人は、生まれながらにして自由だ。
―――なんて、どこかで聞いたことがあるけれど、そんなの、ただの理想論だって思う。
だから、これを真に受けると、そうじゃない現実に凹まされることが多くなるわけだ。
顔の見えない常識とか、お約束とか、そういうもので、世の中はいっぱいだ。
そして、その間には、いわゆる"神様"の気まぐれが隙間なく敷き詰められていて、俺たち人間は、自由どころか、まともに呼吸をすることもままならなかったりするんだ。
―――でも、きっとそれは、進化の過程ってやつさ。
いつか、未来で本当の自由を叶えられるように、その時まで守ってくれる鎧として、人間は沢山の不自由を着込んだんだ。
沢山の理不尽を引き受けたんだ。
どんどん鎧が重くなって、だんだん身動きが取れなくなって、それでも、人間は、足跡のない道へと、必死に踏み出してきた。
ずっと。
―――少なくとも、俺はそう信じてる。
だから、俺は、この世界の不自由とか、理不尽とか、そういうものを否定するつもりはないんだ。
人の意志では、どうにもならないことだってある。
天災。人災。理由のない悪意。理由のある悪意。
人は、己一人の命すら、思うがままにはならない。
―――でも、
もしも、どうにもならないそれを、どうにかできるものがあるとするならば、それはやっぱり、
―――人の意志だと思うんだ。
そう、信じてるから。
そう、信じ続けたいから。
俺は、たとえ、楽園でも、煉獄でも、誰かに押し付けられる人生だけは、送りたくないんだ。
俺たち人間に与えられた不自由は、理不尽は、自由を勝ち得るための、未来を切り拓く刃でもあるんだから。
それによる支配に、屈してはいけないんだ。
そこに、悪意があっても、なくても。
人は、生まれながらにして自由ではない。
だから、自由を追い掛けるんだ。
それが、俺の通したい、"筋"ってやつだ。
―――だから、
「決着をつけよう、ラタトスク」
俺は、ここにいる。
第43話「煉獄の決戦」
煉獄。
赤黒い空、ひび割れた大地、そして、煉獄の樹。
根っこが空に浮かび、枝が空間を裂いて"根"を張る。
そして、俺の前に立つのは、―――ラタトスク。
無数のインベスが混じりあったようなグロテスクな半身と、取り込まれた人間の姿を取る半身。
煉獄というシステムそのものが形を取った、魔物だ。
ラタトスクは、―――何かの嫌がらせか。
わざわざ初瀬の顔を浮かべて、初瀬の声で、言う。
「私が消えれば、おまえも消える」
「知ってるよ」
「角居裕也、なぜ私に牙を剥く?」
「一言で言うと、気に入らねえから」
「私は、おまえの魂の存在を許した」
「苗床としてだろ」
「消えるより、いいだろう。フレズベルグを取り込んだおまえにも、聴こえるはずだ。私が集めてきた魂の、苦悶の叫びが。生きたいという、苦悶の叫びが」
「―――ああ。聴こえるよ」
―――俺の中には、ラタトスクがフレズベルグに分け与えた分だけの、死者の魂がある。
そして、俺の存在を保つための苗床になっている。
今の俺は、ラタトスクと同質の存在だ。
こいつの言う通り、その魂たちの叫びが、ずっと、頭の中で木霊している。
―――痛い。苦しい。生きたい。
無数の声が、そう叫び続ける。
でも、ラタトスク。
おまえは、わかってねえんだ。
「ここにいる誰一人、」
俺は、自分の胸に手を当てる。
「死にたくて死んだ奴はいなかった筈だ。もっと生きたかった筈だ」
「そうだろう。私は、それを叶えた」
「違う」
「何が、違う?」
「俺が生きたかったのは、ここにいる皆が生きたかったのは、」
自然と、拳に力が入り、この胸を打ち付ける。
鼓動を感じる。
「―――自分の人生だ」
きっと、それは、煉獄じゃなくても、どこにでもあるような、何ら特別じゃないこと。
生きるために仕方なく諦めて、不自由や理不尽に、自分の人生を明け渡して、その結果、どこか自分の人生じゃないような気がしてきちゃって。
偽物の自分を生きているようで。
いつの間にか、生きるために生きてるみたいになって、でも、どうして生きたいかなんてわからなくて、そのうち、疲れ果てて考えるのをやめて、
―――それでもまた、悩んで。迷って。苦しんで。
それもこれも、全部、本物になりたいから。
本物の自分を、生きたいから。
周りがどうじゃない、世界がどうじゃない、そんなこと関係ない、ただ、ただ、自分の思う自分の人生に、少しでも寄り添って歩きたいから。
『自分の人生は、つくられた偽物なんじゃないか?』
そんな疑念に抗って、必死に首を横に振って、泣きながら、できるだけ笑いながら、そうやって歩いてきたのが、人間だから。
―――俺は、化け物になったけど、ひとりの人間として、
「もう、話しても無駄だな。角居裕也」
「ああ」
―――オルタネイティヴオレンジ!
人間の自由を、勝ち得るために、
"角居裕也"を、生きるために、
「変身!」
何度でも、こうやって叫ぶんだ。
―――オルタネイティヴオレンジアームズ!
花道アナザーステージ!
「―――ここが、俺のステージだ」
鎧を纏った俺は、ラタトスクに、青い刀を向けると、そう言った。
「愚かな」
ラタトスクは、相も変わらず初瀬の顔をしている。
「フレズベルグを取り込んだとて、私には勝てない。
合鍵の力も、使い果たしただろう」
「何度も言わせんなよ」
勝てる、勝てないじゃない。
―――勝つ!
それが、それだけが俺だ。
「―――私に、還れ、角居裕也」
ラタトスクから、凄まじい威圧感を感じる。
以前、対峙した時とは比べ物にならない。
本気だ。
裏を返して言えば、こいつは、俺を恐れている。
俺に負けるかもしれないと、そう思ってる。
―――俺は、明確に、こいつの敵になったわけだ。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
煉獄の樹が、雄叫びを上げた。
俺の内側でも、また、死者の魂たちが、その叫びをより一層大きくした。
ごめんな。
もうすぐ、終わらせるからな。
「行くぞォッ!」
俺は、全力で大地を蹴り出した。
次の瞬間、ラタトスクの放つ衝撃波が俺を襲う。
俺もまた、同じ衝撃波を放ち、―――相殺。
激しい爆発が起こり、煉獄の大地が爆ぜる。
爆炎に閉ざされた視界はもう頼らずに、異形の力で感覚する。
ラタトスクが、飛んだ。
空中から、鉤爪が伸びてくる。インベスの右半身のものだ。
左に跳んで、回避。視界が戻る。上方、ラタトスクの姿を捉えた。
初瀬の顔。あくまでも無表情だ。
おまえの声も、聴こえるよ。
もう一度、衝撃波を放つが、奴は、突然姿を消す。
―――ワープか!どこへ行った?自明。
背後、振り向き様に青い刀で一閃。
ラタトスクの鉤爪が、それを受ける。
そして、上方に何かの気配。枝だ。
煉獄の樹の枝が暴れ、俺に襲い掛かっている。
―――あれの主導権は、俺には無いようだ。
コントロールを試みるも、失敗。
俺も、瞬間移動で回避する。
「くっ!」
移動先、またも目の前から別の枝が迫る。
刀を一振り、切り裂くことに成功するも、背後からはラタトスク。
その鉤爪の一撃を食らったのは、―――ああ、一度これ言ってみたかったんだ―――
「残像だ」
「私に、還れ」
ラタトスクと、再び正面から鍔迫り合いになる。
俺は、左手の刀から手を離すと、それを遠隔操作。
迫る枝に対処する。
―――またも、衝撃波。コントロールに力を裂いたせいか、対抗して放った俺の衝撃波は押し負けた。
「ぐああ!」
一瞬の隙を突かれ、ラタトスクの鉤爪が、俺の腹を貫く。超痛い。
俺は、そのインベスの上腕を、空いた左手で掴んで、右手の刀で、切り落とした。
怯んでる暇は、無い。俺は、腹に突き刺さった腕を、そのまま吸収した。
すると、ラタトスクから、再び腕が生えてきた。
―――明らかに、人外同士の戦いだ。
煉獄の樹は、叫び続けている。
ラタトスクが、飛翔した。インベスの半身から、翼が生えたのだ。
片翼。飛びづらくないのか。
そして、ラタトスクは、空中から、無数の光弾を放った。
凄まじいスピードで飛んでくる光弾を、一つ一つ、リズムを取るようにして避けてゆく。
煉獄の大地は灼け、至るところで炎が巻き起こる。
ステップを踏む。綱渡りだ。気を緩めるな。
―――最後の一発が、まともに俺を捉えた。
味わったことのない高温。熱い。
それでも、この身体は、まだ耐えてくれるみたいだ。
ラタトスクが、急降下してくる。
翼は炎を纏い、その炎は、インベスの半身を包み込んでゆく。
首根っこを掴まれた。
これまた、熱い。首の骨が折れたような気がするが、俺は、なんとか生きている。
再生してゆくのだ。壊れたところから。
だが、いつまで保つかはわからない。
初瀬の形を取った方の腕が、今度は、俺の左胸の鎧を貫いて、心臓ごと串刺しにする。
痛い。再生。すぐに引き抜かれた。
初瀬の顔は、無表情だ。
―――いつまで、その顔してんだよ。
枝が、四方八方から伸びてきて、俺の全身を滅多打ちにする。
そのうちの数本に脚を捕まれ、煉獄中を引きずり回される。
瞬間移動を試みるも、失敗。
体が、悲鳴を上げる。
だが、生きている。
「なぜだ、角居裕也」
ラタトスクの声。
「なぜ、人間の精神で、その力に耐えられる?」
喋りながらも、俺はラタトスクの鉤爪に切り刻まれていて、死ぬほど痛い。
時折反撃を加えるも、致命傷はまだ与えられていない。
で、なんだって?
―――なぜ、耐えられるかなんて、そりゃ、
「俺が勝つって決めたからだよッ!」
だから、食らい付くだけだ。
負けない。
俺は、絶対に、負けない。
―――もう何度目かもわからない、鍔迫り合い。
もう、どれくらい戦っているんだろう。
一瞬だったようにも、もう、随分と長い間、こうしているようにも感じる。
どっちでもいい。
―――ラタトスクが鍔迫り合いを制し、光弾が俺めがけて飛んでくるのが見えた、その直後、そいつは、ごく自然に、俺とラタトスクとの間に割り込み、盾となった。
「大丈夫か、裕也!」
銀色の鎧。
紘汰だ。
馬鹿野郎。
「うらぁっ!」
光弾を弾き返した紘汰は、そのまま、オレンジ色の大剣で、ラタトスクに斬りかかる。
ラタトスクは、―――ああ、やっぱびびってんな、こいつ。
体勢を崩している。隙だらけだ。
そこを、逃がさない。
俺は、追撃を加える。
その後には紘汰が続き、そして、また俺が。
―――俺たちは、叫ぶように、言葉を交わした。
「紘汰ァッ!どうして来たんだ馬鹿野郎!」
「俺が来たかったからだ!」
「そういうことじゃねえ!おまえ、わかってんのか!」
「なにがッ!」
「あいつ倒したら、俺、消えんだよ!これはッ、自殺みてえな戦いなんだよッ!おまえには、もう、これ以上は背負わせらんねえ!ぜってえ勝つからさァッ、おまえはもう、帰―――」
「裕也」
―――紘汰の剣が、ラタトスクを、縦一閃に切り裂いた。
ラタトスクは、苦痛の叫びを上げ、膝から崩れ落ちる。
紘汰は、振り向かないまま、俺の名を呼んだ。
裏声混じりになった俺の叫びを制して、静かに、俺の名を呼んだ。
「ぜんぶ、わかってるから。もう、何も言うな」
優しくて、暖かい声だった。
「裕也が、裕也の人生を全うするには、こうするしかないんだろ」
俺は、紘汰の声を背に受けながら、ラタトスクを斬る。
「裕也が、本当にしたいことなんだろ」
紘汰の、追撃。
ラタトスクは、もう、初瀬の顔をしていなかった。
代わる代わる、目まぐるしく、顔が変わってゆく。
「これが、おまえの、心からの望みなんだろ」
衝撃波を放つと、ラタトスクのインベスの半身が、ぼろぼろと崩れ落ちてゆく。
煉獄の樹が、悲痛な雄叫びを上げる。
「どうしたって、お別れなんだろ」
その声は、徐々に、涙の色を帯びて、それでも、優しく、暖かく、
「だからさ」
とても強く、
「最後くらい、また、同じステージにいさせてくれよ」
俺の心に、真っ直ぐに飛んできた。
―――戦いの最中に、そんなボロ泣きするやつがあるか、馬鹿野郎。
そして、俺は、答えたんだ。
「頼むよ、相棒」
「ああ!」
―――極スカッシュ!
紘汰の大剣が、強烈な光を帯びる。
必殺技だ。
俺は、この異形の力を、ありったけ、両手で持った青い刀に乗せる。
刀は、肥大化した。
オレンジと青の、二つの、巨大な刃が、煉獄の空を斬り、
―――ラタトスクへと、振り下ろされた。
「オラァァァアアァァッ!」
「セイハァァアアアァッ!」
―――大爆発。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
ラタトスクの叫びが、煉獄の空を突き破るようにして、響き渡った。
―――そして、俺と紘汰は、肩で息をしながら、
仮面越しに、顔を見合わせる。
言葉は、無かった。
静かだ。
空は、相変わらず赤い。
煉獄の樹が、溶け出すように、その形を歪めてゆくのが見える。
あとは、このまま、煉獄が崩れ落ちてゆくだけ。
そしたら、俺も、一緒に。
俺は、口を開く。
「紘汰、早く行け」
「…裕也」
「ここにいたら、おまえもどうなるか、わから―――」
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
煉獄の樹が、唸り声を上げたかと思うと、
その幹から、巨大な衝撃波が、放たれた。
色を持った、形ある衝撃波。
その色は、黒。
闇の色だ。
俺も、紘汰も、反応できなかった。
まさか。
まだ、
終わってなかっ―――
「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない」
恐怖に震えるラタトスクの声が、他のすべての音を掻き消した。
ああ、そうか。
あの樹もまた、ラタトスクだ。
あれが生きてる限り―――!
衝撃。
俺と紘汰の鎧は、徐々にひび割れて、やがて、消滅する。
俺のオルタネイティヴオレンジ、そして、紘汰の、大きなオレンジ色をしたロックシードと、
―――鍵のロックシードが、粉々に砕け散るのが見えた。
つづく
次回、最終話です。