kurenai・bullet   作:クルスロット

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第二十一話

 先まで民警達へ作戦説明を行っていた会議室とはまた別。更に上階には日本国家安全保障会議(J N S C)、その作戦本部が存在していた。

 

 日本の、この東京エリアの中枢に位置する者達が此処には集っていた。彼らの眼は中央に投影されたホログラムより離れない。いや、離せないと言うべきか。多数設置された映像の大元は今、戦場上空を滑空する無人機(UAV)による撮影によるものだ。色鮮やかなホログラムは戦場の凄惨さを、地獄絵図を確かに、如実に彼らに伝え、その視界を縛る。

 

 誰も声を出せずに居た。普段なら無能であるのに喚き散らす金だけしか持っていない政治家もこの時ばかりは脂汗を顔面に浮かべて黙り込んでいた。見慣れぬ戦場の風景に、写真や作り事(フィクション)でしか見たことのない者達にとってはこの刺激は大きすぎだのだろう。無論、見慣れた人間も此処には居る。

 

 そう、例えば、天童菊之丞。聖天子の隣に控えている彼は天童流抜刀術の免許皆伝者であり、一度、刀を持てばあの斬島にも比肩する程の実力者だという話もある程の強者。そんな彼は冷静に映像を見続けていた。そこに動揺や焦りといった感情の乱れは見られない。

 他にも――と上げればキリがないので割愛させて頂くがこんな世の中である為か思った以上に武闘派は多いらしい。菊之丞には及ばずだが同系統の空気を纏う者達はそれなりに見られ、そうで無いにしても動揺の欠片も見せぬ者等も居た。

 

 それはさて置き。

 

 モニターでは、たった今、蛭子影胤と里見蓮太郎の二人による戦闘が開始されたところだ。

 どよめく本部。まさか、新人類創造計画により生み出された機械化兵が二人も存在するとは……等と口々に言い始める。そして、開始した瞬間、モニターから彼らの姿が消えた。どうやらUAVのカメラが追い付いていないらしい。

 先程まで口を開いていた者達皆が口を噤んだ。

 思わずだ。彼は口を開きながらもモニターからは目を離していなかった。行方をこの戦いは自分達の命に、今後に関わる。負けたならさっさと他のエリアに、勝ったのならこの後の処理が待っている。

 だから、彼らはしっかりとモニターを見ていた。

 

 そして、見てしまったのだ。

 

 カメラ越し、モニター越しであり、数十キロ以上離れているというのに。

 吐き気を催す程の悪意と狂気と愛を垂れ流し続ける異形、星噛絶奈の姿を。

 

 何人かが席を立った。その何人か全員が口元を押さえ、顔を青白く、もしくは紫に染めていた。どうやら絶奈の纏う空気に当てられ、胃の中身が喉から口へと登ってきたのだろう。急いで彼らは外へと騒がしい足音をたてて、駆けて行った。

 

 吐き出す羽目にならなくとも、当てられたせいか気分が悪そうな者達は多い。手元の水をしきりに飲んでいる者や懐から取り出した常備薬らしき錠剤を口に入れている者を何名か見受けられた。

 

 見ていられなかった。何度も目を逸らしたいと思った。

 それでも瞳に強い意思を込めて、拳を握って、彼女は現実を見つめ続けていた。

 彼女、聖天子はまるで西洋人形の様に整った顔立ちを歪ませる事もなく、平然とした表情を保ち、神々しいまでの美貌を少しも歪ませる事が無い。その大きな瞳はしっかりと開かれていて、モニターから一度たりとも逸らす事はなかった。大の大人達が直視を躊躇い、先の様に席を立つというのにこの若干十六歳の少女は少しの恐怖も先の絶奈から放たれた瘴気染みたそれにも全くと言っていいほどに動じた様子は見せない。

 

 流石、と言うべきだろう。この齢で東京エリアを治めているだけはある。

 

 モニターに映る人物が変わった。絶奈から彼女に相対している人物へ。そう、紅真九郎だ。

 

 といっても彼が映り込んだのは、ほんの一瞬だった。既に《角》を開放し終えていた彼は一瞬でモニター外へと消えていった。

 それと同時にモニターの映像は別の場所へと移る。それに安堵の息を零した者達は多かった。それ程に先の絶奈の重圧は堪えたらしい。

 

 そんな時、一人慄きを覚えずにはいられない者が居た。

 

 

 「――二本、角だと?」

 

 

 呟きの主は、先ほども名を上げた男、天童菊之丞だ。彼は驚愕を隠せずにいた。なんせ、彼もあれは初めて見るのだから。

 そもそも歴史上、二本角の崩月など二人居るだろうか? 施術の方法があり、結果を識る者が居るのだから過去に存在はしていたのだろう。それが何時の事かは解らないが。

 だが、菊之丞はそんな事は識らない。識っている筈がない。

 故に、慄き、驚愕する。あの戦鬼はどれほどの力を持つのか。確か紅真九郎。近代で唯一崩月が外から取った弟子。そして、免許皆伝を受けた裏十三家の遺産の最たる存在。一本ですら鬼と評するのに何の偽りも劣りも見えぬのだから、二本ともなれば、そう、それこそ。

 

 

 「鬼の如きでは非ず。鬼そのもの、か」

 

 

 恐らく、何度も使えるものではあるまい。菊之丞はそう当たりを付ける。

 実際、その通りだ。真九郎はこれ以降、戦う事など出来ない。二度と彼を裏で見る事は無いだろうし、表舞台からも彼は去るだろう。

 そんな事実を識らぬ菊之丞の脳裏に過るのは、裏十三家復興。

 まさかだ。

 残っているのは崩月、円堂、斬島、堕花、星噛の五家。この戦いで星噛は恐らく潰える。なら四家だ。しかもその内の二家が裏から手を引いている。残っていはいるがもう裏にも手は出さないだろう。勿論、表で派手に動く事も無いだろうが……。

 

 

 「杞憂か……」

 

 

 小さく呟き、意識をモニターへと彼は向け直した。

 そこでは今、ヘカトンケイルと民警達が正面衝突を行っていた。人が死ぬ、ガストレアが死ぬ。何時かの日常が、十年前の日常と同じものがあった。

 想起するは、嘗て。忌々しい日々。唾棄すべき非日常が日常だった頃。

 彼の両手が強く、強く握り締められる。真紫になるほど、ひたすら強く。表情は険しく殺気すら滲ませている。

 隣でその憤怒を感じていながらも聖天子は彼へ何も言えなかった。菊之丞が抱く憤怒を彼女は共有できない。してはならない。 

 彼が憎み続ける子供達を、彼女は護りたいと思っているから。この怒りに共感を覚えるなどしていい筈がない。

 

 二人はすれ違う。互いに尊敬し、尊重しあっているが故に。

 ぶつかり合う事すら無く。

 ただ、互いに脇をすり抜けていく――。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 その頃。

 

 無人機(UAV)の映像を盗み見ている者達が居た。

 人数は六人。内五人は女性で、残りの一人が男性だ。

 彼女達の前には壁に設置されている五十インチ程のモニターと部屋の隅にあったデスクトップなどのモニターが四台ほど並んでいた。それらの前に、彼女達は半円を描く形でそれぞれ椅子に座るなどしていた。

 モニターには、無人機(UAV)の映像。真九郎と絶奈の戦闘に里見ペアと蛭子ペアやヘカトンケイルと民警達の戦闘が映し出されていた。といっても後者が主だった。高速戦闘の上、度々砂埃や建物の間を駆ける前者二つの戦闘はあまりにもカメラには映し難いのだろう。

 

 

 「……里見くんをもっと映しなさいよ」

 

 

 不満の声を漏らしたのは木更だ。頬を軽く膨らませるなどとどこかあざとい雰囲気を見せている。その隣、彼女を挟むようにして立っている二名、闇絵と菫は彼女の言葉を聞いて、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

 

 「ほう、聞いたか? 室戸」

 

 

 煙草の煙を吹いて、闇絵は菫の方へと視線をやる。すると同じような笑みを浮かべて、

 

 

 「ほうほう、愛しの蓮太郎くんが映らないとやはり不満かね? あれかな? かっこいい彼を見たいってところかな?」

 

 

 どうなんだー? んんー? 煽る菫の言葉を聞き流す程、木更は大人ではないし、煽り耐性があるわけではない。

 

 

 「そ、そんなんじゃありません! こういう時に実力をしっかりと見せつけないと広告にならないからです!」

 

 

 思わず反論が口より飛び出る。しかしだ。この類の反論や抵抗は結局の所、逆効果となる場合が殆どだ。やはりというか、今回もそうらしい。

 

 

 「ふうん? 本当にそうなのかい?」

 

 

 「そ、そうです! そうなんです!」

 

 

 何やらわざとらしい菫を納得させるようにムキになる。頬を赤くさせて食って掛かる様はどう見ても誤魔化せていないのがこの場の者達皆が見て取れていた。

 

 

 「お、件の里見くんが映ったぞ」

 

 

 「えっ!」

 

 

 闇絵の言葉を聞くやいなや声を上げて木更は直ぐ様、菫の方からモニターへと視線を、顔を、躰をと向け直す。そして、視線は急いで彼の姿を探し――無事な姿、ぼろぼろではあるけれど確かに生きている蓮太郎を見て、胸を撫で下ろした。

 

 

 「さっさと決着つけて返って来なさいよ、おバカ……」

 

 

 視線は釘付け。先ほどまでの会話内容は頭から吹き飛んだらしく、再びモニターに映り始めた蓮太郎と影胤の戦いから彼女は一ミリたりとも視線と意識を逸らすことは無かった。

 

 

 「恋する乙女か」

 

 

 そんな木更の後ろ姿を眺めながら、紅香は小さく微笑む。全くもって微笑ましい。なんとまあ、恋する乙女だとこと。蒸気する頬に潤んだ瞳。

 

 

 「初々しいねえ……」

 

 

 呟いて、煙を吐く紅香へ、銀子は膝の上に乗せたノートパソコンのキーボードを叩きながら横目をやり、

 

 

 「そう思うなら、煙草を吸うのやめたら? 未来ある女性に副流煙を吸わせて、未来を潰すなんていう遠回しな嫌がらせは陰湿と思うけど?」

 

 

 刺だらけの言葉を受けて、流石の紅香も苦笑を浮かべ、携帯灰皿を取り出すと右の指で挟んでいた煙草を突っ込み、火を消した。

 

 

 「それで、バカ弟子の心配は良いのか? 銀子」

 

 

 「また、分かりきった事を聞くのね」

 

 

 銀子は微笑を浮かべ、キーボードを叩く指を止めモニターへと目を向けた。

 

 

 「あいつが帰ってこない筈がないじゃない」

 

 

 だって、そう間をおいて。

 

 

 「私の愛した男なんだから」

 

 

 「まったく、良い女を捕まえた――いや、良い女に捕まえられたものだ、あのバカ弟子は」

 

 

 そう言って、紅香は心底愉しそうに、嬉しそうに笑い声を上げた。

 女性陣が恋愛トーク(?)に花を咲かせるというかそれに類似する会話を繰り広げている中。

 竜崎は一人、部屋に飾ってあった標本の屍子(しかばねこ)ちゃん(仮)を抱き締めながら、ベッドに転がっていた。

 そうこの男。ネクロフィリアである。死体じゃなきゃ性欲発散出来ないという筋金入りの変態野郎だった。

 彼にとっては人が何人死のうが心底どうでも良い上に、死体が増えれば愛せる者が増えると妄想に耽ってベッドでまともに屍子ちゃんを愛せて居なかった。

 愛される死体の方もいい迷惑だろうが。

 

 

 「死体、残っていると良いが」

 

 

 竜崎は触り飽きた屍子ちゃんをベッドの上に放り捨てると、ベッドから立ち上がりモニターへと向かっていった。

 その時、モニターに映っていたのは――――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 煙が晴れていく。影胤と蓮太郎の姿が浮かび上がってくる。先の体勢のままで、二人共に微動だにしない。

 

 

 「――――クッ、ハハハ」

 

 

 嗤い声が煙を微細に揺らした。声の主、影胤は肩を小さく震わせながら、嗤いを零す。

 おかしくて堪らなかった。全くもって愉しい。酷く、愉快で愉快で自然と笑みを零してしまっていた。

 その時、突風が二人の間を駆けた。同時に、空に舞い上がり漂っていた砂埃が吹き消され、彼らの周りから、遥か空の彼方へと消えていった。

 そして。

 そこには。

 肩を震わせる影胤の腹へ、右の拳を叩き付けた蓮太郎の姿があった。

 

 

 「蛭子、影胤……!」

 

 

 力強い声を上げて、蓮太郎は敵対者の名を呼ぶ。

 

 

 「嗚呼……見事だよ、蓮太郎くん。見事だ。まさか、正面から破られるとは思いもしなかった」

 

 

 喋る度に仮面の隙間から、血を垂れていく。決して量は少なくない。しかし、影胤は気に留めない。次の言葉の為に口を開く。

 

 

 「私は――」

 

 

 言葉を作ることは出来なかった。何故か。簡単な話。

 

 

 ――天童式戦闘術一の型十五番。

 

 

 「雲嶺毘湖鯉鮒!!」

 

 

 腕のカートリッジが炸裂した。吐き出される薬莢は二発分。腹から、顎へと猛烈な速度でアッパーカットが影胤の顔面に炸裂した。影胤はガードも何も出来なかった。なにせ、先の《エンドレス・スクリーム》を破られた衝撃が彼の動きを阻害していたのだから。

 身動き一つ取ることが出来ないのが影胤の現状だった。

 そんな影胤の躰は先のアッパーカットを受け、真上に凄まじい勢いで吹き飛び、空を浮遊した。それ程に、先の一撃は強烈だったのだ。

 

 

 「クフ、クハハハハハハ!!」

 

 

 虚空を浮遊しながらも、揺れ、明滅する意識の中で、顎と腹部に壮絶な痛みに脳天を貫かれながら、それでも影胤は哄笑を上げずには居られなかった。

 嗚呼、負けたな。これは負けた。完膚無きまで叩きのめされたと言っても過言ではない。これはもう無理だ。ここから持ち直すなど出来るわけがない。切り札は真っ向から破られた。ならもう、勝てる道理はない。

 

 

 「すまない、小比奈」

 

 

 狂気の中で生み出した愛娘へ謝りの言葉を口にする。

 目を瞑ればいつであっても思い出せる愛しき娘の姿と笑み。嗚呼、なんて私は愚かなのだろう。あの娘をまだ私は見ていたい。あの娘の才能が行き着く先が見たいというのに。弱い私を赦してくれ。

 

 

 「すまない、絶奈」

 

 

 愛する彼女へ、永遠の愛を誓った彼女へと謝罪の言葉を。

 一方通行でしか無いのは理解しながらも送る。きっともう会うことはないだろうから、今、言っておくことにした。彼女が生きていても、負けた分際で合わせる顔がない。男というのはそういう見栄っ張りな生物でどうしようもない馬鹿だ。この男もその枠からは逃れられなかったらしい。

 死んでいたとしたら――どうしようか、墓を立ててその前で涙を流す権利は私にあるだろうか。

 此処まで人を捨て、世界の破滅を、戦争を望んだ私にそんな人らしい事が出来るだろうか。

 そこまで思考して。

 

 

 「どの道」

 

 

 と、彼は小さく苦笑する。

 

 

 「彼の一撃を受けて、生きていられたらの話か」

 

 

 言葉と同時に、蓮太郎が彼の視界を通り過ぎた。影胤の少し上まで、彼は義足のスラスターを吹かし、舞い上がってきていたのだ。なんという出力。こんな小型の装置であるというのに此処まで来れるのか。

 四賢人の一人、室戸菫の傑作である証明に、彼、里見蓮太郎は足りえる。与えられた傑作をなんせここまで見事に使いこなしているのだから。

 まるで物語の主人公だと影胤は思った。

 

 

 「見事、だ」

 

 

 影胤は仮面の奥の目を細め、呟く。そう賞賛せずには居られなかった。なんという輝きだろう。なんという強さだろう。

 自分に無かったのは、あの輝きか。悟る。勝てなかった理由を、背負うものが無かった、守りたいものが無かった。いや、自分にだってある。

 絶奈の願いを、愛しき娘を。

 だが、彼はそれ以上のものを背負っていたらしい。

 その背に、蓮太郎の背に輝きを、己の背負う闇を掻き消してしまうのに十分以上の光を見た、見てしまった。

 成る程、勝てない筈だ。

 

 納得の中の彼へと斬首の刃(ギロチン)は振り下ろされる。彼の首を正確に断ち切り落とす絶対がやってくる。

 刃を抗うこと無く、影胤は受け入れた。

 落ちてくる刃に、彼はゆっくりと瞼を閉じた。

 

 

 ――天童式戦闘術二の型十五番。

 

 

 「隠禅・哭汀・上下花迷子(いんぜん・こくてい・しょうかはなめいし)―――」

 

 

 叫ぶ。裂帛の気合を込めた言の葉は、虚空を揺らす。遥かよりの落下と同時に空で一転、二転、三転と爆転した彼は、右脚を最大限、膝が鼻に付くほど振り上げていた。そして、風を纏い、空を斬り裂く刃の如き廻転に乗せて、最後の一撃を影胤へと撃ち出す――! 

 

 

 「――全弾撃発(アンリミテッド・バースト)!!!!」

 

 

 弾かれたのは、現在搭載された全てのカートリッジ。排出された金の空薬莢が虚空を舞う。

 

 

 「堕ちろォ!!」

 

 

 瞬時に加速は開始され彼の脚が轟音を上げ、黒の軌跡を描いた。

 天を揺るがす脚撃は、大気をぶち抜き、音を断ち、貫き、断罪の刃となって影胤の顔面へと振り下ろされた。蓮太郎は己の脚に確かな感触が伝わってきたと同時に、振り抜く。

 

 影胤の躰は凄まじい速度で空より地へ、いや海へと落ちていき――――海面に激突。何度か彼の躰は水面を水飛沫を盛大に上げながら跳ね回り、巨大な水柱を作ってから漸く止まった。

 

 浮かぶ事無く、そのまま影胤は海中へと沈んでいく。

 ピクリとも動く事も無い彼の躰は海の底へ向かっていって、静かに、青の中に消えていった。

 空より落ちてきた蓮太郎はしっかりと着地し、影胤の沈んでいった海の方を見つめ――その場に座り込んだ。緊張の糸が切れかかっていた。先の戦いに気力の全てを注ぎ込んだ為だ。疲労が一気に彼の瞼を降ろそうと襲い掛かってきた。

 

 それを頭を振って、どうにか拭い去る。

 蓮太郎は限界に程近かった。歯を噛み締める。全身を覆う倦怠感に身を任せそうになりながらも、思った。

 

 あの男は、影胤は強敵だった、と。

 

 最初はあんなものに勝てるのかと同じ存在、機械化兵士でありながらもそう思ってしまった。

 でも、負ける訳にはいかないとも同時に思った。

 延珠と木更さんに誓ったんだ。

 そう、そして、誓いは果たされた。里見蓮太郎はあの怪人に勝った。

 だから。そう。だから。

 漆黒の手を空に掲げ、広げた掌をゆっくりと握り締め、

 

 

 「俺の勝ち、だ……!!」

 

 

 そう、己の勝利を宣言した。

 と、そこへ。

 

 

 「蓮太郎ぉぉぉぉおおおおお!!」

 

 

 振り向く、すると延珠が飛び掛ってきていた。いつもの万倍の笑顔が視界いっぱいに広がった。 

 受け止める暇なく、蓮太郎の躰に彼女が伸し掛かってくる。ドサリと彼はそのまま背中から地面に倒れ込んだ。

 重たいとも、うっとおしいとも思わない。

 心地良い衝撃で、好ましい重みだった。

 自然と蓮太郎は笑みを零した。延珠を両手で受け止め、それから、抱き留める。腕の中で驚きの表情を延珠は浮かべたが、蓮太郎を見上げて、またにっこりと太陽の様に輝く笑みを浮かべた。

 

 

 「勝ったぞ、蓮太郎」

 

 

 「ああ、そうだな、延珠」

 

 

 そう言い、互いに笑みを浮かべ、交す。

 

 

 「ところで延珠、あの子は、蛭子小比奈はどうした?」

 

 

 「ああ、あやつなら向こうの方で寝ているぞ」

 

 

 延珠は港の近くにあった街の方へと指を向けた。遠目にも倒壊した建物が見える。どうやら、あの辺りに倒れているらしい。

 

 

 「どうする、蓮太郎。捕獲なら多分出来るぞ」

 

 

 「いや、いい」

 

 

 蓮太郎は延珠の言葉を軽く首を横に振って、無用であると示した。特に反論もない様子で、延珠は「うむ、そうか」と言った。

 

 

 「捕まえろとは言われていなし、ほら」

 

 

 今度、指差したのは蓮太郎で、彼の指差す方には一機のヘリがあった。どうやら、影胤と蓮太郎の戦闘終了をどこからか察知してきたらしい。恐らく目的は影胤ペアの捕縛だろう。

 流石に速いなと蓮太郎は感心した。

 

 

 「さて、後は――」

 

 

 彼は少し先に見えた教会の方へ視線をやり。

 

 

 「星噛絶奈と七星の遺産」

 

 

 次いで、

 

 

 「巨蟹宮(キャンサー)、か」

 

 

 と呟いた。

 

 

 「延珠、行くぞ」

 

 

 「うむ」

 

 

 二人は互いに声を掛け合うと教会の方へ、今もまだ、星噛絶奈とあの紅真九郎が闘いを続けているであろうそこへ足を向けた。

 


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