白狼の舞   作:大空飛男

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主な登場人物。

松木聡士郎 (マツキ ソウジロウ)
人里出身の妖怪退治の専門家。過去に「不落の松」と言われた剣豪。
不盾流という二刀剣術を使う。

犬走椛 (イヌバシリ モミジ)
権現村に住んでいる白狼天狗。哨戒隊に所属しており、第二哨戒隊の隊長を務めている。
千里先まで見渡せる程度の能力を持つ。

真神露草 (マカミ ツユクサ)
白狼天狗の統領。穏健派の代表者でもある。

犬走楓  (イヌバシリ カエデ)
椛の義弟。老いた白狼からの転生により、白狼天狗となった。

射命丸文 (シャメイマル アヤ)
権現村に住む鴉天狗。人里に最も近い天狗とも言われている。

双葉土筆 (フタバ ツクシ)
権現村にある団子屋「双葉庵」の看板娘。陽気な性格であり、負けず嫌い。

竹峰春吉 (タケミネ ハルキチ)
権現村に住む白狼天狗。衛兵隊に所属している。はっきりしている性格である槍使い。

犬伏柊 (イヌブセヒイラギ)
嫌人派の白狼天狗。犬伏家の一人娘でもある。椛と同じく舞姫候補の一人。

銀杏木迅兵衛 (イチョウギ ジンベエ)
権現村に住む白狼天狗。第一哨戒隊の副隊長。
権現村の剣術使いの中では五本指に入る腕を持ち、銀杏木流抜刀術と言う居合を使う。

犬童桔 (インドウ キキョウ)
衛兵隊の長官。非常に勘が冴える事から「銀狼の桔」という二つ名を持つ。


それでは、本編へどうぞ。


天狗の社会
出会い


秋の終わりの空に、ひらひらと落ち葉が宙を舞っていた。

地に落ちた葉は一面に広がり、赤と黄色の絨毯に変わっていた。

 

そんな中、男は紅葉の絨毯を踏みしめて、前に進んでいた。

 

やっとの思いで追いつめた大鹿。ここで、逃がすわけにはいかなかったのだ。

 

山に篭ってから、既に四日が立っている。持ってきた食料はとうに尽きて、弾薬も残り少ない。

そもそも 山鳥を獲るはずであったのだが、思いもよらぬ大物が現れた事で、男の持つ猟師魂に火が付いた。今まで見たことも無いその獲物を、見過ごす訳にはいかなかった。

 

「いた」と、男は喜びを交えた声で言う。

不思議なことに、大鹿は黙って男に視線を向けていた。 それは見方を変えれば誘っているようにも思えるが、気持ちが高ぶっている今の男は、対して気にならなかった。

男は猟銃に火をつけて、何時でも撃てるように身構えた。

ゆっくりと、またゆっくりと大鹿に歩み寄る。いつ逃げても弾丸を直撃させると、男は息を飲んだ。

 

だが、鹿は一向に動かなかった。ただ、男を眺めている。

 

「なんだ?」

 

流石に男も不審に思ったのか、猟銃を下ろした。

すると、大鹿は軽やかな足取りで、さらに山の奥に進んでいった。

 

「くそっ」

 

遊ばれている。男は毒つくとやけになり、猟銃を胸に抱えて、思い切り後を追った。

逃がすものかと目を迸らせて、男は長く続いている絨毯を踏みしめる。

 

総重量およそ十キロの装備をガチャガチャと揺らして男がたどり着いたのは、見るも美しい小さな池であった。奥には湧き水が漏れる岩壁がそびえ立っていて、漏れた水が徐々にこの窪地に溜まり、この池ができたようだ。

 

「美しいな…」

 

男が無意識に呟くと、同時にハッと我に返った。

大鹿は何処だ。奴は何処に消えた。男は心の中で、迂闊だったと悔やんだ。

慌ただしく辺りを見渡すが、大鹿らしき生き物は見えず、ただそよ風に草花が揺れているだけである。

男は逃したと思うと、悔しさを押し殺して来た道を戻ろうとした。

 

その時。ふと、何か水が弾むような音が男の耳に入った。男は猟銃を素早く向け、その音に感応する。

 

 「あっ」

 

思わず、男は間抜けた声を出した。そこに立っていたのは、短い白髪をした女性であったからだ。

女性は足を池に付けて、男を無表情で見ている。

 

だが、男は背筋が凍るような感覚を覚えた。

 

その女性には人間の耳ではなく、イヌ科の耳が生えていたのだ。

 

それによく見ると、美しい毛並みをした尻尾も生えている。無表情思えたその眼光は、男をどこか見下している様であった。

 

そう、この生き物は人ではない。

 

「白狼・・・天狗・・・!?」

 

男が消えそうな声で呟いた突如、遠吠えが聞こえてきた。それも一匹の声ではない。数匹の規模である。

 

「な、なんだぁ⁉︎」

 

男は悲鳴のような声を上げた。

周りを見渡すと、草むらから出てきたのか白き毛皮の狼たちが唸り声を上げ、男を睨んでいた。その数はおよそ七匹。

 

連射が出来ない猟銃にとってこの数は太刀打ちが出来ない。もっとも、この数では連射式の銃でも辛いかもしれない。

 

「馬鹿な・・・ここらは狩猟区域だぞ・・・何故白狼たちが・・・」

 

 男は近づいてくる白狼たちに向け、あたふた銃を構える。じりじりと距離を詰めてくるにつれて、男は体をがたがたと震わせていた。

 そして、一匹の白狼が疾風のように男に飛び掛かった。

 

「く、くるなぁ!」

 

 男の叫び声が山に響く。そして、その声は二度と聞こえなくなった。

 

 

 人里は相変らず活気に満ちていた。

女子が道端で立ち止まって他愛もない話をしており、子供たちが無邪気に走っている。昼間から呑んでいるのか肩を組んで笑い合う中年も居れば、団子屋の座椅子に座りひと息を付く老婆もいた。

 

「異常はない…か」

 

 そんな中、妖怪退治の専門家である松木聡士郎はキセルを吹かしながら、ゆっくりと歩いていた。

 髪を掻き上げ髷を結っているが、前頭部から頂頭部は剃っていなかった。淡い藍色の着流しはわざと崩して、太刀と小太刀を二本ぶら下げている。そして鈍く鉄色に光る十手を帯に刺していた。

その姿は、例えるならば町役人と浪人を足して二で割ったような恰好であろうか。

 歳は今年で三十路を迎えるが、もともと顔が老け顔で顎鬚が生えている為、その年齢はもう二、三上にも見える。

 

 聡士郎が十手を持っている理由は、彼が妖怪退治の専門家の中でも主に治安維持に努めていたからであった。

ほぼ私欲や権力。名誉の為を求める私的理由が多い妖怪退治の専門家の中では珍しく、純粋に里の治安を守る為に活動している。幻想郷ではかなりのお人好しであろう。

 

そんな彼らの事を人々親しみを込め、『十手持ち』と呼んでいた。

 

故に里の住民からの信頼は厚く、それぞれの村にいる権力者からも一目置かれている存在である。

 

因みに東西南北中央の村で構成されている人里で、十手持ちは各地に一名ずつしかいない。彼らは皆、それぞれ生まれた村を愛しているからこその、行動であったのだ。

 

「しかし。昔に比べ里もずいぶん安全になったものだ」

 

キセルを胸元にしまうと、聡士郎は嬉しそうに、しかしどこか寂しそうな声で呟いた。

 

 博麗神社に新たな巫女が置かれてから、もう五年になる。最初の方は仕事にぎこちなかったのだが、時が立つにつれ、彼女は小さな異変ですら完璧に熟すようになっていた。そして今では、幻想郷の危機であった異変も易々解決をしたと言う。それは鮮やかで見惚れる物であったそうだ。

 

 この事から十手持ち達は現在、自分たちの時代は終わりであると薄々勘付いていた。つまり、この重い十手を手放したい考えを持つ様になっていた。

つい最近、聡士郎は里の守護者である上白沢慧音に十手を返そうと決意して寺子屋に押し込んだ。しかし彼女は何を言うかと困った顔をすると、突き返されてしまっていた。

 

彼らは今、何のために義を振るうかわからなくなっていたのだ。

 

 聡士郎は、西村と中央村をつなぐ赤く塗られた橋に寄りかかり、空を眺めた。

空にはゆったりとした雲が流れてて行き、平穏な気分に包まれる。

 

「生きもせず、死にもせず。ワシらはこの先どこに向かうのだろうか」

 

 仕事ができない妖怪退治の専門家は食っていけない。それを副業としているのならまだしも、本業としている物には、博麗の巫女の出現は迷惑極まりなかった。だが、博麗の巫女は妖怪退治の専門家の中でも超一流であるため、強く言えないのが専門家達すべての現状であるのだ。

 

古き時代縛られた人間は今について行けない。まさに、老兵死せず、ただ去るのみであろうか。

 

「もし・・・」

 

 そんな思いを胸に秘め、何気なく聡士郎は空を眺めていると、後ろから誰かに声を掛けられた。

視線を戻し、聡士郎は声の主を確認すると、その顔には見覚えがあった。

 

 「おう。鍛冶屋のボウズか。名は何と言ったか…」

 

 「政吉です」

 

 「そうだったな。思い出した。政吉だ」

 

 聡士郎は拳を叩いて閃いた様に言う。本心では忘れていたが、それは両者にとってどうでも良い事であった。

 

「それで、ワシに何か用か?」

 

「いえ、見かけたので挨拶をしようと思いまして」

「そうか…」

 

 

少し寂しそうな表情をして聡士郎は呟いた。

もしや依頼かと思ってしまった為、どうしても顔に出てしまったのだ。それを見た政吉は察すると、申し訳なさそうな表情をしてぺこりと頭を下げた。

 

「岩男のオヤジは元気にしているか?」

 

「はい。あの時の傷も癒えました。オヤジも松木様の持つその刀なら、無償で鍛えなおしても良いと言っておりました」

 

 政吉が言う「あの時」とは、以前聡士郎が退治した妖怪が、鍛冶屋の岩男に斬撃を与えた事である。

人に化けたその妖怪は属に言う「かまいたち」と呼ばれる妖怪で、岩男の元で刀を鍛えてもらったことが始まりであった。

 岩男は鍛えている途中、その刀に違和感を覚え、人の血を吸っている事に気が付いた。

人を殺すことは勿論、ここ人里の中では許されていない。火付けよりは罪は軽いが、それでも大罪である。

 火付けより軽い理由としては、自己防衛の為に行った時、誤って殺してしまった時などの「仕方がなかった」とされる場合は免除にされる事が稀にある為である。しかし火付けは木造建築の多い人里では大量虐殺になりかねない。良くても処刑、悪くても処刑である。

 話しを戻すが、大罪である人の血を吸っている刀を見て岩男はかまいたちに問うと、正体がばれたと勘違いしたかまいたちは岩男に斬り掛かり、鍛え終わったその刀を奪うと逃げ去ったのだ。

だが逃走中、見回りをしていた聡士郎とすれ違った際、かまいたちの着ていた服に血が付着していることに聡士郎は気がつくと、問答無用で現行犯逮捕ならぬ、現行犯退治されたのだった。

 

 その後、かまいたちは罪を改め、農作業をしている住民達に度々手を貸していると言う。自慢の速さで鎌を操り、稲を刈る。外の世界で言う草刈機の様だった。そして愛くるしい少女の姿である為、住民たちからも娘の様に可愛がられていた。

 

かまいたちの持っていた刀、『追風』は謝罪と更生の印として岩男に渡されたが、逆に岩男は感謝の気持ちでそれを聡士郎に渡した。

聡士郎は恐れ多いと断ったが、「刀は剣士が持つ物であり、鍛冶屋はそれを鍛えるためにある。その為それは、お前が持っているべきだ」と無理やり押し付けたのだった。

 

「懐かしいな…。この『追風』。確かに良い刀だ。ワシが持つには惜しい」

 

帯刀している追風をそっと撫でて、聡士郎は言う。

 

「そんな。お似合いじゃないですか。追風は正に異刀。絶対に折れぬ不屈の刀でしょう?」

「だからこそだ。ワシの流派は殺法剣ではない。身を守る流派だ。それゆえ『追風』には、ワシの流派では失礼なのだ」

 

「へえ・・・」

 

聡士郎の鋭い眼光に一瞬にらまれた政吉は、一歩下がると、「そういえば」と話題を変えた。

 

「最近。妖怪の山に神社ができたのを知っています?」

「ん?ああ、だが行こうにもいけぬではないか」

 

 妖怪の山。そこは名前の通り、妖怪が数多く住み着いている山である。昔には鬼も住んでいたと言われていたが、今では天狗たちが主に山を切り盛りしている。閉鎖社会である天狗たちは独自の決まりを持っており、他の妖怪たちもそれになんとなく従っていた。

 

 最近では天狗達との交渉の末、狩猟区域を設ける事に成功したらしく、魔法の森で猟師をしていた物が度々通うようになったと、聡士郎は耳に入れていた。

 

「しかしですね、山の神社の神様たちは天狗達に交渉して参拝道を設けることに成功したそうですよ。狩猟区域の交渉は三年もかかったと言うのに。なんというかあっと言う間ですよね。狩猟組合の方々がかわいそうです」

 

「ははは、確かに。だが神なのだろう?それくらい容易いのかもしれぬぞ」

 

「ああ、なるほど。そうですね、なんたって神様ですから」

 

 政吉がそう言うと、聡士郎は大きく笑った。彼の気持ちの良い笑いに、政吉もつられて笑う。

 

「それで、その神社は何を祀っているのだ?博麗神社の様にわからない訳ではあるまい」

 

「私も詳しくは知りません。ですが風の噂では、軍神がどうとかと」

 

「なに、軍神とな?」

 

その言葉に聡士郎は興味を持った。

 

「すいません。これは噂なので・・・信憑性は薄いです」

 

「いや、良い事を聞いた。今度行ってみるとしよう。なあに、ワシが居なくなったとて、見回りはまだ各村に四人いる。どうせ奴らの事だ、異変があればこの中央村にも喜んで駆けつけるだろう。それにな、今は博麗の巫女もおる。一日くらいワシが休んでも、誰も文句は言いまい」

 

 人里から妖怪の山まで、徒歩だと半日は掛かる。魔法の森を抜けて、霧の湖の横を沿って歩くと、やっとの思いで麓まで到着するのだ。だが参拝道の入口は玄武の沢からであり、正確にはその沢も超えなければならなかった。

 

 因みに沢には河童が棲んでいる。仮に出合ってしまった場合は、こちらは手を出さず、軽く挨拶をする程度であれば攻撃をしない。向こうの気分が良いと返事を返してくれるとも言う。昔は人々を水害で苦しめていたとされているが、現在は河童も温厚になったのだ。

 

「いや、むしろ松木さんは休暇を取るべきだと思います。夜も見回っているのでしょう?」

「ああ、それは」

 

 聡士郎は少し間をあけると、照れくさそうな表情をした。

 

「見回りと言いつつ、飲みに行っておるからな」

「えっ」

 

政吉は思わず声を出して驚いてしまった。

 

 

 それから三日後の事、聡士郎は参拝に出かけることにした。実は参拝以前に、神頼みなど生まれて初めて行う事である。

 聡士郎は『十手持ち』の四人に挨拶を交わすと、朝早くから山へと向かっていった。暫く田園地帯を歩き、魔法の森に入って行く。そして森を抜け、霧の湖沿いを歩き、ちょうど太陽が真上に来たころ、玄武の沢にまでたどり着くことができたのだった。

 

 「ふう・・・流石にこの距離はしんどいな。年は取りたくないわい」

 

 聡士郎は座るのに丁度いい石に腰を掛けると、竹の水筒で水を口に含む。渇いた喉を潤す水の味は最高であり、そのままごくごくと飲み干してしまった。

 

 「おっと。これでは昼食の分と、帰りの分が足りなくなるではないか」

 

 考えなしの行動に聡士郎は悔いると、竹の水筒で沢の水をくみ上げる。

 程よく冷えたこの水は、自然の水は山からじっくりと濾過された水であり、里に通っている小川や井戸水とはまるで違う。つまり、味が少し変わっているのだ。

ここ玄武の沢ではその濾過された水が行きつく終着点の一つでもあり、水質も透き通っていて美しい。だからこそ河童の住処となっているのだ。

 

 「さて、昼時だ。メシを食うとしよう」

 

 座っていた石に聡士郎は戻ると、竹の葉の包みを解き、握り飯を一つ手に取った。

 

 「うむ。我ながらうまい。絶妙な塩加減だ」

 

 聡士郎は満足に頷きながら、ぱくぱくと握り飯を口に運ぶ。現在、彼は一人身であった。

 

彼は職業柄、いつ死んでもおかしくない。そのため嫁を取らないことにしているのが、理由であった。

また、彼は他の『十手持ち』とは違い、率直に言うと女性に人気が無かった。しかし妖怪からは何かと慕われており、「聡士郎が嫁を取らない理由は、雌の妖怪とデキているから」と、噂が立ったことがあった。もちろん、デキている訳が無かったのだが。

 

「自給自足。これも修行だ。ほかの十手持ち共は、それがわかって無い。あまえとる」

 

 空しいと思いつつも、自分に言い聞かせながら、聡士郎は旨いうまいと握り飯をほおばっていた。

 

 すると。

 

 「そんなところで何してるの?」

 

 不意に声を掛けられた。聡士郎は気を抜いていたため驚き、思わず喉に飯を詰まらせてせき込む。

 

「ごほっごほっ・・・。あーなんだ。お前は」

 

「河童だよ?」

 

「そうか。ごほっ!」

 

 胸を叩いて、無理やり飯を喉に通す。それを見ていた河童の少女は何処か楽しそうに笑うと、水辺から出てきて竹の水筒を聡士郎に手渡した。

 

 「おえっ・・・気が利くな」

 

 「そりゃどうも」

 

 「さて、何の用だ?すまぬがワシはきゅうりを持っていないぞ」

 

 水を飲んで喉の調子を整えると、聡士郎はいつもの口調で、河童に問う。すると、河童は苦笑いをした。

 

 「いや、キュウリはどうでも良いんだけどさ。山に向かうのかい?」

 

 「ん?ああ、そうだ。それが?」

 

 「うーんと、しばらくはやめておいた方がいいかも」

 「なぜだ?」

 

 聡士郎は不思議そうな顔をして、河童に問う。すると河童はすこし待っているように言うと、何かを持ってきた。

 

 「これ、人間の武器、銃だろ?」

 

 「そうだが…まさか…お前」

 

 嫌な予感をして、聡士郎は追風に手を伸ばすと、睨み付けた。しかし河童は慌てたように訳を話した。

 

 「違うよ!上の方から流れてきたんだ。死体と一緒に!」

 

 「死体・・・だと?」

 

 「そう。死体。毛皮とか着てたし、おそらくは猟師じゃないのかな?」

 

 その訳に聡士郎は納得した。おそらくこの猟師は、狩猟区域から外れてしまい、山の治安を守る狼たちに殺されてしまった。そして、川に突き落とされ、ここに流れ付いたのだろう。

 

 「莫迦な奴め…死体はどうした?」

 

 「埋めておいた。上に石乗っけて」

 

 「ふふっ。墓石のつもりか。河童もずいぶん人間らしくなったものだ」

 

 何処かおかしくなり、聡士郎は思わず笑った。

河童はそれを見ると少し照れたような表情をして、言い返した。

 

「気まぐれさ。私のテリトリーに入って邪魔だったからだよ。それに今でも人間は嫌いだ。でもさ、なんか放置するのも嫌だったからだよ」

 

「…知り合いではないが、人間として礼を言っておく」

「ふん。そもそも沢にだって来てほしくないさ。もう一度だけ言うよ、今は山に入らないほうが良い」

 

そう言い残して、河童の少女は、流れる河の中に飛び込んでいった。

 

 

 忠告を聞かず、聡士郎は何事もなかったかのように、山の中に入っていった。

仮に襲われても返り討ちにできる自信があり、何より許可区域外に出なければ襲われる心配も無いと思っていた。

 

だが、そんな聡士郎が山の中腹にある、小さな橋を渡る最中であった。

 

「・・・この空気は」

 

 先程からピリピリとした空気が、森の中に漂っていた。この雰囲気は、妖怪が殺意を向けている時と大きく似ている。

場所が場所であるため、このような物だろうと聡士郎は思っていたが、次第にその思いは間違っていると気付いたのだ。

 聡士郎は歩みを止めると、辺りを軽く見渡した。小川から流れるせせらぎの音、風で揺れる木の葉、この何事もなさそうな情景こそが、聡士郎の危機感を高めていた。

 

 誰かに見られている。

 

 そう考えが行きついた聡士郎は、ゆっくりと『追風』に手を添えて鯉口を切った。

 

 「出でこい」

 

 強張った声で、聡士郎は呟く。すると、何処からか唸り声が聞こえてきた。

 

 「狼か…?」

 

草むらが揺れると、いつの間にか聡士郎は狼に囲まれていた。白銀の毛皮をした狼たちは、牙をむき出し、敵意を込めた眼光で睨み付けている。

 

 「ふむ・・・。白狼か。と、言う事は」

 

 聡士郎が冷静に呟いたと同時の事であった。風を切る音が聞こえたと思うと、聡士郎の前に人影が現れた。

白き髪、人間では考えられないイヌ科の耳。黒装束を羽織ったその正体はーー。

 

「白狼天狗か?」

 

「いかにも。手前の名は秋山剛牙と申す」

 

 そう、白狼天狗は強い口調で名乗りを上げた。良い体格をしている雄の白狼天狗は、ギロリと睨み付け、黙って大剣を聡士郎に向けた。

 

 「ここは聖域。妖怪たちが住まう場所。貴様ら人間が来る場所ではない。いますぐ去ぬか、死ね」

 

 「何を言う。ここは参拝道。立ち去るのは貴様ではないのか?許可も出ていよう」

 

 少しだけ態勢を落とすと、聡士郎は剛牙に言う。

 

「ぬかせ。太古からこの山は人が入ってはならぬ。おぬしも幻想郷に住んでいるのであれば知っているはずだ。許可など、村に住む穏健派の阿呆共が決めただけだ」

 

 そう言い捨てると、剛牙は大剣を振りかざした。聡士郎は後方に地を蹴ってそれを、ひらりと交わす。

 

 「奴をかみ殺せ!」

 

 剛牙は言い放つと、一斉に狼が飛び掛かってくる。

 

「所詮は狼だ」

 

 『追風』を瞬時に抜いて流れるような剣捌きより、率先して前に出た三匹の狼達は斬撃を受けると、悲鳴を上げ地に倒れた。そして短く息をしたと思うと、二度と動かなくなった。

その三匹を見て他の狼たちは畏怖したのか、飛び掛かるのを踏みとどまると、吠えながら後ずさりをした。

 

「ぬう!見事!」

 

「伊達にこれで飯を食ってはおらんからな」

 

「手前と戦うのにはふさわしいと見た」

 

剛牙は少しだけ笑うと、大剣を振りかざして、再び聡士郎に襲い掛かる。

冷静に体を動かして聡士郎は避けると、反撃すべく袈裟切りで斬り掛かかった。しかし、剛牙は力任せで無理やり大剣をねじ込ませると、その白刃を打ち消した。

 

キィンと高い音が響く。両者は磁石が反発するかの如く後方に下がると間合いを取り、構えなおした。

 

 「荒い剣技をしおる」

 

 「だからどうした」

 

 次に、剛牙は大剣を正眼で構えた。

岩を切り出し、そのまま剣に加工したと思えるほど巨大であるが、剛牙はふら付かずがっしりと構えている。天狗の馬鹿力とそれに釣り合う足腰の強さは伊達でないと、聡士郎は関心をした。

 

 対して聡士郎の構えはだらりと腕を下げ、片手で『追風』を構えていた。不気味なほどに殺意のないその構えに剛牙は眉をひそめた。

 

 「貴様、この俺を莫迦にしているのか」

 

 「いや、これこそが構え。我が流派、『不盾流』だ」

 

 そうは言うが、聡士郎の構える『不盾流』を見れば、戦う意思が無いと見える。命のやり取りに力なく構えれば、誰もがそう感じるだろう。

しかし、聡士郎は本気そのものである。その意図は強い眼力が語っていた。一切目をそらさず、剛牙を探るようにらんでいるのだ。剛牙はそれが、全てを見抜かれているようで気に入らなかった。

 

 「ふん。何が不盾だ。天狗を侮辱するとは浅はかな!ここで散れい!」

 

 大剣を振り下ろし、剛牙は吠えるように叫んだ。大剣の重量と剛牙の振りの速さで、風が舞い上がる。

 聡士郎は左の足を一歩斜めに下げると、剛牙の斬撃に合わせ、追風を片手で振り上げた。

しかし、その斬撃は剛牙ではなく、彼の持つ大剣の鎬に当たった。大剣の軌道は逸らし、聡士郎の真横の空を切った。

 

 「むっ!なんだと!?」

 

 剛牙は意表を突かれたのか、横目で聡士郎を見た。

そして、今度こそは逃がすまいと、大剣を振り上げようとする。

 

しかし、それはできなかった。

 

 「なっ・・・」

 

 突如、まるで固い物を叩いたかのように剛牙の手首に電流が走り、無意識に大剣を滑り落としたのだ。

 何が起きたのかと、思わず剛牙は掌を見る。すると、掌は小刻みに震え、力が入らなかった。

 

 「さすがは馬鹿力。その分衝撃も強いか」

 「何をやった!」

 

焦りと困惑を秘めた問いを剛牙は聡士郎にする。すると、困った顔をして口を開いた。

 

 「むう。うまくは言えぬが、強いて言うなら貴様に力を、そのまま返しただけだ」

 「何をバカな!?」

 

 奥歯をかみしめ、剛牙は思い切り聡士郎に飛び掛かろうとする。

だが、追風は無機質な光を放ち、剛牙の首元を捉えていた。

 

 「ワシの勝ちだ」

 

 がくりと剛牙が膝を着くのを見ると、聡士郎は深く息を吐いた。そして構えを解くと、ゆっくりと追風を鞘へと戻し、帯刀した。

 

 戦う気力が失せたのか、剛牙は落胆をしていた。人間に天狗が負けることなど想像していなかったのだろう。

聡士郎はそんな剛牙から目を背けると、先へ進もうと前に出る。

 

しかし、ふと剛牙は体を震わせ、突然笑い出した。

 

 「されど、牙は落ちぬぞ」

 

 「なっ!?」

 

 思わず振り返り、聡士郎は声を荒げた。

同時に剛牙は勢いよく手を上げたと思うと、突如何処からか矢が飛んできて、聡士郎の肩を射抜いた。

 

 「ぐっ・・・貴様!」

 

 聡士郎が言い切る前に、剛牙は丸太の様に太い足で、聡士郎を蹴り飛ばした。その威力は重く、聡士郎は思い切り吹き飛ぶと、針葉樹の幹に体を打ち付けた。

 

「うぐっ⁈」

 

「何がワシの勝ちだだと?笑わせるな。殺すまでが勝負だ若造!」

 

 掌のしびれが取れたのか、剛牙は聡士郎の首元を掴み上げると、そのまま幹に押さえつけた。

徐々に力を強めていき、その巨碗で首を絞めていく。

 

 「ッ・・・!」

 

 聡士郎は必死にもがくが、天狗の力に勝てるわけが無く、力が抜けていった。

 

 このまま死ぬのだろうか。

 

 ふと、脳裏に言葉が走った。こんな汚い手を使う雄天狗によって、自分の命が潰えてしまうのだろうか。一瞬の迷いが死につながる。それはわかっていたはずであったのに、なぜ慢心したのだろうか。

 

 しかし、なんとあっけない幕引きの三十年間なのだろう。

 

 鍛練を怠らず、毎日剣を磨き続けてきた。

 

 青春をドブ川に捨て、妖怪に剣を振り続けてきた。

 

 そんな自分に、聡士郎は改めて問う。

 

 剣を振るのに正義はあったのか。

 

 本心は自己満足や傲慢があったのか。

 

 戦うことに快楽を感じていたのか。

 

 そのすべてか。

 

 ともかく、それも今日で終わってしまう。考えてみれば命をかけて戦うのに、卑怯も糞もない。何をして勝つなど関係ないのだ。

 

生き残った者が正義であり、真の勝者である。

 

 聡士郎は静かに目をつぶり、死を覚悟した。

 

 だが、その刹那の事だった。

 

 朦朧とする意識の中、どこからか遠吠えが聞こえた。

 

 勝利の雄叫びかだろうかと、聡士郎は思った。しかしその予想は外れた。

 

 「待て!秋山剛牙!」

 

 「な・・・貴様は!」

 

 剛牙は聡士郎から手を離すと、その声の方角に振り向き、驚いた顔をした。

せき込みながら聡士郎はその声に主を見ると、そこに立っていたのは剛牙とは比べ物にならない程華奢で、小さく、幼さを残す顔立ちの白狼天狗であった。

 

 「い、犬走椛か!」

 

 「剛牙・・・!先ほどの勝負。すべて見させて頂きました!」

 

 凛とした口調で、椛と呼ばれた雌の白狼天狗は言い放った。

 

 「貴方は負けた!だが未練たらしく貴方はその人間を襲った!白狼天狗の名に泥を塗るつもりですか!?」

 

 「いや!それは違う。殺すまでが勝負。この男は中途半端に私を活かしたのが敗因だ!」

 

 堂々として剛牙は言う。彼の言い分は間違っていない。むしろ的を射ている事は、聡士郎でも分かる。だが椛は背負っている大剣を、剛牙に向けた。

 

 「ではその運よく拾った命。私が頂きましょう」

 

 「なっ!何⁉︎」

 

 「黙れ!殺されたくなければ、今すぐ立ち去ってください。私は同朋を殺したくはありません!」

 

 椛の威勢に気圧されたのか、少しの間彼女を睨み付ける。そして小声で「穏健派の犬が・・・」と小声で呟き、そのままどこかに飛び立ってしまった。

 

 「何故助けた」

 

 息を整え、肩の矢を抜きながら聡士郎は椛に問う。すると彼女は聡士郎の前に立つと、膝を着いた。

 

 「私は犬走椛と申します。先ほどの戦いお見事でした。良く人間が、白狼天狗にあそこまで太刀打ちを・・・」

 

 素直に感心したような声で椛は言う。どうやら本心から言っているようで、聡士郎は驚いた。

 

「まさか、白狼天狗にそんなことを言われるとは・・・」

 

 すると椛は立ち上がり、聡士郎を見つめた。そのまっすぐな瞳に、聡士郎は自分で驚くほど、何故か心拍数が上がっていた。

 

 「もっ・・・申し遅れた。ワシは松木聡士郎。人里で妖怪退治の専門家をやっておる」

 「はい、存じております。『不盾流』の使い手であり、『不落の松』と言う通り名を持つ。そう聞いております」

 

 「聞いている・・・?何時のまにワシはそんなに有名になったのか・・・。何とも恥ずかしい」

 

 頭を掻いて聡士郎は照れ臭そうに言う。椛はそんな聡士郎を見て、少しだけ微笑んだ。

 

 「さて・・・ワシに何の用だ?まさかお命頂戴とは言わないだろうな?」

 

 聡士郎は一つ息を付くと緩んでいた顔を引き締めて、いつもの妖怪を威圧する調子に戻る。すると椛は両手を振って、否定した。

 

「いえ、そんなめっそうもない。私は只の使いです」

 

「使い?」

 

「はい。白狼天狗統領から、あなたを連れてくるように言われました」

 


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