□ □ □ Standpunkt verändert sich zu Koishi Komeiji □ □ □
心を読む力があるということは、ありとあらゆる人妖に忌み嫌われてしまうことと同義であるらしい。
ただ対面して話すだけで嫌われる。相手の心の中に触れないように会話しても嫌われる。直接会わなくても、力があるからと嫌われる。
最初はただ、なにをすれば好かれるかを考えていた。でも気づいた時にはもう、なにをすれば嫌われなくなるかを考えていた。
悲しくて、苦しくて、辛くて、心が擦り切れてしまいそうで。
ふと、気がついた。
心があるから痛いんだ。サトリとしての力があるからいけないんだ。
だったら、この苦痛と悲痛から逃れるためにはなにをすればいい?
その『答え』はすぐにやってくる。
心をなくしてしまえばいい。余計なものをすべて捨ててしまえばいい。
天啓だった。
こんな、悪感情しか集めない三番目の瞳なんていらない。
こんな、負の感情しか訴えてこないホンモノの心なんていらない。
温かさが冷たさを生み出すというのなら、その両方を殺してしまおう。
嬉しさが悲しさを生み出すというのなら、その両方を壊してしまおう。
負に繋がるすべてを捨てよう。そうすればきっと、誰からも嫌われなくなるから。
目論見は成功した。
私は一人、誰からも嫌悪感を抱かれることもなく、外を出歩けるようになった。
嬉しかった。楽しかった。ただ漠然とそう思う。
――本当に?
誰から好かれることもなく、誰から興味を抱かれることもなく、流されるままに人々と無の合間を揺蕩う。
私は、小石だ。
誰にとってもどうでもよくて、誰にとっても存在価値なんてない。いてもいなくても同じ存在。
でも、それでいい。
嫌われることがないというのは素晴らしい。いつだって笑顔を作れる。いつだって涙なんて零れてこない。
ああ、なんて楽しい日常なんだろう。なんて充実した日々なんだろう。
――なにかに満たされるほどの心もないくせに。
おかしな妖怪と知り合った。
突然私を追いかけてきて、一緒に昼食を食べた。
それ以降、どうしてか私は、ちょくちょくと彼女と会うようになっていた。
一緒に遊んで、食事して、星空を観賞したりして。
彼女は、私のことを友達と言った。
友達?
ほんの少し、思考する。無意識に支配された体の内側で、わずかに過去のことを思い返す。
そうだ。
まだ心を捨てていなかった時、私は友達を欲していた。
心を読まれようと気にしたりなんかしない友達を望んでいた。
彼女はお姉ちゃんと会っても、心を読まれても、なにも気にしたりなんかしなかった。
むしろお姉ちゃんと定期的に会ったりして、親しくなっている。
私は、後悔した。
お姉ちゃんには彼女の心が読めるのだろう。それがなんだか羨ましい。
心を読まれても毛ほども気にしない彼女の思考回路は、いったいどんなことになっているんだろう。
なんだかとても気になった。
だから私は、第三の瞳を閉じたことを、本当に少しだけ後悔した。
人ごみをかき分け、脇道を縫うようにして進んでいき、やがて二人の人間の姿を目に留める。
片方はこれまで見たきたのと同じように、まさしく有象無象の一人だった。普段歩いているぶんには一切気にも留めず通りすぎていただろう人種。けれどもう片方の人間は、どこか懐かしい雰囲気を放っているように思えた。私を惹きつけるなにかを持っていると感じた。
そんな二人の前に躍り出る。それから、気になった方の人間――左側の黒髪の少年を見上げた。紺色のブレザーに灰色のズボン、黒色の鞄、どこにでもいそうな平々凡々な顔立ちや髪型。特筆すべきものはなにもない。
なにが気になったのだろう。首を傾げる。そうやって不思議そうにする私を見て、前にいる二人も目をぱちぱちとさせて顔を見合わせていた。
「こいしっ! その……す、すみません。この子は私の妹で……えぇーっと」
目を横に向けてみると、すぐ隣でお姉ちゃんが私の腕を掴んでいた。もしかしてずっとこうしてついてきていたのだろうか。全然気づかなかった。
なぜか申しわけなさそうにするお姉ちゃんに、どうでもいい方の人間が「あぁ、別にいいですよ」と首を横に振る。それから「外国のかたですか? 日本語うまいですね」と。
「え、あ、はい。ありがとう、ございます……?」
「はは、本当にうまいです。それでは俺たちはこれで……ほら、行こうぜ『――』」
どうでもいい方の人間がそう声をかけると、興味がある方の人間が初めて口を開いた。
「はいはい。じゃ、お二人さんがた、また縁があれば」
これまたすぐに忘れてしまいそうな印象の薄い、ありきたりな男性の声だった。私たちを物珍しげに眺めつつ、しかしそこまで興味があるというわけではないのか、適当な挨拶を残してどうでもいい方の人間とともに去っていこうとする。
気づいた時には、興味がある方の人間の腕を掴んでいた。無意識だったので私にも理由はわからない。
その少年が、私が現れた時以上に訝しげにこちらを振り向いてくる。
「あーっと……なにかな? もしかしてなにか用があったりとか」
頭を左右に振る。気になっている方の人間はもっと怪訝そうに顔を歪めた。それから、助けを求めるようにしてお姉ちゃんの方に視線を向ける。
「こいし、離しなさい」
「やだ。それよりお姉ちゃん、読める?」
「やだって……そこの人、困ってるわよ。それに読めるって、いったいなんの」
「心。読めるなら、教えて」
目の前の人間の顔がさらに不可解なものを見る目に変わる。そろそろ私たちへの警戒度もマックスになりかけていると言ったところかもしれない。
お姉ちゃんは私が腕を掴んでいる人間の反応を窺い、なぜか慌て始めた。さっき紫が魂が入ってないから気にしなくてもいいって言ってたのに。
「よ、読めないわよそんなもの。ほら、これ以上は初対面の人に失礼よ」
お姉ちゃんが力づくで腕を掴んでいた手を外してくる。その際に「さっきも言ったけど、深層心理の構成物は読むことができないのよ」と耳打ちしてきた。なんだ、あんまり役に立たないな。
私たちに背を向けて再度去って行こうとする平凡な人間の腕を、今度はもう片方のどうでもいい方の人間が掴んで止めた。
「って、次はお前かよ」
腕を掴まれた人間は脱力し、呆れたようにどうでもいい方の人間に視線を送る。
「まぁ待てって。この子はお前に用があるみたいだろ?」
「用ならないって、さっきジェスチャーで」
「いやいや、こんな可愛い子に呼び止められておいて、はいそうですかとすぐ帰ろうとするなよ。男が廃るぜ」
「はぁ? らしくないこと言ってんな。なんだお前、もしかしてナンパでもするつもりか? こんな年下の子らを?」
「違うって。俺が年上好きなのは知ってるだろ? つーかナンパされてるのは『――』じゃねーの。ほら、逆ナン」
「そんな雰囲気には思えんけど……はぁ。まぁ、別に急いでるわけでもないし、少し話すくらいならいいか」
しかたがなさそうに私の方に向き直る。しかし、結局なにを話したらいいかの判断がつかないらしく、困ったようにがしがしと頭を掻いていた。時折「あー」とか言ったりするけれど、私がじっと見つめているとすぐに口を噤む。
ふいと目の前の人間の胸をそっと触れてみた。ドクン、ドクン、と心臓の音がする。確かに生きている鼓動がする。
もう一度この人間の顔を見上げてみた。あいかわらず、困惑した様相で私に目を向けている。
「ねぇ」
「……なんですかね」
「今からこの世界を、案内してくれない?」
一歩引いた位置にいるどうでもいい人間と、どうしたらいいのかわからず右往左往しているお姉ちゃんに見守られながら、ただただ平凡な人間と見つめ合っていた。
この世界。その単語を、この人間は「理解できない」という風に顔を顰めている。
「それは、あれかな。この街を案内してくれ、ってこと?」
首を横に振った。人間はさらにわけがわからなそうな顔をする。
「あなたがいつも行くところとか、あなたのお気に入りのところとか、私に教えてほしい」
「は、はぁ」
頷くでもなく、否定の意を示すでもなく。
そんな中、触れている人間が次の反応を見せるよりも先に、どうでもいい方の人間が急に騒ぎ出した。
「ほら、やっぱり逆ナンだったな。俺の勘は今日も冴えてる。天才的だぜ」
うんうんと満足そうに頷くそいつを眺め、平凡な人間が肩を竦める。
「まるで昨日も冴えてたみたいな言い方だぞ」
「冴えてたんだよ。俺が冴えてるって言ってるからきっと冴えてたんだ」
「なんだそれ。滅茶苦茶な理論だな」
「でも、なかなか面白いだろ?」
「お前ん中ではそうかもな」
「だがお前の中にも今、それを植えつけた。マインドコントロールでな。きりっ」
「られてねぇ。あと最後のは口に出すなって、バカっぽいぞ。いやお前バカだけど」
「ひでぇ」
ずいぶんと軽快で、中身のない掛け合い。さきほどの人ごみの中で聞くような、事情を知らない人にとっては非常にどうでもいいジョークのような流れの会話。
でも。
目の前の人間は確かに笑っている。心の底から楽しそうに、ずいぶんと気負いのない気持ちよさそうな笑顔を浮かべ。きっとこういうくだらない話をいつも二人でしているのだろうということも、すぐにわかった。
おそらくは友人だろう人間との会話で気を紛らわすことができたからか、いくばくか戸惑いが抜け落ちた様子で、目の前の人間が私と目を合わせてくる。
「まぁ、案内するくらいなら別にいいよ。このまま断るとお姉さんの方を困らせちゃいそうだし」
「す、すみません。妹はいつもこうやって唐突にわけのわからないことをするので……」
「はは、結構大変そうですね。俺は一人っ子なので兄弟とか姉妹とかの苦労はよくわかりませんけど、ほどほどにお労りください」
まるで私が問題児みたいな言い方だ。私は基本的に誰の目にも留まらないし、別に大して問題なんて起こしたりしない。放っておけばいいんだから、そんなに手がかかる妹じゃないはずだけど。
そんなことを思っていると、帽子越しにぽんっと誰かの手が置かれた。
「妹ちゃんもお姉さんを困らせるのはほどほどにね。さっきそこのバカも言ってたけど、可愛いんだからさ。あんまり一人でふらふらしてるとお姉さんも気が気じゃないだろうし」
「うわっ、お前キザなセリフ吐くな。結構気持ち悪いぞ」
「自分でも一瞬思ったけど他人に言われると腹立つな」
頭の上から手が離れていく。それを名残惜しそうに見つめていると、その手の主である人間がくすりと笑みを漏らした。そして「悪い」と。許可も得ずに頭に手を置いたことと、もっと撫でてほしかったという私の気持ちを察したことの両方に対する謝罪なのだろう。
さてどこに行こうか、と。顎に手を添えて考え始める人間を見上げ、ふいと一つ、聞いていなかったことを思い出した。
「ねぇ、なんて呼べばいいの?」
「え? あぁ、『――』でいいよ」
「なんかそれ聞こえないのよねー。他になんかない?」
「聞こえない? んー、外国の人だから発音しづらいのかな。こんなに日本語流暢なら関係ないと思うけど……まぁ、だったらトーキョーとでも呼んでくれればいいよ」
「トーキョーって?」
「この国の首都の名前。深い意味はない。あぁ、発音は自由にしてくれていいから」
トーキョー、トーキョー。小さく口に出して復唱してみる。それを耳ざとく拾ったトーキョーが、頬を緩めてうんうんと頷いていた。
そんな時、トーキョーの肩をもう一人の人間がつついた。
「それじゃ俺もう帰るから、あとはがんばれよ」
「は?」
「だって俺はお邪魔だろ? ってことで、またな」
「あ、おいっ!」
トーキョーがもう一人の人間を呼び止めようと手を伸ばすが、それは空を切る。人間にしては速いんじゃないかな、程度の速度で走り去っていくそいつを、トーキョーは信じられないものを見るような目で見送っていた。
「……ったく。あいつ、押しつけるだけ押しつけて、途中でめんどくさくなったからって全部丸投げしやがったな……」
「トーキョー?」
「あー、なんでもない。俺たちも行くか? 確か、俺のよく行く場所とかお気に入りの場所とかに行きたいんだっけ」
首肯する。それから、私の左手とトーキョーの右手とで手を繋いだ。
トーキョーは少しだけ驚いたようだったが、すぐに若干笑みを見せて、手を握り返してきた。
「あんまり大したとこは見せられる自信ないけど……そういえば今更ですが、お姉さんはどうなんですか? さすがに俺みたいな見知らぬ男に妹さんを任せるのはオススメしませんよ」
「……いえ、妹には人を見る目がありますから、妹が大丈夫だと言うのなら大丈夫なんでしょう。それより、私もついていってもいいですか?」
「別にいいですよ。というか、もとより俺はそのつもりでしたから……妹さんのこと、信頼してるんですね」
お姉ちゃんも人数が減ったおかげで平常心を取り戻してきたようだ。私を見てため息を吐き、トーキョーを見てどこか恐縮したように縮こまる。
トーキョーはそんなお姉ちゃんや私に交互に視線を送り、微笑ましいものを見るように頬を緩めた。
「変態さん?」
「違うから。子どもは別に嫌いじゃないってだけ」
「変態さんじゃん」
「……好きとも言ってないんだけどなぁ」
トーキョーが両肩を上げる。さっきからずっと困惑してばっかりだった。
「ま、そろそろ行こうか」
「うん」
「あ、はい」
トーキョーの案内のままに、街を再び歩き始める。
まっすぐに行って、時には右に左に。高さが私くらいある凸型の機械等が止まっている際に、私やお姉ちゃんが興味の視線を向けたりすると、さりげなく歩みの速度を遅くしてくれたりする。なにか気になるものを指差してみると、解説をしてくれたり、それを使ったりそこに入った時の体験談を話してくれたりする。それから途中まで進んで気づいたけれど、どうやらできるだけ人の行き交いが少ない通りを選んでくれているようだった。
なんというか、細かいところで気遣いができる点は、一人の少女の姿を私に思い浮かばせた。無表情のくせにいつも他人を心配していて、なにか困っていることがあると頼まずとも手を貸してくれたりする。小石のような存在であるはずの私にすぐに気づいて、構ってくれる。
私やお姉ちゃんはそんな少女を連れ戻すための策に参加していた。けれどそれが失敗し、八雲紫という妖怪の手によって彼女の心の中に迷い込んでいる。
「いつも行くところって言ったら、ここは外せないな。まぁつまんないところだけどさ、学校」
「学校……ですか」
「いろんなことを学ぶんだ。外国語だとか古文だとか数学だとか。ただまぁ、大抵は生きる上でほとんど役に立たない知識だよ」
お世辞にもいいとは言えない汚れた空気、嫌な暖かさ、耳障りな喧騒、灰色が立ち並ぶだけの無感動な世界。もしもここがあの少女の深層にある世界なのだとすれば、それがどういう意味を指すのか。
基本的に原風景というものは、人の印象に残りやすい上で美しい景色の形を取るはずだ。高いところから見下ろす自然だとか、稲穂が風でなびく風景だとか、綺麗に流れる川の光景だとか。
トーキョーに手を引かれながら、学校、公園、よく行くファミレスとやら、あまり参拝客のいない神社の敷地と、いろんな場所を回っていく。そしてそのたびに不可思議に思う感覚が強まっていった。
どんなところであろうとも幻想郷の美しい自然には遠く及ばない。あの世界に慣れてしまった私の感性は、こんな灰色の世界のどこを回ろうとも感動なんて覚えやしない。
だからこそ思う。なぜ、こんな世界が彼女にとっての原風景なのか。
考える。考える。考える。
考えるだけの機能が無意識でしか行動できない私にあるのかはわからないが、考えているフリであろうとも、とにかく考えようとする。
その『答え』が、きっと重要なことなどではないことはわかっていた。
その『答え』が、きっとなによりも単純で大したことがないことなんてわかっていた。
それでも知りたかった。私には心が読めない。だからこそ、それが彼女を理解するということに繋がるというのなら、どうしても知りたかった。
「ここが最後かな」
そんな風に頭を抱え続けていると、そんな声が聞こえて顔を上げた。
私とお姉ちゃん、そしてトーキョーは橋の真ん中の歩道に立っていた。東の空は暗くなって星が見え始め、西の地平線付近では太陽が沈み始めているのが窺える。これまで通った場所は少なからず車が通りかかったりしていた気がしているのだが、この辺りはずいぶんと静かなようで、橋の下の方からは水の流れる音がわずかに聞こえてきていた。
どうやら結構な時間が経過してしまっていたらしい。無意識中の無意識で行動していたから、ここまでどうやって来たのかもまったく覚えていない。数年前まではいつもこうだったのだが、どうにも彼女と出会ってからはいろいろなことを覚えているようになったから、なんだか久しぶりの感覚だった。別段懐かしくはないが。
トーキョーが、橋の高欄に肘をついた。西の空を見据え、どこか満足げに目を細める。
「俺にとってはここが、この街で一番のお気に入りの場所かな」
「この橋が、ですか?」
「ああ。ほら、川が流れてるだろ? で、それがまっすぐとずっと続いてるから、この先には一切建物がないんだ。だからほんの少しの地平線ができ上がって、そこに太陽が沈んでくところが見える。で、水に光が反射してそれも綺麗だったりする」
お姉ちゃんと並んで、トーキョーの向いている方と同じ方向へ目を向けてみる。確かに、この世界で見てきた中では一番の美しさかもしれない。眩しすぎない程度の橙色の太陽の光が、川を通ってほんのすぐそこまで迫ってきているように見える。地平線はかなり狭いけれど、逆に狭いがゆえに太陽の光を独り占めしているように思えた。
だが、これもまた幻想郷の風景の美しさには遠く及ばない。
これが一番のお気に入りだと聞いて、ほんのちょっとだけ、心の中で落胆の感情を抱いてしまったのがわかった。
それを察したかのようにトーキョーが苦笑いを私に向けて浮かべてきた。それから前に向き直り、どこか申しわけなさそうに、寂しそうに。
「……別にさ、そこまで綺麗じゃなくったっていいんだ。目を見張るほど美しくなんかなくていいんだ。ただこうしてさ、日常で届く範囲で楽しさを味わえてれば、それだけでよかったんだ」
「トーキョーさん……?」
日が沈んでいく。西の空には地平線に橙色の残滓が残るだけとなり、川による光の反射も終わってしまった。
それでもトーキョーはずっと遠くを見つめたまま、虚しい笑みをたたえている。
「これだけの世界でも、こんな程度のものしか見れない日々でも、幸せだったんだよ。俺はあいつ以上のバカだったから、死ぬまでそのことに気づけなかったけど……充実してたんだ。なによりも」
――目の前の人間は確かに笑っている。心の底から楽しそうに、ずいぶんと気負いのない気持ちよさそうな笑顔を浮かべ。きっとこういうくだらない話をいつも二人でしているのだろうということも、すぐにわかった。
少し前に抱いた自らの思いと、トーキョーの笑顔を思い出す。
あぁ、そうか。なんだ、やっぱり、とても簡単な『答え』だったじゃないか。考えるまでもなかった。
どれだけ美しいかなんて関係ない。幻想郷と比べてだとか、まるで意味がない。
楽しかった。この人間にとっては、すべてはただそれだけのこと。
「不満がなかったわけじゃない。けどさ、外界がどんなに麗しかろうと、どんなに年月が経ったとしても、ここが俺の故郷だってことに変わりはない。まだちっちゃかった頃、この世界で過ごしたって事実は変わらないんだ。両親に愛されて、友達とバカやって、勉強とか運動とかに打ち込んで……あぁ、楽しかったなぁ……」
「……トーキョーさん、やはりあなたが」
「ああ、その通り。俺が、この世界の核だよ」
すでに橙色の残滓さえ空から消え去ってしまった。
トーキョーはまるで自嘲するように口の端を吊り上げると、ゆっくりと私たちの方に振り返り、高欄に背と肘を預けた。
私たちを見渡す。私と、お姉ちゃんと、トーキョーが地平線を眺めているうちに空から降りてきた紫、レミリア、フランを。
「外界からようこそ、皆さん。それから初めまして。俺のことは、トーキョーとでも呼んでくれ」
□ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □