kurenai・bullet   作:クルスロット

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7/18 感想でご指摘をいただきましたので少し編集しました。話自体に変化はありません。


第六話

 空間を弾丸が埋め尽くした。それはまるで弾丸の壁。肉を引き裂き、骨を砕く獣の爪の一撃だ。爪と同時に銃口から放たれ、虚空を揺らすのは獣の咆哮。放たれた弾丸はその身に宿す権能を遺憾なく発揮し、標的を蹂躙してゆく。残るのは血煙を上げる呻き声一つ上げることすら無くなった温かな肉塊達。

 飛んでくる弾丸を最小の移動で回避し、即座に彼女は、獲物に向けてベレッタの引き金を引いた。

 撃ち手はたった一人の女であった。名は柔沢紅香。裏の業界の中でも十指に入るであろう有名人だ。

 その揉め事処理屋として超一流である彼女を支えているものの一つに、圧倒的暴力というものがある。彼女はその身と愛用のベレッタ一丁だけで戦闘のプロ達を蹂躙することが出来る。事実、今も重武装の彼らを人間離れした射撃能力と特別仕様にチューンされたベレッタで翻弄し、確実に殺害している。対多人数戦に置いて、彼女は無類の強さを誇っている。同業者で並ぶ、もしくは匹敵する者といえば、かなりの少数だ。両手の指で足りてしまうほどに少ない。

 しかし、それは純粋な人間のみで計算した場合である。

 人の皮を被り、人を凌駕する力を持ち得る者が存在している以上、彼女は絶対ではない。

 

 

 例えば、新人類創造計画の被験者。

 

 

 例えば、呪われた子供達。

 

 

 例えば、裏十三家の化物。

 

 

一つ目は、現代科学の最先端を操っているが故、対処がし難い。非常に行動が読み難い。その上、圧倒的火力、圧倒的防御力、異常なまでの機動力、千変万化とも言える奇異な能力を持っている。どれを持っていても脅威であり、しかも単一能力ではないというだから非常に手を焼く存在であるだろう。

 彼らは人の闇から生まれ堕ちたと言っても過言ではない。人類の存亡を掛けた戦争、それは人道を無視する事への大義名分になり得た。彼らを生み出した者達は『私達は医者であろう。人の命を弄ぶのだから、彼らの意思を尊重し、彼らの意思の元に彼らの命を弄ぼう』そう誓った。賛同した者も居た。しかし。それ程、人は高潔に成れない。

 その者達はその身の欲望に勝てなかった。躰に満ちる欲望はそんな言葉を歯牙にも掛けなかった。

 人の業は言葉で、想いで御せるほど、賢くない。

 だから多くの者達はその身に望んだ、望まぬ力を抱え込む事になった。 

 故に、彼らに真の平穏が訪れることはない。

 

 二つ目、彼女達の大半が紅香にとっては脅威でない。何故なら殆どが銃口を向けられれば行動が出来ないただの幼い少女でしかないからだ。

 けれども大半に含まれない少数はそうではない。それどころか、紅香を歯牙にも掛けない者すら存在している。IP序列百番以下。二つ名持ちの彼女達は常軌を逸している。言葉通りそのままの意味であり、人間、それが柔沢紅香であろうとも万全を期したとしても対向するのは非常に難しい。

 そんな彼女らもただの少女でしかない。そこでしか生きれないから、そこに居るだけなのだ。

 

 三つ目、彼らはその身で熟成させ、混ぜ合わせ昇華し続けた血。それに宿る力を振るう。十三家全てが戦闘に特化した存在ではないが、その内に存在する殺し合いを生業とする者達の戦闘能力は凄まじい。しかも彼らの宿す力は既存の科学で証明出来ないものが多い。

 例えば、斬島。彼女ら、彼らは刃物を手にするということをトリガーにして、その人格に何らかの変化、性格を激変させる。そう、そこまではまだ問題はない。そこから先だ。ここから先が問題なのだ。彼、彼女らの操るただの平凡極まりない刃物はコンクリートを意図も容易く、豆腐を切るように斬り刻む。ありえない。幾らなんでも非常識極まりない。異常な膂力を持っているわけでもなく、何かしらの異能を持っているわけでもない。その道を極めているわけでもない。ただ、刃物を振るっているだけ。道具として、ただ、横に、縦に、斜めに振るうのみ。そして、斬るという現象を斬島の者達は起こしてしまうのだ。

 しかも彼、彼女らは『自分達は、ただ、刃物を操るのが上手いだけ』そういう認識しかしていない。

 先の例として上げた二つ以上に、裏十三家の者達の出鱈目は極まっている。裏十三家が滅び去っている以上、研究すら不可能であるが故、理解不能であるが為に他二つ以上に特異であった。

 戦前の研究資料もあるだろうが、殆ど深く昏い闇の中に消えていったまま。

 どれも、人にあってはならない能力。

 だが、持ってしまっているのだから仕方がない。

 それらをずっと、抱え続けるしかないのだ。

 血肉と魂に刻み込まれた業を捨てることなど、出来ないのだから。

 

 

 閑話休題。 

 

 

 紅香は此処、星噛の実験場最奥を目指して進軍していた。

 現在地は、モノリス付近に存在するそれなりに大きな病院であったであろう廃墟に偽装された研究施設。その正面玄関、簡単に言えば受付ホールだ。

 たった二人だけ(・・・・)の進軍。けれども、その力は一騎当千に及ばずとも、それに比肩するレベルには到達している。

 紅香の持つ拳銃は、拳銃であるはずなのに、それはもう機関銃の域に達していた。空薬莢が紅香の周りで小山を作っている。発砲音が連なって聞こえる程の凄まじい連射だ。あまりにも高速すぎるリロードにより。それは彼女が持ち得る魔技の一つに数えれるだろう。

 そんな彼女の弾幕を突破してくる者も存在する。

 その躰は小さい。前のめりの、低い、地面スレスレの体勢に凄まじい速度を乗せ、紅香へと迫っていた。紅香は知覚していながら、回避不能の距離まで接近されているにも関わらず、余裕綽々といった表情で拳銃の引き金を引き続けている。

 その者の拳が握りしめられた。

 小さな手、けれども篭る力は万力だ。それも当然。彼女はモデルバッファローのイニシエーターである。つまり、その拳は人の躰をミンチにするのには十二分以上であり、紅香の躰が幾ら人間離れした頑丈さがあろうともその拳を一撃でも受ければ致命傷は避けられないであろう。

 踏み込み、加速を拳へ乗せ、少女は拳を放った。

 フォームも、勢いも、威力も申し分ない。

 少女は思う。

 殺ったと、確信の思考を浮かべた。

 放たれた拳が一直線に向かっていくのを彼女は認識した――――しかし、訪れない手応えに、彼女は疑問符を頭の中で浮かべた。

 インパクトは訪れない。血肉を潰し、骨を砕く感触が拳に伝わってこないのに、思わず敵前というのに少女は首を捻っていた。

 この距離なら拳は届いているはずと彼女は無防備を晒すのを承知で、いや、そんなこと、彼女の思考には無かったのだろう、極自然に彼女は右手へと視線をやった。

 

 「え?」

 

 零れたのは疑問の言葉と現実を受け止められないという声色の言葉。

 直後、少女の首は空を舞う。表情は、驚きのそれで固定されているだろう。まあ、黒のフルフェイスヘルメットに覆われ、他の者達がその表情を見ることなど未来永劫無いのだが。

 

 「全く」

 

 声は暗闇を震わせて、紅香へと届く。

 

 「いい加減、終わらせたらどうだ?」

 

 紫煙は暗闇を引き裂く無数のマズルフラッシュに照らされて、天井へと向かって登っていく。

 

 「私はもう動きたくないぞ」

 

 そう闇絵は嘆息混じりに呟いて、咥えた煙草を指で挟んで、口からふーと細い煙を吐いた。

 

 「働けよこの喪女」

 

 紅香のそれに、闇絵も同じ様に返す。

 

 「五月蝿いな阿婆擦れ」

 

 軽口を互いに吐き捨てる。それから、紅香が動いた。

 パンツのベルトに取り付けた手榴弾を二つほど取って、安全ピンを引き抜いたそれを彼女は奥へ目掛けて適当に放り投げた。

 大雑把過ぎる方法に、闇絵はまた紫煙混じりの溜息を零してしまう。今日は妙に溜息が多い日だと、彼女は内心で呟いて、煙草を咥え直した。

 彼女の咥えた煙草が灰に還る頃。周囲は静まり返っていた。

 

 「あー結構弾使ったな」

 

 必要最低限に収めるつもりだったんだが……と紅香は小さな声でそう零した。

 

 「過ぎたことはしょうが無いだろう」

 

 闇絵はそう言い、

 

 「さっさと奥に行くことにしよう。ちゃんと掃除は終えているのだろうな?

 死体だと思っていたら実は生きてました。咄嗟の事で躱せず、殺せず、撃たれました。なんて冗談じゃないぞ」

 

 「当たり前だろう」

 

 と返した。

 言葉を交わして、二人は施設の奥へ向かう。彼女らが通るそこには死が満ちていた。心臓を穿たれたもの、首のないもの、ザクロのように頭が弾けているもの。様々な死骸が転がり、血の臭いでここは満たされていた。

 ちなみに弥生によって殆どの情報収集は終わっている為、この施設のマップは手に入っている。ただ、深部に関しては流石の彼女にも侵入は出来無かったため、深部、最上位のセキュリティレベルを要する場所の入り口までのマップとなっている。

 

 「しかし……」

 

 闇絵は周囲に様子を一応、伺いながら言葉を作った。

 

 「案外、簡単に終わったな」

 

 この女が自分以外を要したのだからもっと手間取ると思っていたが……。と内心で彼女は思う。

 

 「ああ、ここ殆ど兵隊がいなかったからな」

 

 周囲に視線を走らせ、片手に持った携帯端末に視線をやる。表示されているのは弥生が調べたこの施設のマップ、そこに表示された赤く点滅する点がこの二人の現在地を示しているのだろう。

 二人は暗い院内を歩き続ける。件の研究施設は紅香の手元にある地図によれば地下にあるらしい。エレベーターは一応チェックしているが、地下に降りるボタンはなく、電気も停められており、使い物にならなかった。

 通路は暗いが、紅香が持ってきたマグライトの灯りで十分照らせていた。

 二人が二つ目、いや、三つ目の十字路に差し掛かる頃、漸く、闇絵が口を開いた。

 

 「ふうん……それ、お前のところの忍者が調べて分かってたんだろ」

 

 携帯端末と周囲へ交互に視線をやる紅香に闇絵はジト目を向ける。

 

 「まあ、な」

 

 肯定して、彼女は右へと足を向けて歩き出す。

 紅香の肯定を聞いた闇絵は立ち止まり、

 

 「だったら、私がここまで来る必要無かったな。帰らせてもらおうか」

 

 紅香に背中を向け、元来た道へ闇絵は戻っていく。そんな彼女へ紅香は振り向き、飽きれたような視線を向ける。

 

 「お前、ここからどうやって帰る気だよ」

 

 「…………帰るのはやめにして、お前を待っている事にしよう」

 

 面倒くさいがあまり、此処がどこにあるか、それが頭から抜け落ちていたらしい闇絵はそう言い直した。

 

 「駄目だ」

 

 一言で闇絵の言葉を切り捨てた紅香は歩みを再開させて、こう言った。

 

 「今度、好きなもの奢ってやるからついて来い」

 

 その言葉を受け、来た道を引き返そうとした闇絵は歩みを止めて、彼女は振り返った。

 

 「……お願いすればついていってやってもいいぞ?」

 

 ニヤリと笑う彼女に紅香は立ち止まって、後ろへ、闇絵の方に振り返った。

 

 「巫山戯ろ」

 

 そう吐き捨て、紅香は先へと歩き出した。そんな彼女の後ろ姿を眺めて闇絵は諦め

たように苦笑して肩を竦めると、

 

 「まあ、旨い酒でも奢ってもらうとするかな」

 

 また、紅香の後ろをゆっくりと歩き始めた。

 そうして、二人はこの施設の深部へと向かっていく。

 数分後。紅香と闇絵は研究施設深部入り口になるであろう地下へ向かうであろうエレベーターの前に辿り着いてた。他の電源は落ちているというのに、このエレベーターだけは何故か、電源が入っていた。その証拠に、エレベーターの扉はパネルのスイッチに反応して、開いている。その上、灯りもしっかりと点いていた。カードキーによるロックなどはされていなかった。あまりに杜撰なセキュリティーに紅香は「罠か?」と眉を顰めた。

 敵地のエレベーター、しかも、罠の臭いがするものを使うのは流石の紅香も躊躇い、周囲を探索してみたが、地下へと続く階段は存在しなかった。

 つまり、これが唯一の通行手段ということになる。

 扉を開いたままそこに留まり続けるエレベーターの前で紅香と闇絵は佇んでいた。紅香は少し前から黙り込んだまま。闇絵はそんな彼女の後方で壁に凭れ掛かり、何本目になるであろうかも分からない煙草に火を灯していた。

 

 「どうする?」

 

 闇絵の問いに紅香は躊躇いなく答えた。

 

 「乗る」

 

 そう答えてから苦笑する。

 

 「それ以外ないだろ。もし罠でも、踏み抜くしかない」

 

 少しの間を置いて、

 

 「踏み抜いて、罠を仕掛けた事を後悔させてやればいい」

 

 勝ち気に笑って紅香はエレベーターに乗り込んだ。その後を闇絵が何も言わず、同じ様にエレベーターへと乗り込んだ。

 このエレベーターはどうも地下とここを行き来するだけのものらしく、階層は表示されておらず、扉の開閉スイッチだけが配置されたパネルが設置されていた。

 そのスイッチを押す間もなく、エレベーターの扉はゆっくりと閉まった。同時に、下へとエレベーターは動き始める。

 静寂がエレベーターの中を満たす。流石の闇絵もエレベーターで煙草を吸う気にはならなかったらしく、どこか口寂しそうだった。 地下へ、地下へ。まるで奈落に堕ちるかの様な錯覚を感じさせるほど、このエレベーターは地下深くに降りてゆく。

 

 「長いな」

 

 紅香の呟きはそこに満ちる静寂に消えていった。

 そんな紅香の言葉から、少し、経った頃。

 音と認識し難い程に微かな駆動音、それが止み、エレベーターの扉が開いた。

 銃口を扉の向こうへと紅香は突きつける。気配も殺意も何も感じない。一応だ。もしかすれば、そういうのに特化した輩が居るかもしれない。そういう疑心からの行動だった。

 闇絵も同じ様な心情で、その手に少しの力を込めていた。殺意を静謐に、その手の先へと集中させる様なイメージをしながら、視線を動き始めた扉の向こうへ向けていた。 

 扉が、開いた。

 

 「……気を張りすぎたかな」

 

 闇絵は指先に込めた力を抜くと、内に満たしていた殺意を霧散させた。

 

 「……そうだな」

 

 銃口を下げた紅香は闇絵の言葉に同意しつつも、エレベーターの外へ出る前に外の安全を確認した。

 エレベーターを出たそこに広がっていたのは、何処までも広がている様な錯覚を覚える仄暗い場所だった。特徴的なものと言えば、そこら中で光源になっているであろう円柱型の水槽だ。その水槽は、よく分からない不可思議な色合いの液体が満たされており、中に設置されているライトを受け、此処を照らす光源にもなっていた。そこで標本になっているのは見て分かるようガストレアだ。様々な種類のガストレアの標本がそこらに立ち並ぶ水槽の中には浮かんでいた。

 気配無し、殺気無し、罠無し。

 紅香が安全を確認したのを見ると、闇絵もエレベーターの外へ出た。同時に、微かな駆動音とともにエレベーター扉は滑らかに閉まった。

 水槽の内側に設置されている灯りが機能している辺、此処の電源は上と別らしい。

 二人は警戒しつつ、奥へ進んでいく。水槽の間を縫うようにして、二人は奥へと歩を進めた。

 十分後。特に何事も無く、紅香と闇絵は最深部に辿り着いていた。

 最深部。先の大広間とは違う、通路の先、その奥の奥には一つ、扉があったであろう予想の出来る空白があった。そこにあったであろう扉の残骸はそこらに紙屑同然に引き千切られて転がっていた。まともな膂力では絶対に出来ない。人外の痕跡、もしくは、ある種の人種なら可能と言える痕跡が転がっていた。

 闇絵と紅香は残骸から視線を奥へと向ける。何かの気配も、血の臭いも、闘争があった残り香も感じられない。ただ、その奥に油断ならない何かが居たという痕跡が見て取れるだけ。

 無言で紅香は踏み出す。後に続く、闇絵も無言であった。

 奥には、空になった円柱型の水槽があった。水槽のガラスは砕かれ、無残を晒している。中にあったものは見当たらない。此処に居ないのなら、もう、この施設には居ないだろう。

 中を満たしていた液体が床を濡らしていた。水溜りを作り、そこへ踏み込んだ紅香のハイヒールの底を濡らす。

 紅香のもつマグライトの光が内装を照らし、闇を剥ぎとっていく。

 

 「何が、居たんだろうな」

 

 闇絵は周囲を眺め、呟く。

 中央に設置されている円柱型の水槽だったものが酷く目立つが、ここはその中身を観察、研究していたのだろう。その設備が見て取れた。専門家ではない二人には分からない計器が壁にテーブルに床に設置されていた。マグライトで照らすにも限界があるため、あまり詳しくは視認出来なかったが。

 

 「碌でもないものなのは、確かだな」

 

 直感的にそう感じ取った紅香は闇絵の言葉に答える。

 

 「――――客、か」

 

 と、そこでだ。何の気配もなかったそこに一つの気配が生じたのを、二人は言葉を聞き取ってから気付いた。

 反射的に、二人は声の方へ殺気を放つ。同時に互いの得物を声の方へと向けた。

 

 「何、ただの死に損ないだ。そんなに圧をかけるな」

 

 奥、この部屋の奥の奥。そこから声は聞こえ、近づいてきていた。

 

 「今、灯りをつける」

 

 その言葉と同時に、灯りが点いた。

 天井に設置されている光源が一拍の間を置いて、光を灯した。白い光が部屋の中を照らす。

 眩しさに一瞬、二人は目を細めた。それから、声の方へ臨戦態勢を取りつつ、視線を向けた。声は部屋の最奥に居た。

 

 「ただの研究者だ。武器はないし、身一つで君らをどうにかする技量などもない」

 

 少し薄汚れた白衣を纒った男が両手を頭の横で掲げて、ひらひらとさせていた。武器は持っていないとアピールしているらしい。

 それでも油断しないのが紅香である。

 

 「その場で膝をついて、両手を頭の後ろで組め」

 

 ベレッタの銃口を向けながら、男へ接近する。やれやれ。と言って男は大人しく紅香の言葉に従い、その場で膝をついた。

 

 「此処に何があった?」

 

 紅香の問に、研究者は一言で答える

 

 「研究対象だ」

 

 次に言葉を続ける。

 

 「ガストレアウイルスを投与した被験体。それを対象に実験をしていた」

 

 「人体実験か」

 

 口元を歪ませ、言葉の端に嫌悪を滲ませる紅香に「ああ」と男は頷いた。

 

 「ある特殊な塩基配列を持つ被験者にガストレアウイルスを投与、ガストレア化するまでの経過を観察。もしくは、被験者を対象に実験を行っていた」

 

 「ガストレアウイルスに侵された人間は直ぐ様、ガストレアに変化するんじゃないのか?」

 

 闇絵の問いかけに、男は答える。

 

 「ああ、そうだな。ただ、それは通常のガストレアによって通常の人間にウイルスを注入されたの話だな」

 

 男は眼鏡の向こうにある切れ長の瞳で紅香を見上げ、

 

 「モデル指定なし、素のガストレアウイルスだ。それを特異な塩基配列を持つ人間に投与する。すると、被験者は人の形を保ったままガストレア化するんだ」

 

 思わず絶句する紅香。そんな彼女の代わりに闇絵が口を開いた。

 

 「で、その被験者は?」

 

 「殆ど死んだ。それの成れの果てが外に飾られてるだろ?」

 

 ああ、やはり、あれはただの標本ではなかったか。と思い、闇絵は質問を重ねる。

 

 「じゃあ、此処に居たのは?」

 

 「ああ、外へ出た」

 

 簡単に言い、男は薄く笑みを浮かべた。

 

 「最後にて最終にして最高であり、最悪だよ。つまるところ、あれは――――」

 

 薄い笑みを深めて、男は嗤う。

 

 「傑作だよ」

 

 笑みは狂気の欠片。その者の中で熟成しきった狂気を表していた。

 

 「とまあ、それで君達は何をしにきたんだ?」

 

 冷静を取り戻し、狂気の片鱗を引っ込めた彼は、彼女達に訊ねる。

 

 「星噛絶奈を殺しに来ただけだ」

 

 「ああ、なるほど。だがまあ、彼女なら居ないよ」

 

 随分前に、此処から出て行った。そう男は言い、立ち上がる。

 

 「そろそろ、その物騒なもんを退けてくれないか? 私が君達に抗う事が出来ないのは最初から解っていただろう?」

 

 無言。紅香、闇絵。共に無言を貫く。それを男は肯定と取ったのだろう。男は二人に背を向け、白衣の裾を揺らしながら奥へと足を向けた。

 

 「ついて来い。奥で話を――――」

 

 男の声を遮るように、何かの鳴る音――そう、それは携帯端末の着信音だ。それが鳴り響いた。

 紅香と闇絵。互いに視線を向け合う。二人共、何かを取り出す素振りは見せない。そこで二人のものではないということになる。

 となれば――。

 

 「おっと、私のだ」

 

 失礼する。と言って、白衣の内ポケットから取り出した携帯端末の画面を見、少し驚いた様子を見せた彼は端末を軽く操作し、それを耳に当てた。

 

 「私だ。ああ、居るぞ。かわるか?」

 

 奥へ行こうとした足を止めて、男は通話をしながら紅香の前へ戻ってきた。それから、自らの携帯端末を差し出すと、とんでも無い事を言った。

 

 「お探しの人物だ。酷くタイミングがいい。作為的な何かを感じるが、だが、この際、どうでもいいだろう?」

 

 男へ向けていた視線を差し出された携帯端末へと視線を向け、もう一度、目の前のマッドな空気を纒った研究者の、非常に整った顔へちらりと視線をやった。その顔へ少しの苛立ちを覚えながらも、紅香は携帯端末を受け取った

 

 「星噛絶奈か」

 

 確認の言葉を紅香は口にした。けれど、言葉には確信が篭っていた。

 

 『お久しぶり、柔沢紅香』

 

 紅香の鼓膜を揺らした声は、あまりにも悪意に満ちていた。そして、あまりにも殺意に満ちすぎていた。込められた鮮烈過ぎる二つの感情は、それ以外の感情を切り捨ててしまったかの様に錯覚させる程であった。

 携帯端末の向こう側、そこに居たのは人ではなく、人の皮を被った異形だった。

 

 『アッハッハッハッハッハ、元気にしてた?』

 

 狂笑を上げる絶奈。それに飄々と紅香は言葉を返す。ただ、携帯端末と耳の距離は開いていたが。どうも、先の絶奈の声は中々の声量だったらしい。

 

 「ああ、お陰様でな」

 

 『久々なんだから他に言うことないの?』

 

 殺意と敵意の固まりかと思えば不満気な様子を見せる。何だこいつは。こんな奴だったか?と紅香は面識が少ながらもどうにか思い出そうとしてみる。

 が、思い出せるのは殺しにかかってくる時に見せた凶相くらい。考えても無駄かと、紅香はそこでそれを考えるのを辞めた。

 

 「何を言うんだか。敵意剥き出しの相手に何を言っても無駄だろうが」

 

 はぁと溜息を吐き、紅香は携帯端末を持つ手の逆の方で髪を軽くかき上げる。

 

 「なんだ、お別れの言葉でも言って欲しいのか? それなら幾らでも言ってやろう」

 

 『あーはいはい。おばはんにはそういう風流を求めても無駄ね』

 

 やれやれといった調子の絶奈の声に紅香は本当に何なんだこいつは……とまた溜息を吐きそうになるも、

 

 「でだ、本題にいかせてもらう」

 

 その溜息を引っ込め、紅香は先程までの緩んだ空気を振り払った。

 

 「お前、此処で何をする気だ?」

 

 目的、それを紅香は単刀直入に絶奈へ問うた。

 

 『恋人を、愛する人を』

 

 狂気が、溢れた。

 そう、それは誰もが持っている狂気。人を呑み込み、破壊し、救う。絶望を、希望を、死すら跳ね除け、死すら飲み干す、絶対の狂気。匙加減を一つでも間違えれば全てを滅ぼしかねない最高にて最悪の狂気。

 名を、『愛』という。

 

 『紅くんを私のモノにしに来た』

 

 ――――厄介なのに好かれたものだ、うちのバカ弟子は。

 

 紅香は端末の向こうにいるというのに、その狂気の一端に触れているのに気付いた。これはまずい。触れていれば、簡単に人を壊す。そう、彼女は直感的に感じ取っていた。

 頭痛がしてきた。これは厄介だ。非常に厄介だ。

 彼女は思考を巡らせる。

 この女は愛を語った。つまりだ。何時からかは知らんが、この女はそれを生きがいにして生きているということになる。なら、恋に堕ちてから直ぐ様に行動を取らなかったのは何故だ。初だから? いいや違う。それほどこの女は可愛らしくない。

 つまり、今まで行動を取らなかったのはこれしかない。

 

 「――お前、待っていたのか」

 

 『ええ、そうよ』

 

 零れた言葉に、愛に狂う異形は即座に肯定した。

 紅香は状況を整理する。今、この東京エリアで起ころうとしていることを彼女は把握する。

 大体の主要人物は彼女の頭に入っている。『新人類創造計画』蛭子影胤、その娘、蛭子小比奈。『東京エリア』聖天子、天童菊之丞。『天童民間警備会社』天童木更、里見蓮太郎。我が馬鹿弟子、紅真九郎。そして、この女、星噛絶奈。

 蛭子影胤が起こそうしているのは恐らく、闘争だろう。史上最悪レベルの争い。恐らくは最終戦争になり得るもの。この際、この女とどんな関係かはいい。

 他の者達はそれを止める為に動いていると見ていい。天童家と天童木更はまだ、置いておく。

 うちの馬鹿弟子は言うまででもないだろう、星噛絶奈を殺し――――――。

 

 「――まさかお前」

 

 目を見開いた。ここまで狂っているとは想定外だった。

 

 『そう』

 

 絶奈は端末を耳の横から顔の前に移動させ、口元を三日月上に引き裂く様に歪めた。

 

 『私は紅くんの全てを壊して、彼を私のものにしに来たの』

 

 甘い愛をそれは口から垂れ流す。

 

 『だから』

 

 ケーキよりも、チョコレートよりも、砂糖よりも、腐りかけの果実よりも甘い、甘い、狂気的で倒錯的な愛であった。

 

 『私は全てを壊す』

 

 異形は嗤う。歪に口元を歪める

 

 『ここは始まりよ』

 

 『恋敵は、居なくていいの』

 

 『真正面から』

 

 『邪魔なものは壊さなきゃ』

 

 異形が醜悪な嗤い声を隠しきれずに零す。

 

 『貴女は、メインディッシュにおいておくから』

 

 『逃げずに待っててね』

 

 その言葉とともに、通話は途切れた。

 残ったのは通話が切れたことを示す音を鳴らし続ける携帯端末と柔沢紅香、闇絵、白衣を纒った男、そして、沈黙に沈むこの部屋だった。

 

 「ここで」

 

 紅香は男へ視線を向けて、静かに問う。

 

 「何が生まれた」

 

 あの女は星噛、そして、兇悪な機械化兵一人と優秀なイニシエーターの一組で世界を滅ぼすなどと言えるほど無知蒙昧ではない。あれは正常な思考を残したまま、狂った感情を抱えているのだ。感情が最優先されるが、思考は常に静かで冷徹だ。

 先の通話から彼女は微かにそれを感じ取っていた。

 そして、こう、確信した。

 あの女は正常にして狂っていると。

 

 「――――この世には、特別な、ある特定の因子を埋め込まれた塩基配列を持つ人間が無数に存在している」

 

 男は静かに語り出した。

 

 「だがな、最後の最後。果ての果て。ハイエンドに辿りつけたのはこの世でも少ない。その特殊個体として確認出来ているのは僅か十一」

 

 紅香と闇絵は静かに男の言葉へ耳を傾ける。

 

 「現在は九に数を減らしている。だが、今日、いや、昨日だったか」

 

 彼は静かに視線を砕け無残を晒した水槽に向けた。その目に浮かぶ感情は測れない。感傷とも、愉悦とも取れない。混沌とした名の付けれぬ感情をその目に浮かべていた。

 

 「ここで、12番目、未来永劫欠番であるはずだったその席が埋められた」

 

 男は宙空を見つめ、誰が言ったのだったか。そう思い出すようにして呟き、告げた。

 

 

 

 

 

 「ゾディアック・ラストナンバー巨蟹宮(キャンサー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




私が原作キャラを書くと完全に元とは少しも似つかないものに変わってしまうのは未熟だからだろうか。
後、この作品、ブラックブレットの二次創作なのに幼女成分なさすぎっ

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