東方帽子屋   作:納豆チーズV

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一一.紅い思い出、満月の吸血鬼

 □ □ □ Standpunkt verändert sich zu Sakuya Izayoi □ □ □

 

 

 

 

 

「やばっ!」

 

 己に迫る自らの放った封印の弾幕、退路を断つ無数のナイフ、じっと動きを観察している私。そのすべてを一目見た上で巫女は片手で印を結びながら素早くナイフの波に突っ込んだ。

 

「無駄よ。あなたはチェスや将棋で言う『詰み(チェックメイト)』にはまったのよ」

 

 最小限で躱しながら進んだところで、直撃を避けるように動く時点で飛行速度は格段に下がる。その速さは自身が放った封印霊力弾を越せていない。

 それに、あれには相当な威力が内包されている。なんの印を結んでいるのかは知らないが、おそらくは結界であろう。しかし、さきほど見せた封魔陣とやらでは封印の霊力弾を完全に防ぐには防御力が足りていなかった。スペルカードにするほどの結界でそれなのだ。さらに言えばナイフを封魔陣で弾いていたらその間に霊力弾が結界を破って自分に当たってしまう。つまり巫女は私と霊力弾を結ぶ直線状から離れることでしか逃れることはできないのである。

 それでも不測の事態に備えていつでも時間を止められるように『時間を操る程度の能力』に意識を集中し、巫女を観測し続ける。

 

「い、っつ!」

 

 ナイフは刃物だ。(グレイズ)ればそれだけ切り傷を負う。

 すでに巫女の真後ろには八つの霊力弾が迫っており、巫女が近づいてくるたびに私もナイフを投擲しながら下がっているので距離なんて詰められていない。むしろ避けながら向かってくる巫女の方が遅いのは当然の摂理だ。さて、どうするつもりなのだろう。

 少しばかりの興味を抱いて見据えていると、霊力弾が当たる直前、瞬きの間に巫女の姿が消えていた。

 

「え――――なっ!?」

「追いついた!」

 

 声は背後から。気づけば私は紅白の巫女に後ろから羽交い絞めにされていた。

 あっと言う間、ではない。声を発する瞬間すらなかった。時を止められていれば私は察知できる。彼女は、私の知らぬ未知の力によって零時間移動を実現させたのだ。

 まさか結んでいた印もこのために?

 私の能力には致命的な二つの弱点が存在する。時を止めても体を通す隙間がなければ攻撃を避けられないこと、強い力で押さえつけられているとなにもできなくなること。

 今がまさにそんな状況だった。巫女に背後を取られ、動けないようにと体を絡めて固定させられた。

 

「こんなの、あなたも巻き込まれるわよ」

 

 出てきたのは焦りと困惑に半分の冷静さを足したような声だった。

 私に向かってくる封印の霊力弾に近くの者を巻き込んであまりある威力が込められていることは容易にわかる。このまま衝突したならば両者が怪我を負うことになるのは明白だ。だからこそ直前で巫女は私から離れようとするはずで、その一瞬を見極めて時を止めればいい。

 

「甘いわねぇ。あなたはチェスや将棋で言う『詰み(チェックメイト)』にはまったのよ」

 

 そんな思考を見透かしたかのように巫女が囁き、次の瞬間、突如編み込まれた結界の中に囚われていた。

 私は、巫女に羽交い絞めにされながらもその隙を探していた。編むような素振りがあればすぐにでも気づいて巫女を引き離せていたはず……。

 拘束を結界に任せて悠々と離れていく巫女は、混乱する私を横目に小さく鼻を鳴らした。

 

「結界の印、結んでたでしょ? 離れる時にまたあの変な瞬間移動で避けられたら困るしねぇ、どういう原理かよくわかんないし警戒するに越したことはないわ」

「なんですって?」

 

 印は結界のものだった――零時間移動(テレポート)のためのものではなかった。そこから導き出される答えは一つ、彼女は私と同じように自身の能力によって瞬間移動を実現させていたのだ。

 結界に縛られた状態で、迫り来る封印の霊力弾に対抗する手段を私は一切有していない。

 なすすべなく八つの弾のすべてに直撃してしまい、視界が揺れて景色が回復しては何度も暗転する。

 息ができなくなる、体内を不快感が駆け巡る、受けた衝撃が肉体に損傷を及ぼす。当然のごとく飛んでいられなくて床に撃墜し、その痛みと振動が容赦なく私の意識を刈り取ろうとしてきた。

 ――勝ちを確信した時、そいつはすでに敗北している……らしいです。

 将棋で私が王手をした時にレーツェルお嬢さまが諦めずに言い返してきた言葉が頭を過ぎる。あいにくとその後は三手で『詰み』にして私が勝ってしまったが。

 相手の持ち得る力を把握し切ろうともせず、人間だからと無意識に舐めて早々に勝負を決めようとした。得意げに敵のスペルカードを誘導し、絶対に避けられないように退路を塞いだ。たったそれだけで私は一瞬、勝利を確信していたのだ。

 

「博麗の巫女である私をはめようなんて一〇年は早いのよ」

 

 地に伏して動けない私と、少しの切り傷を負いながらも宙から私を見下ろす紅白の巫女。もはや勝敗は決していた。

 

「はぁ、服が切れちゃったわね。血も出てるし……霖之助さんに直してもらわないと」

 

 段々と薄らぐ視界の中、紅白の影が廊下の角に消えていく。

 たった一枚のスペルカードに直撃しただけでくたばってしまうとは情けない。これでは美鈴を叱ることなんてできやしないじゃないか。

 思考が闇に沈んでいく。抵抗はむなしく、思考と一緒に手放さないようにと強く握っていたナイフが零れ落ちた。

 ――なにも期待するな。お前は吸血鬼を狩るために存在する、人の形をしているだけの単なる化け物だ。どうせ誰にも理解なんてされない。

 

「ッ、ぐ!」

 

 なんとか最後の力を振り絞り、落ちたナイフを拾い上げて思い切り脇腹に突き刺した。

 鋭すぎる刺激が眠りかけた脳を無理矢理に叩き起こす。沈みかけた意識を引き上げて、黒く染まっていた景色を一瞬だけ真っ白に染め上げた。

 

「まだ……」

 

 床に両手をつけて立ち上がる。ヨロヨロと崩れかけた態勢を壁によりかかることで支えて、腹に刺したナイフを抜いた。深く刺しすぎたようで床に血が滴る。

 恐怖に駆られた焦りと不安が浮き彫りになった私の表情が赤い鏡に反射していた。

 

「まだ、戦える……だから追いかけないと……追いつかないと……」

 

 ――十六夜とはほんの少し月の欠けた日のことよ。咲夜はすなわち、その昨夜……つまりは満月を指している。あなたにその名前を授けるわ。だから、私のもとで働きなさい。

 ――年月なんてさほど大きな意味はないと言っているのですよ。私は咲夜のことを大切に思っています。それだけでいいじゃないですか。

 あの巫女はレミリアお嬢さまのもとへ向かっていった。どちらが勝つかは問題ではない。結果がどう転ぼうと、物怖じもせず堂々と乗り込んできた彼女にお嬢さまがたは必ず少なくない興味を抱く。

 そして私は? 同族である人間を相手に無様に敗北した私はどうなるのだ?

 ありえるかもしれない最悪の想像、紅魔館に拾われる前の生活が頭を過ぎる。

 

「違う。負けて、ない」

 

 そうだ。負けてない。ただ一回スペルカードを受けてしまっただけ。だから大丈夫だ。ほら、脚を動かそう。巫女はさっき行ってしまったばかりじゃないか。まだ残っている妖精メイドたちが進撃を妨害しているだろうから、走っていけばすぐに追いつける。

 だから見捨てないで。もう、私を一人にしないで。

 カタカタと震える脚の付け根を握り締める。いいから動け。動くんだよ。動いてくれ。お願いだ。動け。動け。動いて。お願いだから、動いてよ。

 負けてない。まだ、私は。

 

 

 

 

 

 □ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □

 

 

 

 

 

 テレビ画面の向こう、咲夜の背後に現れた紫が持っていた傘で首の裏をトンと突く。それだけで気絶した咲夜を抱えると、再びスキマを開いて俺の隣に移動してきた。

 パチュリーの観戦、その後の看病などにより霊夢と咲夜の勝負はあんまり見れていなかった。画面を切り替えた時にはすでに勝負は終わっており、ボロボロな咲夜がどういうわけか自分の腹にナイフを突き刺しているところだったのだ。

 紫に気絶させてでもすぐに回収してきてほしいと頼み、そして現在。

 

「そこに下ろしてください。ゆっくりですよ」

「はいはい、わかったわ」

 

 倉庫魔法で取り出した大きな白い布を絨毯の上面に敷き、その上に咲夜を横にしてもらう。

 全身に負っている傷はそこまでひどいものじゃない。重傷と言えるのは彼女が自分自身に刺したナイフの傷だけだ。根元まで深く入れてしまったようで、血の滴り具合や怪我の状態がかなり悪い。

 咲夜は人間だ。妖怪みたいに再生能力が高いわけでもなければ、ダメージも肉体由来のものに強く依存する。

 

「それは?」

「私の血です。別にそのままかけたりはしませんよ」

 

 紫に答え、倉庫魔法で取り出した赤い液体の入った小瓶のフタを開けた。人差し指を曲げると中身が飛び出て宙に静止する。吸血鬼だから自分の血の操作はお手の物だ。

 パン、とその血を両手で挟み込むと手の平に展開した魔法陣の術式と絡み合う。余計な成分を分解し、必要な部分だけを抽出。手を離して両手を咲夜の傷口に向けた。

 グジュグジュと肉が再生を始め、見る見るうちに傷が塞がっていく。

 

「……レーテ、あなたなにをしたの?」

「錬金術の一種です。吸血鬼には他に類を見ない再生能力があることは周知の事実ですよね。その血を分解し、再生を行う成分とそれを行うための魔力のみを咲夜へ与えました」

 

 高い再生能力を持つ吸血鬼である俺には回復系の魔法の適正はどうにもあまりないみたいで、こうして錬金術で代用することしか手が思いつかなかった。

 こういう時のために自分の血は大量に保存してある。他にも、いろんな事態に対処できるようにいろいろと準備だけはしてあった。

 再生が完了したことをしっかりと確認し、魔法の発動を取りやめた。ひとまずはこれでいい。あとは漏れ出た血で汚れている肌とメイド服をどうにかして、念のために暖かいところで寝させておかないと。

 

「手伝いますよ!」

「めんどくさいけど、私もー」

 

 そう言ってくれるのは美鈴とルーミアだ。助かります、とだけ告げて作業を開始する。

 一人、じっとテレビを見ていた紫に暇なら手伝ってくださいと告げると、「もうすぐあなたの大好きなお姉さまがあの二人と衝突するのだけれどねぇ」と近づいてくる。あいにくともう観戦している余裕はないのだ。パチュリーと咲夜、二人の対処をしていなければいけないのだから。

 とりあえず紫にはスキマで他の部屋からベッドを持ってきてもらおう。倉庫魔法の空間の中には布団はあれどベッドはない。パチュリーの具合の方も気になるし、二人一緒に見れた方が都合がいい。

 美鈴に咲夜の着替えを持ってきてほしいと頼んで、ルーミアにはパチュリーの様子を見ていてもらう。俺は美鈴が戻ってくるまでに傷口付近の血を拭き取っておかないと。

 

「……ゆかりん、録画とかできませんか?」

「無理よ」

 

 やっぱりダメみたいだ。しかたないかとため息を吐いて、倉庫空間から真っ白なタオルを取り出した。

 お姉さま。見ていることはできないけれど、ここから応援していますよ。

 

 

 

 

 

 □ □ □ Standpunkt verändert sich zu Remilia Scarlet □ □ □

 

 

 

 

 

「いるいる。悪寒が走るわ、この妖気。なんで強力な奴ほど隠れるんだ?」

「そうねぇ。そろそろ姿、見せてもいいんじゃない? お嬢さん?」

 

 大きな赤いリボンを髪に結ぶ、変な巫女服を着た紅白の巫女。いかにも魔法使いと言ったふざけた帽子と白いエプロンが特徴な黒白の魔法使い。

 屋上のテラスに来た人間の二人組が辺りを見渡して、片方は自らの恐怖を誤魔化すような笑みを、片方は思ったよりも強い気配に気を引き締めるような顔をする。

 誘われたのなら行くしかない。トン、と時計塔の上から静かに体を投げ出して、妖力を通した翼を羽ばたかせながら彼女たちの前にゆっくりと降り立った。

 

「能ある鷹は尻尾隠さず……よ」

 

 冗談交じりに黒白魔法使いの方に返事をしてみれば、私の姿を確認して「……脳なさそうだな」なんて言い返してくる。フンッ、と鼻で笑ってやった。

 人間だけだ。脳なんて単純で科学的な思考中枢が必要なのは。妖怪は精神を中心に成り立っているから、脳がなくなったところで死ぬわけでもなければ完全に思考能力がなくなるわけでもない。

 

「お前、アレだろ? ほら、日光とか臭い野菜とか銀のアレとか、夜の支配者なのになぜか弱点の多いという……」

「そうよ、病弱っ娘なのよ」

 

 いや、紅魔館での病弱と言えば私よりもパチュリーか。人間がかかるような病気にもかかるし。

 

「そんなことはどうでもいいわ。迷惑なの。あんたが」

「短絡ね。しかも理由がわからない」

 

 なんて返してみるが、もちろん嘘だ。どうせ幻想郷に張り巡らせている私の紅い妖霧が人間に害を及ぼしているからとかそんなんだろう。大方、この紅白と黒白は人間の代表と言ったところか。

 相手もこちらが適当に誤魔化していることには気づいている。めんどくさそうに表情を歪め、ため息を吐く。

 

「とにかく、ここから出て行ってくれる?」

「ここは、私の城よ? 出て行くのはあなただわ」

「この世から出てってほしいのよ」

 

 たった二人で紅魔館に乗り込んで来ては蹂躙し、最終的に館の主である私のもとにたどりつく。スペルカードルールという規定はあれど、そんなことができた人間はこれまで一人もいない。

 どうやら咲夜も倒してきたようだし、私が直接相手をするに十分足る相手だろう。

 

「しょうがないわね。今、お腹いっぱいだけど……」

「今まで何人の血を吸ってきた?」

「あなたは今まで食べてきたパンの枚数を覚えてるの?」

「一三枚。私は和食ですわ」

 

 黒白の答えに、そういえば幻想郷は東の島国にある場所だったなと思い出す。それなら食べるものが違っても不思議じゃない。

 

「あなたは強いの?」

「さあね。あんまり外に出して貰えないの。私が日光に弱いから」

「……なかなかできるわね」

 

 純粋な、相手を殺すための強さで言えば三姉妹の中では最弱であろう。レーツェルにはすべてを無に帰す絶望の力と多彩な魔法、天狗を越え得る最速の翼がある。フランにはありとあらゆるすべてのものを壊し得る究極の能力がある。私にあるのは戦闘ではあまり役に立たない、あらゆる偶然を支配し、繋げる『運命を操る程度の能力』。

 とは言え、紅白が聞いているのは弾幕ごっこの強さについて。誇り高き吸血鬼として決して弱いつもりはないけれど、紅魔館の住人としか戦ったことがないのではぐらかさざるを得ない。箱入り娘というやつだ。

 それじゃ、と紅白が黒白に顔を向ける。

 

「私がちゃっちゃと終わらせるから、あんたは観戦でもしてなさい」

「おいおい、怪我人が言うセリフじゃないぜ。ここは無傷な私が勝負するパターンだろ?」

「大した傷じゃないわよ。そもそもあんたが来たのって異変解決じゃなくて目ぼしいものを盗むためでしょうが」

「気が変わったんだよ。せっかくの異変、楽しまなきゃ損だ」

 

 思わず笑みが漏れてしまった。なんだこの二人は。私は吸血鬼、最強種の妖怪であり悪魔だ。そんな存在を前にどちらが戦うかなどおかしな話し合いを。

 

「まとめてかかってきなさい。ハエが何匹いたところでどうせ同じだから」

「いやでも、わっ!」

 

 言い返してきそうだったので、即行で生み出した魔力弾で紅白の足元を攻撃する。黒白もなにか文句を言うようなら同じようにしようと思っていたが、そちらは面白そうに口の端を吊り上げるだけだった。

 

「……はぁ。あんたと共闘か。不本意だわ」

「ああ、そうかい。今の、植物の名前だぜ。『亜阿相界』」

「どうでもいいわよっ!」

 

 そろそろ始めよう。私に平気で逆らうような人間がいったいどんなものか、見せてもらうとしよう。

 

「こんなに月も紅いから本気で殺すわよ」

 

 ――ねーねー、まんげつ、すき?

 ――そうね、すきよ。あかければなおいいわ。

 あぁ、私はまだこんな会話を覚えているのか。生まれて間もない頃の、忘れていて当然だろう記憶。覚えているということは、それだけ私にとってレーツェルという存在が重要である証明だ。

 この二人は彼女と親しくなるに足る人間だろうか。この二人は彼女を救うための歯車になり得るだろうか。

 

「こんなに月も紅いのに」

 

 私に釣られて満月を見上げた紅白の肩をちょんちょんと黒白が突く。二人の視線が絡み合い、ため息を吐いた紅白が「せーのっ」と力なく。

 

「永い夜になりそうね」

「涼しい夜になりそうだな」

 

 巫女はお祓い棒とお札を手に、魔法使いは竹箒に跨って空に飛び上がる。

 見せてもらおう。その力を、その知恵を、その勇気を、その心を、その資格を。

 妖力を巡らせ、己の身をフワリと浮き上がらせた。

 

「ふふっ、楽しくて暑い夜になりそうね」

 

 

 

 

 

 □ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □


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