東方帽子屋   作:納豆チーズV

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六.三月にはまだ半年も早い

 頭にヨレヨレのウサ耳があり、その根元にはなにかのファッションなのか、ボタンがついている。さきほど見た桃色の服の妖怪兎が目の前のそれと違ってもふもふな耳をしていたこともそうだが、なんだか根本からして存在の質が異なると感じた。先に目にした妖怪兎と同種ではないと、妖怪としての勘が告げている。

 薄紫色の髪は膝の辺りまで届くほどに長く、瞳はどこまでも赤い。なによりも特徴的なのはその服装だ。白のブラウスに赤いネクタイを締め、その上に紺色のブレザー。下は薄桃色のミニスカートを着用し、三つ折りのソックスとローファーを履いている。平たく言えば、現代における女子高生の制服姿だった。

 

「ようやく見つかりましたね。犯人が」

 

 自信満々にわけのわからないセリフを待っていたかのように吐かれたからか、確信した風に呟いた妖夢を「これは宇宙鳥。まだまだ、焦っちゃダメよ」と幽々子が窘めた。

 宇宙鳥――月の兎、すなわち玉兎。幽々子が一発で見抜けたのは、かつて紫が数多の大妖怪を扇動して引き起こしたという月との戦争で、それを見たことがあったからだろう。

 

「なんだ、幽霊に地上の人、あとは妖怪か。焦らせないでよ、もう」

「焦ったままでいいぜ。なにせこれから腹ペコな亡霊に兎鍋にされるんだからな」

 

 「しないって言ってたでしょ」とアリスがツッコミを入れ、魔理沙は「じゃあ私がやる」とニヤリと笑った。

 

「鍋の材料に兎を使うなんて考えられないわ。さすがは穢き民ね、野蛮」

「褒められたな、照れるぜ」

「貶されたのよ」

 

 あいかわらずの魔理沙とアリスだ。

 玉兎の少女はこれ見よがしに大きなため息を吐くと、シッシと追い払うように手を振った。

 

「うちは今忙しいの。冗談を言いに来た以外の用がないなら帰ってよ」

「そうはいかない。この月の異変は、お前がやったのだろう? そうなら斬る。違うのなら斬って先に進む」

 

 妖夢が一歩分前に出て、楼観剣の切っ先を玉兎に向ける。鋭い殺気と視線を浴びせられながらも当の相手はそれに少しも怯えた様子もなく、平然と首を傾げていた。

 

「月の異変? ああ、地上の密室の術のこと?」

 

「そうよ」と幽々子が答える。

 

「これはものすごく迷惑な術だわ。即刻やめてもらいます」

「あいにくだけど、まだ、術を解くわけに行かないの。帰ってもらえる?」

「そうはいかない、って私の庭師が言ったでしょう? あなたに三つの選択肢をあげるわ。大人しく術を解くか、痛みつけられた後に術を解くか、兎鍋にされた後で術を解くか。お好きなものをどうぞ。個人的には三つ目がオススメよ」

 

 幽々子から解き放たれた霊力が周囲の空気に重圧を与え、玉兎の少女を威圧する。それでも相手に怯んだ様子はなく、「術は解かないって」と返答するだけだ。

 とりあえず、幽々子に「鍋にはしないんじゃなかったんですか?」と突っ込んでおく。

 

「美味しくなさそうとは言ったわ。でも、やっぱり食べてみないとわからないじゃない?」

「まぁ、そうですね。宇宙食は食べたことありませんし、私も少しは興味があるかもしれません」

 

 玉兎の少女が不満そうな顔で俺と幽々子を睨んでくる。自身も兎なだけあって、やはり兎料理の話をされるのはあまり好きではないらしい。

 と、その時、聞き慣れない声が廊下中に響いた。

 

「あら、お迎えかと思ったら……大所帯ねぇ。人間、幽霊、妖怪、勢ぞろいじゃない。まぁ、そもそもお迎えが来れるはずがないのだけど」

 

 それはこの場の誰のものでもなかった。玉兎の少女も含めた全員の視線が聞こえた方向へ、すなわち廊下のさらに奥の方へと集まる。

 悠々と飛んできたのは銀髪を三つ編みにした、異様な雰囲気を放つ何者かだった。

 服の配色が特殊で、上半身は右が赤に左が青、下半身は右が青に左が赤だ。フリルがついた半袖とスカートを着用し、服のところどころには星座が描かれている。頭には青のナース帽のようなものを被り、それに入っている赤の十字のマークを囲むようにベガの星座が書かれていた。

 その女性の纏う空気は、人間とも取れない、妖怪とも取れない、幽霊とも取れない。強いて言えば神がもっとも近い表現かもしれないが、どこかそれだけではない印象も受ける。

 しかし俺はそれの正体がなんなのか、その気配がなにを指しているのか、原作の知識から理解していた。目の前にいる玉兎こと鈴仙・優曇華院・イナバの師匠であり、今夜の月を歪にした犯人であり、かつて賢者とまで言われた何億年もの時を生きる月の民――地上での名を、八意永琳。

 

「あまりウドンゲを苛めないでもらえるかしら。それに、あの月はまだ戻すわけにはいかないわ。こうしている間にも、月の民との関係は悪くなりつつあるの。姫とこの娘のためにも、もうこのまま、地上を大きな密室にするしか道はない」

 

 永琳の内にある奇態な力を幽々子とアリスの二人もまた感じたのか、前者は鋭く目を細め、後者は怪訝と焦燥が混ざり合ったような表情で警戒していた。

 

「魔理沙、危ないわ。こいつの力は今まで感じたことがない……」

 

 対して、奇異そうに眺めていただけだった妖夢と魔理沙のうち、魔理沙の方へとアリスが注意を促す。それに反応して、永琳の視線が魔法使いの二人組へと向いた。

 そうしてその表情がほんの少しだけ和らぐ。

 

「あなたたちは古代の力のコピーを使用しているみたいね。まだ人間がいなかった時代の無秩序な力。あの頃が懐かしいわ」

「……あなた、何者?」

「人に正体を問う時は自分から、でしょう? まぁ、あなたの境遇になんて欠片も興味がないけど」

 

 あからさまな挑発に、このメンバーでは比較的常識人なアリスもさすがに眉根を寄せた。

 とりあえずいつでも戦闘できるようにと妖夢は神経を張り巡らし、幽々子は油断なく鈴仙と永琳の二人を見つめ、魔理沙はさりげなくミニ八卦炉を取り出し、アリスも懐に手を入れて魔法の準備をする。

 そんな一触即発な空気の中、不意に永琳が踵を返した。

 

「ウドンゲ、ここはお前に任せたわ。間違っても姫を連れ出されないようにね」

「お任せください。閉ざされた扉は一つも開かせません」

 

 永琳が背を向けた瞬間を狙い、魔理沙がミニ八卦炉を持つ方とは反対側の手から魔力弾を放つ。されどそれは見当違いの方向に逸れ、「あれ?」と撃った本人も首を傾げた。

 鈴仙が胸を張って、得意げな顔で語り出す。

 

「ふふふ、お師匠さまのことばかりに気を取られて、すでに私の罠にはまっていることに気がついていないのかしら? あなたたちが平然と浮いているつもりでも、私にはグラグラと今にも倒れそうに見える。どんなに私を狙ってまっすぐ撃ったつもりでいても、私には明後日の方向に力を向けたようにしか見えない」

「あいにくと幻想郷には、お前みたいな幻覚症状があるやつを治せるような便利な薬は置いてないぜ」

「この永遠亭も、あなたみたいな狂気に気づけない哀れな地上人を導くサービスはやってないの。大人しく永遠の眠りにつくといいわ。きっと素敵な夢を見られるから」

 

 そろそろ永琳が行ってしまう。鈴仙と永琳の対応からして、おそらく霊夢と紫、咲夜とレミリアはまだここを訪れていない。

 目を瞑り、前世の記憶を呼び起こす。一度今回の異変を解決する方法を整理し、なにをした方がいいのかと考えを巡らせる。

 ――元凶である永琳を追って懲らしめても、月は歪なまま異変は終わらない(・・・・・)。月を元に戻すためには、隠された真実の満月を発見しなければならないのだ。

 できることなら、博麗の巫女である霊夢に真実の満月を見つけてもらいたい。それがおそらく正史に一番近いシナリオとなる。霊夢はまだ来ていないのだから、そうなるとここでするべきことは……。

 

「魔理沙、退いてください」

「あー? なんだよ、レーツェル」

「この兎は私が相手をします」

 

 ゆっくりと前に進みながら、アリス、魔理沙、幽々子、妖夢と順に、通りかかるついでにつつくようにそれぞれの肩に触れていく。

 本人たちはその動作にわけがわからないという風に首を傾げるだけだったが、鈴仙はありえないものでも見たかのように目を見開いていた。

 

「私の能力で、魔理沙たちの波長がおかしくなっている『答え』をなくしておきました。これで問題なく、あの赤青の怪しいやつを追えるはずです」

「……いいのか?」

「早く追いかけないと見失ってしまいますよ。ほら、アリスの他にも幽々子と妖夢も一緒に連れて行ってくださいね。人数が多い方が有利ですから」

 

 能力で『答え』をなくしたと言っても、すでに俺の手は離れているから、魔理沙たちが鈴仙の目を見ていればすぐにでもまた変になってしまう。

 

「満月の異変は吸血鬼にとって重要ってことです。フランを家に残してきてもいます。早々に解決させたいんですよ、私は」

 

 どこか躊躇しているような四人に、早々に永琳を追跡するように促した。

 

「……ふぅん、まぁ、そういうことにしておきましょうか。妖夢、行くわよ」

「え? あ、はいっ」

「だとさ、アリス。レーツェルがやられるとも思えんし、私たちも赤青の怪しいやつとやらを追うか?」

「そうね。私を侮辱したツケは返してもらうわ」

 

 幽々子はどこか確信めいた疑惑を抱いていたみたいだったが、どうやら俺の策略に乗ってくれるらしい。妖夢を引き連れて廊下の端を飛び始め、その後を魔理沙とアリスが追う。

 そこを攻撃しようとした鈴仙の目前へと、抑止の目的でギリギリ当たらない軌道を描いた槍型の魔力弾を高速で放った。

 

「あなたの相手は私ですよ。鈴仙・優曇華院・イナバ」

 

 名乗ってもいない己が名を呼ばれたからか、鈴仙の表情が驚愕に染まる。そして俺が新たに槍の形をした弾幕を形成するのを見て、一度でも注意を外して幽々子たちに危害を加えようとすれば、自身がすぐにやられてしまう確率が高いと判断したのだろう。通りすぎていく四人に多少の注意は向けるものの、その意識の大半はすでに俺の方へと移していた。

 

「あなたは、いったい何者? 月の兎である私の能力を肩に触れただけで解いたり、私の名前を知っていたり……まさかっ」

「月からの使者、とでも予想しましたか? 違いますよ。私は紅茶が好きな誇り高き吸血鬼です。ほんのちょっと歪な力を持った、ね」

「……それもそうね。あなたみたいな地上の妖怪が月の使者なわけがない」

 

 鈴仙の瞳が強く赤の色に発光する。それを能力を使わずに平然と見つめていると、相手の顔にニヤリと笑みが浮かんだ。

 

「他人にかけた私の力は解くことができても、あなた自身のは無理みたいね。ほら、あなたはフワフワとそこに浮いているつもりなのかもしれないけど、実際はフラフラと今にも墜落しそう」

 

 別に解けないわけではないが、否定はしないでおく。

 鈴仙の能力である『狂気を操る程度の能力』は、その瞳を直視した者の波長を狂わし、ありとあらゆる感覚の長短を操作するものだ。月の兎だけあって強力な能力であり、その度合いは最強種の悪魔である吸血鬼の方向感覚を難なく狂わせられたことからも窺える。

 鈴仙の技の多くはその能力を利用したものだ。これを無効化してしまうということは、彼女の打てる手を大きく制限してしまうことになる。こうして対峙するのだから、せっかくならば鈴仙の全力を味わってみたい。

 ――ふいと、狂気と兎から一つのものを連想した。

 

「ねぇ、兎さん。三月はまだ半年も早いですね」

「……なんのこと?」

「とある猫は私を狂っていると称しました。月から逃げてきたあなたは、三月のウサギみたいに気が狂ってますか? いつまでも狂わせる側じゃ、いつまで経っても物語の舞台には立てませんよ。お茶も飲めません。お茶なんてないんですけど」

「猫? 三月の、ウサギ? それに月から逃げてきたって……どうしてそのことを」

「全部全部冗談です。本気に受け取らないでくださいよ。そうそう、知ってますか? もう行っちゃったんですけど、竹箒に乗ってない方の金髪の女の子の名前、アリスって言うんです」

「そんなの知るわけないでしょ。名乗られてないんだから」

「それも嘘です。ああ、いえ、本当だったかもしれません」

 

 鈴仙が不機嫌そうに眉根を寄せた。ちょっとからかいすぎたか。これ以上は頭のおかしい人にしか見られないだろうから、やめておく。

 パチンッと指を鳴らすと同時、俺は自分の周囲に槍型の弾幕を五〇ほど展開した。

 

「さて、そろそろ始めましょうか。どちらの方が狂っているのか、比べっこをしましょう」

「……まぁ、いいか。聞きたいことが山ほどあるけど、倒して捕らえて尋問すればいいだけの話だわ」

 

 鈴仙が手の形を銃に見立て、ゆっくりとその腕を上げた。指の先を俺の方に向けると、彼女の前方に銃弾型の弾幕が数多く形成される。

 始まりは唐突、そして即座に。

 ほぼ一気に放たれた槍と弾丸が交差し、つい数瞬前までいた空間を力の塊が通りすぎた。互いに射出と一緒にその場を離れたため、一発も被弾していない。

 

「さぁ、私の目を見て、もっと狂うがいいわ!」


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