東方帽子屋   作:納豆チーズV

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八.永遠の世界で満月は回帰し

 いかにも嫌そうな表情でお札を取り出して戦闘の準備を始める霊夢を見て、すぐに今のセリフのせいで誤解されたことに気づいた。

 

「ま、待ってください待ってください! 私はやってません! 無実です! 待ってたって言うのは本当にそのままの意味ですよ! たぶん来ると思っていたので言っただけで、別に私が異変を起こしたわけじゃありません!」

 

 慌てて訂正すると、とりあえず、と武器を下ろしてくれた。ほっと胸を撫で下ろした俺の前に、ずいと他の全員を押し退けてレミリアが出てくる。

 その顔からは少々の驚きが垣間見えた。俺が異変の調査に乗り出していたことにか、俺が先についていることにか、あるいはその両方か。

 

「レーツェル、怪我はない?」

「ありませんよ。お姉さまは?」

「あるわけがないわ。大したことない妖怪ばっかりだったもの」

 

 何秒かの後に彼女の口からついて出たのは心配の言葉だった。あいかわらず家族思いな優しい姉で、尊敬する。

 咲夜がレミリアの後ろの方で小さく頭を下げたのが見えたので、こちらも会釈しておく。

 

「それで、あなたはこんなところでなにをしているの? って、聞くまでもないことだとは思うけれど」

「私も月が歪な原因を探しに来たんですよ、紫」

 

 ふと霊夢が下の方に視線を向けて「あれ、もしかして」と言うので、「邪魔してきたので、ちょうど今倒してたんです」と説明する。

 その時、紫の眉がピクリと動いたのを視界の端で捉えた。第一次月面戦争――かつて紫は、数多くの妖怪たちを引きつれてそれに臨んだという。幽々子と同じくその時に月の兎を見たことがあり、鈴仙の種族がそれと同様であると気づいたのだろう。

 

「それで? 実はこいつが元凶で異変はもう解決してたりはしない?」

 

 霊夢が鈴仙を指差して問いかけてくるので、ふるふると首を横に振った。

 

「元凶については、実は先に来ていた魔理沙とアリス、妖夢と幽々子が追っています。四人もいますし、まず簡単に負けることはないでしょう」

「ふぅん、早いわねぇ。というか、それならもう私たちは行かなくてもいいんじゃない? 一応あいつらそこそこ強いし」

「いえいえ、魔理沙たちが追っていったのは確かに元凶ではあるんですが、たぶん囮でしょう。そんな気配がしました」

「囮って、どういうこと?」

 

 両手の平を上に向け、それぞれ黄色と赤色の魔力球を作り出す。「黄色を普通の満月、赤を今の満月とします」と口にして、黄色の球を背後に隠した。

 

「今はこういう状態なんです。本物の満月が隠され、偽物の月が空に浮かんでいる。たとえ元凶を懲らしめても、この現状に変わりはありません」

「とっちめた後に元に戻せって言えばいいんじゃないの?」

「たぶん戻してくれないと思います。もしくは、適当な嘘を吐かれて雲隠れされるかもしれません。今まで竹林の中にこんな建物があったなんて話はありませんでしたし、このチャンスにどうにかできないとめんどうですよ」

「じゃあ、どうすればいいのよ」

 

 少しは考えなさい、と咲夜が霊夢を窘める。咲夜やレミリア、紫はとっくに俺が言いたいことに気がついているようだった。

 口を尖らせる霊夢に教えるように、背後に隠していた黄色の球体を正面に移動させ、逆に赤色の球体を後ろの方に持っていく。そうすると正面には当然ながら黄色の球体こと本物の満月だけが残り、偽物は日陰に位置することになる。こうなれば月は元に戻ったことになるし、元凶の方は魔理沙たちが退治しに行ってくれているので、これで異変は解決だ。

 俺が二つの球体を消去するまでをじーっと眺めていた霊夢は、うん、と納得した風に大きく頷いた。

 

「要するに、奪われたんだから奪い返せってことね。案外単純で助かったわ」

「そうです。そういうわけで、一緒に探しに行きましょう」

「はいはい、そう来ると思ったわ。やめろって言ったってどうせついてくるんでしょ。勝手についてくればいいわ」

「ありがとうございます。あ、せっかく異変の途中に出会ったんですから、弾幕ごっこでもしておきます?」

「あんたと戦ったら次に敵が出てきた時に体力的に大変だから、遠慮しとく」

 

 異変を解決しに出かけている最中の博麗の巫女はとても凶暴なので近づかないようにしよう、なんて妖怪の間では噂されていたりするくらいなのに、しないらしい。しかし確かに、異変を引き起こせるレベルの妖怪と一日で二度も戦うのは効率が悪いというか、普通に解決の確率が下がる。俺も、素直にやめておいた方がいいという結論に至った。

 快く霊夢たちの一行に加わって、レミリアの隣に並んで、「そういえば」と疑問がついて出た。

 

「どうして霊夢たちとお姉さまたちが一緒にいるんです? 途中で合流したんですか?」

「ああ、いや、最初はそこの胡散臭いスキマ妖怪が犯人だと思ってたんだけどねぇ……戦ってる途中でこの建物を見つけて、一時休戦。当てが外れたわ、元凶は他にいたんだもん。それにしても、レーツェルに先を越されてるとはね。もっと早く出てくればよかったかしら」

「ひどいですわ。人を疑っておいて謝罪の一つもないなんて」

「あ? 怪しい方が悪い」

 

 紫が胡散臭いのは最早個性とまで言える。さすがに怪しい方が悪いというのは暴論に近いが。

 

「それで、レーツェルお嬢さま。私たちはこのまま先に進めばいいんでしょうか。それとも……」

「この廊下をまっすぐに進むと、魔理沙たちと同じように元凶の方に行ってしまうと思います。そこにあるのはきっと偽物の月……真実の満月は、別のところにあるはずです」

「別のところ、ねぇ。あれでしょ、あの扉」

 

 霊夢が指差した方角へ、全員の視線が集まる。そこには長い廊下の横、わずかに開いた襖があった。

 

「私の勘がそこだって言ってるわ」

「あぁぁ……マズイ、封印が間に合ってない扉があったのか」

 

 下の方でまともに動けず、膝をついている鈴仙が苦々しく呟くのが聞こえた。全員で顔を見合わせ、こくりと頷き合う。

 霊夢を先頭に襖の前まで近づき、ガラリとそれを開けた。その先に広がるのはただでさえ暗いこの通路よりもさらに闇が深い、左右の壁に窓ガラスが混じった長い廊下だ。

 

「行くわよ」

 

 霊夢のそんな言葉を合図にして襖の先へと進んでいく。暗闇の中では人間はものが見えにくいということで、霊夢の隣に紫が並び、その後ろに俺とレミリアと咲夜がついていく形となった。わずかでも月明かりさえあれば、どんな闇さえも妖怪の目によって容易に見通せる。

 五人もいれば不意打ちをされてもある程度対処できると考えているのか、飛行の速度はそこそこ速い。前回の廊下の長さを考えると、五分もしないうちになにかを見つけることができるだろう。

 そうして、初めに感嘆と驚愕の声を上げたのは霊夢だった。ふとした拍子に大きな窓ガラスの向こう側に映る世界に視線をやり、思わずと言った具合に声を上げる。

 

「外が見たことない世界になってる」

 

 闇夜の先に広がるのはただっ広いだけの暗色の空間で、およそ生命の匂いと感じられるものがなに一つとしてなかった。そこにあるのは植物も動物もなにもない大地とその果てに連なる山々、意味もなく空を漂う薄い雲。冥界よりも物寂しく、時の流れがまったく感じられない、永久に変化のないであろう単なる空虚だった。

 迷いの竹林から建物を眺めた限りでは、その内部からこんな空間に至るなんてことは想像もできなかっただろう。レミリアや咲夜もまた目を見張っていた。咲夜は『時を操る程度の能力』の応用で紅魔館の内装を広げると言ったことさえやってのけるが、別の世界を内部に形作るなんてことはさすがにできない。それは時間というすべての生命が縛られる究極の概念を操る咲夜と類似した能力を有しつつ、はるかに強大な力を備えた存在がこの先に待ち構えているかもしれない可能性を、静かに仄めかしていた。

 

「どうにも、満月を見つけるだけじゃ終わりそうもないわねぇ」

 

 鋭く目を細めて紫が言葉を放つ。誰もがそれを否定をしないのは、誰もが同じ思いを抱いていたからだ。

 警戒して前進していると、やがて奥の方で廊下が途切れているのが見えてきた。その先にあるのは窓ガラスからも見えた、すべてのものが変化を拒絶している空間だ。おそらく、そこに真実の満月が隠されているのだろう。

 そうして少しも速度を緩めずに廊下を突っ切って、永遠の世界に突入した。

 おおよそ窓ガラスから窺っていた光景と同じ景色が広がっているが、一つだけ違うものがある。向かって正面、そびえ立つ山々より上空に真実の満月が爛々と輝きを示していることだ。

 その煌めきはこの世のなによりも狂気を映し、崩壊の果てへと誘おうとしてくる。

 

「霊夢、あの満月はできるだけ視界に入れないようにしなさい。もっとも、あなたなら平気だとは思うのだけれど……」

「こいつの言う通り、あなたもよ、咲夜。人間があんなものを見続けていれば、最悪、気が狂って廃人になる」

 

 紫とレミリアが即座に注意を促した。光を遮るものがない大空でそれを見るなというのは無理な話なのだが、なるべく見ないようにすることはできる。

 霊夢も咲夜も「よくわからないけど、わかったわ」、「よくわかりませんが、わかりました」と揃って返事をした。

 この空に浮かんでいる満月は間違いなく本物だ。しかし、

 

「あなたたちは初めて目にするはずなのに、よく気づいたわね。いつ頃だったかしら、この満月が地上から消えたのは。満月から人を狂わす力が失われたのは」

 

 声はちょうど上の方から聞こえてきた。俺を含めた五人の視線が集まり、言葉を発した本人がゆっくりと俺たちと同じ高度まで降りてくる。

 その少女は悠然たる態度を持って、月を背に人間と妖怪を迎え入れた。

 多くの者を魅了するだろう非常に整った顔立ちには二つの暗い赤色の光が灯っている。髪型は腰をゆうに超える黒髪のストレートで、前髪は眉を覆う程度のぱっつんにされていた。十二単にも似た和風に近い洋装は、上が桃色、胸元には白いリボンがあしらわれ、いくらかのボタンが服を留めている。月を象った模様や手元を完全に隠す袖もまた特徴的だ。下は桜や梅、竹、紅葉、月等が描かれた赤いスカートで、これまた足元を隠してあまりあるほどの長さを誇っている。

 

「あなたは……いったい、何者よ」

 

 紫が若干戸惑った風に質問をするが、彼女はその答えを本当は知っているはずだ。鈴仙が月の兎であることを見抜いた紫ならば、また同様、この黒髪の少女が月に住んでいた古代人――月の民であると気づいたはずなのだ。

 地上でも有数の大妖怪たちを集めて(おこな)った第一次月面戦争は、妖怪側の大敗で終わっている。

 それがなにを意味しているのかは、戦争を扇動した八雲紫自身が身に染みて理解していることだろう。

 

「私は、蓬莱山輝夜。でも、あなたが先に名乗ってないのに、質問してきたことには怒らない」

「その程度で恩を着せようなんてのは甘いわ」

「誰もそんなこと言ってない。最近、永琳が屋敷の外に出させてくれないのよ。だから、たまのお客さまは大切に扱うわ。たとえそれが永琳の邪魔をしに来た稀人でもね」

 

 どこかそわそわとしているような雰囲気から、暇を持てあましていたであろうことが窺える。

 永琳の名はこちら側で俺以外は誰も知らなかったが、状況的に魔理沙たちが追っている元凶の方だと容易に推察できるようで、それが誰かと聞き出そうとする者はいなかった。

 

「弾のお客さま?」

「弾幕バカみたいな言い方しないの。それじゃ魔理沙みたいよ」

 

 霊夢と紫の会話を聞いて、咲夜が吹き出して笑った。魔理沙に失礼だけど、あながち間違いでもないので否定できない。

 輝夜が俺とレミリアの方をチラリと見て、小さく口の端を吊り上げた。

 

「月は地上にさまざまな力を与えた。魔法のような力のほとんどが、元々は月の力。あなたのお仲間にも満月頼りの者もいるんじゃない? そこの吸血鬼さんがた」

「だからなに? 私たちはこの満月下なら無敵よ。なにせ、普段からこの身に感じられる力が、満月の光を浴びてより格段に溢れてくるんだから」

「我々月の民は、地上人を魔物に変えて、地上人の穢れを調節してきた。でも、もうそれもお終い。地上人は自ら魔物を封印してしまった。今の魔物は、ただのお約束として人を襲うだけのよくわからない生き物になってしまったわ」

「生きる意味なんて、ほとんどの生き物が曖昧にして生きているものですよ。いつか死を確信した時にこれまでやってきたことを思い返して、ようやっと生命という問いに対しての答えが出せるんです。存在の理由がわかるわからないは大した問題にはなりません」

 

 ――それはもしかしなくても、自分に対しての皮肉だったのだろう。

 生きる意味なんて誰しもが曖昧にして生きている。しかしそれでいて、常に誰しもが生を受けた真意を探しながら生を謳歌している。俺は未来を考えることを忌避し、幸せな現状に満足し、真意を探ることをやめ、そうして生きる意味を失った。

 正体不明(わからない)ではなく、(ない)。本当に、まったくもってバカらしい。

 

「地上人は次第に月を、夜を恐れなくなった。地上人はますます増長したわ。月の光が必要でなくなった夜、潮の満ち干が無関係な海岸。終いには月にまで攻め込んだって言うじゃない」

「ふん、そんな下賎な人間のことなんて知らんな。大体、あんた、月の民なんだろう? 月に帰って地上人と戦えばいいじゃないか」

 

 素朴な疑問と挑発が混ざり合ったレミリアの言の葉に、輝夜の表情がほんの少し歪んだ。

 

「私は……月には帰れない理由があるの。それに、月の民の味方でもないわ。地上でもおおっぴらには動けないけど」

 

 よっぽど悪い事したんでしょうね、と咲夜が言う。なにせ月にも地上にも居場所がないのだから、と。

 輝夜が咲夜に顔を向け、鋭く目を細めた。

 

「地上人には迷惑をかけないように、力のない者には会わないようにしていたのよ」

「ふふふ、満月となった今ではお嬢さまがたは無敵ってことですよ。そしてその従者の私もまた無敵です。さぁ、そんな私たちに力がないのか、試してみます?」

「あら、咲夜、ちょっと狂い始めてない?」

 

 レミリアが咲夜に近づき、その視線を遮るように手を上下する。咲夜はレミリアの方に向き直り、「大丈夫ですわ」と微笑んだ。

 

「よくわからないけど。こいつを倒せば万事解決?」

 

 そんな霊夢の疑問に、はぁ、とこれ見よがしに紫がため息を吐く。

 

「そんなだから霊夢はバカって言われるのよ」

「言ったのはあんたでしょうが」

 

 でも正解、と紫はいつの間にか取り出した扇子で口元を隠した。

 

「博麗霊夢の言うことはすべて正解よ」

「そう? じゃあ、いつものようにこんなやつ懲らしめて、さっさと地上に帰ることにしましょ」

 

 霊夢も咲夜もそれぞれ戦う気が満々だった。自然と俺と紫とレミリアの妖怪組で視線が交錯し、共通した一つの思いを抱く。

 すなわち、この場を霊夢と咲夜の二人に任せてみること。これは異変なのだから、妖怪ではなく人間に解決させること。

 俺とレミリアは吸血鬼、紫は幻想郷最強とまでされる大妖怪だ。例え相手が月の民でも、これだけいれば不慮の事故くらいになら難なく対処できるだろう。

 「あー」、と最初に切り出したのはレミリアだ。続いて、紫、俺と続く。

 

「私は無敵だけど、ここは咲夜にでもお任せしようかしら。無敵の従者なんだから、無敵の私だって無敵に守ってくれるでしょう?」

「うーん、腰が痛いわ。久しぶりに運動したから、体の調子がよくないみたいねぇ。霊夢、ここは任せたわ」

「あ、えっと、私もさっきの兎との戦闘での傷が……すみませんが、ここは霊夢と咲夜に託します。がんばってください」

 

 霊夢が「お婆さんか」と紫にツッコミを入れて、紫がどこからともなく取り出した扇子でスパーンッと頭を叩かれていた。「いったぁ!」。

 俺の方も、吸血鬼なんだから怪我なんてもう治ってるでしょ、と涙目になっている霊夢に言われたが、適当な微笑みを作って有耶無耶にしておく。

 俺たち三人の顔を見渡し、最終的に霊夢は、しかたがなさそうに、自身の隣に並んできた咲夜を一瞥した。

 

「はぁ、どうやら、あんたの主人どもと幻想郷一のダメ妖怪は、私とあんたを共闘させたいらしいわね」

「あら、それだと私と一緒に戦いたくないみたいな言い方ですわ」

「別に私一人でもいいのよ? 元々二対一なんて卑怯だしねぇ」

 

 二人一緒でも構わないわよ、と輝夜が口を挟む。

 

「そもそも、元は五人一斉に相手をするつもりだったわ。だって、私とあなたたちの力の差は歴然なんだもの」

「ほら霊夢、いい加減始めましょうって言ってるわよ」

「相当暇だったんでしょうね。最初から待ち構えて遊び相手を探してたのかしら。そうじゃなきゃ、こんなところまでたどりつけないだろうし」

 

 永遠亭は今まで一度たりとも人の目に触れてこなかった。それが異変を起こした直後にこうして見つかるようになったというのだから、霊夢が推測している内容も十分あり得る。

 

「もうっ、せっかく決まったのに……それで、心の準備はできたかしら?」

「できてない」

「できてないわ」

 

 そうは言い返しながら、二人ともとっくにそれぞれお札とナイフを取り出して構えている。俺とレミリア、紫は巻き込まれないくらい後方に下がり、これから始まる地上人と月の民との間で行われる遊戯を観戦することにした。

 

「今まで、何人もの人間が敗れ去っていった五つの問題」

 

 すっと両腕を広げた輝夜が、霊夢と咲夜の方を向いたまま距離を取った。

 

「あなたたちにいくつ解けるかしら?」


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