白狼の舞   作:大空飛男

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決着

木造の扉を静かに開くと、聡士郎は閃牙殿の中へと入っていった。月明かりも満足に入らず薄暗い中、一度来た際の記憶を頼りに廊下を歩いてゆく。

 

天来寺正面門は直属の衛兵が目を光らしている為、閃牙殿の近くまで行くとそこの壁をまるで忍びの如く上り、中へ入ったのだ。壁の上にある有刺鉄線により多少の傷を負ったが、衛兵隊正装を着ている為、部分的に保護されるので大した負傷はなく、それに加え高ぶる気持ちを身に孕んだ聡士郎にとっては蚊に刺された程度にしか感じなかった。

 

 閃牙殿の中は思った以上に静かであり、聡士郎は違和感を覚えていた。

確かに真夜中ではあるが、見回りすらいないとはどういうことなのだろうか。ここは言わずと白狼天狗本拠地でもあり、自分のような侵入者が入ってきたらどうするつもりなのか。それに、かすかな血の臭いを感じていた。

 

だが、そんなことはどうでも良い。今は椛の安否を確かめる必要が、最優先事項である。聡士郎は最悪の事を考えると無性に血が騒ぎ立て、それを懸命に抑えていた。

 

それから椛が軟禁されている部屋を探しつつ、聡士郎は手あたり次第に部屋の襖や障子を開けてゆく。だが、あるのは長机だけであり、時には右筆が忘れたであろう筆転がっている。聡士郎は次第に苛立ちを感じた。

 

しばらく廊下を歩いていると、聡士郎は中庭に出た。

 

この閃牙殿は珍しく、御殿であるのに縁側に囲まれるように、その中央には中庭がある。そもそも、御殿と言うものは身分の高い者が住む屋敷であり、ここは人が住む気配がしない。つまりは名だけの物であるのだ。

 

奥には、かつて自分が露草に護衛を命じられた時の部屋がある。

 

もしやあそこかと、聡士郎は思いたった。

 

空を見上げると、満点の月が中庭を照らしていた。今宵はどうやら満月であったようだ。聡士郎は椛を想い無我夢中で天来寺まで来たゆえ、気が付かなかったのである。しかし空には所々雲がある事から、すべての星が見えるというわけではなかった。

 

風に流される雲により、一瞬月が隠れた。それにより光は遮られ、暗闇となる。

 

「・・・来たか。松木聡士郎よ」

 

その時、ふと聡士郎の立つ縁側の向こうから、自分を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

「・・・銀杏木迅兵衛。ワシが来ることをわかっておったか」

 

「いや、そろそろ来るだろうと私の持つ勘が働いたのだ」

 

雲が月を過ぎると、次第に向こう側にいる迅兵衛の姿が現れてゆく。体には返り血が飛んでおり、すぐさま穏やかではない空気が漂う。

 

「誰を切った?」

 

身構えつつ、聡士郎は低く言葉を出して問う。

 

「・・・諜報隊員の犬原賢狼をだ。奴は役目を終えたため、殺した」

 

「衛兵隊員である故、お役目の為に聞く。お主の目的は・・・なんだ」

 

迅兵衛は聡士郎の着衣している服を見ると鼻で笑う。

 

「一方的に質問をしてくるな。・・・まあ良い。冥土の土産にすべてを語ってやる。どうせお前を殺すつもりでいた。実を言うとな、お前を殺さなければおちおち眠ることができないのだよ」

 

一つ息を吸って迅兵衛は間をあけると、口を開いた。

 

「私の目的は一つ。天狗を・・・いや、妖怪を再びあるべき姿に戻すことだ」

 

思いがけない答えに、聡士郎は緊張感を解かず、驚いた。

 

「な・・・お主の私欲の為ではないのか?縞枯一派を復興させることでは・・・」

 

「どこからそんな、くだらぬ情報を仕入れたのだ?」

 

失笑して、迅兵衛は聡士郎を見た。

 

「確かに私はかつてそれを望み、成し遂げようとした。だが、今はもうそんなことはどうでもよいのだ。この危機を知ってしまえばそうもなる。故に村に残した一派の連中は所詮おとりにすぎず、嫌人派すらも私の思惑を果たすための道具にすぎぬのだよ」

 

それを聞き、聡士郎は思わず困惑した。祖父と母が残した仲間、自分が所属している派閥すらも、この男は切り捨てるつもりだったのだ。それほどまでに、この男は冷酷であるのか。

 

「・・・貴様もわかるはずだ。いまの母なる地、この幻想郷は腐敗しきっている。人は妖怪を恐れなくなりつつあるのだぞ?そればかりか、妖怪と人間は共に歩もうとしているのだ。まったく、たわけた話だ。人と妖怪は相交えぬ存在。相殺しあう仲なのだ。それを曖昧にしたのは、現博麗の巫女、博麗霊夢が定めた規約『スペルカードルール』。そして、基盤と作り上げた先代の所為でもある。だから私は・・・神の宣託である『お告げ』を頼るほかないと思った。少なくとも我々白狼天狗はお告げの方針で動く。故に我々が残虐非道となれば、他の不服を持っている妖怪も同調するだろう。そうすれば規約など無視して、再び双方の関係が修復されるのだ!」

 

思わず聡士郎は、迅兵衛の考えに同調してしまった。

 

もともと自分はその双方の関係により、生き方が成り立っていた。それに、迅兵衛の絶対的保守思考は、本来人と妖怪のあるべき姿である。時に恐れ、時に認め、それが歴史が証明してきた結果である。

 

加えて、聡士郎の職を追われたのは言うまでもなく『スペルカードルール』が定められたからであった。当時定められたこの規約を聡士郎は受け入れられず苦しんだのだ。

 

そして何より、聡士郎が最も苦しんだ理由は『先代から彼女を見守ると約束したが、彼女が自ら十手持ちを切り捨てるようなことした』である。

 

だからこそ、聡士郎はこの『スペルカードルール』に不満を持っており、迅兵衛の考えに少なからず同調してしまったのだ。もし迅兵衛の思惑が通れば、ずっと信じてきた剣を振る事に迷いはなくなり、純粋に十手持ちとして仕事を全うして死ぬことができるのかもしれない。

 

「確かに、お主の言いたいことはわかるのだ・・・。だがワシはそれを受け入れた。ワシらのような古い考えを持つ生き物は、時代という波に乗れぬ。しかし乗らなければ生きてはいけぬのだ」

 

今となってはこれで良いのかもしれない。

 

同調したとは言え、聡士郎の心はすでに固まっていた。

 

このルールが定められなければ自分はここにはおらず、むしろ迅兵衛が望むように春吉と。文と。桔と。楓と。そして椛と、殺しあう仲になっていたかもしれないのだ。だがそんなこと、できるわけがない。

 

かつて先代が聡士郎に教えた事、それは『共存』だった。当時の聡士郎はその意味を理解できなかったが、今でこそ、その教えは身に染みて理解していた。ゆえに不満を持ったとしても自らに言い聞かし、納得することができたのだ。

 

おそらく、迅兵衛は心底悪いやつではなかったのだろう。妖怪の在り方を自分なりに危惧し、解決策を練った。だが、人の巡り会わせにより彼の考えは歪み、意固地になり、今に至るのだ。もし先代との出会いがなければ、自分もこうなっていたのかもしれないと聡士郎は切なくなった。

 

「やはりお前とは、理解し合えぬようだな・・・」

 

迅兵衛はゆっくりと首を振ると、身構え、柄に手をかけた。

 

「・・・迅兵衛よ、何故受け入れない。お前こその思いがあるのならば、有益に天狗を導けるはずであろう。この大莫迦者めが!」

 

「言いたい事は・・・それだけか?」

 

「・・・うむ。銀杏木甚兵衛よ、お前は今後の幻想郷の障害となる故、ここで成敗いたす。覚悟しろ!」

 

 二刀を抜き放ち、聡士郎は中庭に降りた。そして迅兵衛も、柄に手をかけ身構えたまま降り立った。

 

 

 両者は力なく、地に立っていた。

 

 切り合いは、始まってすらいない。むしろ二人とも一切動いてはいなかった。

 

 武に携わっていない人間が見れば、おそらくこう思う。

なんて静かなる空気なのだろうと。

 

しかし、常に両者は線を取り合っている。

 

以前戦った時よりも、二人の物腰はゆったりとしている。言わずと殺気は出していない。これが切り合う者同士の鬩ぎ合いなのだろうか。

 

だが、これこそが武の理である。心に常余裕を持たなければ勝つことなどできないのだ。荒れた心や過剰に慢心するのは、絶対的な力を持っていたとしても殺し合いの世界では長くは生きられない。言語道断である。

 

両者の距離は、絶妙と言わざる得ないほど徐々縮まって行く。

 

聡士郎の構えは以前と同じくぶらりと両腕を下げており、迅兵衛もまた、以前と同じである。

 

唯一違う点と言えば、聡士郎が両目を閉じている事であろうか。

 

鎖鎌の陰爪と剣を交えた際、確実に聡士郎は何かを掴んでいた。

それは心眼。霊魂修行を再び行い、最も身に着けなければならないと言われた彼の目指す心理である。

風の音。虫の声。波立ち石に当る小池の水。そして迅兵衛の息遣いや鼓動すらも聞こえていた。

 

お前はすべて見えている。聡士郎はそう心に言い聞かせ、自らに余裕を作っていた。故に、物腰柔らかく、無駄に力まず、どっしりと構えることができているのだ。

 

―どうした、迅兵衛よ。困惑しているのか。

 

心の中で、聡士郎はつぶやいた。迅兵衛の動きはどこかぎこちないと感じたのだ。

 

その予想は当たっていた。だが、迅兵衛は困惑しているわけではなく、先ほどの会話で高ぶる気持ちを抑えられずにいたのだ。

 

とは言うもの、やはり白狼天狗の剣豪。迅兵衛から感じ取れる思いは、聡士郎の持つ余裕の雰囲気さえも、押し返していた。これが、人の理と白狼天狗の理の違いであろうか。

 

二人が踏み込めば届く距離まで近づくのに、数分が立った。

 

そして、ついに動き出す。

 

迅兵衛が歩むほんの一瞬の隙を見逃さず、聡士郎は左足を蹴ると大きく踏み込みこむと右手の追風を振りかぶり、体を傾け袈裟切りを放った。

 

それを迅兵衛は、身をひるがえして避けた。しかし聡士郎は左手の衣川も袈裟切りを行い、追撃を行う。白刃きらめき、迅兵衛へと刃が向かう。

 

キィンと、鈍い音が響いた。迅兵衛は鯉口を切り迅雷丸を半身抜いてそれを受けたのだ。衣川は小太刀である故、威力が乗らない。刀を使い受けるのは、妥当な判断であろう。

 

それともう一つ、迅兵衛はまるで滑らすように、それを流したのである。

 

受け太刀は非常に高度な技術を持っていなければ、行うことが難しい。刀とは言わずともろく、まず刃で受けるなどもってのほかである。もし刃で受ければいとも簡単に刃はこぼれ、鈍と化すのは想像できるだろう。つまり迅兵衛は迅雷丸の峰で衣川の鎬を使い、滑らすように受けたのだ。

衣川は古刀と呼ばれる部類であり新刀に比べれば段違いなほど固くはあるのだが、それでも衣川は大きく傷んだ。刃がこぼれなかっただけましであろうが、聡士郎の体には痛みが走った。おそらく衝撃が、体にはじき帰ってきたのだろう。

 

迅兵衛は衣川を受け切るとそのまま地を蹴り後ろへ下がる。しかし、聡士郎は追撃せず、その地でとどまった。深追いをすれば、おそらくは居合で両断されると見越したからだ。

 

現に迅兵衛は着地と同時に居合体勢に入っていたため、読みは当たっていたといえる。

 

 ―みえているとは言え・・・やはり居合はやりにくいわい。

 

次に、聡士郎は追風を上段に構えると、衣川を迅兵衛に向け構えた。攻と防を兼ね備えた構えである。

 

迅兵衛はそれを見ると、顔を一瞬ゆがめた。おそらく厄介であると迅兵衛は思ったのだろう。

 

両者共々偏屈な剣技である故、やはり思いは一緒であった。

 

 「妖術は、使わんのか?」

 

 ふと、聡士郎は口を開いた。以前の迅兵衛は距離を開けると妖術を使ったが、その素振りを見せてはおらず、思わず聞いたのである。

 

すると、迅兵衛は身構えたまま答える。

 

「今のお前に使えば、不利になる」

 

「そうか」

 

聡士郎が小さくつぶやくと同時に、迅兵衛は地を蹴って迅雷丸の鯉口を切った。

 

抜刀時に起きるわずかに起きる風を肌で感じると同時に、聡士郎は追風を振り下ろし、迅雷丸をはじき落そうとした。

 

だが、それは誤りであった。

 

迅兵衛はそのまま体をずらして、振られた追風をいなすと切り替えし、振りかぶった。

 

聡士郎は咄嗟の判断で、背中をぶつける為に両足を蹴り、迅兵衛に突進した。迅兵衛は振り下ろす状態から懐に入られ、踏みとどまった。

 

「ぐおっ、小癪な!」

 

驚いたのか、迅兵衛は思わず声を上げた。

 

それからほんの数時、密着状態で間が空く。

 

聡士郎は追風の柄で思い切り迅兵衛の横腹を殴った。いくら腹筋を鍛えようと、わずかに尖っている追風の柄で殴られれば激痛が走るだろう。

 

だがその刹那、迅兵衛は体を動かし、それを避けた。わずかに空間が開くと、迅兵衛は刀の元で切りかかる。

 

それを聡士郎は追風で弾き飛ばすと、再び二人に間が空いた。

 

追風は絶対に折れず、刃もこぼれない。故に聡士郎は思わず追風の刃ではじいたが、大した支障にはならなかった。

 

「お主・・・銀杏木流抜刀術ではない技を使っているのか?」

 

通常に刀を振るった迅兵衛に聡士郎は違和感を覚えていた。

 

かつて聡士郎が戦った際に、銀杏木流抜刀術は精神を一撃に乗せる剣技であることを、聡士郎は把握していた。

 

だが、今回はまるで違う。基礎は抜刀術であるようだが、切り替えしの技が圧倒的に確立されている。つまり、銀杏木流抜刀術ではないのだ。

 

「・・・貴様も不盾流ではないだろう。つまり私もそういう事だ。縞枯流剣術・・・これが私の使う真の流派。もっとも、公で使うことはできまいがな」

 

「やはり受け継いでいたというわけか。堕落した天狗の流派を・・・」

 

「ふん、ぬかせっ!」

 

迅兵衛は叫ぶと、腰にさしていた鞘を左手で抜いて、それを聡士郎に向け構えた。よく見ると、その柄は部分的に鉄で覆われており、鈍器としてみることができた。

 

「その鞘・・・そういうことか」

 

「この迅雷丸。かつて叔父上が使っていた物・・・縞枯一派の真髄を教えてやる!」

 

そういうと、迅兵衛は鞘で殴りかかった。柄は迅兵衛の剛腕で風を切り、びゅおんと音が響き、聡士郎へと向かう。

それを聡士郎は容易く避けるが、瞬時に右手の迅雷丸が聡士郎に襲い掛かった。

 

荒々しい振りではあるが、思わず聡士郎を困惑させた。

 

―二刀も使えるのか、こやつは!?

 

 迅雷丸を追風ではじくが、間髪なく鞘が襲ってくる。思わず鞘も追風で撃ち落とすが、迅雷丸が逆袈裟切りで聡士郎の腹部を狙う。

 

 ―まるで・・・昔のワシのようだ・・・。

 

 剣と鞘を避けつつ、聡士郎は自分と重ねていた。

 

 過去に聡士郎が使っていた霊魂夢想流は、二刀と一刀を使い分ける剣術であった。だが聡士郎は霊魂夢想流その物の剣術と理を嫌い、一つに絞り込むことを前提に考え、不盾流を開いた。しかしそれも間違いであり、逆に双方を自然に使う事こそが、自分の求めていた道理であることに気が付いた。故に現在の盾無流は、双方に問わられなくなり、全身にゆとりを持つことで心眼を開く事ができたのである。

 

 今の迅兵衛は、自分が霊魂夢想流を使っていた際に大きく似ていた。居合から二刀まで使い分ける事こそ、この剣の理なのだろう。

 

 そのことに気が付くと縞枯流剣術に対する嫌悪感を抱いてしまい、聡士郎は張っていた意識を一瞬跡切れさせた。

 

それを迅兵衛は見逃さなかった。

 

 刹那、聡士郎は身をたじろいだ。咄嗟に顔を引っ込めたが、何か熱いものを感じたのだ。

 

 ―切られた・・・か!

 

鼻の頭から深く切り込まれた跡が聡士郎の顔に刻まれ、そこからは鮮血が流れだした。

まるで追いかけるかの如く、迅雷丸の剣先が聡士郎の顔を舐めるように切ったのである。いわゆる追い切りというべきであろうか。

 

「左目はもう使えまい。もっとも、今のお前には不要だろうがっ!」

 

迅兵衛は勝負に出たのか、力強く精密に刀と鞘を振る。

しばらく聡士郎は豪快かつ繊細なその振りを避けつづけ、時にはいなした。

 

だが頭は動いても、体には限界がある。故、次第に手首がしびれはじめ、聡士郎は次第に振る気力が失われつつあった。

 

ここで気の線を緩めてしまえば間違いなく命はない。聡士郎は肉体の危険信号を無視し続け、迅兵衛の攻撃を懸命にいなし続けた。

 

そしてついに、聡士郎の持つ追風が迅雷丸によって弾き飛ばされた。即座に聡士郎は距離を取ろうとするが、それではあまりにも遅すぎる。意思のある行動こそ、武術においては大幅な遅れをとってしまうのだ。故に、肉体にしみ込ませた無意識による行動を聡士郎は願うしかなかった。

 

「終わりだ!」

 

それでも勝ちを確信して、迅兵衛は鞘を聡士郎の頭上に向け振り下ろした。剛腕による威力の鞘を頭で受ければ頭蓋骨は砕かれ、脳まで潰すだろう。

 

このまま死ねば、楽かもしれない。

 

他種族である天狗達に、自分は肩入れしすぎた。そもそも自分は人間であり、こんなことをやる意味はないのだ。

 

だがそれでも、聡士郎の眼は光を失ってはいなかった。

 

―お前の理は、間違っているのだ!

 

汚れた剣技に、守る思いを込めた盾無流が負けるわけにはいかない。聡士郎はただそれだけを胸に、無心で衣川を両手で持ち直して体を逸らし、鞘をいなした。

 

そして、迅兵衛の左腕を削ぐように切りつけた。骨までは小太刀である故に断てぬが、肉を落とすには十分すぎる威力であった。

 

驚きにより勢い余ったのか、迅兵衛は体勢を崩した。そして同時に、聡士郎と距離を取る。

 

「ぐぉぉ・・・ぬかったか」

 

うめき声のような声で、迅兵衛はつぶやいた。強烈な痛みが腕から体へと伝わり、鮮血は腕からあふれ出している。

 

おそらく治療しなければ長くはもたないだろう。

 

だが、迅兵衛は鞘を落とさず、大きく息を吐くと体勢を立て直し、聡士郎へと向かい立った。

 

その歪んだ顔から察するに、妖怪の道を信じ執念のみで動いているようだった。それはもはや天狗ではなく、鬼のような厳めしい顔つきである。

 

 ―まだやるか・・・!

 

聡士郎は飛ばされた追風を拾い上げて、再び二刀を上下に構えた。

 

また、迅兵衛も大きく息を吸うと、迅雷丸と鞘を構え、両者のにらみ合いが始まった。

 

二人の気を煽るかのように強い風が吹くと、双方は同時に、覚悟を決めた。

 

同時に足を少し動かし、いつでも飛び込めるように身構える。そして両者ともに硬直した。

 

これが、最後の一手になる。

 

先に仕掛けたのは、迅兵衛であった。聡士郎もさすがに疲れが体に来ており、その息遣いの粗さから、隙を見出したのだ。

 

高ぶらせた意思を剣に乗せ、抑えきれずに放出した爆大な殺意が、聡士郎に襲い掛かった。

 

―くっ、奴の体力は底なしか!

 

聡士郎も迅兵衛の足並みに合わせ、前に出た。

 

しかし。それは明らかに遅い。先を取られ、体力的にもはや限界であった。これが、天狗と人間の根本的な差であるのかと、聡士郎は奥底で妬んだ。

 

だが、その瞬間だった。

 

「むおっ!?」

 

上りゆく太陽の光が直接、迅兵衛の目に入ったのだ。それにより思わず、迅兵衛は攻めに迷いを作った。

いつしか長き夜は終わりを迎え、朝になったのである。気が付けば周りが薄く明るくなっている事から、剣戟からすでに三時間程度は経っていた。

 

天が作り出したその隙を、聡士郎は見逃さなかった。

 

―覚悟っ!

 

それは心の声だったのか、口から出た叫びなのかは分からなかった。聡士郎は思いきり追風を振るい、右袈裟切りで迅兵衛の体を深く切りつけた。

 

奇しくもその切り傷は、かつて聡士郎に迅兵衛が刻んだ傷と同じものであった。

 

「うぐっ・・・」

 

腸が飛び出して、よたよたと流れるまま、迅兵衛は後ろへ歩んだ。

 

「て・・・天は、私を・・・見捨てたか・・・」

 

とぎれとぎれに迅兵衛は言うと、どさりと中庭に倒れた。そして動かなくなった。

 

聡士郎は鮮血飛び散り、腸をぶちまけている迅兵衛を見下ろすと、つぶやいた。

 

「迅兵衛よ、お前は天を・・・いや神を侮辱したのだ。石長姫は、お前に天罰を下したのだよ」

 

そういうと聡士郎は追風に付着した血を振るい飛ばし、閃牙殿の奥を見た。

 

椛はおそらく、この先にいるのだろう。迅兵衛の言葉を思い出すとおそらく、椛は催眠をかけられている。故、護衛を解任されてもなお、聡士郎は守れなかった事に対して罪悪感がこみ上げてきた。

 

もう少し早く気が付いていれば、ひどい目に合わなかったのかもしれない。どのようにして洗脳されたのかは不明であるが、おそらく迅兵衛は手荒なことをしたのだろうと、容易に想像がついた。そう思うと自分はなんと情けなく口だけであると、聡士郎は悔いた。椛を守る事こそが、いま剣を振るう理由ではなかったのか、彼女を守るために、盾無流を開いたのではないのか。

 

「くっ・・・椛・・・!」

 

聡士郎は情けなさを噛みしめると、衣川と追風を帯刀し、そのまま走り出そうとした。

 

だが、その刹那。聡士郎は背中に強烈な違和感を覚えた。

 

「かっ・・・な、なんだと・・・?」

 

その無機質な違和感は、水月からへその間から突き出していた。

 

「ぐっ・・・天は・・・神は私を見捨てたとしても・・・貴様は・・・ここでっ!うぐっ・・・」

 

後ろから聞こえた声は、倒したはずの迅兵衛であった。削がれていない右腕で迅雷丸を持ち、聡士郎を突き刺したのだ。

 

いや、厳密にいえば死んでいなかった。腸が出ていたとしても、即死というわけではない。つまり迅兵衛は一矢報いようと執念により、途絶えた意識を取り戻したのだ。

 

迅兵衛は最後、にやりと満足げに笑うと力なく迅雷丸を手放し、仰向けに倒れた。そして、二度と動かなくなった。

 

「ぐぐぐっ・・・さ、最後のさいごに・・・慢心をしたか・・・ごほっ・・・」

 

 血液がのど元まで来て、思わず聡士郎は吐血をした。

 

しかし懸命に動き、椛が軟禁されていると思われる部屋にたどり着こうと、縁側を上る。

 

死ぬ前にもう一度、椛の顔を見たい。聡士郎は一つ、歩みを進める。

 

願わくはもう一度、彼女に触れてあげたい。また一つ、前へと歩む。

 

この胸の思いを、はっきりと伝えてやりたい。力強く、もう一歩を踏み出す。

 

だがそれを阻止するように、徐々にから力が抜けて行き、意識が遠のいてゆく。

 

四歩目を踏み出そうとすると、聡士郎は足を踏み外し、横向きへと倒れた。必死に起き上がろうとするが、もはやその力すら残っていない。

 

「・・・もみ・・・じ・・・」

 

やがて聡士郎の意識は途切れたのであった。

 

 

 どこまでも漆黒の色が続く中、聡士郎はふと目が覚めた。

 

あたりを見渡しても、闇が永遠と続いている。そこで聡士郎は困惑する心を落ち着かせようと、胡坐をかいた。

 

 そして、これが冥府かと聡士郎は納得した。

 

ここには自分しかおらず、暗闇に押しつぶされそうになり、虚しさと寂しさが精神的に追い詰め、虚無感に陥る。

 

 だが、それと同時に聡士郎はある事を思い出していた。

 

それはかつて自分が五歳の頃、鞍馬と出会い、初めて霊魂修行を行った際の事である。

あの時まだ幼子であった聡士郎が行った霊魂修行は、この虚無感にも耐えうる精神と同時に、魂の完全なる離体を行うための修行であった。理由は幼き頃故に分からなかったが、今となっては肝を据わらせるための下準備のようなものだったと、聡士郎は理解している。

 

もっとも、そんなことを思うにも死んでしまった以上、それはすべて無駄となる。これまでどれだけの命を奪ってきたかと思い返せば、自分は間違いなく天国には行けず地獄へ行く事となるだろう。そして罪をすべて返済した後、輪廻転生をして松木聡士郎とは違う生物として生まれるのだ。

仏教の事は疎かった聡士郎であるが、このような考えが人里では一般常識であった。

 

そう思うと、これまでの記憶や経験がすべて失われる。修行により何百年間も体感し、多くの経験を積んできたが、それがすべて失われると思うと無念のみが、全体を駆け巡るのである。

 

 あらゆる感情に左右される中、聡士郎を笑う声が聞こえてきた。

 

 「聡士郎よ、何を恐れておるのだ?」

 

 その嗄れ声は、聞き間違えるはずもない。振り返るとそこには、鞍馬天狗こと魂魄妖忌が愉快そうに立っていた。

 

「鞍馬様?なぜこのようなところに?」

 

純粋に疑問を投げかける聡士郎を、鞍馬はさらに笑い飛ばした。

 

 「どこもなにも、ここは霊魂修行の場ぞ?」

 

「なっ、それがしは死んだのですぞ?」

 

あの時、確実に自分は死んだはずである。

水月と臍の間を迅雷丸で一突きされたのだ。普通の人間であれば死は免れない。仮に生きていたとしても、すぐに事切れるだろう。

 

聡士郎が困惑している姿を見て、妖忌はにやにやと笑い、口を開いた。

 

「お前は昔から鳥頭だのう。かつてお主に教えたことを忘れたのか?魂と肉体の離別。これこそが、霊魂修行の理だろうに」

 

「それは重々承知・・・。しかし死んでしまった以上、魂は冥府へと送られるとも言っていたのではありませぬか」

 

「確かにそうとも言った。だが、儂はどうであろうか?この通り生きておるぞ?」

 

その言葉に、聡士郎は押し黙った。

 

確かに、魂魄妖忌はこうして長らく生きている。生きているといっても半分は魂であるが、それでも肉体は普通に血が通い、体温もある。食事をとらなければ腹も減るし、水分を取らなければのども乾く。つまり、ほぼ生きているといっても過言ではない。

 

聡士郎が押し黙っていると、妖忌は言葉を続けた。

 

「儂はな、とある想い人を守るため、こうして半人半霊の身となった。儂はこの歳の体になるまでにどうにかして、その想い人を守るために修行を積み、悟りを開こうとした。そしてたどり着いたのが・・・霊魂修行であったのだ」

 

妖忌は一つ息をつくと、黙り込む聡士郎を見て再び話をつづける。

 

「魂には時の概念は存在しないと儂が教えた故、お主も重々承知であろう。当時の儂はそこに気が付いて、生き残る確率を見出した。それは魂であるにもかかわらず、肉体を持つ事であったのだ。即是、死とは尊く、近き物であり。死神にも目をつけられず生の理をも無視できるのだ」

 

「つまり・・・肉体が死すとも魂が生きていれば、それがしは再び・・・?」

 

「輪廻転生から逸脱するには、悟りを開くほかあるまい。だが、我々はあくまでも剣豪。故に仙人たちとは違う方法で、我々は悟りを開く必要がある。それが魂と肉体の離別。故に儂は、長きにわたる生を受けることができたのだよ」

 

「ではっ!どのようにあなたのような・・・半人半霊の身となれるのですか!教えて頂きたい!」

 

妖忌の言葉に、聡士郎は立ち上がり、言い寄った。

 

すると、妖忌はため息をついた。

 

「だから、お主は鳥頭なのだ」

 

「・・・な。何を?」

 

「既にお主は、その身となっているのだぞ?」

 

その言葉に目を見開き、聡士郎は自分の体を見た。しかし、それは全く変わらず、普段通りの自分の姿である。

 

「既にその身となっているお前は、どのようにして現世へ戻るか。それを考えるのだな」

 

そういうと妖忌は聡士郎の前から姿を消したのだった。

 

 

 過激派集団を縄に掛けた後に、桔は聡士郎と迅兵衛の末路を知ると、露草へ嫌人派の企みを報告した。

それを聞くと、露草はすぐさま対策するようにと命を出した。いわく露草は迅兵衛が何かしらの悪事の為に動いていたことは知っていたらしく、ひそかに準備を進めていたというのだ。

真っ先に行われた事は椛の催眠の件であり、専門の妖術師に術を解かれ、正気を取り戻した。先に記述していた二種の毒物は記憶障害の作用もあるため、記憶があいまいであった椛はすぐさま医師に治療を施された。幸いにも大事には至らなかったが、そもそも天狗には一時の効果しかない毒を盛られた故に、その心配はなかったといえる。

 

次に、迅兵衛に手を貸したと思われる人物は幹部や長官など関係なく、即座に縄をかけられた。彼らは意外にも潔く縄をかけられ、中には既に命を絶っている者もいた。おそらく迅兵衛の存在がなくなった今、頼れるものがいなくなった為であろう。

 

縄をかけられた中には当然犬伏家も含まれていたが、柊による密告により、ひどいお沙汰は受けなかった。柊は犬伏家の顔に泥を塗った為に家から勘当されたが、彼女は犬伏家その物を胸の内で嫌っていた故に、生々していたという。

 

また、嫌人派幹部の処罰は内密に処理され、公にされることはなかった。しかし家系の名に傷をつけたことは変わらなく、挽回の為か悪事に関わった者たちは態度を一変させ、仕事に励むこととなった。思考は変えてはいないが、それでも働きぶりは一遍したという。

 

このように舞の裏では多くの暗躍が渦巻いていたが、そのすべては露草の賢明なる働きで公にすることはなく、闇に葬られることとなった。もっとも、これこそ公にすれば村を混乱に招き入れる故、得策であったと言えよう。

 

 さて、先の件はすべて舞の前日に行われた事であった為、日にちを改めたいと言いたいところではあるが、舞には決められた日にちのみしか行えない掟があり、それはできなかった。

 

そこで露草は椛の身と失敗を案じ、掟を破り何とか先延ばしにしようと、頭を抱えることとなった。舞姫を万全な調子にしなければ舞で失敗した時の代償は大きく、舞そのものを冒涜した罪で、最悪椛は死刑となる可能性があったのだ。

 

しかし、舞を踊る張本人の椛が、先延ばしにすることを拒否した。

 

露草は椛に無理はするなと指摘をしたが、椛は露草に直接意見をしに来てそれを否定したため、その覚悟に負けたのだった。

 

 

 そして、ついに迎えた白狼の舞翌日。

 

 

過去の舞に比べてより多くの見物客に見守られる中、椛は舞う事となった。

 

 見物客の中には新たに山の神の一員となった守矢の神々に加え、多くの大妖怪も出席をした。理由の一つとして過去の山にはいなかった大妖怪達が、外の世界で居場所をなくし山に移住したためこの五百年間で激増したからである。故に天狗たちは今後の関係を温厚にすべく、招待したのであった。

 

加えて、天狗全ての統領である「天魔」も、出席をしていた。

 

天魔とはまさに天狗の大統領と呼ぶのにふさわしく、白狼や鴉共々の統領でさえ、気軽に謁見できない存在であった。そもそも格種族を管理する大天狗でさえ、出会えば即座にひれ伏す事しかできず、まさに根本的な天狗社会の頂点に立つ存在である。

 

過去に行われてきた舞の内容は、大天狗の中でもさらに選りすぐりの人材が天魔へと口頭で伝えると決まっていた。天魔の存在は、下端の天狗達が謁見する事は極めて無礼なこととされており、いわば、かの将軍のような扱いを受けていたのだ。

 

しかし、今回の行われる白狼の舞はどういうわけか、天魔が席を設け直接見ると決まり、上級官職の天狗達では大騒ぎとなった。これは、種族始まって以来の事であり、天魔の存在を内密にすべく、鴉天狗達への報道規制が行われた。

 

故に恐縮すること強いられていたすべての天狗達であったが、天魔の計らいにより今日だけ騒ぐ事を許されると、舞は華やかに行われる事となった。天魔曰く、「折角の祭りを騒がないとは何が祭りか」と、本人すらも楽しみたい様子であったのだ。

 

こうして白狼の舞は大々的に行われ、終わりを告げることとなった。

 

お告げの内容は言うまでもなく、『引き続き穏健に人と接しよ』であり、白狼たちはそのお告げに従う事となったのだった。

 

 

それから、半年が経った。

 

巷では大地震が度々起きる異変が起こり、それを解決すべく博麗の巫女が山を登ったことが、話題となっていた。

 

いわく、異変の首謀者は大地震を起こしたことにより博麗神社を倒壊させた為、巫女の逆鱗に触れたという。そして行く先の妖怪や人間に聞きまわり、山のさらに上である天界へと足を運んだのだ。

 

巫女であれど、人間とは変わらない。そこで偶然、記事を求めて山を飛んでいた射命丸文が応戦したという。

 

結果は敗北であった。軽い怪我で済んだと言われているが、天狗達の中では大きな話題となっていた。彼女はペンが武器である鴉天狗ではあるが、文武両道である。すなわち腕が立つので、白狼天狗達からは一目置かれ、鴉天狗達にとっては憧れと妬みの象徴であった。故に人間である巫女に体術で敗北したことは、大きな衝撃を及ぼしたのだった。

 

さて、そんな話題が渦巻く中、椛はいつも通り哨戒任務から帰ると、夕食を作っていた。

 

白狼の舞が終わってから、椛は特に変わりなく生活を送っていた。舞姫になったことで彼女は高い地位を持つ事ができるのだが、椛はそれを拒み、普通の白狼天狗としての生活を望んだのである。もっとも、元舞姫と言うだけあって権現村に住む白狼天狗達は椛を特別視するようになり、迅兵衛に代わる新たな白狼天狗の星となっていた。過去に柳坂狼吉が言ったことは真になったのである。

 

ちなみに楓は現在、尖刃館で泊まり込みの訓練を行っており、いよいよ卒業へ向けての準備を行っていた。故に今は椛しか家にはおらず、どこか寂しさがこみ上げていた。

 

その思いを胸に、しばらく椛が料理をしていると唐突に扉を叩く音が聞こえてきた。

 

椛は扉に鍵を閉めていることを思い立つと、割烹着を脱ぎ、そのままの足で玄関へと向かった。

 

「今開けます!」

 

そういって椛は開錠し扉を開くと、とある男が入ってきた。

 

慎重は椛より高く、歳は三十代半ばくらいの顔つき。白髪は後ろで結っているが、頭頂は沿っていない。ところどころの縁に紅葉の刺繍が入った白い羽織を着ており、何よりも目立つのは、刀傷を負っている左目だろう。

 

「ただいま帰った。ん?匂いからして、夕食はできているようだな」

 

そのとある男とは、人里の十手持ち、松木聡士郎であった。

 

迅兵衛に不意打ちを食らい、死をさまよった聡士郎ではあったが、何とか一命を取りとめたのである。とは言うもの、その体は死んでいると言ってよかった。

 

何故なら、体温が普通の人間よりも遥かに低いからである。

その理由は聡士郎が人ならざるもの、半人半霊の身となったからであった。

 

聡士郎は霊魂修行を受けたことで、その身となる資格を幼少期から無意識に得ていた。いや、鞍馬が今後を見越して仕込んでいたのだ。死を覚悟していた聡士郎であったが、霊魂修行の場で鞍馬に諭され、気付かされたのである。そして再び生を受け生きながらえるべく、半人半霊の身となる事を選んだのだった。

 

何故、鞍馬がこのような事を仕組んだのか理由は不明ではある。しかし、こうして半人半霊の身となれた聡士郎は普通の人間よりも治癒能力が高くなり、人間では致命傷である内傷を治癒する事ができた。

 

そして運ばれたと思われる医務室で聡士郎は目覚めると、その場を把握し、外傷の治療を行った。布を丸めてそれを噛むと、自ら迅雷丸を抜き取り、近くにあった包帯を力いっぱい巻いて傷口をふさいだ。

 

肉体の致命的外傷により起きる衝撃は当然、精神に響く。つまり精神が弱れば魂も弱り、半人半霊の身となれば命に係わる事なのだ。故に、早急な治療が必要であった。聡士郎が死人と間違えられて医務室に運ばれたのは、まさに幸運であっただろう。

 

こうして聡士郎は、半人半霊の身として新たな再出発を遂げたのである。人間を辞めることは抵抗があったが、それでも生きる道を選んだのである。

 

加えて、あの事件を解決したことが大いに湛えられ、聡士郎は衛兵隊として村に滞在することを許されていた。聡士郎が人間ではなくなった為に新規嫌人派幹部たちは強く言うことができず、露草は押し通す事に成功したのである。

 

「どこに行っていたのですか?非番であるのに、桔様に御呼び出されたのです?」

 

今日、聡士郎は珍しく非番であった。

 

衛兵隊に戻った聡士郎は隊員たちに改めて迎え入れると、下積みが必要だと下端のように使役しており、休みを取れる時間がこれまでなかった。隊員たちは実力では上である聡士郎に先輩風を吹かしたく、こうしてイビリを行ったのである。

 

この事を聡士郎は仕方ないと認識しており、文句を言わず仕事に励んでいた。確かに功績を上げたとしても、自分は元人間であり、この先妖怪の社会に同調して行くのであれば、少しでも早く慣れる必要があった。

 

そして、半年が経った今日、その励みを少しだけ返上すべく、休みを取ることができたのだった。

 

「いや、人里まで少しな。しかしこの体になっても、これほどの時間が掛かってしまったわい」

 

 「人里まで?十手持ちとして、何か要件が有ったのですか?」

 

 首を傾げて椛は問うと、聡士郎は草鞋を脱ぎつつ、苦そうな顔をした。

 

「うむ・・・。いやな、ケリを付けに行ったのだよ」

 

「ケリですか?」

 

 再び椛が問うと、聡士郎は「少し居間で待ってくれぬか?」と言い、自室へ入っていった。

 

そしてしばらくすると、着流し姿で聡士郎は居間へと入ってきた。寝間着と部屋着兼用の着流しである故に、おそらくもう外出することはないのだろうと椛は理解した。

 

「すまん、またせたな。うむ、それでケリとはな、ワシの持つ最後の重みを、上白沢殿に返上してきたのだ」

 

「返上?えっ・・・まさか聡士郎さん」

 

椛は聡士郎の言った意味を理解すると、心底驚いたような顔つきをした。

 

そう、つまりは十手持ちの証である十手を、里の守護者である上白沢慧音に返上したのである。

 

人ならざる者である半人半霊となった聡士郎は、代わりに十手を持つ資格を失った。それだけではなく、妖怪退治の専門家さえも必然的に退く事となったのだ。

 

そこで聡士郎は十手を返上しに、上白沢家へと向かった。半人半霊となった聡士郎を見て、慧音は驚きと呆れを含んだ表情をし、聡士郎に対して、そこまでしてお前は十手を捨てたかったのかと、軽蔑をした目でにらんだ。

 

しかし聡士郎は事情を話すと、慧音はしぶしぶ納得をして、正式に十手持ちとしての引退を許すことになった。慧音の本心はおそらく、また一人消えてしまうのかと、寂しい思いなのだろうと聡士郎は理解していたが、あえて口に出さず無言で、十手を慧音の下に差し出したのだった。

 

「・・・どうしてですか?」

 

椛はその理由を問いただしたが、聡士郎が出す答えをうすうす感づいていた。

 

「お主はあの夜、ワシに過去を語った。そして同時に、思いを打ち明けてくれたであろう?」

 

先日の満月に椛は決心を固め、月見酒の際に聡士郎へ過去を語った。自分がいかに残虐であったか、いかに慢心をしていたか、思わず苦しくもなり涙が出たが、すべてを語った。

 

そしてすべての過去を語った後に、椛はそれでも受け入れてくれるかと、聡士郎に対する想いを打ち明けたのだ。

 

椛が想いを打ち明けてからからしばらく間が空くと、ただ一つ、聡士郎は「そうか」とつぶやいた。その夜に聡士郎が口を開いたのは先ほどの一言のみであり、聡士郎は就寝しに行った。

 

この時、椛は純粋に嫌われたと悟った。迅兵衛がかつて言ったように、それは当り前であろうと理解していた。

 

しかし、聡士郎はその後も何事もなかったかのように、今日まで椛と接していた。故に、いつか返事をしてくれると思い、椛はただを待つ事のみを考え、これまで聡士郎と同じく接していた。

 

「ワシはあの時、打ち明けたお主の想いに答えることはできなかった。そうであろう?ワシの本業は妖怪退治の専門家だった。お主の過去を受け入れることはできても、想いに対しての返事をする資格などなかったのだ」

 

「そんな、資格なんてどうでも・・・よかったじゃないですか」

 

顔を落とし、椛はつぶやいた。なぜそこまでする必要があるのだろうか、返事を返す事に、何の準備が必要であるのか、椛は口で説明を求めたが、頭の中では理解できていた。

 

「いやな、お主は良くてもワシは許せなかった。だからこうして十手を返上したのだ。ははっ・・・待たせて本当に済まなかった。だが、今なら返事を返すことができる」

 

覚悟を決めた聡士郎は、目を閉じた。その顔つきは切なげであり、何かと別れを告げているのだろうかと、椛は感じた。

 

そして少しの間が開くと、聡士郎は瞳を開いた。

 

「あの時打ち明けたお前の想いは、ワシも同じく持っていた。だから、改めて言わせてもらう。椛よ、ワシと夫婦になってくれぬか?そして両者共に過去を受け入れ合い、この世を生きてゆこうぞ」

 

真剣な顔つきをして言う聡士郎に椛は思わず頬を染め、涙腺が熱くなった。

 

そして、返事を待つ聡士郎をまっすぐと見つめると、椛はゆっくりと頭を下げた。

 

「その返事、確かにお受けいたします。松木聡士郎様、どうかこの私めを、御支えしてくださいませ。そして時には、私が貴方様を御支えして行きます。ですからこれからも末永く、不束者である私めを宜しくお願いいたします」

 

照れくさそうに二人は顔を上げると、顔を近づけて夫婦の契である接吻を交わしたのだった。

 




今まで読んでくださった方はお久しぶり。この話を初めて読んでくださった方は初めまして。どうも、飛男です。
思えば約半年間、このように書いていきました。ノルマとしては大体、一話が一万文字前後でしたので、自分で言うのもなんですが、飽きっぽい自分がよく続けられたなと思います。おそらく皆様の評価により、私のモチベーションが保たれていたと思います。
さて、この話のテーマですが、最終話でもあったように「人間と妖怪の共存」、それと「史実に忠実な剣戟」でした。最も、そのように書けているのか不安ですけど…。特に共存の方は狗賓関連の史料や普通に妖怪関連の史料を読み漁り書いたものでして、剣戟の方は私が剣道で培ってきた物を史実と照らし合わして書いたものです。そのため、間違っている解釈をしているかもしれませんが、少しでも雰囲気を感じて頂ければ幸いします。あ、もちろん。椛メインの話も書きたかったんですがね!椛あいしてる。
一応、これでこの「白狼の舞」は完結いたします。賛否両論が起きる作品だとは思いますが、誠に勝手ながら、どうかそれは許していただきたいと思います。
また、他の「十手持ち」や、まだまだこの話に出ている伏線を回収しきれてはいません。即ち、これとは別の話を考えております。故に、タグには「十手持ちシリーズ」と書かせていただいているわけでして、期待していただければ嬉しいです。
また、番外編などはもちろん考えていまして、もしかしたらちょくちょく更新するかもしれません。もちろん、しないかも。
最後になりますがこれまで読んでいただき、本当に恐悦至極の思いです。もしまた私の話を見つければ、その時にお会いしましょう。それでは、またどこかで!

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