「このゲームの主人公は、紘汰さんだ。
だからね、偽物の主人公は、いらないんですよ!」
「変身!」
オルタネイティヴオレンジアームズ!
花道アナザーステージ!
―――こいつとは、戦いたくない。
俺は、左手に生成された青い刀で、ブドウインベスの鉤爪を受け止めた。
すかさず、右手で腰に下げたもう一本の刀を抜きざまに、ブドウインベスを切りつける。
のけぞった隙に、左手の刀で追撃。
―――しかし、それは、さっきとは逆に鉤爪で受け止められた。
二秒程度の鍔迫り合いを経て、俺は間合いを取るべく後ろに跳ぶ。
ブドウインベスも同じ判断を下したようで、俺たちの間には、再び大きな間合いが生まれた。
「初瀬!離れてろ」
腰を抜かしている初瀬に向けて叫ぶ。
これ以上、言葉を費やしている余裕が無い。
ブドウインベスは俺の出方を伺っている。
派手に動いた瞬間が勝負だ。
俺は、腰を深く落として、二本の刀を構える。
じりじり、じりじりと距離を詰めてゆく。
あいつは、文字通りの怪物だ。
変身したとて、良いところ互角、それだけで有利にはなり得ないだろう。
互角の喧嘩は、どこで勝敗が分かれるか。
―――度胸だろ。
俺は、右手の刀をブドウインベスに向けて投擲した。
ブドウインベスは、左に跳び、それを躱す。
そうだよな。
お前なら、弾かずに躱すよな。
そういうやつだった。
読み通りだ。
刀を投げたその直後、俺は左斜め前に向かって、地面を蹴りだしていた。
着地、そして、左手の青い刀に右手を添えて、力いっぱいに振り抜く。
一閃、その先にいたのは、ブドウインベスだ。
手応えを感じた。
裂けた腫瘍から紫色の液体を噴きだしながら、ブドウインベスは吹き飛び、そのまま倒れた。
「なあ、わかっただろ?喧嘩なら俺の方が強い。これ以上やっても、痛いだけだぞ。
大人しく帰れ、な?」
「ええ、さすがですね、裕也さん…」
「おお、お前、強えんだな!」
物陰に移動した初瀬が、俺に声援を贈る。
そうだ、俺はそこそこ強いんだ。
さっき投げた刀を回収する。
ブドウインベスは、よろめきながら立ち上がった。
「わかりました、退きます」
「ああ、気を付けて帰れよ」
ブドウインベスは、覚束ない足取りで、姿を消していった。
―――かに見えた。
俺の視界から消える寸前、ブドウインベスはこちらに素早く向き直り、掌から、俺に向けて、何かを放った。
あれは…弾丸だ。
ヤバい、そう思ったときには、もう遅かった。
弾丸は俺の胸に命中し、俺は、あまりの激痛に、膝から崩れ落ちた。
「角居!」
初瀬が叫ぶ。
それから、また一発、二発、三発と、ブドウインベスの弾丸が立て続けに俺を襲い、俺は、ついに動けなくなってしまった。
痛え。
変身は、解けてしまった。
「裕也さん、勝負はね」
ブドウインベスが、ゆっくり近付いてきながら、低い声で言う。
…たまにそんな声になるよな、お前は。
ブドウインベスは、片足で俺を踏みつけながら、俺の顔を覗きこむようにして、こう続けた。
「汚い方が勝つんですよ」
そうかい。
そりゃ、お前が勝つわけだ。
掌が向けられる。
奴の掌には、その体表にあるのと同じような、紫色の腫瘍。
ああ、そこから出るのね、弾丸。
知らなかったよ、くそったれ。
ブドウインベスの掌の腫瘍が、素早く脈を打ち始め―――
「やめろ、ミッチ!」
これまた聞き慣れた声が聴こえると、ブドウインベスは、まるでトラックにでも轢かれたように、勢いよく吹き飛んだ。
当然、トラックが突っ込んできたわけではない。
そんなまともなことが、今ここで起こる筈がない。
だって、声と共に現れたのは、この世界の不条理の象徴、理不尽の権化。
ブドウインベスが言うところの、このゲームの主人公―――
オレンジインベスだ。
「こ、紘汰さん」
オレンジインベスの放った衝撃波―だろうか―に吹き飛ばされたブドウインベスは、立ち上がることができないのか、上体だけを起こしたまま、オレンジインベスを見上げる。
ふと、初瀬を見やる。また腰を抜かしてしまっていた。
失禁してやいないだろうな。
「裕也殺してどうすんだよ。頭冷やせ、ミッチ!」
「す、すみません」
オレンジインベスは、ブドウインベスを怒鳴りつける。
その後、視線を俺に移すと、俺に手を差しのべて、
「大丈夫か?裕也、立てるか?」
本当に心配そうに、そう言った。
その手には、他のインベスと同じ、鉤爪。
青黒く乾いた皮膚に、それとは対照的な、瑞々しいオレンジ色のイボがぶつぶつと浮かぶ。
皮膚とイボの境目は、青とオレンジが混じりあった、不気味な色をしていた。
そんな手で、何を掴もうっていうんだ。
お前は。
「お前…何が目的だ…」
俺は、オレンジインベスを見据えて、声を絞った。
「目的?なんのことだよ。俺は、お前を助けに来たんだぞ」
「だから、何のためにだよ」
「そんなの、裕也だからに決まってんだろ。お前が、俺の親友だからだよ。他に理由がいるか?」
その語調は、その言葉は、俺のよく知る、優しい男のそれと、まったく変わらない。
それでも、こいつは、こいつは、化け物なんだ。
わけのわからない力を使って、わけのわからないことをしている、化け物なんだ。
おかしくなった頭で、俺の親友のふりをしている―――化け物なんだ。
「初瀬、お前も怪我はないか?うちのミッチが怖がらせたな。すまん」
「ひっ…」
オレンジインベスは、物陰の初瀬に語りかける。
当の初瀬はというと、恐怖で声も出ない様子だ。
「なあ、裕也、初瀬」
オレンジインベスは、いつもの調子で、明るい声色で言う。
安全灯が、チカチカと、点いて消えてを繰り返し始めた。
「お前たちさ、俺たちがおかしいって思うか?」
まるで、悲しみを隠すために、努めて明るく振る舞っているかのように。
オレンジインベスは、そう言った。
頭にモヤがかかる。
またこれだ。
脳味噌が溶け出すような感覚。
思考停止という、甘い果実への誘惑。
オレンジインベスの問いかけにNOと答えれば、俺は、奴のもとで、幸せに生きることができる。
世界の異常性の一部になり、マジョリティとして、ブドウインベスが言うところの、
―――このゲームの、ノンプレイヤーキャラクターになるんだ。
ああそうか、あいつが言ってたのは、こういうことだったか。
YESと答えれば、俺は、どうなるかわからない。
さっきは助けてくれたといっても、わからない。
だって、おかしいんだから。
世界は変わった。
環境は変わった。
命あるものは、すべからず、世界に、環境に適応して、その形を変えてゆく。
そう、あいつらは、変わったんだ。
適者生存。
変われなかった者は、淘汰される。
俺の信じる常識は、今や、この世界の非常識。
これを貫き続けることは、即ち、この狂った世界そのものとの戦い。
世界の理、そのものを相手取った戦争だ。
―――俺たちがおかしいって思うか?
YESと答えれば、俺は、死ぬ。
NOと答えれば、俺は、助かる。
信念を捨てて生きるか。
信念を貫いて死ぬか。
正解は、どっちだ。
薄れゆく意識の中、俺は、声を絞り出す。
「ああ!お前ら、おかしいぜ!」
間違いを間違いだって言える。
それが、ヒーロー。
そうだろ、紘汰。
「そっか」
それを聞いたオレンジインベスは、落胆したように、
「残念だ、裕也。ごめんな」
俺の意識は、そこで暗転した。
つづく