東方帽子屋   作:納豆チーズV

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二.月へ旅立つ二種類の計画

 わずかに桃色を覗かせていた花弁も緑に染まり切り、早二ヶ月近い時間が経過していた。季節はすっかり夏に突入し、あと半月もすれば冥界から多くの幽霊が現世に観光のために降りてくるお盆という期間が訪れる。苦手な梅雨はとっくに過ぎ去っているので、問題となるのは強すぎる日差しくらいだ。

 そんなある日の夜、いつものようにフランとカードゲームで対戦している最中に扉をノックされ、とても珍しい用事で呼び出された。すなわちそれは吸血鬼という種族に対しての客――八雲藍が八雲紫の指示のもと、とある依頼を持って訪れてきた。

 

「――それで?」

 

 紅魔館のとある一室。ソファの中央にレミリアが座り、その右隣の肘かけではフランが足を投げ出してぷらぷらと揺らしている。逆の左隣に俺が腰をかけ、ソファの後ろではパチュリーと咲夜が従者のごとく控えていた。

 それぞれがいる場所に当然違いはあれど、視線の先は一つに集中している。それはレミリアの対面で両腕を交差して袖に隠して立っている八雲藍であった。

 

「ですから、あなたたちのような強力な妖怪なら、簡単に目ぼしいものを見つけてくれると思いまして」

 

 あなたたちのような強力な妖怪。藍はその部分を特に強調し、商売人が客を相手にするような人のいい笑みを浮かべた。こちらの機嫌を取ることでいい返事を窺いたいという思惑はもちろんだが、それ以上に、自身の話に興味を持たせようとしている部分が透けて見えている。いや、わざと見えさせているのか。

 ですから、などと語ってはいるけれど、藍は未だ重要なことはほとんど話していない。近々紫が月の都に侵入しに行く計画を立てているから、それを手伝ってほしい。そして吸血鬼なら簡単に目ぼしいものを見つけてくれるだろうと、その程度のことしか言ってきていなかった。

 月に都があるという話は幻想郷では周知の事実だ。たとえば、今では数年前の出来事となる永夜異変は、昔は月に住んでいた二人の月の民が引き起こしたものだ。それの原因が月の民であるということは関わった者たち以外には秘密にされているが、知っている人は普通に知っている。

 レミリアはあの頃から外の世界のロケットを真似て作り始めたりと、元々月に行きたがっていた。藍の語る計画に興味を示さないはずがなく、「面白そうな話じゃない」と身を乗り出す。

 

「詳しい話、聞かせてもらえますよね」

 

 俺の確認に、藍は上機嫌に頷いて語り始める。

 ――月の都には幻想郷にはない珍しいものや進んだ技術が多くある。紫の目的はそれを盗み出すことで、停滞してしまっている幻想郷の妖怪の生活向上にある、と。藍の話を簡単にまとめると、そんな話であった。

 レミリアがいかにもわけがわからないという風な顔をして、ふんっ、と鼻を鳴らす。フランは反対に若干目を輝かせて藍を見つめていた。

 

「なにそれ。山の天狗や河童には負けたくないってこと? バカみたい。社畜同然に働いてなにが楽しいのよ」

「生活向上はどうでもいいけど、珍しいものっていうのは興味あるかなぁ」

 

 技術を盗む、妖怪の生活向上。なんとも嘘くさい話だった。性格や性質的に、紫は自ら進んで大きな変革をもたらそうとすることは避けているように思っている。自分が幻想郷をどうこうするのではなく、幻想郷はすべてを在るがままに受け入れる。彼女はそういうスタンスを好んでいるだろうし、事実これまでそうしてきていた。

 藍が、さきほどとは正反対に否定の意を主張し始めたレミリアに計画の有用性を伝えていたが、どうにもそのすべてが意味のないものに聞こえる。

 天狗や河童は中途半端に外の世界の技術を真似ているだけだとか。月の都の技術は外の世界のそれと違って、毎日遊びながら無限のエネルギーを得られるのだとか。

 昔は紫も月の都の技術を奪おうと月に攻め入ったことがあるという。第一次月面戦争――当時名を馳せていた妖怪を大勢引き連れて行ったそれが惨敗という結果に終わったことは、一部の妖怪の間では結構有名な話であった。

 

「なんで今更そんな計画を持ちかけてくるのかしら?」

 

 要するに紫は藍を通して、一度は失敗した月面への侵攻をもう一度行おうと提案してきているのだ。そしてそれを吸血鬼に手伝ってほしいと。

 第一次月面戦争はすでに数百年前の出来事である。レミリアの疑問はもっともなことだった。それに対する藍の返答は「妖怪の数が増えたから」なんてものと、「あなたたちのような強力な妖怪なら簡単に目ぼしいものを見つけてくれると思いまして」というさきほどの焼き増し。

 数が増えたからなんだというのだろう。俺たちが幻想郷ではパワーバランスを担うくらいに強力な部類に入るのは確かであろうが、それがなんだと言うのだろう。紫は数多の大妖怪を引きつれていながら月に負けたのだ。そして吸血鬼は吸血鬼異変において、紫と藍の二人に惨敗した。これがどういう結果を持つか。そもそもとして、本当の争いがなくなってしまった幻想郷の妖怪の力は、太古のそれには劣るものであることは明白であろうに。

 その時点で、俺はもちろんとして、レミリアやフラン、パチュリーや咲夜も、紫が藍の言葉通りの目的を持っているわけではないことには気づいていた。当然だ。こんなバカげた話をされて、感づかない方がどうかしている。

 それでもレミリアは敢えてわかっていないふりをして、むしろそれ自体が面白いとばかりに計画の内容について問いただした。

 

「紫さまが今年の冬に、湖に映った幻の満月と本物の満月の境界をいじり、湖から月に飛び込めるようにします」

 

 藍はそこで一旦言葉を止め、ニヤリと口の端を吊り上げた。

 

「レミリアさんたちには紫さまが結界を見張っている間に、月の都に忍び込んでいただきたいのです」

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 翌日。東の空に太陽が昇り、青空にほんの少数の雲が漂っていた。

 藍が持ち出してきた計画とやらが第一次月面戦争とは違い、こっそり侵入して盗みを働くという内容だったことは少々意外だったが、それもよくよく考えれば当然のことか。数百年前に月の都との戦争で大敗した紫だからこそ、正面からの戦闘では相手にならないことを一番理解しているはずなのだ。永夜異変の時も輝夜に術を破られていたし。

 

「お姉さま、今頃パチェと一緒にロケット作ってるんだろうねぇ。咲夜は材料集めに駆け回ったりしててー」

 

 赤のギザギザ模様が入った白いローブを着たフランが、片手でフードを押さえながら、もう片方の手をばっと大きく広げた。おそらくロケットの広さを表現したいのだろう。

 結局、俺たち吸血鬼は、計画に参加してほしいという藍の依頼は受けなかった。内容を聞き出すだけ聞き出して、情報を絞り出せなくなったら用済みとばかりにレミリアは藍を追い出したのだった。ちょっとかわいそうな気もしたが、藍によれば引き受けてくれないなら他を当たるだけだとのこと。

 レミリアは元々月に行きたがっていた。それなのになぜ断ったのか。その理由は至って簡単で、つまりは他人の手を借りて月に行けたところで面白味がまったくないから。紫の手を借りるのが癪だから。

 私が先に行って月を侵略して紫を驚かす計画。レミリアはそれを成功させるために、どうにか冬までに月へ行くロケットを完成させるつもりのようだった。

 

「フランは私についてきてよかったんですか? ロケットの製作、フランも結構手伝ってたって聞いてますよ」

「一日くらい休んだって別にいいでしょ? 今日はお姉さまといたい気分だったの」

 

 今は博麗神社へと向かっている最中であった。ぎゅう、と抱きついてくるフランに為すがままにされながら、飛行を続けていく。

 

「……紫の本当の目的って、いったいなんなんでしょうね」

「んー、さぁねぇ。でも、大したことじゃないと思うよ? 前にやられちゃったからちょっと仕返ししてやりたいとか、なにか盗んで一泡吹かせてやりたいとか」

「さすがにそれは、ない、と思いますけど……」

 

 そんな理由だったらもっと早くに忍び込もうとしていたはずである。重要なのは、なぜ今になって月に行こうなどと言い出したのか。

 ふと一瞬、わずかに欠けた月の夜の出来事が頭の中で再生された。なにをするつもりなのかと、なにか危険なことを始めようとしたら全力で止めると、紫が俺に通告してきた日の記憶が。

 俺は別段、なにかを始めようなどと考えたりはしていない。ならばこれは関係ないだろう。

 一旦思考を断ち切り、別のことへと注意を向けてみる。

 

「もしかしたら、住民税だったりするのかもしれませんね」

「住民税?」

「永夜異変の犯人は月の民なのはフランもご存じだと思います。紫にはかつて大敗したという因縁が月にあるんですから、元はそこに住んでいた月の民が幻想郷で暮らすようになったことに、なにか思うことがあったのかもしれません」

「だから住民税? 月の民を暮らさせてやってるんだから月の都から少しくらいなにか盗ったっていいよね、ってこと?」

「そういうことです」

「んー、始めるって決めたキッカケはそれの確率が高そうだね。目的は普通に一泡吹かせてやりたいって方が現実味帯びてると私は思うけど」

 

 なんにせよ、出てくるのはどれもこれも紫の私怨混じりのどうでもいい理由ばかりだった。そもそも妖怪という自分勝手な存在が起こす行動に高等な道理があるようには思えず、そこから先のフランとの会話でも、至極適当な推測ばかりが挙げられていく。博麗神社にたどりつく頃には「お団子が美味しかったから、同じように丸い月にもう一回行ってみようと思った」なんて絶対にありえない仮定さえ生まれていた。

 縁側の近くで竹箒を片づけている霊夢を見つけ、フランと二人して降り立った。

 

「ん、なんだ、あんたらか。おはよ」

「おはようございます」

「おっはぁ。霊夢、その手に持ってるのはなにー?」

 

 霊夢は畳まれた光る半透明の布を両手に抱えている。なにか霊的な作用が働いたりしているのだろうか。

 見たこともない布に興味津々な様子で、フランが霊夢の手の中を覗いた。

 

「私にもよくわからないけど、軽くて光る羽衣よ。綺麗でしょ?」

「よくわからないって……どこで拾ってきたんですか?」

「なによレーツェル。まるで私がまともな手段で手に入れてないような言いぐさね」

「え。あ、ご、ごめんなさい」

「たぶんお姉さま、魔理沙が相手だったら『どこで盗んできたんですか』って聞いたと思うし、聞き方としてはまだマシな方だと思うけどねぇ」

 

 それで結局どこで拾ってきたの? というフランの問いかけ。霊夢は若干フランを睨みつつも、どこか誇らしげに胸を張った。

 

「怪我した妖怪ウサギと一緒に落ちてたから、拾ったのよ」

「って、やっぱり拾ってるじゃないですか」

「いやお姉さま、これ盗んでるよ絶対。この布って絶対その兎のだよ」

 

 魔理沙にするのと同じ感覚で問いかけておいた方が正解だったようだ。今度からそうするようにしよう、なんて冗談交じりに考えた直後、それを見透かしたかのように霊夢が鋭い視線を向けてきた。かつて言っていた俺の内心を察せられるようになってきたというセリフは、やはり嘘ではないらしい。

 ふいとそこで耳が風に混じるわずかな雑音を察知した。吸血鬼等の耳がいい妖怪でなければ気づけないような小さい、まるでなにかを探しているような物音だ。フランも感じ取ったようで、彼女とほぼ同時にその音源となる博麗神社の居間へと目を向ける。そこは現在、障子で閉められていた。

 

「あの中に妖怪ウサギがいるんですか?」

「え? ええ、そうよ。言い忘れてたけど、でもあれはただのウサギじゃないみたいで」

「なんかゴソゴソやってるね。あ、こっち来るよ」

 

 霊夢の言葉を遮ってフランが呟いた数瞬後、俺たちが向いていた先にあった障子がバンッと勢いよく開かれた。現れたのはずいぶんと大きな焦りを顔に映した小さな少女で、垂れたウサ耳がウサギの妖怪であることを表していた。

 妖怪ウサギに知り合いがいないからしかたがないが、俺はその顔に見覚えがない。

 その少女がきょろきょろと辺りを見回したかと思うと、俺たち――正確には霊夢の手元にある光る半透明の布に気づき、目を輝かせた。

 

「そ、それ! 私の羽衣!」

「言われなくても、返すつもりはないわ」

「うわっ魔理沙みたい」

「霊夢……泥棒は犯罪ですよ」

 

 フランと俺のジトッとした視線を気にせず、これはもう私のものとでも言いたげに、霊夢は清々しいまでの笑みを浮かべていた。さきほどまで聞こえていた音の具合や焦りの程度から、かなり大事なものだということは容易に察せられる。さすがに返してあげないと、と霊夢に再度声をかけようとしたところで妖怪ウサギの少女から妙な力の波動を感知した。

 意地悪、と。

 少女がそう呟いた刹那、一瞬にしてその姿が掻き消え、霊夢の背後に姿を現した。

 

「これは」

「えっ」

「あっ、あれ?」

 

 一切の移動の痕跡を残さず、妖夢の全速力さえ捉えられる俺の目を以てしても捉えられなかった。まるで瞬間移動でもしたかのよう――いや、実際そうである確率が高い。霊夢も空間を飛ぶことで、咲夜は時間を止めることでそれぞれ零時間移動をすることができる。人間である二人ができるのだから、同様のことが可能な者が他にいてもおかしくないだろう。

 ……ただ、かすかに違和感が残るような。

 思考に没頭しかけたところで、視界の端に捉えていた少女の姿が再度跡形もなく消え失せた。ちょうど霊夢の持っていた光る羽衣に素早く手を忍ばせていて、それが一緒になくなったことも見逃さない。移動後の気配を即座に探知し、神社の縁側方面に視線を向けると、妖怪ウサギの少女が羽衣を手にニコニコと笑みを浮かべていた。

 

「今、どうやって……?」

「霊夢、まえまえー。ウサギもう前にいるよ」

 

 霊夢の戸惑い、そんな彼女に教えるフランの感心混じりの声を聞きながら、俺は半ば確信を抱いていた。

 これは零時間移動ではなく、それに見せかけた別の力だ。その正体にさえ、あと一歩というところまでたどりついている。そのことを自覚はしていたが、どうにもギリギリのところで手が届きそうにない。もう一度見ることができれば判明させられることと、その力はきっと俺が知り得る範疇にある能力であろうことは確かなのだけど。

 

「あなたたちが助けてくれたのね」

 

 妖怪ウサギの確認に、俺は首を横に振った。

 

「あ、いえ、私とフランは助けてません。あなたを拾ったのはこの巫女服の人です」

「そうなの? じゃあ、そこの紅白の人に一応お礼を言っておくわ。気絶してしまったところを助けてくれてありがとう」

「うーん……?」

 

 霊夢は未だ自分の後ろを取られたことと、羽衣がなくなっていたことに対する理解が追いついていないようで、とりあえずと言った具合に頷いていた。

 妖怪ウサギの少女は今はこうして平気そうに立っているが、霊夢によれば怪我をしていたという話である。差し当たってその怪我の確認、また俺とフランの出迎えということで、居間で一旦くつろぐということにまとまった。

 チラリと霊夢の顔を窺う。目の下に薄い隈ができていたことと、大きなあくびをしていたところが気にかかった。


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