読まなくとも物語にはなんら支障のない小ネタなので、興味のある方だけ見ていただければ幸いです。
年が一つ終わり、同時に季節も切り替わる。食欲の秋が過ぎ去った後には寒気が溢れ返る時期がやって来て、つい昨日なんかは大雪が吹き荒れてまさしく冬という感じだった。出かける時はマフラーを巻くようになったし、レティと一緒にかき氷を食べたりした記憶は新しい。
そしてこれは余談ではあるが、今年も明星の光は太陽に打ち消され、負けていた。俺やフランは最初から期待なんてせずに蕎麦をすすっていたけれど、レミリアとパチュリーはとても残念そうに肩を落としていた。次に新年を迎える時には原因を探ってみるのもいいかもしれない、と考えている。
そして現在。館の外、庭の上空だけに一時的に赤い霧を張り巡らし、吸血鬼の行動が容易になるようにしていた。そんな中で悠々と飛び回り、弾幕を撃ち合っているのはフランとパチュリーだ。
すでに"禁忌『フォーオブアカインド』"という自身の分身を作り出すスペルカードを行使していたフランは、パチュリーが生成する弾幕を分身とともにひょいひょいと軽く避けていく。それどころか回避をしつつ弾を打ち返し、弾幕が薄いところにいる分身はさらなる密度を備えた弾幕を撃ち放っていた。
パチュリーはあまり回避が得意ではない。このままではじり貧だと判断したのか、パチュリーは吸血鬼の弱点である流水に目をつけたようだった。
――"水符『プリンセスウンディネ』"。
高水圧の光線、大量の泡がパチュリーの魔導書から生み出され、宙を覆い尽くす。瞬く間のうちにフランの分身がすべて消され、最後に残ったフランの本体へと流水が襲いかかる。
第三者からすれば一見絶体絶命に見える状況ではあったが、逆にフランはこれを待っていたようだった。水で容易に近寄らせないようにすることで、一瞬であろうともパチュリーが確実に油断する瞬間を。
――"禁忌『レーヴァテイン』"。
フランが持っていた、両端がスペードのような形をしたぐにゃぐにゃと折れ曲がった棒に、莫大なまでの炎が灯る。やがてそれは紅魔館を半分までなら両断できるのではないかというほどに巨大な一つの大剣となり、間髪入れずに振り下ろされたそれが空中を漂う水滴などものともせずにパチュリーへと迫った。
あと一歩早く魔法が、それこそ"土金符『エメラルドメガロポリス』"辺りの強固なガードを作り出す魔法を使おうとしていればパチュリーにもまだ勝機があったかもしれないが、今回はフランのタイミングの見極めが一歩先を行った。
今まさに己を飲み込まんと、しかし眼前で止まった炎の大剣を前に、パチュリーが両手を上げて降参の意を示す。フランの顔に嬉々とした笑みが浮かび、二階のテラスで観戦していた俺とレミリア、咲夜の方へとバッと振り返った。
「お姉さまー! 勝ったよー!」
イスから立ち上がり、一直線に俺の方に飛び込んできたフランを受け止めて「おめでとうございます」とその頭を撫でる。
フランの後を追ってゆっくりと降りてきたパチュリーが、小さくため息を吐いて、若干悔しそうにフランを見やった。
「まぁ、負けるのはわかっていたんだけど……悔しいものは悔しいわ。というか、火で水を強引に突破されちゃうんじゃ、相性もなにもあったもんじゃないわね」
「ふふん、それが妖怪の、ひいては鬼の名を持つ種族の在り方ってものでしょ? 気に入らないものがあるなら強引に力でねじ伏せて、そのまま真正面から罷り通っていけばいい」
「……妹さま、それ、誰から教わったのかしら」
「萃香って鬼」
フランの回答に、パチュリーが苦々しく顔を歪めた。レミリアもあまりいい顔はしない。以前の三日おきに宴会を行うという異変の際に相当コテンパンにやられたのか、二人とも萃香を若干ながら目の敵にしていた。反応を示さないのは静かにたたずんでいる咲夜だけだ。
「フラン、あんまり萃香の言うことは真に受けちゃいけませんよ。あの鬼は適当ばっかり言うんですから」
「そうなの? お姉さまがそう言うなら、気をつける」
嘘は言わないが、適当なことはたくさん言う。これでいいんじゃね、とばかりな雑で丸投げ的な発言が萃香には多い。
こくこくと首を縦に振るフランを見ると、姉の言うことをしっかりと聞くいい子だというイメージを抱く反面、こういう素直なところがあるから萃香等の思想に感化されやすいのだろうかとも思った。そろそろちょっとくらいは反抗心を見せて、少々の姉離れをしたりとか……。
「お姉さま? なんで泣いてるの?」
「な、泣いてません。寂しくなんて思いません」
目じりに溜まっていた水滴を即座に拭き取る。こんなことで侘しくなっていてはキリがない。
なにかを察したように肩を竦め、俺を見やるパチュリー、心配の目線を俺に送ってくるレミリア、不思議そうに首を傾げるフラン。三者三様の目を向けられ、身じろぎをした。
「んー……」
フランが虚空を見つめ、悩むように唸っていたかと思えば、笑みを浮かべて俺と顔を合わせた。
「ねぇ、お姉さま。どうせだから私とスペルカードで戦いましょう? 最近あんまりやってなかったよね」
「……そうですね。わかりました、受けて立ちます。何枚にしますか?」
「二枚」
そんな話し合いの後、「やるなら被害は抑えてね」というレミリアの注意に二人して首を縦に振って了承し、それぞれ反対側の方向へと飛び退いた。レミリアの願い通りできるだけ館へ危害が及ばないよう庭の上の方にまで移動し、改めてフランと向き直る。
最近は出かけることが多く、フランとスペルカードや弾幕合戦をやることが少なくなっていた。夜はいくらでも時間があるのだが、人間の活動時間に合わせて生活している今の俺たちにとってそれは就寝前の時間帯なので、気を張り巡らせなければならない弾幕戦をやることはあまりない。
さて、まさしく本気でかからなければフランの相手をすることはかなわないことは、ほぼ互角の実力を持つ俺やレミリアが一番理解している。
魔力を練り合わせ、手の平の上に一匹の小鳥を創造した。これが爆発した時が開戦の合図だとフランに伝え、彼女が頷いたのを確認したのちに飛び立たせる。
一秒、二秒、三秒。パンッ、と風船が割れたような破裂音が宙に響くと同時、互いに制空権を握ろうと一瞬のうちに膨大――二〇〇メートル先まで届くほど――な数の弾幕を生成した。
「さぁ、お姉さま! 私と一緒に踊りましょうっ!」
「ええ、心行くまでフランの童話に付き合いますよ」
互いの魔力弾同士が激突し、開戦ののろしを上げる。数え切れない力の塊の衝突に魔力の残滓が飛び散る中、弾幕の網の隙間を縫って迫ってくるいくらかのフランの赤い弾幕を確実に回避しつつ、通常弾幕の中でも愛用をしているペンギン型の弾幕を生み出した。互いに引き合う特性を持ち、なにかに当たることで小さな爆発を起こす特殊な魔力弾だ。
不可思議な軌道を見せながら飛んでくるそれを、フランは決して注視しようとはしない。何度も戦ってきたこともあって、このペンギン弾幕の一番効果的な攻略法を彼女は心得ている。すなわち、いくら軌道が複雑に変化しようとも途中で脱落する弾が多いゆえに最後にフランのもとへとたどりつくペンギンが少なく、それだけを注意して対処すれば攻略は比較的簡単なこと。
だからフランはペンギン型弾幕が自分の近くに来るまでは決して注意を向けず、どれがどんな軌道で自分に迫ってくるかを敢えて無視する。それどころか、それに悩むだけの思考を己が弾幕の生成へと傾けるのだ。
フランが火炎を纏う中型の魔力弾の大量生成、発射。その一つにペンギンが当たった途端、内に秘められていたものが解放されたかのように、半径一〇メートルに届くのではないかと思うほどに巨大な爆発が巻き起こった。
こんなものに当たってはたまらない、と大きめに弾幕を避けていく。連鎖爆発を起こさないためか、互いの弾の間はそれなりに空いていたので、回避は難しくない。その間にフランも数が減ったペンギン型弾幕を狼狽した様子もなくきっちりと避けていて、それぞれの弾幕が背後に消えると、薄い赤の残光が残る中で再び対峙することになった。
「ふんっ、いい加減お姉さまの飛べない鳥が飛ぶ弾幕は慣れたわ。過程が厄介なだけで、慌てず当たる直前だけ注意してれば簡単に避けられる。そう、見かけ倒しで実際は大したことがないのよ」
「あいかわらずフランの弾幕にはパワーがあります。当たったらただでは済まないでしょう。まぁ……当たったら、ですけどね」
それぞれ軽く挑発をして、鼻を鳴らした。別に仲が悪いわけではなく、戦いの最中ではこういう会話をするのが一番『それらしい』し、乗り気で戦闘を行っていけるということで昔からそうしてきている。
どうせ通常弾幕程度ではこのレベルの相手を決して仕留められないことは俺もフランも理解していた。今のはほんの肩慣らし、準備運動。
すっ、と一枚のスペルカードを構えると、フランも口の端を吊り上げて同じように取り出した。
――"神刃『ジャブダ・ベディ』"。
――"禁弾『カタディオプトリック』"。
二枚の制限がある中、フランを相手に"童話『赤ずきん』"や"童話『北風と太陽』"なんて小手調べのスペルカードなんて使っていられない。俺が切り札と公言している一枚がいきなり出たことにフランが目を見開き、そしてすぐにその顔が獰猛な笑みへと変わった。
翼に妖力と魔力を送り、赤白い光の粒子でできた光の翼を構成、その向きを少しだけ後ろに傾け、推進力を付加。瞬間、飛行速度が音を越えた。
吸血鬼の動体視力が飛び抜けているとは言っても、自身を中心とした全方位を縦横無尽にとてつもない速度で動かれていて捉えられるはずがない。だからこそフランは敢えて見ようとはせず、弾幕合戦で磨いた気配を感じ取る術で瞬間的に俺の位置を探ることにしたようだった。
フランの周囲を飛び回りながら無数の弾幕を放つ俺に、彼女は中型の弾が後ろを追従する大型魔力弾を形成し、幾度となく俺を狙って撃ってきた。それを避けること自体は難しくはないのだが、空中で突如なにかに衝突したかのように跳ね返るものだから、一度回避した弾幕にも注意を向けなければならなくなる。
いくら音速を越えて動くことに慣れていると言っても、同種のフランが捉えられぬほどのスピードを完全に制御し切れるわけがない。壁に当たったボールのごとく軌道を変化させる弾をフランが何度も放ってきて、気づけばそれが四方八方そこら中に漂っていた。すべてを躱そうと意識していれば当然飛ぶ速度も落ちてしまい、そうなればフランが目で捉えられるほどになってしまう。
回避に夢中でフランへ放つ弾幕が雑になり、その分だけ彼女は多くの跳ね返る魔力弾を創造する。これでは悪循環が続くだけだ。早々に終わらせる必要がある、と翼の向きを操作した。
「行きますよ」
"神刃『ジャブダ・ベディ』"は相手を囲むように飛び回りながら無数の弾を放ち、最後に自分が弾幕の一つとなって対象へと突撃する技だ。そうして俺はスペルカードを終わらせるため、今まさにフランへと音速越えの速度で突進をしかけた。
強い者となると背後からの接近には敏感なものだ。敢えて側面から突っ込んで、しかしその瞬間にフランが口元に笑みを浮かべたのを見て、俺はこの瞬間を狙われていたことを悟った。
もう方向転換は間に合わない。意を決してそのまま突貫し、体当たりをしかけ――フランに触れたと同時、その身が赤い霧となって掻き消えた。
「お姉さま、覚えてる?」
そうしてそのまま霧が俺を覆い、四肢を縛りつけてくる。さらに背の方に這い寄ったそれは『光の翼』に干渉し、出していた粒子を消してきた。
うまく身動きが取れなくなった俺の前に悠々とフランが降りてきた。
「前に音がする居場所をずらす魔法を見せたことあったよね」
「永夜異変の調査に出かけようとする前、フランの部屋に寄った時のことですか」
音を消す魔法を作りたかったけれどうまくいかず、音を移す魔法にしてみたのだったか。真上から「ばあっ!」と驚かされた光景が頭の中によみがえる。
「さすがにお姉さまはよく覚えてるねぇ。あの魔法、改良してる途中にふと思いついたんだ。音を移せるんなら光も移せるんじゃないかなって」
「……なるほど。視界に映るものをずらす魔法ですか」
「ご名答。お姉さまが突っ込んだ先にあったのは私が用意しておいた魔法の罠……本物の私はそのほんの少し上にいたのよ」
体を縛る赤い霧は意外に強度が高いというか、どうにも肉体を拘束しているわけではないらしい。内部に溢れる魔力や妖力など、特殊な力を封じているようだ。
これでは吸血鬼の特性で己が体を霧にしても、
「さぁ、お姉さま。大人しく」
「すると思いましたか?」
だからと言ってここで手を抜いて諦めるのはフランへの侮辱に当たる。最後まで全力で抗って、勝ちを取りに行く。
――"鬼の童話『桃太郎』"。
聞き慣れぬスペルカード名にフランが警戒し、速やかに勝負を決めようと軽く炎を灯したレーヴァテインを振りかぶったのが見えた。それが振り下ろされるよりも早く、俺の中で編んでいた魔法が完成する。
頭に二本の捻じれくねった鬼の角が生え、全身に圧倒的なまでの力が溢れ返るのを感じた。赤い霧に捕らわれたままでありながら強引に、ただただ力任せに体を動かして、フランが振るった炎を纏う棒切れを受け止める。
「新しい手札を用意してきたのはフランだけじゃないんですよ」
「これ、まさか鬼の……!?」
萃香と初めて出会い、戦った際、俺は吸血を行うことで彼女の鬼としての力を一部解析することに成功した。その時に得た鬼化魔法をスペルカードで使えないかと考えた結果、完成したのがこの"鬼の童話『桃太郎』"である。
"童話『長靴をはいた猫』"と同じ、変化すること自体が真髄という、強化タイプのスペルカードだ。
鬼の怪力に身を任せ、レーヴァテインを手首の捻りだけで遠くへぶん投げると、それを強く掴んでいたフランも一緒に飛んで行く。いや、見たこともないスペルカードを前にして、距離を取るためにわざと投げられるようにしていたのか。どちらにせよ好都合だ。鬼の怪力と莫大な魔力と妖力を振りかざし、赤い霧の拘束を解除した。
ある程度離れたところで制止し、フランが不服そうに頬を膨らませる。
「もうっ、せっかくお姉さまを倒すために開発してきたのに、こんなにあっさり……」
「あっさりじゃありません。このスペルカードと……あともう一枚以外に、霧の拘束を破る方法が私にはなかったわけですから。というか今の拘束魔法、もしかして霊夢の霊術を参考にしてました?」
「あ、気づいた? まぁ、破られちゃったんだけどねぇ」
それに現状は俺が不利な立場にある。スペルカード使用可能回数二枚というルール上、今使っている"鬼の童話『桃太郎』"の制限時間を迎えてしまえば俺の負けになってしまう。このまま逃げ回ることに集中されたら俺の敗色は濃厚と言ってもいい。
ただ、フランはそんな美しくない真似はしないだろう。弾幕ごっこの美しさを理解し、それに興じることが好きな彼女だからこそ、どんなスペルカードを前にしても美を損じる手は打たない。
予想通り、フランは逃げの一手には入らず、真っ向から勝利を収めるための最後の一枚、それも十八番に当たるスペルカードを取り出した。
――"禁忌『レーヴァテイン』"。
フランが握っていたぐにゃぐにゃの棒に宿る魔力の炎が火薬を投じたかのごとく膨れ上がり、この庭の天を覆う紅霧さえ消し飛ばすことが可能だろうほどの大剣を作り出す。
「行くよ! お姉さま!」
「はい。迎え撃ちます」
圧倒的業火を前に避けることをせず、むしろフランへと向けて突撃をしかけた。今の俺は鬼の力を宿しているのだ。鬼は、相手の全力の攻撃を躱そうとするなんて、そんなつまらない真似はしない。
数瞬のうちにフランのすぐ目の前まで接近し、迫り来る爆炎を纏ったレーヴァテインをそのまま両手の平で受け止めた。皮膚が焼かれ、細胞が死滅する。鬼の力がなければ押し負けていただろうほどの怪力と膨大な魔力を前に、けれども俺はなんとか耐えていた。
「まだまだぁ!」
「う、ぐむぅ……!」
炎が勢いを増す。元々三姉妹の中で力という一点だけではずば抜けているフランの一撃だ。いくら多少鬼としての力が加担したところで、容易に止められるはずがない。
だけれど、この身に宿るは単なる鬼の遺伝子ではなかった。四天王の一人とまでされる最強最悪の鬼、伊吹萃香の力だ。
フランから魔力を注がれ、レーヴァテインの出力が上がっていくのと並行し、俺もその力を解放していた。『密と疎を操る程度の能力』――魔法で姿かたち、力を借りているだけなこともあって、萃香には及ばない弱い力しか発揮できない。それでも使えることは確かなのだ。
フランが炎を増幅させ、俺がそれを借り物の能力で散らしていく。千日手と思われるそれもしかし、どちらかの力の限界はやってくるものだ。
腕の細胞がついに使いものにならなくなり、ボロボロに崩れてフランのレーヴァテインを受け止めることができなくなる。フランが勝利を確信した笑みを浮かべたのを横目に、その瞬間の隙を見逃さない。
吸血鬼が元々備えている紅霧へと身を変化させる力。そして、『密と疎を操る程度の能力』を用いての肉体を霧へと変化する力。その二つを合わせ、まさしく一瞬にして己が身を疎とし散らした。
フランの反応は速い。霧になるならばそれごとまとめて消し飛ばしてしまえばいいと、炎の密度を上げるのではなく拡散させた。業炎が辺りを埋め尽くし、霧なんてものは存在できない空間が仕上げられる。しかしその手は一歩遅い。俺はすでに実体化していてフランの背後に立っており、鬼の怪力のままに再生途中の腕を振り回していて。
「……ここまで、ですね」
「うん。そうね、ここまで」
――そんな俺の手もまた、一歩遅かった。
俺がフランの眼前で拳をピタリと制止させたのと同じように、フランもまた、俺の首のすぐ横でレーヴァテインを止めていた。つまり引き分け、勝ちはどちらでもない。
俺が腕を下ろすと、フランもレーヴァテインの炎を消し、ほぅ、と息を吐いた。パチュリーとの連戦だったから疲れたのか、俺の胸に身を任せてくる彼女をすでに再生している両腕でそっと抱き留める。
レーヴァテインを受け止めていた腕が崩れていった際、俺はそのさまを見てフランが隙を作ったと、勝ちを確信したと勘違いをしてしまった。そもそもの話、フランが俺を前にして油断なんてするはずがなかったのだ。彼女はただ反射的に期待を少し顔に表してしまっただけだった。
結局俺の行動は不意打ちでもなんでもないものに変わり、フランに最後の一撃を放つ直前で、俺も同様の一撃を彼女から食らいかけてしまった。その結果としてフランの眼前に迫る俺の拳、俺の首元を薙ぎ払おうとする炎の剣という構図ができ上がり、引き分けになってしまったわけである。
「あー、もう、やっぱりお姉さまは強いわ。今日は本気で勝ちに行ったのにー……」
ぎゅぅ、と悔しそうにフランが俺の服を握り締めてくる。そんな彼女の頭を撫でようとしたが、引き分けなのになぐさめるのはおかしいんじゃないかと思い、手を引っ込めた。代わりに、とりあえず俺もフランの服を堅く握ってみる。
「お姉さま、しわになっちゃう」
「私のもそうですよ」
フランがくすくすと笑った。遊びも終わったので、離れたくないとばかりに服を握って離さないフランを抱きしめたまま、テラスの方へとゆっくりと降りていく。
そんな中、なにを思っているのか、フランが上目づかいでじっと俺を見上げていた。そうして手を伸ばして、俺の頬に触れてくる。
「ねぇ、お姉さま」
「なんですか?」
「楽しい?」
「楽しいですよ」
そっか、とフランが手を引いた。出し抜けにどうしたのかと小首を傾ける俺を、彼女は楽しげな笑みを浮かべて見つめてくる。
「なんか唐突に思っちゃった。いつかお姉さまの笑顔、見てみたいなって」
「……笑顔、ですか」
「お姉さまっていっつも表情変わらないからねぇ。私ならお姉さまの内心を察するくらいわけないけど、やっぱりわかりやすい形でも知りたいわ」
私がこんなに楽しいんだから、お姉さまにも同じくらい面白い気持ちでいてほしい、とフランが言う。
自身の頬に手を添えた。いつか俺の笑顔が見たい、内心を表情というわかりやすい形で知りたい。それがフランの望みなら、いつかは。
でも。
笑顔――それはいったいどういう時に、どういう目的で浮かべるものだっただろう。
一瞬、本気でそんなことを思いかけた。そうしてすぐに、機嫌がいい時、心躍ることがあった時、とにかく愉快な気分な際に浮かべるものだったと思い出す。フランが今感じているような気持ちを表現するためのものであったと。
「そうですね。フランがそう言うならいつかは、見せてあげられたらって思います」
「約束してくれる?」
「はい。指切りげんまんです」
フランと小指を絡めた。何百年も前もこうして約束を交わしたことがあったな、と当時のことに思いを馳せる。
その時の気持ちも思い返して、ぎゅっ、とフランを強く抱きしめた。
「フラン。近いうちに、さとりを紅魔館に連れて来ようと思ってるんです」
「さとり? えぇっと、こいしの姉で心が読める妖怪だっけ」
「私の能力で心を読めなくするので、フランも仲良くなってあげてくれませんか?」
「ん、そうね。わかった、受けて立ってあげるわ。お姉さまは渡さないって宣言もしておかないといけないし」
瞳に小さな炎を灯すフラン。一緒に二階のテラスに着地をし、レミリアやパチュリー、咲夜のもとへと近づいて、丸テーブルを中心にして用意されていたイスに腰をかけた。レミリアとパチュリーが「お疲れさま」と俺たちを迎え、咲夜が紅茶を入れてくれる。
お礼を言いながら、紅魔館の庭や、館の外側の景色へと視線を送った。雪の彩ったこれまた風情がある世界を目の保養とし、なんとはなしに思う。
去年は異変がない一年だったが、今年はそうはいかないだろう。少し気を引き締め直しておかないといけない。
「美味しいですね」
「ありがとうございます」
紅茶の味に舌鼓を打ちながら、とりあえず今はフランと戦った疲れを癒そうと、休息へと意識を傾けた。