白狼の舞   作:大空飛男

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権現村

射抜かれた肩の治療を軽く行うと、聡士郎は椛の後を着いて行く事となった。参拝道を大きく外れ、山奥へと足を運んでいく。無尽蔵に伸びた落葉樹などの枝が行く手を阻み、徒歩で歩くのには少しばかりしんどい。だが椛は顔色一つ変えず、どんどん前へと進んで行く。

 

この時、何故自分が呼ばれたのか、聡士郎は考え込んで歩いていた。

 

天狗が意味も無く、人をもてなすのは考えにくい。それに白狼天狗の統領とあれば、それは尚の事である。どう考えても理解ができなかった。

 

民間伝承で天狗は人間を誘拐すると言われている。しかし、それはあくまでも子供限定であり、聡士郎は間違いなく対象外であった。

では何故か。その理由を求め聡士郎の頭は混乱していた。

 

椛に尋ねようと聡士郎は思いたったが、彼女は話そうとせず、先ほどからずっと無言である。時々後ろを振り向くのだが、それはコミュニケーションを取ろうとしておらず、ただ着いてきているかどうかを確認している様子であった。

 

「もう少しです」

 

椛は地面からはみ出ている大樹の根に立ち、少し傾きつつある太陽の光を背に受けながら、優しい口調で言った。

 

その彼女の立ち姿は凛としておりとても美しかった。

 

正直、聡士郎にとって彼女は、大変好みである。彼女の容姿は凛とした顔立ちをしているのに、どこか優しさを感じることができる。しかし、幼さを感じると言ってもどこか大人びた雰囲気を持ち、人の年齢で言うと二十歳になり立てのような顔をしていた。

 

あくまでも妖怪であるが、好みに関しては種族など関係の無い事である。実際聡士郎は里で数人、容姿が好みの妖怪と出会っていた。

 

しかし、好みだからと言ってついて行っている訳ではない。ついて行かないと、何をされるかわからないのだ。下手に手を打とうとすれば、死が待っているかもしれない。天狗は其れ程、付き合いにくい性格をしている者が多いのだ。

 

何とか椛の横まで着くと、聡士郎は頭を下げ深く息を付いた。

椛はそれを見て、だらしないと言わんばかりの顔をして、苦笑いをする。聡士郎は若干情けないと思いつつも、大きく深呼吸をして息を整えて、顔を上げた。

 

刹那、日差しが目に入り、まぶしさの余り瞼を閉じる。

 

そして目を開くと、聡士郎は驚いた。山に沿って立ち並ぶ古風な村があったのだ。

 

「ようこそ、天狗の集落。『権現村』へ」

 

椛はそう言って、村へと続く階段を下りて行く。聡士郎も驚きを隠しきれない表情で辺りを見渡しつつ、それに続いた。

 

村の様子は割とのんびりとしており、天狗たちが言葉を交わしている。幼い天狗の子供達が走り回っていて、噂で聞いていたような近代的な華やかさは無かった。

 

「人里と、変わりはないのだな」

 

「そうですね。私たちはあくまで山の治安を守ることが任務です。ですから優れた技術を持っていても、その恩恵は必要な時にしか受けないようにしているのです」

 

「なるほど…」

 

 聡士郎は感心すると、街並みを再度眺めた。ほとんどが木造建築に土壁が張られている、いたって普通の建物ばかりであった。

人里では近年、物好きの金持ちが煉瓦の建築に手を出し始めているのだが、ここにはそのようなハイカラな建物は見えない。例えるとすれば、江戸時代中期ごろの村と言えよう。

 

「さあこちらです。ついてきてください」

 

「ん、わかった」

 

聡士郎は返事を返すと、二人は集落の中央にある道を進みながら、上へと昇っていく。

 

道行くと出会う白狼天狗達は、椛に頭を下げて軽く挨拶をした。どうやら椛の位は高いらしく、普通の白狼天狗とは少し違う様子だった。天狗はその上下関係がしっかりしているのだ。

しかし、鴉天狗と呼ばれる天狗の大半は、聡士郎を連れている椛を白い目で見ていた。なにやらヒソヒソと噂話を立てており、友好的に見えない。聡士郎はその訳を知っていた。

鴉天狗と白狼天狗は合間見えないのだ。両者はいがみ合い、犬猿の仲である。これは、太古から続く関係であると言う。

聡士郎は白狼天狗が連れてきた客人であり、あまつさえ人間であるため、彼等は見下しているのだ。それで怒鳴ったり喚いたりはしないが、気分が悪いのは確かであった。

 

「・・・すいません。嫌な思いをさせましたね」

 

鴉天狗達を通り過ぎると。椛は唐突に謝った。客である為気を使ったのだろうと、聡士郎は納得するように頷く。

 

「なに、お主達の仲は知っておる。仕方のないことだろう」

 

「そう言ってくれると、助かります。古い考えの天狗は山ほどいるので」

 

椛は何処か意味深な発言をすると、何事もなかったかのように歩き始めた。

 

「どういう意味だろうか・・・」

 

聡士郎は首をかしげて、椛の後を追った。

 

 

「そろそろですよ」

 

先程の意味深な発言から暫く沈黙が続いて数分、椛はようやく口を開いた。どうやら目的地が見えてきたようだ。

 

聡士郎はその建物を見て、これまた目を丸くした。

 

岩肌が見えたと思うとそれに隣接して、装飾が施してある寺が建っていたのだ。周りを有刺鉄線の着いた塀で囲んでいて、門の前には白狼天狗の門番が二人、厳つい表情をしながら立っている。土地面積は人里で最も大きいとされている稗田家の二倍近くはあると容易に推測できて、城と言うより要塞に近かった。

 

「ここは・・・?」

 

聡士郎は息を洩らすように呟いた。すると椛は少しだけ得意げな顔をして、説明を始める。

 

「天来寺です。村の人々からは城や本殿と言われています。寺としての機能はありませんが、代わりに我々天狗たちが根城として使用しています。一番上にある本堂は大天狗様が居て、私達白狼天狗の主は左側にある、閃牙殿にいます。あ、因みに右側は鴉天狗達がいる、烏羽殿があります」

 

「それでワシたちは、閃牙殿に行くと?」

 

「はい。本来ならば人間は絶対に踏み込めない所ですけど」

 

椛はそう言うとさっさと歩き始め、遅れる聡士郎に手招きをした。聡士郎はぎこちなく門の前で一礼し、門番の白狼天狗達に挨拶をして門をくぐる。

 

寺の敷地に入ると武装した天狗達が徘徊していた。目をギラギラと光らせており、異常がないかを見ている様子は最前線の兵士のようであった。特に白狼天狗の衛兵は聡士郎を睨み付けるように見ており、威圧しているようだった。

 

しかし椛はそんな衛兵たちに目もくれず、閃牙殿に向かっていく。聡士郎も敵意を飛ばされ不快になったが、問題を起こしては生きて帰れまいと思い、椛について行く。

 

「言っておきますけど」

 

暫く歩き、閃牙殿の前に立つと、椛はふと思い出したように口を開いた。

 

「む、どうしたのだ」

 

「統領の前で、粗相のないようにお願いします」

 

「・・・命は惜しい。どんな奴かは知らんが、無礼は起こさん」

 

「分かっていればいのです」

 

椛は聡士郎の答えに満足したのか、一つ息を吸うと、閃牙殿の扉を叩く。すると扉が開き、中から屈強そうな白狼天狗が姿を見せた。長い髪を後ろで縛っており、狼と言うよりは獅子と呼ぶのにふさわしい風貌をしている。

 

「お待ちしておりました。椛様」

 

「ご苦労さまです。松木様に例の物をお願いします」

 

「御意」

 

屈強そうな白狼天狗はゆっくりと扉をしめて中に戻ると、まだら模様の風呂敷を取ってきて、それを聡士郎に手渡した。

 

「これは?」

 

「客人用の服です。統領に合うにはこれを着なければならないのですよ」

 

顔に似合わず小さな声で、屈強そうな白狼天狗は丁寧に話した。それほど恐ろしい奴ではない様だと、聡士郎は感じた。

 

「そうか。面倒だが…仕方ない。で、何処で着替えればよい?」

 

「羽織だけですので、包みを解けばすぐに」

 

「あいわかった」

 

包みを解くと白い羽織が入っていた。背には紅葉の散る模様が描かれており、所々に赤き染色が施されている。

 

聡士郎は何も言わず、羽織の袖に手を通す。しっかりと着こなせているのかふと疑問が浮かんだが、すぐに打ち消した。誰も、そんなことを教えてくれる者はここにはいないからだ。

 

「これでよいのか?」

 

「はい。では中へ御案内します」

 

屈強そうな白狼天狗はそう言うと、聡士郎と椛は閃牙殿の中に入っていった。

 

 

閃牙殿の中は、派手な装飾は行われておらず、静かに廊下が続いていた。いくつもの部屋があり、縁側にある大きな襖を開いて光を取っている。閃牙殿に入ってすぐの部屋には、長い机が三つ置かれており、そこに数人の右筆であろう白狼天狗達が巻物に文字を綴っていた。天狗独自の文字を使用しているため、聡士郎には何を書いているのか分からなかったが、それと同時に知りたくもないし、知っても得はしないだろうと、聡士郎は思った。

 

その後、長い廊下を歩き、案内された部屋は広い板の間だった。部屋の奥には床の間があり、左右には刀や甲冑などが置いてある。上座には座布団と肘置きが置いてあり、両方とも紫と金の刺繍が施されていた。

 

「ここで、しばしお待ちください。椛様も」

 

「分かりました」

 

屈強そうな白狼天狗の言葉に、椛は頷いた。彼はそれを確認すると一礼し、扉を閉めて、どこかに行ってしまった。

 

「・・・時に椛よ」

 

「はい。なんでしょうか」

 

聡士郎の問いに、椛は答えた。どうやら今は喋り掛けても良さそうだと、聡士郎は小さく息を付く。

 

「その、統領と言う奴はどういう奴なのだ?」

 

「はい。名前は真神露草様と言います。現白狼天狗の統領ですね」

 

「なるほど・・・。では、鴉天狗にもそのような者がいるというわけか」

 

「はい。ですが今は良いでしょう?露草様に会うのですから」

 

「うむ、確かに」

 

納得するように聡士郎はうなずくと、椛は一つ、ため息をついた。聡士郎はその行為を少しだけ気になったが、これ以上は詮索すべきでないと思いとどまった。

 

それから数分後、扉が静かに開いた。そして二人の白狼天狗が入ってきたと思うと、後に続いて、普通とは違う雰囲気を持つ白狼天狗が入ってきた。

 部屋の中に風が吹くと、その白狼天狗は白髪をたなびかせ、それを掻き上げる。その堂々とした行為からして、聡士郎は勘付いた。

 

この女性こそが、白狼天狗の統領。真神露草なのだと。

 

露草は帯刀していた刀を連れの白狼天狗に渡すと、肘置きに手を置いて座布団に座り、聡士郎に目をやった。

すると椛は深くお辞儀をして、威勢よく口を開いた。

 

「申し上げます、犬走椛。真神露草様の命により、松木聡士郎を連れて参りました!」

 

「うむ。ご苦労。一度部屋から出ておれ。だが、また呼ぶかもしれぬ」

 

「はい!」

 

勢いよく返事をした椛は、正座から立ち上がり、一礼をすると部屋から出ていった。

 

「白狼天狗統領。真神露草だ。貴様の実力聞いている。何でも秋山剛牙を撃退したらしいな」

 

「はっ。それがし、里では名の知れた妖怪退治の専門家であります。しかしその報告は誤りかと。とどめを刺さず慢心いたしましたゆえ、私は敗北しております」

 

いつもより丁寧な言葉で、聡士郎は露草に話す。すると、面白いものを見るような目で露草は少し口元を歪ませた。

 

「慢心?違うだろう?…まあよい。貴様の流派を知っておる。だからこそ貴様を呼んだのだ」

 

「それはどういう意味でございましょうか?」

 

「貴様の持つ流派「不盾流」は身を守る流派。ちがうか?」

 

「はっ、ごもっともで」

 

「だからこそだ」

 

聡士郎は自然と、冷や汗が噴き出した。

 まったくもって、自分を呼んだ意図が見えない。もしここでいらぬ発言をして下手を打ってしまったら、命は無い。その為、聡士郎は口をつぐんだ。

 

「分からぬか。まあ良い」

 

一つ息を付き、露草は話に間をあける。

 

「私は回り道が好きでは無い。だから単刀直入に言う。貴様は『白狼の舞』という物を知っているか?」

 

「・・・いえ、それがしは存じておりません」

 

すると、露草はふふっと小さく笑い。態勢を崩した。

 

「だろうな。まあ無理も無い。人間は勿論、大半の妖怪も知らぬだろう。ま、簡単に言えば、白狼天狗に古くから伝わる舞だ」

 

「それとそれがしに何の関係が?」

 

「最後まで聞け。この白狼の舞は五百年に一度行われる行事だ。この舞は我が聖地、妖怪の山に住む神『岩長姫』を慰め、白狼天狗の繁栄とそれの感謝、そして同朋との絆を深める為の舞だ」

 

そう言うと、露草はため息を着いた。

 

「つまりな、最後の意味が肝心なのだ。白狼天狗は近年二分されている」

 

「そうなのですか?」

 

「ああ、大まかに言うと「穏健派」と「嫌人派」。この二つに分かれてしまった。その中でも得に人間を嫌う「過激派集団」はこの村から抜け、根城を作り上げたと聞く。秋山剛牙も、その一人だ。ちなみに我々は奴らを分断すべく、あの参拝道をもうけたのだよ」

 

忌々しそうに露草は言うと、髪をたくし上げた。どうやら新たな山の神達は、白狼天狗達が二分されていることを知っていた。そこであえて分断できるルートを決め、交渉を有利に進めたのだろう。

 

「なるほど…それがしはその過激派集団に襲われたのですか」

 

拳を強く握り、聡士郎は剛牙の事を思い出す。あの時自分は人間特有の弱さを出してしまった。だからこそ、奴に敗北したのだ。

 

「そうだ。黒い装束を着ていただろう?あれは黒狼隊と呼ばれている。それを退けたことは、まさに見込んだと通りであった」

 

「・・・謹んで発言いたす。つまり、それがしに・・・用心棒となれと?」

 

内容を理解し、導き出した答えを恐る恐る聡士郎は口にした。すると、露草は腕を組み、笑った。

 

「はははっ!八十点だな。そう言えばそうだが、実際は違う。舞に欠かせない舞姫。その候補者の護衛だ」

 

「護衛などそれがしがせずとも、他の白狼天狗に任せればよいのでは?」

 

腕っぷしに自慢のある白狼天狗など、ごまんといるはずだ。人間に任せるより、同種族に任せた方が閉塞社会である天狗達にとっては得策のはずである。何故人間である自分に頼らねばならないのか、聡士郎は理解ができなかった。

すると、露草は聡士郎の意思を読み取ったのか、補足説明を始めた。

 

「この『白狼の舞』を我々穏健派はなんとしても成功させたい。このまま二分された状態が続けば双方の勢力で小競り合い起き、それが激化する恐れがある。山の平穏を守りたい我々にとってそれはなんとしても避けたい。その為、切り札として貴様を招いた」

 

文句あるまいと言わんばかりに、露草は勝ち誇った口調で言った。

 

「まあ、本来。里まで使者を出して呼ぶつもりだったのだが、偶然にも貴様が山に登っていると報告を受けてな。手間が省けた」

 

「なるほど・・・ゆえに椛殿を仕向けたというわけですか。ですが・・・その件、それがしには荷が重い任かと。未熟者ゆえ、貴方達の力になれそうもない。申し訳ありませぬが、丁重にお断りしたいと・・・」

 

「貴様は嘘を付いている」

 

聡士郎は自分の評価を下げようと御託を並べたが、言い切る前強い口調で露草は遮った。その言葉の鋭さに、聡士郎は押し黙る。

 

「私が知らないと思っていたか?貴様は恐ろしいものを持っているだろう?」

 

「いえ、そんな」

 

「天狗に嘘は通用しない。貴様の瞳の奥には、殺しを躊躇わない化け物が潜んでいる。貴様の流派は二天流の派生だが、隠しきれていまい」

 

「・・・」

 

更に押し黙る聡士郎を見て、露草は得意げな顔をした。

 

「それに、ここまで来て貴様を生きて返すと思うか?それともかの流派で白狼天狗を根絶やしにするか?剣豪はかつて、とある名家を滅ぼしたと言うからな。だが我々も天狗。簡単に負けてやらぬぞ?」

 

「めっそうもない。我が流派は守りの流派。無意味な殺生はしませぬ」

 

「ならば交渉成立だな。我々に協力しろ。少なくとも春になるまでだ」

 

「・・・わかりました。その任、謹んでお受けいたします」

 

胸の奥から絞り出すような声で聡士郎は小さく返事をした。すると露草はにやりと口を歪ませ、連れの白狼天狗に目をやり、合図を送った。

 

「まあ貴様にはそれなりの待遇をしてやる。感謝しろ」

 

「ありがたき幸せ・・・。時に露草殿」

 

伏せていた顔を少し上げ、聡士郎は露草の顔色を窺いながら訪ねた。すると、露草は勝ち誇っている笑みを崩さず、「何だ?」と答えた。

 

「その・・・舞姫とはどのような人物・・・いや天狗で?」

 

この際、もう逃げ場はない。明らかに強引な事ではあるが、聡士郎は受け入れるしかなかった。なれば、その舞姫といち早く顔合わせをしたい。どのような人物かくらいは把握しておきたかったのだ。

 聡士郎の問いに露草は鼻で笑うと、連れの白狼天狗に目を配り、扉を開けるように命じた。

 

「この者が、舞姫候補の一人だ」

 

露草は扇いでいた扇子をパチリと閉じて、扉に向ける。すると、同時に扉開かれた。

そこに立っていたのは意外にも聡士郎が知っている顔であった。待っている間、暇であったのか人差し指を数回くねくね動かし、遊んでいた。

 異変に気が付いたのか、その人物もとい白狼天狗は顔を赤らめると、慌ててこちらを向いた。

 

「えっと、何でしょうか!」

 

緩んでいた顔を引き締め、きりっとした表情でその白狼天狗は露草に問う。

あの時、だから露草は待っていろと言ったのかと、聡士郎は理解した。

 

「紹介しよう。舞姫候補の一人、犬走椛だ。春までの間護衛を頼むぞ、松木聡士郎!」

 

「えっ!?」

 

何が起きたか理解できないのか、椛は戸惑いながらきょろきょろと周りを見た。そして、聡士郎に視点を合わせると、心底驚いたような顔をした。

 

 

閃牙殿を後にして、聡士郎と椛は村の街道を歩いていた。道行く天狗は聡士郎を凝視し、時には見下したような視線を取る者もいた。その大半は鴉天狗であるが。

 

椛は頬を膨らませて、機嫌が悪いことを表していた。ずかずかと前へ行き、まるで子供のようである。

 

もちろん、椛は露草に抗議を申し立てた。納得がいかないとか、他の候補者の護衛にしてくれとか、様々な抗議を並び立てた。

しかし、露草は「これは命令だ」と椛の申し立てを忌々しい虫を掃う如く、一蹴りしたのだ。これには流石の椛も歯向かうことができなかった。

 

露草は椛にいくつかの書類と聡士郎用の天狗衣装を渡して、板の間を去っていった。椛は少しの間ぽかんと固まると、ゆっくりと立ち上がり、無言で外へ出ていった。聡士郎はこの時、椛は人間をあまり好いていないと、薄々勘付いていた。

 

それから閃牙殿を出て、椛は一言も口をきいていない。どこへ向かうかも、何をしに行くかも聞かされておらず、聡士郎はとりあえず仕事をせねばと黙って椛についていった。

 

「あのっ!」

 

暫く歩いた後、椛は立ち止まり、振りむいた。その場で一礼をすると、聡士郎を見つめた。

 

「私は護衛なんていりません。舞姫候補も辞退しようと思っていました。だから松木様は、人里までお帰りください。私がもう一度、露草様を説得しますので」

 

「いや、それはできぬ相談だ。不本意ながら露草殿と契約をしてしまった以上、ワシにも意地がある。おぬしに煙たがられても、やらねばな」

「そんなの気にしなくていいです。逃げ出して人里に戻れば、安全じゃないですか」

 

人間だものと、椛は内心見下したような言葉を投げかける。その言葉が癇に障ったのか聡士郎は表情を歪め、椛を睨んだ。

 

「見くびるなよ?ワシも筋は通っている。途中で逃げ出すなど、武を重んじる身としては最大の恥だ」

「・・・」

 

微妙な表情をすると、椛はまた無言になり先へ行く。聡士郎も無言でそれに続いた。

 

 

それから更に歩き住宅通りに入ると、椛は一つの住居に足を止めた。その大きさは聡士郎が所有している家より一回り大きかった。表札には「犬走」と書いてあることから、ここは椛の家なのかと、聡士郎は感心したように見上げた。

 

「どうぞ、中にお入りください」

 

手招きをすると、椛は扉を開錠して玄関に入っていって行き、聡士郎もそれに続いた。

 

玄関の中は小ざっぱりとしており、唯一壁に箒が立て掛けてあるだけだった。石畳が敷いてあり、そこで椛は下駄を脱いで、廊下に上がった。聡士郎も続いて草履を脱ぎ綺麗にそろえて上がると、椛はそれを見て、どこか感心したような表情をした。

 

 聡士郎は玄関を物珍しく見ていると、部屋の奥から駆け足が聞こえ、誰かが走ってきた。

 

「お帰り師匠!お勤めご苦労様です!」

 

「只今戻りました。楓。いい子にしてましたか?」

 

「はい!薪割りも済ませておきました!今は夜に備え、晩酌の支度をしようかと迷っていたところです!」

 

楓と呼ばれた童は、心底なついた声で返事を返す。尻尾をふりふりと動かし、まるで忠犬の様であった。

見た目は小柄で児童程だが、白狼天狗であるため正確な年齢はわからない。後ろ髪を結っており、小刀を帯刀していた。

 

「それで・・・この人間は?」

 

先程の表情とは打って変わって、楓は汚いものを見るように聡士郎へ目をやった。

 

「申し遅れたな、ワシは松木聡士郎と言う。今日から春まで、舞姫候補である椛殿の護衛を行うことになった」

 

楓は聡士郎の挨拶を聞くと、血相を抱えた顔をして椛に問いただした。

 

「なっ!どういうことですか!僕は何も聞かされていません!」

 

「楓、それは後で説明します。私は着替えますので、松木様を居間に案内してあげてください」

 

落ち着いた口調で椛は言うと、楓はしぶしぶ了解した。

 しかし楓は横目でにらんでおり、先程から度々見せる不機嫌な表情から、この子も人間を嫌っているのだろうと勘づくと、聡士郎は肩身が狭くなった。

椛はそのまま奥に行き自室に入っていくと、楓は面倒くさそうな表情で聡士郎を居間へと案内した。先ほど椛に見せたような愛くるしさ無く、むしろ敵意をむき出しにしたように睨み付けている。

気まずいと思いつつも、聡士郎は目についた適当な場所に座ろうとした。すると、楓は跳ねるように飛び上がり聡士郎を蹴り飛ばし、罵声を発した。

 

「莫迦野郎!そこは師匠の場所だ!お前は庭にでも座っておけ!」

 

腰を抑えつつも、聡士郎は申し訳なさそうに謝罪をする。

 

「いや失敬。知らなかったのだ。しかし庭だと、居間ではないな」

 

「うるせぇ!人間には土がお似合いなんだよ!」

 

そう吐き捨てると、楓は座り込み、見下したように聡士郎に目をやった。

 

「だいたい何なの?護衛?お前強いのか?」

 

「・・・どうであろうか。自らの腕を語るほど、強くは無いと思ってはいるが」

 

「はぁ?じゃあなんでここにいるんだよ。死ねよ!」

 

あくまでも罵倒する楓に聡士郎もさすがに気分を悪くなり、少しだけ表情をしかめた。

 

「まあ、お前に決められるほど、ワシの命は安いと思っておらん」

 

「はんっ!人間の命なんてごみ屑同然だろうが!」

 

「ふふっ・・・弱い犬ほど良く吠えるとはよく言ったものよ」

 

 

聡士郎の言葉に楓は激昂したのか、顔を真っ赤にして小刀を抜き放つと、畳を一蹴りして聡士郎に飛び掛かった。しかし、聡士郎は瞬時に立ち上がるとそれを危なげに避けて、追風に手を掛けた。

 

「貴様!殺してやる!」

 

そう言い放ち楓が再び飛び掛かかってきた。聡士郎は致し方ないと判断すると腰を落として身構え、手を掛けていた追風の鯉口を切った。

 

「やめなさい!」

 

すると、着替え終わったのか、椛は腕を組んで二人に言い放った。羽織と天狗独特の装備を外しており、黒色の肌着一枚で、白狼天狗の基本装束時とは違う軽い格好をしていた。

 

「も、申し訳ございません!」

 

楓は顔を青ざめると小刀を投げ捨て膝を着き、深く頭を下げた。先ほどの威勢は無く、おびえた子犬の様にしている。

 

「まったく、騒がしいと思ったら・・・。松木様は私の『客人』です。無礼を働いたことに謝罪しなさい」

 

椛はため息をつくと、呆れた声で言う。楓は何か文句を言いたげな顔をしたが、蚊の鳴くような声で「ゴメン」と早口で言って、小さく頭を下げる。

脅威は去ったかと、聡士郎は構えを解いて、鯉口を切った追風を、そっと戻した。

 

「さてと、一応紹介しておきます。こちらは犬走楓。私の弟分です。最近白狼から転生したので、私の下で教育しています」

 

「なるほど・・・だからか」

 

ここ幻想郷では、老いた狼が稀に転生をする事がある。それが、白狼天狗なのだ。再び生を受けて天狗になると長い時を重ね成長していき、やがては一人前となって哨戒隊の席に着く。

つまり楓はその一人であり、椛の元へ修行として預けられたのだ。おそらく楓はまだ教養が少なく、子供のような振る舞いをしてしまうのだろう。

 

「ですが少なくとも、松木様よりは長生きしていますよ。転生前を合わせた場合ですが」

 

「人生の先輩と言う奴か。見た目は子供だがな」

 

「なんだと!表にでろ!」

 

犬の様に吠えて、楓は聡士郎を威嚇する。だが聡士郎にとって、小型犬が吠えているようにしか見えなかった。

 

「ふふっ・・・なんだかんだ言って、二人はもう仲がよさそうですね」

 

「それは本気で言っているのか…?」

 

思わず微笑む椛を見て、聡士郎はげんなりとした表情をする。

 

「さて、私はこれから夕飯の支度をします。松木様はくつろいでいてください。楓、行きますよ」

 

椛はそう言うと、台所へ向かっていった。

 

 

夕食が終わり暫く経った後、聡士郎と椛は縁側に座り晩酌を始めていた。月を肴にして酒を飲む、いわゆる月見酒という物である。

 

楓は食事が終わると、自らの知識を高めるために、兵法の本を読むと言って自室に戻っていった。白狼天狗は何も武術だけを極めるだけではないのだ。『ペンは剣よりも強し』と言うように、知識が無ければ強い戦士にはなれない。これは天狗に限らず、人間にでも該当するのだが。

椛曰く、白狼天狗には文学を得意とする者もいれば、数学を得意としている者も居ると言う。もっともペン――いわゆる学問に関しては鴉天狗には及ばないのだが、それでもペンに長けている白狼天狗はいるのである。ペンと剣を両立することにより、天狗の社会は大きく発展しているのだろう。

 

「松木様」

 

 ふと、椛は思い出したように口を開いた。

 

「なんだ?」

 

「その・・・黄昏時に失礼な事を言ってすいません」

 

椛はそう言って小さく頭を下げた。

 

聡士郎は何のことを言っているのかと、黄昏時の事を思い返した。そして自分の護衛から逃げ出しても良いと言った事だろうと勘付くと、困った顔をした。

 

「なに、気にしてはおらん。お主は人間が嫌いなのだろう?ワシも春まで精一杯邪魔立てはせぬようにする。それまで我慢してくれるか?」

 

「いえ!私は人間を嫌ってなどいません!」

 

「なに?そうなのか?」

 

驚いた表情で、聡士郎は言った。

 

「はい。そもそも私たち白狼天狗は基本人間を嫌っては無いです。むしろ友好的な関係を築いてきました。しかし、人々が度が過ぎた行為した場合は、警告してきました。それにより山と、あなた達人間の友好関係を築かせようとしているんです」

 

それが当たり前のように椛は淡々と語った。

 

彼女の言っている事は、間違いではない。白狼天狗は人と接する事が多かったのだ。

 その理由は、人々が太古から狩猟や森林の伐採を行っていたからである。生活に欠かせない物はすべて山にあったのだ。山はそんな人々に衣食住の恩恵をもたらし、友好的な関係を築いてきた。

しかし、人間はそれを良い事に欲を出し、環境を壊すことがある。時には森を焼き払い。またある時には土地を広げる為、無計画に森林を伐採する。

そこで山の守護者である白狼天狗達は遠吠えを行って威嚇したり、木陰から姿を現して追い払ったり、人間の私欲から起こる山の怒りを警告してきた。彼らは人と山とのつながりを守る為、これを太古からこれを行ってきたと言われている。

だが人里では『山に入れば恐ろしい白狼天狗が殺しに掛かる』と間違った解釈で言い伝えられていた。これは白狼天狗に警告された昔の人間が、悪い様に噂を流していらぬ尾鰭がついてしまい、最終的に天狗自体が鬼と同様、恐怖の対象となってしまったのだ。最近では子供が悪さをすれば、妖怪の山に置いて行くと、脅しもあるくらいである。

 しかし時が流れると現在の幻想郷の住人達や天狗は、その関係とは別の方向で友好的関係を築こうとしていた。狩猟区域の一部開放や、新しい神社の参拝道が設けられた事、鴉天狗が里に下りて新聞を配るなど、これらの行為はつい最近起きた事であり、人々は驚きを隠せなかったと言う。これも、変わりゆく幻想郷の改革かもしれない。

 

「むう。そういえば書籍に書いてあったな・・・。だが、現にワシは何もしていないのに襲われた。・・・それは警告だったのか?」

 

聡士郎の言葉に、椛は痛いところを付かれたと言った表情をした。

 

「そ、それは・・・主に過激集団が勝手にやっている行為です。彼らは元々、白狼天狗の中で極めて武術に優れた実力者達でしたが、ある日を境に突然行き過ぎた警告をするようになったと言います。天狗の悪い印象をさらに悪くしたのは、彼等ですからね。因みに私はまだその時修行中の身でして、昔何があったのかは詳しくは知りません」

 

曇った表情をしながら、椛は静かに言った。

 

聡士郎はそんな椛を見つめた後、目線を外し酒の入ったお猪口を口に運ぶと、椛に笑いかけた。

 

「まあ、お主には嫌われていなくて良かった。これでワシも心置きなくお主の護衛を務められそうだ」

 

「そうですか」

 

小さく椛は呟くと、立ち上がり庭に下りた。どこかせつなげな表情で月を眺めると、聡士郎に振り向いた。

 

「これからよろしくお願いします。私も覚悟を決めました」

「覚悟・・・?まあいい。改めて宜しく。だな」

 

一つ聡士郎は失笑すると、残りの酒を飲み干した。


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