東方帽子屋   作:納豆チーズV

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四.大地を踊る虹色の龍

 日は完全に沈み、天では星々を黄金の輝きを宿す三日月が治めていた。

 場所は森の中。俺とレミリアは助けを求めて来た妖怪に案内され、この地に乗り込んできたという異国の妖怪のもとへと足を進めている。

 

「レーツェル、本当に一人にしてきてよかったの?」

「お姉さまは心配しすぎなんです。私たちの妹ですよ? 留守番くらいちゃんとしてくれますよ」

 

 この場にフランは連れて来ていなかった。不確定要素が多い外では、いつなにが原因で彼女が刺激されるかわからない。感情が高まると少なからず狂気が顔を出すし、そうなれば『破壊』をまき散らす大惨事になりかねないのだ。

 もっとも、フランが地下室を出ようとすること自体が基本的にないのだが。

 

「それよりお姉さまはもっと気を引き締めてください。遠足気分の小学生みたいな顔をしてないで」

「よく意味がわからなかったけど、なんとなくバカにされてるのはわかったわ」

 

 いつかのごとくレミリアが額にデコピンを繰り出してくる。ヒリヒリと、やっぱり地味に痛かった。

 俺がフランではなくレミリアについて来たことには、もちろん理由がある。言ってしまえば、異国の侵略者云々が今俺たちを案内している妖怪の罠である可能性が捨て切れないからだ。

 今は吸血鬼の力が完全に発揮できる夜中なれど、道筋はすべて目の前の妖怪が決めているものだ。この辺りの妖怪は全面的に俺たちと対立した結果として敗北し、契約を結んだ。よって吸血鬼の力も身を持って知っているのだ。だからこそ、それらすべてを踏まえた上での罠が仕掛けられている可能性を警戒している。

 レミリアに話せば、心配しすぎだと笑われてしまうだろう。しかし、俺があの日に立てた誓いの一つは『二度と大切なモノを失わない』ことなのだ。一度嫌な想像が膨らんでしまった時点で、ついていかないという選択肢は存在しない。

 それに、留守中にフランを狙われることも考えて、地下室へ向かうまでの道に大量の魔法トラップも仕掛けておいた。影による拘束魔法やら高熱光線を放つ魔法やら。フラン本人のもとへたどり着けたとしても、彼女には吸血鬼の潜在能力に加えて『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』なんて反則級の力も備えている。準備は万端、抜かりはない。

 

「つきました。ここです」

 

 そう言って、俺たちを案内していた妖怪が道を譲るように横へ退く。ろくに警戒することもなく歩き出したレミリアに、いつでも能力を発動できる状態にしながら、遅れないようについていく。

 そこは、広場とも言うべき森の一角の開かれた場所であった。空を遮っていた枝をすべて取り払い、天の明かりを完全に受け入れている。

 その中心で多くの妖怪が集まってざわめいていたのだが、俺たちが来たことに気づくとゾロゾロと勝手に左右へ移動し始めた。自然と一本の通り道が生まれ、姉と二人して騒動の原因と向き合うことになる。

 どうやら罠ではなさそうだ。

 

「えーっと、あんたがたがこの辺を治めてる妖怪なのー? ……って、子ども?」

 

 そこにいたのは、人間換算で十代後半ほどの身長を持つ女性だ。チャイナドレスのような、よく見ればそうでもないような淡い緑色を主体としたおかしな服と帽子を身につけ、赤めの髪をストレートに、側頭部は編み上げて垂らしている。

 青みがかった灰色の瞳は、妖怪の群れを分けて現れた俺たちに明らかな困惑を映していた。まぁ、見た目は子どもだけど中身は二五〇歳児くらいだよ。

 

「失礼なやつね。私たちは夜の帝王、この地を治める吸血鬼だ。侵略しに来たんだって? ずいぶんと舐めた真似をしてくれるじゃないか」

 

 ふんぞり返り、高圧的な視線と口調になるレミリア。

 やる時はやる子とは我が姉のことだ。外面を気にしなきゃいけなかったり自分を見下してくる相手がいたりする時は、こうして彼女は『夜の帝王』となる。外見が外見だからあんまり怖くないけど。

 レミリアのセリフに更に困惑を深めた様子である相手の女性妖怪は、「勘違い! 勘違いなのよ!」とブンブンと首を横に振る。

 

「ちょっと体を動かしたい気分になって、手合わせしてもらおうとちょうどよさそうなのに勝負を申し込んだのよ。そうしたらなんだかたくさん集まって来て、どんどん勝負を挑まれて……果てに侵略やらなんやら言われちゃってるってだけで」

「そんなことはどうでもいいわ。お前が騒ぎの中心であることは変わりないんだから」

 

 バッサリである。がくり、と女性妖怪が肩を落とす。

 

「うーん……見逃したりはしてくれないかなぁ」

「……この吸血鬼を前にしても、その余裕は崩さないんだねぇ」

「だって完全に子どもだからなぁ。それに、これは余裕じゃなくて諦めというものよ」

 

 そうして偉そうに胸を張る彼女から、どことなくアホっぽい雰囲気が感じ取れた。どうリアクションを返したらいいものか。

 微妙な気持ちで唸る俺をよそに、レミリアは「そうねぇ」と面白そうに笑みを深める。

 

「私との一騎打ちで、一回でも地面に手をつかせたら見逃してあげてもいいよ」

「さすがにそれは私を舐めすぎじゃ……いくらあなたがここらの妖怪を全部従えるくらい強くても、武術を身につけた私を相手に――」

「黙りなさい、人の(すべ)に頼らねば生きていけぬくせに。そんな程度の力しか持たない妖怪に、この私が地に肌をつけるわけがないわ」

 

 傲慢とも取れるそんな言葉も、同時に放たれた膨大な魔力の波に飲まれれば、本気でそう思っているのだと嫌でも感じ取れてしまう。

 ピリピリと空気が痺れていた。周囲の妖怪が震えているのがわかる。対峙する女性妖怪も、ビクリと一瞬肩が跳ねた。

 ……あぁ。レミリア、子どもって言われたのちょっと根に持ってるな。

 

「ハッタリじゃない、か……わかった! その勝負、受けて立つ!」

 

 それでも怯えるでもなく、むしろビシィと逆に指さえ向けてくる女性妖怪。レミリアが初めて「ほう」と感嘆の息を吐いた。

 ザッ、と互いに一歩を踏み出す。

 

「いい度胸ね。お前、名前は?」

紅美鈴(ホンメイリン)よ。そういうあなたは?」

「レミリア・スカーレット。この地を治める誇り高き貴族よ」

 

 二人が名乗りを上げ合う。一目見た瞬間からほぼ確信していたけれど、やはり相手は美鈴か。

 俺を置いてけぼりに話が進むものだから、やっぱりついてこなくてもよかったかなぁ、なんて思う。

 とりあえず巻き込まれるのは嫌なので戦闘の被害が来なさそうな位置までススッと下がった。

 

「武術っていうのは地上での戦闘を前提に作られてるんだっけ? ハンデをやるわ。私は空を飛ばない」

「凄い自信だなぁ」

「自信じゃないわ、確信よ。お前は自分の土俵であろうとも決して吸血鬼には敵わない」

 

 見る限りでは、美鈴は妖怪としての格はそこまで高くはなさそうだった。しかしレミリアを前に取った構えは素人目から見てもずいぶんと洗練されたもので、一瞬美鈴そのものが凶器なのではないかと錯覚してしまうほどだ。

 人間よりも強き肉体で人間が生み出した武術を人間以上に長く続けた妖怪。妖怪としての格だけではその強さは測れないということなのかもしれない。

 それでもまともに戦ったならレミリアが負けるとは到底思えないけれど、地上戦に限定した上に、手を地につかないなんてハンデ。さすがに少し厳しいか。

 

「……お姉さま、がんばってください」

「ふふっ、ありがとう」

 

 大丈夫か。なにせレミリアだ。俺は妹として姉を信じて応援していればいい。

 広場をピリピリとした緊張が支配する。数瞬、数秒、十数秒。レミリアは余裕を映した表情ながらも、その目ではしっかりと相手の動きに注視していた。ハンデをやると言っても舐めているわけではない。

 先に動いたのは美鈴の方だった。レミリアに自分から動く気がないとわかったのだろう。

 ダンッ――と彼女の足元の地面が抉れる。一瞬にしてレミリアの眼前まで迫り、右の拳を引き絞る。周囲の妖怪には消えたように見えただろうほどの速度での移動だった。

 それでも吸血鬼の動体視力ならば捉えることができる。レミリアは繰り出された拳を左手で受け止めた。その衝撃は彼女を通して大地まで伝わり、近くに生えていた草が散り飛んでしまうほど。

 

「ハッ――」

 

 即座にレミリアの反撃。お返しとばかりに右手で握り拳を作り、吸血鬼の力が凝縮された一撃を放つ。

 美鈴は左の足先を中心に体を右に半回転させ、半身になって紙一重で避けて――そこから更に流れるように肘打ちを打ち出した。流れるような動作であったが、ギリギリでレミリアも反応する。バッ、と即座にその場を飛び退いた。

 ――それとほぼ同時に美鈴もレミリアに追随して迫り、両腕を腰だめに構える。

 まるで舞を踊っているかのようで、その実すべての動作に無駄がない突き詰められた効率性。これが人間の技術を極限まで鍛え上げた妖怪の、自分の土俵での全力というわけだ。

 美鈴の両手による掌底打ちは容赦なくレミリアを襲う。レミリアは咄嗟に両腕をクロスしていたおかげでダメージは最小限で済んだようだが、ザザーッと十数メートルほど地を擦って打撃の衝撃が収まったところで、自らの前腕を見下ろして目を見開く。

 

「……これは」

 

 骨が折れたか、青色に腫れていた。その再生能力を以てすれば数秒で回復してしまう程度の些細な傷ではあるが、吸血鬼に先手を取り、さらには怪我を負わせたという事実が驚愕に値するのだ。

 美鈴から感じ取れる妖怪の格で為せる領域を超えている。

 追撃もしかけず、「今度はそちらからかかってこい」とでも言いたげに構えている美鈴に顔を向けると、レミリアは大きく口の端を吊り上げた。

 

「あまり調子に乗らないようにね、紅美鈴!」

 

 名前を叫んだ――レミリアが己に傷をつけた美鈴という妖怪の強さを認めた。

 さきほど相手の見せた洗練されたごとき踏み込みではなく、吸血鬼の身体能力に任せた乱暴な飛び込み。それでも美鈴以上の速さを発揮し、すでにレミリアは彼女の近くで右腕を振りかぶっていた。

 ただの殴り込みではない。五つの凝縮された魔力弾が腕を囲うように設置されている。そのまま拳を繰り出せるのならよし、最初みたいに紙一重で避けようものなら魔力弾が直後に襲いかかる。そういう二段構え。

 美鈴が瞬時に左腕を引き絞るような体勢を取ると、しかしそれに敵の視線が向くと同時、右の膝でレミリアの顎を蹴り上げた。殴りつける攻撃が中断され、しかしすぐに攻撃した直後の隙を狙って五つの魔力球が美鈴に迫る。

 それを、今ブラフに使った左腕で対処した。虹色のオーラが宿ったかと思えば、ヒュッと静かに打たれた七色の掌底が赤色の魔力球のすべてを打ち消す。

 その虹は人が使う霊力ではなく、妖怪の使う妖力でもなく、魔法に必要な魔力でもなく、神が保有する神力でもない。すべての生命に宿る力、気力――美鈴の『気を使う程度の能力』によるものだ。

 レミリアの攻撃を完璧な対処法で防いだ。しかし、

 

「ぐぅ……!」

 

 その時から美鈴の動きが鈍り始めた。

 魔力弾を混ぜるレミリアに対し、虹の気力を組み合わせた武術で戦う彼女。けれどもよく見れば、レミリアの魔力弾に対処するたびに、それを受けた箇所に青黒い痣が生まれている。

 武術と気の力を以てしてもなお、吸血鬼の膨大な魔力の塊は殺し切れないということだ。逆に、レミリアの方は幾度も攻撃をもらってはいても、大して効いていないし即座に再生してしまう。

 すでに勝敗は決した。たとえどれだけ磨き上げられた武術と能力を持っていても、吸血鬼という存在には彼女の格ではどうしても届き得ない。

 数分もすれば美鈴が膝をつき、それを見下ろす形でレミリアが右手の平に作った魔力球を向けていた。呆気ないというよりも、むしろよくここまで持ちこたえたと褒める場面だ。体の使い方と攻撃を当てた回数では美鈴が完全に上を行っていた。

 というか、彼女はレミリアの攻めをすべて受け流したり相殺したりと、一度もまともに受けていない。それなのに敗北したというのだから吸血鬼は手が負えない。吸血鬼の俺が言うことじゃないけど。

 

「……参りました。煮るなり焼くなり、どうぞ好きにしてください」

 

 なんて、潔く両手を上げて降参の意を示す美鈴。武人だけあって、勝敗に関しての観念はしっかりしているらしい。

 レミリアは作っていた魔力球をすべて消すと、ニヤリと笑って「じゃあ」と切り出す。

 

「お前、私の館で門番をなさい。食事は毎日朝昼晩と三食提供してあげるわ」

「えっ?」

 

 いきなりの提案に美鈴がパチパチと目を瞬かせるのも無理はない。俺だってちょっと驚いた。

 

「お前の武術は大したものだわ。このまま腐らせるのはもったいない。だから私が保護してあげる。どう? いいアイデアでしょう?」

 

 要するに「お前のことが気に入った。うちに欲しいから来い」。

 

「……ちなみに、断ったら」

「もっとボコボコにして同じ質問をするわ」

 

 とんでもない外道である。俺の姉とは信じられない。いや、これがレミリアクオリティというやつか。

 俺にできないことを平然とやってのける。そこに痺れる……憧れはしない。

 あはは、と美鈴が乾いた笑いを上げる。レミリアが本気で言っているのがわかったようだ。最初から選択肢は一つしかない。やれやれとでも言う風に首を振って、「わかりました」と頭を垂れた。

 

「この日より、私はレミリアお嬢さまのもとで……えーっと」

「紅魔館よ」

「紅魔館の門番として従事させていただきます。どうかこれからよろしくお願いいたします」

「ふふっ。よろしくね、美鈴」

 

 何事もなく終わったようでなによりである。俺がいることも特に影響を為さず、無事に美鈴も紅魔館の門番として雇われることになったようだ。

 美鈴を連れて「どう? どう?」と胸を張って歩いてくるレミリアを眺めながら、心の中で苦笑を漏らす。

 さすがレミリアだよ。吸血鬼の力に任せて暴れただけだったけど。

 こうして、歴史は無事に収束した。


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