「フランドールは、館の地下に幽閉する」
唐突に母の死を目の当たりにした子ども二人に、返事をする余力など残っているはずもない。
反論する者はなく、宣言通りに三女フランドール・スカーレットは地下室へと入れられた。
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ザァー、と館の外が騒がしい。
真夜中の空は暗い雲が埋め尽くし、更には雨なんて降らすものだから、窓の外はひどく濃い闇に満ちている。
人間ならば一寸先も見えないほどなのかもしれないが、あいにくと吸血鬼は夜の種族だ。暗闇などその視力の前には何の意味も為さない。
まぁ、吸血鬼は流れる水の中(=雨の中)を歩けない体質なので、見えていても外を出歩けはしないのだけれど。
「レーツェル、どこに行くつもり?」
振り向くと、咎めるような視線のレミリアが俺を見据えていた。
「別にどこにも」
「またフランのところに行こうとしてたのね」
偉大な姉には嘘なんて通用しないか。観念した風に両手を上げて、「そうだよ」と肯定した。
「お父さまに会いに行かないように言いつけられてるでしょう? この前だってフランのところに通っていたのがバレて怒られていたじゃない」
「うん。でも、フランが待ってるから、会いに行かないと」
俺は母が死んだ日より、中性的なしゃべり方を心がけることをやめていた。
もともと何年も続けていただけあって定着しており、前世の話し方に戻ったというわけでもない。ただ単に「こう演じて話そう」と今まで考えていたものを取り払っただけだ。
実際ほとんど変わっていないらしく、口調を意識しなくなっても父は特に気にも留めず、レミリアが「少し変わった?」と聞いてきた程度である。
「……レーツェル、わかっているの? あの子はお母さまを殺したのよ」
「強すぎる能力が暴走しただけで、フラン自身は何も悪くない。お姉さまだってそれはわかってるでしょ?」
「私が言いたいことはそうじゃない。あなたも、もしかしたらお母さまと同じようにフランに殺されるかもしれない……そう忠告してるの」
大好きな姉の自分を心配してくれる心と行動が、ひどく胸を揺さぶってくる。
レミリアに向けていた面が喜色を浮かべかけるので、すぐにそらして右手で隠した。
「ありがとう、お姉さま。私は、そんなに気にかけなくてもらわなくても大丈夫だから」
「レーツェル、あなたは」
「フランにだって幸せを享受する権利はある。それに私ももうあの子の姉なんだから、ちゃんと面倒を見てあげたいんだ。お姉さまが私に構ってくれたみたいに」
「……ずるい。そんな言われ方したら、言い返せないじゃない」
大きなため息を吐くと、近寄って来ては俺の耳に口を近づける。
「あの子は確かに悪くない。私もそれは理解してるわ。けど……あの子はたぶん、不安定っていうか……どこか狂ってる。なんとなくそう感じるの」
知ってるよ。そう口から出かけた言葉を飲み込み、小さくこくりと頷いた。
フランドール・スカーレット。東方Projectの中でもかなり有名なキャラクターである。ほぼすべての人気投票で一〇位以内をキープし、時には姉であるレミリアさえも上回る人気を誇る。
そんな彼女がただならぬ狂気を身に宿していることは周知の事実だ。当然、レミリアが五歳の時に生まれてくることもわかっていた。
「……はぁ。何を言っても行くのをやめるっていう選択肢はないみたいね」
「ごめんなさい」
「いいよ。その代わり、フランのところに行くなら私もついてくからね」
顔を隠していた俺の右手をしっかりと握ると、レミリアは小さく微笑んだ。
何度この笑顔に救われたか。そしてだからこそ、俺は二年経った今も後悔し続けている。
「あれ、この声……」
レミリアが耳を澄まし始めると同時、すぐそばの部屋から二人の男女の声が聞こえてきた。
わずかに開いている扉を二人して覗き込めば――今世の父と、その眷属である女性の二人がキスをしている場面が目に入った。
眷属、つまりは仲間を増やす意志を持って人間へと吸血行為に及んだ場合に生まれる存在。
「……行こう、レーツェル」
「うん」
レミリアに手を引かれ、そそくさとその場を去っていく。
――母がいなくなり、父はまるで空っぽな抜け殻のようになっていた。
それでも彼女の最期の言葉は覚えているようで、人間を狩ってきては適当に調理して俺たちに食事として与えてくれていた。
同じく母の死で傷ついていた俺やレミリアが父を慰められるはずもない。そんな中、彼を励ましてくれたのが狩りの時に出会った人間の娘だったという。
心に空いた穴を塞ぐものを求めるように父はその人間に夢中になり、眷属にした。
目の前で愛していた伴侶が惨たらしく我が子に『破壊』されたのだから、そうして心の支えを求めるのはしかたのないことだ。俺はレミリアとそう結論を出して、彼が遠ざかっていくことを許容した。
「……ごめんなさい」
そんな小さな独り言は、何も為せずに空気に溶けて消えていく。
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「あ、おねーさまー!」
地下室と言っても、鉄格子やらコンクリートやらで埋め尽くされた暗鬱な内装というわけではない。構造的には一階とそう変わらず、せいぜいが窓を設置できないくらいか。そもそもとして紅魔館は日差しが入らないように窓はかなり少な目なのだが。
俺とレミリアの来訪に気づいたフランドール・スカーレットことフランが、無垢に破顔する。
金に近い黄の髪をサイドテールとし、その上に俺やレミリアとの例に漏れずナイトキャップをかぶっている。服は赤を基調とした半袖とミニスカート、胸元には黄色いスカーフを結び、足にはソックスと赤のストラップシューズを履いていた。
吸血鬼の特徴である真紅の瞳はもちろんとして、背には一対の枝に七色の結晶がぶら下がった、骨組みだけの俺と比べても異様な形状をした翼。
トテトテと近づいてきては、バッと俺の胸に飛び込んできた。
「……これはひどいわね」
隣に立っていたレミリアが、部屋中に広がる惨状を見ては顔を顰める。
人形、ぬいぐるみ、がらがらに、投げて遊ぶためのボール――その他の道具と呼べる物も、ほぼすべてが『破壊』された状態で転がっていた。
乱暴に扱い過ぎたために外から崩壊しているものもあれば、内側から破裂したように中身をぶちまけているものもある。綿がそこら中に飛び散って原型をとどめないぬいぐるみもあれば、四肢がぐにゃりと歪んで原型をとどめない人形もある。
全部が全部、今俺の胸の中で無邪気に微笑んでいる少女の手によって作り出されたという事実は明らかな異常だった。
――あの子はたぶん、不安定っていうか……どこか狂ってる。
レミリアがさきほど発露していた言葉が頭を過ぎる。
「ごめんね。待たせちゃった?」
「ううん! まってた!」
首を横に振って否定した後、まるで正反対のことを口にするフラン。『待ったと言うほどではなく、しかし姉が来ることが待ち遠しかった』の意だと推測する。
甘えるように、ぎゅー、と吸血鬼の持つ力の限りに抱きしめられて地味に痛い。俺も吸血鬼で、フランが二歳児だからこの程度で済んでいるものの、本来ならば中身を撒き散らしたぬいぐるみのようにぐちゃりと潰れているはずである。
相変わらずフランは手加減という言葉を知らないようだ。
「んー、昨日より散らかってるね。どうかした?」
「えっと、おねーさまいない、やることない……ちょっとさわっただけ、みんなこわれちゃう」
「なるほどね」
「おねーさま、こわれない?」
「大丈夫だよ。ちょっと痛いけど」
ピクリ、とフランの眉が動いた。
「いたい?」
「……フランは気にしなくていい。私は絶対にいなくならないし、壊れないから」
根拠もない無責任な言葉を言い聞かせながら、上目遣いで見つめてくる彼女の頭を撫でる。
猫のように目を細めて気持ちよさげにする姿はひどく愛らしい。この場面だけを切り取れば、ただの甘えん坊の無垢な子どもなのに。
「でもフラン、前に言ったよね。物はあんまり壊しちゃダメだって」
「うー……でも、わたし、さわっただけ」
「それでも壊れたのは変わりないの。罰として、片づけが終わるまで遊んであげない」
途端に涙目になるフランに、「大丈夫」と視線を合わせた。
「私もお姉さまも手伝うから、きっとすぐ終わるよ。お姉さま、手伝ってもらっていい?」
「聞く順序が逆だけど、断る理由もないからね。私だけ見てるっていうのも暇だし、喜んで手伝うとするわ」
「ありがとう。ほら、フランもお礼言って」
「ありがとー! レミリアおねーさま!」
「ふふっ、どういたしまして」
そうして掃除が始まって、とりあえず一旦散らかったゴミをすべて集めることとなった。
すでに大部分が壊れていることもあって、さしものフランでも一か所にまとめる作業でなにかを『破壊』することはなかった。
早く遊びたいのか、一生懸命拾っては集めるフランを眺め、レミリアが優しげな微笑を浮かべた。
ここ二年ほど見ていなかった彼女の穏やかな姉としての表情に、三年以上も前の記憶が出し抜けによみがえってくる。
――レーツェル、きょうはいっしょにねようか。
「……フラン、今日は一緒に寝る?」
「いいの!?」
「その代わり、ちゃんと掃除しようね」
「うん!」
元気に駆け回るフランを横目に、寄ってきたレミリアが若干咎めるような視線を送ってくる。
「お姉さま、お願いしてもいい? 今夜だけでいいから、能力でお父さまの注意が私に向かないようにしてほしい」
「……はぁ。レーツェルには私の能力が効かないから、そういうお願いはちょっと難しいんだけど……久しぶりのあなたのお願いだもの。やるだけやってみる」
「ありがとう、お姉さま」
「どういたしまして。まったく、長女っていうのは大変ね。二人も妹の面倒を見ないといけないんだから」
言いながらも、少しも迷惑そうにはしていない。
ふと、そんなレミリアの姿を見ていて気がついた。
俺がフランに対して取っている態度は、過去に俺自身がレミリアから受けていた姉としての対応を、無意識に真似ていたと。
「……うん、お姉さまは偉大だよ」
「長女っていう地位についての感想だったのだけれどね。褒め言葉として受け取っておく」
そう答える彼女は頬に赤みがさしていた。
「……クス」
素直に照れればいいのに。
幸せだった頃の感覚をほんの少しだけ思い出し、昔みたいに彼女の未だ平べったい胸に飛び込みたくなってきた。
あの甘くて気持ちのいい匂いをまた嗅いでみたい。
「さて。ずっとサボってるわけにもいかないし、ちゃんと手伝おうかな」
「そうね。手早く終わらせようか」
今度、父とその眷属とも話をしよう。昔のようにとは行かなくても、ちゃんと親子としての交流を取り戻そう。
偉大な姉の存在を噛み締めながら、なんとなくそう思った。