kurenai・bullet   作:クルスロット

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第二話

 そう、必要なことだったんだ。うん。そうだな、うん。

 真九郎は病院の廊下を、白い紙袋片手に歩きながら、心の中で言い訳するように呟いていた。

 何故か彼らに、真九郎は正直に名乗ってしまっていたのだ。

 実際のところ、偽名を名乗っておこう思っていた。幼馴染にはいつもそう強く念押しされているし、自分自身、この業界ではそれなりに有名人であると思う。思い上がりでは無く、ただ客観的に見ての話だ。つまり、誰かに知られるというのはかなりの危険が伴うのだ。自分を邪魔だと思っている人間にとって、知人はいい交渉材料( ・・・・)になりうる。 

 だったら、最初から彼らを見捨てれば良かった。なのに、真九郎は彼らを助けてしまった。

 まだまだ、自分は甘ちゃんだということなのだろうか。

 それとも――――。

 とりあえず、この思考は置いておこう。

 これから説教を受けるのだから。余計なことは考えずに、無心で彼女の言葉全てを受け入れ、反省しよう。

 真九郎は今、ある人がいる病室の前に立っていた。

 約束の時間を大幅に過ぎてしまっている。こういう事に関して、彼女はとても厳しいのだ。いや、確かに自分が悪いということは真九郎も分かっている。説教を食らう覚悟もできている。けれどやはり、こういう事は慣れられるものではない。

 スーハースーハーと軽く深呼吸をして、通りすがった顔見知りの看護師に愛想笑いをしてから彼はスライドドアをノックした。 

 

 「入るよ、銀子」

 

 そう言い、部屋の主の返事を待つ。

 

 「どうぞ」

 

 暫くして、返事が戻ってきた。

 それとともに真九郎はスライドドアを開けた。

 病室は、白かった。これは一般的な病院ならどこでも得られる感想だろう。ベッドは窓際に一つ。旧式のブラウン管テレビの画面に光は灯ってはいない。部屋主はベッドの上でノートパソコンに視線をやっていて、入ってきた真九郎に視線の一つすらやらない。部屋に入ってきていることに気づいていないからではない。別に彼女が真九郎を嫌っているからだとかいうのではない。

 二人が互いを信頼し合っている。簡潔に言えばこういう事なのだ。

 昔からこういう風な関係だから彼と彼女は今もこうしている。そこに遠慮はないし、思惑もない。

 そんな彼女の居るベッドの横にあるパイプ椅子に真九郎は腰をかけ、彼女がパソコンを操作し終わるのを待つことにした。

 静寂の中、タイピングの音だけが空気を揺らす。

 手持ち無沙汰な真九郎は、部屋の隅にある小さな、やや低い位置に設置されてあるシンクに電気ケトル見つけた。ついでにインスタントのコーヒーを見つけたので、シンクにあったブリキ製のカップでコーヒーを入れることにした。

 香ばしくもどこか安っぽさが拭い去れない香りが、真九郎の鼻孔を擽る。湯気を立てるカップを両手に持って、彼女のベッドの傍へ運んだ時には、タイピングの音は止んでいた。眼鏡の向こう側の瞳はパソコンのモニターではなく、真九郎の方へと向けられている。

 その目はやはり不機嫌そうな色を浮かべていた。

 

 「遅刻した理由は……大体、予想がつくわね」

 

 「はは……」

 

 溜息を吐く彼女に、真九郎は苦笑と共に乾いた笑いを零すしかできなかった。

 ジト目で彼女は真九郎を軽く睨んで、渡されたカップから熱いコーヒーをゆっくりと啜る。

 

 「まあ、それはいつものことだし、不問としましょう」

 

 ふう……。と思わず安堵の息を洩らす真九郎に、銀子の冷たい刃の如き視線が斬り込んでくる。

 

 「いつものことだから、といって赦しているわけじゃないからね? その辺、肝に銘じておきなさいよ」

 

 「はい……」

 

 「で、本題」

 

 銀子は真九郎からジト目を放し、ノートパソコンに向けた。それから軽くキーボードを叩いて、真九郎の方へと画面をくるりと動かした。

 「はい、これ今回の報酬」

 画面には、簡素に構成された依頼達成を示す文面。それに真九郎は目を通し、頷く。

 

 「うん、確かに」

 

 了承の言葉を聞いた銀子は、ノートパソコンの画面を真九郎から自分の方へ向け直した。

 

 「はあ、これで暫くは食いつなげるよ、ありがとう、銀子」

 

 「そう……、どういたしまして」

 

 安心したように息を吐いた真九郎に、銀子は小さく柔らかな笑みを浮かべる。僅かで、彼女と長い付き合いで、彼女をよく見ている人間にしか分からないであろう笑み。

 それを見て、真九郎は思わず微笑んでしまった。と、そこで、「あっ」と何かを忘れていたかのような声を上げた彼は傍に置いておいた紙袋を手にとった。

 

 「あ、これ、ロシアのお土産」

 

 真九郎は脇に置いておいた白い紙袋。持っていくつもりがホテルに忘れてしまっていたそれは、仕事で行ったロシアでのお土産だ。その紙袋を銀子へと手渡した。

 

 「ロシアのお土産……ね」

 

 そう呟き、銀子は紙袋から真九郎へ視線を向ける。すると、どうぞと言った風に手で紙袋を示すジェスチャーした。それを受けて、銀子は袋の中から無地の四角い箱を取り出し、それを開け、中から件のお土産を取り出した。

 

 「ふむ……猫のマトリョーシカ」

 

 箱の中から出てきたのは紳士服を着た可愛らしい胴長の猫がデザインされたマトリョーシカ。

 それを見、また、ふむ……と呟いた銀子はマトリョーシカを上下に分離させた。すると、中から一回り小さなマトリョーシカが現れた。マトリョーシカがマトリョーシカたる所以だ。それを何回か繰り返した銀子の前には猫のデザインを施されたマトリョーシカが五体並んでいた。それぞれ個性が有り、見ていて飽きさせないものがある。

 

 「気に入った?」

 

 真九郎の問に、銀子は頷き、

 

 「ええ、あんたにしてはいい趣味してるじゃない」

 

 と満足そうに答えた。それを見て、真九郎はホッとした風に胸を撫で下ろした。銀子は早速、そのマトリョーシカを傍にある花瓶の周りに置き始めた。

 真九郎は、彼女が飾るのを微笑みながら眺めていた。

 

 「ねえ、真九郎。一つ、お願いがあるんだけど、いい?」

 

 マトリョーシカを飾り終えた銀子は真九郎の方へ向き直し、そう言った。

 

 「いいよ、勿論」

 

 返事は二つで十分。

 

 「散歩、連れてってもらえる?」

 

 「ん、分かった。ちょっと待ってて」

 

 すんなりと了承し、真九郎は傍に立て掛けてあった車椅子を手に取り、展開した。

 病院に備え付けられているであろう車椅子はすんなりと開くことができた。新品同然の辺り、手入れが行き届いているのだろう。

 

 「銀子」

 

 「ええ」

 

 銀子はノートパソコンが乗っているベッドとセットになっているテーブルを前へ動かし、足に掛けてある掛け布団を除けた。

 そこには、あるはずのもの欠けていた。

 

 「そんな顔しないで」

 

 溜息混じりにそう言い、真九郎の顔を見上げる。

 

 「……ごめん、銀子」

 

 「謝らないで」

 

 その目を真っ直ぐに見れず、真九郎は垂れた髪で目を隠す。ざんばらに伸びた髪が

彼の目元を隠してしまう。

 

 「……うん、ごめん」

 

 また、同じ言葉を真九郎は作る。

 

 「――あんたのせいじゃない」

 

 銀子は真九郎から目を欠けたそれに向けた。感覚も何もない。唯の空白に成り果てたそこへ視線を向けた。

 

 「だから」

 

 「――うん、わかってる」

 

 継の言葉を作ろうとする銀子の言葉へ被せる様に真九郎はそう言い、小さく頷くことしか出来なかった。

 

 「なあ、銀子」

 

 銀子の座っている車椅子を押しながら真九郎は、廊下を歩いていた。

 

 「何?」

 

 ダンマリだった銀子も、彼が話しかけると返事をした。

 

 「お前、ちゃんと飯食ってるか?」

 

 「……食べてるけど……何?」

 

 怪訝に見上げてくる銀子に真九郎は思わず苦笑して、

 

 「いや、前に押した時よりもなんかさ、軽くなってる気がしてね」

 

 「病院食にそう言うのは求めないで」

 

 はあ、と溜息を零す彼女。どうやら呆れられたらしいということを真九郎は感じ取り、苦笑の色を濃くした。

 

 「風邪はもう大丈夫みたいだな」

 

 話題を変える真九郎。

 

 「ええ。まあね」

 

 「体、そんなに強く無いんだからあんまり無茶するなよ? 昔以上に、弱くなってるんだから」

 

 肯定する銀子に、真九郎は無理をするなと言葉を作った。

 

 「どっかの誰かが裏から足を洗ってくれれば、私も心労を負わずに済んで、体調も良くなるかもしれないわね」

 

 ジロリと自分をジト目で見上げる彼女の言葉にはいつもの様に少しの刺がある。

 

 「は、はは……」

 

 乾いた笑い声を上げた真九郎は、苦笑して、

 

 「そう、したいね」

 

 と言った。

 

 「いつか、裏から足を洗ったら銀子のところで雇ってくれないかな。ラーメン屋、やってみたかったんだ」

 

 車椅子を押しながら真っ白な壁の廊下を通りぬけ、エレベーターホールに付く。一階行きのボタンを押した。一階で点灯していたランプが、五階へとエレベーターとともに上がってくるのを眺めながら、真九郎は言葉を口にする。

 

 「ラーメンって、作るの難しいのかな」

 

 真九郎の疑問に、銀子は静かに言葉を紡いだ。

 

 「あんたなら出来るわよ。料理、結構得意じゃない」

 

 「……そっか。ありがと、銀子」

 

 滅多に他人を褒めることのない彼女に少し驚きながらも、真九郎は、短く、心からの感謝を乗せて、そう言った。

 到着したエレベーターが静かに扉を開いた。八階です。という女性音声が二人きりのエレベーターホールに響き渡る。

 エレベーターへ車椅子を押し入れながら、真九郎は思う。

 嗚呼、自分はもう戻れないだろう。

 その陽だまりへ、そんな平凡へ。

 あの時、両親を失ったあの瞬間に自分を動かす何か、歯車の様なものが致命的にズレたとするなら、彼女を失ったあの時、自分は、もう自分で無くなってしまったのだろう。

 そう、完膚無きまでに自分という世界は粉砕されてしまったのだ。

 それを彼女(銀子)は知っている。

 彼女はこの世界でも有数の情報屋。自分がどういう状況で、何を成そうとしているのか。それくらいとっくの昔に識っているだろう。それに彼女は自分の幼馴染だから。最初から、今までも自分の事を見ていてくれた人だから。

 彼女は何も言わず、いつもの様に、昔と変わらず接してくれる。

 昔のように自分の欠点を伝えてくれる。

 優しく、誰よりも自分の身を心配してくれている。

 そんな彼女に何もできない、何の言葉も掛けれない、謝ることも、礼をすることも出来ない。ただ、彼女の優しさに甘えている。その上、嘘まで吐く。バレバレの分かりやすい嘘を吐く。

 真九郎は自己嫌悪に苛まれ、焼かれ、唇を強く噛んだ。

 鈍い痛みが唇に広がっていく。

 口の中に広がる血の味が、何時もより苦い気がした。

 会話はそこで途切れた。

 

 

 散歩も程々に、暗くなり始めた為、二人は病室に戻っていた。

 そして、いつもの様に彼女は真九郎へ余りある依頼の一つとその資料を渡してくれるのだが。

 何故か、彼女は躊躇う様な素振りを見せていた。

 ノートパソコンを操作する彼女のあまり感情を浮かべない瞳が一瞬、泳いだ。いつもなら冷静沈着に、何時もと同じようなやり取りをするのにどこか動揺していたのだ。

 

 「どうかしたのか? 銀子」

 

 そんな彼女に怪訝な表情で真九郎が尋ねると、銀子は少しの間、何か考えるような素振りを見せて、

 

 「ねえ、真九郎」

 

 真剣な目で、彼女は真九郎の目を見つめた。

 

 「なに? 銀子」

 

 彼女が真剣になる時はいつも本当に重要なことで、自分の事を心の底から気にかけてくれている時だと真九郎は理解している。幼馴染であり、仕事の仲間のことを彼はそれなり以上に解っているつもりだ。

 

 「これを伝えたらもう引き下がれなくなる。それでも、いい?」

 

 最終通告なのだろう。情報屋であり、様々な依頼主の中間を担っている。これを真九郎が聞かなければ、他の誰かに行くだろう。つまり、覚悟さえなければ聞かなければいい。

 

 「急にこんなこと言われてもさっぱりだと思う。だから――――」

 

 いつになく彼女の声は戸惑いを見せていた。

 言うべきか、言わざるべきか、そう言う表情をしていた。

 

 「いいよ、言ってくれ」

 

 静かに、真九郎は言葉を紡いた。

 銀子の背中を押す言葉を口にして、彼は銀子の目を見つめ返した。

 

 「…………分かった」

 

 真九郎の言葉を受け、そして数秒の間、表情を見た彼女はノートパソコンを操作した。真九郎へそのノートパソコンの画面を先と同じ様にくるり回転させて、その画面を見せた。依頼の内容、それがそこには表示されている。内容は特に記入されておらず、日にちと時間、そして集合場所のみが表示されていた。

 

 「今回の依頼、東京エリアの実力派の民警向けの依頼だったんだけど、一部、民警以外の枠があったのよ。そこへあんたは入ることになる

 それで、依頼主は一応、防衛省。だけど、妙にきな臭いので調べておいた」

 

 至って冷静に彼女は言葉を紡ぐ。

 

 「そしたら、とんでもないものが出てきたと」

 「そう」

 

 肯定し、かちゃりと彼女は軽くキーボードをタイプした。するとノートパソコンの画面が切り替わり、彼女が纒めたであろう資料が表示される。そこにはあまりにも信じ難い名前が表示されていた。

 

 「東京エリアの統治者、聖天子、か」

 

 嫌な予感がする。

 真九郎はその資料に目を通しながら、そう、思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつてこの国には、三つの大きな勢力あった。

 《麒麟塚》、《皇牙宮》、そして、《九鳳院》。

 日本という国を掌握し、頂点に君臨し続けた三つの家系は自分達を残し続けるために、ガストレアを根絶しようとしたが、彼らの努力と策は無為と化し、表御三家はガストレア大戦の中で滅んでいった。

 裏十三家という、この国の裏に存在し、かつて支配していた者達がいた。

 近年は衰退の一方であり、力を持ち続ける家系は指で数えられる程度のものだった。

 しかし、衰退したといえども彼らの兇悪無比な戦闘技術、裏を支配する者としての力は健在であった。その力は並のガストレアなど歯牙にもかけない。寧ろ、圧倒すらしてしまうほどであり、。

 実際、戦争初期、彼らの武力の前に、ガストレアの死骸が幾つも積み重なっていた。

 彼らを知る者達は皆、その胸に希望を抱いていた。彼らの力に畏れを抱きながらも、だ。

 だが、彼らも人である。

 幾ら、躰を人の手により人の枠から外しても、幾ら、人と化外が混ざり合った先に生まれた存在であろうとも。

 心は、精神は人のままなのだ。

 無尽蔵に湧き出てくるガストレアの前に現出される地獄を前にし、逃げ出す者、発狂する者が続出した。こうなっては戦線を維持することなどできず、瞬く間に、戦場に居た彼らは、あっという間にガストレアの餌食となってしまった。

 こうして、裏十三家はこの世界から姿を消した。

 表御三家、裏十三家。彼らは確かに滅びた。しかし、この世界にはまだ、彼らの遺産が遺されていたのだ。

 裏十三家の遺産とは、彼らの生き残り。例を上げれば、真九郎だ。血の繋がりこそはないが、崩月の弟子では唯一の生き残りであるが故、彼らの遺産足りえるだろう。

 次に、表御三家の遺産。それは、ガストレア大戦を人類の勝利へ、彼らを勝利へと導く、そう彼らが信じて、信じ続けたもの。 だが、それは人類を地獄へ導く片道キップであった。

 人を救うために造り上げたというのに、何たる皮肉か。

 終焉(オワリ)は、直ぐ傍で嗤っていた。

 酷く、愉しげに嗤っていた。

 

 

 

 

 

 






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