ラタトスクは、思考する。
ラタトスクの至上にして唯一の目的は、生きることだ。
存在を続けることだ。
それ以外、ラタトスクには存在の理由が無い。
存在するために、存在する。
ラタトスクは、自分がなぜ存在するのかを知らなかったし、また、興味もなかった。
インベスになって死んだ知的生命体の魂を捕まえ、幽閉し、そこからエネルギーを吸収し続ける。
それが、煉獄の樹の意志であるところのラタトスクが、ずっと続けてきたことだった。
苗床とした死者たちの、苦痛に歪んだ魂の叫びが、頭の中、響き続けている。
それを、気にしたことはないけれど。
ラタトスクは、思考する。
ある時、突然、自らの中から角居裕也と初瀬亮二の魂を抜き取り、また、自らを封じ込めて、煉獄を別世界に創り変えた、その存在のことを。
葛葉紘汰。
それは、ラタトスクにとって、脅威だった。
ラタトスクは、今まで、敵を持ったことがなかったからだ。
閉ざされた煉獄の中、ずっと、存在だけを続けてきた。
誰かの恨みを買う筋合いは無い、ラタトスクはそう思っていた。
生まれて初めての敵が、ラタトスクは、恐ろしかった。
消さなくてはならない。
葛葉紘汰を、消さなくてはならない。
何としてでも。
故に、ラタトスクは、それを生み出した。
「フレズベルク」
ラタトスクは、それに、フレズベルクと名付けた。
死体を飲み込む者、を意味する。
フレズベルクは、鷲の巨人。
ラタトスクの力と、その資源のうち、いくらかを分離させて生み出した、ラタトスクの代理人である。
フレズベルクも、また、ラタトスクだ。
角居裕也が、初瀬亮二が、そして、インベスとなって死んだ者たちがそうであるように。
フレズベルクは、ラタトスクと別の自我を持っているわけではない。
それでも、ラタトスクがフレズベルクを作り出したのは、葛葉紘汰への恐怖心故だ。
自分の身体ひとつで葛葉紘汰の元へ赴き、もしも、倒されたら。
ラタトスクは、恐怖心故に、その力を分割した。
ラタトスクは、狡猾だ。
「行け。葛葉紘汰を抹殺しろ」
「行く。葛葉紘汰を抹殺する」
自分の手とじゃんけんをするような会話の後、ラタトスクは、クラックを開き、その向こうへ消えてゆくフレズベルクを見送った。
ラタトスクは、思考する。
生存のために、煉獄の中心で、ただ、思考を続ける。
●
どうやら、締め出されたらしい。
俺・駆紋戒斗と呉島貴虎は、ヘルヘイムの森にいた。
しばらく、ここでこうしているような気がする。
俺は、考えていた。
あの、ラタトスクとかいう奴。
桁違いの強さだった。
正体は一切わからないが、いや、そもそもここまで何が起きているのかもよくわからないが、とにかく、桁違いの強さだった。
わかるのはそれだけでいいはずだ。
湊が、そして恐らく角居と初瀬が、奴に殺された。
奴らが、ラタトスクより弱かった、というだけの話だ。
―――俺は、感傷に浸るような弱者ではない。
狙いは、定まったのだ。
わけはわからないが、俺は、ラタトスクを潰す。
それは、奴が強いからだ。
奴を倒し、俺は、自らの強さを証明する。
俺には、それしかない。
奴は、俺が偽物だとか抜かした。
ふざけるな。
本物も偽物もあるものか。
俺は、ここにいる。
俺は、駆紋戒斗だ。
例えばもう一人、奴の言うところの本物の駆紋戒斗がいたとして、俺に何の関係がある?
そいつが弱ければ、そもそも初めから話にならない。
そいつが強ければ、戦う。
その時、本物だとか偽物だとかは自動的に決着する、それだけだ。
俺が行くべき場所は、決まっている。
「おい!どこへ行く?」
呉島貴虎が、歩き出した俺を引き留める。
「オーバーロードの元へ向かう」
「オーバーロード、だと?何故だ?」
「奴らは、この森の住人だそうだな。
ならば、あの、ラタトスクとかいうやつのことを、何か知っているかもしれない」
「お前、奴とまた戦うつもりか?」
「当然だ。奴は、ラタトスクは強い。
それだけで俺が戦う理由になるだろう」
呉島貴虎は、少し考え込むような顔をした後、目を瞑って頷き、そうだな、と言った。
「そうだな。初瀬と、角居のことも気掛かりだ。
湊も…やられているしな。
何よりも、光実が、あそこに残っている筈だ。
―――いずれにせよ、ラタトスクのもとへ戻る必要があるな」
「ああ。だから、オーバーロードを探す」
「確か、前に一度見ている、と言ったな?」
ああ。
俺は返事をする。
俺は、以前、この森で、オーバーロードを見た。
マントのような装飾を付けた、赤いオーバーロード。
力こそ全て、その信念をオーラのようにまとった、紛うことなき強者。
「聞き慣れない言葉を話していた、と言ったな。
対話の余地はあるのか?」
「もしかすると、滑舌が悪かっただけかもしれない」
「なるほど」
「それに、もし言葉が通じなくとも―――」
力で黙らせればいい。
それだけだ。
「いや、この場合は黙らせたら駄目だろう」
呉島貴虎が何か言っていたが、俺は、気にせずにヘルヘイムの森を歩き出した。
●
僕は、ヘルヘイムの森を歩き続けた。
オーバーロードを見付け、禁断の果実を手に入れるために。
そして、本物の呉島光実になるために。
僕は、歩き続けた。
インベスが現れたらなぎ倒す。
空腹を感じたらヘルヘイム果実を食べる。
それを、恐らくだが、もう三日程続けている。
オーバーロードは、未だ見付からないままだ。
そもそも、雲を掴むような話ではあった。
オーバーロードの実在も疑わしい。
阿呆の駆紋戒斗の証言などまるであてにならないからだ。
禁断の果実に至っては、更に怪しい。
もしかしたら、全て出鱈目かもしれない。
僕は、これから一生、愛しい居場所を探して、この森を歩き続けることになるのかもしれない。
それは―――耐えられない。
それでも僕は、歩みを止められなかった。
僅かな希望を頼りに、前に進むしかなかった。
僕らしくないな、と思う。
僕らしくないのは、僕が偽物だからだろうか。
本物の呉島光実は、こんなことはしないだろうか。
そんな考えが、また頭をもたげ、僕はそれを意識的に振り払おうとする。
兄さんは、どうしているだろうか。
あの兄さんも、偽物なんだろう。
今も、あの狂った世界で、人類救済のために奔走しているのだろうか。
僕のことを心配しているに違いないな。
過保護で、口うるさい兄だ。
いつからか、それを、疎ましく思うことの方が多くなったけれど。
舞さんに会いたい。
僕の、世界で一番大切なひと。
傍で、笑っていてさえくれればいい。
望みはそれだけなんだ。
ワガママは言わない。
それだけでいいんだ。
それだけ叶えるために、僕は、僕は―――
あれは。
あれは、クラックか。
僕は、少し遠くに、大きなヘルヘイムの樹を、縦に裂くようなクラックを発見した。
向こう側は、何かの建物の中、らしい。
恐らく、あれは、ユグドラシルタワーの…
―――戻ってきてしまったのか。
あの、偽物の沢芽市に。
ヘルヘイムの森に出てから、一直線に進んできた筈だ。
だが、この森の地理はわからないし、そもそも、クラックがどこにどう開いているか、などわかったものではない。
僕は、落胆する。
歩いてきた三日間が、ただの徒労だったかのように感じたからだ。
だが、気を取り直す。
僕は特定の場所に向かっているわけではなく、オーバーロードを探しているのだから。
―――一度、戻ってみるか。
入って、少し、様子を見てみよう。
代わり映えのしない森を歩き続けるだけでも、かなり気が滅入る。
偽物とはいえ、慣れ親しんだ景色の中、一度、休憩をしよう。
僕はそう思い立ち、樹に開いたクラックの中に、とぼとぼと入っていった。
―――クラックの中、ユグドラシルタワー内部。
コンピュータが多数並び、何らかの装置が散見される、天井の高い部屋。
その中心、オフィス用の椅子に、一人の少年が座っていた。
クラックに背を向けていた少年は、僕に気が付くと、椅子ごとくるりと回り、警戒するような素振りを見せる。
「インベス?」
少年の傍には、緑色の、インベス―だろうか―が立っていた。
見たことのないインベスだ。
少年は、椅子に座ったまま、そいつに話しかける。
「君の仲間か?」
「いや、知らないね」
緑色のインベスは、言葉を発する。
つまり、あれは、僕たちと同じ、尻からヘルヘイム果実を―――
突如、頭の中、電流が走る。
殴られたような衝撃。
モヤが晴れるように、目の前の光景に、急に、思考が追い付く。
何故、すぐにわからなかった?
こんなにも、明らかなことに。
なぜ、気付かなかった?
疲れているのか。
馬鹿か、僕は。
少年の顔を、見つめる。
少年は、汚いものでも見るかのような目で、僕を見返す。
あの顔は。
あの顔は、あの顔は、あの顔はッ!
―――僕の顔だ!
インベスになる前の、僕の顔。
呉島光実の顔。
つまり、あそこに座っているのは、
今、僕の目の前にいるのは、
あいつは、あいつは、
―――"本物の"呉島光実。
ここは、本物の沢芽市だ。
「呉島光実だな」
僕は、本物の僕に、問い掛ける。
「そうだけど、君は何?フェムシンム?」
奴がそう言うと、緑色のインベスが、口を挟む。
意地の悪そうな、僅かにアクセントのおかしい声だった。
「あんなフェムシンムは知らないねえ。違うと思うよ」
「へえ」
奴が、椅子からゆっくりと立ち上がる。
僕は、奴の目を見据えたまま、言う。
「僕は、呉島光実だ」
「お前、何を言っている?」
「僕は、お前を倒して、本物の呉島光実になる」
「………意味がわからないね」
「お前にはわからない。
舞さんと紘汰さんの傍に居場所がある、お前には」
「………!」
奴は、僕がそう言うと、その顔を、怒りに歪める。
緑色のインベスが、声を出して笑った。
「レデュエ!笑うな」
「ごめんごめん、ついね、ふふふ、面白くて、ふふ」
レデュエと呼ばれたそいつは、今も、小刻みに笑い続けている。
僕も、不愉快だ。
何故、笑う?
「お前、僕をからかっているのか?」
奴は、僕を睨み付けながら、言う。
「からかってるのは、そのレデュエって奴の方だろ。
―――もう一度言う。
僕は、呉島光実だ。
お前を倒して、本物になり、僕の居場所を取り戻す」
「…ふざけるな!」
奴は、怒号を上げると、見たことのない赤いドライバーを取り出し、装着した。
そして、これもまた、見たことのないロックシードを手に取る。
そうか、本物は、変身するのか。
アーマードライダーに。
奴は、言う。
「お前が僕なわけないだろ!
僕は、お前のような、醜悪な怪物じゃない!」
「黙れ!
僕が呉島光実だ。
本物になって、また、舞さんや紘汰さんと一緒に―――」
「紘汰さんだって!?
は!
お前はやっぱり僕じゃない!
葛葉紘汰は、僕の敵だ!」
「紘汰さんが、敵、だと。
ふざけるな。
ふざけるな!
何故、本物のお前がそんなことを言う!
紘汰さんの傍にいられるはずの、お前が!
お前は、何をしている!
何をしようとしているんだ!」
「うるさい!」
奴は、ロックシードを解錠する。
―――メロンエナジー!
「消えろ…!」
そう言うと、奴は、ドライバーにロックシードを装着し、右手で、レバーのようなパーツを、引いた。
―――メロンエナジーアームズ!
高い天井、そこにクラックが開き、メロンを模した鎧が、現れる。
奴は、それを纏い―――
白いアーマードライダーに変身した。
「消えろ、消えろ、消えろ、消えろぉぉぉっ!」
本物の呉島光実は、そう叫ぶと、左手に現れた赤い弓を、僕に向けて引いた。
つづく