ウホウホ!
「久しぶりだね、貴虎。私だよ」
「凌馬ァァァ!」
貴虎が急に大きい声を出すものだからびっくりした。やめてよ。
戦極凌馬―話には聞いている。
戦極ドライバーを開発した、イカれたホモ。
紘汰の尻からヘルヘイム攻撃でインベスになり、ロケットで脱出したというが、一体何をしに現れたのか。
「貴様、何をしに来た!」
「少しトイレを借りにね」
「そうか」
少しトイレを借りに来たらしい。それなら納得だ。
こいつも大概頭がおかしい。
ちょっとすると、トイレから戻ってきた戦極が、俺たちのオフィスに顔を出した。
「失礼するよ」
「久しぶりだな、凌馬」
「はじめまして!!!」
俺は、元気いっぱいに挨拶をした。
こういった礼儀が社会人には必要不可欠なものだ。
戦極も、はじめまして、と返してきた。
「角居裕也くんだね。戦極ドライバー、調子はどう?」
「適当にいじってたらオレンジスカッシュとか叫ぶんですけど、これなんなんですか?」
「それは必殺技だ」
「そうですか」
ちょっと何を言ってるかよくわからなかったから、やっぱりこの人は頭がおかしいんだと思った。
「誰だこいつ?」
紘汰が言った。
この忘れんぼさんめ。
「改めまして、戦極凌馬だ。この間はどうも」
「ああ、あのときの。許さねえ!」
そう叫んだ紘汰が戦極に飛びかかり、尻からヘルヘイム果実を入れるという心暖まるハプニングもあったが、そこは貴虎が場を収めた。
「葛葉くん、相変わらずの猛攻だね」
「ああ!」
新たに尻に3つほど果実を捩じ込まれた戦極凌馬は、少し細部のフォルムが変わっていたようだが、そんなマイナーチェンジに突っ込むのも時間の無駄なので、ここでは割愛する。
紘汰に対しては怯えて震え声になっている戦極がなんだか居たたまれなかった。
「凌馬、お前今までどこで何をしていたんだ?」
「うん、ロケットに乗って空を飛んでいたのだが、あることに気が付いたんだよ。
今日は、その話もしようと思ってね」
「あること?」
戦極は、少し困ったような顔で続けた。
「うん。突拍子のない話に聞こえるかもしれないんだが。
いくら飛んでも、沢芽市から出られないんだよ。
右端まで行ったら左端から出てくる、昔のゲームみたいに」
「ああ、そういえばここ最近ずっと空にロケットが飛んでましたね」
光実が、ぽん、と手を叩く仕草をする。わざとらしい。こいつは身ぶり手振りが下手だと思う。
それはともかく、言われてみればそうだった。
あのロケットが戦極凌馬だったのか。
ぜんぜん気にしなかった。
「それで、私はある仮説を立てたんだ」
「説明しろ、凌馬」
「うん」
戦極は、独特の芝居がかった口調で語り始める。
「この世界には、もう沢芽市だけしかないんじゃないか、と」
「え?逆にそうじゃないんですか?」
ミッチが、本当に当たり前のように、いつもの調子で答えた。
そして、俺たちの顔を順番に一瞥しながら、
「そうですよね?」
「言われてみれば確かに」
うん、言われてみれば、ここ最近、俺は沢芽市から出ていないような気がする。
それは、もうこの世界には沢芽市しか無かったからなのか。
なるほど。
「でも、それで別に問題ありませんよね?」
ミッチが続ける。
「だって、沢芽市以外のことは、僕たちに関係ありませんよね?ね、兄さん」
「ああ。俺たちは、あくまで沢芽市の人間だ。
外の世界があってもなくても、同じだな。
むしろ、無いなら無いで、ヘルヘイム果実のノルマが少なくなる。
人類救済が、より一層現実味を帯びるわけだ」
「おい、よくわからなかったぞ、もう一度説明しろ」
戒斗はちんぷんかんぷんと言った顔をしていた。やはりこの人は馬鹿なんだろう。
そして、戦極が再び口を開いた。
「問題は、その先なんだ」
「その先?」
「うん。この世界には、沢芽市しか無い。
理由はわからないが、沢芽市の外が無い。
繰り返す、この世界には沢芽市しか無い」
「なんだ凌馬、勿体ぶらずに言え」
「はは、すまない。うん。この世界には、沢芽市しか無い。さて―」
―――なんで?
戦極は、インベススマイルを浮かべながら言った。
「私たちは、当然の如く、沢芽市の外の世界はあるものだ、と思っていた。
しかし、それと同時に、無意識に、この世界には沢芽市しか無いことも知っていたんだ。
これは、おかしいとは思わないか?
道理で考えてありえない状況を、不条理を、まるで何かのお約束ごとを飲み込むように、私たちは、当たり前に受け止めている。
そう、おかしいとは思えないんだ。
私にもね。
でも、それこそが、私たちがおかしいことの証拠なんだ。
ハッキリ言おう。
私たちは、異常だ。
私たちは、異常だ」
私たちは、異常だ。
戦極は、気でも違ったようにそう繰り返し始めた。
やめてよ、気持ち悪い。
同じことを、何回も繰り返す。
本来意味がわかるはずの言葉が、過剰なリピートによってその意味を失い、やがて、一定のリズムを刻む、旋律となる。
だんだん、メロディを伴って聴こえてくるのだ。
私たちは、異常だ。
そんな戦極は、なんかもう、人間には見えなかった。
やめてよ、気持ち悪い。
「許さねえ!」
紘汰は、そう叫ぶと、戦極に殴りかかった。
戦極は、そのまま動かなくなった。
死んだらしい。
「なんだか疲れたな。今日はもう帰るか」
紘汰がそう言うと、戒斗たちも賛成し、俺たちは、戦極の亡骸をそのままにしてオフィスを後にした。
そういえば、人が死ぬところを目の前で見るのは初めてだ。
こんなものなのか。
それとも、もう人じゃなかったからなのか。
人じゃなかったのは、どっちなんだろう。
ふと、そんなことが頭をよぎったが、なんだか頭がしゃきっとしない。
なんか超眠い。
「明日は遅刻するなよ、葛葉」
「気を付けまーす」
「早く寝てくださいね、紘汰さん」
いつものごとく、タワーの前でミッチと貴虎は車に乗り、これまたいつものごとく、戒斗も脚を挫きながら去っていった。
戦極の声が頭から離れない。
私たちは、異常だ。
やめてよ、気持ち悪い。
紘汰と二人で歩きながら、俺は、ふと思ったことを口にする。
「紘汰、あのさ」
「うん?」
「お前、本当に紘汰か?」
「急に何言い出すんだよ、裕也」
「いや、見た目的に完全にインベスだからさ、たまにわからなくなるんだ」
「俺は葛葉紘汰、お前の親友だよ」
「ですよね」
ふと、周囲を見渡す。
いつもと変わりのない、なんてことのない、ただの沢芽市だ。
俺の生まれ育った町だ。
変わったのは、紘汰たちの見た目だけ。
紘汰たちの見た目だけだ。
「人は心だよな!紘汰」
「ああ!そうだぜ、裕也!それじゃ、また明日な!」
「おう!また明日!」
そこで、俺は紘汰と別れた。
紘汰の後ろ姿が、少しずつ小さくなっていくのが見える。
あのまま家に帰って、きっと夜になったら、姉さんが帰ってくるんだろう。
帰ってくるはずだ。
さて、俺はここで深呼吸を一つ。
意味もなくオレンジのロックシードをいじったりしてみる。
クラックが開いて、ちっこいインベスが出てきて少し焦った。
そういえばそうだった。
缶コーヒーを買って、なんとなくしゃきっとしない頭を叩き起こす。
缶コーヒーはどれも同じ味だ。
美味しいと思ったことはない。
ネクタイを少し緩める。
カッチリした服装は、やはり少し苦手だ。
社会人のマナー、ということで我慢はするが。
しかし、そもそもの話、この髪色では、スーツだけ着てみたところでホストか何かにしか見えないのでは、と自問自答。
高くついたから、染め直すのは嫌だな。
大口を開けて、あくびをしてみる。
空は青い。
まだ昼前だものな。腹はあまり減っていない。空は、青い。
俺の、一番好きな色だ。
たぶん、紘汰にとっても、そうなんじゃないかな。
だからこそ、俺たちは、青をチーム鎧武のカラーに選んだのだ。
特別な色。
俺は、ただ考える。
落ち着いて、よく考える。
ここ最近、ずっとしていなかったことかもしれない。
落ち着いて、考える。
そうだ、落ち着いて、考えて、考える。
人は、見た目ではない。
姿ではない。
人は、心だ。
人と怪物を隔てるもの、それが心だ。
心があるのなら、たとえ怪物の力を使ったとて、それは人間だ。
どんなに強い力を、恐ろしい力を手にしていても、心がある限り、人は人だ。
その人はその人だ。
姿は関係ない。
その力は関係ない。
大切なのは、心。
考えがまとまった。
もう一度、確かめるように空を見上げる。
そうだな。
当たり前のことだった。
本当なら、考えるまでもなくわかることだったんだ。
すごく久しぶりに、頭がクリアーだ。
うん。
空は青い。
あいつは紘汰じゃない。
つづく