東方帽子屋   作:納豆チーズV

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三.玄武の沢にて弦奏物

 外の世界の文明は、今のところどの辺りまで進んでいるのだろうか。少し前に紫が「最新のもの」と言って見せてくれたものが、上と下で画面が分かれた二つ折りのゲーム機の初期版だったので、新年を迎えた今は西暦二〇〇五年くらいなのかもしれない。

 前世の頃は手がかじかんだり、ベッドに入っても全然体が温まらなかったりで冬は苦手だったが、吸血鬼になってからは逆に好きな部類に入るようになった。気温の変化に疎くなったからというのもあるけれど、雨の代わりとして雪しか降らないことが大きい。通り雨などが絶対に起こらないので安心して出かけることができるのだ。

 真昼間。霖之助製のローブを纏い、首に巻いたマフラーを揺らしながら、俺は妖怪の山の一角を悠々と歩いている。

 妖怪の山――その名の通り、数多くの妖怪が多く棲みついている場所であり、幻想郷で山と言えば基本的にここのことを指す。多種多様な妖怪の中でも代表的な種族が天狗と河童であり、この山ではその二種族を中心に人里とは隔絶した社会を築いている。そのうち一部の技術は外の世界を上回るのではないかとも噂されるほどであり、加えて天狗という支配種族の一つが頂点に立っているため、基本的に妖怪の山を攻め入ろうとする妖怪は現れず、そんな阿呆が出現したとしても一瞬のうちに葬られるのが常だ。

 妖怪の山では独自の社会を築いていることもあり、そこに住む者は近未来的で豊かな生活を送っているという。そしてどの種族よりも仲間意識が強く、組織として成り立っていて、逆にそのせいでよそ者への風当たりは非常に強いようだ。

 この山にも、迷いの竹林と同様に眉唾な噂がいくつかある。山の内部には巨大な空洞があり、そこでは外の世界さながらの未来楽園を築いているだとか、幻想郷全体で禁じられている結界に穴を開ける作業が行われ、外の世界と繋がっているのだとか。強いて現実性のあるものを挙げるならば、妖怪の山が休むことなく上げ続けている煙は噴火によるものではなく、天狗や河童たちの工場が吐き出している煙であるのだとか。

 

「そろそろのはずですけど……」

 

 俺は吸血鬼という種族であり、それは幻想郷で新しい存在ではあるものの、決して生温い妖怪でないことは周知の事実だ。かつて吸血鬼たちが引き起こした吸血鬼異変では、吸血鬼は気力を失っていた多くの妖怪たちを軍門に下し、妖怪の山をまさしく瞬く間に占領した。あいにくと終盤辺りにレミリアを助けるために参戦した俺は細かい事情までは知らないのだが、妖怪の山を蹂躙したということは、吸血鬼たちは天狗とも争いを繰り広げたと考えて間違いないだろう。

 吸血鬼異変はまだ記憶に新しい。つまりなにが言いたいのかというと、吸血鬼である俺が妖怪の山を出歩いている光景が天狗に見られるとちょっと問題になるかもしれないので、できるだけ気配を薄くし、天狗の領域に近づかないようにしながら山を進むようにしていた。

 妖怪の山ではない場所でなら、会ったところで特に問題は発生しないだろう。別に天狗と敵対しに来たわけでもないので、もしかしたらここで見つかってしまっても大丈夫なのかもしれない。しかし少しでも問題が起こる可能性があり、それを避ける手段があるのなら迷わず行うべきだ。

 わざわざ空を飛ばずに不安定な足場の中を進んでいるのもまた、そういう理由によるものだった。

 

「でも、スニーキングミッションみたいで楽しいかもしれないです……」

 

 どこまで天狗の領域に侵入できるかとか、試したい気持ちはある。けれどそれをやればさすがに間違いなくマズいことになるので、しっかりと自重しておこう。

 そうしてコソコソと進むこと一〇分。そろそろ今日は諦めて帰ることも視野に入れ始めた辺りで、視界の奥に目的地が見え始める。

 そこは川の畔だった。しかし、当然ながらただの川辺ではない。

 そこかしこに屋台や長机、質素なところではシーツ等が適当に置かれ、見渡す限りの場所で河童たちが商売に興じていた。売られているものは写真機や掃除機など近代的なものばかりで、たまに一目では用途のわからないおかしな物体も置いてある。

 河童とは言っても、この世界での河童は全身緑色の気色悪い外見はしていない。すっぽんの甲羅を背負い、頭に皿は乗せてはいるものの、基本的に人間と同じ容姿をしている。

 

「聞いてた通り、やってますね」

 

 今日は河童たちが妖怪の山の麓、玄武の沢でバザーを開く日であった。多くの河童が展開する商店にさまざまな妖怪が集い、稀には人間の姿さえ見えたりもする。妖怪の山に住んでいない者が、人間の里では絶対に手に入らない、妖怪の山独自の技術で作られた品々を手に入れるためには、このバザーを訪れるしかないとされていた。

 ラジコンや、結界の緩みによる外界との共鳴。先日は霖之助がゲーム機を手に入れ、それを燃料の代金として紫に没収されていたことなど、最近は外の世界こと現代の文明に触れる機会が多かった。そんな中でバザーが開かれると聞き及び、どうせならと訪れてみた次第である。玄武の沢は行ったことがなかったので、こうして手探りで歩いて探し当てたわけなのだが。

 できればこのまま店に突入して、俺も他の妖怪たちや人間のようにいろいろなものを見て回りたいけど……。

 悪魔が、それも吸血鬼がいるとなれば辺りが混乱してしまうことは想像に難くない。だからこんな時のために、俺は魔法を開発してきていた。

 毎日の食事により摂取している遺伝子の解析からの強化魔法、すなわち人間化魔法。

 

「んん……」

 

 俺の強化魔法は、変化の妖術と増強系の魔法を組み合わせた複合魔法とでも言うべきものだ。遺伝子を取り込み、それを解析して変化の妖術へと適応させ、それが及ぼす影響の度合いを増強させることでいろいろな種族の特徴を取り入れることができる。

 ただし、俺が吸血鬼という一種族である以上、これには限界がある。

 吸血鬼部分を一〇〇パーセントと仮定するならば、強化魔法で得ることができるのは基本的にプラス五〇パーセントまでと言ったところだ。五〇パーセントを越えると種族がぐちゃぐちゃになってどんな結果に転がるのかまるで予想できなくなってしまうので、普段は保険をかけて二〇パーセント程度に抑えて使用している。これまでで一番高いパーセンテージでの使用というと、以前の萃香との戦闘の際、最後で使った鬼化魔法だ。四〇パーセントほどまで解放したりしていたのだが、正直なところ、体に明らかな違和感を覚えて結構キツかった。

 今回は人間の遺伝子を利用し、その度合いはちょっと高めのプラス三〇パーセントである。

 すぅー、と翼が幻想のように消えていったのが理解できた。瞳の赤さは薄めのそれへと変わり、身体能力がガクンと下がる。なんだかデメリットばかりだが、体の中に意識を向けてみると新たな力の奔流、おそらくは霊力と思しき力がわずかに感じられ、すなわち今の俺は魔力妖力霊力と三つの力を扱えることになっていた。

 三〇パーセントにしたのは、吸血鬼であることができるだけバレないようにするためだ。あいにくと人間の体の使い方は妖怪の中で一番熟知している自信があるので四〇パーセントにしてもよかったが、やっぱりちょっと危ないので三〇で止めておいた。

 

「あれ……?」

 

 以前試してみた時に翼がなくなったから、都合がいいと今回も使ったのだけれど、よくよく考えるとおかしかった。

 これまでは耳や角、尻尾等が生えたりすることが変化の証となっていた。しかし今回は追加されることなく、逆になくなっている。人間にそれらしい特徴がないからと言ってしまえばそれまでだが、それならば増えないだけで減ることはないだろう。三〇パーセントをプラスしているはずなのに、どうしてマイナス方面に強化――否、弱化してしまっているのか。

 そんな疑問も、思考を巡らせればすぐに氷解した。

 猫化魔法は遺伝子モデルのないデフォルトなので例外として、玉兎化魔法や鬼化魔法は両方とも妖怪から摂取した血から作り出している。妖怪とは幻想の存在であり、人間に忘れられてしまうと実在できなくなってしまう。対し、人間は誰に忘れられようとも、在るという事実は決して変化し得ない。それは比べるまでもない決定的な違いであり、強化魔法を同じように行使した場合、こうやって不具合が生じるのも当然のことなのだろう。

 改めて自分の状態に意識を向けてみる。これまでは一〇〇パーセントの吸血鬼の特性に二〇パーセントの猫の力を付加したりしていたが、今回は吸血鬼の特性を七〇パーセントまで抑えて、その分の三〇パーセントを人間の部分へと置き換えているように感じた。吸血鬼としての特性が薄くなってしまったから、全体的に能力が下がり、翼もなくなったのだろう。

 

「まぁ、なんでもいいです」

 

 一瞬、人間化魔法を五〇パーセント越えで行使すれば人間に戻れるかもなんて思考が生まれたが、すぐに掻き消した。吸血鬼として生まれた俺の根本は幻想としての性質が強い。仮に人間の度合いが吸血鬼のそれを上回ったとしても、その場合に起こり得る一番可能性の高いものは『吸血鬼』という幻想でなくなったせいで存在が不安定になり、消滅すること。そんなリスクは冒したくないし、そもそもとして人間に戻ろうとするという行為はレミリアやフランを裏切ることと同義だ。もし戻れるのだとしても、それを行う気はまったくない。

 気を取り直して、歩みを再開する。川辺に脚を踏み入れ、開催されている河童たちのバザーへと客として俺も参加した。

 幾人かの妖怪から目を向けられることはあったが、そのどれもがすぐに興味をなくした風に逸れる。人間と悪魔が混ざり合っている状態なので、半人半妖とでも思ってくれたのか、妖怪に体を乗っ取られている人間だとでも予想してくれたのか。どちらにせよ、目立たないことには変わりない。フードを目深にかぶっているためか、さすがにちょっとだけ目立ったりはしているが、いつもの「うわっ、吸血鬼」みたいな視線の嵐と比べれば全然であるから気にならない。

 人間化魔法。戦いにはまったく使えないけれど、こうして潜入やらなんやらをする時にはかなり役立つ魔法のようだ。これまでは人間の里には夜にしか訪れていなかったが、これを使えば昼に行ってもなんの問題も発生しないだろう。

 

「なにを買いましょうか……」

 

 うずうずか、ワクワクか。外の世界のものと似た多くの品物に感動しているのか、表情は変わらないくせに胸が高鳴っているのがわかった。これ買いたい、あれも買いたい、ああそれも買いたいな。商品を眺めるたびにそんな気持ちが駆け巡り、しかし名残惜しさを抑えてでもそれを自重する。俺も一応は五〇〇年近い時を生きた誇り高き吸血鬼の一人なのだから、金の無駄遣いなんて子どもみたいなことはしないのだ。

 

「お嬢ちゃーん、なにか買っていかない?」

「あ、これ欲しいです」

「ウォーターガンだね。値段は――」

 

 河童の一人と交渉をし、どう見ても拳銃にしか見えない水鉄砲を手に入れた。いや、これは無駄遣いではない。河童は水辺に住み、泳ぎをどの種よりも得意とする水の扱いのエキスパートなのだから、この水鉄砲だってきっととてつもない性能のはずなのだ。きっと本物の拳銃に匹敵するくらいの速さで水流が飛び出すに違いない。

 ……そもそも魔力や妖力で適当に作った弾でも拳銃の弾丸程度の速度ならば軽く越させることもできるが、決して無駄遣いではない。

 あとでフランと一緒に缶当てでもして遊ぼう、なんて考えながら倉庫魔法に水鉄砲をしまい、改めてバザーを見て回った。水鉄砲は買いたいから買ったものだったけれど、こうして巡っていれば本格的に便利なものも見つかってくる。

 冷蔵庫、固定電話、腕時計、なぜかその場で現像されるというフィルム式カメラ。冷蔵庫辺りは俺の趣味の一つである魔道具製作でも似たようなものが作れそう、というか作ったことがあるが、それっぽく仕立てただけの俺のものよりも河童製の冷蔵庫の方が数段性能がいい。どれもこれも有用や必要だと感じたら購入を決定し、片っ端から魔法で倉庫に入れていく。

 そうして大体のところを見回り、ちょっと買いすぎたかな、そろそろ帰ろうかな、と感じてきた辺りで一つの屋台に目が留まった。

 

「あの……」

「んー、あー、らっしゃい。冷やかしならごめんだよ」

「いえいえ、ちゃんと買いますよ」

 

 一番に目立つのは、店主が背負っている巨大なリュックであろう。バールのようなものが飛び出て見えており、その中には大量の工具やら機械やらが入っているのだと容易に想像がつく。

 青色の髪を赤い数珠がついたアクセサリーでツーサイドアップにまとめ、その上に緑のキャスケットをかぶっている。身長は前世で言うところの中学生ほどであり、蒼の瞳は汚れなき美しい水面を連想させた。白のブラウスの上から水色の上着、鍵の首飾りを身につけ、青のスカートにはそこかしこにポケットが備えつけられている。河童の特徴の一つとして雨が降っていないにも拘わらず長靴を履いていることが挙げられ、今話しかけた店主の靴もそれであった。

 

「このピアノ、いくらですか?」

 

 屋台の半分以上を占領しているグランドピアノを指差して、問いかける。他のものがすべて小道具なだけあって、これだけが明らかに浮いていた。

 

「あー、あー、んん……へえへえ、いいところに目をつけましたねぇ。そちらは私のお手製のピアノでして、そうですね、ざっと一五〇円ほどの価値があると思ってますよ」

「そうですか。さきほどは冷やかしはしない、買いますと言いましたが、すみませんあれは嘘でした。私はもう帰ります」

 

 一五〇円は高すぎた。前世の物価に換算すれば実際のグランドピアノと同程度の値段になるのだけれど、いろいろと今の今までいろいろと買って回っていたことを考えるとキツいものがある。ちょっと興味があっただけなのに一五〇円も使っては、無駄遣いと言われても反論ができなくなってしまうだろう。

 そうして背を向けた俺を、慌てて店主が引き留めた。

 

「ま、待った待った! 冗談だよ冗談っ! 実はこれ、ずいぶんと前に作ったはいいけど、全然役に立たないし人気ないしかさばるしでまったく売れてない商品なんだよ! 私もそろそろ手放したいし……一〇〇円くらいにしてあげてもいいよ?」

「三〇円なんていいと思いません?」

「九〇円までなら……」

「四〇円に妥協します」

「……なに言われても九〇よりは下げないよ」

「さて、帰りの支度でもしましょうか」

「ぐぐ……あー、もう! わかったよ、値下げすりゃあいいんだろ。七五円。これ以上は絶対に下げない。作るのにも費用とかが必要だからねぇ」

「五〇円なんて」

「下げないっつってんだよ」

 

 むむ、と顎に手を添える。苦い顔をしている店主を見る限り、なにをどうしたところで本当にこれ以上値下げしてくれそうもない。そうなると考えるべきは、グランドピアノに七五円もお金を費やす価値があるかどうかだ。

 この際、壊れている可能性等は置いておこう。俺は七五円分もピアノをやるつもりはあるだろうか。ちょっと手を出して遊ぶだけならばそんなに金を使うのは無駄遣い以外のなにものではなく、無駄以外のものにするには本気でピアノを学ぶ覚悟を決めなければならない。

 数秒、数十秒。まだかまだかと店主がじーっと俺を見つめてきていることは気になったが、それでも思考を続け、最終的に結論を出した。

 

「買います」

「はい、まいどありぃ。返品は受けつけてないんで、そこんところよろしく」

 

 店主のバッグの中から白い手袋をつけた大きな機械の手が飛び出てきて、グランドピアノを掴んで俺の前に置いた。俺みたいな見た目一〇歳児の前にあからさまに重たいものを置いて放置、さらには客が買うことに決めた瞬間に返品不能宣言。そんな鬼畜なことをしでかすのは値下げされたことを不満に思っているからか、それともただ単にそれが彼女の素であるのか。今は三〇パーセントが人間と言えど、吸血鬼であり倉庫魔法もあるためにまったく問題はないが、本当に俺が一〇歳児程度の力しか持っていなかったらどうするつもりなのだろうか。

 そもそもそんなか弱い子どもが玄武の沢に河童のバザーを見に来るはずがないのだけれど、そこは置いておく。

 

「明日からしばらくはあんまりお金を使わないようにしないといけませんね……」

 

 今日はちょっと使いすぎてしまったから、そこそこ節約して、貯金もしていかないと。

 グランドピアノを倉庫にしまい、河童のバザーに踵を返し、玄武の沢に来た時の道へと戻る。誰の目にも留まらぬ場所まで来たら魔法を解き、吸血鬼の力と翼を完全に取り戻した。

 家に帰ったら早速今日買った品を改めてチェックしてみよう。冷蔵庫は台所にでも置いて、電話機は適当な場所に、それから一回カメラを使ってみたりとか……。

 やること、やりたいことがたくさんあった。多くの人間や妖怪は河童から買った物の使い方がわからなくて苦労するみたいだけれど、平成の世で生きた記憶がある俺には河童製のものであろうとなんとなくそれが理解できる。

 いつかまたバザーに来よう。そう誓って、妖怪の山を出ると飛行を開始した。


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