地霊殿の予兆段階でお燐に相談を受けたレーツェルくんのお話。
「――初めまして、ってわけでもないか。でも、こうして話すのは初めてだから、一応自己紹介しておくね」
左右で三つ編みにした真紅の髪を揺らし、人懐っこい笑みを浮かべた少女と俺は相対していた。
黒をベースとして緑の模様が入ったゴシックアンドロリータを身につけ、手首や首元には赤、左足には黒に白の模様のリボンが巻かれている。そして頭に生えているものは、妖獣の証たる黒い猫耳。
「あたいは火焔猫燐。さとりさまのしがないペットの一匹さ。今日は、さとりさまの友人であるお姉さんに、折り入って相談があってね……」
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気質が表に出てきて天気が変化するという異変はすでに解決を迎え、幻想郷は平和を取り戻していた。さすがに天気雨なんて吸血鬼の弱点てんこ盛りな事象は今の俺ではどうにもならないから、外に出ても唐突に天気が変化しないことが確認できた時は、ほっと息を吐いたものである。
夏の暑さも落ちつき、そろそろ涼しくなってきた。もともと気温の変化に疎い吸血鬼にどれだけ暑いかだとか寒いかだとかはあまり関係ないが、このぶんなら、あと一週間や二週間も経った頃にはすっかり秋になっていることだろう。
収穫の秋 実りの秋。芋にキノコに栗に、カボチャ、サンマ……は、幻想郷に海はないからなしとして、リンゴとか、あとは柿などは、秋を代表する果物だろう。
幻想郷に来る前までは特にこれと言って好きな季節はなかった。基本的に館の中にこもっていたし、強いて言うなら、梅雨の初夏が少し苦手というくらいだっただろう。
けれど今の俺は、食い意地が張ってると言われるかもしれないが、秋の旬の食べ物は個人的に美味しいと感じるものがたくさんあって、四季の中では秋が一番好きだった。
それに秋は美味しいものが食べられるだけじゃない。焼き芋なんかは、かき集めた落ち葉で焚き火をして、それで芋を焼くという行為が、なんだか妙に楽しく感じられる。以前、博麗神社で落ち葉の掃除を手伝った後に一緒に焼き芋をしてみたことがあるのだが、思えばあの時から秋が好きになったのかもしれない。
「こいしと、さとりも混ぜて、三人で焼き芋とかしてみたいです」
なんとなく、こいしなんかは落ち葉を集めて焼き芋をすることなんかが好きそうだ。さとりはどうかわからないが、地底じゃできないだろう焼き芋を一緒にすることを、彼女は新鮮に感じてくれるだろう。
俺は現在、鬼化魔法を使った状態で地霊殿のすぐ近くまでやってきていた。
いつもはこいしに手を握ってもらうことで存在感を最小限に抑えて来るようにしているが、ふと、俺は気がついたのだ。
地底世界には鬼が大量に住んでいる。だったらそもそもわざわざ人間化魔法を使った上でこいしに手伝ってもらわなくても、鬼化魔法で鬼に姿を模した状態で行けばいいんじゃないだろうか、と。
その目論見は成功し、今ではこうして一人で地底に降りても、旧都を出歩いても誰にもなにも言われない。とは言え吸血鬼の気配を完全に消し切れているわけではなく、鬼の存在感でごまかしている感じだから、油断は禁物だ。いつぞやのように飛んできたボールに当たって正体に気づかれてしまう、というようなことがないように旧都を出歩く時はいつも注意している。
地霊殿の入り口までたどりつくと、その扉に手をかけて「おじゃましまーすっ!」と大声を上げた。
いつもは大抵こうすると黒豹や小鳥などのさとりのペットが誰か来てくれて、さとりさまはこっちにいるよー、と指して教えてくれる。
だから今日もしばらく玄関付近で待っていたのだが、俺をお出迎えに来てくれたのは、意外にもさとりのペットの中でも重要な立ち位置にいる妖獣だった。
「お燐……?」
火焔猫燐。火車という妖怪で、人間の死体を持ち去ることを生業とする二叉の猫の妖獣だ。
さとりやこいしとの付き合いもすでに三年近くになる。これまで生きてきた五〇〇年近い年月と比べれば大したものではないが、俺には、誰かを大切に思うことと、その誰かと過ごし続けた年月の長さは必ずしも直結するものではないという持論がある。長い寿命の中ではほんの短い一時の付き合いだろうと、すでに二人は俺にとって家族のように大切な存在だ。
それはそれとして、三年もあれば地霊殿に訪れる回数も結構なものになる。さとりと一緒にいたお燐と出会い、猫の姿の彼女とじゃれあうことも多々あって、言葉を使って話したことはなくても、それなりに親しくなれたつもりでいる。
そんな彼女が、いつも通りの猫の姿で俺を出迎えに来た。けれどその雰囲気がどこかいつもと違うように思えて、俺は小首を傾げてみせた。
その違和感はどうやら正しいようで、お燐はさとりのいる方向を尻尾などで示してくれるわけでもなく、ちょいちょいと俺を手招きしてきた。
「さとりのところに、連れて行ってくれるんですか?」
俺の質問に、お燐は首をふるふると横に振る。じっと俺を見つめる彼女の瞳は、とにかくついてきてほしい、と懇願しているように思えた。
別に、さとりに特別急ぎの用事があって来たわけではない。いつものように遊びに来ただけだ。お燐が用があるというのなら、そちらを優先しても俺は構いやしない。
「わかりました。ついていきます。危険な場所ではないんですよね?」
俺の確認に、こくり、とお燐は確かに頷く。俺に背を向けてその四本の足で歩き出すので、俺はそれについていった。
怨霊やいろいろなペットたちが徘徊する館の中を、ずんずんと進んでいく。地霊殿は咲夜の能力によって拡張されている紅魔館ほどではないにせよ、灼熱地獄に蓋をするためにつくられた事情もあり、相当広くつくられている。
二分か三分くらいはそうして歩き続けていただろうか。廊下の角にあるなんのへんてつもなさそうな扉の前でお燐は立ち止まるとふわりと浮いて、そのドアノブをかちゃりと開いた。
お燐とともにその中へ足を踏み入れる。扉をしめ、お燐が照明をつけると、その部屋の様子も確認できるようになった。
ここは倉庫だ。古く、もう使えるか使えないかわからないガラクタが大量に埃をかぶって詰まっている。
どうしてこんなところに俺を連れてきたのだろうか。
そう疑問に思いながらお燐を見つめていると、ぽんっ、とその猫の体を包み込んであまりある煙が彼女を包み込んだ。
そうしてそれが晴れた時に姿を現したのは、左右で三つ編みにした真紅の髪を揺らし、人懐っこい笑みを浮かべた少女。
黒をベースとして緑の模様が入ったゴシックアンドロリータを身につけ、手首や首元には赤、左足には黒に白の模様のリボンが巻かれている。頭に生えている黒い猫耳と、背後の方でゆらゆらと揺れている二本の尻尾を見るに、この少女がお燐の人間化した姿であることは間違いない。
さとりやこいしと長い付き合いになるということは、お燐とも初めて会ってからそれなりの年月になるが、こうして人の形を取った彼女と面と向かうことはなにげに初めてだった。
「――初めまして、ってわけでもないか。でも、こうして話すのは初めてだから、一応自己紹介しておくね」
お燐は猫の姿のままでは言葉を話せない。猫の姿のままの方が楽とのことらしく、俺が出会う時はいつもそちらの姿だった。
今日は、人の形を取ってまで俺に話したいことがあるということだろうか。
お燐はどこか悩ましげに眉を顰めながら続きの言葉を告げた。
「あたいは火焔猫燐。さとりさまのしがないペットの一匹さ。今日は、さとりさまの友人であるお姉さんに、折り入って相談があってね……」
果たして予想は当たっていたらしい。
「相談、ですか。それはいいんですが……どうしてこんなところで?」
「その……さとりさまやこいしさまにはできるなら聞かれたくないことなのさ。ここなら、あの二人どころか他のペットたちも滅多に立ち寄らないから、万が一にも盗み聞きされることもないから」
主人とその妹に内緒で、その二人の友人である俺に相談、か。それはつまり、あの二人に関する相談なのか、あるいはあの二人に聞かれてはまずいかもしれない悩みなのかのどちらかということなのだろう。
「お燐から聞いたことを私があの二人に話してしまう可能性もありますよ? それにさとりは心を読めますし、さとりと一緒にいる時にお燐の相談を受けたことを思い出してしまったらもう終わりです」
「それは、わかってるわ。でも……こんなことさとりさまには絶対相談できないし、こいしさまは論外、他のペットたちに話したってしかたがない……いざという時さとりさまを止めることができて、力のある妖怪でもあるお姉さんにしか相談できないことなのさ」
「私にしか……?」
さとりを止められる。俺にしかできない相談。俺が、力のある妖怪であること。
お燐が俺に相談する上で判断したらしい三つの事柄から彼女の悩みを想像しようとしてみたが、どれもこれも断片的すぎた。
さとりを止めるって、どういうことだ? さとりがなにかしでかすかもしれないということなのだろうか。
それに心を読めるさとりや、無意識でしか行動しないこいしはともかくとして、他のペットたちでもダメで、俺はいい……そして俺が力のある妖怪であることも相談できる一因。
うーん、わからない。これが紫や永琳みたいな賢者とまで呼ばれるような頭のいい人ならば今のお燐の会話から得られた情報からだけでもある程度推測できるのかもしれないが、俺にはさっぱりだった。
「……でも、わかりました。私にしか相談できないことというのは、なんなんでしょう。私でよければ力になります」
たとえどんな内容だとしても、お燐はさとりのペットだ。怨霊を食べてきた関係で妖力はずいぶんと禍々しいが、悪い妖怪ではないことは間違いない。俺が力になれるというのなら、俺を頼ってくれるというのなら、せいいっぱい手を貸すだけだ。
真剣な表情をしているだろう俺に、お燐はほっと安心したように息を吐いていた。まだ肝心の内容を聞いていないのだが、俺の肯定的な態度で少しでも気を楽にしてくれたなら、よかったと思う。
「……話は、ほんの三週間くらい前まで遡るんだけど――」
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三週間前、お燐は灼熱地獄跡の異変に気がついた。
それはいつもと違ってはるかに火力が強いということ。地獄でなくなってからはすっかり熱を弱くして暗かったはずの地霊殿の地下の空洞が、どういうわけか、失われたはずの灼熱の熱さと明るさを備えていた。
火力の管理はお空というペットの管轄らしく――灼熱地獄跡にはこいしに案内されて入ったことはあるが、お空という妖怪に会ったことはない――、すぐにお燐はお空のもとへ事情を尋ねに行って、しかしその変わりように愕然としたらしい。
お空は、ただ日常的に怨霊を食べていたせいというだけでは説明がつかない、以前会った時には欠片も前兆がなかったはずの、恐ろしいまでの強力な力を手に入れていた。
「初めはまだよかったのさ。手にした力を振るうのが楽しいって、そう無邪気に楽しんでただけで……でも、お空は強すぎる力に影響されてか、性格もなんだかどんどん変わっていっちゃって……」
「……どんな風にでしょう」
「力を見せつけるようになっていったの。まるで、自分に敵うものなんてない、この力があればなんでも思う通りにできる、って。昔はもっとおバカというか、鳥頭で、無邪気で明るいだけの地獄鴉だったはずなのに」
「ふむ……」
三週間前。そういえば、ちょうどその頃は妖怪の山の方で赤い霧のようなものが漂っていたが、あれはそのお空とやらが原因のものだったのだろうか。
お燐の話を聞きながらも、俺は必死に前世の原作についての知識を掘り起こそうとしていた。
前世のことを忘れてしまうようになってから、もうすぐ一年になる。それでもたったの一年でしかない。曖昧でも、まだ思い出すことはできる。
お空……フルネームまで思い出すことはできないが、確か、そんな名前のペットが原因で異変が起こり、それを解決しに霊夢や魔理沙などが地底に降りる話があったはずだ。
「いったいどこで見つけたのかしら……あんな神さまの力なんて」
「神さまの、力……?」
「あ、言ってなかったっけ? ごめんごめんっ。お空が手に入れたのは火の神さまの力みたいなのよ」
「火の神さま……あ」
神さまの力を手に入れた、異変の原因となったさとりのペット。そこまで聞いて、ようやく完全に思い出すことができた。
八咫烏の力を取り込み、核エネルギーという究極の幻想の力を手に入れた存在、お空こと本名を
その知識を思い出して、けれどだからこそ、俺はこの異変に対しても、つい数か月前の気質の異変のようになにもできないことを悟った。
「……すみません。今の私では、そのお空という妖怪の暴走を止めることはできない確率が高いです」
「えっ? お姉さんから感じる力はお空のそれを上回ってるように感じるけど……」
「そのお空さんが手に入れた力は、おそらく八咫烏の力です。八咫烏の火は、太陽のそれと同じ……吸血鬼は太陽の光を浴びると灰になってしまいます。たとえ仮に私の方が純粋な実力が上なのだとしても、相手が吸血鬼の弱点とする力を得意とする以上、私に勝ち目は薄いです」
それに俺の得意とする影の魔法は闇が深ければ深いほど力を増すが、火は対象を燃やすと同時に、辺りの空間を照らす力でもある。俺とは本当に相性が最悪なのだ。
こういう時、『答えをなくす程度の能力』をなくしてしまったことを口惜しく思う。あの力は、俺の認識した事象をすべて否定することを可能とする。吸血鬼にある大量の弱点をすべてなかったことにすることができてしまう。
お燐は、俺に力づくでお空を止めてほしかったのだろう。気まずそうに目をそらす俺を呆然と見つめていた。
「そ、そんな……お姉さんでも止められないなら、あたいはどうすれば……」
「……思い切って、さとりに相談するというのは? その暴走しているお空さんでも、飼い主のさとりの言うことなら聞いてくれるんじゃないでしょうか」
むしろお燐の話を聞く限りでは、さとりに相談しない理由がわからなかった。彼女なら間違いなくそのお空を叱って、増長した気持ちを諌めてくれるに違いない。そうすれば全部丸く収まる。
けれどお燐は「それはダメっ!」と大きく叫んで否定してきた。
「さとりさまにこんなこと話したら……お空が処分されるかもしれないっ。お空は今はほんと馬鹿げたことやってるけど、いつもはこんなんじゃなくて、根はいいやつなのさっ!」
「さとりが自分のペットを処分って、そんなことしないと思いますが……」
「あたいだって……本当は、そう信じたいよ。でも、お空はあたいの親友なんだ。どんなにさとりさまを信じようとしても、もしかしたらお空を失っちゃうかもしれないって思うと……どうしようもなく怖いんだ」
「……なるほど」
俺も、さとりやこいしのことを親友だと思っている。そんな彼女たちが、ほんの一パーセントに満たない確率かもしれないけれど、いなくなってしまうかもしれない手段を取ることは……確かに、できるだけしたくない。
お燐も俺と同じ気持ちなのだ。さとりに相談することは最後の手段として取っておきたい。そして、俺に今回のことを話してくれる前に言っていた「さとりを止められる」ということは、もしも彼女がお空を処分しようとした時に止めてほしいという意味だったのだろう。
それにそもそもとして、さとりに相談して、お空を止めてもらおうと思っても、お空が本当にその言い分を聞いてくれるかどうかはわからない。
結局はなにも変わらなくて、ありえないだろうが、もしも最後にお空を処分することをさとりが認めてしまうなんてことになってしまったら……。
「少し、待ってくれますか」
「え……?」
目を閉じて、思考にふける。なにが最善なのか、今の俺になにができるのか。
以前までの自分の存在を世界にとって余計だと思っていた俺ならば、きっと原作の知識を正しく備えていただろうから、世界の歴史をその通りに辿らせようとしただろう。けれど今の俺に思い出せるのは、お空が手に入れた力についての知識と、霊夢や魔理沙が地底に降りてきて、お空の増長を諌めて異変を解決したという情報だけ。もしも同じことをしようとしても、必ずどこかでぼろが出る。
それに、俺が関わっていることでこの世界が少なからず正史からずれていることは十分理解していた。仮にこのまま放置して、霊夢たちが異変解決に来たとしても、あるいはお空を止められないかもしれない。そうしたら彼女たちはどうなってしまうか。
これまでの異変とこの異変の決定的な違いは、地底における敗北はそのまま死へと直結する可能性が高いということ。地底に幻想郷のルールは通用しない。
正史をたどろうとしてもうまくいかないかもしれないのに、記憶さえ曖昧な危険な未来を望むのは、得策ではないだろう。
たとえ俺の力で異変を止められないのだとしても、俺は、俺にできることをするべきだ。
かつての俺は大切な人たち全員を守る対象だと思い込んで、なんでもかんでも一人で抱え込もうとしていた。だけど、今は違う。
今の俺は一人で全部守り切れるほど強くなんてないことをわかっている。大切な人たちが、俺の思っていたよりもずっと強かったことを理解している。
だから俺にできない部分は、レミリアやフラン、霊夢や魔理沙――いろんな人間、妖怪に頼ればいい。彼女たちならば、俺にできないこともきっとやり遂げてくれる。
大切な人たちを危険にさらすかもしれないことを不安に思わないわけではない。申しわけなく思わないわけではない。心配に思わないわけではない。
――あなたがそうやって必死に私たちを守ろうとしてくれるように、私たちもあなたをどうにかしてあげたいって、ずっと強く思うのよ。
――私たちはきっと、あなたが思っているよりもずっと強い。それにね、ここからさらに強くなろうとがんばることだってできる。
ただ、たとえどれだけ怖くても、誰かを頼って、信じ抜くこと。
もしかしたらそれこそが、かつて恐怖から逃げることで生きる意味を見いだせなくなった俺にできる、強くなろうとする唯一の方法なのかもしれないと感じたから。
「……ふふ。大丈夫ですよ」
どうしてか、笑いがこぼれた。
俺は未だ能力を失ったことが正しいかどうかわからない、本当にどうしようもないくらい優柔不断で、弱いままだけれど。
彼女のように、一度張った見栄を最後まで突き通して、本当にしてしまうような存在になりたい。強くなりたい。
その気持ちは嘘じゃない。
「いい案が思い浮かびました」
「え、本当かいっ!?」
「ふっふっふ、実はですね、私、そのお空さんに八咫烏の力を授けた神さまに心当たりがあるんです。私はとりあえず、それをとっちめに行きたいと思います」
「え……心当たりって、今の会話だけでどうやって?」
お燐が心底不思議そうにしていたが、秘密です、と指を立ててみせた。俺の前世について話すことはやぶさかではないけれど、原作知識については未ださとりしか詳細を把握していない。このことは、聞かれさえしなければレミリアやフランにさえ話すつもりはないのだ。
とにかく、俺はお空が八咫烏の力を備えていることを思い出すのと同時に、彼女に力を与えた人物こと神さまについての記憶もよみがえっていた。
それはすなわち、つい去年、妖怪の山に転移してきた幻想郷で二つ目の神社である守矢神社に住まう二人の神さま――八坂神奈子と洩矢諏訪子の二人。
こいしの力を借りて妖怪の山に忍び込み、彼女たち二人を一緒にとっちめる。そして紫の管理下のもと、霊夢たちとともに地底に送り込んで、お空の暴走を止めさせる。これが俺の思いつく限りで最善の手だ。
思う通りにはいかないかもしれないが、いざという時はさとりを頼ればいい。ありえないが、仮に彼女がお空を処分する判断を下したとしても、俺がそれをさせない。
親友を失うかもしれないと怖がっているお燐をどうにかしてあげたい。俺はそう思って、大丈夫だと根拠の無い見栄を張った。なら、それを本当にするために俺は俺にできることを全力で尽くす。
「申しわけないですけど、お燐は……いえ、お燐が直接行ったらまずいですね。他のペットを通して『レーツェルは急用ができたから帰った』って伝えてもらえますか? それと、ごめんなさい、とも」
「それはもちろん構わないけど、その、本当にいいのかい……? 神さまをとっちめに行くって……八咫烏なんて、お姉さんにとって一番苦手な力をお空に授けることのできたやつなんだよね。もしかしたらお姉さんの方が」
「心配ありません。お空が八咫烏の力を手に入れることができたのは、同じ鴉だったからです。でも、その神さまにはそんな力はない。こいしにも一緒について行ってもらうつもりですし、こいしはああ見えてかなり強いですから」
なんて言っても、片方は乾を、すなわち天を司る力を持つ神。片方は坤を、大地を司る力を持つ神。
実際に全力で戦うとなると萃香の時のように戦闘の余波がとてつもないことになってしまうため、幻想郷のルールに則ってスペルカードでやり合うことになるが、それでも相手が相当な強さであることは変わりない。だけどスペルカードルールが生み出されるよりも先にレミリアやフランと弾幕合戦で何百年と実戦形式で戦い続けてきた俺は、負けるつもりなんて一切ない。
それに、こいしだって一緒に戦ってくれるはずだ。無意識を支配する彼女の力があれば百人力だ。
「それでは早速行ってくるとします。一応確認しておきますけど、他に相談はないですよね?」
「……あはは、相談はないね。でも、言いたいことは一つできたかな」
「なんです?」
「本当にありがとね、お姉さん……ううん、レーツェル。この借りは必ず今度返すよ」
「そんなに気負わなくてもいいですよ。人間は、助け合って生きていくものです」
「人間って、あはは! あたいたちは妖怪だよっ?」
「妖怪も人間みたいに在れたら素敵だと思いませんか?」
「自分勝手だからこそ妖怪って気もするけどね。でも、うん。お姉さんの言いたいこともわからないでもないわ」
「でしょう?」
それからお燐と適当に別れの挨拶を交わすと、この倉庫まで歩いてきた廊下を戻っていく。
その間に考えることは、こいしの行方について。妖怪の山は吸血鬼のような力のある妖怪が無断で立ち入るとめんどうごとをおびき寄せるから、忍び込むためには彼女の無意識を操る能力が必須となる。
「そういえば、断られた時のことを考慮するのを忘れてましたね」
傲慢かもしれないけれど、自分勝手かもしれないけれど。
でも、こいしならきっと手を貸してくれるだろうとも思う。
そしてもしもいつか、俺も彼女のためになることができる時が来たのなら、それに俺の力の限りを尽くそう。
――他人とともに在り、誰かと助け合って生きること。
この考え方は、あるいは、前世が人間である俺だからこそできるものなのだろうか。
だとしたらもしかすれば、異変の解決を差し置いて俺を全力で助けようとしてくれたレミリアたちは、俺が影響を与えたバタフライエフェクトの産物だったのかもしれない。
誰かを頼って、頼られるような他者を必要とする生き方が、妖怪にとっていいことなのかどうかはわからない。
でも、少しくらいは、妖怪が人間のように生きたって構いやしないだろう。
お燐が見せてくれた、どこか安心したような笑顔を見た時、そんな風に俺は思えた。
その五は同日21時30分更新。
なお、レーツェルくんの奮闘は全カットで、その五は異変終了後のお話です。異変については途中でダイジェストで振り返ります。