「そうか。…私は、呉島貴虎という。
あなたは、どうやってそのような姿に?」
―――本物の呉島貴虎は、言った。
「信じてもらえないかもしれないが、」
俺は、慎重に言葉を選びながら、彼に答える。
「肛門から、ヘルヘイム果実を摂取した」
結果的に最もストレートな言い回しになってしまったようだ。
何やら、ロシュオが吹き出したような気がする。
本物の俺は、これ以上無いくらいの困り顔だ。
そうだな。
その反応が正常だ。
「肛門から?
肛門からヘルヘイム果実を摂取すれば、知性を保ったまま、インベスになれるのか?」
「ああ、そうだ。
だが…恐らくだが、ここでは通用しない手だろう」
根拠があったわけではないが、俺の直感がそう告げていた。
あの、歪んだ、偽物の沢芽市だけで通用するルールなのだろう。
「―――なるほど」
ロシュオが、静かに口を開く。
「煉獄に異変を感じてはいた。
そなたは、煉獄から来たのだな?」
―――煉獄。
ユグドラシルタワーから現れたあの樹を、角居は、「煉獄の樹」と呼んでいた。
インベスになって死んだ者の、集合意識だと―――
煉獄の樹のある世界。
ならば、あの沢芽市は、煉獄、ということか。
「…恐らく、そうだ」
「ラタトスクには、会ったか?」
「ああ。その、ラタトスクが現れて、それまでの世界が終わった。
そして、私たちは、この森に締め出された」
「なるほど」
ロシュオは、祭壇の上を歩き回りながら、述べる。
「―――知恵の実の力が、働いたか」
「どういうことだ?」
―――知恵の実。
凌馬が再三言っていた。
ヘルヘイムの森に存在するという、黄金の果実。
俺は、その話に、真面目に取り合ったことはなかったが―――
「私は、知恵の実を持っている。
その力の一部を、人間に貸与した。
恐らく、それが原因だろう。
知恵の実の力が発動し、煉獄に干渉したのだ。
―――そして、煉獄を創り変えた」
言っていることが、一つもわからない。
本物の俺も同じようで、眉に皺を寄せていた。
「どういうことだ」
俺と、本物の俺は、綺麗にハモってしまった。
お互いに顔を見合わせ、沈黙、これもまた同じタイミングで、咳払いを一つ。
「話したところで、わかるまい。
そなたらの理解を超えた現象だ。
―――問題は、それが、意識的に行われたかどうか、なのだが」
ロシュオは、独り言を言うように、俺たちに背を向けた。
俺たちは、再び顔を見合わせた。
●
「はあっ!」
俺は、赤いオーバーロードの背中を取ることに成功した。
しかし、その刹那、奴は、脇腹から逆向きに弓を構え、後方に矢を放つ、という離れ業を披露したため、俺は不意を突かれた。
奴はそのまま、振り向き様に弦の刃で一閃。
それはバックステップで何とか回避し、俺は、バナナを奴に投げ付けた。
―――バナナロックシードを尻に入れて進化した俺は、他のインベスとは一線を画する力を持っている。
それが、このバナナ生成能力だ。
勿論、普通の食用バナナを生成することもできる。
だが、今俺が放ったのは―――
「ぐああっ!」
バナナ爆弾。
つまり、爆発するタイプのバナナだ。
奴は、爆風に吹き飛ぶ。
―――吹き飛び様にこちらに矢を放つのだから、タチが悪い。
いかなる状況でも勝利に食らい付く、このスタイル。
敵にしたら、これほどまでに厄介か!
かわしきれず、まともに喰らってしまう。
だが、攻撃の手を緩めるつもりは、無い。
俺は、新たなバナナを生成する。
今度のバナナは、―――槍だ。
頭で描いたイメージ通りに、バナナの槍が生まれる。
バナナを模した槍ではない。
槍を模したバナナだ。
だが、その強度は―――
「はあああああっ!」
俺は、槍のバナナ(バナナオブスピアーと名付けた)を構え、オーバーロードに突っ込んで行く。
「どこまでもバナナか!」
オーバーロードは、弓を構え、迎撃姿勢を取る。
俺は、バナナオブスピアーを振りかぶり、それを勢いよく降り下ろした。
金属音。
俺のバナナオブスピアーと、奴の弓が、幾度となくぶつかりあう。
バナナオブスピアーは、数にして、およそ877本のバナナを凝縮した武器だ。
故に、これだけの強度を誇る。
「貴様、なかなかやるな!」
オーバーロードが言う。
何やら、楽しそうだ。
ふん。
―――俺も、少し楽しくなってきたぞ!
「貴様こそ、楽しませてくれるじゃないか!」
戦いは、これからだ。
本当の強さを見せてやる!
●
ロシュオは、それっきり黙り込んでしまったため、俺は、本物の呉島貴虎と、話をすることにした。
「あなたは、どうしてこの森に?」
本物の沢芽市では、何が起きているのだろう。
本物は、負傷しているように見えた。
彼の身に、一体、何があったのか。
当たり前だが、他人事とは思えなかった。
「私は…」
彼は、伏し目がちに、呟くように声で、応じる。
「…騙されていたようだ。
同志だと思っていた者たちに」
「騙されていた…?」
同志。
俺の中の、世界がおかしくなっていない10/6までの記憶が、偽りのものでは無いのならば、それは恐らく、
―――凌馬たちのことを指しているのだろう。
「あなたも、ヘルヘイムのことは存じているのだろう?」
「…ああ」
「私は、ヘルヘイム植物の侵略から、世界を守りたかった。
それは、多くの犠牲を伴う、ノアの方舟のような計画だった」
「プロジェクト・アーク」
つい、口からその言葉が出てしまった。
彼は、目を丸くして私を見つめ、そこまで知っているのか、と呟いた。
「そう、プロジェクト・アークだ。
…存じ上げず申し訳ないが、あなたも、ユグドラシルの社員だったのか?」
「…そんなところだ」
「そうか。
…戦極ドライバーは、人類救済のための、私の希望だった」
彼は、遠い目で、そう零した。
「だが、凌馬たちからしたら、そうではなかったらしい。
奴らは、その力の誘惑に負けた」
俺たちの沢芽市に残されていた凌馬の手記と、シドの自白映像。
それらが正しいと仮定し、情報を総合すると、つまり、凌馬たちは、呉島貴虎を騙し、影でヘルヘイムの力を悪用するための計画を進めていた、ということになる。
いずれ、呉島貴虎を始末する手筈だったのだろう。
何となくわかってはいたが、これで確信に変わった。
俺は、幸いと言うべきか―――
そうはならなかった。
その前に葛葉が凌馬とシドを倒したのだから。
それから、俺は、人類救済のための、真の仲間を得ることが出来た。
葛葉たちだ。
だが、目の前にいる、この男には、
―――いなかったのだ。
仲間が。
それは、どれだけ苦しいことだろう。
プロジェクト・アーク。
人類の6/7を犠牲にする計画だ。
そんな重荷を、仕方がないことだと割りきったふりをして、実のところ、心の奥底で、別の希望を探している。
それでも、失われてゆく時間の中、手を汚す覚悟を固めなくてはならない。
そのような戦いを、たったひとりでしていたこの男は、
―――たったひとりだったと気付いてしまったこの男は、どれほど、辛いことだろうか。
本物の俺は、自嘲するような笑みを浮かべて、顔を伏せながら、そう言った。
「私は、無力だな」
―――無力。
違う。
「お前は、無力ではない」
本物の俺は、顔を上げる。
「お前は、呉島貴虎は、ひとりではない」
そうだ。
呉島貴虎は、ひとりではない。
―――俺がいる。
「俺たちは、ひとりではない」
「あなたは…、いや、お前は、もしかして…」
俺は、彼に背を向けて、歩き出す。
向かうべき場所が出来た。
本物の呉島貴虎。
お前が傷付き、動けない今、俺が、お前の影となろう。
「斬月!」
呉島貴虎は、私の背中に向けて、叫ぶ。
そして、こう言った。
「…少しの間、任せてもいいか」
「ああ、任せろ。
せーのッ」
人類救済!
私はそう叫び、天高く腕を掲げたが、奴は、小声で、人類救済、と呟くばかりだった。
本物は、俺に比べて若干シャイなところがあるらしい。
すまないな、光実。
少し、遅くなる。
だが、お前ならきっと大丈夫だと信じている。
兄は、兄のするべきことを見付けた。
お前も、お前の信じるように戦え。
俺は、もう一度振り返って、呉島貴虎とロシュオに一礼をすると、本物の沢芽市を目指して、ヘルヘイムの森を歩き出した。
つづく