―――目を覚ました俺は、走る痛みを堪えながら、無理矢理に、身体を起こした。
駐車場の屋根を打ち付ける音。
どうやら、雨が降っているらしかった。
腰に着けたままの戦極ドライバーに触れると、気を失う前に起きたことを、ゆっくりと思い出してゆく。
変身した俺は、"本物の"光実と戦い、―――敗北したのだ。
本物の俺を、そして人類を裏切り、俺の弟を殺した、本物の光実に、俺は、勝てなかった。
その悔しさが、物理的な痛みよりも激しく、強く、この胸を刺す。
「結局、俺は、無力か」
―――この諦めからは、もう逃れられないのかもしれない。
俺が持っている記憶は、本物の呉島貴虎の、レプリカ。
偽物だ。
しかし、それでも、俺は、思い出す。
生きてきた中で、何度も壁にぶつかった。
その度に、俺は、己の甘さ、無知、そして無力さを痛感し、それでも、呉島の男として恥じない生き方をしようと、常に努力を続けてきた、つもりだった。
いつからだろう。
諦めることに慣れてしまったのは。
現実の非常さの前に跪き、屈服してしまったのは。
これが、俺の望んでいた、俺の在るべき姿だったのか。
―――違う。
違う筈だ。
頭をもたげる無力感は、消えない。
それでも、何かまだ、俺には出来ることがある。
そう信じないことには、俺は、立ち上がれないし、
―――本物の呉島貴虎に、死んだ弟に、仲間たちに、合わせる顔が無い。
俺は、駐車場から抜け出すと、雨空の下、閑散とした様子の沢芽市を、歩き始めた。
遠目に、ヘルヘイム植物に侵食されたユグドラシルタワーが見える。
灰色の空、雨の中にぼんやりと、それでもしっかりと形を持って浮かぶ。
あれは、俺の希望の象徴であり、また、絶望の象徴でもあった。
人類救済。
ヘルヘイムによる、理不尽な、理由の無い侵略から、人類を救う。
ただその想いだけを胸に抱いて、毎朝、出社した。
人類を救うために、60億の人間を殺す必要がある。
上層部からそのことを聞かされた夜、眠ることができなかった。
その翌日、俺は、地下シェルター計画から、火星への移住まで、どんなに突拍子の無いものでも、現実感の無いものでも、片っ端から打診したものだった。
そのどれもが一笑に付され、俺は正気を疑われたが、正気を疑いたいのは、俺の方だった。
町を、歩く。
もう、どこから流れているともしれない、黄緑色に変色してしまった俺の血液が、まるでナメクジの歩いた跡のように、雨に混じって、アスファルトを汚してゆく。
―――そうだ、この姿で歩いては、いけない。
葛葉たちに、混乱を与えてしまう。
俺は、メロンのロックシードを解錠し、戦極ドライバーにセットした。
―――メロンアームズ!
天下御免!
凌馬は、何をしているのだろうか。
シドは。湊は。上層部の者たちは。部下は。
町が、こんなことになっているんだ。
世界が、こんなことになっているんだ。
ユグドラシルが救わなくて、どうするんだ。
そのためのユグドラシルだろ。
そのための戦極ドライバーだろ。
俺のいた、偽物の世界を、俺は救えなかった。
ちょうど、あのタワーの場所に、煉獄の樹が顕現し、世界は、赤黒い終末を迎えた。
人は誰もいなくなった。
あの世界の人類は滅んだ。
この世界も、そんな風になってしまうのか。
朦朧とした頭で考え続けてはいるが、思考にはこの空と同じく靄が掛かって、何一つ掴めない。
ただ、死人のように、俺は、何処へともなく、町を歩いてゆく。
―――葛葉がいたのは、どっちだったか。
そんなことさえも、もう、わからず、慣れ親しんだはずの町で、いい大人がひとり、迷子だ。
それでも、歩いてゆく。
自分に出来ることを探して、歩いてゆく。
まるで、俺の人生の縮図じゃないか。
俺は、もう、人では無いけれど。
―――裏路地に入ったところで、数人の男女が、一塊になって座っているのが見えた。
そのうちの一人、スーツを着た女性が、こちらに気が付くと、目を見開いて、言った。
「―――呉島主任」
湊燿子。
凌馬の秘書だった女性で、また、俺の部下だった。
その顔を血で汚し、肩で息をしている。
この鎧は、呉島貴虎しか使えないもの。
本物と偽物の区別は、付かないだろう。
「め、メロンの君!」
同じく声を掛けてきたのは、大柄な男―――だった。
親交は無いが、見覚えがあった。
彼は、凰入・ピエール・アルフォンゾ。
"あっちの"世界で、俺が、救えなかった人間だ。
そして、その凰蓮の腕の中、抱かれるようにして、呻き声を上げているのは、
―――城乃内秀保。
初瀬の友人で、彼もまた、俺が、救えなかった者だった。
そうか。
こちらでは、生きていてくれたか。
そして、赤いコートを着た、黒髪の青年がひとり。
確か、あれは、ビートライダーズの、チーム・バロンの衣装だ。
彼は、言葉を発することなく、こちらを見詰めていた。
呼吸が、苦しそうだった。
皆、負傷しているようだった。
程度の差はあれど、このままだと、命に関わるかもしれないように思う。
―――俺に出来ることが、見付かったかもしれない。
「皆、少し、動くな」
皆、言葉を発する余力もあまり無いようで、俺の言葉に、声で返事をする者はいなかった。
俺は、彼らの前に立つと、両手を掲げ、力を込める。
彼らの頭上に、巨大な、黄緑色の光が生まれた。
それを見た彼らは、驚き、その光から逃れようと、腰を浮かせるが、
「案ずるな。攻撃ではない」
俺がそう言うと、そのまま、もう一度座り込んだ。
俺の言葉を信用したのかもしれないし、どのみち避けられない、と悟ったのかもしれない。
光は、ゆっくりと彼らのもとへ落下してゆき、やがて、それぞれの身体を包み込んでゆく。
―――インベスとしての俺に与えられたのは、治癒の能力だった。
失った命までは戻せないが、怪我くらいならば、この力でなんとかできる、はずだ。
いつも、俺は後手に回るから、生きた人間に使えるのは、これが初めてだが。
光。
光が、薄暗い裏路地を、照らしてゆく。
「き、傷が」
黒髪の青年が、驚きの声を上げる。
それに伴い、他の面々も。
「塞がってく…」
光は、そのまま少しずつ小さくなり、やがて、一点に収束して、消えた。
俺は、皆を見やる。
城乃内が、凰蓮の腕の中から身体を起こした。
湊がゆっくりと立ち上がり、身体の調子を確認しているようだった。
「主任、これは一体―――」
「このロックシードの機能だ」
俺は、そう言うと、踵を返し、来た道を引き返してゆく。
「主任!どこへ―――」
「少し、急ぎの用があるでな。お前たちは、まだ安静にして………」
「メロンの君!」
―――凰蓮が、大声を出す。
「―――また、お会いできるかしら?」
「………ああ」
俺は、振り向かない。
「少ししたら、戻る」
本物の俺が、戻る。
「その時には、共に戦おう」
本物の俺が、共に戦おう。
「―――そうだ、」
俺は、一度、歩みを止めて、言った。
「城乃内」
「えっ?俺?」
突然の指名に、驚いたような声が聴こえる。
俺は、早口に言うと、そのまま、角を曲がり、彼らの前から、姿を消した。
「―――初瀬が、よろしく言っておいてくれと。それだけだ」
ありがとうございました、そんな声を背中に受けながら、苦笑する。
ありがとう、か。
感謝されたくて生きてきたわけではないが、
―――やはり、悪い気はしないものだな。
俺は、変身を解き、片手でクラックを開くと、倒れるようにして、ヘルヘイムの森に入っていった。
雨の音が、しなくなる。
クラックが閉じたらしい。
今度こそ、身体が動かない。
―――治癒の力は、俺の体力を、著しく蝕む。
その上、あの光は、自分自身に、まるで効果が無い。
わかってはいたが。
やはり、少し、無茶だっただろうか。
だが、最後に、救うことが出来て、良かった。
命を。
あちらの世界で救えなかった者たちを。
心残りは、当然、ある。
それこそ、死ぬほどに。
だが、それでも、この手で、命を守ることができた。
―――うつ伏せに倒れ、薄れゆく意識の中、遠目に、緑色の何かが倒れているのが見えた。
まさか。
俺は、最期の力を振り絞り、そちらへと、這ってゆく。
もう動かなくなった身体を、それでも、必死に動かす。
そして、それに、手が届いた。
―――ああ、やはりな。
光実。
それは、俺の弟の亡骸だった。
顔をこちらに向けていてくれて助かった。
インベスになろうと、見紛うことはない、俺の弟の顔だった。
片足が、無かった。
壮絶な戦いだったのだろう。
俺は、もう一度、光を生もうとする。
それは、蛍のように小さく、儚く、すぐに消えてしまう光。
だが、諦められなかった。
何度も、何度も、出涸らしになったこの身体から、小さな光を生み、光実に届ける。
光実は、幸せそうな顔をしていた。
―――これほど、凄絶な最期を遂げていながら、
俺の弟は、その命が終わる瞬間、笑ったのだ。
きっと、光実は、大切なものを守るために、懸命に戦ったのだ。
俺の弟は、そんな男だったのだ。
「光実」
俺は、駄目な兄だったかもしれない。
おまえに多くのものを押し付けすぎて、おまえにはそれが、疎ましく感じられたのかもしれない。
だが、俺は、おまえを愛していた。
おまえは、俺の、たった一人の、弟なのだから。
呉島の男として、だとか、そういったことばかりを、口煩くおまえに言い続けた俺が言うには、あまりにも身勝手だろうが、
―――家も、責任も、使命も関係なく、俺は、おまえを、ただひとりの弟として、愛していた。
「よく頑張ったな、光実」
もう、光は生み出せない。
ならば、せめて。
俺は、光実の亡骸を、抱き締めた。
そして、まだ幼い頃、光輝くあの庭でそうしたように、光実の頭を、撫でてやった。
「偉いぞ、光実」
涙が止まらなかった。
光実。
ごめんな。
兄さん、馬鹿で、ごめんな。
もっと、誉めてやればよかったな。
もっと、たくさん、話を聞いてやればよかったな。
ごめんな。
光実。
ごめんな。
『貴虎兄さん』
声がした。
光実の、声だ。
『おかえり』
幻聴かもしれない。
それでも、確かに、聞こえた。
だから、俺は、それに答えた。
あいつの、家族として。
あいつの、ただひとりの兄として。
「ただいま、光実」
光実。
これからはずっと一緒だ。
つづく
あと三話で終わります。
最後まで、よろしくお願いいたします。