東方帽子屋   作:納豆チーズV

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後日談その五。その四と前後半構成となっています。まだ四を読んでいない方はそちらをどうぞ。
異変解決後に『元さとりを地上に連れて行こう計画』参加者たちが焼き芋をつくるお話。途中で異変について振り返ります。


五.笑顔を生み出す感覚質

 ――何十分か前まではぱちぱちと音を鳴らしていた焚き火は今は鳴りを潜め、赤色の残滓だけを映している。

 恥ずかしながら霊夢と一緒にやるまで、俺は焼き芋というものは、燃え盛る焚き火の中に直接芋を突っ込んでやるものだと勘違いしていた。もちろんそれは間違いで、直火に当たらないようにしたり、熾火という赤く熱した炭火に芋を入れて、一時間近く待つことで初めて完成するらしい。

 いつもなにげなく過ごしているぶんには一時間なんてすぐに過ぎ去ってしまうものだけれど、こうしてそれが経つのを待っていると、何倍にも長く感じられた。

 

「そろそろですか?」

 

 どこかそわそわとしたさとりから催促される。そんな彼女の後ろからは、ひょこっとこいしが顔を出していた。

 意外なことに、さとりだけでなく、こいしも焼き芋はやったことがなかったという。というのも、そもそも地上に出ても誰にも存在を気づかれなかったから、誰かと焼き芋を食べたりすることはなかったとか。

 それにそもそも、こいしの気まぐれな性格的に、一人で一時間も焼き芋が出来上がるのを大人しく待っていられるとは思えないことにも気がついた。待っているうちに他のことに気が向いてどこかへ行ってしまい、そのまま焼き芋のことなんて忘れていてしまいそうだ。

 今回は俺やさとりと適当に談笑しながら待っていたので、その限りではない。いつも以上に目を輝かせたこいしが期待を込めて、さとりとともに俺の返事を待っている。

 熾火に入れていた焼き芋の様子を確かめてみる。幻想郷にはまともに時間を計れる時計がないし、俺自身も焼き芋なんて数えるくらいしかやったことがないので、正直、様子を見てもよくわからないが……。

 焼き芋を刺していた鉄の串を一本抜き取り、ほんの少しだけ芋をちぎってみる。いかにも美味しそうな黄金色の中身から、白い湯気がもくもくと上がり始めた。

 すんすんと鼻を鳴らすと、そのいい匂いに、思わず頬が緩んでしまう。

 皮を取って、ほんの少しだけ食べてみる。甘い、秋らしい感触が舌を刺激した。

 

「もう大丈夫だと思います」

「で、では、もうこれを手に取っても大丈夫なのね?」

 

 さとりの声が若干震えていた。もしかしたら、この中で一番待ち遠しく感じていたのは彼女だったのかもしれない。

 さとりは、いつもの態度と反して、意外と子どもっぽいところもあるし。待っている最中も、そわそわと同じところをぐるぐると歩き回ったりしていたし。

 いつもなら子どもっぽいとか考えるとジト目で見つめられたり、恥ずかしがられたりするのだが、今のさとりの目は、その両目だけでなく三つ目の瞳までまっすぐに鉄の串に刺さった焼き芋に向いているため、俺の心の声はまったく聞こえていないようだった。

 

「はい。だいじょ――あ、ちょっと待ってください。私は平気でしたけど、もしかしたら」

「えへへ、お姉ちゃんお先ーっ!」

「あ、こいしっ!」

 

 こいしはさとりを押しのけて熾火の中から鉄の串を抜き取ると、その先端付近についている焼き芋に皮ごとかぶりついた。

 止めようと手を伸ばすものの時すでに遅し。彼女は芋を噛みちぎり口の中に含んでは、その直後に目を見開いて「ふぁ、ふぁふいっ!」と暴れ始めた。

 

「や、やっぱりっ! あ、こいしっ、そっちは行っちゃだめです! 芋を踏んづけちゃいます!」

「ふぁ、ふぁふいよぉっ! れーしぇるぅー!」

「あ、ちょ、だからってこっち突っ込んでこないでくだ、わっ!?」

 

 口に入れた芋の熱さに耐え切れなかったらしいこいしが、がばっと俺に突っ込んでくる。どうにか彼女を受け止めようと試みるのだが、突然のことだったので体勢を崩し、ごんっ、とこいしと頭が激突した。

 一瞬、視界が真っ白に染まった。次の瞬間には、地面に体を打ちつけたような衝撃が背中を襲って、次にその逆側から人一人ぶんくらいの重さが俺にのしかかってくる。

 吸血鬼だけあって耐久力も、回復力も相当ある。

 すぐに意識を取り戻し、どうやらこいしに押し倒されるような形で地面に倒れ込んでしまったことを理解した。

 

「こいし……大丈夫ですか?」

「な、なんとか平気ー……レーツェルと頭ぶつけた時に芋も飲み込んじゃったし……」

 

 こいしの顔はすぐ横にあって、その弱々しい声も耳元で聞こえた。ほんの少しだけくすぐったくて、身を捩る。

 

「と、とりあえずどいてもらえますか? その、こいしに先に立ち上がってもらわないと私も立てないですから」

 

 実際にはこいしを押しのけることができるが、それをするとこいしの服を土で汚してしまう。彼女に先に俺の上からどいてもらうことが一番だ。

 そう思って待っていたのだが、どうにも、こいしが起き上がろうとする気配がない。

 

「……どうかしたんですか?」

「わ、私の……私の芋が、私の焼き芋がー……」

「芋? あっ……」

 

 首を捻って、どうにかこいしの視線の先にあるものを俺も追った。その先には一本の鉄の串とそれに刺さった一つの芋、すなわちこいしの持っていた焼き芋が地面に落ちている。

 中身まで土まみれになってしまっているようだった。皮を剥いて、汚れた部分だけを取ってしまえばまだ食べられないこともないだろうが……かなり食べられる部分が減ってしまうことは確かだろう。

 ちなみに俺の焼き芋はしっかりと右手にキープしているというか、頭が真っ白になった中でも無意識に串を強く握りしめていたおかげで、芋にも土はまったくついていないようだった。

 なんだろう、俺ってこんなに食い意地張ってたっけ……。

 少しだけ微妙な気持ちになりつつも、とにかく、それよりも今は全身から力を抜いてしょぼんと落ち込んでいるこいしをどうにかしないといけない。

 

「だ、大丈夫ですよ。一人二つずつってことで六つやってるじゃないですか」

「でも、私の食べるぶんがー」

「それなら私の焼き芋を分けてあげますから。私のこの焼き芋を半分こにすれば、私とこいしの食べる量は同じです」

「……いいの?」

「この前は私が助けてもらいましたから。この程度でそのお礼、なんて言うわけではないですけど、こいしが喜んでくれるならいくらでも分けてあげますよ」

「ほんとっ? わーいっ、ありがとうレーチェルっ!」

「レーツェ、わっ!」

 

 俺が呼び方を訂正するよりも先に、こいしがぎゅうっと強く抱きしめてくる。その際にこいしの髪が俺の耳をくすぐり、匂いが鼻腔を刺激して、さきほどよりも強く身を捩った。

 こいしは嬉しそうに俺に抱きついたまま、どうにも離れてくれない。

 そんな折、ひょいっと彼女の首根っこをつまんでどかしてくれたのは、どこか不機嫌そうに頬を膨らませたさとりだった。

 

「ちょっとこいし、レーツェルが困ってるでしょう? 嬉しがるのもいいけど、さっさどかないとレーツェルが立てないじゃない。服だって汚れちゃうし」

「なにお姉ちゃん。嫉妬? 嫉妬なの?」

「ち、違います!」

「もしかして図星だった? あははー、お姉ちゃんサトリ妖怪のくせに私みたいなのに心読まれて悔しくないの? いっつも妹に弱みを握られたりしてて惨めじゃないのー? 情けないお姉ちゃんを持って私は鼻が高いなぁ、あはは」

「こ、この妹は本当に……」

 

 こいしのこの無駄な煽りスキルは、フランの影響に違いない。フランもよくレミリアをこうしてからかっているし、こいしは無意識にそんな彼女から影響を受けていたのだろう。

 ぷるぷると拳を握りしめるさとりを、素早く体を起こした俺がどうにかなだめた。こいしは直感で行動してるだけでそこまで悪気があるわけではないのだ。たぶん……。

 さとりはしばらくして「はぁ」と小さくため息を吐くと、熾火の中から自分のぶんの焼き芋を取り出した。

 

「まぁいいわ。こいしにまともに構ってたら日が暮れちゃうし……これ、もう食べても大丈夫なのよね」

「大丈夫ですけど、まだちょっと熱いと思いますよ。私はそういうのに疎いので平気でしたが、こいしはあの様子でしたから」

「そうね……こうやって、あと少しだけ待った方がいいかもしれないわね。こいしみたいにはなりたくないもの」

「なにげにお姉ちゃん私のことまだ根に持ってない? 別にいいけどねー」

 

 こいしがじーっと俺の持っている焼き芋に視線を注いでいたが、「まだダメです」と彼女から芋を遠ざけた。俺は平気だが、今のままこれをこいしにもう一度食べられるとさっきの二の舞いになってしまう。さとりと同様、こっちも少し冷めるまで待つべきだ。

 こいしは少しだけ不満そうに口をとがらせていたが、ふいとなにかを思いついたかのように顔を上げた。

 

「なんだか、餌を前にお預けされてるペットみたいな気分だねぇ」

「ペット、ですか。そうなるとこいしは猫でしょうね。いっつもふらふらいろんなところ出歩いてますし」

「にゃーにゃー」

「鳴き声でごまかしながら近づいてきたって、焼き芋はまだ上げませんよ」

「ちぇー」

 

 俺とこいしがそんな会話をしていると、さとりが「猫のペット……」と考え込むように呟いては、俺とこいしを交互に見た。

 

「そういえばレーツェルとこいしは、この前、お燐のお願いでお空の暴走を止めるために奮闘したとか……」

「あ、そういえばまださとりには話してませんでしたっけ……」

 

 お燐にお願いされて、それを解決してからさとりに会うのは、これが初めてだった。

 なにせお空を落ちつかせてからまだ一週間も経っていない。こいしを探したり、一緒に神さまをとっちめに行ったり、霊夢のもとにその神さま二人を連れて行ったり、紫に彼女たちが地底へ降りることの許可をもらいに行ったり、いろいろと忙しくて顔を合わせられなかった。

 しばらくは事後処理についても追われていたが、それが落ちついてきた中、こいしが唐突に「焼き芋しようよ!」と言い出したものだから、こうして地上で久しぶりにさとりと会うことになったのだ。

 

「そうですね。どうせですから、焼き芋がさとりとこいしが食べられるくらいになるまで、その話でもしましょうか」

「ふふんっ、私の武勇伝を聞いて恐れおののくがよいわー!」

「こいしが妙にムカつくけど、よろしくお願いするわ、レーツェル」

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 こいしとともに神さまをとっちめ、霊夢と引き合わせた上で、紫の監視下のもとで地底へ送り込む。結論から言えば、今回の異変は俺が立てたその計画通りにほとんどことが進んだ。

 こいしが一緒にいたにしても、それぞれ天地を司る二人の神さまとのスペルカード戦は熾烈を極めたというか、激しすぎたせいで天狗たちに吸血鬼が妖怪の山に入り込んでいることがバレそうにもなってしまった。こいしの無意識を操る能力を使った全力のサポートのかいあって、八坂神奈子と洩矢諏訪子の二人と戦っていたのが吸血鬼だとはなんとか露見せずに済んだが、どちらかというと勝敗よりもそちらの方が危なかった印象がある。

 とにかく、彼女たちが幻想郷に来てから日が浅いことや、俺が幻想郷に来る前より弾幕戦の練習をしていたこともあって、俺とこいしは二人の神さまを相手にどうにか勝利をおさめることができた。

 そしてそのスペルカード戦を行う上で、俺たちは互いに相手に自分の要求を飲ませる賭けをしていた。俺は神奈子と諏訪子の二人がお空の暴走を止めることに今すぐ全力を尽くしてもらうこと、霊夢とともに解決に向かってもらうこと。逆にあの二人は、俺の五〇〇年間培ってきた魔導の力を、これからお空に与えた力を利用して作ろうとしている、核融合エネルギーを取り出すことを可能とする『河童のエネルギー産業革命』という計画に尽くすことを望んできた。

 お空に力を与えた存在がその二人であることを思い出せた俺でも、その目的までは実は思い出せていなかった。まさか、地底奥深くにいる地獄鴉に八咫烏の力を与えた目的が産業革命だなんてわかるわけがない。二人としてはこれからの幻想郷のことを考えて実行しようとしたとのことだが、霊夢とかに相談してからやれというものである。というか、霊夢と引き合わせたら、実際に霊夢がそうやって怒った。

 紫の方は比較的簡単に見つけることができた、というより、彼女の方からやってきたので手間が省けたりした。いわく、強大な力を持つ神さまと吸血鬼がやり合っていたら嫌でも目に入ってしまいます、とのこと。どこにでも一瞬で移動できる境界の力を使って、俺と二人の神さまが賭けをする場面を見ていたようだ。

 地底への不可侵は妖怪同士の条約、とは紫の言。初めて俺が地底に入る時も、人間になりすますのならば大丈夫と言われた。人間だけでなく神もまた、妖怪ではない。

 紫の許可をもらったということで、かくして霊夢と神奈子には、地上を侵略しようとしているお空の暴走という異変を止めるために地底へ潜ってもらった。もう一柱の諏訪子は神奈子とじゃんけんをして勝った後、神奈子だけでも十分でしょ、と悔しがる神奈子の前でふんぞり返っては実際に行きはしなかったが、紫とともに地上からのサポートには徹してくれた。

 

「さとりのところには霊夢とその神さまが向かいましたよね? 事前にそのことを伝えるのを忘れてましたけど……大丈夫でしたか?」

「えぇ、まぁ。霊夢さんしか来ませんでしたけどね。霊夢さんによると私と会う直前でいなくなったようですが、お燐によれば、私と戦った後に灼熱地獄跡へ向かった時には一緒にいたそうですから、神さまの方は、私と会っていた間だけ姿を眩ましていたみたいです。よほど心を読む力を持つ私と顔を合わせたくなかったんでしょうね」

「え、霊夢だけ……? むぐぐ、今度またとっちめてしっかりさとりに謝らせに行かないといけないかもしれな……って、あれ? さとりは霊夢と戦ったんですか?」

「ええ。お空がそんなことするわけない、と少しばかり意地になってしまって。でも、霊夢さんの心の中にレーツェルの姿が見えた時、油断して負けてしまいました」

 

 道中でいろいろと悶着もあったようだが、とにかく、最終的には霊夢と神奈子によってきちんとお空の増長は諌められたらしい。

 ……いや、正しくは霊夢の奮闘によって、かもしない。

 実のところ、神奈子が手を貸そうとしたところ「一人で十分」と霊夢が出張って、神奈子はいざという時に備えて待機していたのに、霊夢が本当に一人でお空を倒してしまったとか。

 正史とは違うのだから霊夢でも敗北してしまうかもしれない、なんて俺の心配は完全に杞憂だったようで、もともと霊夢一人でもなんの問題もなかったらしい。

 そんなこんなで俺が立てた計画はほぼすべて思い通りにことが進んでくれた。お空は霊夢にみっちり懲らしめられたおかげで以前までのお燐の知っていた頃の性格を取り戻し、さとりもことの真相を知ってしまった後でもお空に処分を下すようなことはなかった。こいしやお燐が懇願していたこともあるが、もともとさとり自身そんなことをするつもりなんて欠片もなかったことが一番大きい。

 ただ、思い通りに行ったのはあくまでほぼすべて。俺の予想外の出来事も少なからず、小さいことだけれどいくつか起こった。

 まず、こいしを見つけるのにしばらく時間がかかってしまって、お空の力で灼熱地獄の熱が異様に高まりすぎたせいで地上に間欠泉が湧いて出てしまったこと。しかもお空を諌めても彼女の力を取り上げたことができたわけでもないので、絶賛継続中だった。

 次に、地上と地底の不可侵の条約が絶対というほどのものではなくなったこと。

 元々、不可侵の条約というものは、地底の妖怪が侵略してくることを恐れた地上の妖怪が結んだものだった。しかし今回の異変を通して、博麗の巫女こと幻想郷の代表博麗霊夢は、地底の妖怪が地上の侵略なんてまったく考えておらず、現状の生活に十分満足していることを知った。これからは、地上の存在も比較的自由に地底を行き来することができる。代わりに、地底の妖怪もちょくちょく地上に顔を見せるようにもなったけれど、そんなのはそれより前にこいしがいるのだから今更だ。

 

「――そういうわけで、お空を諌めた後は地上も平和を取り戻しました。私ももう、人間化魔法とか鬼化魔法とか使わなくても地底に行けるようになったので、今回の件は少し助かりましたね」

「なるほど……レーツェル。今回は私のペットがいろいろと迷惑をかけてしまったようで、申しわけありません」

「いえいえ、私が好きでやったことですから。あ……でも」

「でも?」

「その代わりというわけではないですけど……さとりに内緒でいたことで、どうかお燐を叱らないでやってほしいんです。お燐は、お空のことを……自分の親友のことを本当に大切に思って、私に助けを求めただけなんですから」

 

 結局はさとりに知られることになってしまったというか、そもそもさとりに知られずに解決するなんて無理があったことだった。

 俺の懇願に、さとりはぱちぱちと目を瞬かせる。そしてそのすぐ後に、くすり、と口元を緩めた。

 

「ええ。大丈夫よ。私は怒ってなんかないわ。まぁ、これからはもっと私を信頼してほしいって、ちょっと不満に思いはしたけれど」

「あはは……そうですね。私も、さとりなら大丈夫だってお燐に言いはしたんですけどね」

「どうせなら、お燐に相談した後に内緒で私のところに来てもよかったんじゃないかしら。レーツェルはどうせ私にお空を処分させる気なんて欠片もなかったんでしょう?」

「お燐をできるだけ安心させたまま異変を終わらせたかったんです。他のペットに見つからずにさとりに会うなんて無理ですし、仮にそのことが言伝でお燐に伝わってしまったら、お燐は不安に思うでしょうから」

「……今回の件は、レーツェルは本当にお燐のことを考えて真剣に取り組んだんですね」

「そう、でしょうか」

 

 会話をしたのは相談を受けたあの時が初めてだった。だけどそれまでの間に猫の姿の彼女とふれあうことが多々あって、だからこそ彼女が俺を信じ、頼ってくれた。

 だとするなら全力で応えたいと俺は感じた。そして見栄を張って。

 今回は、それを本当にすることができた。

 今の俺は、少しは憧れに近づけているのだろうか。

 あいかわらず自分のことはよくわからない。でも。

 ――ありがとね。

 異変が終わった後、お燐はわざわざ紅魔館の俺のところに訪ねてきては、本当に気持ちのいい微笑みを浮かべてくれた。

 かつて生まれた意味を見失い、帽子屋なんてバカげたことをして、未だ迷い続けているような俺が、お燐のあの気持ちのいい笑顔を作ることができたというのなら。

 ほんの少しだけ、俺は今の自分にも自信が持てるような気がした。しっかり前を向いて、今よりもっと先へと足を踏み出そうと思える気がした。

 

「って、そういえばさっきからこいしが全然会話に入ってきませんけど、いったいどこに……って」

 

 熾火の方に目を向けてみると、すでにこいしは落としたものとは違う二つ目の焼き芋を口に含んで、もぐもぐと頬を動かしていた。

 俺とさとりの視線が向いていることに気がついた彼女は「もうふぁへへふふぉー」と俺たちを手招きする。語感からして、「もう食べれるよー」と言っているらしい。あいかわらず彼女はマイペースだ。

 呆れたようにさとりと一緒にため息を吐く。だけどその後すぐに、俺たちの視線は自然とこいしの食べている芋に向かった。

 

「……私たちも食べましょうか、レーツェル」

「そうですね。あ、こいしー、早くこっちに来ないとこの焼き芋全部私が食べちゃいますよー」

 

 そんな風に呼びかけてみると、彼女は慌てて小走りで近寄ってきた。「分けてくれる約束ーっ!」と頬を膨らませているのだが、それは芋が口の中にあるせいなのか、それともぷんぷんと憤慨しているせいなのか。

 どっちなんだろう、とさとりと顔を見合わせて。でもこうして視線が合っている時点で互いにどっちも正解なんてわかっていない。

 なんとなく、さとりと一緒になって笑い合った。

 

「ほら、こいし。半分ちぎってもいいですよ」

「わーいっ。あ、どうせならあーんってしてよ! 実は昔からちょっとやってみたかったんだよねー」

「な……こいしっ! それくらい自分で食べれるでしょ! レーツェルに無理言わないの!」

「うるさいなぁ、もう。そんなに言うならお姉ちゃんもレーツェルに頼めばいいじゃん。レーツェルの心を奪うって決めたくせに未だにそんなんだから全然進展してないんだよ」

「そ、それは……」

「それに、レーチェルだって別に迷惑じゃないよね?」

「迷惑ではないですけど、私はレーツェルです。あと、さとりと喧嘩するならやりませんよ。ちゃんと仲直りはしてください」

 

 今日のこいしの煽りスキルは絶好調。いい加減さとりをからかうことをこいしにやめさせないと、さとりが可哀想だ。こいしも悪気があるわけではないんだろうし、そろそろきちんと仲直りしてもらいたい。

 こいしは素直にお願いを聞いてもらえなかったことを少しだけ面食らったようにぱちぱちと目を瞬かせた後、どこか不服そうにさとりへ視線を向けた。

 

「むぐぅ……ほら、お姉ちゃんも早くレーツェルにおねだりしてよ! そうすれば万事解決だってレーチェルも言ってるよ!」

 

 どうしてそうなるんだろう。っていうかそんなこと欠片も言ってない。

 さとりがそう否定してくれると思っていたのだが、どうにもさとりの様子がおかしかった。なにかにこらえるように拳を強く握りしめて、顔を真っ赤に染め上げている。

 彼女は、まるでなんらかの意を決したように、俺の目の前に立ってまっすぐに見つめてきた。

 

「そ、その……レーツェル。私も、その、こいしと同じでしてもらったことがなくて……お願い、できますか?」

「あ……えっ、と……」

 

 予想外のセリフに面食らった。まさか、こいしの言うことを真に受けたのか? こいしの心が読めなくても、さとりならさっきのこいしのセリフが冗談だってわかるだろうに。

 そんな風に戸惑っている俺の思考が彼女には見えているはずなのに、どういうわけか、自分の発言を撤回しようとはしない。

 これが示すことは、つまりは一つだろう。

 こいしと同じように、本気でしてもらいたいと思っているからだ。誰かに食べさせてもらうことをしてもらいたい。

 

「ふふ、わかりました。さとりも意外と子どもっぽいところがありますからね」

 

 俺だってレミリアにならしてもらいたいと感じるし、フランもたまに俺にねだってくる。こいしはいつもふらふらしているから、きっとさとりもそういう仲のいい親子だとか姉妹みたいなことに憧れていたに違いない。

 

「……あれ、なにか勘違いされてるような……」

「大丈夫ですよ。全部わかってます。親友ですからね。さとりと違って人の心が読めなくても、私はさとりが相手ならシンパシーのように感じ取ることができるのです」

「いえ、全然わかってもらえていないように思うのですが」

「そんなことないです。ほら、口を開けてください。ちゃんと食べさせてあげますから」

「は、はい。まぁ、食べさせてはもらいますけど……なんでしょう。なんだか納得いかない……」

「先は長いねぇ、お姉ちゃん」

 

 こいしが珍しく、さとりを労るような笑みを浮かべていることが印象的だった。

 ――つい先日までは少し忙しくはあったが、異変が集結した今では、幻想郷も地底もすっかり平和を取り戻していた。

 お燐とお空が元の関係に戻ったり、地上と地底が和解したり、こうして、さとりやこいしと焼き芋をしたり。

 俺がいることで原作より多少ずれたり、あるいは、これから俺が知らなかった方へと大きく傾いてしまうこともあるかもしれない。

 だけど俺はもう前世に戻ることもできないし、その記憶もいずれ忘れ去ってしまう。だとしたら俺にできることはもうせいぜい、その時その時に自分にできることを精一杯考えて、全力でそれを実行することだけ。

 失敗してしまうこともあるかもしれない。思うように行かないこともあるかもしれない。だけど失敗を恐れて逃げていたら、俺はいつまでも強くなることができないだろう。

 それに、今回はいろんな人たちの力を借りて、どうにかお燐を笑顔にしてあげることができたんだ。

 少しずつでいい。少しずつ、俺も俺自身の存在を認めて、自信を持って生きていこう。

 まだ弱くても。もし失敗するようなことがあっても。挫折してしまいそうなことがあっても。

 その時はきっと俺が起こしたあの異変の時のように、レミリアやフラン、さとりやこいし、いろんな人たちが俺を支えてくれる。

 だとすればきっと、どんなに怖かろうと逃げる必要はない。

 後ろから見守ってくれる人がいるというのなら、支えてくれる人がいるのなら、俺は何度でも恐怖に立ち向かって、強くなろうと頑張り続けよう。

 そうして今回のお燐みたいに、いろんな人間や妖怪を笑顔にしていくんだ。

 かつて一人の女の子に救われた赤ん坊がいたように。

 かつて未来から目を背けていた泣き虫な少女が、少女を慕ってくれた多くの人たちのおかげで心を救われたように。

 いつか、咲夜は自分がどう生きたいかは自分自身がいつでも決めることができると言っていた。

 だとしたら俺は人間を、妖怪を、いろんな人を笑顔にして生きていきたい。誰かと笑い合いながら前に進んでいきたい。かつて泣き虫な少女が救われた時のような、かけがえのないクオリアを、少しでも誰かに分けていきたい。

 それが今の俺が望む、この世界でのレーツェル・スカーレットとしての生き方だった。

 

「――――ねぇ、レーツェル」

 

 もうすっかり日も暮れて、さとりとこいしが地底へ帰るのを見送る途中。

 こいしが俺のすぐ隣に寄ってきては、声を潜めて俺に話しかけてきていた。

 レーツェル。珍しく俺を正しい名前で呼んできたものだから、目をぱちぱちとして彼女を見つめてしまう。

 

「どうかしましたか?」

「レーツェルは、あのレプリカって悪魔のことが好きなんだよね」

「レミリアです。別に、お姉さまだけじゃありませんよ。フランもさとりも、こいしのことも好きです」

「あはは、私が言ってるのはそういう意味じゃないよ。もしも私の思ってる意味でレーツェルがそういうこと言ってるんだったら、レーツェルは三流女たらしみたいになっちゃうわ」

「お、女たらしって……」

 

 他人に親愛の意を示すのはともかく、確かに、なんでもかんでも気軽に好きだとかなんだとか言うのは節操がなかったかもしれない。そういう言葉は本来、ここぞという場面で言ってこそ威力を発揮するようなもののはずだ。

 これからはもうちょっと意識して控えめにしていった方がいいだろうか。別に今のままでも余計な勘違いをされることはなさそうだが、なんというか、こう、必殺技的な感じで「好き」って言った方がなんかかっこよさそうだ。

 ……いや、うん。自分で考えておいてなんだけど、かっこよさそうってなにを基準に思ったんだろう。こんなんだから「レーテはたまに変なことを真面目にやろうとする」とか言われるのかもしれない。

 ふと、ちらり、とこいしがさとりの方を確認していた。さとりは近くを飛んでいた蝶を微笑ましそうに眺めていて、こちらに注意は向かっていない。

 

「まぁでも、そんな変態ストーカー三流女たらしさんのことを好きになっちゃってるお姉ちゃんとか……私とかも、アレなんだけどねぇ」

「……なんか今めちゃくちゃ不本意な呼び名が聞こえた気がしたんですけど」

「あははー、気のせい気のせいー」

 

 小声だったからよく聞こえなかったが、絶対気のせいじゃない。捕まえて問い詰めようとこいしの腕を掴もうとするが、それよりも先に彼女はさとりの方へ逃げて行ってしまった。

 

「わぁー! お姉ちゃん! 私、変態さんに襲われちゃうよー!」

「あ、ちょっと! こいしっ、蝶が逃げちゃったじゃない!」

「え、そっち? 私の心配もしてよー。お姉ちゃんのいけずー」

「いや、いけずってなによ……はぁ、まぁいいけど」

 

 なんて会話しながらも、こいしはさとりを盾に俺から身を隠す。回り込もうとしても同じようにこいしも移動するだけで、これではこいしだけを捕まえることはできない。

 別に、さとりを巻き込んでまで聞き出したいわけでもなかった。そもそも、どうせこいしのことだからろくでもないことに違いないし。

 はぁ、とため息を吐いてこいしを捕まえることを諦めると、そんな俺の様子を察したこいしが姉という盾からひょこっと顔を出してきた。

 

「レーチェルとかお姉ちゃんとかよく私の前でため息ついてるけど、そんなにしてたら幸せ逃げちゃうよ?」

 

 誰のせいですか、というセリフは俺とさとりの口から同時に出てきた。俺の場合、その後に「レーツェルです」とも続いたが。

 こいしがマイペースにはしゃいで、さとりがたまにそれを窘めたり、俺がどうにか気を惹きつけてみたり。俺とさとりとこいしの三人が集まった時は、大体いつもこんな感じだ。交流する回数が増えるごとに、さとりのこいしへの対応が雑になっていっている気がしないでもないが、きっと気のせいだろう。

 もうすぐ、冬が来る。俺が異変を起こしてから、一年が経つということになる。

 あっという間、という感想が正直なところだった。

 別に親しい人たちとの関係が激的に変わったわけではないのに、やることがない時も誰かと一緒にいるだけで楽しくて、時間を忘れてしまったり。本当に毎日が充実している。

 かつてのように、頬に手を触れてみた。

 だけどそこにあるのは、かつてのように無表情を張りつけた狂気の仮面じゃない。

 触れた感触からわかるのは、俺が、楽しさの溢れんばかりの緩んだ微笑みを浮かべていることだ。友達と遊んでいることを無邪気に楽しんでいるような、子どもみたいな表情だった。

 それを自覚した途端、なんとなく、その笑みが深まった。

 きっともう、なろうとどんなに頑張ったところで、俺は帽子屋なんかには戻れないんだろうな。

 だって、これをなかったことになんてしたくない。胸の中にくすぶる、こんなにも温かい感情を、なかったことになんてしてたまるか。

 これは長い長い道のりの果てに俺が見つけた、大切な人たちからもらった、俺だけのかけがえのないクオリアなんだから。

 

「また近いうちに地霊殿へ遊びに行ってもいいですか? せっかく堂々と地底に行けるようになったんですから、今度はフランも連れて行ってあげてみたいです」

「あぁ、あの子ですか。もちろん構いませんよ」

「あー、フランかぁー……そういえばレプリカだけじゃなくてフランもいたねぇ。うーん、やっぱり変態ストーカー三流女たらしを狙うのって大変だなぁ……」

「レミリアです。あと、超めちゃくちゃ不本意な呼び名が今度ははっきりと聞こえたんですけど」

「あははー、気のせい気のせい」

 

 いや、今のを気のせいと言い張るのはさすがに無理がある。「気のせいなわけないです」とこいしの左右の頬を両手でつまんで、ぐにぐにといじってやった。

 今日も、幻想郷は平和だ。まぁ、実際には幻想郷の平和なんて外の世界のそれと比べれば危険満載なんだけれども。

 毎日こうして笑顔を浮かべることができる。それだけでも、俺には、この日常がなによりも大切なものに思えた。




実はこの話を投稿した、ちょうど五日前の去年こと2月20日にこの作品の本編が完結していたという事実がありますが、レーツェルくんの誕生日は2月25日なので作品記念日はこっちです。
後日談その六の更新日は未定。投稿された際はどうぞよろしくお願いいたします(ーωー )

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