東方帽子屋   作:納豆チーズV

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五.歴史を忘れた永久の在り処

 霧が深いせいで、振り返って来た道を確かめることは叶わない。前に進んでいるつもりでも、後ろを見た時にその跡がないのだから、最早どこを進んでいるのかさえ、というよりも本当に前進しているのかさえ定かではなくなってきた。同じ場所をぐるぐる回っているのではないかという不安が思考を駆け巡る。

 少し、侮っていたかもしれない。迷いの竹林と呼ばれているだけあって予想以上に迷いやすかった。これでもかという具合に迷う要素を詰め込んだ場所なのだから当然だけれど、さすがにどこに行っても同じ景色なのは精神的にキツいところがある。

 パンでも千切って目印に置いていく? いや、結構飛び続けているから、今更そんなことしても無駄だ。

 

「……そうです」

 

 どうして今の今まで思いつかなかったのだろう。さすがに地面の傾斜やら斜めに伸びた竹やらの対策はできないが、立ち込める霧は現象なのだから能力の対象にできる。

 霧によって視界が阻まれる『答え』をなくした。

 パッ、と見える景色が一瞬で鮮明になった。霧が俺の目からすべて消え失せ、竹林をずっと奥の方まで見通せるようになる。こうなると途中から竹が斜めに生えていたりするのがハッキリと認識できた。規則性などまるでなくぐにゃぐにゃと歪に並んでいるのを見ると、これは逆に迷わない方がおかしいとまで思えてくる。

 これで大分目的地を探しやすくなった。

 霧がないおかげで周囲を完全に確認しながら進めるようになったので、飛行の速度を上げる。ひゅんひゅんと無数の竹を縫うようにして飛びつつ、辺りに視線を向けて目ぼしいものはないかと意識を巡らせた。

 

「むっ」

 

 視界の端で一筋の光が見えて、慌てて身を屈める。頭上を極太の魔力光線が過ぎ去っていき、危なかったと思いながら攻撃が飛んできた方向へ目を向けた。

 どうやら俺を直接狙った攻撃ではなく、流れ弾だったようだ。

 目を凝らすと、極太魔力光線により作られた狭間の向こう側で、金髪の二人組と生気が薄い二人組がそれぞれ弾幕ごっこを繰り広げているのが窺えた。金髪の二人組は魔理沙とアリス、生気が薄いというか死気が強い二人組は妖夢と幽々子に見える。

 さっきの極太魔力光線もマスタースパークかな。たまに飛んでくる流れ弾を適当に避け、ゆっくりと近づきながら勝負を観戦する。

 ちょうどクライマックスのようだった。

 妖夢の楼観剣――長い方の刀の名前がそうらしい――による一撃が魔理沙の竹箒で防がれる。竹箒を構えた片手にはミニ八卦炉が握られていて、ガードをしながらの超至近距離の弾幕が妖夢に迫った。それを妖夢が予測していたかのように間一髪で上に避けると同時、スペルカード"人符『現世斬』"を発動。一メートルも空いていない近距離で繰り出される神速の一撃は決して避けることは叶わない。

 ギリギリのところで竹箒によってその一撃を防がれたが、関係ないとばかりに妖夢は全力で刀を振り切った。突き飛ばされた魔理沙は一秒も経たずして地面に墜落し、土埃が晴れるよりも早く、妖夢の手からダメ押しとばかりに霊力を使った飛ぶ斬撃が五発ほど放たれる。

 そうして、一〇秒ほど経っても魔理沙が飛び上がってこないことを確認した妖夢は、楼観剣を鞘に仕舞った。

 

「さぁ、私の勝ちよ。大人しく剣を……剣? そう、箒を下ろせ」

「いっつつ……ちぇっ、さすがに近距離だと強いな。もっと行けると思ったんだが」

 

 ちょうど俺も二人のもとにたどりつくところだった。ふてくされたように寝転がる魔理沙がふよふよと近寄ってきた俺を真っ先に認め、続いてその視線をたどった妖夢に見つけられる。

 

「観客がいたとはなぁ。情けないところを見せちまったぜ。奇遇だな、こんなところで会うなんて」

「お久しぶりです。さすがに月が歪となると、吸血鬼も調査に出かけるのですね」

「二人ともお疲れさまです。怪我はありませんか?」

 

 妖夢と対話をするのは、別にこれが初めてというわけではない。すでに春雪異変から数か月が経過し、その間に大量に宴会を行っていたこともあって話す機会はいくらでもあった。一応それなりに交流は深められたつもりで、彼女の中で俺はおそらく『幽々子さまと紫さまの友人』と言った立ち位置にある。

 妖夢は無傷、魔理沙は多少傷は負ったものの大したものではなさそうだ。それでも一応治療しておこうと、倉庫魔法で俺の血が入ったビンを取り出しつつ魔理沙に近寄った。中身を浮かせ、両手でパンッと挟み込んで分解、再生の成分だけを残して魔力を流し込み、魔理沙へと手の平を向けた。

 大きな怪我はなかったので、数秒もすれば外傷は一切なくなった。

 

「助かるぜ」

 

 魔理沙が上半身を起こし、調子を確かめるように腕を回す。「よしっ、満足通り動く」。

 そういえば幽々子とアリスは、と視線を上に向ける。妖夢と魔理沙の勝負にばかり目が行ってしまっていたが、元々二対二で弾幕ごっこを行っていた。

 

「お、っと」

 

 ちょうどアリスが吹き飛ばされてくるところだった。近くに頭から落ちようとしていた彼女を、魔理沙が急いで落下地点まで飛んで受け止める。

 幽々子がふわりと俺の近くに降り立つと、扇子を広げて微笑んだ。

 

「私の勝ちね、人形の魔法使い」

「……はぁ。いいわ、私の負けよ」

 

 アリスはいかにも大量の弾幕をギリギリで避けていたかのように、体のそこかしこにかすり傷が目立った。対して幽々子はところどころ服が焦げているところはあれど、ほとんど外傷はないようだ。

 倉庫魔法で二つ目のビンを取り出しながら、魔理沙に支えられているアリスのもとに近寄る。魔理沙にやったのと同じように錬金術による回復を施し、アリスの怪我が完全に治ったことを確認して魔法を止めた。

 

「ありがとう、レーツェル。あいかわらず便利な魔法ね。魔術と言った方が正しいのかもしれないけれど」

「錬金術ですから、確かに魔術寄りかもしれませんね。わかりやすいので魔法って呼んでますが」

 

 俺が使うのは主に影、錬金、倉庫、獣人化や鬼人化等の強化魔法の四つだ。他にもいろいろと扱えるものはあるけれど、この四つで大体が事足りる。四種類しか使わないのにいちいち魔法や魔術で区別するのもめんどうだ。

 

「こんばんわ、レーツェル。あなたも素敵でお腹いっぱいな夜の観光旅行かしら?」

 

 幽々子の冗談交じりの挨拶に、「月の異変の元凶探しですよ」と、偽物の欠けた満月を見上げる。

 紅魔館から迷いの竹林に来て、そこから結構彷徨っていたはずだが、あいかわらず月は一定の位置から動いていない。問題なく永夜異変は展開されているようだ。

 

「ところで、どうして戦ってたんですか? 私と同じく、魔理沙たちも幽々子たちも月が変な理由を探しに来たんでしょう?」

 

 魔理沙はアリスと、妖夢は幽々子と目を合わせた。

 

「異変解決の最中に出会ったやつをボコるのはいつものことだぜ」

「月の異変なんだから、夜が好きな幽霊が起こしてる可能性もあるかもって思ったのよ」

「そこの二人が私たちの邪魔をするので、とりあえず斬って進もうかと」

「出る杭は打たれるの。というより私たちの進行方向にこいつらがいたんだから、倒さなきゃ進めないなら倒すしかないわよ」

 

 魔理沙の理由が一番ひどい。妖夢の「とりあえず斬る」も結構だけれど。

 そういえば、前に風の噂に聞いたところ、異変を調査中の巫女に遭遇した時は大した理由もなく退治されることで有名らしい。友人だけあって、魔理沙にもそういう気質がある。二人とも、もっとお淑やかに異変解決に臨むことはできないのだろうか……できないだろうな。

 

「あれ? 竹林の奥に大きなお屋敷が見えます」

 

 妖夢がなにかに気づいたように目を細め、遠くの方を見やる。遠くと言っても、霧を無効化している俺からしてみれば気づかない方がおかしい程度の距離だ。

 そこにあるのは藩邸に似た、しかしそれよりも古いであろう様式の屋敷だった。まるで風景に溶け込むように自然と、人目を避けるように存在している。不可思議なのは建築様式が前世代的なことに比べて少しも古びた様子を見せないことだろう。そのせいかどことなく歴史がまったく感じられない、まるでそこだけ時が止まっているかのような印象を受ける。

 迷いの竹林でこのような屋敷を発見したという報告も、噂も、一切聞いたことがなかった。しかもこれだけ怪しい雰囲気を放っているのだから、おそらくここが元凶の居場所で間違いない。俺以外の屋敷を目撃した他の者も全員同様の結論に至ったようで、それぞれの視線が重なった。

 

「案外、あそこに妖怪退治専門の忍者でも隠れ棲んでるのかもな」

 

 魔理沙の冗談を聞き流しつつ、屋敷の正面へと移動する。内部への忍び込むための扉、門戸はすぐに見つかった。

 

「ずいぶんと探したわぁ。さ、行きましょう妖夢。龍料理を食べに。あ、レーツェルも魔法使いのお二人もついてきてもいいわよ。いちいち私たちが解決するのを外で待ってるのもバカらしいでしょう?」

「言われなくてもついてくわよ。スペルカードでは負けたけど、元々私も魔理沙も月の異変の調査に来たんだから」

 

 私が前に出ます、と妖夢が幽々子を護衛するように楼観剣を構えながら先頭を飛び始める。二人の後ろを俺と魔理沙、アリスが追いかけ、そのまま玄関から屋敷の中へと突入した。

 そうして目の前に広がるのはどこまでも伸びているかのように思えてしまう、果てさえも見えないほどに長い板張りの廊下だった。左右の壁には閉まった障子があり、それも廊下と同じようにいつまでも続いている。

 必要最低限しか光を取り入れていないようで視界はあまり良好とは言えない。薄暗いせいで昼か夜かわからなくなり、気味が悪いほどに人の気配がないせいで有人か無人かの区別もつかなくなる。非日常の空気が満ちる中で笹の音だけが現実感を与え、そのギャップがより一層屋敷の異質さを感じ取らせる。時間と歴史が進むことを忘れてしまったような奇妙な錯覚を受けるのだ。

 

「なんだ、外観に比べて中は広いってのは流行ってるのか? 紅魔館もそうだったろ」

「そうですね、とても似ています。私のところは咲夜の能力で拡張しているのですが、これも似たような仕組みで内装をいじっているみたいです」

 

 どれだけ進んでも景色に変化はない。振り返ってみても同じく永遠に広がる廊下の景色が広がっているのだから、なんだか永久の狭間に閉じ込められたのではないかという夢想さえ抱いてしまいそうになる。

 

「あれは…………兎? 幽々子さま、兎の妖怪がいます」

「兎鍋にしましょうか。やっつけて、妖夢」

「え? えっと、えぇ、はい。わかりました……?」

 

 若干逡巡しながら返答した妖夢が見据えているのは、ほんの十数メートル先にいる桃色の半袖ワンピースを着た妖怪兎だ。人間で言う一〇歳の身長に届くかどうかという俺の身長と、同等程度しかない背の小さな女の子で、どこか訝しげにこちらを眺めていた。クセのある短めな黒髪の上にはいかにも柔らかそうなウサ耳があり、正面を向いている関係上で見えはしないが、おそらくは尻の上辺りには兎の尾も生えているのだろう。

 少しくらい話を聞いてあげても。そう意見しようかと思ったが、時すでに遅し。すぅー、と息を大きく吸い込んだ妖夢が「行きますっ!」と気合いの入った声を上げ、天狗にも捉えられぬであろうほどの加速を体現した。

 まさしく一瞬にして距離を詰め、斬撃を繰り出す。並の妖怪ならば気づかぬうちに斬られていたということになっていてもおかしくない一撃を、しかし妖怪兎は間一髪で上へと飛ぶことで逃げた。

 

「さすがに兎はすばしっこいな」

「そうね。解剖したら面白そう」

 

 魔理沙とアリスがそれを眺めて感想を漏らす。っていうかアリス怖い。

 避けたと言っても、妖怪兎の顔に驚愕と焦りが充満しているのは吸血鬼の視力で窺えた。慌てて背を向けて逃げ出そうとしている。

 追いかけようとした妖夢を、「もういいわぁ、妖夢」とゆったりとした声音で幽々子が止めた。その間に妖怪兎は米粒に見えるようになるくらい遠くに行ってしまった。短距離における超速移動を得意とする妖夢では、もう一度追いつくことは難しいだろう。

 

「いいんですか?」

 

 俺たちが来るのを待っていた妖夢が問いかけた。

 

「惜しいけれど、あんなのを追いかけてはぐれてしまう方がよくないでしょう?」

「それは、そうですね。すみません、一発で仕留められませんでした」

「ただ一発を見せるだけで追い返せた、というのもなかなかすごいことですよ」

 

 フォローした俺に「ありがとうございます」と照れくさそうな顔で妖夢が言う。

 とりあえずこの屋敷に人がいることはわかった。このまま進んで行けばいずれまた何者かに会うだろうと、さきほどまでと同じ布陣で廊下を飛んで行く。

 あいかわらず果てが見えない。振り返っても、最早出口も見えなくなってしまっていた。

 

「なぁ、一つ聞きたいんだが。この廊下、レーツェルの能力で無効化することはできないのか? いい加減に長すぎるぜ」

 

 春雪異変で幽々子と対話した際に俺が自身の能力を匂わせる発言をしていたからか、あの数日後に魔理沙からそのことについて聞かれた。その時に博麗神社にいたこともあって、魔理沙の他に霊夢も俺が持つ能力の大体の効果を知っている。

 妖夢とアリスが興味深そうに俺を眺めてくるので、能力の説明も兼ねて、廊下にかけられた術の無効化が可能かを説明することにした。

 

「私の『答えをなくす程度の能力』は現在と未来におけるありとあらゆる現象の結果を、すなわち事象をなくすことです。誰かに触れるなどしていなければ、基本的には私自身に関わる『答え』しかなくせません。しかし周囲の物だけが作用して起こる現象ならば、有効範囲はありますが、直接的に触れていなくても『答え』をなくすことができます」

「知ってるぜ。妖力や魔力を消費したりして範囲を広げたりもできるんだろ? その力を使ってこの長い長い廊下をどうにかできないかっていう話をしてるんだ」

「結論だけを言いますと、無理とは言いませんが厳しいです。というのも、私の能力は『なにが原因でなにが起こるか、起こっているか』が明瞭でなければ発動することができないからです。今回の場合、廊下が永遠かと思うほどに引き伸ばされていることはわかっているんですけど、原因が特定できていません」

「あー、要するに、無効化するにしてもその原因とやらの特定に時間がかかるってことだな」

「そうなります。加えて言いますと、仮に原因がわかってもこの現象をどうにかできるとも限りません。この現象が『何者かによって引き起こされた』ものならばまだしも、『何者かによって引き起こされている』場合は、有効範囲を用いた能力使用では無効化することができないからです。有効範囲でなくせるのはさきほども言った通り、周囲の物『だけ』が作用して起こる現象だけですので、他人が直接的に関わっていると触らなければいけなくなります」

 

 なんだか小難しくなってしまったが、つまりは『やるにしても時間かかります。しかも成功確率は一〇〇パーセントじゃありません』ってことだ。そんなことに時間を割くくらいなら、このまま探索した方がずっといい。

 ……実際のところは、かかるというほど時間は消費しない。原作知識のおかげでなにが起こっているかは大体の予測がついているから、一分もあれば原因の特定ができると思う。もしも前世で東方Projectのことを完璧に把握していればいちいち予想なんて立てなくとも術の内容にまで思い至ったかもしれないが、さすがにそこまで興味があったわけではなかった。

 

「ややこしい能力ねぇ。私のは気楽で単純よ? 死霊を操る、生き物を死に誘う。それだけだもの」

「ややこしくても、これは私の能力です。これでよかったって心の底から思ってますよ」

 

 自身の頬に手を添えながら、嘯く。

 この運命(のうりょく)がなければ"狂った帽子屋"は成り立たない。生まれた意味から目を背け、それを失った『レーツェル・スカーレット』。その在り方こそが『答えをなくす程度の能力』なのだから。

 ふと、何者かの気配を感じて前を向いた。目を凝らし、遠くを見つめる。

 

「幽々子さま、また兎がいます。さっきの兎とは違う兎みたいですけど」

「兎鍋に」

「待ってください。ちょっとくらい話を聞いてからにしましょうって」

「……冗談よ。だってあれ、普通の兎じゃないもの。あんまり美味しくなさそう」

 

 いかにも怪しそうな風貌の少女が、自信満々な面持ちで待ち構えていた。異変に関してなにか知っていることは確実だ。

 警戒をしながら近づいた俺たちへと、待ち受けていた少女が告げる。

 

「遅かったわね。すべての扉は封印したわ。もう、姫は連れ出せないでしょう?」


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