□ □ □ Standpunkt verändert sich zu Frandre Scarlet □ □ □
「フラン、あなたは魔理沙の相手を」
「でもっ」
「一対一なら負けませんよ。この二人は二人がかりでお姉さまを打ち倒したんですから」
金と銀の髪を持つ幼い少女、レーツェル・スカーレットことお姉さまがチラリと自分の頭上に目を向けた。釣られて私の視線も同じ位置へ移動し、博麗霊夢という巫女が内に眠る力を高めていることを察知する。
挟み撃ちにされる前に黒白魔法使いこと霧雨魔理沙を追いかけろという意図を読み、迷惑をかけるわけにはいかないと方向を転換した。そもそもあんな紅白にお姉さまが負けるはずがない。少しだけ名残惜しさを残しつつも対象を魔理沙に切り替え、あちらは向かってくる私を見ると踵を返して廊下の角に消えた。追いかけて同じく曲がり、まだ逃げ続けていたので飛行の速度を速めて追跡を開始する。
一つ、二つ、三つ。複雑に入り組んだ迷路のような廊下を二人して移動して、やがて魔理沙は突き当たりにたどりついた。追い詰めた、と逃がさないように近づいていくと、彼女がため息を吐きながら振り返る。
「行き止まりか。ま、引き離すのには成功したんだからよしとしよう」
「私一人だけなら勝てると思ってるの? あなたも一人なのに」
「どうかな。試してみなきゃわかんないぜ」
試さなくてもわかる。魔力は圧倒的に私の方が多いし、魔法の練度も私が上だ。正面から戦って負ける要素が見当たらない。
「スペルカードは常に強い方が勝利するってわけでもないんだ。私がお前に勝てる可能性だってゼロじゃない」
「ゼロよ。だって、あなたに敗北する私の未来が欠片も想像できないもの」
「手厳しいな。レーツェルのやつだったら『それならその可能性を見せてください』とでも言いそうなもんだが、仲は良くても似てはいないってことか」
むっ、と顔をしかめる私に気づいたのか気づいていないのか、ニヤリと口の端を吊り上げた魔理沙が懐からスペルカードを取り出した。
――"魔符『ミルキーウェイ』"。
手を上げるのを合図に発動者の周辺に星屑が形作られ、時計とは逆の回転を描きながら発射されていく。同じ方向に移動すればいいだけなのであまり難しくないと感じた途端、壁や天井、空中から小さな星の欠片が出現し、漂い始めた。
星屑の回転に合わせながら宙を泳ぐ星の欠片も回避する。星屑同士の間隔は体を通せるくらいには広いので、たまにそこを抜けたりなど。あまり難しいことではないが、少しばかり鬱陶しいな。
――"禁忌『恋の迷路』"。
相手が避け方を強制してくるなら、こちらも同じタイプのスペルカードで返す。無数の小型の魔力弾を相手の星屑の回転に合わせ、自分に当たらない軌道のものも含めて打ち消していく。
本来ならば"禁忌『恋の迷路』"は一定の間隔で穴が空いている小型弾幕の壁を作り出し、それはその回転方向とは逆に回らなければ避けられない仕組みになっているというスペルカードだ。移動の際に普通の弾幕も織り交ぜて妨害するため、自分を狙ってくる弾を躱しながら素早く弾幕の通路を抜けることを強いられる。
同タイプのスペルカードが衝突すればどうなるか。互いのほぼすべての弾幕が相殺し合うのだから、長い時間をかけた上で総合力の上回る方が最終的に目標へとたどりつく。
当然その軍配は私に上がった。不利を悟った魔理沙が技の発動を止め、"禁忌『恋の迷路』"に設定した攻略法通りに弾幕迷路を飛び回り始めた。
何度かあと少しで当たるという場面もあったが、直撃は一発もない。相手のスペルカードを破るために時間をかけたこともあり、これ以上使い続けるのは美しくないので発動を取りやめた。
「さすがに昼の室内となると星の成分が薄いな。大した威力が出せないから普通に押し負ける」
「"禁弾『カタディオプトリック』"」
「いきなりか!」
巨大な弾を一つ、追随するそれなりの数の中くらいと小さな弾幕を合わせて一セット。
斜め前の天井に向けて五セットを撃ち込むと、わずかな弾力性を付与されたそれは当然のように跳ね返る。それがまた壁や床に当たり、跳ね返り、複雑な軌道を描いて廊下中を駆け巡った。
それが魔理沙に当たるか避けられるかを判断するよりも早く、今度は左側の壁に五セットを発射する。次は右側に五セット、その次は合計五セットになるように天井に順番で一セットずつ。
ありとあらゆる大きさの弾幕が壁や天井で反射する軌道は発動者の私でも掴めない。なにせ適当に壁や天井に撃ちまくってるだけなのだから。
「っと、とと!」
そんな左右上下どこからでも近寄ってくる弾幕を避けながら、魔力の弾や光線を撃ち出してくる。手馴れているのか回避しながらもしっかりと私を狙った攻撃ではあったものの、いかんせん予想もできない軌道を描く弾幕を躱しながらでは厳しそうだ。少しでも当たりそうになれば射撃はやめて避けることに集中するし、私が彼女の通常弾幕に当たることはないだろう。
それは相手方もわかっているらしく、新たなスペルカードを片手に掲げていた。
――"恋符『ノンディレクショナルレーザー』"。
魔理沙がミニ八卦炉を私の方に向けると、それを囲むように五つの魔法陣が現れる。五つセットをそこら中に放ちつつも、意識はそちらに向けてなにが来てもいいように身構えた。
「実はまだ試作段階なんだけどな、しかたない。これでも食らえっと!」
なにが出てくるのかと思えば、ただ単純に五本の魔力レーザーだった。それぞれ赤、黄、緑、青、紫色をしていて、私を取り囲むようにしながら回転をする。
魔力光線から逃れようとすれば、常に回っているそれのどれかに当たる可能性が高くなる。だからと言ってその場にとどまっていてはレーザーを一か所に束ねて終わりになってしまう。なるほど、単純だからこそ厄介なスペルカードというわけだ。
「でも」
かつてレミリアお姉さまが考案した"弾幕合戦"という遊びでは、スペルカードとは違い、純粋に本気で当てるために弾幕を撃ち合っていた。長女は弾を複雑怪奇な移動で惑わせて、次女はもはや弾幕なのかと疑問に思うほどの多様性、三女の私は弾と弾を当て合ったり弾に圧縮した力を解き放って突然大きくしたりと、三人ともありとあらゆる手を使っていた。
それに比べれば回るだけの五つの光線など生温く、少し集中すれば当たることなどありえない。
互いに全力でスペルカードを撃ち合っていた。私は光線を避けながらそこら中に五セットの弾幕を投擲し、魔理沙は逆に不規則な弾の嵐を躱しながらレーザーで私を追いかけたり自分に近づく弾を消去したり。
これ以上はスペルカードに自身で定めた時間制限を越える、と"禁弾『カタディオプトリック』"を終わりにする。私が先に繰り出したのだから魔理沙はまだ使っていても構わないのだが、それに合わせるように彼女も魔法陣を消去した。
「あー、ちょっと待て」
次のスペルカードを取り出そうとした矢先、静止の声をかけられる。
なに? と鋭い視線を向けると、バツが悪そうに頭を掻いていた。
「そんなに自分のお姉さまが心配か? さっきから地味に落ちつきないし、急いで私を倒そうとしなくたってお前のお姉さまは負けないと思うぞ」
「あなたは、仲間の勝ちを信じてないの?」
「私がこうして手こずってるんだからあっちも同様だろうよ。逆に言えば私が余裕で耐えられる程度の時間なら、あいつも平気でいる確率が高いということでもある」
だからまだやられてないはずだ、と魔理沙が続けた。
「……私もお姉さまが負けるわけないって、思ってるわ」
「その割にはずっとそわそわしてるぞ」
「だってっ」
心配だから。そんな言葉が口から出かけて、すぐに飲み込んだ。
負けるわけがないと考えていることは本当だ。お姉さまの敗北なんて少しも私は疑っていないと言い切れる。でも、だとすれば今、自然に言いかけた言の葉の正体はいったいなんなのか。姉が勝つことを一〇〇パーセント信じているのなら心配なんて感情を抱くはずがない。
「だって?」
「……お姉さまと一緒にいたいんだもん」
模索し続けて出てきたのは本当にそうなのかさえもわからない、ただなんとなく出ただけの曖昧な回答だった。
はあ、と魔理沙が大きなため息を吐く。
「ずっとそんなこと考えられながら私と遊んでたって思うとちょっと悔しいな。もうちょっと楽しく遊んでほしかったぜ。見方を変えりゃ、それだけ自分の姉を思ってるってことになるんだろうが」
「当たり前よ。私はお姉さまが大好きなんだから」
私にとってレーツェル・スカーレットという存在は、まさしく自身を構成する世界の根幹を担っていた。
いつも少しでも寂しさを覚えた時にはわかっていたかのようにすぐそばにいて、色んなことで遊んでくれて、優しくしてくれる。
私のがんばろうとすることを常に応援してくれる。わがままを言えば、それが可能な範囲であればどんなことでも快く了承してくれる。
暇をしていればいろんなお話を聞かせてくれるし、遊んでくれるし、一緒に寝てくれるし、勉強を手伝ってくれる。
だからと言ってただ甘やかすだけというわけでもなくて、いけないことをすれば「罰として部屋を掃除」なんて言ったりする。私のことを思ってのことが大半だから素直に受け入れてるつもりだけれど、その罰もほとんどはお姉さまがやってしまうから実は罰と言うほどになっていなかったり。
「いつも私のお願いをなんでも聞いてくれたり、レミリアお姉さまと違って毎日会いに来てくれるし……感謝してるわ」
「ふーん。あー、そりゃ結構なことだけど、そういえばお前って四九五年間外に出てないんじゃなかったか?」
「そうだけど、それが?」
「いや、そんなに好きなら、こんな暗いとこに引きこもってたりなんてしていないで外の方までお姉さまについていったりしないのか? その方が一緒にいられるだろうに」
………………あれ?
当たり前すぎる的を射た指摘に、一瞬呆然とした。
お姉さまが好きならついていけばいい。そうすればもっと一緒にいられる――少し考えればすぐに思いつく簡単なことだ。でも、そんなこと一度も考えたことなかった。
どうしてだろう? 純粋な疑問が思考を駆け巡り、素早く一つの解答を導き出す。
必要がなかったからだ。待っていればお姉さまが来て、楽しく過ごせて、充実した毎日を味わえる。私の世界は地下室で完結していた。望むモノがすべて手に入っていたから、外に出る必要性が感じられなかったんだ。
「あとはー、ほら。本当に好きなら好きな人の役に立ちたいって考えるのは至って普通だろ? こんな地下に引きこもってちゃ小さな恩返しすらできないだろうし、外に出てあいつのやること手伝ったりとか? ここじゃあせいぜいが迷惑をかけないように意識する程度かね」
「恩、返し?」
「家を捨てた私が偉そうなことは言えんが、家族だからって無償で世話を焼く道理もないんだ。私はお前らのことをよく知らんし、私よりも長く生きてるんだからそれ相応の思慮があるのかもしれんが、感謝の気持ちと余裕があるなら少しくらい恩返ししたって
すまん、言いすぎたか? という謝罪の言葉さえも耳に入らず、片手を顔の半分を隠すように手を添えた。
どうしてか、からからと喉が乾いていた。視界がブレ、飛行が不安定になる。心の中で交錯するありとあらゆる感情がぐちゃぐちゃに交錯して、混乱と困惑を見せる思考をかき回す。
お姉さまは私にたくさんのいろんなことをしてくれる。でも、それに対する恩返しなんて、したことあったっけ。
私にとって日常は、お姉さまがいつもそばにいることだ。なにをするにも彼女が近くで見守ってくれていて、少しでも困れば手伝ってくれる。それが当たり前で、けれどよく考えれば確かに魔理沙が言う通り、血が繋がっているからって世話を焼き続ける道理はない。
……そんなのはわかっている。だから、きちんと感謝の心もちゃんと抱いているつもりだ。でなければ道具を壊して迷惑をかけないようにと加減の練習を始めたりは……違うな。私は、手加減の練習さえもお姉さまに手を貸してもらっていた。本当に迷惑をかけたくなかったのなら、そもそも道具に関わらないか、お姉さまに手伝ってもらわずに練習をしていたはずだ。
思い返してみれば、私はお姉さまがいない時に加減の練習をしたことなど一度もなかった気がする。ああ、と思考に生じる齟齬の正体に思い至った。迷惑をかけたくないなんて欠片も思ってはいなかった。ただ単に道具を壊したくなかっただけ。
そういえば、お姉さまはいつもここより上でなにをしているのだろう。これまでお姉さまからほんの少し話してくれることはあったけれど、私から問いかけたことは一度もない。四九五年も一緒にいたのに、どうして欠片も聞こうと考えたりしなかったのか。
お姉さまにはいつも世話を焼いてもらっていて、少なくない感謝の念も抱いている。そのはずなのに、どうして恩返しなんて発想が少しも出てこなかった?
それらの答えはすでに出ている。私の世界は地下室で完結していて、外の世界なんてどうでもいいと感じていたからだ。自分が幸せだからそれでいいと、地下室にいるだけで十分な幸福が手に入るからと、他のことへの関心を無意識に捨てていた。
そこまで考えたところで、唐突に浮かんだ一つの疑問が頭の中を埋め尽くす。
――お姉さまは、私と一緒にいて幸せなのかな。
「ねぇ」
「ん、なんだ?」
「お姉さまは……どんな人なの?」
私は、私に優しくしてくれるお姉さまの姿しか知らないのだ。それ以外の彼女の姿は見せてくれなかったし、私も知ろうとすらしなかった。知る必要がなかった。
大好きなはずのお姉さまに私がしてあげられたことを聞かれても、一つさえ答えることができない。魔理沙の言っていたように迷惑をかけないようにすらしていない。それほどに自分だけの幸福に浸り、完結した世界から出ることが思いつきもしなかった。
――指切りげんまん、嘘吐いたら針千本飲ます。
いつだったか、ずっと昔にお姉さまと交わした約束が頭をよぎる。あまりに遠すぎる過去で、その内容はもう覚えていない。あの時のお姉さまは……どんな顔、してたっけ。
「あー……私も出会ってばっかだからな。他人に語れるほどあいつのことは知らんよ」
「そう……」
「まぁ、なんかよくわからんが、知らないんなら知ろうとすればいいんじゃないか? お前らの寿命は私ら人間と比べれば無限にも等しい時間だしな、いつ始めたところで遅いってことはないだろう」
知ろうとすればいい。そうか、知らないのなら知ればいいんだ。そんな単純なことにも頭が回らないなんて、私は相当混乱していたようだ。
完結した世界に留まり続けることは心の底から心地いいと思う。まさにこれ以上はないほどに幸せで、まさにそのまま永遠を暮らしたっていいくらいだ。だから四九五年も余計なことを考えずに生きてこれたんだろうし、そうしてこれたのは他でもないお姉さまのおかげだ。
だからこそ、気づいてしまった今は知りたいという欲求がどうしようもないくらいに溢れてきた。
私に幸福を与えてくれたお姉さまは、どういう風にこの完結した世界の外側で過ごしているのか、どんなことを考えながら生きているのか。私を幸せにしてくれる彼女は私と同じように幸せでいられているのか、もしくはその反対であってしまうのか。
知りたい。大好きなお姉さまのことだから、知ってみたい。
――もしもレーツェルが他の人にかまけて構ってあげられないことが多くなったら、あなたはどうするの?
――どうするって?
――嫉妬してその他の人を殺したりするかってこと。
――なに言ってるの? そんなことしないわ。だって、お姉さまがよく言う『ワルイコ』になっちゃうじゃない。フランは『イイコ』になりなさい、ってお姉さまも教えてくれたわ。
――……そう。変わったわね、フラン。五〇歳くらいまではちょっと興奮するだけでやたらめったら辺りのものを壊して喚き散らしていたのに、今はそんなの影も形もない。あれって止めるのかなり大変なのよ? こうなったのもレーツェルのおかげかしら。
――だって、あの後に怒られて部屋の掃除をするのが嫌なんだもん。
――ふふっ、そうねぇ。普段が優しいぶん、あの子に叱られると萎縮しちゃうわよね。
「そろそろ再開しようぜ。あんまりおしゃべりしてるとせっかく遊んでるのに気が削がれるしな」
「……うん。でも、一つ言わせてもらってもいい?」
「なんだ?」
「ありがとう」
「……? まぁ、どういたしましてだ」
魔理沙がミニ八卦炉を構えるのを見て、私も体内の魔力を再度練り上げた。
ここからはもう油断も慢心もしない。これを遊戯だと言うのなら、私の初めての恩返しをここで始めよう。お姉さまに対して自身でさえわからなかったことを教えてくれたお礼として、全身全霊で魔理沙の相手をする。
ようやく私が本気になった気配を感じ取った魔理沙が、面白そうに口元を綻ばせた。
「再開しようと言い出した手前に悪いが、実はおしゃべりしすぎたせいで引きつけ作戦のタイムリミットがもう過ぎてるんだよな」
「引きつけ?」
「つまり、ここらで私は霊夢のところに戻らせてもらうってことだ!」
――"『ブレイジングスター』"。
ミニ八卦炉を己の後方に向けたかと思うと、一瞬にして高まった魔力が本人の何倍もの太さを誇る光線として発射された。
それを推進力として、とてつもない速さで体当たりをしかけてくる。突然のことに思わず横に避けてしまい、飛び去って行った彼女を見てこれが狙いだったのだと気づかされた。
霊夢のところに戻らせてもらう。その発言からして突撃で攻撃をしかけることではなく、私をどかして元来た道を戻ることこそが真の目的。
「お姉さま!」
廊下の角に消えていくその姿を目で捉え、私も急いで彼女を追いかけ始めた。
せっかくやる気を見せた途端にこれである。二対一でレミリアお姉さまを倒したという話が本当なら、それは次女であるお姉さまをも倒し得る可能性があるということ。
焦りと悔しさ、そしてわずかな楽しさを胸に飛行速度をさらに上げていった。
□ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □