東方帽子屋   作:納豆チーズV

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八.独り善がりの心苦しさ

 新年から一ヶ月と半月ほどの時が過ぎ去り、冬も中頃に差しかかるという時期。

 今はもう治まってきているのだが、つい数日前に人間の里で原因不明の伝染病が蔓延した。どうやら無縁塚に捨てられていたとある皿に神の力によって封印されていた病気を、魔理沙が間違えて解放してしまったことが原因だったらしい。今は霊夢がその病気を鎮めていた神を古い壺の破片に宿し、人間の間で回すことで、すでに伝染病は治まっている。

 俺は吸血鬼の中でもずば抜けた力を備えていると紫や幽々子などの強者は言う。西行妖には及ばぬ程度しかないので、いざという時のためにもっと強さを欲しいと感じているのだが、もっと別の思いもある。少し前からなんとはなしに思っていたのだが、今回の事件を経て確信に近い感覚を持つようになった。純粋にただ強いだけでは対応できない問題もたくさんあるではないか、と。

 事実、今回の伝染病では俺はなにも手を打つことができなかった。霊夢によって解決された今回の事件を俺の手で解決できたかと問われれば、首を縦に振ることはできない。

 そのことで悩みに悩んだ結果、一つの答えをひねり出した。すなわち、今の俺で無理なのなら、さまざまな状況に対応できる応用に富んだ力を手に入れよう、と。

 応用性に優れた力の持ち主と言えば、真っ先に紫が頭に思い浮かぶ。彼女の『境界を操る程度の能力』はまさしくなんでもできるような力だ。できることなら吸血をしてその力の一部を自分のものにしたい――が、冬はあまり見かけないので、探すのには時間がかかる。宴会で来ている時に訪ねるのが一番手間がかからず、引き受けてくれるかはわからないが、その時にどうにかお願いしようと考えている。

 ならば今、俺ができることはなんなのか。万能に近い力というと魔法があるけれど、その研究はそれなりの時間が必要だ。そもそも数年前から今に至るまで開発し続けている魔法がすでに存在しているし、そろそろ佳境に入ろうという研究段階のそれをむやみに中断するわけにもいかない。

 しかし、魔法という目のつけどころはいいのではないか。紫の力を吸血で手に入れようとしていたように、注目すべきは強化の魔法。かつて手に入れた鬼や月兎などの力は完全に使いこなしているとは言いがたく、それを克服することができれば俺の力の応用性も少しは広がるだろう。

 

「そういうわけで、訪ねさせてもらいました」

「ふーん。つまり修行をつけてほしいってこと?」

 

 日の光が塞がれた曇り空の下、無名の丘と呼ばれる場所の奥にある、なにもないただっ広いだけの草原。かつて俺と萃香との本気の戦闘で引き起こされた被害は元には戻っておらず、そこら中にでこぼことした巨大な穴が見当たる。ただ、草木が生え、土がむき出しになっていない辺りから年月の経過が窺えた。

 そこで俺はいつかの時のように、萃香と向かい合っている。彼女は出っ張った岩に腰をかけ、瓢箪の中身をぐびぐびと喉に通し、俺を――いや、俺の隣を見やった。

 

「まぁ、せっかくこんなところまで来たんだし、次にレーツェルと戦う時が面白くなりそうだから引き受けるのはやぶさかでもないんだけどさぁ……」

「……なによ。文句ありそうな目で見ないでくれる?」

 

 ついてきていたパチュリーが、もの言いたげな萃香の視線を受けて不機嫌に言い返す。「別にぃ」と萃香はパチュリーから一旦目線を離し、座っていた岩から飛び降りた。

 冬らしい温度の低い風が吹き、萃香とパチュリーの長い髪が揺れた。萃香はどうでもいいとばかりに無視をし、パチュリーは鬱陶しげに帽子と髪を押さえる。人間ならば寒さに体を震わせるところだが、この場の三人は全員が気温の変化に疎いため、寒風なんて普通の風と大して変わらない。

 あいかわらず若干の敵意が混じったパチュリーの瞳を見返して、萃香が大きく肩を竦めた。

 

「これは文句じゃなくて素直な疑問ね。なんであんたがここにいるの? レーツェルの話を聞く限り、あんたがいる意味はないと思うんだけど」

「レーツェルが変なことをされないか……そうね。例えば理不尽な喧嘩を吹っかけられないかとか、あなたを見張りに来たのよ」

「なんか嘘っぽいなぁ。そもそも仮にそれが本当だとしても、あんた程度じゃ私を止められないと思うけどね。まーいいや」

 

 ムッとしたような顔をするパチュリーを気にも留めず、萃香は瓢箪を口元に運んだ。今にも喧嘩しそうな雰囲気の二人に胃が痛くなりそうになる。

 萃香を探しに行こうとする際に、俺は珍しく大図書館から出てきていたパチュリーに出くわした。どこに行こうとしているか尋ねられ、鬼化魔法と萃香に会いに行くむねを話したところ、彼女はついてくると申し出てきたのだ。その理由は今彼女が萃香に語ったものではなく、俺が力の使い方を学んでいる過程で、伊吹萃香という鬼をよく知ることができるかもしれないからとのこと。あわよくば豆以外の弱点も見つけたいとか。

 明らかに失礼な態度を取る萃香にパチュリーは遺憾の念を抱いているようであったが、しかし勝負を挑んだりしようという気は感じられない。それは敵わないことがわかっているからか、「レーテの修行の邪魔はしない」という約束があるからか。前者はあり得ないので後者だろう。小さなコストで大きな力を行使する精霊魔法の使い手であるパチュリーが、自分が相手より弱いからと、勝てないかもしれないからと、そんな理由で勝負を忌避したりするはずがない。

 

「それじゃあ早速始めよっか。ほら、魔法使って使って」

「はい」

 

 体内の魔力を動かし、内部で術式を形成、鬼の遺伝子をもとに魔法を行使する。

 ずず、と頭に二本の角が生えたのがわかった。全身に力が漲り、どこか全能感にも似た感覚が駆け巡る。

 

「改めて見ると確かに私の角とまったく同じ形状だねぇ……って、あれ? なんか前見た時より気配が弱々しくない?」

「あの時に萃香の前で使ってみせた鬼化の度合いは四〇パーセントでしたから。いつもは二〇パーセント、高くても三〇パーセントに抑えています」

「なんでよ。強い方がいいじゃん」

「不手際で五〇を越えてしまうと危険だからですよ。吸血鬼としての存在を保てなくなる可能性があります」

 

 萃香はさすがにその返答を聞いては言い返せないようで、それならしかたないねぇ、と息を吐いた。三五を越えるような強化の度合いは本当に必要な時にしか使わないでいるつもりだ。

 ふむ、と顎に手を添えた萃香がさきほどまで自分が座っていた、自身の身長ほどの大きさの岩に体を向けた。右手を振りかざし、握り締め、「見てて」と半分だけ俺の方に振り返る。

 

「まず、知ってると思うけど鬼の代表的な力はこれ。圧倒的なまでの怪力」

 

 ほんの軽い動作で萃香が拳を振るうと、ズガンッと豪快な音を立てて岩が砕け散った。

 

「これくらいなら吸血鬼でも楽にできると思うけどね。ま、鬼はとにかく総じて力が強いよ。そして力が強いってことは身体能力がずば抜けてるってことだから、こと近接戦に関してはどの妖怪にも決して劣らない。耐久力も半端じゃない。そんじょそこらの攻撃じゃびくともしないし、四肢をもがれたって戦える。もちろん首を斬られてもね」

 

 首を斬られても。その言葉を強調して語った萃香が、くつくつと笑う。まるで実際に斬られたことがあるような――いや、あるのだろう。でなければここまで実感がこもった声音で口にできやしない。

 吸血鬼も首を斬られても生きていることができるが、それは高い生命力と再生力があってこそのものだ。

 

「戦えるとは言ったけど、別に平気ってわけじゃないよ。普通の妖怪より多少は再生能力が高いけど、さすがに吸血鬼には届かないし。あとはー、そうだねぇ。反射神経も高いから相手が見えない速さで迫ってきても気配さえ捉えられてれば簡単に対処できるとか?」

 

 この場所で萃香と戦った時のことがよみがえる。彼女は音の二倍以上の速度で動く俺を明らかに見切れていなかったのに、背後に回ってからの拳の一撃を難なく最小限の動作で受け止めていた。

 

「天狗とかはその辺よくわかってるから鬼と戦う時は遠距離からちまちまとやってくるんだよねぇ。竜巻だとかかまいたちだとか。ずる賢いったらありゃしない」

「そういうの、鬼はどう対策してるんですか?」

「対策ぅ? そんなのしないよ。適当に妖力ぶっ放して叩き落としたり、風を萃めてぶっ放して叩き落としたり、巨大化してからとにかく天狗がいる辺りを殴りまくって叩き落としたり、一旦降りた後、思いっ切り地面蹴って風を散らしながら突っ込んで全力でぶん殴って叩き落としたり。まぁそんな感じ」

 

 なんともまぁ無理矢理というか、単純でわかりやすい対処法だ。そして実際にそういう強引なやり方を楽々やってのけるのだから鬼は恐ろしい。

 パチュリーが難しい顔で目を瞑っていた。パチュリーは相手の弱点を見つけ出し、そこを攻めることによって勝利を収める戦い方を主流としている。鬼のようにただ単に強いという妖怪はまさしく天敵と言えるだろう。

 

「ま、長々と語っちゃったけど、鬼の特徴なんて怪力だけ把握してればいいよ。他はオマケみたいなもんだし。っていうかよく考えたら怪力なんて練習する必要ないし、こっからは私個人の力を見せるよ」

「よろしくお願いします」

 

 萃香が俺とパチュリーに見せつけるように右腕を上に突き出した。

 

「私は物事の疎密、つまりは密度とか集めたり散らしたりって現象を操ることができるんだ。んー、ほれ」

 

 まるで宙に作り出されたように、どこからともなく飛来してきた岩が磁石のように萃香の右腕に集まっていく。一秒も経った頃には萃香の身長を越えるほどの大きさとなり、彼女はそれをぶんっと振り回した。鬼の怪力をもっても岩は一片たりとも剥がれることはなく、萃香の右腕はくっついたまま岩の腕と化しているようだった。

 

「そんでこれの密度を上げると」

 

 見る見るうちに岩が赤みを帯びていき、気づけばドロドロと溶解している。それはとてつもない熱を発しているはずなのに、近くにいる俺には少しも空気の温度が上がったように感じられなかった。

 

「ん、レーツェルは気づいたね。実は高密度にして熱を持たせると同時に、その熱を一切散らさず内部だけに残してるんだ。だから周りは熱くならない。その影響として普通の溶岩の何十倍も熱くなってるけど」

「……なんでそんな高熱で、あなたの腕は平気なのよ」

「あれ? 私はレーツェルに説明してるんだよ。あんたは見張り役なんじゃなかったの?」

 

 意地悪く口元を歪める萃香に、顔を顰めたパチュリーが「いいから言いなさい」と催促をする。

「おお、恐い恐い」。おちょくるたびにどんどん鋭くなっていくパチュリーの視線に、萃香は肩を竦めた。

 

「私に接する部分の熱だけ散らしてるからに決まってるじゃん。私の能力は萃めるだけじゃなくて逆も可能なんだよ。その二つを『操る』んだ」

 

 だからこんなこともできる、と萃香が瓢箪を腰にくくりつけたのを境に、その左腕が赤くなっていく。岩を介すことなく直接熱を萃め、高熱の腕を作っているのだ。

 

「私に害を及ぼすぶんだけの熱を散らして、その散らしたぶんでさらに温度を高くしてる。これで殴られてみる? たぶんあんたなら余裕で死ねるよ」

 

 遠慮する――意地でもその一言は吐きたくないのか、パチュリーは無言で萃香を睨みつけていた。

 萃香はそんなパチュリーを見据えつつ、チラリと俺を横目で見る。そうしてため息を吐いた。たとえ冗談でも、殺す気がなくても、それを実行しようとすれば全力で止める。そういう俺の意志が伝わったのだろう。

 萃香の左腕から熱が引き、右腕の溶岩は次第に岩へと変化していき、やがて密度の薄さが極限を通過して霧状になって消え失せた。

 

「まーそういうわけで、萃める力と散らす力をうまく組み合わせれば片方だけの時の何十倍にも強くすることができるんだ。なにせ『操る』力だ。あ、そういやレーツェルはどこまで私の力を使えるの?」

「……そうですね。この前、吸血鬼としての力も合わせてですが、瞬きするくらいの速さで自分の体を霧にすることができました」

「へえ、それならちょっと調整すれば巨大化とかもできそうだね。ま、とりあえず霧になってみなよ。今回は吸血鬼の方の力は使わずにさ」

 

 萃香の指示にこくりと頷いた。そして自身の中にある二つ目の能力に意志を向け、自らの密度が薄くなるようにそれを行使する。

 すぅー、と全身が空気に溶けていくようだった。体にかかっていた重みがなくなり、ふらふらと宙を漂っているのがわかる。

 パチュリーはそんな俺の姿に驚愕してか、口を半開きにしていた。萃香もまた俺の方を見上げては口の端を吊り上げ、どこか誇らしげにしているようにも見える。

 

「二〇パーセントしか使えないんだっけ? それでここまでできるんだから、さすがは私の能力だねぇ」

「レーテ……えぇっと、レーテ……よね?」

 

 不安がるパチュリーに近づいて、ふと、彼女の手を握ろうとして霧の体を伸ばしてみる。

 腕も足も頭さえないゆえに変な感覚ではあったが、俺は確かにパチュリーに触れていた。そういう感じが確かに存在している。その証拠として俺の霧の体と接触した彼女の手が持ち上がり、パチュリーがその様子に目を見開いていた。

 

「ん、いいじゃん。散らすだけじゃなくて、きちんと萃めることもできるんじゃん。それも他人に触るのに必要なだけの最低限だけに調整だなんて。私のところに学びに来る必要なかったんじゃ?」

 

 実際に能力の使い手から説明があった方がわかりやすいに決まっている。だから意味はあった、と。そう告げようとしたのだが、さすがに声は発することができないようだ。

 体を霧から元に戻すと、パチュリーと手を繋いでいる状態で実体化する。

 

「いえ、まだまだです。霧の状態だと強い風でも来たら一緒に吹き飛ばされちゃいそうなくらい不安定ですし、萃香の力なんですから、萃香の教えがあった方がいいのは歴然ですよ」

「そうかいそうかい。うん、そう言ってもらえると嬉しいよ」

 

 さぁ、次はなにをすればいい。そう問いかけようとした途端、不意にがくんと力が抜け、膝をついてしまった。

 立ち上がろうとしてもうまく体が動かせず、倒れそうになったところをパチュリーに支えられる。

 

「レーテ? 大丈夫かしら?」

「だ、だい、大丈夫……あ、あれ?」

 

 完全に体が言うことを聞かない。四肢が痺れ、座ってすらいられなくなってパチュリーに体重のままに寄りかかる。

 なんで急にここまで不調になってしまったのか、理解が及ばない。

 ただ、とにかくパチュリーに迷惑をかけてしまっていることを申しわけなく思った。それを察した彼女は「いいのよ、これくらい」と優しげな笑みを作ってくれたが、支え続けているのは体が弱いためにきつかったのか、パチュリーはその場に座り込んだ。その膝に俺の頭が乗せられ、俗にいう膝枕の形になる。

 萃香が目をぱちぱちと瞬かせながら、そんな俺の様子を観察した。

 

「んー……これ、私の能力だけで霧になったせいかな。吸血鬼の力を使わないで体の感覚がなくなることに慣れてなかったから、たぶんそのせいだよ」

「そう、ですか。いつ動けるようになります?」

「声はちゃんと出せてるし、すぐ終わるんじゃない? まぁ、それまではゆっくりしてなって。ちゃんと動くようになったら次に移るから」

 

 萃香が地面に腕をかざすと、そこに人が一人座るのに十分な大きさの岩が萃まってきた。そこに座っては、腰につけていた瓢箪を外して口に運ぶ。

 強化の魔法で萃香の力を一部得ることができても、ほんの二割程度のそれさえ使いこなすにはほど遠い。それどころか体が動かなくなるなんて事態にも陥ってしまって、なんだか気分が落ち込んできてしまった。

 本当にきちんと扱えるようになることができるのか、とか。霧になるたびにこうして動けなくなるのではないか、とか。

 ふと、俺の頭に手が置かれる感覚が生まれる。思考に沈み込んでいた俺の焦点が、心配そうに目を細めるパチュリーに合った。

 

「レーテ、あんまり無理はしないで」

「無理なんてしてませんよ」

「私にはしてるように見えるのよ」

 

 優しく頭を撫でられた。ゆったりとした手つきのそれはとても心地がよく、マイナス方面に傾きかけていた心がピタリと止まる。

 

「いつもあなたに頼ってばかりだから、思うのよ。私もあなたの力になりたいって」

 

 どうしてかパチュリーがどこか寂しげにしているように見えて、喉から出かけた言葉が詰まった。

 頼る頼らないとかじゃなくて、今、俺は十分にパチュリーに助けられている。それなのになぜそんな目で俺を見るのだろう。

 

「私じゃ力不足なのかしら」

「そんなこと、ありません」

「本当にそうなら嬉しいんだけどね。さっきはなんだかすっごく謝りたそうな顔をしてたけど、私もその、家族なんだもの。多少の迷惑をかけるかもしれないなんてこと気にしなくてもいいのよ。私なんて数え切れないくらいレーテに世話になってるんだから、むしろたくさんかけてほしいくらい」

 

 困惑している俺の様子に、視界の端で萃香が呆れたように両肩を上げているのが見えた。

 

「レーツェルはあいかわらずだね。あいかわらず、なんにもわかってない。他人のことを考えようともしない」

「……え、っと? 私が、パチュリーのことを……ってことですか?」

「そいつだけじゃない。他の誰もの、だよ。レーツェルはいつだって独りよがりなんだ。自分がしていることなんて限りなく価値のないものだって思い込んでるから、他人になにかをしてもらったら、感謝よりも先に申しわけないって気持ちが湧き出てくる。自分はこんなことをされるほど大層なことをやってないって思ってるから、どうしようもないくらい心苦しいって感じる」

 

 パチュリーが萃香を睨みつけたが、萃香はそんなものは一切気にしないという具合に言葉を続ける。

 

「でも、それはそのなにかをしてもらった誰かへの侮辱でしかない。相手からしてみればそれは日頃のお礼だとか、これくらいはしてあげて当然だとか、そういう気持ちでやってるはずなのに、なんで謝られなきゃいけない? なんでごめんなさいなんてくだらない言葉を吐かれなくちゃいけない? 私だったら逆にムカついてぶん殴ってるね。欲しいのは謝罪なんてものじゃない。お詫びなんかじゃない。親しい誰かに当たり前のことをしてあげた時、その誰かから欲しいって思うものは――」

 

 炎の魔法が萃香の足元に直撃した。萃香が言葉を止め、大仰に肩を竦めて魔法を放った本人を見やる。

 ふんっ、と鼻を鳴らしたパチュリーが萃香に強い眼差しを向けていた。

 

「あなたの個人的解釈なんて興味ないのよ。レーテが調子を悪くして、倒れてる。あなたが変なこと言うせいでさらに体調が悪くなったらどうするつもり?」

「あんたのために言ってやってんのに」

「頼んでない」

「そうかい。ま、悪かったよ。私には関係のない話だったね」

 

 萃香が俺たちの方から視線を外し、瓢箪の酒を飲み始めても、パチュリーは鋭い目線でそれを見据えていた。

 体の方に意識を向けると、そろそろ体がきちんと動けるようになってきているようで、手を開いたり握ったりとすることができた。もう平気だからと動こうとした俺の頭を、パチュリーが「まだ激しい動きができないのは見ればわかるわ。無理しないで」と彼女自身の膝の上に押しとどめる。

 起き上がろうとしたのは、きっと、じっとすることで考えごとに耽りたくなかったからということもあったのだろう。

 ――親しい誰かに当たり前のことをしてあげた時、その誰かから欲しいって思うものは。

 萃香のあの言葉の先に語られていたはずのものが、パチュリーが本当に欲しているものなのだろうか。俺がやらなければいけない、俺が差し出さなければいけないものなのだろうか。

 それがあれば、パチュリーにあんな寂しそうな顔をさせることがなくなるのだろうか。

 ……わからない。見当もつかない。お礼か、感謝の言葉か、それとももっと別のなにかなのか。

 パチュリーに頭を撫でられながら、体の調子が完全に元に戻るまで、ずっとその答えを頭の中で探し求め続けていた。


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