東方帽子屋   作:納豆チーズV

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四.偽物の月は真実より遠く

 ――片手の指で足りるほどの日数を経ることで、中秋の名月を迎えようという秋。

 その『異変』は、満月の影響を少なからず受ける妖怪ならば、誰しもが即座に気づいた。人間たちはのんきにいつも通りの満月の夜だと思っているようだが、その実まるで違う。

 今日は満月の夜なのに、それがほんの少し――注視しなければわからないほどごくわずかに――欠けていた。色が異なる。光が異なる。そしてなによりも、月から降り注ぐエネルギーの質が異なっている。

 紅魔館のテラスから空を見上げ、ついに始まったことを悟った。今年に入って三度目、そして今年最後の異変となる永夜異変……が起こることになる原因の事態。

 これ自体が異変ではない。人間は妖怪と違って満月の魔力になんて頼っていないので、月がちょっと変わったからと言って「だからなに?」という具合だ。満月を取り戻すために妖怪が、ひいてはそれに巻き込まれる人間たちが夜を止めるからこそ、永遠に続くかと思われた夜の異変、すなわち永夜異変となるのである。

 

「さて、どうしましょうか」

 

 今夜の空に浮かんでいる満月の色や光、エネルギーが違うのは、それが偽物の欠けた満月とすり替えられているからだ。とは言え、解決するだけならば難しくない。元凶を探して懲らしめる以外にもいくつか打ち破る方法は思い浮かぶ。

 例えばそう、萃香に天蓋を壊してもらうか、フランの能力で一度月を壊してもらうか。月をすり替えるのと月をなくすのとではまるで事情が違うので、一度偽物を終わらせてしまえば案外簡単に本物の満月も戻ってくるだろう。

 しかし俺の目的は単なる異変の解決にあらず。流れだけでも原作通りに進め、なおかつ誰も死なないようにそれを見張ることだ。

 

「お姉さまは、今から行くみたいですね」

 

 玄関の方から小さな桃色の影が、そしてそれを追うように青色の影も飛び出していくのが見えた。満月の異変ともなれば吸血鬼が動かないわけにもいかない。

 レミリアと咲夜は、俺はもちろんとしておそらくパチュリーやフランにも出かけることを告げていない。たとえ俺たちが月の異変に気づいている可能性があっても、それの解決に乗り出すことを伝えて余計な心配をかけたくないのだろう。

 正史通りならば、今回の月の異変には四組が解決に出かけていることになる。咲夜とレミリア、霊夢と紫、魔理沙とアリス、妖夢と幽々子。

 

「私はどうしましょう」

 

 できるだけ原作通りに進ませたいのは、正史からなるべくズレないようにするためだ。春雪異変からの三日おきの百鬼夜行のように異変同士が関係を持っていることもあるし、霊夢たちが異変内で一部の妖怪や元凶と出会いを果たすことで、未来においてイレギュラーが起こる確率が低くなったりという事情もある。形だけでも原作の通りに行ってくれれば多少は未来が予測できるのだから、いろいろと手の打ちようは出てくる。

 今回の異変もまた前回に萃香が引き起こしたものと同じく危険は少ないはずだが……やはり一応、用心はしておくべきだ。

 

「……そもそもとして私の存在自体が歪みをもたらしているのに、それを弱めるために正史に似させようとしている。本当に意味がないことをしていますね。自分への皮肉でしょうか」

 

 それでも、その歪みからのバタフライ効果(エフェクト)のせいで、また俺が誰かを殺す。それだけは回避しなければならない。

 とりあえず一旦紅魔館の中に戻ろう。俺は原作知識から元凶の居場所が大体わかっているし、『光の翼』を使えばすぐにそこまでたどりつける。道中でのレミリアたちの心配もしなくても大丈夫だろう。妖怪やらが彼女たちに絡んでくる光景は容易く想像できるが、そこらの野良妖怪にやられるはずがない。

 館の中に戻り、廊下を歩いてエントランスホールまで行って、階下に下りた。通りかかった妖精メイドたちに挨拶をしながら地下への階段に足を運び、その先に進んでいく。

 長く複雑な廊下が広がっていたが、あいにくとだてに五〇〇年近く紅魔館で過ごしていない。一切の無駄がない最短ルートで道をたどり、地下室の前に到着した。

 

「フラン、いますか?」

 

 コンコンとノックして問いかけると、「入っていいよー」と中から声が帰ってくる。取ってを押すと、ギィ、と音を立てて扉が開いた。

 加減をマスターしたフランの部屋は、かつてのように散らかってはいない。

 人形やぬいぐるみは仲良くまとめて置いてあるし、遊び道具も一か所に整理されている。棚やタンス等も多少年季が入っていることから、長らく壊されていないことが証明できる。机の上には紙や本やらが散乱していて、昨日も魔法の研究をしていたことが窺えた。天蓋つきのベッドの枕元には幻想郷を訪れる前に俺が上げたクマのぬいぐるみが置いてあり、まだ大事にしてくれていることをなんとなく嬉しく思う。

 

「ばあっ!」

「わっ!?」

 

 辺りに視線を巡らせてフランを探している最中、真上からいきなり大声を浴びせられてビクンと跳ねた。見上げれば、上下逆さに浮かびながらスカートを抑えたフランがイタズラっ子のような笑みをたたえていた。

 スタンッと俺の横に着地した彼女は、俺が文句を漏らすよりも先に「ごめんなさーい」と舌を出して謝ってくる。

 

「お姉さまの足音が聞こえたからスタンバってたの。驚いてくれるか心配だったけど、あー、楽しかったぁ」

「……扉越しの返事は結構遠くから聞こえましたよ」

「新しい魔法よー。音を消す魔法を作りたかったんだけど、意外に難しくて……それでとりあえず代わりに音を移す魔法を作ろうかなって。今、ちょっと実験も兼ねて使ってみたの」

 

 成功してよかったー、とフランがホッとした表情を浮かべた。おめでとうございますと言えばいいのか、失敗していればよかったのにと驚かされたことを根に持てばいいのか。後者の気持ちはまったくなかったけれど、とりあえず両方を足して二で割って「次は引っかかりませんよ」とそれっぽいセリフを吐いておく。

 次も引っかからせるー。そう呟いたフランが俺の手を取って部屋の奥の方に連れて行こうとするので、「いえ」とそれを断った。

 

「今日は、ちょっと出かけることを伝えに来ただけですから」

「出かけるの? わざわざ私の部屋まで来たってことは、霧の湖とかに行くわけじゃないんだよね」

「はい。今、ちょっと月が変なんですよ。それの調査に……あ、お姉さまと咲夜も先に出かけているみたいで、二人とも館にはいませんよ」

 

「フランはどうしますか?」と首を傾げて問いかける。

 

「うーん……お姉さまについて行っても、いいんだよね?」

「もちろんいいですよ。フランは頼りになりますから」

「そう? えへへー、ありがとぉ」

 

 翼をパタパタと揺らして、フランが嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「でも私もいなくなると、館にはパチュリーと美鈴、妖精メイドたちだけになっちゃうし……月が変ってことは、外にいる妖怪にも影響が出そうだし。用心して、私は留守番してた方がいいのかな。もし強力な妖怪が暴走して紅魔館を襲ってきたら危ないもん」

 

 フランが真っ先にパチュリーや美鈴の心配をしたことに、少なからず驚いた。

 俺は異変の解決に行ったレミリアたちのことしか考えてなかったけれど、言われてみればそうだ。今回の異変はレミリアたちが無事でも、解決が長引くだけで幻想郷中に影響が出る。そうすればどうなるかわかったものではなく、そうなれば紅魔館も狙われてしまうかもしれない。

 少々視野が狭まっていたかもしれない。異変の大体は幻想郷中を巻き込んだものなのだから、それを解決する者たちだけでなく、幻想郷全体のことを考えて行動しなければならない。

 

「お姉さまたちなら信頼できるわ。私は、館で帰りを待ってることにする。その方がお姉さまも安心して月の異変の解決に行けるでしょ?」

「……ありがとうございます、フラン。私は本当にいい妹を持ちました」

 

 思わず抱きしめると、「わわっ」とちょっと慌てた声が耳元で聞こえた。けれどすぐに落ち着いたのか、かぷりと耳を噛んでくる。

 

「ひゃっ」

「お返し」

 

 体を離し、すぐに耳元に手を添えた。ちょうど八重歯の尖っていた部分でやられたようで、ほんのちょっとだけ血が垂れている。これくらいなら魔力を流さなくてもすぐに完治するが……。

 ぺろっ、とフランが八重歯についた俺の血を舐め取った。案外美味しそうに味わってるように見えるのは俺の気のせいだろうか。いきなり抱きすくめられたからか頬が紅潮していることもあって、なんだかちょっとだけ扇情的な印象を受けた。

 

「うん、これで一晩は起きていられるわ」

「一滴二滴で、そんな元気が出るとは思えませんが……同族の血ですし」

「気持ちの問題よ。それに、お姉さまの血を飲んで元気が出ないわけがないわ」

 

 そんなことより、とフランが俺を連れて廊下に出る。

 

「ここじゃ上の異常には気づきにくいし、大図書館にでも行こうっと。パチェ起きてるかなぁ。お姉さま、一階まで一緒に行きましょ?」

「もちろんです」

 

 パチュリーならまだ起きていそうだ。寝るのはいつも遅いし。

 妹に手を引かれながら無駄に長い廊下を歩く。道中で月が変ってどういうことと聞かれたので、それについて説明をしておく。今日は満月のはずなのになんかちょっと欠けてる、エネルギーの質がおかしい、たぶんアレ偽物の月。

 階段を上って一階にたどりつき、続いてエントランスホールまでやってきた。ここで一旦お別れだ。フランに留守を任せて、俺も異変解決に――異変解決が無事に済むように、その管理に出かける。

 

「行ってらっしゃい、お姉さま。帰ったら真っ先に私に会いに来てね」

「行ってきます、フラン。了解です、すぐに無事と異変が解決したことを報告しに行きますよ」

 

 玄関の扉を開き、外に出た。地を蹴って体を浮かし、しばらく進んだところで『光の翼』を起動する。

 妖力と魔力が混じり合った赤白い力が翼の根元から噴出し、かなりの速度で空を駆けた。そこまで急いでいるわけでもないので音を越えたりはしない。

 人里の上を突っ切って進むのが一番速いのだが、そうなると慧音と鉢合わせることになる。彼女は原作のままだと今夜は異変解決組の相手で忙しいはずだから、俺まで行って迷惑をかけるわけにはいかない。俺は目的地がわかっているし、『光の翼』もあるので、回り込むようにして進んでいこう。

 数分か、十数分か。遠回りとは言え飛行速度は秒速五〇メートルは軽く越えているので、そんなに時間はかからなかった。

 スタリと地に降り立ち、目の前に広がる竹林を見据えた。人里を起点に妖怪の山の正反対に位置するこの場所は、俗に迷いの竹林と呼ばれている。

 名前の通り、ここはただの竹林ではなかった。竹の成長が非常に早く、いつ来てもその景色は見慣れたものにはならない。目印になるようなものが少なく、さらにはとても広大で常に深い霧が立ち込めている。加えて言えば地面にわずかな傾斜があり竹が斜めに成長していたりするせいで能力やらなんやら関係なしに平衡感覚を狂わされ、まっすぐに歩いているつもりでも実はぐるぐる回っているだけだったりという話もよく聞く。

 最早迷わない方がおかしいくらいの、これでもかというほどに迷う要素を詰め込んだ竹林だからこそ迷いの竹林だ。ただしそのぶんさまざまな噂があり、怪しく光る竹だとか小さな雀の宿だとか六〇年に一度しか咲かない竹の花畑だとか、竹の根の下にある地下妖怪世界を見ただとかいうものもある。どれもこれも信憑性は低いが、なにしろ強さやら方向感覚やら関係なしにどこを歩いているのかわからなくなるのだから完全には否定し切れない。

 信憑性と言うと、もっともそれが低い噂には『迷いの竹林には妖怪退治を専門とする忍者集団が隠れ棲んでいる』なんてものがある。確かにロマンには溢れている、ロマンには。

 

「さて、行きましょうか」

 

 一度入ってしまえば引き返すことさえ容易ではないとまで言われる竹林に、一歩踏み出した。

 元凶は迷いの竹林の中にいる。レミリアたちがすでに先に行っているか、まだ後ろの方で逡巡しているかはわからないが、ここに入る以上はいつ目的地に到達できるかまるでわからなくなる以上、とりあえず早めに探索を開始するに越したことはない。

 

「まぁ、いざとなれば音速飛行するか雲の方まで行けばいいんですが……」

 

 歩くと余計迷いそうな気がしてきたので、ちょっとだけ浮いて進むことにする。それからおそらくは必要ないが、目的地にたどりつきやすくなるように、結界によって竹林にある屋敷を見つけられなくなる『答え』をなくしておこう。

 鬼が出るか蛇が出るか、巫女が出るか魔法使いが出るか、メイドが出るか剣士が出るか、それとも案内人の兎でも出るか。

 なんにせよ誰かと合流できたらいいな、と考えながら深い霧の奥へと進んで行った。


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