東方帽子屋   作:納豆チーズV

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二.だから彼女はシスコンになった

 時が経つとは早いものだ。急な環境の変化に戸惑うばかりで混乱続きだった俺の心は、一年半の時が経ってようやく余裕が生まれ始めていた。

 最初の頃は、どうして自分がこんなことになっているのかと延々と思考をループさせ続けていた。前世とでも言うべき己の記憶を探り、その原因を見つけ出そうと躍起になる。脳そのものが代わっているにも関わらず欠けることなく残っている平凡男性の二〇年にも及ばない記憶であるが、どうにも学校で知り合いと童話についての話をしてからの記憶がないようで。

 幾度となく寝て起きて寝て起きてと繰り返し続けたが、どれだけ念じても元の自分に戻ったことは一度もない。

 個人的には、俺は前世で死んでしまい、輪廻転生の結果としてレーツェル・スカーレットになっていると推測している。脳が予想外の事態で機能停止に陥れば死の直前の記憶がないのも納得がいくし――そもそも脳が違うのに記憶を引き継げている時点で納得もくそもないが――、そうとでも考えなければ現状に説明がつかない。

 もしかしたら神なんていう超次元的存在に生まれ変えさせられた可能性もなきにしもあらず。しかし、記憶がないのなら輪廻転生でも神の戯れでも大して変わらない。

 そんなことをこれまでずっと考え続けてきたわけであるが、正直過ぎる俺の体と顔は不安や混乱と言った感情をもろに露出させてしまうらしく、周りから見ればなにが起こったわけでもないのに急に泣き出したりしてしまうことが多々あった。最初のうちは抑えようと四苦八苦したものの、何度試しても耐え切れずに涙がこぼれ出るので、もう諦めた。

 もう帰れないのかなぁ、とちょこっと哀愁に浸っただけでも泣きそうになるのだから、この体の表情筋の正直具合が窺える。

 そのせいで両親には迷惑をかけまくり、ずいぶんと過保護を受けて一年半を過ごしてきてしまった。非常に申しわけないと反省してはいるものの、体が勝手に泣き出したのだから許してほしい。

 生まれてすぐは焦点が合わなかった視界だが、肉体がなじんできたとでも言うべきか。日が経つごとに明瞭になっていき、今では完全に景色を捉えられるようになった。

 自分を見下ろし、改めてとても小さな女の子に変わり果てたことを自覚する。そうしてハッとした時にはすでに遅く、体が勝手に大泣きをしてしまっていたが。

 いろいろなことを再確認し、整理し続ける一年半だった。ここが東方Projectの世界であることが疑いようのない事実だとも理解できた。

 

「どこをみているの?」

 

 ふと、横からかけられた声。目を向ければ、見覚えのある一人の女の子が立っていた。

 赤い線と紐が結ばれている薄い桃色のレースの服、それと同じデザインのスカートをボタンで繋ぎ止めている。腰には一回り大きな紐を纏い、後ろで大きな蝶々を結んでいるようだ。頭には周囲を赤いリボンで締めたナイトキャップをかぶっている。

 両袖が短いために腕の肌のほとんどが露出していて、透き通るほどに綺麗なそこには、自然と視線が行ってしまう魅力とでも呼ぶべきものがある。

 もっとも、まっすぐに見つめられている現状で肌の方に見惚れろという方が無理な話であるが。

 幼くもどこか凛々しさを感じさせる顔立ちからは、吸血鬼の特徴である血のごとき赤い瞳が俺を射抜いてきていた。

 レミリア・スカーレット、齢三歳。俺の二つ上の姉である。

 

「ああ、つきか。いいわね、まんげつ」

 

 水色がかった青髪を揺らし近づいてきた彼女は隣に立つと、さきほどまで俺がそうしていたように窓から空を見上げた。

 夜明けが近づいた頃、廊下を歩いて偶然目に入った窓の外の光景。西の空に浮かぶ月が満ちていることに気がつき、「そういえば吸血鬼になってから夜行性というか、昼に寝るようになったんだよなぁ」と生活の変化を振り返っていたところだった。

 窓の外を眺めるレミリアをじっと見つめる。わずかに口元が吊り上がっているのは満月で気分がいいからか。その中からは八重歯が覗いていた。吸血鬼の証拠である蝙蝠のものに似た悪魔の翼、月に照らされて爛々と輝く赤い瞳。

 俺もそんな彼女とほとんど同じ特徴を備えた吸血鬼だ。

 口元には八重歯はあるし、瞳の色は当然赤い。ただし、ほとんどとあるように例外な部分もある。

 純血の吸血鬼は悪魔の翼を備えるとのことであるが、どうにも俺の翼は形が違う。さすがに七色の宝石がぶら下がっているなどということはないにしても、翼膜や羽毛に当たる部分がなく、黒色の長翼膜張筋腱の根元辺りから何本もの赤い骨が伸びただけの異様な形状をしている。初めて見た時は「デスティニーガンダムみたいだ」なんて思ったものだ。

 純血の吸血鬼なのだから翼があるのは当然だとしても、このような形であることは俺が生まれたばかりの頃に両親が驚いていた通り、異常であることは間違いない。

 ……それにしても、服をすり抜ける翼って何気にすごいよな。

 

「どうしたの?」

 

 じーっと見つめ続けていたからか、レミリアが空から視線を外し、首を傾げて俺に問いかけてくる。

 

「ねーねー、まんげつ、すき?」

「そうね、すきよ。あかければなおいいわ」

 

 未だ一歳児である以上、流暢にしゃべることは控えていた。

 しかし、赤い満月か。今は夕方の空が赤み始めるのと同じに、西に沈みかけた月は淡く橙色の光を放っていた。わざわざ「あかければ」と口にする辺り、求めている色はあの程度の赤じゃないってことか。

 紅霧でも発生させれば真っ赤に染まった満月をお見えにできるかな。

 

「リボン、ずれてるよ」

 

 と、レミリアが手を伸ばして俺の首元の赤いリボンを調整してくれる。

 俺は一歳児に着せるには少々豪華でサイズも大き目なレースの服を身につけていた。レミリアと似たデザインであるものの細部や主体とした色が違う。彼女が薄い桃色を全体に多く使った衣服なのに対し、こちらは青と白の二色を際立たせている。赤い紐がところどころに結われているところはレミリアと同じだ。

 スカートをはくことには少なからず抵抗感を覚えたにしても、今の俺は一歳そこらの子どもだし、早いうちに慣れておかないと大変そうなので我慢した。

 

「ほら、ぼうしも」

 

 しょうがない子ね、なんて言いたげにレミリアがずれ落ちかけていたナイトキャップも直してくれる。

 中途半端に着たりかぶったりしているつもりはないのだが、サイズが大き目な関係でよくズレる。

 

「あいかわらずきれいなかみ」

 

 俺の耳元辺りの髪を掬い上げながら、小さく彼女は呟いた。

 こちらもまた翼ほどではないにしても変と言われているものだった。俺の髪は基本は銀色であるのだが、幾房かがメッシュを入れたように金色がかっているのである。地毛で。

 くすぐったがる俺を見てはクスリと笑うと、彼女は俺から手を引いた。

 

「ねーねー、ありがと」

「どういたしまして」

 

 優しげな微笑みで俺を見つめる――レミリアは、とても俺に優しくしてくれる。

 もともと東方Projectという作品は好きな部類だった。単なるSTG(シューティングゲーム)には収まらない深い世界観、魅力的なキャラクター。世界観は興味深く、キャラクターは可愛らしい。

 レミリア・スカーレットは吸血鬼としてのカリスマと子どものような言動を兼ね備えた、東方Projectに登場する二人の吸血鬼のうちの一人だ。人気キャラの一角だけあって、俺も例外に漏れずレミリアのことをある程度気に入っていた。

 そう、ある程度。ある程度……だったんだけど。

 この一年、両親が近くにいない時はレミリアが俺をあやしてくれていた。いつも泣いてばかりで不安そうな顔しかしない困った子どもの俺を、二歳か三歳の彼女がなぐさめようとしてくれるのである。

 正直、胸を打った。健気な優しさに感動するやら自分が情けないやらで泣き出してしまったこともあった。正直すぎる体が勝手に喚いたのではなく、自身の意思で感涙にむせび泣いた。

 要するになにが言いたいのかというと、レミリアお姉さまマジ天使。かっこ可愛い。その平たい胸に飛び込んで息を思いっ切り吸い込んだりとかしたいです。

 頭の中で「行っちゃえよベイビー。どんな汚い欲望でもそれが理由だとバレるわけねぇぜ」と黒い翼の悪魔が言う。

 対し「まだ一歳児で今は同性ですから大丈夫です。飛び込んじゃいなさい」と金の輪っかを浮かべた天使は囁く。

 そしてその二人と対峙する成人間近の男性のシルエットが、息を大きく吸い込んでから「お前ら同じこと言ってんじゃねぇよ!」と見えない机をバンッと叩いた。

 

「……どうしたの?」

 

 悩み過ぎて顔にでも出ていたのか、心配そうにレミリアが覗き込んでくる。一瞬心を読まれたかと思ってドキッとしたけど、当然そんなことはない。危なかった、サトリ妖怪なら即死だった。

 別に大したことでもないので「えへへ」と適当に受け流す。若干不思議そうに小首を傾けるレミリアであったが、すぐにため息を吐くと、

 

「もういっさいなんだから、あんまりむやみになかないようにね。おとうさまにもおかあさまにもめいわくがかかるから」

 

 と、言う。

 泣きまくった当人としては両親の苦労は重々承知しているつもりだ。

 慕っているレミリアのちょっとキツめの言葉にシュンとなりかけるものの、はたと気づく。

 これってもしかしてあれですか。お父さまにもお母さまにも迷惑がかかるから――この言い回し、つまりレミリアお姉さまは迷惑してなかったってことですよね。

 たしなめの言葉の中にさりげない気遣い。マジ天使。

 

「わかった。ありがと、ねーねー」

 

 我慢できず満面の笑みを浮かべてしまうのはしかたがないと言えよう。この体の表情筋はとても緩いのである。

 そんな俺の対応に時が止まったように数秒間呆けていたレミリアであったが、しばらくしてクスリと小さく笑った。

 そしてとても優しげな微笑みのまま俺の手を握り、口を開く。

 

「レーツェル、きょうはいっしょにねようか」

 

 え、いいんですか。ハスハス――コホン。それってちょっと匂いを嗅いだりとかしても不可抗力ですよね。

 勢いよく頷いてしまうのはしかたがないと思う。

 深く傾けたためか、その拍子で帽子が床に落ちるも、俺が手を伸ばすよりも先にレミリアが拾ってくれた。

 ポンと改めて俺の頭にかぶせると、「いくよ」と手を引いて歩き始める。

 今日はとてもいい日で終わりそうだった。


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