kurenai・bullet   作:クルスロット

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第三話

 

 「ははははははッ!! やっぱり君は最高だよ、紅くん!!」

 

 「黙れッ!!」

 

歓喜する狂気と狂おしいまでの殺意。

 その二つは条理を逸する暴力をもって激突した。

 殺意は視覚化されてもおかしくない程に濃密。

 拳と拳。異形のそれとそれは、一撃のぶつかり合いに関わらず、常人を超越する破壊を生み出した。

 コンクリートを意図も簡単に破砕する。満ちていた静寂を破壊音が砕く。

 ビルの壁が弾け飛んだ。綺麗に整えられていた花壇が粉々にされた。木々が折れ曲がった。

 跳躍は地にクレーターを作り、衝撃は大気を粉砕する。濃密な殺気は常人の意識を揺さぶり、沈めていく。

 

 「星噛ィィィィィィィィィィ絶奈ァァァァァァァァァ!!!!」

 

 真九郎の殺意が炸裂する。それは一度の憎しみで作り出せるものではない。幾度の憤怒と絶望と殺意、そして、対象を呪い殺さんばかりの憎悪。追い求め追いつき、それを八つ裂きにしても、この世に並ぶものの無い苦痛を与えても、それの大切なモノを壊しても、消せず、無くならない。

 自らが自らに刻みつけた呪詛。それを真九郎はその咆哮に乗せていた。

 怨嗟の咆哮と同時に、右腕の肘、真九郎のそこから膨大な力が溢れ出た。

 スーツを突き破り、真っ白な高温の蒸気と共に顕現したのは、一本の真っ白な《角》であった。

 鬼の角、そうそれだ。鬼の額から生える力の象徴たるものだ。

 それが真九郎の肘から、現れ、彼へ化外の力を供給し始める。

 全身の血液が沸騰したかと間違う程の熱を発し始め、。同時に、視界がスローになった。真九郎の加速が始まる。

 真九郎は疾走を開始する。その疾さは人のそれではない。

 故に、一瞬でことは成される。

 星噛絶奈の躰に、真九郎の拳が突き刺さった。

 これは正しく鬼の拳だった。

 そして、正しく彼は裏十三家の遺産であったのだ。

 

 

 

 だが――――、

 

 

 

 「アハッ」

 

 星噛絶奈はニタリと顔全体を引き裂くようにして嗤っていた。

 真九郎の拳をその華奢な躰で、受け止められるはずがないのに受け止め、どす黒い血反吐を吐き出し、なお、彼女は凄惨に強烈に、嗤う。

 ダメージは通っている。実際、彼女の腹の中は骨と肉と内臓のミックスジュースとなっている。真九郎の拳には、その感触が確かに伝わっている。見れば分かるように大きく陥没もしており、骨は腹を貫き、飛び出してしまっていた。見るも無残な傷痕というのはこういうものなのだろう。 それは常人なら吐き気を催すほどに凄惨であった。

 普通なら、即死だ。それほどまでに中身は破壊尽くされている。

 だが、この女は、星噛絶奈は普通ではない。

 

 

 ――――彼女も、真九郎と同じ存在である。故に。

 

 

 真九郎の背筋に寒気が走った。全身の毛が総毛立った。

 ――まずい。

 この光景は一度見たことがある。それにこの感覚は不味い。

 その刹那、星噛絶奈の一撃は炸裂していた。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 時は遡る。

 数時間前。

 日本の護りを司る防衛省の片隅にある会議室。

 その会議室の外、入り口前に真九郎の姿はあった。

 彼を案内してきた防衛省の職員であろう女性はこちらに会釈をすると、閑散とした廊下を歩いて去っていった。

 彼女の背中に軽く視線をやり、すぐに真九郎は、目の前にある扉へ視線を向け直した。

 木製の扉。そのすぐ上には《第一会議室》とある。

 軽く首を鳴らし、肩の力を抜いて、

 

 「行くか」

 

 と呟いて、真九郎は扉を開いた。

 ギシリ……と木が軋む音と共に扉を開いた真九郎の視界に最初に飛び込んできたのは――、

 

 「……君は…………」

 

 頭突きをかまされ、吹き飛んできた見覚えのある少年――蓮太郎だった。

 蓮太郎は、床に躰が叩きつけられる直前に片手を床につけ、ハンドスプリングの要領で立ち上がった。頭突きの痛みが残る顔に左手を当て、彼を見下ろし、下卑た笑みを浮かべる男を睨みつけた。蓮太郎の片手は、驚きと痛み、そして怒りに駆られ、腰のホルスターへと伸びていた。

 

 「おいおい、ただの挨拶じゃねえか。そんなに怒るなよ」

 

 対する男は、ニヤつきながら蓮太郎をギラギラと好戦的に光る三白眼で見下す。

 そんな男に同調したように、周囲の民警達も含み笑いや冷笑を溢した。

 一発触発。そんな空気がここには満ちていた。

 蓮太郎の指がホルスターに収められたXD拳銃に触れると共に、三白眼の男の手が背中に背負ったバスタード・ソードに伸び―――

 

 「双方、武器を収め、お引きください」

 

 静かな声が一発触発の空気を切り裂いた。

 いつの間にか蓮太郎と三白眼の男の間に、一人の女が現れていた。忽然と、気配も何も感じさせず。

 黒髪を後ろで束ね、スーツを身に纏った小柄な女性だ。

 彼女は視線も向けず、二人に、いいや、この場にいる全員に向けて、言葉を発した。

 

 「ここでの流血は互いに不利益しか生みません。どうか矛をお納め下さい」

 

 そう、忠告した(・・・・)

 押さえつけるものでもなく、威圧的でもない。淡々と彼女は忠告の言葉を口にした。

 その忠告に従わなければ、どうなるかは目に見えている。

 従わなければ彼女は容赦なく、この二人を無力化してしまうだろう。それほどに、力の差は如実だった。

 あまりにも最もな言葉と彼女との実力差を感じ取った蓮太郎は、大人しくXD拳銃から手を離し、立ち上がった。軽く、制服に付いた埃を叩いてとる。

 頭に血が上って、周りが見えてなかったな……。と反省し、

 

 「ごめん、木更さん」

 

 憤然とした態度の少女、天童木更に彼は頭を掻きながら、申し訳無さそうに謝った。

 

 「チッ……」

 

 三白眼の男は舌打ちを鳴らしながらも、バスタード・ソードから手を離し、自らのイニシエーターの居る場所へと戻っていった。恐らく、男の所属している民警会社の社長だろう。その社長であろう男が蓮太郎達へ申し訳無さそうに軽く頭を下げた。

 それへ木更は頭を軽く下げると、「里見くん、行くわよ」と言い、隠し切れない怒りを放ちながら、会議室の中央に構えられている大きなテーブルの末席へと向かって行く。

 一瞬、真九郎の方へ目配せをしてスーツの女は会議室の奥へと音も無く歩いて行った。

 

 「…………」

 

 ジッと真九郎はスーツの女を見つめ、目を逸らした。

 彼女には後で話を聞こう。と真九郎は決め、木更の後ろをついて行こうとした蓮太郎へ声を掛けた。

 

 「さっきは災難だったね。大丈夫かい?」

 

 真九郎としても、ああいう輩は好きではない。寧ろ嫌いだ。この辺の好き嫌いは、昔からそうだ。それに、蓮太郎には何故か近親感を覚えていた真九郎は、そのせいか、彼の身を按じる様に言葉をかけていた。

 

 「あ、え、あ、ああ。大丈夫だけど……なんで、あんたがここに?」

 

 驚いて目を丸くする蓮太郎。

 そこまで驚くことかな……? と思いつつ、彼の質問に真九郎は簡単に答えた。

 

 「君と同じ様に仕事だよ」

 

 「え、あんた民警だったのか……?」

 

 揉め事処理屋って名乗ってたはずだよな……? と思いながら、真九郎へそう尋ねる。

 

 「いや、違うよ。この前、名乗った通り。俺は揉め事処理屋だよ」

 

 「里見くん、こちらの方は?」

 

 いつの間にか近くに戻ってきていた木更は小首を傾げ、蓮太郎に訊いた。

 

 「ああ、この人は――」

 

 蓮太郎が真九郎の事を木更に紹介しようとしたその時、

 

 「自己紹介はまた後にしよう」

 

 遮るように言葉を放った真九郎の目は、会議室の奥に設置されている巨大なパネルへ向けられている。

 

 「そろそろ、始まるらしい」

 

 巨大なパネルの前には、一人の男が立っていた。纏っているのは自衛官の制服。階級章は遠目では確認できないが、そこそこの階級なのだろう。中々の貫禄だ。

 それを視認した蓮太郎は真九郎へ「また後で」と言い、木更と共に自分たちに用意されているであろう末席に向かって行った。

 蓮太郎へ頷き、真九郎は二人の向かう反対側に足を向けた。壁際、それなりのスキルを持った上で、注視、凝視しなければ視認、気配すら捉える事が不可能なほどに希薄なスーツ姿の女が居た。その隣で真九郎は壁に凭れ掛かり、腕を組んだ。

 

 「……弥生さん、紅香さんは?」

 

 真九郎はそのスーツ姿の女、犬塚弥生にそう尋ねた。

 彼女は静かに、簡単に答えた。

 

 「今は、このエリアの何処かに居られます。私は紅香様の代わりにここに派遣されています」

 

 「なるほど」

 

 納得。真九郎は自分の師匠である柔沢紅香が今何をしているかは識らない。

 大体、彼女自体が神出鬼没であるし、その美貌とは正反対で常に何処で何をしているかを把握することは難しい。困難であると言える。銀子、裏でも有数の情報屋である彼女にもその情報を掴むのは難しい。

 それほどまでに彼女は自分を隠すのに長けている。それは彼女がどれほど優秀か示していた。

 時には派手に。時には静謐に。

 それが柔沢紅香という女だ。

 そして、この犬塚弥生という女は紅香と主従関係にある。

 勿論、彼女は従者。隠密に長け、闇の中と暗殺を得意とする正真正銘本物の忍者だ。勿論、オカルト絡みの能力などないし、影分身だとかは使えない。ただ、その身に受け継がれ、秘められた技術は本物。超一流と言えるだろう。

 どこでどういう状況で彼女たちがこうなったのかはこの二人以外、誰も知り得ない。

 と、二人が会話を終わらせると共に自衛官の男は、巨大パネルの前にセットされているマイクを手に取った。

 立ち上がろうとした者、既に立っている者達に「座ったままで良い」と声を掛け、彼らが椅子に腰をかけ直すのを見、「空席が一つ、か」と呟いてから、何かにペンを走らせ、そして、頷き、

 

 「さて、ここに集まった諸君。これからする任務内容を聞けば、もう後戻りは出来ない。これは最終通告だ。ここに来る前にも一度、勧告を受けているだろう。その上での最終通告だ。ここから去っても何のペナルティは無い。背中に唾を吐き捨てることもない。故に、命が惜しい者は去れ」

 

 最終通告を発した。

 真九郎は一瞬、逡巡したが。壁に背中を預けたまま、言葉を待つ事にした。

 此処に、もしかすれば探しモノがあるかもしれない。

 探し続けるモノが、ずっと、ずっと探し続けているモノが。

 だから、真九郎は立ち去らなかった。

 自らの命を賭けなければ、辿りつけないと知っているから。

 探しモノはそういう場所にいるから。

 先の言葉を聞いた者達の中からは去るものは現れなかった。

 それに男は頷き、

 

 「では、任務内容を――」

 

 『それは私から話しましょう』

 

 凛とした穢れを識らず、知性を感じさせる女性の声。

 巨大パネルは一人の女性と一人の男性を映し出していた。

 白い。圧倒的な純白。

 第一印象はそれだ。

 髪も、服も、肌も白。陽の光などとは全くの無縁とばかりの白い初雪の様な肌をしていた。

 美しい、白の女性。

 彼女の名は、

 

 「聖天子様……!!」

 

 事前から依頼者であることを知っていた真九郎を除く民警の者達は驚きを隠せていなかった。全員が立ち上がり、背筋を伸ばして、直立する。

 と言っても、真九郎自身、この場に出てくるというのは想定しておらず、それなりには驚いていた。流石に表情に出すことは無かったが。

 この彼女こそ、今現在、東京エリアを統治している存在だ。

 そして、その隣に居るのは、

 

 「天童菊之丞……」

 

 真九郎はボソリと呟く。視線はその名の主へと向けられている。

 見上げんばかりの長身、鋭い眼光。その壮健な姿からは老いなど微塵も感じさせない。

 かつて表御三家が支配していた政界。ガストレア戦争後、そのポストを手に入れたのは天童と呼ばれる一つの家系であった。

 歴史などでは表御三家には劣るが、輩出する人材という面で当時、ガストレア戦争前で天童に比肩出来るのは九鳳院のみ。その九鳳院も、他の二つの家も既に滅び、現政界に、現東京エリアにおいて天童の存在を脅かすものは存在しなかった。

 そして、この男、天童菊之丞。彼は、その天童家の頂点に君臨する男、つまり、現東京エリアの政治においての頂点にある者だ。

 無論、聖天子は天童家の傀儡であったりするわけではない。勿論、他の誰かに操られているわけでもない。

 彼女は、自らのカリスマ性と政治手腕でここにいる。

 確かな実力、そして、歴史上でも稀に見るカリスマ性を武器にする彼女に勝る存在はこの東京エリアに存在しなかった。唯一対抗可能であろう存在の天童菊之丞は、彼女に心酔している。そう、彼女のカリスマ性の虜になっているのだ。

 故に、この二人が存在する限り、政治的な面で東京エリアが崩壊する事はないだろう。

 もしだ。もし、東京エリアに崩壊の危機が迫っているとすれば、要因は間違いなく他にある。

 それも、二人の間に亀裂やすれ違いが無ければの話だが。

 

 『今回の依頼内容を説明しましょう。皆さん、楽にして下さい』

 

 彼女に従うようにして、直立していた者達は自らの席へ腰を下ろす。

 何が起こるのか、彼女がこうして伝えるほどの依頼とはなんなのか。そんな疑問が彼らの中に浮かび上がる。

 けれど、一人の女、天童木更は違った。

 そんな疑問など彼女の頭には無い。あるのは一つだ。

 彼女の瞳は天童菊之丞を凝視していた。

 その瞳の奥に揺らぐのは憎悪と憤怒。

 汚泥の様にドロドロとした憎悪と、深紅に染まる鮮血の如き憤怒。その二つが混ざり合った漆黒の炎。

 間違いなく、それは復讐者特有のものだ。復讐の炎。真っ黒で、燃え盛るその炎を消し去る方法は、唯一つのみ。その復讐の刃が向けられているものの鮮血を注ぎ込むのみ。それだけだ。彼女の瞳の奥で揺らぐそれを感知できたのは、蓮太郎だけだった。

 

 「木更さん」

 

 彼女の肩に手をおき、揺する。その鬼気に少し気後れしながらも彼女の名を呼ぶ。

 

 「今は、駄目だ。木更さん」

 

 蓮太郎の額に、僅かに汗が浮かんだ。表情がやや険しくなる。

 

 「木更さんッ」

 

 蓮太郎は少し語尾を強めて、もう一度、彼女を呼んだ。

 肩に置いた手に篭る力が少し強くなる。細い肩に指が食い込んだ。木更はそれを痛みとして知覚して、

 

 「あっ……」

 

 瞳の奥で揺らぐ真っ黒な炎が静まっていく。痛みが呼び水になり、蓮太郎の声を聞いた理性が、水のようにして炎を鎮火させた。

 彼女の理性が戻ってきた。その彼女は、はっとした顔をして、それから蓮太郎の方へ向き、

 

 「……ごめんなさい。人のこと、言えたもんじゃないわね」

 

 額に片手を当て、嘆息を吐いた彼女は、椅子に腰を下ろした。

 

 「いいよ、木更さん」

 

 気にしないでくれ。蓮太郎はそう言った。

 

 『では依頼内容の説明に入りましょう』

 

 彼女の言葉とともにパネルに一つのウィンドが開かれ、そこに一枚の画像が表示された。内容はガストレア。モデルスパイダー、真九郎が木っ端微塵にしたあれと同系統であり、全く違う。そういう感想を抱かせる見た目だ。遠距離からの撮影したものであるらしく、撮影場所の特定は出来ないが。屋外であることは見て取れた。

 

 『この感染元ガストレアの躰に埋め込まれたケースの回収です。ガストレアへの対応はいつもの様に殺処分でお願いします』

 

 依頼内容はよくあるものであると判断して良いだろう。けれども。

 

 「……つまり、ガストレアの駆除か、いや、それにしても……」

 

 真九郎は眉を顰め呟く。

 このレベルのガストレア、この場に居る民警達ならかなりの余裕をもって倒せるクラスだろう。特に脅威にはならず、偶に侵入してくる低レベルガストレアと何ら変わった点は見当たらなかった。

 ただ、こんな依頼を、聖天子が直接伝えてきた。そこが疑問だ。

 周囲の民警達もそう思っているらしい、それぞれ怪訝とした表情やらを浮かべている。この依頼の真意を考えているのだろう。

 

 「質問があります」

 

 そんな中、女の声が響いた。視線が声の主に集まったそこには片手をピンと上げる木更が居た。

 

 『貴女は……』

 

 聖天子は驚いたような声を上げた。隣の菊之丞の表情が少しばかり厳しくなる。その場の誰もが気づかなかった変化を蓮太郎は察知していた。

 

 「天童木更と申します。以後、お見知りおきを」

 

 自己紹介をしてから彼女は礼をする。

 

 『……ええ、分かりました。で、質問とは』

 

 「そのケースの中身、教えていただけるでしょうか?」

 

 『……それは――』

 

 一瞬の沈黙の後、彼女は言葉を作った。

 

 『出来ません』

 

 「出来ない?」

 

 眉を顰めた木更が更に言葉を紡ごうとした。

 その時、それは来た。

 それを言葉にして現すのは難しい。何故ならばそれを例えられる言葉はこの世に無数に存在しているからだ。そして、そのどれもが人に恐怖を与え、足を竦ませ、怯えさせる。

 なら、ここではそれをこう呼称する事にしよう。

 解りやすく、誰が聞こうとも忌避を覚える言葉だ。

 そう。

 人の外と書き、人外と。

 

 「七星の遺産だよ」

 

 声が聞こえた。男の声だ。何かを間に挟んでいるかのように篭った声。しかし不思議と聞き取り易い声だった。

 一斉に、その場に居る民警達の視線が声の主へ殺到した。大型パネルの向こう側では聖天子が唇を強く噛みしめ、何かを観念するかのようにギュッと目を瞑った。隣の菊之丞は苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべた。

 その声の主は、空白だった席に居た。その左右隣には血溜まりが出来上がっている。先ほどまで息をしていたであろう死体は生前の真剣な表情を浮かべたまま、椅子の上から崩れ落ちた。ごろりと、床に落ちた死体から死因であろう斬首された首が転がった。

 全員が即座にそれぞれの得物を構えていた。この異常の中で呆然としているほど彼らは日和ってはない。

 その銃口の、刃の先には、仮面の魔人と幼き怪物、そして、美貌の異形が君臨していた。

 シルクハットに燕尾服、舞踏会用の仮面を身に付けた人類の叡智により、地獄から這い上がる対価として造り替えられた魔人。

 それは肘掛けに乗せた腕を仮面に添え、人差し指を規則的に動かして、仮面を軽くノックしている。トントン、そんな軽い音一定のリズムで刻まれていた。

 二刀の小太刀を玩具代わりに振り回す、人にあらぬ、ひとにあり得ぬ赤を瞳に宿す幼き怪物は、小太刀を軽く振るって、鮮血を振り落とした。それが先の死体の首を斬り落としたのだろう。眠そうに垂れた瞳は周囲を見回す。

 その隣で魔人とは異なる方法を用いて、この世に生れ堕ちると共に造り変えられた美しき異形は、幼き怪物の頭を撫で、微笑みかける。

 

 「やあ、諸君」

 

 先まで空席だった席に座っている燕尾服の魔人は一斉に向けられた銃口をゆっくりと見渡し、ククッと短く嗤い声を漏らした。それから躰を逸らし、飛び上がるようにして椅子から立ち上がり、片足をテーブルにかけると多くの民警達が銃口を向ける中、魔人は土足でテーブルに踏み込んでいく。彼の後ろにいる異形は愉しげに民警達の顔を値踏みするようにして眺めながら、魔人と同じ様にテーブルの上に登った。幼き怪物は「うんしょっ」と可愛らしい掛け声とともにテーブルの上にいる魔人の隣へと並ぶ。 

 

 「私の名は蛭子影胤」

 

 仮面の向こうで、魔人は口を三日月形に引き裂くようにして、歪めた。両腕は大仰に広げられる。

 

 「君たちの敵だよ」

 

 それは宣戦布告。

 真九郎の予感は的中したのだ。

 こうして、三人の人外と人類の戦争は幕を上げた。

 

 

 ***

 

 

 「……見つけた」

 

 

 薬莢が転がり、民警達の呻き声が響く。そして、誰かが聖天子に問い、彼女が何か言葉を口にする中、真九郎は一人、三人の人外が去っていった扉を見つめていた。大きく、年代物であろう扉は怪物の手により、斬り刻まれてその辺に散らばっている。

 

 「見つけた」

 

 その瞳は暗い。夜闇よりも暗く、奥には激痛の炎が揺らめいている。

 木更のそれよりも熟成しているそれは、ある種類の者達特有のものだ。

 狂気的であり、理性的。激情的で、冷徹。そういった反面的なものを併せ持ち、尚且つ、狂走し続ける愚者の感情。

 

 「嗚呼……見つけた」

 

 右手を口元に当てる。嗚呼、駄目だ。ここでは抑えなくては。押さえていなくては。

 ふらふらと危なげな足取りで真九郎は歩き出す。先ほどまで隣に居た弥生はどこかに消えているが、そんな事、今の真九郎は気にもしない。それ以上に、このエリアの存亡すら今の彼にとっては、些細な問題だった。

 扉へ向かう。もうここに用はない。今は、あれを見つけ出さなくてはならない。その為に、情報が必要だ。

 銀子は頼れない、いいや、頼っちゃ駄目だ。彼女をここに踏み込ませるのはありえない。彼女にはまだ、明るい場所に居て欲しい。こっちに、戻れないほどの闇に来てはいけない。

 扉のあった場所を抜けて、会議室を後にする。誰もこちらに視線など向けない。気づきもしない。

 真九郎は、エレベーターホールに辿り着くと、丁度、扉が開いていた。

 中に入ろうとして――――。

 

 「こんにちわ、紅くん」

 

 女の声と共に、彼の目は大きく見開かれ、

 

 「見つけた」

 

 瞳に映ったのは黒のロングジャケット。そして、長い赤毛。

 真九郎の口元は歓喜に歪められていた。零れた言葉は憎悪と憤怒に染まっていた。瞳は我を失っていた。

 次の瞬間、ビルが甲高い悲鳴を上げ、その直後、轟音とともに四階エレベーターホールが粉砕された。

 そして、時は回帰する。

 

 

 

 ***

 

 

 

 「……あんた」

 

 頬から伝わる痛みを無視しながら真九郎は絶奈を睨めつけ、拳を何度か開き、また握り締める。

 

 「人間、捨てたのか」

 

 「前からじゃない」

 

 にやにやと絶奈は笑みを浮かべて、露出した赤黒く変色し、大きく陥没した腹部を愛でる様に右手で撫でた。

 そこは真九郎が拳を叩き込んだ場所であり、先程までその中身は肉と内臓と骨のミックスジュースになっていて、骨も皮と肉を貫いて、突き出し、真っ赤に染まった腹部は大部分が原型残さず、千切れてしまいそうな程に大きく陥没していたのだが、

 

 「何の冗談だ、それは」

 

 ジュブリ、嫌な水音をたてて、彼女の撫でる腹の中から肉が盛り上がってきた。音共に陥没した腹は元の綺麗な形に直っていく。

 普通の人間には絶対にありえない現象だ。まるで、時間を巻き戻しているかのように錯覚してしまうほどにそれは元の形へと回帰、いいや元以上へと回帰してゆく。

 確かに、彼女の家系、星噛家は人の躰の代用品、いいや、元のそれを上回る性能の人工臓器や義手を造るのに長けていた。かつては星噛製というブランドを持ち、人工臓器の倍の重さの金や宝石と同価値だったのだ。星噛の頂点に君臨し、それを身に付けるということを生まれる前から定められていた彼女自身の躰の殆どは、星噛製の臓器などで構成されている。

 けれども、これはありえない。幾ら何でも、この現象は人工物だとか星噛製だとかそういうのを超越している。

 再生による奇っ怪な音は止んだ。元以上に美しい肌と適度に引き締まった腹筋を彼女の腹部は取り戻していた。 

 

 「これの種、紅くんには特別に教えてあげる」

 

 にこにこと笑みを浮かべた彼女は、

 

 「ほれっと」

 

 さも気軽に、左腕の肘から先を服ごと手刀で切り落としてしまった。

 は? 思わず目を丸くしてしまう。色々な、それこそ常識外れにして人外と言ってもよい人間を見てきたが、ここまで常識外れなことをやってのける人間を真九郎は、今の今まで見たことがなかった。

 それに、かつての彼女はここまで、壊れていなかった。

 かつて、十年以上前の話だ。紅真紅郎と星噛絶奈の出会いは最初から敵対であり、最後まで敵対。

 彼女は彼の敵で、彼は彼女の敵。最初はそれも成り立たず、真九郎は踏み潰されるだけの矮小な存在でしかなかった。しかし、彼には譲れぬものがあり、彼の譲れぬそれは彼に立ち向かう力を与えた。

 そうして、二人は敵となった。

 その時はまだ、分かり合えるかも知れない可能性が僅かながらにあったのだ。彼女のやり方を彼は認めないだろうけれど、何かのきっかけ、何か大きなことがあれば手を取り合い、立ち向かう事も出来たかもしれない。

 けれど、その可能性は彼女自身の手によって、砕かれた。

 故、二人は二度と分かり合えない。

 こうして、二人は、本当の意味での敵同士になったのだ。

 噴水か何かの様に噴き出る朱は、彼女の躰を紅く染めていく。彼女の表情に苦痛の欠片すらない。寧ろ、その逆を浮かべていた。愉悦、快感、恍惚。二重の意味で全身を朱に染める彼女は、極限の快楽に溺れていた。零れる吐息は熱く、その瞳は薄く涙の膜を張り、蕩けていた。

 

 「ァッ……」

 

 悶え、嬌声を上げた絶奈。彼女が自ら切り落とした左手の断面、そこから、何か例えようのない醜悪で、生物的なそれが吹き出るようにして現れた。

 

 「アハッ」

 

 それは空中で瞬時に固まり、左手の形をとった。まるで、新たに手が再生したかのようであった。

 いやその通りなのだろう。歪なやり方だが、今、彼女の左腕は再生した。

 人にはなせぬ異形の力をさも当然とばかりに行使した絶奈に、真九郎は驚きを隠せない。

 

 「ガストレアウイルスを参考に造り出した新世代の星噛の技術だよ、紅くん」

 

 種は明かす、そう言ったからねと付け足し、驚く真九郎を見、彼女は嗤う。

 

 「詳しいことは企業秘密だからあんまり言えないけど、さっきみたいな事が出来るってわけ。他にも応用が効いて凄いんだよ?」

 

 まるで新しい玩具を自慢し、見せびらかす子供のように語る。

 

 「――――そんなことどうでもいい」

 

 一瞬、呆気にとられた真九郎だったがこの時には既に、冷静な思考を取り戻していた。冷静、いいや、彼の感情は今も燃え滾っている。それこそ今直ぐにでも絶奈へ向け、走り出し、その憎たらしい顔面をミンチにしてしまいそうなほど。だが、彼は踏み止まり、成すべきことを再確認した。

 そして、彼はそれを成すための言葉を作った。

 

 「確認だ」

 

 右肘から突き出る崩月の角が疼く。怨敵を討滅せよ。敵対者を滅殺せよ。そう呪詛を囁きかけてくる。

 従いたい欲求に逆らいながら、しかし、それは自分の意思そのものであるということを自覚しつつも理性的に彼は言葉を紡ぐ。

 

 「紫を殺したのはお前だな?」

 

 確信の篭った言葉、それに、彼女は、

 

 「うん、そう」

 

 酷く軽く、あってはならない軽薄さで肯定した。

 視認すら可能なほどに濃密な殺気が真九郎から噴き出た。燃え滾る灼熱の怒りが、理性を燃え溶かしたのだ。つまり、彼は止まらない。彼は、彼自身以外の要因以外で止まる事はあり得ない。

 そこにはもう、人としての真九郎はいない。

 そこには、復讐に猛る鬼が居た。

 

 「アハハッ」

 

 絶奈は凄惨に嗤った。よくぞここまで堕ちたものだと感慨深げに想う彼女は、その強烈な殺意に充てられ、臆するどころか戦闘体勢をとるのでもなく、ただ、柔肌に朱を浮かべ、妖艶に真っ赤な唇を舐めた。

 それから、躰の前で彼女は腕を広げ、

 

 「キて」

 

 艶めかしい囁き声、それと同時に真九郎は加速した。

 刹那の間で、真九郎は絶奈の前にいた。低く、腰を大きく捻った構えから、腰の横辺りに構えた拳は放たれた。

 そんな真九郎を受け止め、抱きしめるかのように彼女は、大きく両腕を広げたまま妖艶に微笑み――――。

 

 「おっと待ち給え」

 

 絶奈と真九郎の間。そこへ何か透明な壁が出来上がっていた。いつの間にかだ。音も無く造り上げられたそれの創造主は、絶奈の後ろに立っていた。

 

 「まだその時でないのは君も解っているはずだよ、絶奈」

 

 仮面の男、つまるところ、蛭子影胤だ。彼は白い手袋をした右手を真九郎の眼前にかざしていた。恐らく、そこからそれは発生しているのだろう。それとはそう、バリア。正しく言うのならば斥力フィールド。

 真九郎は無言のまま、暗い瞳を影胤へと向ける。拳は今も斥力フィールドを貫こうと力が込められたままだ。生じる軋みと衝撃によるスパーク。

青の輝き(スパーク)が真九郎の顔を照らす。

 

 「分かってるわよ」

 

 少し拗ねたような顔で、絶奈は真九郎に笑いかけ、

 

 「また、会おうね、紅くん」

 

 彼女の言葉と同時に、斥力フィールドが粉々に粉砕された。いや、自壊した。直後、どこからか現れた閃光手榴弾が炸裂。放出された強烈極まりない閃光が真九郎の視界を焼いた。

 

 「ッ!!」

 

 斥力フィールドと反発する感触は消えた。けれど、その先へ拳を向かわせるのに躊躇ってしまう。

 視界を焼いた閃光の残照を、頭を振って、振り払った時にはそこに、あの二人の姿はなかった。

 その瞳には既に、理性が戻ってきていた。閃光のせいか、それとも、二人の姿が無いのを確認したせいか。理由は多数あるが、彼は人の側に戻ってきていた。

 しかし、内に煮えたぎる感情はそのままだ。

 そんな都合よく消えてしまうわけがない。

 

 「糞ッ……!」

 

 真九郎は苛立ち混じりにそう吐き捨て、ぶつける場所を失ったあまりある力を、躰の中で唸りを上げる感情を全て合わせて、足元へ叩きつけた――――。






若干の変更を行いました。
九鳳院の遺産

七星の遺産

2015/3/1
一部修正しました。
内容の変更はございません。

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