「ここからは、俺たちのステージだ…!」
「初瀬!角居!」
メロンインベスが、こちらに駆け寄って来る。
「無事か!」
「ああ」
「あの、樹の化け物は、なんだ…?」
「煉獄の樹、らしいぜ」
「煉獄の樹…?」
「インベスになって死んだ奴の集合意識だ、と、サガラは言っていた」
メロンインベスは、そうか、と言うと、再び、煉獄の樹を見据えた。
バナナインベスに肩を貸しながら、ピーチインベスもこちらにやってきた。
改めて観察すると、あの樹には、根が無いことに気が付いた。
―――空中に、浮かんでいる。
そして、無数に伸びた枝は、地上、空中を問わず開いたクラックに向けて張り巡らされ、それが根の代わりをしているように見えた。
始まりと終わりが、逆転しているのだ。
ここで、ふと、紘汰たちが、尻からヘルヘイム果実を摂取したことを思い出す。
尻は、肛門は、本来、摂取した食物の出口、すなわち、終わりだ。
紘汰たちは、その終わりを始まりとして、力を得た。
ここでも、始まりと終わりの逆転が起こっている。
それは、何かの象徴のように思えた。
煉獄。
天国にも地獄にも行けなかった死者の行く先―――
だったと記憶している。これも、何かの漫画で読んだ。
確か、キリスト教の、カトリックの概念だ。
ここが、サガラの言うように、本当に"煉獄"というものならば。
そうだ、サガラは、俺と初瀬に対しては、"偽物"とは言わなかった。
ここは、もしかしたら―――
「角居!あれ、見ろ!」
何かを思い出しそうになったところ、初瀬の声が、俺を現実―だろうか―に引き戻した。
初瀬の指差した方向を、向く。
煉獄の樹の、太く、赤黒くも見える、幹を、やや見上げるようにして見つめる。
その表面、その一部に、何かが、ひしめくように、蠢くように、そう、まるで、樹の中から、何かが出てこようとしているように、沢山、あれは、あれは―――
「人の…顔…?」
人の、顔だ。
無数の、人の顔だ。
それほど遠くないとはいえ、見上げなくてはならないので、注意深く見ないとわからない。
人の顔が、樹の表面の一部に浮かび上がっていた。
「あれは、何…?」
ピーチインベスが、疑問の声を上げる。
その声は、心なしか震えているようだった。
樹は、叫び続けている。
そう、だから、あの顔は、きっと、苦悶の表情を浮かべているのだろう、と思った。
表情までは見えないが、きっと、そうだ。
インベスになって死んだ者の、集合意識。
サガラが言うところの、本物の沢芽市で、インベスになって、死んだ者の、嘆きの集合体。
それが、煉獄の、樹。
―――角居裕也。初瀬亮二。
声がする。
呼ばれている。
叫び声に混じって、俺たちの名前が、呼ばれている。
「誰だァッ!」
俺は、叫び、辺りを見渡す。
人の姿は、無い。
「角居、お前にも、聴こえたか?」
初瀬が、不安の混じった声で言う。
ああ、聴こえたよ。
「角居、初瀬、どうした?何が聴こえる?」
メロンインベスがそう言い、バナナインベスとピーチインベスも、怪訝な素振りをする。
―――こいつらには、聴こえていない。
「呼び声だ…俺たちを、呼ぶ声だ」
初瀬が、メロンインベスに応じる。
―――角居裕也。初瀬亮二。
「誰だっつってんだよッ!」
まただ。
何か、何かを思い出しそうになる感覚。
ここ数日とは、逆だ。
頭の中、かかっていたモヤが、今度は全て消えてしまうような感覚。
この声に、応じてはならない。
そんな直感が走る。
それでも、この声の正体を、突き止めなくてはならない。
「どこにいる!お前、何者だ!」
―――お前は、知っているだろう
静寂。
叫び声が、ぴたりと泣き止む。
時が止まった、そのような錯覚を覚える。
動と静は、繰り返す。
即ち、次に待つのは―――
特大の、破裂音。
再び、大きな地震。
「今度は何だッ!」
揺れによろめき、尻餅をついたバナナインベスが叫ぶ。
「見ろ!」
メロンインベスが、樹を指差して、言う。
「あれは…!」
煉獄の樹の幹、その、顔が浮かび上がっていた部分が張り裂け、中から、そいつは現れた。
そして、俺たちの前に、降り立つ。
再び、沈黙。
俺たちは、言葉を失った。
―――その半身は、人。
絶えず変化を続け、数秒ごとに歪み、違った人物のものになる。
今は、女のものだ。
―――その半身は、インベス。
インベスのように見えた。
こちらは、人の半身とは違い、変化はしないものの、あらゆるインベスがぐちゃぐちゃに混ざったような外見をしていた。
辛うじて、人のようなシルエットを保っているそれを、俺は、見たことがある。
いや、見たことがある、というよりも―――
「う、うわあああ!」
隣で、初瀬が恐怖の叫びを上げる。
バナナインベスたちは、目の前に現れた存在の醜悪さに、己のビジュアルを棚に上げておののいている。
これは、こいつは―――!
「ラタトスク」
俺は、その存在の名を、呟いていた。
「角居、お前…知っているのか?」
ああ、そうだ、俺は、こいつを知っている。
こいつは、ラタトスク。
この、煉獄の樹に住まう、魔物だ。
「思い出したか?」
ラタトスクの半身、女の顔が、口を開く。
声は、男とも女とも、子供とも大人とも言えないもの。
ただ、意味を伴って聴こえてくるだけの音声のように感じた。
直後、その顔は歪み、今度は、初老の男のものになる。
表情は、無かった。
「名前、くらいはな」
これ以上、思い出してはならない。
頭の中、警告が鳴り響く。
初瀬は、ラタトスクを直視することができないようで、頭を抱えて、目を固く閉じ、うずくまってしまった。
…気持ちは、わかる。
こいつを、見てはいけないんだ。
俺たちは、きっと。
こいつと目を合わせた時に、その向こうに見えるのは、空の色と全く同じ、黒。
見てはいけない。
考えては、いけない。
「うおおおお!」
次の瞬間、俺は、ラタトスクに飛び掛かっていた。
消さなきゃ。
こいつを、見えなくしなきゃ。
一気に間合いを詰めて、両手の刀を振りかぶる。
「無駄だ」
眼前のラタトスクは、あくまでも平坦な声で言う。
ぐにゃり。人間の半身が、歪む。
また、違う人間のものになった。
二つの刀を、同時に降りおろす。
手応え。
人間の半身と、インベスの半身、その両方を、確かに切りつけた。
「ぐああっ!」
「うぐっ!」
―――直後、俺の全身に、激痛が走り、初瀬もまた、うめき声を上げた。
何だ。
なんだ、これは。
こいつは、何もしていないはずだ。
その上、ラタトスクに、攻撃が効いた様子は無い。
「無駄だと、言っている」
「てめえ…!」
俺は、もう一度。
今度は横凪ぎに、右手の刀を力一杯に振り切る。
だが―――
「があっ!」
結果は、同じ。
横一線に、体を切り裂かれたかのような痛み。
初瀬も、先ほどと同じ反応を示す。
ラタトスクには、やはり、効いていない。
「角居、やめろ…攻撃するな…!」
初瀬が、薄目を開けて、俺を横目に見ながら、震える声で言う。
これは、これはまさか、
奴の痛みを、俺たちが負っている、とでもいうのか?
なんだよ、それ。
どういうことだよ。
「遊びは、終わりだ」
ラタトスクが言う。
今度は、若い男の顔になった。
「何の、こと、だかな」
「ヒーローごっこは、終わりだ」
今度は、老婆の顔に。
「だから、何の、ことだっつって、んだよ」
「お前たちは、死んだ」
少年の顔に。
「はあ?生きてる、だろ、うが、」
「お前たちは、インベスになって、死んだ」
中年の女の顔。
「ふ、ざ、けん、な」
「そして、煉獄の樹に取り込まれ、私の一部となった」
少女の顔。
「や、め、ろ…やめろ…!」
「お前は、」
―――俺の顔 。
「私だ」
そうか。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
体液全てが、逆流してゆくかのような感覚。
巻き戻し。
巻き戻しだ。
鎧の内側で、俺の体は、変質してゆく。
「角居!?」
「どうした、角居!」
熱。
熱を感じる。
全てが溶け出すような、熱。
同時に、冷たい。
凍えるほどに寒い。
鎧の内側で、俺の体は、変質してゆく。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
痛い。
反転。
世界が、ぐるぐる回る。
鎧の内側で、俺の体は、変質してゆく。
フラッシュバック。
本当の10/6。
―――そうだ。
すべて、思い出した。
10/6。
シドから戦極ドライバーを貰った俺は、
紘汰と舞を町外れに呼び出し、
そこでクラックを見付ける。
その奥に入っていった俺は、
ヘルヘイム果実を食べて、
そうだ、俺は、
もう、人では、なかった。
俺は、
インベスになって、死んだんだ。
青の鎧は砕け散り、俺は、怪物としての姿を表した。
戦極ドライバーが、がしゃん、と音を立てて、地に落ちた。
つづく