東方帽子屋   作:納豆チーズV

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 Sie war immer allein. Jedoch war es nicht einsam.
 ――彼女はいつも一人だった。けれどそれは、決して孤独などではなかった――――。


三.Priesterin und Zauberer

 □ □ □ Standpunkt verändert sich zu Reimu Hakurei □ □ □

 

 

 

 

 

 空を雲が覆い尽くすために薄暗くなっている世界の中を、静かに降りしきる雪が真っ白に染める。ただ一色に染め上げる。その勢いこそ強くはないが、それが冬の寒さを象徴した一つの現象であることに変わりはない。

 ぱらぱら、ぱらぱら、ぱらぱらと。その勢いは吹雪と比べるとはるかに儚く、一種の侘しささえ私に感じさせた。

 なにかが足りない。そう、空が嘆いているように見えるのは気のせいだろうか。

 この虚しさのわけを教えてくれ。そう、空が懇願しているように見えるのは気のせいだろうか。

 無意味な自問自答。答えなんてわかり切っていた。

 笑う。

 気のせいである。どちらも空が思っていることではなく、私が感じていることだ。

 

「で、霊夢。お前は動かないのか?」

 

 境内に座って、なにもせずぼーっと雪を見つめていると、神社の表の方からこちらに歩いてくる音とともに、聞き慣れた声が聞こえてきた。

 声音や口調、見知った仲のごとき唐突な会話の切り出しから誰なのかは明白だったが、一応視線だけは送って確認しておく。確信通り、そこにはいかにも魔法使いと言った黒い三角帽子をかぶった一人の少女。少女は私の隣に腰を下ろすと、きょろきょろと私の座っている周辺に目を向け始めた。

 

「お茶はないわよ」

「みたいだな。残念だ」

 

 まるで本当に残念に感じているかのように、やれやれと少女こと霧雨魔理沙が肩を竦めた。

 この異変の影響下で残念だなんてことを思えるはずがない。魔理沙はただ、昨日までの自分のことを思い返して、きっとその時までの自分ならそう思っていただろうなと再現してみせているだけに過ぎなかった。

 魔理沙が、疲れを吐き出すかのように大きく息を吐く。

 

「里の様子、見てきたんでしょ? どうだったの?」

「ああ、まぁ、よくわからん感じだったな。なんか偉そうなやつらが『今日は外出禁止だ!』って焦ったフリしながら言い回ってたぜ」

「ふぅん。ま、今の状況じゃそれが最善かもね。誰か一人でも下手に動いて感情が爆発なんてしたらどうなるかわかったもんじゃないし」

 

 今、幻想郷は未曽有の異変に襲われていた。紅い霧が瞬く間に幻想郷中に広がったと思ったら見えなくなり、それを境にして、世界の法則が乱れ始めたのである。

 刃物で切り傷を負わなくなった、魔力等の力で傷つかなくなった、高いところから転落した際に怪我を負わなくなった、人間も妖怪も空腹を感じることはなくなり、なにも食べずにいても平気であるようになった。その他にもさまざまな変化が生じ、その中でもなによりも問題とされているのが、人々の負の感情が失われてしまっていることであった。

 悲しい、辛い、苦しい。そういう感情が、宙空を見つめて考えごとに耽る時のような虚ろな気持ちへと勝手に変換される。不安、恐怖、心配。そういう感情で、心を痛めることがなくなった。

 当然、さきほど魔理沙が口にしたように残念だと思い、不満に感じることも今はできない。できるとすれば昨日よりも前に『どういう時にそういう負の感情を覚えていたか』を思い出し、そのフリをする程度である。

 そしてそのフリは現在、ほとんどの人妖が行っていることだということを私は知っていた。

 皆、本能的にことの恐ろしさを感じているのだった。その恐怖という感情の痛みさえ消え去ってしまうが、それでも本能は理解しているのである。負の感情を完全に忘却してしまえば生き物は生き物ではなくなるのだと。だからこそ誰もが記憶に残る過去の感情を必死に思い出し、模倣する。そうしていなければ自己を保つことができないから。

 私もその一人なのだろうか。ふいと、そんなことを考えてみる。

 どうだろう、わからない。なにせ自分のことだ。そんなくだらない回答が出てきた。

 

「でも、もし本当に人里が魔理沙の言ってるような状態なら」

「本当だぜ」

「危ないかもね。外出が禁止されている側より、禁止するように行動している側が」

「そうだな……って、うん? どういうことだ?」

 

 疑問とともに、魔理沙が解説を求める目をしていた。でもその前にまずお茶を一口飲もうと、横に手を……そういえばいれてないんだった。

 普段ならそのことに落胆や不満、めんどくさいという念の一つくらい抱くだろうが、あいにくと今はそんなものは発生し得ない。ただただ喉の渇きにも似た物足りなさが胸を占めるだけだ。

 しかたなく、そのまま私の想像を話してあげることにする。

 

「禁止されてる側の人間はひとまず大丈夫だと思うわ。それだけのんきな本能持ってるんなら、たぶんしばらくは普通にやっていける」

「よくわからんな。それでどうしてこの異変の危険性を把握している連中の方が危ないって言うんだ?」

「把握しているからこそよ。把握してしまっているからこそ、負の感情がないという事実に必要以上の注意を向けてしまう。そして意識してしまうの。今の状況を恐ろしく感じなければ、なんて出所のわからない使命感に支配されてしまう」

「だから、それがどうしたんだよ。別にいいじゃないか」

「その考えはいずれ必ず昇華して、『どうして恐ろしく感じないといけない?』なんて疑問に変わるのよ。そうなったらもうおしまいね。その理由は全部なかったことにされちゃってるんだから、恐ろしく感じようと努力していることが無意味なことに気づいてしまう。そして受け入れてしまうでしょうね。今の、負の感情に痛みがない世界を」

 

 今回の異変においては無関心なくらいがちょうどいいのだ。何事も気にせず、普段通りに過ごすくらいのんきな方が精神は異常になりにくい。

 英知は時に人を惑わせ、盲目にする。それが中途半端な愚か者であればさらに手に負えない。この異変で影響を一番受けないのはおそらく、妖精のような頭のネジが緩い種族(バカ)たちであろう。

 

「はぁー。って、それを聞いた私は大丈夫なのか?」

「『知っている』と『理解』は別物よ。あんたも必要最低限だけ注意して、過剰に異変の影響を気にしないようにしてね」

「りょ、了解だぜ。って、こういう動揺もダメなのか? っていうか動揺はできるみたいだな」

 

 予想外のことにただ驚くこと。それは正でも負でもない、無にもっとも近い感情だ。それなら当然することができるだろう。

 ただ、慄くことはできないはずだ。きっと恐れるという部分だけが抜き取られ、驚愕だけが残される。今の魔理沙がそんな状態だと感じた。

 

「霊夢は平気なのか? 少なくとも私よりは『知っている』んだろう? それがランクアップしてたりとかしてないのかよ」

「私? 見ての通りだけど」

「じゃあ平気じゃないな」

 

 どうしてそういう結論に至るのだろう。ご覧の通り、私はいつも通りの正常だというのに。

 そんなことを思っている私の表情を見て、魔理沙が大きなため息を吐いた。

 

「お前はおかしい。私が断言する。こんな大規模な異変が起こってるっていうのに動こうともせず、ましてやお茶も飲まずにただ空を眺めてるだけなんだからな」

「そんな気分なのよ」

「どんな気分だよ。そんな気分のお前は見たことがないぜ。そもそもお前だってわかってるはずだろ? この異変以前に、もっと大きいなにかが……いや、誰かが決定的に足りないってことが」

 

 足りないものなんてたくさんあるだろう。負の感情、そこから生じる痛み、死ぬ方法。

 そうじゃない、と魔理沙が首を横に振る。どうしてか真剣そうな顔で、私をまっすぐに見つめてくる。

 

「私も里の連中も、正気を保つためかどうかは知らんが、無意識のうちに記憶を掘り起こして昨日より前の自分を再現するようにしてる。だからわかるんだよ。その記憶に欠落が……どうしても思い出せない部分があるってことがな」

「ふぅん。で?」

「お前だってそうじゃないのか? そのことでずっとここで無意味に悩んでるんじゃないのかよ。らしくないぜ。そんなことしてないで、さっさと探しに行くのが博麗霊夢だろ。それで、いつもの勘でパパッと解決するんだ。異変と一緒にな」

 

 いややっぱ訂正する、解決するのは私の方だ。そんな風に言い切る魔理沙を、私は物珍しい気持ちでじっと見つめていた。

 どうしてわざわざそんなことを私に言う? いつもなら私が動かないのをいいことに、自分だけで解決しようとするくせに。

 次第に魔理沙の顔が恥ずかしそうに赤らんでいき、こっち見るなと言わんばかりにシッシと手で追い払う動作をしてくる。その時、はたと気づいた。彼女は珍しく私を励ますために今のような言葉を吐いたこと、そしてじっと見られたゆえにその意図が私に看破されたのかもと感じて、恥ずかしく思ったのだろうということ。

 それらを意識して、くすり、と。

 自然と私の口元に笑みが浮かんだ。それにちょっとだけ驚くと同時に、なんだか納得もする。

 らしくない。魔理沙の一言が私の心に強く木霊する。

 そうだ、私はなにをやっている? どうしてこんなところでただぼーっとしている? こんなのはいつもの私じゃない。もっと他にやりたいことがあるはずだ。それに向き合わずただ立ち止まってるだけなんて、そんなのは私らしくない。

 当たり前のことのはずなのに、魔理沙からそれを気がつかされてから、段々と靄や霧が晴れていくような心持ちだった。

 いったいなにを悩んでいたのだろう。なにを心苦しく思っていたのだろう。

 憂うくらいなら行動に移せばいい。悩むくらいなら根本から潰しにいけばいい。それは私のいつもやってきたことであり、こんなうじうじとしているのは性に合わないことのはず。だからこんなにも腑に落ちない気分でいるんだ。

 すぅ、はぁ、と深呼吸をする。一度気持ちを落ちつかせ、思考を切り替える。

 私は改めて魔理沙に向き直ると、ニヤリと意識的に口の端を吊り上げた。

 

「へぇ、あんたが異変を解決ねぇ。宇宙人どもの時はあいつに誘導されて関係ないやつを退治しに行ってたし、神奈子の時はむしろ邪魔してきたじゃない。今回だってそんな感じで役に立たないんじゃないの?」

「ふんっ、過去に縋るなんて見苦しいぜ。私は未来に生きるんだ」

「経歴は大事よ。なにせそれで自分に対する人の見る目が変わるんだから」

「未来も大事だ。なにせ、なにか偉大なこと一つやってのけるだけで自分に対する人の見る目が変わるんだからな」

 

 しばらくにらみ合い、それから互いに大笑いした。どんなに嫌味を言おうと心に痛みはない。だけれどそんなもの関係なしに、減らず口を、なんて思う。それは魔理沙とたわいもない言い合いをしている時に抱く気持ちとまったく同じものだった。

 いつも通り。そう、いつも通りでいい。いつも通り私たちは異変に臨み、いつも通り互いに協力や邪魔をしながら解決する。そうして何事もなかったかのように祝いの宴会を開くのだ。

 立ち上がった私に、どこか安心したように息を吐いた魔理沙が、「で」と問いかけてくる。

 

「元気になったみたいだが、結局なにに悩んでたんだ? ずっとアホ面で上の空だったが」

「誰がアホ面よ。そういうあんたはいつもバカ面引っさげてんじゃないの。別に、大したことじゃないわ」

 

 頭をよぎるのは昨日の記憶、そしてとある少女と知り合ってから今日に至るまでの思い出だった。

 

「私ね、人って言うのは究極的には一人だって思ってるの。誰と会って話しても、誰とどれだけ親しくなっても、自分の気持ちは自分だけのものでしょう? 誰にも共感なんてできない。私は私、他は他。ずっとそう思ってきたし、今だってそういう考えは変わらない」

「まぁ、霊夢らしいな。それでそれがどうかしたのか」

「一人……めんどくさいやつがいたのよ。私は私のやりたいようにやってるだけなのに、そいつはその行動をいちいち気にしてくるの。ちょっとでも危ないことしようとすると『大丈夫ですか?』『怪我はありませんか?』ってさぁ、もう鬱陶しいくらいに。そんなの私の勝手でしょって言ってやりたいわ」

「鬱陶しい、ねぇ。その割に今のお前は笑ってるが」

「そういうのがなんだか心地いいって。あいつと付き合ってると、段々そう思えるようになってきたのよ。親に恵まれなかったからか、私の心配なんてしてくれる連中が人間にも妖怪にも一人もいなかったからか……どっちでもいいけどね。まぁ、あんたは、ちょっと気にかけてくれることがあるみたいだけど」

 

 なんだか照れくさくなって視線を逸らしてしまった私を、魔理沙はニヤニヤとムカつく笑みで見つめてくる。いや、今はムカつくなんて気持ちは抱けないのだが、昨日までの私なら一瞬で蹴り飛ばしていただろう確信が私の中にはあった。

 

「はぁ……まぁいいわ。それで昨日、あいつ泣いてたのよ。いえ、昨日だけじゃない。たぶんずっと……そう。助けを求めてたわ。私と初めて会った時よりずっと前から。そんな気がする」

「あいつ、ねぇ」

「……私はいっつも心配されてたのに、私の方があいつの悩みにずっと気づいてやれなかったのが……なんていうか、不甲斐なかった。助けられると思ったのよ。あいつは優しいから、ちょっと手を伸ばして引き寄せれば、それからなにかなぐさめる言葉でも吐けばって……でも、甘かったの。考えが、いえ、覚悟が。相手のことを知ろうともしないで、ただ与えられるだけの心配の念を心地いいなんて思ってた私の手は、ほんの少しもあいつには届かなかった。バカなことしようとしてたあいつを止めてあげられなかった。こんなことしようとするくらい追い詰められてたはずなのに、その気持ちをわかってやれなかった。それでなんだか自分がひどく無力なやつなんだって感じてね」

「だからこんな意味もなく空を眺めてたのか」

「……もうそんな気もないけど」

 

 なにが足りないかなんて、私は最初からわかっていた。すでに日常の一部と化してしまったお節介焼きな小さな女の子がいない。

 この虚しさのわけなんて、私は最初からわかっていた。一度失敗してしまった自分にはなにもできないかもしれないという、それこそ意味をなさない無力感に苛まれていただけだ。

 なんてバカらしい。いつもの気ままな巫女としての自分はどこに行ったのか。本当に、どこへ行ってしまったのやら。

 

「さて」

 

 ――私は少なからず、いなくなってしまった少女のことを特別だと感じていたんだろう。ほんの少しと言えど、心を預けていたのだろう。今まで気づかないくらい小さくとも、どこか大切に思っていたのだろう。

 ――だからこそ失った時の痛みが忘れられなかった。助けられなかったことを悔やむ感情が生まれ、動けなくなった。行動に移すことが怖くなった。

 ――けれど、そんなものは私らしくない。なにかに臆するなんて私らしくない。そのことを旧知の友人が教えてくれた。

 きっと恐怖なんて感情、私には似合わないのだ。なにかをなくすかもしれないなんて重圧も、私には似合わない。

 ただ在るがまま。いつもそうやってきた。だから、これからもそうしていけばいい。

 私は思うがままに過ごし、行動し、時にはぐーたらと寝転がる。やりたいようにやる、そしてその後やそれに類することは一切気にしない。きっとなるようになる。ならないようなら、なるようにする。

 そして今からはその中に覚悟を持てばいいのである。自分が侵したすべてを受け入れる決意を持つようにする。そうしてあいつを助けに行くのだ。

 

「行きましょうか。魔理沙」

「当てはあるのか?」

「紅魔館よ。私も思い出せなくなっちゃってるから、あいつに関して確信したことはあんまり言えないけど……あいつはそこに住んでた気がする」

 

 私は、いつも私を気にかけてくれていた少女を助けたい。だから助けに行く。ついでに異変も解決する。

 そう思っているから、そのために行動を起こす。私ができることなんてそれだけだった。でも、それだけはできる。やってみせる。

 靴を履いて歩き出すと、魔理沙が竹箒を手についてきた。そのまま一緒に神社の表の方に回り、軽く首を回したりと固まった体を解しておく。

 お腹減らないし喉も渇かないし気が乗らないから、昨日からなにも食べてなかったけど……お茶をいっぱいくらい飲んでおけばよかったかな。

 いや、今はやめておこう。この名残惜しさのぶんも、あいつが戻ってきたら付き合ってもらえばいい。異変なんてものを起こしたことを叱りながら、一緒にお茶を飲んでもらえばいいのである。

 さて、そろそろ紅魔館へ向かおうか。なんて時、ふと、風に紛れてどこからともなく声が流れてきた。

 

『まったく、あの吸血鬼といいあなたといい、いったいなんなのよ』

 

 一瞬ビクッと肩が震えたが、それが聞き慣れたものだということに気づき、魔理沙と顔を見合わせる。

 

「霊夢、この声は……」

「ええ」

『せっかく結界に歪みを開けてまで異変に備えてたのに、あなたたちに自主的に気づかれて正しい方向に向かわれたんじゃ、私が単なる道化みたいじゃないの』

「こう、聞いてるだけでめんどくさいって気持ちが充満してくるような声。間違いないな」

「そうね。紫だわ、これは」

『あら、ひどいですわ。そもそもめんどくさいなんて感情、今は抱けないでしょうに』

 

 いつもなら唐突に現れて驚かしてきたりするところなのだが、辺りを見回してもそれらしき影がない。

 

『見えない霧が充満してて、それにちょっと厄介な効果が付与されてるから、迂闊に出るわけにはいかないのよ。姿が見えないのは我慢してちょうだい』

「あっそ。で、なんの用?」

 

 紫の事情なんて果てしなくどうでもいい。見えないなら見えないでそれでいい。

 問題なのはせっかく出発しようという時に声をかけられたことだった。異変の最中に出会う人妖に容赦する気はない。だから、もしそれ相応の用事がないようなら今度退治してやる。

 そんな私の内心を察したのか、紫の声がちょっとだけ慌てた風に乱れた。

 

『用、用ね。用というか、あなたたち紅魔館に行こうとしていたでしょう?』

「そうね。それがどうかしたの?」

『紅魔館についたら、そこの主の幼い吸血鬼……レミリア・スカーレットのもとへ向かうといいわ。それからあなたたち以外にもいろいろと私が集めてくる予定だから、暴れたりしないでそのまま一緒に待ってなさい』

「一緒にぃ? なによ、今回あの館のやつらが手伝ってくれるとでも言うの? ちょっと行く気失せたんだけど」

「心強いっちゃ心強いが、めんどくさそうだしな。レミリアだし」

『まぁまぁ、そう言わないでちょうだいな。そもそも落胆なんて感じられないんだから行く気なんて失せるはずがないでしょう。今回の異変はそれだけ大がかりってことよ。武力で挑んでも勝てない確率の方が高いから、心理的に攻めるしかないの』

「なにそれ。異変をやめるよう説得するってこと? そううまくいくかしら」

『わからない。でも、いかせるしかない』

 

 確かに紫の言う通り、今ははっきりと思い出せなくなってしまっている誰かは、とにかく武力に長けていたように感じている。弾幕ごっこという遊びでさえ相当に強かったことを、なんとなくではあるが覚えているのだった。一対一でも勝てるかどうか、魔理沙や咲夜と言った面々と組んで挑むことで、やっと勝利を収めることができるだろうという具合だったはずである。

 それでも同じ吸血鬼のレミリア、一応は妖怪の賢者とされている紫が一緒ならば勝利を収めることなんて容易なのではないか。無理矢理止めるのも可能なのではないか。それで、説得なんて懲らしめてからすればいい。

 そう思いかけているのが伝わったのか、紫が珍しく苦々しげな声音で『あの子は』と独り言のように呟き始める。

 

『あの子は……厄介な、それこそ禁術と指定されてもいいような魔法に手を出してる。私や藍、萃香と言った面々が揃ったとしても勝率は五パーセントにも満たないでしょう』

「禁術だって?」

 

 魔理沙が耳ざとく、興味ありげに反応を示した。魔法使いとして聞き逃せないことだったのだろう。

 しかし紫はそんな彼女を『あなたが考えているほど生易しいものではない』とすぐに窘める。

 

『おそらくは、死をなくしてしまったことによりいずれ襲ってくるだろう冥府の恐ろしい死神たちへの対策なのでしょうけど……果たしてその時、幻想郷は無事でいられるかしら。幻想郷の人妖たちの心がおかしくなるかもしれない現状も十分不安だけれど、そこも心配なのよねぇ』

「ふぅん……つまり、あんたはこんなめんどうな異変はさっさと解決しなさいって言いたいわけね」

『ええ。でもあの子の説得にはおそらくあの子の姉やあなたたちだけではまだ不足……あぁもう。幽々子は自分じゃその役目は務まらないって動こうとしないし、萃香は傍観するって約束したからなんてわけのわからない理由でいつまでもお酒飲んでるし、嫌になっちゃうわ。本当、一人だけ苦心してる私が道化(バカ)みたいじゃないの』

 

 お前も苦労してるんだな、と完全に他人事の、一切の労わりを感じさせない声音で魔理沙が呟く。さきほども思ったが、私も紫の事情は果てしなくどうでもいい。

 紫が大きなため息を吐いたのがこちらまで聞こえてきた。普段ならムカつくし気が滅入るからという理由でお札の一つでも投げていたところなのに、あいにくと今は本人が近くにいない。出て来れないと聞いた時は少々気分が高揚したものだけど、今は逆にイラついた。そのイラつきも昨日までの自分を思い返しての単なるフリで、実際には一ミリたりとも怒りに類する感情は抱いていないのだが。

 

「ま、とにかく私たちは紅魔館で待ってればいいのね」

『そうなるわね。くれぐれも無駄に暴れたりしないで、私が来るまで待ってなさい』

「あんまりに遅かったらお前を現行犯退治するぜ」

『現行犯って、今回私は捕まえる側なのだけど』

 

 その後も一言二言適当な会話をしたのちに、別の人妖に協力を申し出に行くと言って紫の声は消えてしまった。

 異変をやめるよう説得する。紫はわからないと言っていたし、そううまくいくのだろうか。

 そうやって不安になりかけた思考を、ぶんぶんと頭を横に振ることで掻き消した。

 不安に思うな。悩んでいるなんて私らしくないと隣の腐れ縁に教えられたばかりじゃないか。もっと楽観的に、あるがままに行動すればそれでいい。うまくいく、うまくいかせる。

 

「ん、あれは……咲夜か? 迎えに来たのかねぇ」

「あら、本当に紫は道化だったみたいね」

 

 こちらに向かってくる人影を捉え、魔理沙と笑い合う。

 空はあいかわらず白い粒をぱらぱらと落としていた。寒さは衰えることを知らず、異変が起こっているにもかかわらずいつもと変わらない冬の景色がそこにある。最初は寂しげに見えたそれが、どうにも今は静かに私を激励しているように見えた。

 思うがままに助けてやれ。そう、空が微笑んでいるように見えるのは気のせいだろうか。

 無意味な自問自答。答えなんてわかり切っていた。

 ――私によくしてくれる小さな女の子が泣いていた。だから助けたい。その涙を拭ってあげたい。

 笑う。

 気のせいである。それは空が思っていることではなく、私が感じていることだった。

 

 

 

 

 

 □ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □


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