後日談その八。どう考えても気まずくなる予感しかしないお茶会を開催する魔法使いのお話。
□ □ □ Standpunkt verändert sich zu Patchouli Knowledge □ □ □
「パチェっ。明後日、ここでお茶会をしませんか?」
紅魔館。
いつものように大図書館に引きこもって魔導書を読み込んでいると、一人の少女がやってきて、いきなりそんなことを言い出した。
金と銀が入り乱れる不思議で綺麗な髪を持った、一〇歳にも満たない程度の背丈の美しい少女。爛々と輝く紅色の瞳は多くの他者を威圧し、恐怖させ、そして魅了する。
吸血鬼、レーツェル・スカーレット。私が居候しているこの館の主人のレミリアことレミィの一つ下の妹、三姉妹の次女に当たる存在だ。
「また唐突ね、レーテ。そもそもお茶会なんて毎日とは言わないまでも、毎週くらいはしていると思うけれど」
長女のレミィがイベント好きなこともあって、一週間に一回くらいの頻度で小さなお茶会を開いている。
常連のメンバーは開催者のレミィはもちろん、今私の前で目を輝かせているレーテ、彼女たち姉妹の末っ子のフランドールこと妹さま、給仕役のメイド長の咲夜、そして私。
私は別にレミィほど騒ぎが好きなわけでもないのだが、私の住処にも等しい大図書館で開催する以上、半ば強制参加のようなものだ。
いつもは一人で静かに本を読んでいるような生活をしているのが私ではあるが……まあ、ああいう時間も案外悪くはないとは思っている。
「ダメ、ですか?」
明確な回答を避けて会話を引き伸ばしたからか、途端にレーテがしょんぼりとし始める。
かつては表情の変化がまったくと言っていいほどなかったレーテだが、今は違う。時には笑い、時には泣き、時には不満そうに口を尖らせたり。
最初こそ内心かなり戸惑っていた記憶があるが、レーテが自分の感情を表に出し始めたのは、もう数年前もの話になる。
それだけ経てば、さすがにもう慣れたというものだ。
今更こんな落ち込んだ姿を見せられても別に心は動かない。冷静に平静に、飄々とした態度で受け流すことができる。
……そう、受け流すことができる、けれど。
まあ、そうね。
「ダメじゃないわ。どうしてそんなことを言い出したか気になっただけだから、そんながっかりしたような顔しないの」
できる、ということは、しなくてもいいということ。
敢えて真正面から受け止める。たまにはそれくらいしてあげてもいいだろう。
レーテはその私の返答を聞くと、ぱぁっ、と花が咲くような笑顔を浮かべた。
「本当ですかっ? ありがとうございます、パチェ!」
「……ふふ。ええ。まあ、他でもないレーテのお願いだもの。しかたないわ。それで、まだその発想に至った経緯を聞いていないけど」
私がそう言うと、レーテは上機嫌に事情を話し始めた。
「実はですね、この前こいしと散歩をしていたら猫の集会みたいなものに出くわしまして。すぐ逃げられちゃったんですけど……その時思ったんです。私たちも少しくらいは同族同士で仲良くするべきじゃないかって」
「あなたたち三姉妹はこれでもかっていうくらい仲が良いと記憶しているけど?」
もうほんとこれでもかってくらい。特にレーテはレミィとも妹さまとも、どちらとも凄まじく仲が良い。
あなたの姉妹はどんな人ですか? というような質問はこの三姉妹には禁句だ。
一度語り出したら本当に止まらない。文字通り日が暮れるまで、過去のエピソードと一緒に姉や妹を褒め称え続ける。
「あ、違います。吸血鬼のことじゃなくてですね、私やパチェのような存在のことです」
「私とレーテ? どういうこと?」
「ふっふっふ、つまりですね……私やパチェのような、魔法使いだけの秘密のお茶会を開こうと言うことです!」
……。
「ごめんなさい、やっぱりそのお茶会参加できないわ。急用でその日出かけるから」
「えぇっ!?」
当然である。
至極当然なのだが、レーテは「がーん」なんて擬音が聞こえてきそうなくらい、凄まじく凹んでいた。
「ど、どうしてですかパチェ! どうして急にそんな……!」
「なんでって……レーテならわかっているでしょう? あなたと私の共通の知り合いで、幻想郷に住む魔法使いは三人。一人は妹さまだからいいとしても……あとの二人、特に顔をよく見る方は私とは致命的に合わないもの。性格っていうか性質が」
「それって、魔理沙のことですよね……」
「ええ。あいつと一緒にお茶会だなんて、とても和やかな空気になれる気がしないわ」
「うぅ……そんな……」
がくり、とレーテが膝をつく。
ほんの少し申しわけない気もするけれど、背に腹は代えられない。本当に私と魔理沙は合わないのだから。
話は終わりだ。そんな風に魔導書に手を伸ばそうとしたところで、もう片方の手の袖をくいっと引かれた。
「……本当に……本当にダメですか……?」
「ぅ……」
うるうると瞳を潤ませて、懇願するような上目遣いで。
ともすれば、わざとらしくも見えるかもしれない。
だが、私は知っている。レーテは自分の感情が表情に出ることを抑えるのが致命的に下手なのだ。
ずっと無表情だったから。それが普通だったから。だから、表情をうまくコントロールできない。
つまりこの懸命に縋り付いてくる今のレーテの様子は、彼女の心の状態を写し取った、まさしくありのままの姿であるということ。
――う、動かない……べ、別に心は動かない。
そう、もう慣れた。これくらいなんてことはない……。
今の私なら冷静に、平静に、飄々とした態度で受け流すことができる。
……そう。できる、けれど。
できるということは、その、しなくても別にいいということでもあって。
だから、えぇっと、うん。
「……まったく……しかたがないわねレーテは。本当にしかたがない……他でもないレーテの頼みだもの。しかたがないから、そのお茶会、参加してあげるわ」
「え、い、いいんですかっ?」
「レーテの頼みだから、よ。別にあいつと馴れ合うつもりはないわ。あっちもどうせそのつもりはないでしょうし……それでもいいなら」
机に置いていた飲みかけの紅茶を口に運びながら、私はそう答えて。
「パチェ……! ありがとうございます! 私だから……えへへ。パチェのそういうところ、大好きですっ!」
「――ごふっ! えほっ、けほけほっ……!」
「ぱ、パチェ!? 大丈夫ですかっ? もしかして喘息ですかっ!?」
「ち、ちが……けほっ。ぜ、喘息ってそんな、ことあるごとに出てくるものじゃないから。レーテが急に変なこと言うからよ……」
別に照れてなんていない。
断じて照れてなんていないが……もし「大好き」なんて言われたとレミィや妹さまに知られたら絶対に面倒なことになるので、このことは私の胸の中だけにしまっておこう。
「――で、早速この奇妙なお茶会が始まったわけなのだが」
あれから二日後。
大図書館に集まった五人の魔法使いの一人、魔理沙が、ものすごく微妙な表情で私を含む全員の顔を見回した。
「お前らよく参加することにしたな。レーツェルのやつから話聞いた時は絶対ろくに集まらんだろって思ってたぞ」
「ろくに集まらないって思ってたのに参加したの? 変わってるわね」
と、魔理沙をそれとなくそしったのは人形の魔法使い、アリス・マーガトロイド。
魔理沙は鼻で笑うようにアリスを横目で見る。
「ろくに集まらないって思ってたから参加したんだよ。タダで甘味を食えるわけだからな。そういうお前はなんで来たんだよ、アリス」
「別に大した理由はない。あなたやそこの引きこもりになんて用も興味もないわ。誘ってきた相手が他でもないレーツェルだったから……あと、場所が図書館だったから。有益な魔導書でも転がっていないかと思ってね」
「……一応言っておくけど、一冊だって上げるつもりはないわよ。部外者、ましてや魔法使いの同族になんか」
わかっているだろうが一応私が釘を刺すと、アリスはこれみよがしに肩をすくめた。
「ケチね」
「な。ケチだよな」
「……レーテ。別の部屋で本でも読んでていい? やっぱりこいつらとはウマが合わないわ」
「ま、待ってくださいパチェ……まだ始まったばかりですから」
立ち上がりかけた私を、レーテがおろおろと押しとどめる。
一応、レーテに免じて腰を下ろすが……次また同じようなことがあったら断固として出ていこう、と心の中で決意を固めた。
「あ、このクッキーおいしい」
近くで起きてる小争いなんぞ知らん。そう言わんばかりにお茶会開始と同時に菓子に手を伸ばしていた妹さまが、ぽつりと呟く。
それが合図であったかのように私と魔理沙、アリスはそれぞれの顔を見合わせて、同時に小さなため息をついた。
「あー……とりあえずなんでこんな奇妙なお茶会に参加することにしたかでも一人一人話していくか?」
魔理沙の提案に、反対の意見は出ない。
出ないというか、私を含む大半が意見を考える気もないという方が正しいだろうけれど。
「私はさっきも言ったが甘味目当てだ。お前らが来ないでレーツェルとフランだけが寂しくいるところに救世主のように現れて颯爽と甘味をかっさらうのが目的だったぜ」
それは救世主よりも、こそ泥の方が遥かに表現として合っている。
「次、アリスだ」
「私? さっき言ったと思うけど、一番はレーツェルの頼みだったからよ」
「お前ってそんなにレーツェルと関わりあったか?」
「そこそこね。たまに研究の材料集めを手伝ってもらったりしてる。お返しがあんまりできてないから、こういう頼みは断れないのよ」
アリスはしかたがなさそうに肩をすくめて。だけど断れないなんてきつい言い方をする割に、案外満更でもなさそうだ。
「ふーん。次は、あー、パチュリーにでもしとくか」
「……レーテの頼みだからよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「なんだ、お前ら理由がお揃いだな」
「「は?」」
私とアリスの声が完全にハモる。そしてどちらも「お前殺されたいの?」って感じの威圧が込められている。
さしもの魔理沙も気圧されたように「じょ、冗談だ」と大人しく引き下がった。
「ふふん、お姉さまの頼みを断る人妖なんているわけないでしょ? だってお姉さまだもん」
ここまでずっと興味なさそうにお菓子をつついていた妹さまが、ぐてーっと上半身を机に投げ出しながら言う。
「もしも仮に断ってお姉さまを悲しませるようなやつがいたら、私が地の果てまででも追いかけて地面に顔面埋めさせてやるわ」
「それ、断らないっていうか断れないだな」
「ふ、フラン。そんなことしなくてもいいですからね……? そんな無理して頼みを聞いてもらってもその人に悪いだけですし……」
「えー。私はお姉さまのためを思ってやろうとしてたのにー」
「うっ……その、で、でも……」
「お姉さまが抱きしめてくれたらやめるわ」
「え……は、はい。わ、わかりました。えっと……こ、これで……いいですか?」
レーテが妹さまの冗談交じりの要望に本気で答えて、隣に座る妹さまに、ぎゅっと抱きつく。
小恥ずかしそうに頬を赤らめているレーテは、むしろ見ているこっちが恥ずかしくなりそうだ。
妹さまはそんなレーテに満面の笑みを浮かべると、「まだダメ。もっと」と催促をし始める。
「……なんかこいつら、以前にも増して距離が近くなってるような気がするなぁ」
一歩引いたような声音で、魔理沙が呟く。
いつもこんな感じのような気もするけれど……。
「でも……確かに、少しレーテの反応が変わってきたようにも思うわね」
「変わってきた? って?」
疑問の声を上げたのはアリスだ。魔理沙も同じ気持ちのようで、視線で続きを促してくる。
こいつらにわざわざ教えてやるのは癪だったけれど、これは一応お茶会だ。本当に一応だが。少しくらいは会話を楽しむ努力もしてみよう。
「昔はなんてことないみたいに妹さまの頭を撫でたりとか抱きしめたりとかやってたけど、最近のレーテはそれなりに恥ずかしそうって話。ちょうど今みたいに」
「それ、表情が出るようになったからじゃないのか? ほら、例の異変で」
「違う違う。これでも私はレーテと一〇〇年くらい付き合ってきた仲なのよ。表情なんてなくたって、ある程度の感情を読み取るくらいはできたわ。昔のレーテには本当に照れなんてなかった。妹のおねだりを聞くのは姉として当然、みたいにね」
「あぁ、まあ、そういう感じは確かにあったな」
「ふぅん。ま、羞恥心でも覚え始めたんじゃないの? 見た目的にはそういう年齢でしょうし。そろそろ妹離れの時期なんじゃないかしら」
真っ先に疑問の声を上げた割に興味なさそうなアリスのてきとーな発言に、私と魔理沙は同時に口を開いた。
「それはないわ」
「それはないな」
言葉のタイミングもトーンも完全に一致した。
かぶせるんじゃないわよ、という風に魔理沙の方を睨むと、あちらも同じような目でこちらを見てきていた。
「……レーテが姉離れや妹離れなんてするはずない。そもそもとして、私たちは妖怪。妖怪の精神は滅多なことでは成長しないの。それはあなたもわかっているばずでしょう、アリス・マーガトロイド」
「大体見た目通りの肉体年齢ではないけど、大体見た目通りの精神年齢だものね。妖怪って」
「なあ、私は妖怪じゃないんだが」
「平気で妖怪退治してるようなやつなんて妖怪みたいなもんでしょ」
と言ったのはアリス。これまたてきとーな発言だが、こればかりは私もてきとーに同意しておく。
魔法使いなんてものは、その多くが自分の研究や魔法以外にはほとんど興味を示さない閉鎖的な生き物だ。
魔理沙は職業が魔法使いなだけのただの人間だが、私やアリスは違う。私たちは種族そのものが本物の魔法使い。
私はレミィやレーテたちと普段から交流があるからまだマシな方だとは思っているけれど、アリスは自分の魔法以外本当に興味がない生粋の魔法オタクと言った感じだ。お茶会の当初から今に至るまで、思いついたことを雑に口に出している感じがありありと出ている。
……レーテにだけは少し甘い気がするが。
まあ、そもそもレーテが甘すぎるせいで調子を狂わされてしまうんだろう。気持ちはよくわかる。
「ま、でも、他に考えられる可能性があるとしたら……」
アリスはそこで区切ると、なぜかそのまま閉口した。
「あるとしたら、なんだよ」
痺れを切らした魔理沙が詰め寄ると、アリスは小さなため息をつく。
「……もしかしたら、ウェスターマーク効果がうまく働いてないのかも、って思っただけ」
「うぇすた………? なんだそれ」
「悪いけど、こういう無遠慮な勘繰りは本当はあんまり好きじゃないの。魔理沙ならともかく、レーツェルが相手なら特にね。気になるなら自分で調べて」
ウェスターマーク効果……この図書館の書物の半分以上は読破している私にもわからない。
魔理沙は見るからに不満そうだったが、今のアリスはどんなに文句を言ったところで取り合わないと感じたからか、聞き出すことは早々に諦めたようだ。
ここで一旦沈黙が訪れ、私はふと視線を感じて、レーテの方を一瞥した。
レーテは妹さまに構いながらも、なんだかものすごく気まずそうに、それでいて小恥ずかしそうにこちらをちらちらと見てきていた。
よくよく考えてみれば、本人がそばにいる時に話すことでもなかった気もする。
「とりあえず次はフランだな」
「私? なにが?」
突然名前を呼ばれて、妹さまが目をぱちくりとさせた。
「なんでこのお茶会もどきに参加したかって話だよ。まあわかりきってるが」
私もアリスも魔理沙も、誰もが同じ答えを予想をしていた。そしてその予想は的中していたようだ。
「そんなのお姉さまがいるからに決まってるじゃない。あとさっきも言ったけど、参加してこなかったやつを後で地面に顔面埋めとくためにね」
「あれ本気だったのかよ……」
「当たり前でしょ? 残念ながら喜ばしいことに欠席者はいなかったけどね」
……参加辞退しなくてよかったわ。
妹さまはやると言ったらやる。相手が私でもレミィでも容赦なしだ。いやむしろレミィが相手なら嬉々としてやろうとする。
ただしレーテにだけは砂糖菓子のように甘い。レーテに対してだけは、罰として今夜は一緒に寝ることとかそんな感じだ。
「最後はレーツェルだが……お前はいいか」
「え。な、なんでですかっ?」
「いやお前私を誘う時にもう話してただろ。猫の集会見たからこの奇妙なお茶会もどきをやりたくなったって。全員聞いてるんじゃないか、それ」
まあ、確かに聞いた。
アリスも同じようで、口を挟むことはしない。いやアリスなら仮に聞いてなくても興味ないからと口出しなんてしなさそうだけれど。
「せ、せっかく良さそうな理由を他にも考えてたのに……魔法使い同士共同で新しい魔法を開発するための会議とか、そんな感じの……」
「またレーテが変なこと言い出したわね……」
「このメンバーで仲良く開発なんてできるわけないだろ?」
「嫌よ。めんどくさい」
「お姉さまと二人きりがいい」
この一体感のなさ。いっそ清々しいくらいであろう。
レーテはしょんぼりと項垂れると、その落ち込んだ気分をなぐさめるように菓子に手を伸ばした。
さきほど妹さまも食べていたクッキーを口にして、するとレーテの顔が、ふにゃあ、と、だらしなく緩む。
つい数秒前の悲しみなんて一瞬で吹っ飛んでしまったような、それほどの幸福感を感じているだろうことを見ているだけ理解できる。
……レーテって、なんか……幻想郷に来てから徐々に子どもらしくなってきている気がするというか……アホっぽさが増してきてる感じがするわね……最近は特に。
「…………殴った相手をお菓子にできる魔法とか開発してみましょうか……名づけてお菓子パンチ……絶対強い……」
「……」
……アホっぽさが増してるというか、間違いなくアホになってきてるわね、これ。
――そんなこんなで何度か険悪な空気になったりすることもあったが、お茶会自体は滞りなく最後まで行われた。
仲が深まったとは口が裂けても言えないし、もう一度やりたいと言われても正直断りたい気持ちでいっぱいだが……とりあえず、一つだけ収穫はあったように思う。
……この私が知らなくて、アリスは知ってる言葉があるだなんて、ちょっと面白くない。
知識量だけは他のどんな魔法使いにも負けない自負がある。だからもっとたくさん本を読んで、もっとたくさんの知識を蓄えなければ。
もちろん、アリスが口にしていたウェスターマーク効果とやらも、いつか必ず暴いてやるつもりだ。
□ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □