白狼の舞   作:大空飛男

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白狼の舞
別離


年明けから一月半が経った。

 

 冬もそろそろ終わりが見え始める頃合いである。雪は大粒の牡丹雪へと変わり、一層そのことを実感させていた。しかし、終わりだからと言って寒い事には変わらない。身を震わせながら春吉と聡士郎は尖刃館の玄関前にもたれ掛っていた。

 

「…侵入者の正体は、鎖鎌の陰爪だったわけか。なるほど・・・」

 

聡士郎の言葉に、春吉は納得したように頷いた。

 

「有名な奴だったのか?」

 

「有名と言うか…奴は元諜報隊所属の男なんだ。特異能力である『気配を薄くする程度の能力』を持っていた。それ故影は薄かったが、諜報隊の中ではかなりの強者だったらしい。諜報隊も勘付けなかったのには頷けるな」

 

なるほどと、聡士郎は唸った。

 

奴が見つからず村に潜伏できたことや正体を掴まれず事を起こせたのは、この能力の為であったのだ。本人の臭いや存在を薄くすることにより、正体をあやふやにして視認をしづらくする。まさに隠密に優れた能力であろう。

 

また、陰爪は権現村出身であったため、当然のごとく身を隠す場所をいくつか知っていた。それは神輿の倉庫であったり、とある店の縁の下であったり、さまざまである。

 

因みに陰爪の遺体は、その日の中に処理された。腕と首を切り落とされた遺体は衛兵が見た時にはすでに風化を辿っており、ほぼ骨だけになっていた。妖怪の遺体は、自然分解が異様なほど高いのである。それにより、妖怪の遺体はすぐに消えるのだ。

 

「時に聡士郎よ」

「なんだ?」

「おめぇは結局、だれが選ばれると思う?」

 

そう。舞姫の決定がいよいよ今日、行われるのである。陰爪の強襲により明後日に控えていた発表であったが数日延長した為、椛はもちろん、聡士郎や春吉を含む関係者すべてが、待ちくたびれていた。

 

前に既述したように、舞姫の練習期間内では尖刃館の中に男は入ることができず、聡士郎はこうして椛が来るのを待っていた。春吉も非番であり、ちょうど発表日時とかぶさったのでこうして付き添っていた。

聡士郎は仮に椛が舞姫に選ばれなかったとしても、巫女の護衛もしなければならない。露草から渡された盟約書にそう記述してあったのだ。その為、こうして地面を温めるもとい壁を温めているのである。

 

聡士郎は春吉の問いに答えるが如く、おもむろに懐から紙巻煙草を取り出すと、火を付けた。

 

「わからんな。だが、穏健派の舞姫が選ばれることを祈るばかりだ」

「それはやはり、妖怪退治の専門家としてか?」

「まあそうだ。ワシとて無駄に争いたくはない。それにワシが剣を振るう大義は、親しいものを守る時のみだ。もちろん自分の身も守る時も使うが…」

 

肺から煙を吐いて、聡士郎は軽く笑う。

 

「うーむ、なるほど。まあ俺も同じ意見だがな」

 

春吉は同意を示すように頷くと、「そう言えば」と話題を変える。

 

「おめぇ。護衛の任が終わったらどうするンだ?このまま人里に戻るのか?」

 

その問いに聡士郎は考え込む。

 

勿論、このまま権現村に居ることはできないだろう。約半年の間に十分馴染んだとはいえ、所詮は人間であり異端分子である。当然村から追い出される事となるだろう。

 

異論はなかった。それがこの世界、幻想郷の摂理だ。

人間は里の外で生きることは難しい。それは十分聡士郎もわかっている事である。

 

「ああ…おそらくな。そこでワシは改めて、十手を里の守護者である上白沢慧音に返す。断られても、無理やり返すだろう。そして権力者に土地を借り、耕し、畑を作り、農民として生活をするさ」

 

もう、こうすることしかできないのだ。十手持ちである松木聡士郎は、もうこの幻想郷では必要とされていないのだ。過去の栄光を胸に秘めて、黙々と生活するための資金を稼ぐしかない。働いてもいないのに十手持ちとして給料をタダ獲りする訳にもいかない。

 

「おめぇ…それほどの腕を持つのに、剣を捨てるのか?」

「そうではない。だが、必要とされぬのに十手持ちとして突き通すのは、都合が良いのだ。それに剣の鍛錬は、農民になったとしてもできる。かつて天下人が行った刀狩り令はこの幻想郷にはない。なれば、いつでも剣を振れるのだ」

「…そうか」

 

少し幻滅した様に春吉は呟くと、一つ息を吐いた。

 

「人間は冷酷だな。必要の無いものは捨てるのか。過去にお前たち十手持ちがやった事は、大いに貢献され、賞賛に値するものばかりだろう?それなのによ…」

「…時代は変わる。ワシらがやってきたことは次の世代へつなげる事であった。だからこそ必要とされないのであれば、ワシらは引かねばならぬ」

 

これがこの権現村で生活し、聡士郎が考え抜いて出した答えであった。『老兵死せず、ただ去るのみ』である。

過去の自分たちの様に力で叩き伏せる退治ではなく、競技として妖怪を退治するスペルカードルール。競技であるが故、死ぬこともほとんどない。妖怪も人間も、あまつさえ昆虫ですら平等なルール。そんな素晴らしいルールを決めた博麗霊夢を恨むことは筋違いであるのだ。自分たちの求めた平和を実現した彼女は、むしろ賞賛に値する。

 

「…確かに新しい巫女になってから穏健思考になった天狗も少なくはない。あの決まりは祭りみてぇなものだ。俺達男はあまり関係の無い話だが、天狗は祭り好きだ。お互いに楽しめる『退治』とは考えた物だと思うぞ」

「だから、変わったのだよ」

 

悟ったように言う聡士郎を見て、春吉は眉をひそめた。

 

「ならよ、おめぇは変わらねぇのか?」

「…?だから、農民になり生活すると言っただろう?」

「強がるなよ。たった半年の付き合いだが、俺には分かる。おまえ農民になりたくねぇだろ?それは変わるのってことじゃねぇ、逃げだ。違うか?」

 

その通りであった。本当は農民など、やりたくないのだ。

だが、現実を受け入れなければならい。それが逃げでも、嫌な事であっても、間接的に役立つことである為、聡士郎は渋々農民になろうと思い立っていた。しかし春吉の言葉で、その決心が改めて揺らいだ。

 

「おめぇが本当にやりてぇ事はねぇのか?このまま護衛を継続することか?それとも、十手持ちとして必要とされることか?」

「そんな事はどうでもよいのだ。…ワシを必要とする事をやりたい。だが…」

「なら、やればいいんじゃねぇか?」

「簡単に言うがな…」

 

春吉と聡士郎の話しがヒートアップする中。唐突に尖刃館の門が重くらしい、木のこすれる音と共に開いた。

そして直ぐに、見覚えのある顔が出てきた。白狼天狗副統領である真神露草ともう一人、嫌人派犬伏家の舞姫候補、犬伏柊だ。

 

「ど、どう言う事ですか!露草様!なぜ…なぜです!」

柊は露草の横を早足で歩いて、講義を申し立てているようであった。

 

「何故も何も、これは我々穏健派のみならず、嫌人派の幹部。そして大天狗様も含め決めた事だ。舞姫はもう決定した」

「しかし…これはあまりにも横暴です!穏健派の圧力で嫌人派を抑えたのではないのですか?」

 

その言葉が癇に障ったのか、露草は足を止めると思いきり柊の頬を叩いた。ピシャリと渇いた音が周りに響き、柊は倒れる。

 

「小娘。お主が嫌人派の幹部の話を耳にできる事も知っている。だが、何も不正なく、これは取り決めた事だ。文句があるなら、大天狗様に申し立ててみよ!」

 

その言葉に、柊は何も言えなくなり、黙り込んだ。露草は一瞬だけ聡士郎に目線を配ると、再び早足で尖刃館を後にしていった。

 

「何故だ…何故…。ぐぅぅ!…おのれ。彼奴め、はかったのか!」

 

柊は聡士郎と春吉を気にもせず叫ぶと、怒りを醸し出しながら、尖刃館を後にした。

 

「…何が起きたのだろうか?」

「さ、さあな…」

 

思わずあっけにとられてしまった聡士郎と春吉であったが、二人を我に戻すように、聞きなれた声が横から聞こえた。

 

「二人とも…」

 

その声を辿るように、二人は顔を向ける。そこに立っていたのは、おどおどとした表情をした、椛であった。

 

「椛!ど、どうであった?誰が舞姫になったのだ…?」

 

聡士郎の問いに、椛は一つ息を付いて自分を落ち着かせると、口を開いた。

 

「その…私が…私が舞姫に選ばれました!」

 

 

椛が舞姫に選ばれたことを祝うため閃牙殿から幹部たちも集い、尖刃館の手前で盛大な宴会が行われていた。

 

祝い事の多くは、この尖刃館の前で行われるのだ。尖刃館は様々な顔を持つ。神聖な道場ではあるのだが、村が大きくない為、集会所の役割も果たしているのだ。それに加え天来寺からそこまで離れておらず、上級官職の天狗達が集いやすい為、祝い事や祭りなどが行うのにも都合が良い立地であった。

 

宴会が始まるとにぎやかな演奏と共に酒と肴が振舞われ、天狗達は盛大に飲み始めた。

 

白狼天狗も鴉天狗も問わず、この宴は参加する。祭りが好きな天狗達にとっては外せないのだ。

彼らはいわずと酒豪である為、宴会が始まる夕方から深夜である丑三つ時まで浴びる様に酒を飲みふけた。笑い声も上がり、時には喧嘩もあるが、それもこの宴の華であろうか。ともかく、夜通し宴は行われていた。

 

 そんな中、椛は舞姫業務の初めである挨拶回りを終えると、いったん舞姫の持ち場から抜け出し、聡士郎を探していた。

 

 舞姫に選ばれると、宴会時に上級官職を持つ天狗達に挨拶をしなければならない。その為、丑三つ時まで事実上の軟禁をされていたのである。白狼天狗から鴉天狗を合わせ、合計三十人程の人物と接しなければならず、相当疲労感もたまっていた。

 

 しかし、宴会が始まる前に聡士郎と話す約束をしていたため、こうして疲れを押し殺し宴会場の中を探していた。まさかこれだけ時間が掛かるとは思っていなかったのだ。

 

だが自分で約束を交わしておいて、それをほっぽり出すのは椛の性格――人としてそれは許せなかった。

 

 「いったいどこに…」

 

 眉をひそめ、少しだけ不安げな声で椛は呟いた。

 

 ひょっとして帰ってしまったのではないだろうか、あれだけ長い間待たせてしまった為、しびれを切らしてしまったのかもしれない。そんな思いが椛の中にあり、罪悪感と共に心寂しさを抱えていた。

 

 厠かもしれないと椛は思い立ち、尖刃館に隣接している雑木林を見た。尖刃館の中にある厠は宴中、上級官職の天狗しか使うことができない。その為こうして雑木林で用を足すものも多くいた。

 

椛は舞姫装束を自分の持ち場で脱ぎ、いつもの恰好に戻ると、林の中へと入って行く。

 

そのまま少し歩くと、かすかに話し声が聞こえてきた。

 

聞き間違えるはずもない。聡士郎の声である。

 

 椛は表情を明るくし、声の方向へと歩いて行く、すると少し開けた場所で聡士郎は空を見上げて立っていた。

 

 「あっ、そうじろ…!?」

 

椛は開いた口を瞬時に閉じた。聡士郎の隣にはもう一人、見慣れた白狼天狗が立っていたのだ。月夜に照らされる長い白髪。堂々としたその立ち姿は、露草であった。

 

椛は声を押し殺すと、木陰で二人を覗き込んだ。

 

 

「では、ワシはもう用済みと言う事なのか?」

 

聡士郎はトーンを落とし、落ち着いた声で露草に問う。

 

宴の際、聡士郎は椛を待つため一人で飲んでいたが、露草に声を掛けられた。

 

その時の露草の顔は、とても言いにくそうな何かを秘めた顔をしていた。いつもの露草ではない事を聡士郎は悟ると、人気の無いこの雑木林の奥へ行くことを提案したのだ。

 

両者はしばし月を眺めていると、露草が唐突に口を開いた。

 

前置きなどは無かった。単刀直入に発せられた露草の言葉は、椛の護衛から外すと言った内容であった。今回は意識を失った際の一時的な物ではなく、本当に護衛をその物を解任されたのだ。

 

それを聞いた聡士郎は、意外にも素直に受け止めていた。

 

いずれこうなるのではないかと、予想していた事であったからである。

しかし、一つ「何故だ?」と小さく言葉を洩らした。

 

その問いかけに露草は苦い表情をすると、その訳を話した。

 

大まかに言うと、露草がこれまでに起こしてきた無理強いのしわ寄せであった。それまで嫌々ながら露草の命を承諾してきた嫌人派は、ここぞとばかりに白狼鴉共に関係なく団結を果たし、『松木聡士郎を犬走椛の護衛から外せば、舞姫に犬走椛がなる事を承諾する』と言い出したのである。

 

露草率いる穏健派は多数決の結果、この案を呑むことにした。異端分子である聡士郎を外すだけで良く、デメリットが少ない――いや、穏健派としては何処も痛手が無かったのだ。穏健思考を持つ椛が抜擢されるのであれば、断る理由が見つからなかった。

 

こうして椛は、舞姫候補に選ばれた。最終決定権を持つ大天狗も、何も問題なくそれを了承した。

 

「…悪く言えば、そうなるな。明日には犬走家に使いが参る。白狼の舞が行われるまで、閃牙殿に幽閉される事になるだろう」

 

聡士郎の問いに、露草は珍しく申し訳なさそうな表情をして顔を落とした。

 

「はっはは…そうか。ワシはここでも…」

 

薄く笑いながら、聡士郎は乾いた声で言った。

 

「しかし、御前には感謝をしている。侵入者の件でもそうだが…、椛を守ろうと言う気持ちはきっとこの村に住む天狗すべてに伝わっただろう。人間にもこのような奴がいるとな…」

 

「そうか…初めからその為に…」

 

聡士郎は納得するように頷く。

 

 天狗から見下されている人間であるのにもかかわらず、聡士郎はただ正直に、そして懸命に椛を守ると言う任を果たしていた。それにより人を見る目を変えさせることで、中立思考を持っていた天狗達を穏健思考へと傾けることこそが、露草が聡士郎を呼んだ真の策略であったのだ。

 

 その効力は大きかったと言える。まんまとその策略に、中立思考の天狗達は乗ったのだ。事実、舞姫候補輩出した中立思考の筆頭とも呼べる林道家は、聡士郎の行いを賞賛しており、穏健派のお告げを受けることに賛成していた。

 

「…で、どうすればよいのだ?」

 

 必要とされぬなら、ここにもう用は無いだろう。そう言いたげな顔をして、聡士郎は大げさに肩をすくめた。

 

 しかし、何故か露草は表情を緩めた。

 

 「ああ…その事だが―」

 

 そう、露草が返事を返そうとした時の事であった。

 

 ガサリと、後方の草木が揺れた。二人は何者かと警戒しつつ、瞬時に振り返る。

 

「あっ・・・」

 

そこにいたのは、言わずと椛である。ぽかんと間抜けた顔をしていた。

 

 「も、椛…今の話し聞いていたのか?」

 

 露草は気まずそうに、椛に言う。すると椛は目元が熱くなり始め、涙をこぼし始めた。

 

「どういうことです!聡士郎さんを外すって…どうしてですかっ!」

 

黙っていられず椛は涙交え、大声を張り上げた。

 

苦い顔をして露草は椛に説明をしようとする。しかし、聡士郎は露草の前に割り込み言葉を阻んだ。

 

「…椛、世話になったな」

「えっ…」

 

ゆっくりと冷静な口調で言う聡士郎に椛はカッとなった。

 

「そ、そんな!聡士郎さんはそれで良いのですか!」

 

 声を荒げ、椛は叫ぶ。しかし聡士郎は強張った顔をして表情を崩さない。

 

 「露草殿すらどうすることもできなかったのだ。ワシらがあがいても何も変わらん」

 「そんなの…そんなこと…!納得できません!」

 「納得できないのはワシも同じ。だが、ワシは依頼主の命に背くことはしない」

 

 今までの付き合いは仕事上の為仕方が無かったと言いたげに、聡士郎は淡々と言う。だが、本当はそうでないことを椛はとうに知っていた。

 

「…明日には閃牙殿からの使いが来るそうだ。白狼の舞までの間、稽古に励め。…そしてワシだけではなく、誰もが見惚れる程の舞を踊って見せよ。約束だ…」

 

聡士郎は低く言うと椛に背中を向け、再び月を眺め始めた。

その行為は、もう聞く耳は持たないと言った表れであった。

 

 既にこの事を受け入れている聡士郎を見て、椛は何か熱いものが込み上げてきた。それは呆れからきているのか、悲しみから来ているのか、自分では分からない。

 

 椛は俯くと来た道を戻るように、雑木林へと思い切り走っていった。

 

「いいのか?」

 

そんな椛を見つめながら、露草は呟いた。

 

「…こうしたほうが椛も受け入れやすいだろう」

 

ずるずると護衛を解任することに反対しても意味は無い。

上下関係の厳しい天狗の社会で上から決められたことは絶対従わなければならない。覆すことができないのは、椛も嫌と言うほどわかっているはずだ。

だが、聡士郎は薄々気が付いていた。自分の心の中の事、そして椛の心の中も。

 

それだからこそ、こうして突き放すような態度を取り納得させるしかなかった。激薬ではあるが、効果も絶大であろう。

 

所詮、人と妖怪は結ばれる事は無い。あったとしても、それは悲惨な結末を生む。両者の心が引けなくなるより前に、手を打たなければならなかった。

 

しかし、聡士郎の強く握り締めた拳から血が滴った事を露草は感づいついた。

 

 「そうか…」

 

露草はただ、小さく呟いた。そして思い出したように言葉を繋げる。

 

「あー先程の話しの続きだが…お前にはまだやってもらいたいことがある」

「何…?」

 

少し驚いた顔で、聡士郎は振りかえった。てっきり明日にでも追い出されるのかと思っていたのだ。露草はそんな聡士郎の表情を見ていつもの調子に戻りニヤリと笑うと、腕を組んだ。

 

 

宴会も終わりを迎え、早朝。

 

いつもなら朝の鍛錬を行う時間である。ちょうど同じような時間に聡士郎も目を覚まし、一緒に走ることが日課になっていた。家に戻ると軽く朝食を済まし、そこから尖刃館へと向かう。

 

だが、それも今日からしばらくできない。いや、聡士郎が欠けて、もう二度とやることは無い。

 

椛はいつもの服とは違う、礼装に着替えていた。楓も見送りの儀の為、礼装を着ており、どこか物々しい雰囲気であった。

 

夜通し宴会を行ったのにもかかわらず、今日もまた白狼の舞には欠かせない重要な見送りの義がある。一見、人間からすればハードスケジュールであろう。しかし天狗達は人と比べて体の作りがまるで違うのは言うまでもない。その為、何も支障は無かった。

 

「楓。家が片付き次第、土筆のとこに行きなさい。この紙を渡せばきっと受け入れてくれるでしょう」

 

しゃがみこむと、椛は三つ折りにした手紙を楓へと渡した。

 

楓は手に取ると大事そうに懐へしまって、にっこりと笑顔を作った。

 

「師匠もお元気で!舞を楽しみにしています!きっと師匠が舞う姿は美しいんだろうなぁ…」

 

その笑顔の額には、割れたような傷跡がある。

 

陰爪の奇襲によりできた傷だ。

 

あの後、楓は聡士郎に担がれ医者の元まで運ばれ、縫われたのである。天狗は傷の治癒が早いが、縫い跡により一生消えない傷が残ってしまった。

 

しかし本人は名誉の負傷と言って喜んでいた。そんな楓を見て椛は胸が痛くなる。自分の所為で出来た傷であるからだ。

 

「…お世辞でもうれしいです。正直、私には似合わない役だと思いますが‥」

「そんな事無いです!僕は断言できます!」

「ふふ…楓はやさしいですね」

 

椛は楓に微笑みかけると立ち上がり、玄関へと向かっていく。

 

ふと、椛は玄関で振り返った。少しの間家を空けるだけなのに、どこか寂しさが込み上げてくる。

 

「絶対…成功させないと」

 

その思いを押し殺すように椛は呟いた。

 

あの後、宴会から抜け出して家へと帰ると、椛はひたすら自室で涙を流していた。何故、聡士郎があんな事を言ったのか、そして何故、素直に護衛から外される事を受け入れていたのか、ともかく涙を流し続けた。

 

そこから寝てしまったのか、早朝になると涙は枯れていた。冷静になった事で初めて、聡士郎の意図を薄々勘付くことができた。彼はわざと自分を突き放したのだと。

 

そして最後の言葉には聡士郎の椛に対する思いが込められていた。

 

自分だけではなく、他人も見惚れる程の舞。それはつまり、聡士郎は椛に惚れている事を現していた。そして、その惚れた女はぐうの音も出ない程美しいのだと、皆に伝えたい。そんな意図があったのだろう。

 

だからこそ、椛の舞に対する思いは、一層強くなった。彼の残した思いに、答えなければならない。

 

その為にも、恥じぬ舞姫に。誰もが認め見惚れる舞に。そして彼に、自分の思いが伝わる舞を…。

 

椛は心の中で復唱すると玄関を開け、使いの待つ外へと出ていった。

 

 

村全体の行事である「見送りの儀」が終わると、村にはいつも通りのんびりとした空気が漂っていた。天狗達は一斉に散らばり、それぞれの仕事へと戻っていく。今回の「見送りの義」は過去に比べ村の住人が増えた為、盛大な物となった。

 

権現村住宅地から天来寺へと続く一本道を天狗達が列を連なり歩いて行く。これが「見送りの儀」である。

 

村の住人達は、今日ばかりは店や任務を一時的にやめなければならず、村の総人口約千人が天来寺へ舞姫が入る様子を拝まなければならなかった。

 

舞姫の乗った籠が近くに見えると、白狼、鴉共に関係なく頭を下げなければならない。だが、保守的な考えを持つ天狗達にとってこれはごく当たり前の事であり、疑問を持つ者はだれ一人としていなかった。

その理由は、神を降霊させる身である為、無礼を働いては厄災が降り注ぐと言われており、それを信じているからである。

 

「ふぁぁ…やっと終わったぜぇ…」

 

春吉はあくびをしながら、仕事の疲れを癒すかのように、衛兵詰所で寝ころんでいた。先程まで衛兵隊は「見送りの儀」の警護をしており、精を出していたのだ。

 

嫌人派の幹部たちは椛が舞姫となる事を認めたとはいえ、一般的な嫌人派は良く思わないものが多い。それに過激派集団がまた何かをしでかすのではないかと桔は睨み、警護の任を買って出たのである。

それが幸いしたのか何事も無く、無事に舞姫は天来寺へと入っていった。天来寺所属の衛兵隊は何かしらの嫌味を言ってはいたが、後悔は先に立たない。厳重な警護する事にこしたことは無いのだ。

 

因みに衛兵隊は、この権現村に二つあった。一つは春吉や桔が所属する一般的な衛兵隊で、通称「村廻方」と呼ばれている。文字の如く村を見回り治安を維持し、何か異常がないかを調べる事が多い。尖刃館での修行で衛兵隊を目指す物は、ここに属すことが多かった。

 

次に天来寺所属の衛兵隊である。彼らは名家出身――いわゆるエリートであり、幼少期から腕の立つ者が多く尖刃館の卒業生から稀に選抜される。それ故腕を買われ、天来寺の警護を任されるのだ。

 

その為、双方の衛兵隊は良く衝突していた。衝突と言っても口喧嘩程度ではあるが、度が過ぎると殴り合いが起きることがある。鴉天狗と白狼天狗が犬猿の仲であると同じように、双方も合間みえる存在であった。

 

 

 

さて、春吉は暫く横になり、日頃の疲れが体に来たのか瞼が落ち始めた頃であった。奉行所の出入り口が騒がしくなった。

 

何であろうかと春吉が半分寝ている頭で考えていると、縁側から誰かが走ってきたのかドタバタと音がした。

 

「春吉さん!」

 

勢いよく襖が開いたと思うと、春吉の後輩である繁縷椚。通称「チビ太」が、血相を抱えた顔をしていた。

 

「なんでぃ」

「いや…その…」

 

急に戸惑いはじめ、椚は目を泳がせる。それを見た春吉は睡眠を邪魔された怒りが込み上げ、怒鳴りつけた。

 

「手前ェなめてんのか!用があるならまとめてから言いやがれ!ぶん殴るぞ!」

「は、はい!人間がこの奉行所訪ねてきてきました!」

 

椚は恐縮しながら、威勢よく春吉に要件を言う。

なるほど、だから言うのに戸惑っていたのか。春吉は理解した。人間と言う事は聡士郎であろうと思い立ち、椚を押しのけて、奉行所の玄関へと向かった。

 

玄関の前に着くと、予想した通り聡士郎が立っていた。春吉は少し強めの口調で、聡士郎に問う。

 

「おいっ聡士郎!なんか用でもあるのか?」

 

その声で春吉の存在に気が付いたのか、聡士郎は軽く手を上げた。

 

「おお、春吉。すまぬな」

「スマンじゃねぇよ。椛の護衛はどうしたンでい?それに、ここに来るとはよほどの事があるのか?」

 

春吉の問いに聡士郎は表情を曇らせて、腕を組んだ。

 

「…ワシは護衛を解任された」

「なっ…!おいおい、今度は本当に解任されたのか?」

 

流石に春吉も驚いたのか、目を見開いた。しかしすぐにニヤリと表情を歪める。

 

「…それで、さよならの挨拶でもしに来たのか?案外可愛いところもあるじゃねぇか」

「気持ち悪いことを申すな。ワシは新たな任を与えられたからここにいるのだ」

 

嫌な物を見るような表情で聡士郎は春吉に言うと、玄関を見渡し、再び春吉に視線を戻した。

 

「ここに犬童桔と言う男が居ると思うのだが、その男に用があってここに来たのだ」

 

 

それから聡士郎は春吉に案内されると、長官室へと案内された。

 

衛兵隊の長官は、奉行所で個別に部屋が与えられるのだが、桔は個別の部屋に居座る事を嫌い、村を出歩き見回りをすることが多い。その為、今では長官室兼、応接間の様な役割を果たしていた。

 

「失礼します、春吉です」

 

春吉が長官室の扉を叩くと「入れ」と言葉が扉越しから聞こえ、中へと入っていく。

 

幸いにも今回は見回りの儀があった為、桔は見回りを行っていなかった。書類の整理を長官室でしていた様であり、タイミングが良かったようだ。

 

「むっ?春吉だけではなかったか。するとその男が」

 

顔を上げると桔は少し面食らったような顔をして、まじまじと見つめた。

 

「十手持ちが一人、松木聡士郎と申す」

「うむ、噂は聴いているぞ、陰爪を倒したのだな。儂からも礼を言わせてくれ」

「それがしは任を果たしたまで、例を言われる筋合いは無いかと」

 

その言葉を聞いて桔は若干微妙な顔をしながら「そうか」と頷いた。

 

「さて、それがしがここに来た理由は他でもない。実は真神露草殿から書状を預かっているため、馳せ参じたのだ」

「む?露草様から?」

 

桔は眉をひそめると、聡士郎が懐から出した書状を手に取ると腕を振り、ばさりと書状を開いた。

 

「ふーむ…。お主はこれで良いのか?」

「…問題ない。むしろこの村に居られるのであれば、何でもよかったのでな」

 

低く声を押し出すようにして聡士郎は答えた。その表情を桔は見るとしばし唸る。

 

「…そうか。では頼んだぞ」

「恐れながら、おかしら。何が書いてあったので?」

 

話しに着いて行けないのか、春吉は二人に目を運びながら、説明を求めた。桔は腕を組みその問いに対して重く口を開いた。

 

「露草様の命により、今日から松木聡士郎はこの奉行所で務める事となった」

 


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