「私の存在が認識できなくなる……時を止めてる間は私に攻撃ができないということですか?」
「攻撃できないというか、存在そのものが消え去ってしまうのですよ。どこに誰がいたのか記憶に穴が開いたように忘れてしまい、なにをどうすればいいのかもわからなくなって……時を再起すると一気にすべてを思い出すのですが」
「それなら私が紅茶を淹れてきて欲しいって言ったとして、時を止めるとそのことも忘れてしまうのですか?」
「それは違いますわ。私がなにをしようとしていたのかはハッキリと覚えていました」
「ふぅむ、なるほど……」
――咲夜を紅魔館に迎えて数年が経ち、すでに彼女は完全に紅魔館に馴染んでいた。
最初の頃はいろいろと周囲の環境に警戒を抱いていたようだが、レミリアの見た目相応の子どものごとき所業やパチュリーの引きこもり具合、門番のくせに昼寝をしていたりする美鈴など。それらに影響されたのか、刺々しかった雰囲気も少しずつ柔らかくなっていった。淀んでいた瞳も、未だ冷たさは残すものの透き通った色になってきている。
煤けた黒色のローブは完全に焼却処理を施し、今は胸元に緑色のリボンがつけられた青と白を基調とするメイド服を身に纏っていた。荒く無造作に伸ばされていた銀髪も新しい環境で日々を過ごすうちにサラサラと綺麗なものへと変わり、髪型もボブにして、先端に緑のリボンをくくりつけた三つ編みをもみあげ付近で結っている。ヘッドドレスとしてホワイトブリムも装着し、清楚な立ち姿は完全に「できるメイド」だった。
自衛と侵入者迎撃の手段として銀のナイフを服のそこかしこに隠しており、その腕は十数メートル離れた狙った位置へ寸分違わず投げられるほどである。比例して料理もうまく、咲夜が来てからは人間の血を混ぜた料理や紅茶を多く食べるようになった。
時を操る能力もとても有用で、止めるだけでなく遅くしたり速くしたりと自由自在だ。「時を操れるなら空間も操れるんでしょ。書庫を大きくしてくれない?」とはパチュリーの言で、その力に目をつけたレミリアによって今は屋敷中の空間が拡大されている。
屋敷は外観からは想像できないほど広くなり、ただの書庫は大図書館へと変貌し、フランの部屋へ続く道は余計に複雑な迷路となった。
紅魔館は十六夜咲夜なしではなりたたない。今ではそれほどの存在だ。それらの事情や仕事の手際の良さもあり、すでに幼いながらにメイド長という地位についていた。
「遠くから私が咲夜のことを呼んだりしたら、時を止めて向かってくることはできるんですか?」
「できることはできますが、居場所を忘れてしまうのでかなり大雑把になってしまいますね。いっそのこと時を遅くして向かった方が効率がいいです」
「あれ、遅くしたり速くしたりした時は私がいなくならないんです?」
「時を止めた場合のみですよ。消えてしまうのは」
そして現在、俺は自分の部屋にて咲夜とコタツで向かい合っていた。たまには休んだらどうかと誘ったら断られたので、ならばと「これは私の能力を調べるための仕事」と押し切って連れて来た。
茶葉と水を入れておいた急須から湯のみへと注ぐ。この急須は俺が制作したマジックアイテムだ。なんの茶葉でも入れるだけで緑茶の茶葉となり、水を入れるとお湯になるというなんとも便利な機能を持っている。
お茶を咲夜にどうぞと渡し、自分の湯のみにもお茶を入れた。
「……これは? 紅茶ではないようですが」
「緑茶と言いまして、とある島国で流行ってる飲み物です。少々苦いですが心が落ち着きます」
俺が普通にズズズと飲んでいくのを見て、水面を見つめていた咲夜も意を決して口につけた。
「確かに……少し苦みがありますが、心が穏やかになるというか……落ち着きますね」
気に入っていただけたようでなによりである。口元の緩んだ咲夜を見て、やっぱり無理矢理にでも休ませてよかった。
もう一口飲んだところで湯のみを置き、腕を組んで思考を巡らせる。
「咲夜、一度時間を止めてもらってもいいですか?」
「はい」
「…………えっと、止めました?」
「返事をした時にはすでに」
気づけば俺の手元に会ったはずの湯のみが咲夜の湯のみの傍に置かれていた。
どうぞと手渡されるそれを微妙な気持ちで受け取り、中身がなくなっていないことに安堵して一口。
「もう一度いいですか?」
――ジジ。
「止めましたわ」
「なるほど、ありがとうございます」
なるほどと言っても、なに一つわかったことなんてないけれど。
正確な距離は定かではないが、咲夜が近くにいる状態でその能力を行使すると俺の頭にノイズが走る。彼女がメイドになってからは頻繁に聞こえてうるさいので、普段は俺自身の能力で"時が止められた結果として頭の中に響き渡る雑音"という事象を消去している。
最初はそのままの状態で時を止めてもらい、二度目は"能力同士が干渉し合うことで頭の中に響き渡る雑音"と条件を変えていた。
一度目は聞こえなかった。つまり、時が止まったことが要因で音が生まれていることは明白。しかし二度目はそのまま聞こえて来たので、能力同士が干渉し合って雑音が鳴っているわけではない。
「レーツェルお嬢さまは、自分の能力の使い方がわからないのですか?」
「物事の結果を、事象を消去するということ以外はなんとも……自分の中に問いかけても、無限に箱を開け続ける現象があるだけなので」
俺が咲夜の能力の影響を受けている……いや、咲夜が俺の能力の影響を受けている?
そういえば、とかなり昔に同じようなことがあったと思い出す。まだ今世の母と父が生きていた時代、フランが生まれていなかった頃。
俺には『運命を操る程度の能力』が通じていなかった。決めたはずの未来がどういうわけか覆され、コイン当てに失敗していた。
今回もまた似たような事態である。しかしノイズが聞こえたということは能力同士が干渉し合っているわけではなくて。
ややこしくて頭を掻いた。落ち着くためにお茶を飲もうとして、中身がなくなっていることに気づく。急須から注いで、ズズズとすすった。
「結果の消去……あぁ、なるほど。そういうことでしたか」
「え、咲夜わかったんですか?」
「はい、まぁ」
どう話したものか、という風に目の前の彼女が顎に手を添える。
「時を止めている状態で行動を起こした場合、当然ながら時を動かした瞬間にそれが結果として現れます。突き詰めれば結果だけを残す世界を作り出すことに他なりませんわ」
「えっと……つまり?」
「結果を消し去る力を持つお嬢様は、結果しかない世界では存在し得ない。私はそう推測します」
最初は首を捻っていたが、咲夜の言いたいことを咀嚼するように理解していく。
要するにある程度の『自動発動機能』があるということだ。俺自身が"結果のない存在"であり、その根底を覆すような事象に関しては意識しなくともその『自動発動機能』によって勝手に消去される。
"結果のない存在"であるがゆえに、レミリアの能力によって
結果しか残らない世界では"結果のない存在"である俺はいてはいけないから、一時的に世界から認識されなくなる。
「ノイズは『自動発動機能』によるもの……いえ、お姉さまの時には聞こえませんでしたし、一瞬にも満たない間と言えど、存在が消えた影響が音として私の頭に届いているということですか」
試しに"存在が消えた結果として生まれる雑音"の事象を消去してみる。咲夜に時を止めてもらってみたが、確かにノイズが聞こえない。どうやら正解のようだ。
「謎が解けたようでなによりです。これで命じられた仕事も終わりなら、私はこれで」
「いえいえまだですよ。あなたには私のリラックスタイムに付き合っていただくという仕事があります」
「リラックスタイムですか」
「そうです、リラックスタイムです」
立ち上がりかけた咲夜を強引に再度座らせ、空になっていた湯のみへ緑茶を注ぐ。
こうしてのんびりするのに飲み物だけ、というのもなんだか質素な感じだ。軽く食べられる果物かなにかがほしい。コタツにみかんはよく合うし、そのうち庭に種を植えるのも一興か。
「咲夜は、もう紅魔館に慣れましたか?」
「……正直に言ってもよろしいので?」
「遠慮はいりません」
緑茶に口をつけ、ゆっくりと湯のみを置いて咲夜が語り出す。
「慣れることには慣れましたわ。大して役に立たない妖精たちに代わっていろいろとやったり、昼寝なんてしてる門番を叱ったり、大図書館の知識人へ紅茶を差し入れに行ったり、二人のお嬢さまがたのわがままを聞いたり」
「わがままと来ましたか。迷惑をかけて申しわけありません」
「迷惑ではありませんよ。それに、仕事ですから」
「……まだ、私たちのことは信用していただけませんか」
もうこの際、飯が食べられるならどこでもいい。咲夜はメイドとして仕える立場になる時にそう言っていた。
じっと見つめる俺の瞳と、冷たい色を宿す彼女の目が合う。なにを考えているのか、どう思っているのか。
「そうですね。お嬢さまがたがどういう人柄なのかは十分に理解できましたし、信用はしていますよ。ですが……」
その表情と視線から、未だ淀みは完全には抜け切っていない。
続きの言葉は紡がれず、もう言うことはないとばかりに咲夜は緑茶に口をつけた。
「私は咲夜のこと、大切に思っていますよ」
「私と過ごした日々など、お嬢さまがたが生きた年月の一〇〇分の一にも満たないでしょうに」
「そんなことは関係ありません。人間は、長く生きた家族よりも数年しかともに過ごしていない恋人を優先したりもするんでしょう? 私は妖怪ですが」
「私がその恋人だと?」
「年月なんてさほど大きな意味はないと言っているのですよ。私は咲夜のことを大切に思っています。それだけでいいじゃないですか」
わずかに咲夜の目が見開かれるも、それはすぐに閉じられる。数秒後には変わらぬ憮然とした表情をたたえた彼女が、淡々と「ありがとうございます」と言ってくるだけだ。
咲夜の心には、こちらの言葉はまだ届かない。それでもいつかは彼女にも俺たちを信頼してほしいと思う。俺やレミリア、フラン、パチュリーや美鈴とも違う、『人間』である咲夜だからこそ。
「今度、二人で将棋でもして遊びましょうか」
「将棋……ですか」
「咲夜ならそういうの得意そうですからね。囲碁でも構いませんし、オセロなんて手もあります」
多人数でやるならトランプだってありだ。前世の知識が衰えないおかげで考えれば考えるだけ浮かんでくる。
今はまだ暗く淀みを残した瞳の咲夜にも、いつかは心から笑えるようになってほしい。それが五〇〇年に近い年月を無表情なまま過ごしてきた俺の願い事の一つだった。
□ □ □ Standpunkt verändert sich zu Remilia Scarlet □ □ □
「それで、あなたたちは私にその侵略活動を手伝ってほしいと?」
「昨今、妖怪の力の減少が著しいことは貴女も理解しているはずだ。神はその神威をなくし、妖精は姿を消し、神秘を信じなくなった人間が世の中を跋扈する……」
自分と同じ蝙蝠にも似た悪魔の翼を背に携える成人ほどの身長の男性が、赤い瞳を爛々と輝かせて告げる。
「幻想郷と呼ばれるその場所では、妖怪はその力を保ち続け、神は確かに存在し、妖精はそこかしこに溢れ返っていると聞く。かつての時代と同じ光景を備えた美しき場所だと聞き及んでいる」
「私たち吸血鬼はそのかつてを知らないはずなのだけれどね」
「貴女がたの武勇は我が住処にも届いている。特に、今から約四八〇年前に妖怪の大軍を相手にまったくの無傷で勝利を得たという"光翼の悪魔"のことは」
ピクリ、と己の眉が震えてしまう。
四八〇年前――脳裏によみがえるは、さらにその数年前の出来事。
母が死に、父とその眷属が死に、そして。
「だからこそ誘いに来たのだ。どうかね? 我らとともに幻想郷に攻め入り、吸血鬼の力を思い知らせてやろうとは思わないか?」
「……それで、私たちになにか利点が? まさかなんの見返りもなく参加しろと言うのではあるまいな」
「利点? 我々の力を思い知らせ、幻想郷とやらの頂点に立つ。それだけでは不満なのかね?」
あぁ、わかっていない。この男はわかっていない。そんなものが成功するはずがないだろう。
吸血鬼は最強種の妖怪だ。その力は頂点に迫る。しかし妖怪の中では歴史が浅い部類に入り、新参と目されている種族でもある。
知らないのだ、なにもかも。確かに強さは本物ではあるが、かつて存在していた真の妖怪とでも言うべき数多くの歴史を知らない。
だから負ける。だから勝てない。
「本当なら今回の件に貴女がたを誘うつもりはなかった。貴女のような見目麗しい女性を戦に巻き込むなどしたくないのだよ」
鳥肌が立った。思わず魔力で攻撃しそうになってしまったが、なんとか自重する。
「しかし"光翼の悪魔"の功績には目を見張るものがある。四八〇年前でそれならば、今は……そう考える同胞は多い」
「期待しているのは妹だけで、私なんておまけに過ぎないと?」
「そうではない。なにせ今感じている力の差でわかる。我の力では、貴女には敵わない」
膝をつき、頭を垂れてくる。たかが一〇にも満たない人間の背丈ほどしかない私を自分より上位の存在と認めたのだ。
「我々に貴女がたの力を貸していただきたい。"
「……ふぅん」
運命を弄っている。ただ一つのことを為すために、ありとあらゆる宿命を四九〇年前から今に至るまで。
ならばこの申し出も、私の能力により発生した偶然の賜物か。それともレーツェルがいたからこその必然の誘いか。
どちらにせよ、この選択が大きな分岐点であることは確実だ。引き受けるか否か。どちらが目的を果たすために必要なことなのか。
ただのうのうと変わらぬ日々を過ごすだけでは意味がないとわかったはずだ。他の誰かに救いを求めて受け入れても、彼女を縛る鎖を増やすだけだと理解したはずだ。
最早行動に移すしかない。たとえそれがどのようなものであろうと、彼女の運命を変えられる可能性があるのなら、変革を求めて突き進むしかないのだ。
「わかったわ。その話、引き受ける」
「本当か?」
「二度は言わない。後日、日程の連絡をお願い。それに合わせて幻想郷に攻め入れるように準備を整えておくわ」
「ありがたい。ご協力、感謝する」
「同胞の頼みだもの。無下にはできないわ」
なんて、よくもまぁ心にもない言葉を吐けるものだ。自分のことながらあきれてしまう。
さぁ、存分に利用させてもらうとしよう。
願わくばこの選択が、私の悲願が達成される運命へとつながりますように。
□ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □