東方帽子屋   作:納豆チーズV

112 / 137
七.吸血鬼、暗躍者、首謀者

 博麗神社が外から来た神に乗っ取られそうになった事件から二か月近くの時が過ぎ、幻想郷はすでに雪が降る季節になり始めていた。

 山の上に外の世界から転移してきた神社――守矢神社は山の妖怪たちと和解し、現在はうまくやっていけているようである。外の世界のことにある程度通じているからか、河童となにやら共同でやっているという話もたまに聞く。

 あの異変の後に、とりあえず霊夢からは首飾りを返してもらった。不具合のチェックやらをしなくてはいけないし、力のある者ならば一目見ただけで中に書いてある魔術陣の構成がわかってしまうというのも問題だった。それが新たな騒動の引き金にならないとも限らない。今はその点を修正し終えたので、機会ができれば霊夢にまた渡したいと考えていた。

 

「月に行ってもいいんですか?」

「ええ、どうぞご自由に」

 

 この二か月、レミリアたちは月へ行くためのロケットを作ることに尽力していた。ロケットの形を模索し、必要な材料をどうにか揃え、月へたどりつくための燃料を探す。その苦労も実を結んでか、ロケットはついに完成したのだった。

 今年以前――それこそ数年前からロケットを作ろうという話は持ち上がっていた。しかし材料は集まらずロケットの構造も定まらず、ただただ時間を浪費するだけだった。今年に至るまで、ロケットなんていいところ二〇から三〇パーセントしかでき上がっていなかっただろう。それなのに今更、それもたった数か月ですべての条件が揃った。

 もはや誰かが裏で手を引いているのは明らかである。誰かというか、吸血鬼に月を攻めてほしくて、実際にそれとなく手を回すことができるような存在なんて一人しかないのだが。

 

「お師匠さま、本当にいいんですか? こいつとその仲間は月を侵略しようとしているんですよ?」

「ええ、わかっています。ですが、構いません」

「それは……吸血鬼のロケットは月にはたどりつけないから、ということでしょうか。それともやっぱり、月の都に恨みが……」

「どちらも違うわよ。あなたはただ、私の言う通りにしていればいいの」

 

 今は紅魔館でロケットの完成祝いとしてパーティを行っているところだった。壁に寄りかかっている俺の隣には永琳がおり、そのすぐ近くでは鈴仙が不安そうな顔をしている。

 ロケットの説明を終え、愛称も決めた。月へ行くためのそれは三段の構造をしており、月へ向かうにつれて下から一つずつ切り離していくことになっている。外の世界の行き方ととても似ているのは、真似たのだから当然だった。

 そして幻想郷は自然に溢れてはいるが、そのせいで逆に燃料がネックになっていた。その解決法は意外なところにあり、すなわち霊夢の力を借りることである。霊夢の力を借りるというより、霊夢の巫女としての力を借りるのだが。

 霊夢はつい数か月前からなぜか(・・・)紫に神さまの力をその身に降ろす修行をしろと告げられていたらしく、暇でやることのなかった彼女は律儀にも続けていた。そんな彼女に相談した結果、都合よく(・・・・)宇宙を飛ぶための力になれる神の存在に思い至り、霊夢が降ろす神の力を使うことになったという。

 搭乗員は今のところ、俺、レミリア、フラン、咲夜、霊夢、数人の妖精メイドである。霊夢も案外乗り気だった。ただ、おそらくそこに飛び入りで魔理沙が加わるだろうとなんとなく思っている。

 

「鈴仙、そんなに心配しないでください。月に行っても、そこの民をどうこうしたりなんてするつもりはありません。お姉さまたちにあったとしても、私が止めます。そういう契約をあなたたちと結んでいるんですから」

「それならそもそも月に行かないでほしいんだけど」

「それはできません。皆、月に行きたがっていますから。私だけの意思で引き留めるわけにはいかないのです」

 

 手に持っていたグラスを口元で傾け、ワインをほんの少し舌で味わう。こういうのもまた、いつも神社の宴会で飲むそれとは違った趣があった。

 ジトッとした目で俺を見つめてくる鈴仙。ここ最近能力の修行として彼女と付き合う回数が多かっただけに、それなりに親しくなれたつもりだった。ただ、やはり俺たち吸血鬼が月へ旅行するとなると、以前月に住んでいた鈴仙にはいろいろと思うところがあるのだろう。その目には若干の刺々しさと警戒心が窺える。

 永琳が、どこか意外そうに俺を見やった。

 

「あら、あなたは月に行きたくないのかしら?」

「それは、行ってみたいですよ。ロマンがありますし。でも私の中にはそれと同時に、月は危険な場所という認識があるんです」

 

 かつて八雲紫率いる大妖怪の軍団を倒した、未知の力を備えた者たちの住まう場所。そんな言葉とともに、頭の中では俺が永琳と情報を共有する関係となった事件がよみがえる。俺が似非妖怪ウサギのことで永琳を問い詰めた時のことだ。

 永琳は、俺の能力で力を封じられているはずなのにずいぶんと余裕そうで、影踏みなんて最初からなかったかのごとく普通に首だけで振り返ってきていた。あの余裕、あの得体の知れなさ。月の民にそんな輩がごまんといると言うのなら、なんと恐ろしい場所なのだろう、と。

 そんな思考を読んだかのごとく、永琳がくすくすと口元に手を当てた。

 

「別に月の民が皆私や輝夜ほど強いというわけではないわよ。私は昔、月の都では賢者と呼ばれる立場にいましたから、そのことをよく知っています」

「……でも、第一次月面戦争では」

「増長した妖怪どもの殲滅が、なにか? ま、その時には私はとっくに月の都にはいなかったから、詳しくは知らないのけれど……月の都の技術力があれば、個が優れていようと統制の取れていない集団なんて恐るるに値しないでしょう。戦争とはそういうものです」

 

 一対一の決闘ではなく、多対多の戦争。より技術力があり、より人数がいて、より統制が取れている方が勝つ。当たり前のことだ。

 

「って、それじゃ私たちも、月の民に見つかっちゃったら普通にやられちゃうってことじゃないですか」

「あら、そのつもりじゃなかったの?」

「違います」

 

 このままではやはりまずいのではないか、という思考が駆け巡る。内緒でロケットでも壊しておこうか。いや、でも、せっかくレミリアたちが一生懸命に作った代物だ。そんなことはできない。

 月へは行きたい。でも、月は危険なところだ。レミリアたちを危険な目には合わせたくない。俺はいったいどうすることが正解なのだろう。

 虚空を見据える俺の肩に、ぽん、と永琳が手を置いた。

 

「一つ、いいことを教えてあげましょう」

「……なんですか?」

「前に地上に降りてきた玉兎に手紙を託したと言ったわよね。あの手紙にはこれから起こる未来のことが書いてある……そう、あなたたち地上の妖怪が月へ向かうことも」

 

 目を見開く。それのどこがいいことだと言うのだろう。

 これはもう一生懸命に作った代物だからとか考えている場合じゃない。ロケットを壊す、と慌てて歩き出そうとした俺を、永琳は俺の肩を掴む力を強くして止めてきた。

 

だから(・・・)、安心なさい。なぜなら、だからこそ(・・・・・)あなたたちが月の民に殲滅されることが、まずありえないからです」

「……どういうことですか?」

「私は信頼できる相手に向けて手紙を託したと言ったはずよ。そしてその者には、侵入者には基本的に一人で対応するようにとも言ってある。おそらくあなたたちが相対するだろうその子も、根は優しい子ですから、あなたたちを殺すということはないでしょう」

「一人、ですか? どうして……一人くらいなら私たちの手にかかれば簡単に」

「そうね。あの子の手にかかれば、あなたたち程度は簡単に抑え込める」

 

 永琳は、そう言って不敵に口の端を吊り上げた。月の民が皆強いわけではない――しかしその者は、間違いなくその強いという部類に入る。それこそ、吸血鬼数匹と巫女とメイド、妖精数人なんて楽々と抑え込めるほどに。永琳は俺にそう言っているのだ。

 

「ま、あくまで基本的に、よ。おそらく玉兎の兵士とも会うことがあるでしょうが……そこは大した問題ではありません。月の都という大きな組織ではなく、私の知り合いという小さな個人が、しかも死なないように相手をしてくれる……どう? 私の言った通り、いいこと、だったでしょう?」

「……要するに、ぼこぼこにされてこいと言いたいわけですか」

「ふふっ、どうかしらね」

 

 俺たちはなんてピエロだ、とため息を吐いた。八雲紫の謀略で月へ行くことになり、八意永琳の謀略でぼこぼこにされて追い返されることになる。なんだろう、これ。わけがわからない。月に行くメンバーの中で、俺以外のこの両方の策略を把握している者はいるのだろうか。

 それでも、ほんの少しの時間とは言え、月に降りることができるというのなら、レミリアたちも満足してくれるかもしれない。

 ロケットを壊しに行くのはやめることにした。それを鋭く察した永琳が、俺の肩から手を離す。鈴仙はどこか感心した目線を永琳に向けていた。

 

「さすがです、師匠。そこまで手を回しているとは……」

「まったく。レーツェル、あなたが余計なことをしようとするから、鈴仙にバラすことになっちゃったじゃない。混乱させておいた方が面白かったのに」

「すみません。以後気をつけます」

「え」

 

 固まる鈴仙。俺と永琳が揃って面白がると、鈴仙は永琳に恨みがましい視線を送り、俺には普通に襲いかかってきた。

 弾幕をひょいひょいと避けているとパーティを楽しんでいた他の客人の目が次第に集まってきて、観戦ムードになり始める。どうやらスペルカードで遊んでいると勘違いされているようだった。だが、勘違いを本当にしてしまうのもまた一興かもしれない。

 パーティが開かれる中、俺は鈴仙と弾幕ごっこをした。ちなみに鈴仙はその後、永琳に目一杯叱られたらしい。

 

 

 

 

 

 □ □ □ Standpunkt verändert sich zu Yukari Yakumo □ □ □

 

 

 

 

 

「紫さま」

 

 博麗神社。その屋上で、私は、今はパーティが行われているだろう紅魔館の方を眺めていた。

 吸血鬼たちが私の力で月へ行くことを断るだろうことはわかっていた。そして、私の手を借りず自分たちの力だけで向かおうとすることも。

 首尾は万全、大方思い通りに進んでいる。これならば、ちょっとした月への仕返しも成功してくれることだろう。

 

「紫さま!」

「まったく。なによ、藍。そんなに大声で叫ばなくても聞こえるわ」

 

 いちいち見なくてもわかる。私の右斜め後ろ辺りに、私の式神である九尾の狐こと八雲藍がいる。

 まるで咎めるような口調のそれに、なんだか相手をするのが少しめんどくさくなって、小さくため息を吐いた。

 

「それならば答えてください。なぜ、この幻想郷を包む博麗大結界に歪を作っているのですか? あのまま放置しておけば幻想郷はやがて形を保てなく……」

「必要だからよ。この第二次月面戦争が終わった後に訪れる、最凶最悪の異変に備えてね」

 

 頭の中に浮かぶのは、まるでメッシュを入れているかのように幾房か金が混じった銀色の髪と、飛ぶための膜がない異常な形の翼――その二つを備える最強の吸血鬼、レーツェル・スカーレット。

 年を経るごとに彼女の様子が徐々に変わっていっていることに、私は気づいていた。

 最初に会った頃はただただ淡々としていて、身内以外にはなんの興味もないとでも言うような孤独の雰囲気を放っていた。だが今は違う。

 彼女が身内を、俗に言う仲間を大切にしているのは変わらない。けれど同時に、この小さな世界を愛してきてくれているように思える。人間と妖怪、その他さまざまな種族が混じって暮らすこの幻想郷を、なによりもよき場所だと捉えてくれているように感じている。

 それ自体は嬉しいことこの上ない。かつて私が求め、作り上げた世界を気に入ってくれることは私も誇らしい。

 ――だから、終わりが近づいていた。

 ――彼女を縛る『大切』な鎖が多くなりすぎたのだ。重くなりすぎたのだ。

 ――彼女の姉は、それに気がついているだろうか。

 

「多くの歪みを作っておけば、いざという時、私はその歪の隙間を通って、使って、さまざまな手を打つことができる。きっと彼女が起こす災厄の影響も受けないはず」

「彼女……? 紫さまはいったい、なにを見据えて……」

「この月面戦争は私個人の月への仕返しであるとも同時に、その異変が始まるまでの時間稼ぎでもあるの。彼女の注意を月に向けさせ、私が黒幕だと思わせることで不審な行動を月に関するものだとしてカモフラージュする。最後の思い出作りということを意識させて、異変が起こる時期を明確にする……」

 

 きっと彼女は今年中に異変を起こすつもりでいた。それがいつなのかわからないのでは問題がある。ならばわかりやすい探知機を用意してやればいい。月への旅行という餌を用意し、それが終わってから起こるように誘導すればいい。

 目論見は今のところ全部成功している。舞台は整ったのだから、あとは――。

 

「紫さま、教えてください。この騒動の後、いったいなにが起こるというのですか? 巫女に任せていてはダメなのですか? 紫さまが結界に細工をしなければ解決できないような異変とは、いったい……」

「今は言えないわ。どこからこの会話が漏れているとも限らないから。ただ、一つ言うなれば……」

 

 レーツェル・スカーレットの情報を集めるのには苦労した。幻想郷での動きを探ったり、悪魔の話を聞いたり、かつて彼女が暮らしていた場所での歴史を調べたり。

 光翼の悪魔――"狂った帽子屋(マッドハッター)"。彼女とのこれまでの付き合い、そして調べ尽くした事件の内容から彼女の人格形成がどのように行われたのかを推測し、私はようやく一つの仮説にたどりつくことができたのだった。

 レーツェル・スカーレットには断片的な未来を見ることができる力が備わっている。それでいながら避けられるはずだった家族の死という現象を回避することができず、大切なものを失うということに対して深いトラウマを負った。そうして今の彼女がある――星が星を喰らうまでの時間さえ瞬時に求められる私の頭脳が導き出した精神分析の答えだ。仮に間違っていても、近い力や過去があるに違いない。

 

「今回の騒動が終わってから訪れるのは、誰もが望む理想と空想の世界……そして、誰もが忌まねばならない狂った虚無の夢物語よ」

「それは……」

 

 藍は私の言うことをまるで理解できていないようだった。一生懸命考えてはいるようだが、ただ困惑するばかりであった。

 レーツェルがしようとしていることに私は予想がついていた。彼女が持ち得る力、知能、技術からいくらかできることを絞り込み、さらにその思考や精神状態から思い至るだろうパターンを振り分ける。

 彼女との付き合いは長いと言えるほどではない。それでも、その内心を推し量ることはとても容易だった。

 レーツェルという吸血鬼の性根は、あまりにもわかりやすすぎたから。

 

「あなたの言う通り、幻想郷は無さえも受け入れるわ。でも、あなたは無なんかじゃないでしょう」

 

 最初はどうこうするつもりはなかった。どれだけ彼女が傷つこうと、追い込まれようと、苦しんでいようと、救うつもりも排除するつもりもなかった。ただ受け入れるだけのつもりだった。

 それでもこの幻想郷をそこまで愛してくれると言うのなら、ほんの少しだけ、私が手を下してやろう。

 鋭く目を細め、紅魔館のある方を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 □ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。