白狼の舞   作:大空飛男

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密告

さて、現代に戻り白狼の舞まであと二日と迫っていた。

町はすでにお祭り騒ぎで、天来寺の下町は大盛り上がりを見せている。出店などはもちろん繁盛し、村全体が華やかな雰囲気となっていた。

白狼の舞を含むこの三日間、こうして騒ぎ立てにぎやかである事で、日から頃守ってくれる神への感謝や、これからも天狗が繁栄するようにと願いを込めるといった思惑がある。さしずめ、祈願祭に近いだろう。

このようににぎやかである中、衛兵隊は頭を抱えていた。

理由は、迅兵衛の思惑についてである。

聡士郎が仕入れた文の情報は衛兵隊の原動力となった。

事実上の後輩であるにもかかわらず、聡士郎に先を越されたことに先任の衛兵達は対抗意識が燃えたのである。子供っぽくはあるが天狗は負けず嫌いでもあるため、意識を焚き付けるには十分な効果があった。桔はこれを狙っていた故、聡士郎が文と接触することを許したのだろう。

しかし、迅兵衛も警戒をしているのか、全くと言っていいほど尻尾を出さなかった。

巧妙な罠を張って密偵をすり抜け、聞き込みではまるで口裏を合わせるように指示されたのか、迅兵衛の怪しい動きを知っているものは全くと言っていいほどいなかった。これにはさすがの衛兵達も頭を抱え、数日が立って行く。

だが、密偵を含む衛兵隊達にも意地があった。桔は特例を出して金を惜しまず、今月分の予算を踏み倒し、懸命に捜査を行った。権現村にあるすべての店、さらには犬猿の仲である鴉天狗にまでも聞き込み、時には汚い金を使うこともあった。

その甲斐あってか、少量ではあるが次第に情報が集まって行き、迅兵衛は確実に悪事を企んでいることが浮彫となった。

しかし、その情報を集めるまでには時間が掛かり過ぎたのだ。

その為、桔は壱ノ間に衛兵達を急きょ呼び出すことにした。理由は一つ、これまでの結果を纏めるといった内容であった。

夕方ごろに伝令を受けた衛兵たちは仕事の切り上げ所を見つけ、ちらほらと壱ノ間へと集まっていった。しかし、今はいざこざも多々起きる祭りの最中である為、集まる人数は限られていた。

「集まったのは、これだけか?」

桔が自分の席へ着くと、衛兵隊員たちを見渡した。その数はいつもの半分ほどしかいなかったのである。

「皆、やはり祭りの警護にも忙しいようで・・・」

腕を組みつつ、浅葉は苦い顔をした。

「だが情報を持つものは、全員いるようだな」

桔の近くに座っている聡士郎は口を開いた。度々入ってくる小さな情報をすべて聡士郎は桔から聞いている為、だれが情報を伝えたのかそれなりに把握していたのだ。

「うむ、そうだな。では改めて話を纏めるか。おい、浅葉。まずおめぇから話してみろ」

 桔に話すように促され、浅葉は組んだ腕を解くと姿勢を正した。

「はい。自分は権現村内をひたすらに歩き回り聞き込みました。そんな中、気になる情報を突き止めましてな。村のはずれにある祭りの道具が仕舞われている倉庫で、山道家の舞姫候補が襲われた次の晩に、迅兵衛がその倉庫に入っていったと情報を仕入れることができました。そこで嗅ぎますとやはり、知っている臭いが残っておりました。おそらく消そうと試みてはいたのでしょうが、自分の鼻はだましきれませんぜ」

得意げな顔をすると、浅葉は話をつづける。

「そこにあった匂いの一つは下衆人、鎖鎌の陰爪のもの、そしてもう一つは言うまでもないでしょうが、銀杏木迅兵衛のものでした。迅兵衛のものはかなり巧妙に消されていましたが、自分はどうもあいつの匂いが嫌いでね。嫌いなにおいほど鼻に付く・・・ふん、わかっちまいましたわ」

もう一度得意げな顔をして浅葉は鼻で笑うと、話をやめた。

「まあ浅葉の鼻が利くことは皆も承知。これで、迅兵衛が過激派集団と通じていたことは明白となったな。彼奴め・・・許せん」

怒りを表しつつ桔は話を纏め、次の隊員に目をやる。

「では次に八木朗。おめぇが話せ」

 八木朗もとい、八木楼閣は背筋を正してたどたどしく口を開いた。

「は、はい。実は迅兵衛様・・・ああいや、銀杏木迅兵衛は度々ある人物と密会をしている事を突き止めました。そのある人物とは、諜報隊長官である犬原源之助様です」

それを聞き、聡士郎は反応した。

犬原源之助はかつて桔と同期であった白狼天狗である。気の合う男であったらしく、桔とは飲み仲間であったと、以前桔から聞いていた。しかし、彼は尖刃館卒業時に諜報隊へとゆき、最近になり実力を認められ、長官の座に就いた。その後は桔と会うことがなくなったという。

「なに?源之助とな?」

「そ、そのようです。内容は詳しく調べることができませんでしたが、なんでも人員を一人、迅兵衛に貸したと思われます。裏は以前から張り込んでいた密約場の待合茶屋「香優屋」の娘から小耳にはさんだと、密偵からは聞いております」

 「なるほど、そういう事か」

 興味深そうに、桔は頷いた。

 諜報隊には、一癖も二癖もある人物が所属する。故に多彩な能力を持つものが多く、諜報活動にはもってこいの部隊であった。

 しかし、その内情は隠されており、どのような人物がいるかは把握できずにいた。しかも部隊の規約なのか、諜報隊員達は所属している事を公にしない。上級階級の天狗たちは諜報隊員を使用することが多い為その内情を知っているのだが、長官職を務める桔のような人物は、部隊そのものが違うために知る権利がなかった。

「しかしなぜ・・・迅兵衛は源之助と絡む機会があったのだ?」

桔は首を傾げ、つぶやいた。

いくら迅兵衛が嫌人派の幹部付近であったとしても、諜報隊を使うことは許されていないはずである。ましてや、源之助は桔と同じく中立思考であった為に嫌人派である迅兵衛を 好ましく思ってはいないのだ。故に桔は理解ができなかった。

桔がうなっていると、唐突に春吉が口を開いた。

「おかしら、これは俺もなんですが…出会いによって考えが変わるものではないでしょうか?俺も聡士郎と出会い、自分を見直そうと考えましたし」

「うむ、確かにその可能性も考えたが、やつは天狗らしい性格をしておってな。頑固で保守的で柔軟な頭ではない。それにおそらくだが、長官になったからと言って権力に溺れる奴でもない。奴を贔屓しているつもりはないが、何かしらの事情があるとしか思えないな」

旧友である人物を疑うのはつらいことであろうと誰もが思ったのか、これ以上詮索しなかった。それ以前に時間がない以上、貸し出された諜報隊員が何の能力を持っているかが重要なことである。源之助の件は迅兵衛の思惑を防いだ後に、いくらでも理由を追求できるだろう。

しばらく沈黙が続くと、桔は口を開いて、次の報告はないかと促した。

「では、俺がします」

そういうと春吉は背筋を正して、立ち上がった。

「春吉?おめぇ情報を掴んだのか?」

「ええ、これはほぼ偶然と言っていいことだと思いますが・・・私は嫌人派の幹部から。とある話を盗み聞きました」

「なに!?幹部からか!」

桔梗を含む衛兵隊員たちは一気にどよめいた。

「はい、その・・・聡士郎の護衛解雇についてです」

「ワシの?迅兵衛と関係があることなのか?」

思わず聡士郎は首を傾げ、春吉を見た。

「おう。俺が聞いた話によりますと、聡士郎を護衛解任しろと幹部たちに促したのは、迅兵衛です」

「証拠はあるのか?何にでも奴のせいにすると、話がややこしくなるぞ」

浅葉は立ち上がり春吉を指でさした。

「ありますって。確かに出来すぎているとは思いましたが、俺はその後、嫌人派幹部である犬里梅衛門様の一人娘、犬里榧様から話を聞くことができたのです」

「なに?榧殿から?」

「はい、榧様とは昔からの仲でしてね。同じ長物使い同士・・・と言っても向こうは薙刀ですがね。まあそれで何度か手合わせをしたことがありまして…。昔の馴染みで聞いたところ、確かにそのような事を言っていたと裏を取ることができました。榧様は不思議がっていたところを見ると、嫌人派全体の決定ではないようです。つまり、これは迅兵衛と幹部たちの独断であったと考えられます」

春吉の意外な人脈による手柄に、壱ノ間にいた誰もが思わず言葉を失った。そもそも春吉は言うまでないがサボりがちで暴力的であった為、聞き込みによる成功例がないといっても過言ではなかったからだ。聡士郎との出会いが、彼を変えたのだろうと、衛兵隊員たちは心の奥底で思った。

「しかし、そうなると別の疑問が出てくるな」

それは何故、聡士郎を外す必要があったのかだ。白狼の舞そのものを台無しにする為が狙いであるなら、わざわざそんな回りくどい事をしなくとも良いはずである。

「ワシがいることが、奴等にとって何か問題があったという事なのだろうか?」

「なるほど・・・。そうなると考えられるのは・・・」

桔は腕を組み唸り始めた。それに続き、他の隊員達も頭を抱える。

それと同時の事であった。奉行所の入り口から、門を叩く音が聞こえた。

「む?なんだ?」

「見てきます」

そういうと春吉は立ち上がり槍掛台から槍を片手に取ると、奉行所の玄関へと足を運んだ。

大方、小さないざこざを止める為に衛兵隊の手を借りようと思ったのだろう。隊員達はそうにらんでいた。

そして聡士郎もまた、同じ思いであった。

「この一か月そういうことはなかったと思うが、多いのか?」

「今は祭りだからな。たまたま出払っている衛兵が見つからなきゃ、こうして本所までくるんだろう」

聡士郎の問いに、浅葉が答える。

それからすぐに、春吉が血相を抱えて戻ってきた。思わず何事かと、浅葉たちは立ち上がる。

「お、おかしらぁ!」

「どうした。そんなに慌てて」

不思議そうに、桔は春吉に問う。すると春吉を退ける手が見えたと思うと、黒い羽織と笠をかぶった人影が出てきた。

そして笠を取ると、見たことある人物が出てきた。

「なっ・・・あなた様は!」

成熟した女性であり、髪は後ろで束ねて、きつい顔つきの白狼天狗。

「衛兵隊の諸君、厄介になるぞ」

それは、犬伏家の一人娘。犬伏柊であった。

 

 

 壱ノ間に張りつめた空気が広がった。

 嫌人派幹部である犬伏家の一人娘、犬伏柊が何故この奉行所に来たのか。様々な思惑が壱ノ間を渦巻き、皆は柊をじっと見ていた。

また柊の方も、最初聡士郎がいると知り表情をゆがめたが、一番離れた場所で座ると目をつむり、黙りこくったままである。そして一向に、口を開ける様子がなかった。

「・・・柊殿、どのようなようでここまで?」

しびれを切らしたのか、桔は探るような目で問う。柊はしばし黙っていたが、ついに口を開いた。

「お前たちが嫌人派・・・いや、迅兵衛を探っている事を知り、ここに来たのだ」

その言葉に、桔と聡士郎を含む衛兵隊員は戦慄が走った。

まさか、不審な動きをしていると反逆者に仕立て上げ、衛兵隊そのものを取り潰しにするつもりではないだろうか。

 仮にも迅兵衛は第一哨戒隊の副隊長。その隊長である柊が身内を探られて、良い気分の訳がない。それ故に腹を立てれば、家系の権力により衛兵隊そのものを新規一新することも容易なことだろう。

「つまり・・・私たちを御役目御免と判断してここに来たと?」

険しい顔つきで、桔は柊を見た。

もしそうであれば、何か手荒な事をすると桔の表情から感じることができた。せめて白狼の舞の件が終わるまでは、御役目御免となるわけにはいかない。桔の思いを感じ取り、同意しているのか、隊員達も一気に覚悟を決めた顔になる。

しかし意外にも、柊は笑い始めた。

「はははっ!なんだおまえ達、御役目を降りたいのか?」

思いがけない反応を示した柊を見て、場の緊張感が若干ゆるんだ。加えて、桔は困惑した顔をする。

「・・・いや、まさか。という事は別件で?」

「迅兵衛の件についてゆえ、別件というわけではないぞ」

余裕な顔つきで、柊は腕を組む。

「ふふふっ・・・貴様ら、迅兵衛の企みを知りたくはないのか?」

「なっ、なんですと?」

心底驚いたように、桔は声を出した。

つまりこれは密告である。ましてや嫌人派幹部筆頭とも言われている犬伏家の一人娘が情報を流すのだ。驚かない方がおかしいだろう。

壱ノ間にいる柊以外のだれもが驚いている中、柊は声を張る。

「しかし!・・・条件がある」

「条件ですと?」

「うむ。彼奴を・・・迅兵衛を消してもらいたいのだ」

その言葉に再び戦慄が走った。

「か、仮にも彼奴は第一哨戒隊の副隊長・・・柊殿はそれで良いのですか?」

戸惑いを隠せない声で、桔は柊に問う。

これは密告件、正式なる成敗の依頼であったのだ。

しかし迅兵衛を殺すのであれば、それ相応の実力を持っていなければならない。現在の衛兵隊では迅兵衛と満足に戦える者はおそらくいないだろう。

ただ、一人を除いて。

「・・・構うことはないだろう。どうせ奴と剣を交えるのであれば、殺すつもりでいた」

口を開いたのは、聡士郎であった。その瞳の奥には何か燃え滾るものがある。

 聡士郎の顔つきを見て面白いと感じたのか、柊はにやりと口を歪ませた。

「ふん、自身があるようだな。流石十手持ちか?」

「なに。ワシは感謝しておるよ、彼奴にな。だからこそ、礼を済ましておきたいだけだ」

切られた際の傷口に触れて、聡士郎は言った。

それを見て柊は満足したのか、再び口を開いた。

「さて、これで役者は揃っていることを把握した。話そうではないか、奴の思惑を・・・。まずどこまで知っているのか、教えてくれぬか?」

そういって、柊は不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 衛兵隊員たちは先ほど出た話を大まかに纏め、柊に話した。

 柊は目を瞑って一切口を出さずに聞いており、話が終わると同時に目を開いた。

「よく短期間でそこまで集めたものだ。だが、肝心な情報がいくつか抜けていたな」

素直に感心しているようではあるが、柊の表情からは余裕の笑みが消えていない。衛兵達はどこか見下された気分になり、苦い顔つきをした。

「さて、まずどこから話そうか」

「我々の集めた情報を最初から順に、話してはいかがですかな?」

桔はそう促すと、柊は頷いた。

「ではまず、下衆人。鎖鎌の陰爪の件から話そう」

「なっ?あの件は終わったはずじゃ」

不思議そうに、春吉は声を上げる。すると柊は「まあ聞け」と言って、話をつづける。

「鎖鎌の陰爪は侵入した過激派集団の一人にすぎない。故に、まだこの村には数十人の縞枯一派残党が侵入している。おかしいとは思わなかったのか?犬童杏の怪我は鎌ではなく、小太刀で付けらえた物なのだぞ?鎌ではない」

それを聞き、衛兵達は思わず間抜けた声を出した。加えて聡士郎も思い出すように、首を傾げた。確かに、春吉は小太刀で腱を切られたといっていたのだ。

「確かに陰爪が小太刀で傷を負わしたと考えるのが妥当ではあろうが、お前たちの勘違いであったな」

情けないと言わんばかりに、柊は首を振る。それを見た衛兵達は肩身が狭くなり、縮こまった。

「という事はどこかに奴らの宿があるわけで?」

桔が問うと、柊は頷く。

「うむ。そういうことだ。それは言わずとわかるだろう?」

「・・・銀杏木家か」

顔を合わしている衛兵達の中、聡士郎は口を開いた。

「ほう、鋭いな。だが何故そう言い切れる?」

「簡単な話だ。奴は幼名から新たな名を貰った。その時からすでに、銀杏木家は奴の物だ。つまり、過激派集団の宿として使うにはちょうど良いだろう。やつは抜刀の迅五郎の孫・・・すなわち奴は、過激派集団の統領だからだ」

「ふふっ。ご明察だな。そう、奴は権現村大悪党の一人、抜刀の迅五郎の孫だ。もっとも私が知ったのはつい最近の事だがな」

少し話がそれたなと、柊は鼻で笑う。

「まず我々白狼天狗の殆どは、毎日村を出払うことになる。つまり、この村すべての人物の顔を覚えるのは割と時間が掛かる事はわかるだろう?すなわち、奴等は一般人になりすまし、今もこうして白狼の舞まで潜伏しておるのだよ」

「こうしちゃいれねぇじゃねぇか。おいおめぇら!」

居ても立ってもいられなくなったのか桔は声を張り上げて、衛兵達に準備するように促す。

しかし、柊は桔の袖を引っ張ると、それを静止させる。

「待て、まだ話は終わっていない。それにやつらは保険としているだけなのだ」

「保険・・・だと?」

桔の言葉に柊は頷くと、再び話をつづけた。

「ああ、迅兵衛は過激派集団とは別に動いている。それはお前たちも掴んでいるはずだ」

そう、迅兵衛はここのところ、天来寺閃牙殿の中で寝泊まりをしているのである。公になっている理由は仕事の関係上によるものとされているが、それは明らかにおかしいことであった。

迅兵衛はあくまでも哨戒隊員。つまり天来寺に長期間居るような人物ではないのである。たとえ幹部並の待遇を受けていたとしても、右筆などの閃牙殿勤務が主となる者たちと比べれば、長居することは許されていないのだ。

「私は隊長として自分の職務を全うしない彼奴を許すことはできない。だからこそ私は独自で奴の動きを探った。そこで、お前たちが調べた諜報隊とかかわってくる」

「諜報隊と・・・?どういうことだ?」

「奴は諜報隊員、犬原賢狼を引き抜いたのだ。こやつは珍しく、妖術に長けた白狼天狗。つまり・・・」

柊が言い切る前に、桔は目を迸らせ床を叩くと怒鳴りつけるように言った。

「うぬうおのれ!そういう事か!聡士郎の護衛解任をした理由は・・・椛を狙っていたのか!」

それを聞き聡士郎も黙ってはいられず立ちあがると、癇癪を起こしたように桔梗の胸倉をつかんだ。

「おい!それはどういうことだ!椛が狙われるとは・・・!説明しろ桔殿!」

桔も怒りをあらわにしている為、立ち上がり思い切り聡士郎を振りほどいた。

「奴の狙いは・・・『お告げ』のすり替えだ!迅兵衛は椛に妖術をかけることで自分好みの『お告げ』に変えることが狙いだったのだ。お主を解任した理由は、椛と近づくことを妨害されぬためだったのだ!」

お告げは白狼の舞の中で最も重要であり、舞のトリである。それをたった一人の白狼天狗ごときに変えられるなど、即刻打ち首かつ家系虐殺はどうあがいても免れない。それほど、天狗たちにとっては神聖なことであったのだ。だからこそ桔だけではなく、衛兵達も少なからず怒りを覚えていた。

「くっ・・・こうしてはおれぬ!」

聡士郎は一目散に衛兵達を力任せに退かして、駆け足で壱ノ間から出ていった。

「おかしら!彼奴・・・まさか!」

青ざめた顔つきで浅葉は言うと、桔は大声でそれを掻き消した。

「ほうっておけ!それよりもまず、儂らは過激派集団を御縄にかけるぞ!おめぇら!早く準備しねぇか!」

桔に叱咤され、衛兵たちは戸惑いながらも壱ノ間を出ていった。

しばらくして怒りが覚めて桔は冷静になると、残っていた柊に視線を向けた。

「柊殿・・・しかしなぜ密告を?」

すると柊は少しだけうつむいた。

「・・・私は舞姫としてこれまで多くの厳しい稽古にも耐えてきた。それも二分された穏健派と嫌人派を束ねようと、心の底では思っていたのだ。だが、所詮白狼の舞は醜い政治争いの延長にすぎない。私はそれを受け入れてまでも舞姫になりたかった。お父様達嫌人派幹部が裏で密約していたことも知っていた・・・。だが、いざ舞姫が椛となった時に私は気づかされた。所詮お父様や迅兵衛は、私の事を道具としてしか思っていなかったのだ。だからいざ方針を変えると、私は不要となり、舞姫になることはできなかった・・・」

「その不満を抱え込み、密告したと?」

 桔の鋭い問いに、柊は思わず自暴自虐な笑い方をする。

「ふふっ・・・まるで子供の仕返しのようなことかもしれない。だが、私は純粋に白狼天狗の平穏と繁栄を願っている。だからこそお前たちの噂を耳にしたとき、私は言わざるを得ないと思ったのだ」

「・・・協力を感謝します。貴女の働きで天狗は誤った道を踏み外す事を阻止できるかもしれません。ですが、この件が終わり次第、柊殿にも何かしらの沙汰がくるやもしれませぬ。できるだけ私も、口添えをしておきます」

桔はそういうと、ちょうど装備の完了した春吉を呼び、柊を犬伏家へ連れてゆくように命令したのだった。

 

 

閃牙殿の奥座敷にて椛は夕食が来るのを待っていた。

座敷の中は狭く、ただ静寂が続いていた。

閃牙殿職務の右筆たちは、白狼の舞までの間は早上がりであり、すでに閃牙殿にはいない。つまり現在閃牙殿の中は、椛の食事を運ぶ係りなど約数人しかいないのである。故に声など一切聞こえず、ほんの稀に、縁側を歩く際に鳴る木々のこすれる音が響くだけであった。

「しかし、遅いですね・・・」

椛は先に出された熱燗を口に運び、不満をこぼした。

熱燗が届いてから、三十分近くも待たされていたのだ。すでに熱燗ではなく、ぬるくなっている。

舞姫となったものは一日二食、食事を与えられる決まりとなっている。あまり食事をとらない天狗ではあるが、万全の体調を整えるためにこうして食事を与え、栄養を十分に取らせることが決まりとなっているのだ。椛は聡士郎と生活してゆくうちにそれが当たり前となり始めていたので、特に不思議なことではなかった。

流石の椛もおかしいと思ったのか、立ち上がりふすまを開けようとする。しかしそれと同時に、こちらに近づいてくる人の気配を感じた。

椛は再び座りなおすと、ふすまが開くのを待った。

すると、ふすまが開くと同時に普段食事を運んでくるものとは違う男の顔が出てきた。椛は思わず不審に思い、眉をひそめる。

「・・・あなたは?いつもの方はどうなさいました?」

「給仕係、西山惟草は夕方ごろに病であることが発覚致しまして…。私はその代りです」

そういうと、男は座敷へ入り、椛の前に食事を並べ始める。

「あっ、今日は春物の食材が多いですね。美味しそうです」

 

食器を見ると若筍の煮込みや鰆の塩焼きなど、さまざまなものが盛り付けてあった。旬なものだけあって、どれも食欲がそそると椛は目を輝かせた。

男は食器を並べ終わると、すぐさま座敷から縁側へ出た。

「ごゆっくり」

そういうと、男はふすまをゆっくり閉めた。

「・・・つれない方ですね。惟草さんは、もっと語ってくださったのに」

給仕西山惟草は口が達者な男であり、いつも一人で舞の仕上げに励んでいる椛を見て寂しいと感じていたのか、よく椛に運んできた食べ物について語る男だった。椛はそれをどこか楽しみにしており、しゃべり相手となる惟草に感謝をしていた。

「さて、いただきますか」

椛は両手を合わせるとそのまま箸を持ち、見るも美しい動作で食事を口に運び始めた。

それから数分後、椛が菜の花の辛し和えを口に入れた時であった。

「なんだろう、これ。不思議な味が・・・」

若干、口の中に広がる味と匂いに違和感を椛は覚えた。

だが違和感を覚えるだけであって、椛は何事もなくそれを飲み込んだ。このような味付けなのだろうと無意識に思ってしまい、それがどのようなものか、椛は身をもって後悔をした。

そのまま飲み込んだ食材は食道を通ると、胃の中へと落ちる。すると、体に急激な衝撃が走った。椛は吐き出そうとするが、体全体が痺れはじめ、思うように動かなくなった。

「っ!?これっ・・・まさか!」

次第に体が痙攣を起こし始め、箸を手元から落とした。そして眩暈と吐き気、さらには呼吸が苦しくなると座っている事すら辛くなり、そのまま畳に倒れた。

「ど・・・毒・・・?」

痙攣が収まらず、次第に意識が遠のいてゆく。何故、あの時違和感を感じ飲み込んでしまったのか、椛は自分を責めたくなった。自分は舞姫であるのに、いつ何時も注意を張らなければならないのに、最終的に椛は自分が情けなくなった。

椛が異常反応に苦しみながら悶えていると、唐突にふすまが開いた。

そこに立つ人影は二つ。一人は先ほど食事を運んできた男、そしてもう一人は。

「じ、迅・・・兵衛・・・様・・・!」

 「やっと、口にしたか」

 迅兵衛はにやりと笑いそういうと、倒れている椛の方に向かう。

 「人里で猟師が使うものだ。八意永琳から独自にこの男・・・犬原賢狼が仕入れた。朝鮮朝顔と毒芹を混ぜた特製毒薬・・・。無臭であり、即効性の高い効果をもっている」

 これはあくまで狩猟用の毒餌に仕込むものであるが、その効果は絶大であり危険な薬品として猟師の間では使用されていた。製作者である八意永琳も腕が立ち信頼できない者には渡すことはないとも言われており、悪用されることを恐れたのだ。。

 ちなみに朝鮮朝顔の毒性は主に麻酔と痙攣を起こす。江戸時代では手術用の麻酔としても使用され、また世間に名を知らしめた某真理教は催眠薬としても使用していた経緯を持っている。次に毒芹だがこれは非常に危険な毒とされ、神経麻痺や眩暈。嘔吐。意識障害を引き起こし、毒草三兄弟の一つとして有名である。

 天狗は妖怪である為、毒に多少の対抗を持っている為その効果は薄い。だが、迅兵衛達の目的を果たすためには、十分すぎた。

「案ずるな、死にはしない。殺してしまっては元も子もないからな」

「な、何をなさる・・・おつもりで・・・?」

意識を懸命に保ち、椛は迅兵衛を力なく見た。

 迅兵衛は椛の目の前に座ると、不敵に笑った。

「お前の過去を松木聡士郎に話したら、彼奴は何を思うのだろうな」

「なっ・・・そ、それ・・・はっ!」

唐突にそのような事を言われ、椛は戸惑った。ろれつが回らない口で懸命に言葉をつなげると、震える腕で椛は体を起こそうとする。

すると、迅兵衛は椛の髪を掴むと引っ張り、自分の顔に近づけた。

「私は知っているぞ、お前は奴に過去をまだ話していないのだろう?強情な女だ。嫌われたくないため、自分を守るか」

 違うといいたいのか、椛は首を振る。迅兵衛はそれが癇に障ったのか、そのまま乱暴に椛を投げ飛ばす。

「ふん、何をいまさら。どれだけの人をお前は殺したのだ?大量虐殺をしてなお、お前はあの男を共にしたいというのか?笑い話にもならぬわ!受け入れられるわけなかろう」

過去の心的外傷をえぐられ、椛は次第に涙が出てきた。

もしこの事を知られれば、聡士郎は自分に幻滅してしまうのではないか。そうなったら、一気に自分が嫌われてしまうのではないか。思えば思うほど無性に怖くなり、切なくなり、体に過去の罪に対する後悔と嫌悪感が巡り駆けた。

そして次第に、椛の瞳から生気が失って行った。毒が完全に体を回り、うつろな瞳となり、意識が完全に途絶えたのだ。

「そろそろか、では犬原殿。任せますぞ」

迅兵衛はそういうと椛の後ろに回り、背骨を思いきり膝で押して喝を入れた。

目を覚ましてもなお、椛は茫然としていた。もはや抗う気力もないのか、口を開けて呆けている。

「では、始めますかな」

不気味な笑みを浮かべ、犬原賢狼は妖術を唱え始めた。

 

それからしばらくして椛は妖術に掛けられると再び意識を失い、迅兵衛に舞姫用の部屋まで運ばれていった。

時刻は日を跨ぎ、月明かりが閃牙殿を照らしている。

すでに閃牙殿は迅兵衛と賢狼しかおらず、静寂が辺りを包んでいた。

「これから、どうなさるおつもりで?」

賢狼はにやにやとした笑みを崩さず、迅兵衛に問う。

「・・・時に犬原殿、確認であるが椛に掛けた催眠は、白狼の舞まで持つのだろうな?」

唐突に不思議なことを問う迅兵衛に、賢狼は首を傾げた。打ち合わせの際に教えているため、それほど心配なのだろうかと賢狼は理解する。

「ええ。大丈夫です。あの催眠は時限式でありまして…それ以外では解けないようになっております」

「という事は万が一、犬原殿が死んでしまったら解術されてしまうのか?」

迅兵衛は賢狼に背を向けると、疑問を投げかけた。

「いえ、そんなことはありません。私はそれまで身をひそめますので、どうかご安心を・・・」

不敵に賢狼は笑うと軽く頭を下げ、そそくさと振り返り、その場を去ろうとした。

その刹那だった。

白刃がきらめいたと思うと、賢狼の首から頭がすっぱりと飛んでいった。

「えっ」

何が起きたのか分からず、賢狼は驚いた顔つきのまま、間抜けた声を出すと絶命した。

「・・・身をひそめたところで、所詮はばれてしまう可能性がある、なれば、こうするほかあるまい」

迅兵衛は以前持っていた白鞘ではなく、通常の刀とは違い少し長めの刀「迅雷丸」を帯刀すると、一つ息をついた。

「あとは・・・奴だけだ」

そういうと、迅兵衛は縁側を歩いて行った。

 


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