東方帽子屋   作:納豆チーズV

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 Alice weinte viel. Dann war Alice ein glückliches Lächeln.
 ――アリスはたくさん泣きじゃくり、それから幸せそうに笑いましたとさ――――


一一.Alice①

 ――快晴だった。

 一切雲のない大空から、太陽の光が万遍なく降り注がれている。冬の真っただ中だから寒いことには変わりないが、昨日までの薄暗い天気が嘘のように晴れやかだった。

 再思の道の先、木に囲まれた小さな空間。いつもは陰湿な空気が漂っているこの寂しげな墓地も、今日ばかりは気持ちのいい温かさに包まれているような気がした。

 霖之助製のローブを纏い、まだそこら中に積もっている雪を踏み分け、この無縁塚までやってきていた。何年か前に起きたありとあらゆる花が咲き乱れる異変の際に訪れたきりだったのだが、その時とは違って、木々がつけているものは紫色の花弁ではない。葉の代わりに白銀で彩られた枝は日差しを反射することで、枯れたことを悲しませない陽気さを放っている。

 

「あなたは大きすぎる罪を犯した」

 

 紅白のリボンをつけた、緑髪の少女と対面していた。一昔前の中国にありそうな厳格な服装に少女らしいアレンジが加えられたようなものを着用し、右手に持った細長い板こと笏を口元に当てている。

 閻魔、四季映姫・ヤマザナドゥ。先日に起こした異変についてのことで、俺は彼女に呼び出しを受けていた。

 

「どこまでも自分勝手な行為を他人のためだと嘯き、自身を正当化し、あまつさえすべての生き物が持ち得る権利と義務を剥奪しようとした」

 

 じっと見据えてくるその目線はどこまでもまっすぐで、俺が目を逸らすことを許さないと言外に告げているような印象を受ける。

 

「生きることと死ぬことは、魂の持つ存在すべてへ平等に与えられた資格です。そして、物事と向き合うことで正負に属する感情を抱くこともまた、そこに在るということに対する責任なのです。多くの存在が持つその摂理を乱すことは、あなたにも、私たち彼岸の住民にも、決して許されたことではありません」

 

 ふいと、藤原妹紅という少女の姿が頭に浮かぶ。不老不死になってしまうという蓬莱の薬を服用し、死ぬことができなくなってしまった少女。彼女がそれを侵すことができたのは、その資格を備えた本人だったからなのだろう。

 もしかしたら、俺と彼女の境遇は案外似ていたのかもしれない、なんて思う。彼女が捨てたのは資格だった。そして、俺が捨てたのは責任だった。俺の場合、結局その責任は後になって一気に帰ってきてしまったけれど。

 

「あなたは深く反省をし、過去の罪と向き合う覚悟も固めたようだから、そう強く責めるつもりはない。ただ、これだけはここで言っておかなければならないわ。あなたはもう、天国へ行くことだけは絶対にない」

 

 映姫が告げてくる無慈悲な事実を、けれど俺はしかと受け止めて、こくりと頷いた。

 わかっていたことだ。二四時間にも満たない少ない時間と言えど、幻想郷という小さな世界における生死と正負の法則を乱した。魂を持つ存在として絶対にしてはならない罪を犯した。それなのに死後は天国に行けるなんて、そんな生易しい考えは持っていない。

 唯一の救いと言えば、問答無用で地獄に落ちる、なんて言われなかったことか。過去の罪を忘れず、多くの善行を積んでいけば冥界からの転生くらいはできる。映姫の発言は暗に俺にそう教えてもいるのだろう。

 

「……あなたの犯した罪を裁かれる日がいずれ必ず訪れる。その時を心しておいてください、レーツェル・スカーレット」

 

 背を向け、立ち去ろうとする映姫。俺も同じように来た道を戻ろうと思ったが、一つだけ言い忘れたことを思い出して映姫を呼び止めた。

 訝しげに振り返った彼女に、俺は深く頭を下げる。

 

「ありがとうございました」

「……今回あなたを呼んで処遇を告げたことは、私が仕事としてしたことですから、礼には」

「そうではなくて……いえ、今回の件の処遇を教えてくれたことに対しても感謝していますが、今のお礼は先日の異変に際してのことです」

 

 全身を幻想郷中に散らし、『答えをなくす程度の能力』を用いて俺が起こした大異変。その時のことで、ずっと不思議に思っていることが一つだけあった。もしかしたら杞憂かもしれないというか、その確率の方が断然高かったけれど。

 しかしこうして実際に映姫と相対し、その瞳の奥にある感情を見抜いて、ようやっとそれに合点がいった。

 

「地獄の"恐ろしい者"が幻想郷に繰り出すのを止めていてくれたんでしょう?」

「……なぜあなたがそれを? それは小町にも話していないことのはずですが」

「今回の異変で私は輪廻の摂理を大きく乱しかけてしまいました。たった一日足らずとは言え、地獄の住民たちがそれを黙って見ているとは思えません。すぐにでも出てきて、私を消滅させに来ると思っていました。でも実際は、紫やお姉さまがたが異変解決に全力を尽くしてくれただけで、地獄の方々が動く気配はまったくない……不自然だと感じました」

「それになぜ、私が関わっていると?」

「だって、聞きましたよ? 映姫は幻想郷と幻想郷の人間たちが好きなんだって」

 

 彼岸に来る魂を裁くことが仕事である閻魔の映姫は、休暇中に幻想郷にやってくることがあると言う。その際は罪を負いすぎて地獄に落ちる者が確定的な者のもとへと足を運び、改善を促すのだとか。

 その説教の基本は幻想郷の人間のためを思ってすることだと、阿求から聞いたことがあった。だとすれば、幻想郷が危機にさらされる事態を止めたいという考えに至ってもおかしくはない。俺は少なからず"恐ろしい者"に対する対策を立てていたし、実際に地獄から彼らが出撃され、真正面から戦う事態に陥ってしまえば、その余波で幻想郷が無事では済まなかった可能性も高い。

 俺の確信したような視線に、映姫はため息を吐いて、首を横に振った。

 

「私はただ、悪魔の身でありながら善行を積んできたあなたの態度を考慮しただけです。あなたの抱く思いから、一日ほど様子を見るくらいはいいのではないかと判断し、そう意見してみただけですよ。一日経っても異変をやめないようなら容赦なく殲滅することには二つ返事で了承しましたし、すでにその時点で、あなたが天国へは決していけないことは決まっていました。お礼を言われることなど、なに一つしていません」

「映姫にとってはそうかもしれませんが、私にとっては本当に重要なことです。その一日のおかげで、たくさんの大事なものを再認識することができました。だから、ありがとうございました。遠慮なんてしないで、どうか受け取ってくれませんか?」

 

 一秒、二秒、三秒。じーっと映姫の顔を見つめていると、彼女は大きく肩を竦めた。

 

「わかりました。そのお礼、素直に受けておきましょう。人には人の感じ方があるものですから」

「ありがとうございます」

「そちらのお礼は受け取りませんが」

「ふふっ、言いますね」

 

 今度こそ互いに後ろを向け、それぞれの方向へ立ち去った。映姫は彼岸へ、俺は幻想郷へ。

 罪を裁かれる日がいずれ必ず訪れる――理解しているし、受け入れてもいるけれど、その時が来ることが怖いと思う気持ちは誤魔化せない。不安をなくすことは、今の俺にはできない。頬に手を添えれば、ちょっと涙目になりかけている自分の表情がわかる。

 だけどきっと、そういう思いも含めて俺が背負わなければならないものなのだろう。数え切れないくらい自分から自分の感情を欺いてきた。幾度となく立ち向かうことから逃げ続けてきた。

 でも、すでに逃げ道は壊された。もう、正であろうと負であろうと、俺はそれと向き合うことしかかなわない。

 だからこそ、乗り越えなければならないのだった。それがすべての存在が受け入れ、負っている責任だと言うのなら、俺もまたそれから目を逸らしてはいけない。

 

「……まだ、時間には早いですね」

 

 太陽を直視しないように空を見上げ、今日中に回る予定の目的地を頭の中で整理する。

 それから次に向かう場所を決めると、体の方向をそちらに向け、地面を蹴って宙に浮いた。

 

 

 

 

 

 見渡す限り――深い霧のせいで見える範囲は限られているが――、ところ狭しと竹が乱立する空間を飛んでいた。竹が日々とてつもない速度で成長するためにいつも地形が変わり、道を覚えることはできないと言われている、迷いの竹林である。

 永遠亭に行きたいと考えて、竹林に入ってから早十数分。俺に『答えをなくす程度の能力』がある頃ならば霧を見えなくするなりして比較的早く永遠亭を見つけることができたのだが、そんなものが備わっていない今は根気と運任せだった。

 しかし、どうやら今日の俺は相当に運気がいいらしい。霧のせいで見えなくなりそうなギリギリなところに竹がなく開けている場所を見つけ、そちらへ向かってみると、見事ぽつんと建った和風の建物こと永遠亭にたどりつくことができた。

 なにやら玄関前で永琳と鈴仙が話していた。空を飛ぶのをやめ、そちらに足を運んでみる。

 

「永琳、鈴仙。こんにちわ、です。元気にしてますか?」

「あら、先日未曽有の大異変を起こした張本人さまじゃない。よくのこのこと顔を出せるものねぇ」

「あ。あんたさぁ、よくもこの前はめんどくさいことに巻き込んでくれたわね。一応私あんたの師匠なんだから、労わりとかそういう心を持ちなさいよ」

 

 うふふと笑いながらの永琳の冷たい視線や、鈴仙の怒り心頭な態度を受けて、俺は反射的に苦笑いを浮かべた。

 それから、倉庫から魔法で菓子折りを取り出して、鈴仙に手渡す。

 

「あはは、お手柔らかにお願いします……あと鈴仙、この間は本当にありがとうございました。今日は改めてお礼を言いに来たのと、これはお詫びの品です」

「はぁ、そういうところは律儀なのねぇ。霊夢とか魔理沙とかなら適当に放っておきそうなものなのに……ま、ありがたくもらっておくわ」

 

 さすがにあの二人ほどふてぶてしくはなれない。彼女たちの真似をしようものなら、性格的に相手側へと申しわけないと思ってしまうことは避けられないだろう。

 

「……それにしても、ずいぶん雰囲気が変わったのね」

 

 永琳からじろじろと眺められて、ちょっとだけ萎縮してしまう。

 

「そう、ですか? 変わったのなんて表情くらいだと思いますけど」

「その表情が大きいのだけどね。まぁ、なんというか……あなた、いつもどこか暗い雰囲気を纏ってるように見えたから。今はなんだかその靄が全部取っ払われたかのよう」

 

 永琳の指摘を受けて、きっとそれは、あながち間違いではないのだろうと自覚する。

 いつもどんな時だって、なにかを失うことを恐れていた。自分という異物が世界に紛れ込んでいるせいで、今この瞬間にも正史では助かるはずだった誰かが傷ついているのではないかと、どこか無意識に考えてしまう自分がいた。ここに自分が存在していることが、ひどく冒涜的なのではないかと不安に感じることをやめられなかった。

 今もまだ、そんな風に思考してしまうことがたまにある。それでも少しずつその回数も少なくなってきた。ほんのちょっとずつだけれど、自分がここに在ることが平気だと思えるようになってきた。

 それはきっと、鈴仙を含むいろんな人妖から、俺のしてきたことの価値を証明されたからなのだろう。俺もこの場所にいていいのだと、厳しくも優しく諭されたからなのだった。

 それを否定することはきっと俺だけでなく、親しくなってきた人妖たちの思いの否定にも繋がる。そのことが、ようやく俺にもわかってきた気がしている。

 

「ありがとうございます、と言っておきましょうか。あ、今日は夜に紅魔館の地下で宴会がありますから、できれば来てくださいね」

「ええ。ちょうど、そのことで鈴仙と話していたところよ。もちろん行かせてもらうわ」

 

 今日は幻想郷中を飛び回らなければならない。これ以上ここで時間を潰していると、時間までに回り切れなくなってしまう可能性があった。

 早々に二人に別れを告げ、霧が届かないくらいまで高くに飛んだ。霧のせいで上から永遠亭は見つけられないが、永遠亭から出るのはこうして高いところへ移動すればいいだけなので、非常に楽である。

 さて、次はどこに向かおうか。日が落ち切るには、まだ少し早い。

 

 

 

 

 

 地上の空が晴れているからか、地底には雪は積もっているものの降ってはいない。フードを外し、代わりに人間化魔法の行使と狐の仮面を顔の横に身につけて、地霊殿までやってきていた。

 和風の名前なのに西洋風なデザインの不思議な建物の扉を開ければ、あいかわらず鮮やかな美しい内装が広がる。白い柱や壁、さまざまな色のステンドグラスで彩られた室内はいつ見ても目を奪われてしまう。

 おそらくはちょっとニヤけているだろう頬を意識しつつ、お邪魔しますと一言叫んで中を歩いていく。以前から、屋敷が広すぎて玄関に来て声を上げられても気づけないことがあるので、勝手に入っていいとの許可をもらっていた。正確には、ペットたちから連絡が来るので気づけないわけではないのだが、その連絡に時間がかかるからとのこと。

 途中で通りかかった黒豹に挨拶をすると、さとりがいる方向を手で指して教えてもらえた。どうやら二階のテラスにいるらしい。お礼を言うと、黒豹は人懐っこく鳴いて庭の方へと歩いていった。

 廊下を歩き、階段をのぼり、また少し歩いてテラスへと足を踏み入れる。そこの手すりの近くには、丸テーブルの前に置いたイスに座り、一冊の本を読んでいるさとりの姿が窺えた。

 足音で俺が来たことに気づいたようで、彼女の目線がこちらを向く。穏やかな微笑みで迎えられ、俺も自然と頬を緩ませながらも彼女のもとへと歩を運んだ。

 

「こんにちわ。ちょっとだけお話に来ました」

「ええ、こんにちわ。ふむ……そう、先日のお礼の菓子折りを渡しに来てくれたのね」

 

 あいかわらず心を読む力は健在のようである。俺のやろうとしていることがお見通しだった。

 あとに取っておいても大して意味はないので、倉庫から菓子折りを取り出した。ちなみに鈴仙へ渡したこれもそうなのだが、咲夜に無理を言って手伝ってもらった自作の菓子が入っている。紅魔館の面々にはすでに渡し終えているので、お礼を直接言うことも兼ねて幻想郷の知り合いのもとを回っているのであった。

 

「……お礼を言われるようなことはしてないわ。私は私のわがままで、レーツェルを連れ戻したいと感じて行動に移しただけだから」

「でも、そのわがままで私は変われました。だからお礼くらいはさせてください」

 

 それに、異変解決に動いてくれたこと以外でもたくさん迷惑をかけたはずだ。負の感情から痛みをなくしたほか、さとりに対しては勝手に心を読む力を封じたり。今振り返れば当人の許可を得ずに行った身勝手な行為だったと思えるので、どうにも後ろめたかった。

 そんな風に考える俺を第三の目とともにじっと見つめ、さとりがため息を吐いた。差し出していた菓子折りを受け取って、手すりの向こう側の庭へと視線を送る。

 

「そういうところはあいかわらず、ですね。私としてはレーツェルの……その、友達として、当たり前のことをしただけです」

「じゃあ、私はとってもいい友達を持ったってことになります。あれだけのことを当たり前だって言ってしてくれるような友達、きっとそうそういませんよ?」

 

 聞けば紫の能力で、倉庫空間のさらに奥にある転生魔法研究区域にまで行ったと言う。異臭やら腐臭やらを防ぐ魔法を展開していたにせよ、見ていて決して気分のいいものではなかっただろう。あんな場面を実際に見てまで俺に関わろうとしてくれたことは、本当に心から素直に感謝していた。

 今はもう研究の残骸はすべて影に取り込ませ、あそこはなにもない空間と化している。数百にも及ぶ数の転生用の肉体にしても、ずっと持っていると彼岸の"恐ろしい者"に襲撃される可能性があったので、すべて同じように魔法で破棄している。

 そしてこれは余談なのだが、吸血鬼をたくさん取り込んだおかげかどうかは知らないが、気がついたら影の魔法が昼間でも実用レベルで扱えるほどにパワーアップを果たしていた。『答えをなくす程度の能力』を失ってしまったりもしたこともあって、後日には阿求のもとに行って、幻想郷縁起における自分の記述を『魔法(主に影)を使う程度の能力』にでも変えてもらうつもりである。

 じーっとさとりのことを見つめていると、そっぽを向いているように庭の方を見やっていた彼女がちらりと一瞬だけこちらに視線を送った後、頬が赤らんだように見えた。

 

「…………いつも通りのはずなのに、笑顔があるぶん何倍も凶悪ね……」

「凶悪? なにがですか?」

「あ、いえ、なんでもないわ。気にしなくていいから」

 

 あたふたと突然慌て出すさとりを不思議に感じる念がなくもなかったが、なんでもないと言うのなら本当になんでもないか、あるいは手を出してほしくないことなのだろう。

 先日の件では本当にお世話になったのだ。もしも力になれることがあるのなら遠慮なく言ってください、と心の中で強く思ってみせる。さとりは、こくりと小さく頷いていた。

 

「そういえば、今日は紅魔館で宴会があるのですが……」

 

 ここまで言いかけて、はたと気づく。今の俺には『答えをなくす程度の能力』がないため、さとりの心を読む力をどうこうすることができない。あの力がなくなってしまったことが俺にとってプラスになったのかマイナスになったのかは未だはっきりとしていないが、今回ばかりはマイナスと言わざるを得ない。これではさとりが何事もなく宴会に参加することが難しくなってしまうのではないか。

 段々と言葉が萎んでいくのが気になったか、さとりが庭から俺の方へと視線を戻した。じっと第三の目で俺を見据え、考えていることを読み取ってくる。

 

「いえ、問題ありません。行きますよ、私も」

 

 それから当たり前のことのようにそう言ってくるものだから、目をぱちぱちとさせてしまう。

 

「先日のことで、私もいろいろと吹っ切れました。レーツェルも同じ場所にいるなら、参加するくらいなんてことはありません」

「えぇと、でも、嫌悪感とか」

「元々、少なからず私にも問題があったと思っていました。考えていることをずばずば言われることを好まない人妖が多いようですから……そこに注意していれば、ある程度は大丈夫でしょう。もちろん、嫌悪の念等を完全に払拭するなんてことはできないでしょうが」

 

 何事もないかのごとく対策をしゃべるさとりは本当に淡々としていて、落胆や恐怖等の感情が窺えない。いや、その内側ではそれなりになんらかの負の思いを抱いているのかもしれないが、決してそれが外側には出てこない。

 初めてさとりを外に連れ出したいと思い、電話でお願いをした日のことが頭をよぎった。こいしの意志や灼熱地獄の管理等の問題を挙げて辞退しようとしたり、実際に話を受けた後も怖いと言っていたさとり。記憶に残るそんな彼女と目の前の少女を比べてみて、従妹が見知らぬうちに成長していたような、ちょっとした驚愕を感じるとともになんだか感慨深い気分になってくる。

 そんな俺をじとっとした目で眺めてくるさとりに気づいて、自然と苦笑いになった。さとりの方が若干背が高いので、見た目的にはおそらく俺が従妹の立ち位置である。

 

「じゃあ、さとりが来るのを楽しみに待ってます」

「ええ、待っていてください。絶対に行きますから」

 

 渡すものも渡したし、伝えるべきことも伝えた。そろそろ次へ向かおうかと踵を返しかけて、一つだけ聞き忘れていたことを思い出す。

 

「そういえば、こいしはいないんですか? こいしにも菓子折りを渡して、宴会のことも教えたいのですが……」

「……すみません。こいしなら、地上の方に行くと言って出て行ってしまいました。おそらくなにも言わなくても宴会のことを聞きつけてくるとは思いますが……」

 

 いないならしかたがない。元々次は放浪している妖怪を探さなければいけなかったので、こいしも一緒に探せば問題はないだろう。『答えをなくす程度の能力』を失ってしまった俺に、以前のようにこいしを察知する謎のシンパシー能力があるのかはわからないが、それでもそれが探さない理由にはならない。

 申しわけなさそうにするさとりに、しかし彼女のせいではないので首を横に振る。そもそもこいしの放浪癖は今に始まったことではないので、謝られるようなことではない。

 探さなければいけない妖怪が一人増えた。時間が来る前に、早く地上に戻って捜索しなければ。

 そう思い、今度こそ立ち去ろうとする俺を、さとりが呼び止める。

 

「一つ、おうかがいしてもいいですか?」

「なんでしょう」

「レーツェルの心の中に入った時、私はあなたの『一番大事な思い出』を知りました。だから、ずっと気になっていたことがあるんです。今のレーツェルはレミリアさんのこと、どう思っているんですか?」

 

 これもまた後日聞いた話だけど、なんと紫の能力で俺の心の隙間に入り込んだとかなんとか。なんだかよくわからないというか現実離れした話だったと感じると同時に、もう紫ってなんでもありだなと呆れにも似た感想を抱いたのを覚えている。

 その際の出来事で、俺がレーツェルとして生まれて初めてしゃべり始めた辺りの頃の記憶と感覚が、一部の人妖に伝わっていることを聞かされた。多少は驚いたが、前世の性別が違ったり等のことで周りから敬遠されることはなく、いっそ清々しい気持ちになれたので、むしろ知ってもらってよかったとも思っている。

 今、俺がレミリアのことをどう思っているか。さとりの真剣な瞳に窺える微妙な感情の機微から、それがどういう意味なのかをいち早く把握する。

 考えるまでもない。感じるがままの思いを口にするために、自らの姉へのどこまでも単純な感情を呼び起こす。

 

「今も変わらず愛してますよ。姉としても、家族としても。もちろん、異性としても好意を持ってます」

「い、異性っ?」

「はい。あ、でも、劣情とかそういうのは一切ありませんから。ただただ愛してます。そもそもこの体はまだまだ幼いですし」

 

 匂いを嗅いでニヤけたりとか、抱きついてすりすりしたいと考える程度はセーフだろう。セーフに違いない。もしも万が一にでもアウトに近い行為だとしても、姉妹なのでなにも問題はない。

 そんな思考を読み取ったらしいさとりが、若干引いた様子で苦笑いをする。しかし一つ咳払いをして取り直すと、少し考え込むようにしながら俺と再び向き合った。

 

「レーツェル。私も……きっと、あなたのことは好きですよ」

「あ、はい。私も同じく、とってもいい友人だって、それこそ親友くらい大切に思ってますよ。心を読めなくする保険みたいな力がなくなったからって、さとりを嫌いになんてなりませんから」

 

 本心を探るように注視してくるさとりに、なんとなく、明るい気分のままに微笑んで見せる。

 前々から思っていたことだけれど、先日の事件で俺は確信していた。心を読む能力とはきっと、ただ在るだけで忌まれるべきような極悪な能力ではない。他人の感じる嬉しさや楽しさ、悲しさや苦しみなど、本来その者だけが持ち得る他人のクオリアを理解することができる、ただ一つの能力なのだと。

 それは他人の領域を侵すということなので、人によってはいい感情を抱けないかもしれない。表立っては認めるのは憚れる力なのかもしれない。それでも俺にとって妖怪サトリが持つ心を読む能力というものは、使い手次第で他に代えがたい毒にも薬にもなる、扱う者の心を問う勇気と優しさの力だった。

 俺には心が読めてしまうことの辛さはわからない。だから、こんな勝手な解釈をしてしまってさとりが怒らないか心配だったのだけれど、彼女は心配いらないとでも言うかのごとく、どことなく嬉しそうに頬を緩めた。それに、無意識のうちにほっとする。

 しかしさとりは、なぜかその後すぐにちょっとだけ落ち込んだように、自身の体を見下ろした。

 

「……でも。やっぱり、全然及んでなかったみたいね」

「及んで……? えっと、なにがですか?」

「こちらの話です。レーツェルは常にレミリアさんのことが第一で……私は確かに『特別な存在』ではありましたが、『唯一の存在』には遠く届いていなかった。当たり前のこと、なんですけどね」

 

 ひたすらに首を傾げる。小声で呟いていて聞き取りにくかったり、表現が曖昧だったりでイマイチ意味が理解できなかった。俺がレミリアに好意を抱いてることがなんやかんやして、さとりがなにやら項垂れた気持ちになっているのはわかるのだが。

 なにかしらなぐさめの言葉をかけた方がいいのだろうか。しかしさとりに考えようとして考えた文言を送ったところで……そうして悩んでいると、ついとさとりが意を決したように顔を上げた。席を立ち、すぐ目の前まで歩いてくると、俺の手を取る。急なことに、俺はただ目をぱちくりとさせていた。

 

「けど、その事実が諦めることには繋がらない。強くなると、妖怪らしくなると誓いましたからね。だから……いつか必ず、あなたの心は私がもらいます」

「えぇっと……えぇ? まぁ、はい。わ、わかりました。じゃあ、待ってます……?」

 

 内訳やら過程やらをいろいろすっ飛ばされている気がするというか、順序が滅茶苦茶というか飛び飛びというか、なにを言われているのかもはや全然わからなかったが、とりあえず首を縦に振っておく。なんだか意志の強そうな目をしてたし、さとりが変なことをするとは思えないし、適当に了承したところで悪い方には転ばないだろう。心を奪うとか言われると、ふりふりの服を着た魔法少女が笑顔で敵の怪人の心臓を握り締めている姿が脳裏に浮かぶけど。

 ……そんな風に、その場しのぎで返答したことはさとりもわかっているはずなのだが、なぜか彼女は満足そうに元の席へと戻って行った。それから出し抜けにじゃあね、と手を振られたので、さっきのことを問うに問いただせないまま、俺も手を振ってふらふらとテラスを去った。

 結局、なんだったんだろう。

 不思議に思う気持ちは地霊殿を出るまで消えなかったけれど、どうせ答えが出ないことをいくら考え続けていてもしかたがない。さとりのことだからなんの心配もいらないと無理矢理に結論を出し、思考を次の放浪妖怪探しへと切り替える。

 一応周りからは人間と判定されるのでちょっかいをかけられることはあったが、人間化魔法で弱体化しているとは言え吸血鬼はだてではない。適当にあしらいながら、地上へと戻って行った。


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