白狼の舞   作:大空飛男

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白鞘の白狼

文に手紙を渡した聡士郎は、何処にもよらずに真っ直ぐ、「尖刃館」へと向かっていた。

 

稽古で疲れた彼女と共に、帰宅する。すでに日常と化している事だが、聡士郎にとってそれが毎日の楽しみともなっている。

 

いつも通りに道場の正面に立って、聡士郎は玄関を見つめると、太鼓と笛などの楽器を奏でた音が外に漏れおり、終わる気配を感じることができなかった。

 

「早く来すぎたか…しまったな。何か団子でも買ってきてやればよかった」

 

悔やみながら言葉を洩らすと、聡士郎は玄関の石階段に腰を掛けた。懐から紙巻煙草を取り出すと、慣れた手つきでマッチに火を付ける。ゆっくりと炎は煙草を燃やし、それを吸引して煙を吐いた。

 

それから退屈な時間がゆっくりと経ち、紙巻煙草の灰がすべて落ちて、一通り舞の練習が終わったのか中から楽器の演奏が聞こえなくなった時であった。

 

普段は人気のない、この尖刃館へと続く道に人影が見えた。

 

数は一人。白狼天狗であり、正装ともいえる哨戒隊の衣装とは少し違う特殊な装飾を施された衣装を着ており、腰には二本の刀を差していた。俯いて表情を読み取ることが難しいが、椛より少し年齢が上の男だろうかと聡士郎は察した。

 

「おや…?」

 

聡士郎は意外そうに呟いた。普段は他の舞姫を迎えに来る者はおらず、何時も聡士郎だけであるからだ。他の舞姫に就く護衛の事は聴いていないので、誰かの友人か、または同じ職場の関係者か、ともかく珍しい事は確かであった。

 

その男は聡士郎と同じく道場の玄関を見上げ練習がまだ終わっていない事を悟ると、先客であった聡士郎を一瞬にらんで、石階段の隣の壁にもたれ掛かった。

 

近間でその男を見ると、他の白狼天狗より華奢であることがわかった。顎のラインがはっきりとして整った表情している為に、その姿まさに美青年と呼べるであろう。

しかし剣士として必要である筋肉の付き方から、自分や春吉とは違う何か特殊な兵法を身に着けた者であると聡士郎は睨んだ。それに加え、通常の刀とは大きく違い鞘が無い刀、いわゆる白鞘を帯刀している事から、その考えは確信へと変わった。天狗にはまだ知られていない流派が数多く存在していると聞いていたので、その類であろう。

 

「不思議な刀を持っているな」

 

思わず、聡士郎は男に視線を向けて声を掛けた。男も視線を向けるがまるで会話に興味が無いと、冷めた表情をして鼻で笑い、うつむいて目をつむった。

 

「ふむ、まあ良いわ」

 

面白くない反応をされたため、少しふてくされて聡士郎も視線を元に戻す。どうやら友好的な態度を持っていない様だ。

 

しかし直ぐに、今度は男の方がそのまま突き放すような態勢で、声を掛けた。

 

「お前は・・・人間。松木聡士郎。不盾流の使い手・・・」

 

「いかにも、だからどうした?」

 

再び聡士郎は懐に手を入れて二本目の煙草を取り出すと、そっけなく返事を返す。

 

「人間であるのに、護衛に選ばれる。その実力は確かなのだろう?」

 

「そうだな。ワシからは何も言えぬが」

 

「だが…彼女に資格はない」

 

唐突に、意味深な発言を男は口にした。

 

「なに?」

 

急に話が飛んだので、聡士郎は思わず男に視線を向けた。その男は冷ややかな目で聡士郎に視線を合わせ、見下したように聡士郎を見ていた。

 

「彼女には舞う資格が無いと言う事だ」

 

「お前は・・・何を言っておるのだ?」

 

困惑した表情で聡士郎は言うと、男はそれを鼻で笑い、再び口を開く。

 

「私の名前は、銀杏木迅兵衛と申す。御前の実力、見せていただきたい」

 

「む…?」

 

脈絡のない男の会話に少し戸惑いながらも、聡士郎は立ち上がった。銀杏木迅兵衛と名乗った男の纏う雰囲気が変わったため、自然と『追風』に手を掛ける。

 

「いやなに、私も剣を使う。ぜひともその実力を知りたいのでな」

 

「ここ権現村では、私闘は禁じられていると聞くが?」

 

 迅兵衛はそれを聞くと、壁を離れて「尖刃館」の前に出た。

 

「では、椛を襲うと言ったら、どうする?」

 

「なっ貴様…。まさか刺客か?いや、だがその服装は…」

 

「ふん。どうとでも取るが良い。だが、御前が剣を抜かぬと言うなら、私は椛を襲う」

 

「ふざけるな。ワシと戦うが為に、椛を襲うと申すか?」

 

男の発言にいら立ちを覚えた聡士郎は思わず追風の刀身を半分抜いた。

 

「いかにも」

 

「…あいわかった。お前を敵と判断し、ここで成敗する」

 

容易な挑発ではあるが、乗らずにはいられなかった。この銀杏木迅兵衛という男は、脈絡のない会話とは言え、椛の事をよく知っていることは感じ取れた。それにこのままやり過ごしたとしても、もしこの男が真っ先に道場から出てきた椛を襲ったら、それは自分の落ち度になってしまう。

 

「やっと乗ったか…。かの厄災を退けた十手持ちの一人。全力でなければ、失礼であろう?」

 

不気味に笑い迅兵衛は俯いた顔を上げた。その表情は如何にも楽しそうな顔をしている。

 

「あの事も知っておるのか…?里の住人は綺麗さっぱり記憶から消えておるのに…天狗は恐ろしいものだ」

 

冷静に言葉を返す聡士郎だが、珍しく怒りが少しだけ込み上げていた。

かの厄災。聡士郎にとっては嫌な思い出であり、忘れたい過去であった。それを掘り起こされたのだ。普通の人間ならば、良い気はしないだろう

 

「だから最初に言っておくぞ。自分は居合…銀杏木流居合術を使う。これの意味が分かるか?」

 

「ワシに…二本抜けと申すか?」

 

「そうだ。不盾流は二刀剣術であろう?もし一本だけで戦い、それにより真価を発揮できなかったと言い訳されたら、つまらんからな」

 

迅兵衛は、得意げな表情で聡士郎を挑発する。

 

本来、聡士郎の使う不盾流とは、二刀を使う流派であった。権現村に来てから二刀を使わなかった理由は、むやみに自分の流派を露呈するのを嫌がった事もあるが、それ以前に今まで二刀を使うような相手がいなかったのである。

 

因みに二刀を使う場合、聡士郎は守りに徹して攻める事を行わない。かの剣豪の様に鍛錬の為ではなく、二刀を主にして守りに使う剣術。これが不盾流二刀剣術の真骨頂であり、聡士郎が会得した流派であった。

 

 聡士郎は言われた通りゆっくりと小太刀「衣川」を抜いて、それを左手に持ち替えると今度は追風を抜いた。両刀はギラリと鈍い光を放って、迅兵衛を威圧している。

 

この小太刀「衣川」はかつて聡士郎に教えを解いた師が免許皆伝時に与えられたものであり、追風より持っていた時期が長かった。この刀は追風よりも多くの修羅場を潜り抜けて思い入れが強く、まさに愛刀と呼べるものである

 

 迅兵衛は聡士郎がやる気になったことを確認すると、姿勢を前傾にして白鞘に手を添えた。

その構えに特徴は無く、居合特有の体勢である。しかしそれ故、隙も無い。名に恥じぬ流派であることを現している。

聡士郎もいつも通り、刀をだらりと下げた。迅兵衛はそれを見て眉を一つ動かしたが、何事も無かったように聡士郎に視線を合わせて、睨み付ける。

 

こうして、二人の試合が始まったのだった。

 

 

両者は黙ったまま、構えを解かなかった。

 

殺気はない。だが両者の心の内には、燃えたぎる何かがあった。

 

たった数分しか経っていないが、永遠と思うほど長く感じる。

 

これこそが、本物の試合。一瞬の気の迷いが死へと導くのだ。ただやみくもに動くのは素人に過ぎず、威勢よく掛け声を出したところでそれは何も変わらない。

 

百八十度。いや三百六十度に集中と言う線を張り巡らせる。

 

せめぎ合い、両者の魂は先を取り合う

 

足の指先で、ジリジリと地面を擦るように詰める。わずか数寸程であるが、両者にとっては一歩と変わらない。

 

守りの流派と待ちの流派とは、こういう物なのだ。

 

風が吹き落ち葉が舞った。だが、迅兵衛は瞬き一つせず、まっすぐと聡士郎を見ていた。聡士郎は何処を見ているのか分からない目線をしていて、直感的に危険を感じていたのだ。

 

正面を見ているのだが、それは迅兵衛の事を見ているのか、それとも彼の持つ刀を見ているのか、まったくもってわからない。隙だらけにも見えて、かえって相手を不気味にさせる。

 

普通、並の剣術家ならここで飛び出してしまうだろう。集中が途切れているのではないかと思い、先を取ろうとする。特に居合は先手を取れば相手に何もさせずに切り捨てることができるのだ。

 

だが、迅兵衛は視線を外さず、足の指先でじりじりと攻めるだけであった。

 

なぜなら、聡士郎は全てを見ていると感じ取っていたからだ。

 

紅葉を見るときに、一点を見るだけでは美しくない事はわかるだろう。一枚の葉を見るよりその木すべてを見る事で、紅葉は美しさが増すのである。それぞれの葉が持つ特徴的な紅の色合いを、同時に楽しむことができて、それを引き立てる木の幹から枝まで見る。これが紅葉狩りの楽しみ方である。

 

そう、聡士郎は正にこの視点。紅葉の目付、通称「遠山の目付」と呼ばれる技法を取っていた。

相手の一点を見るのではなく、相手のすべては勿論、その背景をも見通す。そうすることで相手の全身を見る事が出来て、動きをいち早く察知することができるのだ。

それだけではなく、相手のすべてを見通していると心に錯覚させることにより、自らの心に自信を持たせる意味合いもある。

 

しかし、紅葉の目付を使う聡士郎もまた、心の中では迅兵衛の事を厄介だと呟いた。

 

それは白狼天狗だからこそできる、超反応と野生の直感である。春吉との戦いで、その事を学んでいた。

 

動物と言う物は人間に比べていち早く危険や音を感知することができる。それを的確に処理できるほどの脳を持つ白狼天狗は、極めて厄介な相手なのだ。しかも春吉の様に未熟者でもなければ、剛牙の様に慢心しているわけでもない。目の前にいるこの白狼天狗は、先程述べた持ち前の能力に加え、無駄な殺気を控えており、まるで嵐の前の野原ごとく落ち着いている。

だからこそ、聡士郎にとって久しぶりの強豪であった。

 

 ――この男出来る。

 

 両者は思わず、心の中で呟いた。

 

 このまま永遠とも呼べる時を過ごす事も良いが、それでは一向に勝負はつかない。

 

迅兵衛は身を捨てる覚悟をすると、目を見開いた。

 

白狼天狗の持ち味である脚力を活かし、構えを解かぬまま聡士郎へと一気に距離を詰め、抜刀すると上段から振り下ろす。その白刃は弧を描くように聡士郎の頭上へと襲い掛かった。

 

 聡士郎は瞬時に刀を上げると、鎬同士を合わせ、バツの字を作るようにして白刃を防いだ。甲高く鉄のぶつかり合う音が響き重い衝撃が加わると、同時に両者は視線を合わせた。

 

 鍔迫り合いの中、両者は視線を外さなかった。目線を逸らせば、それだけで勝利への意思もとい執着心が負けている証拠なのだ

 

力では上から抑え込まれる聡士郎が不利だが、弾かれれば迅兵衛が不利である。聡士郎は一般的な長さの追風、そして小太刀の衣川。連続で繰り出される斬撃を避けるのには、さすがに少々骨が折れるのだ。

 

 勿論、聡士郎はそれをわかっている。防ぐために刃で作ったバツの字を崩すように迅兵衛の刀を両刀で滑らせて、上へと弾いた。そして体勢を崩した迅兵衛に追い打ちをかけ、追風を振るった。

 

迅兵衛は器用にそれを避けると、発想の構えから袈裟から切り返す。

 

だが、それもすべて見えている。聡士郎は迅兵衛の斬り返しを容易に衣川で弾いた。反撃しようと半歩前に出て追風に力を込めるが、迅兵衛は持ち前の直感で危険を察知したのか地を蹴って大きく後ろに下がると、自然とは間合いを保った。

 

 「二刀とやり合うのは、やはり戦い辛いか…!」

 

 そうは言いつつも、迅兵衛の表情は笑っていた。その狂気じみた表情はまるで戦争異常者である。

 

 対して聡士郎は苦い顔をして、迅兵衛を黙って見ていた。

 

居合からの切り替えしがそこまで上手では無い。

おそらくこれは抜刀に命を掛ける流派であり、それ以来のリカバリーを取ることをそこまで深く追求していないのである。つまり一撃必中を目的としているのだ。

 

だからこそ、こうして間合いを取ることは相手の有利な距離を作ってしまい、不利となる。

 

 「ふふっ。まさに不落だ…。いかなる攻撃をも受けても落ちぬ城のようだ…」

 

 笑みを崩さず、迅兵衛は再び刀を帯刀すると居合の構えに戻った。これで、また長いせめぎ合いが始まるだろう。

 

 だが、迅兵衛は帯刀していた白鞘を腰から外して手に持つと、そのまま居合の構えをした。

 

「もう時間はない…。この技がお前にとって、破城鎚となるだろう」

 

迅兵衛がそう言うと同時に、突如として風が舞った。

その風は迅兵衛の白鞘に纏うように渦巻いて、音を鳴らす。聡士郎はそれを見て、思わず声を上げた。

 

「貴様…!妖術か!」

 

「いかにも…行くぞ!」

 

地を蹴ると同時に、迅兵衛は白鞘から刀身を抜刀した。

 

すると、それに合わせるかのように纏っていた風は刃の様に鋭くなり、聡士郎へと向かった。

 

聡士郎は風の刃に合わせ、勢いよく衣川を振り相殺する。しかし、衣川を振りきったその影から、迅兵衛は地を蹴った勢いに乗って、迫っていた。

 

一閃。

 

まさにこの言葉通り、迅兵衛は刀を振るった。

 

風を切り。音を切り。刹那の世界でその刀は聡士郎へと振るわれた。

 

だが、そのまた刹那。空へも届くかのような激しくひび割れた音が一帯に響いた。迅兵衛はその音を聞く間も無く、聡士郎を過ぎ去り残心を構える。

 

何事かと迅兵衛は後方を見た。

 

そこに立っていたのは、斬撃を防ごうとしたのか追風を頭上へ構え、立ち尽くしている聡士郎であった。

 

だが、勝った。手ごたえは軽かったが、勢いともに威力も十分であった。

迅兵衛はそう思ったが、突如として両腕が激しく痙攣を起こし始めた。

 

「なにっ…」

 

痙攣を起こすだけではなかった。迅兵衛の持つ白鞘「天切」の刀身が、中央からぽっきりと折れていたのだ。

迅兵衛がそれに気が付くと同時に、天切の折れた刀身が、残心の為に彼が膝を着いた手前へと、突き刺さった。

 

何が起きたのだろうか。迅兵衛が丁度、疑問を持った時であった。後方にいた聡士郎がどさりと追風と衣川を落として、膝を着いた。

 

 「ぐっ…相殺しきれなかったか」

 

 じわりと、聡士郎の胸部から横腹に掛けて、血がにじみ出ていた。

 

 そう。風の刃を相殺した聡士郎は一瞬だけ反応が遅れてしまい、迅兵衛の放った白刃の威力を完璧に打ち消す事が出来なかったのだ。

 

それ故、折れてもなお勢いが続いた天切は聡士郎の胸部から横腹に掛けて、その刀身で切り傷を与えたのである。絶対に折れることは無い追風であっても、威力を吸収することはできなかったのだ。

 

辛うじて幸いであったのは、体を両断することに至らなかった事であるが、深く切り込まれた傷は人間にとって十分すぎる深手であった。

 

「…秘儀疾走抜刀。よもや弾かれ様とは…」

 

 自分の奥義に一矢報いられ、驚いた表情をしつつ迅兵衛は落ち着いた声で言うと、残心を解いて立ち上がった。

 

「不盾流剱崩し…。これ…で、お主は満足に剣をふるえ…まい。もっとも刀を折ったゆえ、無駄であったか…」

 

青白い表情をして、聡士郎は腹部を抑えつつよろめいて立ち上がった。

 

「フン。落城せり…か。これでお前はもう不落ではあるまいな。所詮人間が作り出した流派などこんなものだ。天狗の流派には勝てまい」

 

興味が失せたのか、迅兵衛は鼻で笑うと、折れた刀身を拾って、「天切」を鞘へ戻した。

 

「そう…か。ワシは…負けた…か…」

 

聡士郎が途切れとぎれに言葉を発すると同時に、「尖刃館」の門が、勢いよく開かれたのだった。

 

 

開かれた扉から最初に飛び出してきたのは、師範代である薙刀を持った女性の白狼天狗と、舞姫候補の一人だった。その舞姫候補の一人は瞬時に帯刀していた橇の少ない刀、同田貫を抜き放ち、師範代と共に石階段を下りて聡士郎と迅兵衛に武器を向けた。

 

「迅兵衛様!お怪我は?」

 

「ああ、大事ない」

 

出てきた舞姫候補の一人は、聡士郎よりも明らかに軽傷である迅兵衛に言葉を掛けると、安心したような顔をした。どうやら迅兵衛はそれなりに地位の高い天狗のようである。

 

師範代は今にも薙刀を振り回しそうな表情をして、出血がひどく、辛うじて立つことのできる聡士郎に問いただした。

 

「貴様!何をやっていた!」

 

「成敗を…したのだ。だが…ワシが負けた…」

 

痛々しく、さらに力なく言う聡士郎を見て、舞姫候補の一人は思わず目をそむけてしまった。だが、師範代は冷徹な表情になると、聡士郎に薙刀を突き付けた。

 

「ふざけたことを…!これは私闘行為だぞ!」

 

「何を言うか。ワシは護衛としての務めを…果たしたまでだ。私闘行為ではあるまい」

 

あくまでも成敗だったと言い張る聡士郎を見て、師範代はいら立ちを覚えた。すると、迅兵衛が二人の間に割って入り、師範代をなだめるように口を開いた。

 

「自分が唆したのだ。戦わなければ椛を襲うとな。その為、この男に罪はあるまい。だが、護衛としての任は果たせなかったようだ。この通り、自分に敗北したのだよ」

 

迅兵衛は鼻で笑うと、道場の入り口から気配を感じた。振り返るとそこにいたのは言わずとも椛と、もう一人の舞姫候補であった。

 

「松木様!?」

 

青白い表情で今にも倒れそうな表情をしている聡士郎を見て、椛は石階段を駆け下りると聡士郎の元へ向かった。

 

「そんな…いったい何で…」

 

あたふたとすると椛は周りに目線を配り、聡士郎に肩を貸すように促す。だが、誰も聡士郎には近づかなかった。その表情は聡士郎が人間であるので、関わりたくないといった様子である。

 

椛はそんな天狗達に呆れ、聡士郎の着ていた羽織を破り簡易的な包帯を作ると、急いで止血作業に取り掛かった。聡士郎の体に支障が無いように、かつきつく包帯を縛る。

 

「椛よ。お主の護衛がこうなってしまった以上。こやつが回復するまでは、うかつに外に出ることはできないな」

 

止血作業が終わっても、意識がもうろうとしてぐったりとしている聡士郎を抱えた椛を見て、迅兵衛ニヤリと笑いながら言った。

 

「迅兵衛様…どうしてこんなことを…!」

 

「お主には才能があっても、血族的に舞姫となりて舞う事は許されるのだ」

 

「貴様…そういうことか!」

 

抱える椛を押しのけて、聡士郎は立ち上がると目をギラギラと迸らせ、迅兵衛を睨み付けた。その眼はいつもの様に落ち着いた眼ではなく、今にも襲い掛かりそうな、獣的な目であった。

しかし力尽きたのか、聡士郎はまるで糸の切れたマリオネットの様に、がくりと力を失って、意識を失った。

 

そのあまりにも恐ろしい聡士郎の顔を見て、迅兵衛は一瞬たじろぐがすぐに涼しい顔を作ると、椛に対して再び口を開いた。

 

「舞姫候補が稽古を休むと、どうなるかわかるだろう?」

 

「経験の不足で…舞姫になる事が出来ない…?」

 

「そう言う事だ」

 

言葉に異を唱えるように、師範代は迅兵衛向かって薙刀を向けた。

 

「つまり椛を舞姫候補から外す為に、この人間を切ったと言うのか!?」

 

「ああそうだ。その為これは私闘である。決まりを破り、仕掛けた自分が悪いのだ。だが、舞姫にはふさわしき者がなる必要がある。椛は確かに特質的な能力を持ち合わせ、その功績で舞姫の候補となる資格を与えられた。しかし、所詮犬走家は一兵の成り上がりに過ぎない。舞姫になる事は無いとしても僅かに可能性があるのなら、その芽は摘み取らなければならないのだ。故に自分はこの権現村を良き方向へと導く為に、あえてそうした。謹慎なら受け入れよう。それでこの村が良き方向へ向かうのであれば、自分は本望だ」

 

まるで自分のやった事に非が無いと言わんばかりに、迅兵衛は堂々と言った。しかし、目線は師範代を向いている訳では無く、道場の入り口、その立つ一人の舞姫候補へと、向けられていた。

 

「しかし、こうしたところで誰が候補になるかは分からぬのだぞ?」

 

師範代は若干戸惑った顔をして、迅兵衛に問う。

 

「それはわかっています。ですが少なくとも椛にはならないでしょう。可哀想だがお前の生まれをの呪うがいい…。舞姫を引き立てる巫女になるだけでも十分ではないか」

 

一兵からは十分に出世してたことになるぞ、と迅兵衛は付け加えると、周りの天狗達に興味を無くした目をして、道場の入り口へと向かった。

 

「ああ…隊長。自分の身勝手な行動をお許しください。ですが舞姫になるのは貴方しかいないのです…」

 

膝を着いて、迅兵衛はその場に立っていた舞姫候補に言う。すると彼女は、迅兵衛に向かって思い切り足蹴りを放った。

 

「バカ者め!余計な事をしおって!これではこの私、犬伏柊が命令した様ではないか!」

 

「いえ、これはあくまで自分の独断行動です。貴方の名は汚されない…。それに自分は人里の十手持ち、不落の松と一手交えたかった。それだけでございます」

 

蹴られてもなお、紳士的な態度を示し、迅兵衛は地面にこすりつけるように深く頭を下げる。柊は若干不快感を覚えつつも、まあ良いと言って腹を立てた自分の心を落ち着かせた。そして迅兵衛をその場から立たせると、石階段を降りて、椛と聡士郎の元へと向かう。

 

「私の部下が迷惑をかけたな…すまぬ。だが、迅兵衛の言う事も間違いではないのだ…。椛よ、正々堂々と競い合いたかったが、誠に残念であった」

 

「そんな…私にはもったいないお言葉です」

 

そうは言う椛であるが、心の中は違った。

自らの身分から起きたこの騒動。それに巻き込まれた聡士郎は死にそうである。その原因を作った自分、そして犬伏柊を許すことはできなかった。

 

だが、同時に疑問が湧いた。なぜ、自分は聡士郎の事について腹を立てているのだろうかと。客人とはもう見てはいないが、自分を守ってくれる護衛として見ていた。自分の話を聞いてくれ、話しやすい相手。ただ、そう思っていた。それ故、こんなに苦しんでいる聡士郎をみても、仕方がないと割り切れるはずである。だがそれはどうしてもできず、納得もできなかった。

 

「…では私はそろそろ帰らせていただく。師範代様。明日もいつもの時間でよろしいですか?」

 

柊は椛から目線を外すと、師範代に向かって問う。師範代は若干眉を動かすと、「ああ、そうだ。問題なく明日も行う」と言って、返事を返した。

 

「では。また明日に」

 

丁重に柊はその場の人物たちに頭を下げると、迅兵衛を連れてその場を後にした。椛はそれを、ただじっと、睨みながら見つめていた。

 

 

聡士郎は急いで、椛の家へと運ばれていった。

 

あれから椛は必死に師範代達に頭を下げ、自分の家までで良いので聡士郎を運んでほしいと、頼み込んだのだ。白狼天狗は言わずと仲間意識の強い種族なので、椛の必死の頼みを断ることはできず、仕方なく聡士郎を犬走家まで運ぶ事を承諾したのだった。

 

家へと運ばれた聡士郎の為に、椛は楓を使い医者を呼んだ。医者はすぐさま治療を行ったが、その容態を見て顔をしかめた。

 

傷は深く腸が外に出る寸前であり、非常に危険な状態であった。幸いにも止血作業の効果があり、出血多量で死ぬことは無かったが、傷からくる激しい熱と発作に聡士郎は襲われ、どちらにせよ危ない状態であったのだ。

 

医者は冷静に切り傷を縫ってそれを塞ぐと、いくつもの秘薬を調合した薬を聡士郎の切り傷に塗って新しく包帯を巻いた。そして、安静にするようにと椛に伝えた。峠は越えたが、後の事はこの男に掛かっていると医者は椛に伝え、家を出ていった。

 

「松木様…」

 

椛は聡士郎の寝る布団の横に座り、じっと顔を眺めていた。

 

自分の任を果たすために聡士郎は銀杏木迅兵衛と刃を交えた。この権現村の五本指に入る剣士である迅兵衛に、人間如きが勝てるわけが無い。相当腕が立つとはいっても所詮は普通の人間。必ずその強さには限界があるのだろうと椛は思った。

 

だが、頭では分かっていても、何故か椛は引っ掛かっていた。聡士郎の強さは単に剣を極めている強さではない。どちらかと言うと長い年月をかけて、悟りを開いているようである。だからこそ、負けた事が信じられなかった。

 

もっと、この人の事を知りたい。

 

椛はふと、そう思った。

翌々考えてみれば、自分は聡士郎に都合の良い過去ばかり話していて、聡士郎の事を何も知らなかった。目を覚ましたら、話してくれるだけの過去を聞きたい。椛はそう思った。

 

それと同時に、椛は不思議な感情も抱いていた。

本心では人間を好ましく思わなかったが、今は聡士郎を許せていた。

人間であるが、普通の人間とはどこか違う。そんな気がしていたのだ。

様々な思惑が椛の中に渦巻き、椛は聡士郎の手のひらを掴んだ。

 

「早く…目を覚ましてください…」

 

椛は掌を強く握ると、深く天に、祈るだけであった。


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