東方帽子屋   作:納豆チーズV

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八.魔法使いの矜持、そして月旅行

 パーティが行われた日から二日が経ち、ついにロケットで幻想郷を発つ時がやってきた。前日の夜はフランが俺の部屋まで訪ねてきて、楽しみを堪え切れないという風な彼女とともに一緒に月の話をしたりしていた。一応、月につくまでは一〇日以上はかかる。そのことをフランも知っていたが、出発の一日前というのは興奮してしまうものらしい。

 今、大図書館ではパチュリーの指示で妖精たちがせわしなく飛び回っていた。ロケットの中に余計なものはないか、必要なものはあるか、構造に不備はないか、魔術的仕掛けはきちんと発動するようになっているか。その他さまざまなことを確認し、ロケットが安全に月へたどりつけるかどうかを再確認している。

 大図書館の中央、極太の赤い線が敷かれた上で圧倒的な存在感を放つロケットは、前世の記憶で俺が知っているものよりもはるかに歪な形をしていた。本体は縦幅よりも横幅が長いほどに短い、しかし一つで小屋ほどの大きさがある木製の筒を三段。それぞれを少しでも外側に動かしたらそのままずれ落ちてしまいそうなほどの危なげな位置に置いて、上に重ねてある。下から上へ行くにつれて筒は小さくなっていき、一番上の筒のてっぺんは他の二つと違い、平面ではなく三角錐の形にされていた。その三角錐には神社でよく見るような注連縄が巻かれていたり、千社札が大量に貼られたりしている。霊夢が言うには日本の航海の神さま、住吉三神の力を借りるとのことなので、日本にちなんだ和風の意匠を付け加えたのだろう。

 それぞれの筒には外が見えるように窓が備えつけられており、なんと内側から開けてしまえるようであった。一番下の筒だけに扉が設置されていて、がちゃりと開いて中に入るだけの簡単な作りをしている。

 外の世界の常識で考えれば空気が漏れてしまうのでこんな作りは論外なのだが、永琳が言うにはこのロケットの旅中では空気のない空間なんて存在しないとのことなので、きっとなんの問題もないのだろう。

 俺はロケット近くの本棚の上に座って、自分の目でロケットの安全性を確認していた。錬金術を習っているだけあって、物質の細かい構成を読み取ることには自信がある。そしてロケットには俺の目から見てもなんの問題もないことをしっかりと確認し、本棚からロケットの近くに跳び下りた。

 パチュリーのすぐ隣に、トンッと着地すると、その視線が俺の方に向いた。

 

「あとは鎖で縛って完成、ですか?」

「ええ。これでほぼ間違いなく……いえ、一〇〇パーセント完全に月にたどりつくことができるはずよ」

 

 自信満々に、そして誇らしげにパチュリーが宣言する。誰かの手の平の上で踊らされた結果とは言え――パチュリーもそのことは把握しているだろう――、月へ行くことができるほどの仕掛けをこうして実際に作り上げたのだ。きっとパチュリーにとっても、これはいい経験になったのだろうと思う。

 とりあえず、背伸びをしてパチュリーの頭を帽子越しに撫でてみた。しばらく呆けられた後、ジト目で睨まれる。

 

「……なにやってるの?」

「いえ、なんだか褒めてほしそうな顔をしてたので」

 

 はぁ、とこれ見よがしにパチュリーがため息を吐いた。それでも俺の手を払うということはせず、気が済むまで好きにやらせてくれる。どことなく嬉しげに見えるのは勘違いだろうか。

 さすがにいつまでもこうしているわけにはいかないので、手を離し、パチュリーと一緒にロケットの方に向き直る。

 最終的に月に行くメンバーは、俺、レミリア、フラン、咲夜、霊夢、魔理沙、三人の妖精メイドということになっていた。予定の搭乗員に魔理沙が加わっただけである。どうやらパーティでロケットの愛称の募集をした際、魔理沙が提案したものが採用されたらしく、彼女は搭乗券を得ることができたようだ。忍び込むのかもと考えていたが、当てが外れた。

 

「本当にパチェは行かなくていいんですか? せっかく自分で作ったロケットなのに」

「いいのよ。私には、ロケットを月に導く魔法をしなければいけないから。そしてそれはロケットの外からしかできないの」

「住吉三神がいても、ですか」

「あの神さまたちはあくまでの推進力。別に海図や方位磁針(コンパス)が必要なのよ。レーテは私よりも魔法に通じているんだから、それくらいはわかっているはずでしょう?」

 

 もちろん理解している。ロケットに乗っていては現在位置の座標が定まらないし、なにかを思い通りに動かすためには、動く物体のはるか遠くにいた方が視野が広いおかげで確実に行えるのだ。

 だけど、パチュリーはわざわざ俺たちのためにロケットを苦心して作ってくれた。必要なものを洗い出して咲夜に材料を集めてくることを指示したり、レミリアと共同でアイディアを出し合ったり、妖精メイドたちに支持を出したり――ロケットを作るためのすべてにパチュリーは関わっている。だからこそ彼女には乗る権利がある。

 なにか方法はないか。そう考え始めて、ただ一つ、方法があることを思い出した。

 

「……私の使える魔法の中に一つだけ、パチェをロケットに乗らせながらも、ロケットを正しく月へ導くことを可能にする魔法があります」

「レーテの魔法……? 影の魔法、強化の魔法、錬金術……あと、最近覚えた私が教えたのが召喚魔法ね。レーテならその他にもいろいろ使えるんだろうけど、さすがに今の状況をどうにかする魔法は」

「あるんですよ、一つ。ちょっと前に新しく完成したんです。だから、どうですか? なにも心配はいりません。私たちと一緒に月に行きましょう」

 

 そんな言葉を告げるのと一緒に、右手をすっと差し出した。この手を取ってともにロケットの中に入ろう、と。

 パチュリーはそんな俺の顔を数秒間見つめた後、自身に差し出されている俺の手の平に視線を下ろし、けれどゆっくりと首を横に振った。

 

「やめておく。私にはこの図書館にいるのが性に合ってるわ。長い間本のない場所で生活するなんて考えられないもの」

「でも」

「月になんて私は行けなくてもいいのよ。ロケットを作ったのはいい経験になったわ。だからこそ私は、月に導くという工程にも自分自身が関わりたいと思ってる。最後の最後まで魔法使いとして、始まりから終わりまですべてをこの手で行いたいと感じてるの。それこそ月に旅行するなんてことより、ずっと強くね」

 

 だからそんな私に申しわけなさそうな目をしないの、とパチュリーが微笑みながら俺にでこぴんをしてくる。ほんのちょっぴりだけ痛かった。

 パチュリーの言葉が本心だということは嫌というほどに伝わってきていた。彼女はこの館の誰よりも魔法が好きで、誰よりも魔法に対して真摯で、魔法使いとしての誇りを持っていて、常に努力を続けている。だからこそのこの言葉なのだ。パチュリーの望みは月に行くことではなく、月に俺たちをたどりつかせること。

 これ以上彼女を月旅行に誘うのはやめにすることにした。むしろそれをしてしまうことは、パチュリーの魔法使いとしての道程の邪魔になる。

 

「……じゃあ、お願いしてもいいですか? パチェ、どうか私たちを月へと導いてください」

「ふふっ……はい、レーツェル・スカーレットさま。このパチュリー・ノーレッジ、紅魔館の住人として、あなたさまの家族として、そして魔法使いの矜持にかけまして、しかと承りました」

 

 冗談交じり、しかしどこか真剣に格式ばった受け答えをしたパチュリーに見送られ、俺はロケットの一段目の扉を開けて入っていった。

 中には霊夢や魔理沙、咲夜がすでに乗っていた。あと少しでレミリアとフランが妖精メイドたちを連れてくると思うので、出発は彼女たちが来て、ロケットに鎖を巻いてからである。

 不思議なことに、少なからず無意識に存在していたはずのロケットの行程に対する不安や心配が完全になくなっていた。よほどのことがあろうとも、なんの危機や不具合も起こることなく月へたどりつけるだろう。そういう確信を抱くことができていたのだった。

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

「さぁ、メインフェイズだ! 私はここで通常魔法、最終戦争の発動を宣言するぜ!」

「魔理沙、よくそんなカード入れますね」

「こんな爽快なカードは入れなきゃ損だ! 私は手札を五枚捨て、効果発動! フィールド上に存在するすべてのカードを破壊させてもらう!」

「では……マジックジャマーを発動します。手札を一枚捨てて、最終戦争の効果を」

「ここで神の宣告だ! ライフポイントを半分払って、マジックジャマーを無効化するぜ!」

「用意がいいですね……まぁいいです。他に打つ手もありませんし、素直に効果を受けてあげましょう」

 

 パチュリーに見送られ、月を目指して地上を発ってから五日目。ロケットの筒の三段のうち一段目はすでに放棄しており、今は元は真ん中にあった筒の中にいる。

 一番下の筒はずいぶんと広くて居心地がよかったのだが、真ん中はどうにも窮屈なのでレミリアが若干不満そうにしている。他の皆もあからさまに顔には出していないものの、同じ思いを抱いていることだろう。

 こんな狭い中で十数日も旅をするとなると、やはり暇で暇でしょうがない。そういうわけで二日ほど前にフランとカードゲームをやっていたのだが、魔理沙もそれに興味を持ってくれたようだったので簡単にルールを教えた。

 今は、倉庫魔法で自前の空間から小さなテーブルを出し、魔理沙とそのカードゲームで勝負をしている最中だった。

 

「ふぅ、すっきりしたな。さ、私のターンは終了だ」

「あ、終わるんですか」

「手札使い切っちまったんだから当たり前だぜ」

 

 とは言え、さすがに覚えて三日目ではいろいろとつたない。それからしばらく続けていたが、何事もなく俺が勝利することができた。

 項垂れる魔理沙を横目にカードを倉庫に仕舞いつつ、窓の外を見やる。結構な日が経ったというのに、一応少しずつ色が薄くなっているにせよ、未だ青い空のままだった。宇宙空間が見えたりは一切ない。それでも、きちんと少しずつ月へと近づいていることは確かなのだろう。

 地上から見えている月は空に浮かんでいるものだ。その距離は決して絶対的なものではなく、見る者によって常に変化する。パチュリーの計算によると雲をいくつか越えれば月へたどりつくとのことだったから、きっとこのロケットの行程はそうなるように仕組まれている。そのたどりつく月とやらが外の世界の人間が言う月であるとは限らないが。

 外の世界の者たちからしてみれば、月との距離が変化し続けるなんて理論、バカらしいと一笑に伏すことだろう。彼らは科学を信仰しすぎている。だからこそ、月との距離のような幻想ゆえに曖昧で量子的な事実には気づけない。

 

「んー……あー、ねぇ、レミリアお姉さま」

「なによ、フラン」

「なにか面白いこと言って」

「もうとっさに思いつくことはないわよ。何回聞かれたと思ってるの」

 

 あまりにも暇すぎるのか、レミリアとフランは自前のミニテーブルにぐてーっと上半身を投げ出していた。二人とも出発直後は遠足中の子どものようにはしゃいでいたのだが、さすがに五日もなにもない場所でじっとしていれば誰でも大人しくなる。

 テーブルと自分が座っていたイスを魔法で空間の中に戻し、イスから立ってレミリアとフランの近くへと歩み寄った。ほぼ同時に二人の視線がこちらに向き、フランの方は「お姉さまだー」とミニテーブルに寄りかかりながら手を伸ばしてくる。

 

「お姉さまぁ、魔理沙はどーだった?」

「面白いゲームができましたよ。思いも寄らない手をいっぱい使ってきますから」

「把握したわ。どうせ自滅ばっかりしてたんでしょ?」

「いや、まぁ、そうですね。でも、あれだけ素直に楽しめるって言う感性は本当にいいと思いますよ。一緒にやっているこっちも釣られて楽しくなれます」

「お姉さまはあいかわらずだねぇ」

 

 すぐに引っこめるだろうと思っていたフランの手が、いつまでも伸ばされ続けていた。それに俺の手を重ねてみると、フランはぎゅっと握り返しては頬を綻ばせる。

 そんなことが起こってから数瞬後、ふいと視界の端で、レミリアがフランと同様に俺へと手を差し出しているのが見えた。フランと繋いでいるのとは逆の手をそちらに伸ばそうとすると、それよりも早くフランがもう片方の俺の手を空いていた手で捕まえてきた。

 

「あ、フラン!」

「ふふんっ、早い者勝ちだよ」

 

 恨めしげに睨んでくる長女を、三女は涼しい顔で受け流した。どんな時でもあいかわらず、フランはレミリアのことをよくおちょくる。それがどういう心理に基づいているのかはわからないが、ただ一つ言えることは、二人の仲が本当は悪いわけではないということだ。

 そうして自らの姉と妹のじゃれ合いを見ていると、頭の中に二人の影が浮かんでくる。転生という俺の秘密を唯一知る少女、古明地さとりと、その妹の古明地こいしであった。

 あの二人には、月に旅行することとそれが終わるまで地上に戻れないむねをすでに伝えてある。二人とも俺としばらく会えなくなることを残念そうにしてくれたことを、申しわけないと思ったと同時に少し嬉しかったのを覚えていた。

 一応、一緒について行こうかとも誘ったのだけれど、さすがに何十日も地底を離れるわけにはいかないようだった。灼熱地獄、そして怨霊の管理は仮にも閻魔さまに任されている仕事だ。こいしも、姉が行かないならやめておくとして辞退した。

 

「なにかお土産でも持って帰れればいいんですが……」

 

 月にはそういうものがあるのだろうか。永琳によれば、俺たちの予定は到着後に永琳の知り合いにぼこぼこにされて地上に帰るという散々なものになっている。月の民全員に襲われてはたまらないので、それを覆すつもりはなかった。ただ、その過程で適当にそこら辺で手に入る簡単なものはないものか。

 フランとレミリアの口論を聞き流しながら、月についてからどうしようかと考え続けていた。

 適当に落ちている月の石でも拾って、それを加工でもしてアクセサリーにすればお土産にできるだろうか。それとももっと別の、月の名産品のようなものをどうにかして手に入れられないだろうか。

 それからしばらくして咲夜からの紅茶が入って、その味が少しずつ変わっていることをレミリアが指摘したり、咲夜が窓を開けてしまったり。幸い、窓の外には空気があった。そして紅茶の味が変わってきているのはお湯の沸点が下がってきているせいだとか。

 月までの距離は、そろそろ半分を越えた頃だろうか。それとも半分に至ろうという頃だろうか。どちらにせよ月にたどりつくまではまだまだ時間が必要だった。

 そもそも、最初からそんなに早く月にたどりつけるとは思っていない。紅茶の味をじっくり味わいつつ、月についてからのこともゆっくりと考えることにして、とにかく気長に待つことにしよう。

 

「もう! 集中できないじゃないの! もうすぐロケット二段目も捨てるから、上に昇る準備して」

 

 霊夢の言葉に、皆がぞろぞろと動き出す。最後の筒は一番狭い場所なので、なんだかとても窮屈そうだ。皆、特にレミリアなんかはどこか嫌そうな顔をしている。

 気長に待つとは言ったけれど、やっぱりできることなら早くついてほしいかもしれない。そんな矛盾した思考を抱きつつ、はしごを昇ってさらに上のロケットへと向かった。


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