を再現し、その効能を強化の魔法で実際のそれと近づけることで猫の潜在能力を手に入れている。赤ん坊が少しずつ体の扱い方を覚えるように、突然現れた感覚を完璧に操れるはずがないのだ。

 

「そういえば、あなたにずっと聞きたいことがあったのよ」

「私に……ですか? いいですよ、なんでも聞いてください」

「――あなたは、未来でも見えているの?」

 

 唐突な質問は核心を突くかのようなものであったが、俺は別段驚愕等の感情を抱くことはない。

 なにせいずれこういうことを聞かれることはわかっていた。春雪異変でも永夜異変でも俺の行動には不審な点が残るし、その他のいろいろなところでも浮き出ている可能性がある。

 別に俺は、自分が転生したことがバレるのはなんとも思っていない。ただ、知れ渡るのはさすがに勘弁してほしい。レミリアやフランなど、一部の親しい人物になら質問された時にきちんと答えようと思っている。

 幽々子はまだ、その域には達していない。

 

「未来なんてわかりませんよ。でも、勘か第六感とでも言いますか……そういうところが『これは違う』とか、『こうしていると危ない』って伝えてくるんです」

「私が起こした異変の際、春度を事前に捨てたのもそれがあったから? 月が歪な夜、私たちを誘導したのもそれが理由?」

「ええ、そうですよ」

「……明らかに嘘ね。でも、いいわ。絶対に話したくないという風ではないし……また今度、教えてくれそうな時に改めて聞くから」

 

 すぐに退いてくれたことには、質問された時以上に驚いた。幽々子のことだからもっとしつこく問いを投げてくるかとも思っていたが、冥界の屋敷のお嬢さまだけあって、そこらへんの配慮の心は兼ね備えているということか。

 ……他に変なところが多すぎるのに、こんな妙なところでお嬢さまの態度を発揮されても困るけど。

 

「私も前から聞きたいことがあったんですが、幽々子は紫から私のことをなんて聞いていたんです? 最初に会った時、私のことを知っていた風でしたが」

「最強の吸血鬼。油断していたとは言え、この私が負けたわ。いろいろとおかしな事情にも通じているみたいだし、結構面白い子よ……とか言ってた記憶があるわね」

「最強、ですか。私はそこまで自分が強いとは思ってないです」

「あら、そうなの? まぁ、あなたの感じ方はあなた次第だから文句は言わないけれど、あの鬼と互角に渡り合える時点で普通ではないことは確かね」

 

 あの鬼とは、萃香のことか。かつて四天王と呼ばれた最強の鬼の一人と正面から戦闘を繰り広げたことは、紫を通してか、どうやら幽々子にも筒抜けのようだ。

 互角とは言うが、あれはかなりギリギリの勝負だった。萃香は俺が何度攻撃を当てても怯まなかったし、逆に俺はまともに拳を一発をもらうだけでも致命傷になってしまう。結果的に見れば、両腕を折られて以降は俺が終始押していた感はあるが、形勢逆転される機会はいくらでもあったのだ。

 やっぱり二度とやりたくない。一応しばらくは戦わないと紫の前で鬼の名にかけて誓ってくれたけど、捻くれ者な彼女がそれを守ってくれるかは微妙なところだ。

 

「冥界ってどんな幽霊が来るんですか?」

「良くも悪くもないやつらね。善い行いをした者は天界に、悪い行いをした者は地獄に、良くも悪くもない者は冥界で転生を待つ。まぁ、私の能力で死んだ輩は永遠に冥界で私の下で働くんですけれど」

「それは、嫌ですね。すっごい不憫です、その人」

 

 あいかわらず雪はやまず、目に映る風景に冷たく白い花を添えている。桜は春、緑の葉は夏、紅葉は秋。そして冬はなにもない代わりに、雪という儚く美しい花びらを天の目が届く場所に落としていた。

 この冥界にも幻想郷と変わらず季節はある。漂うことしかできない幽霊たちにも、世界の移り変わりを享受する権利はあるということだ。

 

「冥界は静かです」

「妖精やら妖怪やら、幻想郷は無駄に賑やかですもの。住むならこういうところが一番落ちつくわ」

「紅魔館はいつもわいわい騒いでますけどね。そういうところも毎日楽しくて、結構いいですよ」

「その話している内容が怪談なら、私も喜んで集まりに行かせてもらおうかしら。妖夢を連れて」

「やめてあげてください」

 

 ――もうすぐ幻想郷が生まれ変わる。

 この言葉は誰が口にしたものだったか。紫か、幽々子か、あるいは別の誰かか。もしかしたら天狗の新聞で目にした文句だったかもしれない。

 しかし、それが冗談ではなく、きちんとした意味を持っていることを俺は知っている。

 あと少し経てば、また異変が起こるのだ。それは決して誰が起こすというわけではないが、俺の中にある原作の知識からも言える確実なことだった。


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