東方帽子屋   作:納豆チーズV

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※一部、キャラ崩壊が含まれるかもしれません。


一三.寂しがりの支配者

 □ □ □ Standpunkt verändert sich zu Sakuya Izayoi □ □ □

 

 

 

 

 

 意識が目覚めた時、かすかに漂う匂いに小さな既視感を覚えた。

 甘くもなく苦くもなく、鼻を刺激するような強烈な薫りでもない。ただ嗅いでいるだけで心が安らいでいく心地のいい匂い。

 私は……どこにいる?

 肌を優しく包む温かな感触、このまま意識を手放したいという睡眠への欲求。

 どうやらベッドで寝ているらしい。眠ってしまうわけにはいかないと、脳の指示をもとに瞼が開いていく。

 

「……ここは」

「あら、気がついたのね」

 

 聞こえた声に首を傾ければ、数メートル離れた位置に私のものと別にもう一つベッドが置いてあった。

 そこに寝転がって欠伸をしているのは紅魔館の知識人、パチュリー・ノーレッジ。一〇〇年を生きる不老の魔女だ。

 

「ここはレーテの部屋よ。あなたが自分にナイフを刺すなんて暴挙をしでかしたから、あの子が気絶させて運んできたのよ」

「パチュリーさまはどうしてここに」

「……負けたのよ。私も」

 

 その返答で、直前にあったことのすべてを思い出した。

 そうだ、負けたのだ。侵入者である紅白の巫女との決闘、自分の力を過信し相手の力を見定めず、スペルカードを逆手に取った戦略のさらに裏を突かれて敗北を喫した。

 蘇ってくる。ナイフを己に突き刺した感触、その時の心持ち。

 

「お嬢さまがたは、どうなりましたか」

 

 少しも痛まない、怪我を負っていたはずの脇腹に手を添える。

 

「レミィはあの二人に負けたみたいよ。ちょっと驚いたけど、巫女は片腕がボロボロで黒白魔法使いは魔力がすっからかん。あとは意外と平気そうにしてるレミィを見たらどういう勝負になったのかは容易に想像できたわね。妹さまとレーテはそもそも戦ってないわ」

「魔法使い、ですか?」

「そっちは私が足止めしていたからあなたは会ってないわね。侵入者は二人いたのよ。乗り込んできた目的はレミィが生み出してた紅い妖霧を止めること」

 

 結局、たった二人を相手に館中を蹂躙されてしまったというわけか。なんともまぁ情けない話だ。敗れた私が偉そうに言えることではないが。

 

「あなた、あとでレーテにめいっぱい怒られるでしょうねぇ。私も集まってた妖怪どもがいなくなった後にいろいろ言われたし、覚悟しておきなさい」

「どうでしょう。案外、私よりも夢中になるものが見つかって、大喜びしているかもしれませんよ」

「……あなたがなにを思ってるのかは知らないけど、あの子が身内の無事以上に大切に思ってるものなんてありはしないわよ」

 

 本当にそうだろうか。実は私の能力だけが欲しいんじゃないか。私の人格なんてただのオマケで、人智を超えた時を操る力が大事なだけじゃないか、って。

 いろいろと混乱しているらしい。額に手を当ててかぶりを振って、左胸の前に手を置いた。

 痛い。怖い。ああ、どうしてこんなにも不安が渦巻いている。見捨てられるかもしれないから? また一人になるかもしれないから?

 たとえそうなっても昔に戻るだけだろう。もともと私は孤独の運命のもとに生まれ落ちていた。なにも恐怖することなどない。そのはずなのに。

 

「噂をすれば、ってやつね。お二人プラスお一人さんが来たわよ」

 

 ガチャリと扉が開き、二人の吸血鬼と一人の妖怪が姿を現した。

 蝙蝠のような悪魔らしい翼を備えた館の主、レミリア・スカーレット。銀に幾房かの金が混ざった美しい色合の髪を持つ常に無表情の少女、レーツェル・スカーレット。最後はこの館の門番である中国風の衣装を纏った女性、紅美鈴だ。

 自然と体が強張るのがわかった。

 

「あら、咲夜も起きたのね」

「咲夜さん大丈夫ですか? 手ひどくやられたって聞きましたけど……」

「治ってるからって動かないで、安静にしててくださいね。どうです、今日は私が紅茶を入れてみました。咲夜のそれには遠く及ばないとは思いますが、飲んでみてくれませんか?」

 

 レーツェルお嬢さまが持つお盆の上にはティーポットとミルクジャグ、そして五つのティーカップが乗っていた。スンスンと鼻を鳴らすと、かすかに渋さ多めな紅茶の香りが漂ってくる。

 上半身を起こし、心配そうな顔で近づいてくる二人に向いた。

 

「……アッサム、ですか?」

「わっ、匂いだけでわかるんですか。その通りです。ミルクティーにするといいと聞いたので、一緒にミルクも持ってきました」

 

 血を混ぜることが多かれど、これまで何年にもわたり数え切れないほど紅茶を入れてきた身だ。アッサムほどの有名な紅茶ならばすぐに判別できる。

 部屋の隅にある机でティーポットからカップに紅茶を注ぎ、ミルクを混ぜたレーツェルお嬢さまが全員にそれを配っていく。

 美鈴、パチュリーさま、レミリアお嬢さま、そして私。

 

「…………どうしました? やっぱり初心者が入れた紅茶は飲めませんか?」

「いえ……そういうわけでは」

「もしかしてまだどこか痛みます? 治し方がちょっと特殊だったので副作用があるのかも……むぐぅ、いったいどんな」

「そうでは、なくて」

 

 言葉を遮る私に、無邪気に首を傾げるレーツェルお嬢さま。その視線から逃れたくて、手元にある紅茶の水面を覗き込んだ。

 なんて顔をしているんだ、私は。こんな憂いた表情をしていてはいけない。

 反射する自分が見ていたくなくて紅茶を一気に口に入れて、予想以上の熱さに喉に詰まってしまった。ケホケホッと口元に手を当てる私の背中を慌てて寄ってきたレーツェルお嬢さまが擦ってくれる。

 

「ご、ごめんなさい。ちょっと熱すぎましたね。治りたてですし、もう少し冷ましてから渡すべきでした」

 

 違う。違うんです。そうじゃないんですよ。

 私の手からティーカップをそっと抜き取ろうとする彼女の手を掴んで止める。

 

「……レーツェルお嬢さまは」

 

 手の平から伝わってくる温度が、今はどうしようもないくらいに愛おしかった。

 だからこそ不安と恐怖が膨れ上がる。離したくないと心から思う。

 

「……レミリアお嬢さまは」

 

 決闘の末に、強い輝きと素質を秘めた人間に負けたのだろう。比べ、私はレミリアお嬢さまに勝つことなんてできず、ただ情けをかけてもらっただけだった。

 その差は歴然である。人間がたった二人で吸血鬼に勝つなど前代未聞の話だ。私が二人いたところで為せるはずもないこと。しょせん私はそこらに転がるただの『人間』でしかなかった。二人が気にかけるほどに高等な存在ではないのだ。

 そのはずなのに、どうして私にそんな目を。どうしてそんな本気で心配しているような目を。

 

「私を……見限りましたか?」

 

 聞きたくない。知るのが怖い。それでも、一度口をついて出た言葉は止まらなかった。

 

「ちょっと強い能力を持ってても、私自身はそこらの凡人と変わらないんです。むしろそれ以下ですよ。同族に見捨てられ、自棄になって死に場所を求めてました。誰かに見初められる価値なんて最初からない……能力がすごいだけで、私自身にはなんの値打ちもない」

「えっと、咲夜? ちょっとなに言ってるか……」

「レミリアお嬢さまを打ち破った紅白の巫女と黒白の魔法使いの方がお二人のそばにいる者として素晴らしいに違いありません。私では役者不足ですよ。私はただの『人間』で、彼女たちは生の輝きを放つ(まこと)の人間です。だから私なんて気にしないでください。一人にしてください。見捨ててください。それがきっと最善です。どうせ私は永遠に」

 

 そこまで言ったところで私はレーツェルお嬢さまに抱きしめられていた。

 思わず言葉が止まり、体が固まり、身を任せてしまう。

 子どもをあやすように、愛しい誰かをなぐさめるように、背の低いその体で一生懸命に手を伸ばして優しく頭を撫でてくる。

 

「やっと本当の咲夜を見れた気がします。初めましてです」

「なにを……?」

「生まれた時からずっと一人で平気なはずがありませんでした。今まで気づけなくてすみません。咲夜は、寂しかったんですよね」

 

 彼女からの言葉は、どういうわけかまるで母親からのそれのように温かく染み渡ってくる。

 嫌だ、やめてくれ。余計な希望を持たせないでくれ。私は永遠に一人だ。あなたたちにとって私など須臾の存在だろう。いつも口にしている食糧となんら変わらない『人間』だろう。

 

「今日はすっごくがんばってくれたみたいですから、お礼にさっきの質問の『答え』をあなたに上げましょう」

 

 手が肩に置かれ、顔が向き合う形になった。無表情であるはずなのに、その顔の瞳からは歓喜が――ようやく知り得たことを嬉しがっている感情がわかりやすいくらいに伝わってくる。

 『答え』、すなわち、私を見限ったかどうかということ。

 心臓が早鐘を打つ。胸が苦しいくらいに痛む。次の言葉が私のすべてを決める。次のセリフが私の行く末を告げるのだ。私が得る回答は、果たしてどんなものなのか。

 レーツェルお嬢さまの口が開き、あまりにも温かな言葉が漏れる。

 

「――『咲夜はもう、人間のもとには帰しませんよ』」

「あ――――」

「見限るなんてあるはずないじゃないですか。咲夜が毎日身を削って私たちのためにがんばってくれてることは館の全員が知ってます。もしも時を操る能力がなくたって見限るなんて絶対にありえません」

 

 ――それにそんなことを言っていても、私が本気で出て行きたいと言ったら見逃してくれるんでしょう?

 

「本気で出て行く気がないなら絶対にどこにも行かせませんから。十六夜咲夜、あなたは私たちの満月です。満月は、夜の帝王たる吸血鬼のそばにいないといけないんです」

「……ふふ、ふふふ」

 

 わかっていた。レーツェルお嬢さまはどうしようもないくらいに自分が関わった誰かを心配する。今まで私に言ってくれたセリフも、今ここで私に語りかけてくれた言葉も、すべて間違いなく本心からのものだ。

 私はただ受け入れるのが怖かっただけだと、ここに至ってようやく理解した。ずっと一人だったから、ずっと寂しい思いをし続けてきたから、突然手に入れた唯一の幸せがどうしても愛おしすぎただけ。

 失ってしまった時に感じるであろう苦痛がどうしようもなく怖かった。心に空いた穴があまりにも唐突に埋まり始めて、それをまた喪失した時の想像がたまらなく受け入れられなかった。許容を拒否し、自然と壁を作っていた。

 なんてバカらしい。本当はわかっていたくせに。

 無意識のうちに笑みと、ついでとばかりに両目から透明な液体も零れてしまう。

 

「ほら、お姉さまたちもなにか言ってあげてください」

「そうねぇ。咲夜、私がその名を上げた意味をよく考えなさい……というかレーツェルが言った通りだけど。あなたは十分以上に働いてくれているわ。それに私は独占欲が強くてねぇ、一度手に入れたものは手放したくないタチなの」

「レミィらしいわね。咲夜、そういうことよ。あなたの当ても珍しく外れたものね」

「咲夜さんもそういうことで悩んだりするんですねー。なんだか涙目の咲夜さんって新鮮です」

 

 あぁ、もう。本当、この館の全部がどうしようもないくらいに愛おしいな。

 まだ残っている紅茶を口にして、ふふっ、と小さく笑う。

 甘すぎますよ、レーツェルお嬢さま。味もそうですが、その性格も。お好みの量とは言いましたが、私にはミルクが多すぎるみたいです。紅茶自体は初心者にしてはかなり筋がいいですから、今度また私が入れ方でも教えてあげましょう。

 ――…………了解、しました。もうこの際、飯が食べられるならどこでもいいわ。どうせ私に選択権はないし。

 今日より私は真の意味でこの館と主人に忠誠を誓い、仕え、我が生涯をここで終えると心に決めよう。これほど私にとって幸福なことは他にない。

 私は紅魔館のメイド、十六夜咲夜だ。

 また明日も。そしてこれからも、どうかずっとよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 □ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □


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