美鈴が門番になったことにより、俺やレミリアの暇な時間が増加した。
レミリアが美鈴へ冗談交じりに「もうちょっと弱くてもいいのに」なんて言うくらいには暇していた。
紅魔館の門番の存在も知れ渡り、昼間はきちんと戦える者たちが集まるようになったと美鈴は嬉しそうに言っていた。逆に「昼が無理なら門番がいない夜に」と考える輩が増えたが、門番程度を避ける侵入者なんて俺やレミリアの相手になるわけがない。
門番の仕事を続けていた美鈴は自分に近づいてくる気配を感じ取る力を手に入れたらしく、この前は「ちょっと寝ちゃってたんですけど、ちゃんと気づけてよかったです」なんて胸を張っていた。そこは自慢するところじゃなくて寝てたことを反省するところだよ、と教えてあげた。
フランの特訓も順調に進んでいる。一五〇キログラムを超えた辺りからコツを掴んだのか、見る見るうちに上達して今では五〇キログラムの練習である。すでに人の手でも可能な領域だ。
美鈴が来てから紅魔館の雰囲気が良い方へと変わったため、レミリアはたまに新しく誰かを招き入れることを試案しているようだ。吸血鬼である自分たちと本気で親しくしようとする者なんて少ないため、候補が一人もいないのだが。
「『西暦一九四三年一〇月一三日。今日もなにもなく平和な日で終わった』、と」
暇潰しに始めた日記を書き留める。昨日の分を書き忘れただけで、今は一〇月一四日だ。
ペンを置き、やることもなくなったので自室を出た。東側の窓から空を見上げれば現時刻は夕方であることがわかった。
早く起き過ぎたかとも思ったが、どうせすぐに暗くなるからあまり変わらない。
「……美鈴でも呼びに行きましょうか」
俺も起きたし、今日くらい早めに終わらせてもいいだろう。
思い立ったが吉日、早速玄関へと足を進める。静かな屋敷内に俺の足音だけが響いていた。
すぐに玄関にたどり着き、ガチャッと扉を開けると。
「あ、おはようございます。レーツェルお嬢さま」
「美鈴?」
ちょうど彼女も館へ入ろうとしていたようで、その場で向き合うことになった。
まだ日は出ている。昼寝はしても途中で仕事を投げ出したりはしない性格のはずだけど……と考えているところで、美鈴の後ろに控えている少女の姿に気がついた。
「……私たちを退治しに来た、ってわけでもなさそうですね」
紫と薄紫が交互に縦の縞となっているふんわりとした衣の上に、それよりもほんの少しだけ濃い薄紫の服を羽織っている。ちらほらと赤や青のリボンが見受けられた。ドアキャップ染みた、こちらもふんわりな同色の帽子には三日月の飾りがついている。
身長は一五歳前後の少女と言ったところか。長い濃い目の紫色の髪は側頭部で一部リボンでまとめられている。瞳もまた紫色と、どこもかしこも違う色合いの"紫"と表現できるものばかりだった。
姿を現した俺を驚愕と疑惑が混じり合ったような目を向けてきている。吸血鬼と聞いて来てみたけれど自分よりも小さなその姿に拍子抜けした、みたいな反応だ。俺たちを退治しに来る人間や妖怪は皆揃って同じような顔をする。
「最初はいつもみたいにお嬢さまがたを退治しに来た輩なのかとも思ったんですが、どうにもそんな気はないみたいで。ただ、『ここの館の主に会わせて欲しい』なんて言われても私ではどうにも……」
「お姉さまはどうせいつも暇してますし、そんな暇潰しに打ってつけな話なら快く受け入れてくれると思いますよ。というか、美鈴に交渉しなくても夜に来ればここの吸血鬼には直接会えるんですけどね」
困った顔で事情を説明する美鈴にそう返事をして、俺の骨組みだけの翼を不思議そうに眺めていた少女の方に向き直る。
「ゆ、夕暮れに来たのは……門番を通さないと失礼だし、でも昼間だともっと失礼だから、門番がいて館の主が起きてくるくらいの時間がいいかな、と」
視線を向けられたことに動揺してか、どもりながら教えてくれる。聞いてないけど。
「私はレーツェル・スカーレット。ここの館の主の妹をやってます」
「聞いたことあります。確か、"光翼の悪魔"。ここらへんで一番怖い吸血鬼だと」
口にしてから、ハッとしたように目の前の少女が狼狽する。
本人を前によくそんなことが言えるなぁ、なんて思っていたら、どうやら墓穴を掘っていただけだったらしい。
「あ、あと、この館には主とあなた以外にもう一人だけ謎の吸血鬼がいる……いえ、そうではなくて。"
「別にいいですよ。それより、名前を教えてくれませんか?」
「パチュリー・ノーレッジと言います」
思いがけない名前に、内心でわずかに驚いた。
パチュリー・ノーレッジ。東方Projectでは紅魔館の知識人兼魔法使いとして登場し、『動かない大図書館』とまで言われる本の虫である。レミリアの良き友人であり、問題を解決する役割と同時に問題を起こす役割も担う喘息持ちの女の子だ。
ここ一七〇年は何事もなく平和な日々が続き過ぎていたから原作のことをすっかり忘れていた。
「なるほど、パチュリーさんですね。じゃあついてきてください。とりあえずお姉さまが起きてくるまで一緒に紅茶でも飲んでましょう」
「私が淹れましょうか?」
「美鈴はもう休んでていいですよ。今日はちょっとばかりの早めのお仕事終了ということで」
「えっ、いいんですか? ありがとうございます!」
美鈴が笑顔でお礼を言って去った後、催促するとパチュリーが恐る恐ると言った感じに館に足を踏み入れた。
この紅魔館には侵入者がたくさん来るにしても、こうして客人が訪れることは一度もなかった。
なんだか、どこか新鮮だ。そんな気持ちを抱きつつ、彼女を連れて館の中を歩き出す。
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「へえ、私を訪ねて来たって?」
日は沈み、テラスで丸机を前に座って向き合うレミリアとパチュリー。その間で紅茶をズズズと啜るのが俺である。
俺とレミリアは吸血鬼なので紅茶の中に人間の血を混ぜているが、パチュリーのそれは普通の紅茶だ。
「パチュリー・ノーレッジと言います。人間ではなく、生まれは魔法使いです」
「レミリア・スカーレット、吸血鬼だよ」
緊張しているのか、パチュリーの動きが少しばかり固い。
パチュリーが紅茶を口に含んだのを確認して、レミリアが「それで」と切り出す。
「わざわざ夜の始まりに私のもとに来るなんていい度胸してるじゃない。この地で畏れ崇められる夜の帝王、吸血鬼である私に一体どんな用があるの?」
さすがに初対面だからか、若干高圧的にしかけている。
紅茶を飲んでいたり相手が戦いに来たわけではなかったりということもあり、日常モードが地味に見え隠れしているが。
「この館には数多くの魔導書があると聞きました」
「あー、確かにあるねぇ。元々置いてあるのもそうだけど、たまに退治しに来る身のほど知らずな人間とかが持ってるんだ」
「それをどうか読ませていただきたいのです」
「へえ。そんな用事なら当然手ぶらじゃないんだろうね。なにが対価なんだい?」
頭を下げるパチュリーに、肘をついてレミリアが問いかける。その際についでとばかりに魔力を垂れ流していて、この場に目には見えない重圧がかかった。
パチュリーは魔法使いであるが故に魔力には敏感なのだろう。ぶるりと全身を震わせて、しかしすぐにかぶりを振るとレミリアに向き直る。
「……私は自分の知識量には自信があります。ですからまず、あなたがたの質問に対する私の知識を以ての可能な限りの返答を。数は無制限です。それから、私の生のすべてである二〇年をかけた魔法の研究成果を渡します」
ニヤリ、とレミリアは口の端を吊り上げた。
「ふーん。じゃあ早速答えてもらおうか。どうして月は満ち欠けをするんだ?」
「月の光は太陽の光を映し出したものだからです。私たちがいる星は太陽の周りを回り、月は私たちの星の周りを回っています。ですから日を追うごとに月が日の光を受ける角度が変わり、満ち欠けが発生するのです」
本当に答えが返ってくるとは思っていなかったらしく、レミリアが瞠目する。
「……え? 私たちは日光を浴びてたの?」
人間だった頃の記憶で俺も知っていることだ。この場で満ち欠けの原理を知らなかったのはレミリアだけということになる。
そう考えると驚く彼女がおかしく感じられて、そんな感情がバレないように紅茶を一口飲んだ。
というか、注目すべきは質問の方ではない。
カップを丸机に置いて、「パチュリーさん」と今度は俺が問う。
「二〇年の研究成果……聞く限りではあなたの魔法使いとして培った全部が集約されたものみたいですけど、本当にそれを対価にしてもいいんですか? 魔法使いにとって研究成果とは自らの苦労の結晶であり、なによりも大切にしなければいけない秘密の知恵であるはずです」
俺自身が魔法を使う者であるからこそ聞いておきたかった。
「構いません。どうせこれから何十何百と生きる中で、二〇年の成果など小さなものですから。それに、この館に保管されている魔導書には私の知識のすべてを捧ぐだけの価値があると思っています」
そこまで迷いなく言われたらなにも言い返せないし、言い返そうとも思わなくなる。
なるほど、と口を噤んでレミリアへと顔を向けた。
視線が合って、しかしなにも話さないままにじーっと見つめてくるので居心地悪く首を傾げてみると、なぜかくすりと笑われた。
「そうね。レーツェルはあなたに見せてもいいと思ってるみたいだし、その条件で構わないわ。そもそもこの館の本を読んでいるのは私じゃなくてレーツェルでもあるしね」
「ありがとうございます。妹さまも、お礼を申し上げます」
「どういたしまして、ですね」
とは言え対価である研究成果を受け取る気は毛頭ない。それが彼女のすべてであるというのならなおさらだ。レミリアだってパチュリーが対価を提示した際に質問の方に逸れた手前、そこまで魔法には興味がないのは明白である。
もう一つの対価である知識の限りの返答についても、俺は未来の知恵が魂に刻まれているし、魔法も四〇〇年以上習ってきた身だから聞くことがほとんどない。せいぜいがレミリアが知識欲を満たすために、これまでわからなかったことや不思議だったことの問いかけが散発的に行われる程度だと思う。
……あんまり対価が意味を為していないが、最初から対価なんていらないとも思っていたので気にしないことにした。
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パラパラと本をめくる紫色の少女の姿を、ここ数か月は見かけ続けている。
たくさんの本を保管した――図書館とまでは言えないまでも、書斎と呼ぶには数が多い。そんな書庫で、二人の吸血鬼と一人の魔法使いがイスに腰かけている。
「あなた、いつまでこの館にいるつもりなの?」
「もうちょっと……」
「それ先日も聞いたわ」
「前回は"あと少し"と言ったわよ」
「変わらないじゃない」
パチュリーはこうして未だ帰る気配を一切見せず、この場にある本を読み漁り続けていた。
いろいろと質問を繰り返していたためか、最初の一か月でレミリアとパチュリーはタメ口で話し合えるくらいには仲良くなった。その後の一ヶ月で俺も同様に軽口を交わせるほどに交流を深め、こうして三人で暇を潰している。
紅茶を飲んで、俺もとりあえず滞在日数について一言申しておく。
「パチュリーは家の人が心配したりとかしないのですか? いつまでもこんな夜にしか活動しない種族のところにいたら生活習慣が狂いますよ」
「本を読むのに昼も夜も関係ないわ。それに、自宅なら人間どもに焼かれちゃってとっくにないから。父は物心ついた時からいないし、母は魔女狩りで亡くなったわよ」
とんでもないことをなんでもない流れで言ってくれる。思いも寄らぬ返事に言葉が詰まり、小さくため息を吐いて再び紅茶を口に含んだ。
カチカチと時計の針、パラパラと本のページをめくる。それぞれの音だけが部屋を支配する。
机に肘をついて考え込んでいたようだったレミリアが、不意に提案をした。
「じゃあパチュリー、私の家に住んでみない? あなたの知識は役に立つし、なによりあなた自身が面白いわ」
顔を上げたパチュリーがレミリアに呆れの視線を送る。
「さっきまで帰れって言ってたのに」
「いつまでいるのって聞いただけよ。で、どうなの? 私は構わないし、レーツェルと美鈴はあなたのことを気に入ってるようだけど」
パチュリーの手元から紙の音がなくなり、この場に響くものが針が時を刻む音だけになった。
彼女は、目を閉じて考え込む姿勢を取った。しばらくと言うほどでもなく、数秒もすれば答えを決めたようで瞼を開いて姿勢を正す。
レミリアに向き直ると、小さく頭を下げた。
「ぜひお願いするわ。館の主、レミリア・スカーレットさま。どうか私をここに住まわせてほしい」
「素直でよろしい。歓迎するわ、パチュリー・ノーレッジ」
吸血鬼を恐れずに知識欲を満たすために単身紅魔館へやって来た少女が、晴れて新しき紅魔の住人となった。
彼女が「やっと気兼ねなく本を読める」と呟いた時には「気兼ねしてたの?」と姉妹揃って思ったものだが、閑話休題。
こうして静かに、また一つの歴史が収束した。