2015/05/08
少し文章を改変しました。
ヘカトンケイルは凄惨な笑みを浮かべる。眼は細め、歯を剥き出しにする。醜悪なる笑みを浮かべて、人を嘲笑うヘカトンケイルは、多腕を振りかざして――――疾走り出した。
巨体は加速する。無限軌道を以って、大地を歪ませながら疾走する。
無限軌道が、剛腕がガストレアを、人を疾走の中で砕き、挽肉へと変えてしまう。
その眼には、同類も人も何もかもが餌としてしか映っていなかった。掌が
それはやはり疾かった。人為的で作為的なものを感じられる程に精巧な造りをした無限軌道により生み出される速度は凄まじい。形の変わる地形、それはヘカトンケイルの脚代わりである無限軌道の凹凸によって無残に抉り取られる事によって生み出されていた。凹凸を作り続ける無限軌道に挟まれて轢殺される人とガストレアは少なくない。大地の染みは増え続け、多様な肉が地に転がる。
しかしどうやら。
ヘカトンケイルは暴食らしい。
先までの勢いは食欲の犠牲になったのか、どこか遠い所へと行ってしまい、代わりに夢中になって忙しなく無数の手を動かし口へと運ぶ姿がそこにあった。無論、手が届く範囲というのは酷く広い。なにせ背より生えた腕は無数にあって、しかも長い。これを逃れるのは至難の業だろう。
けれど、それをすり抜けて来る者達が居ないわけではない。
四組だ。他のガストレアですら避け、森へと逃げ帰るというのに、ヘカトンケイルへと果敢に挑もうとする者等は8人も居た。
その中には、片桐兄妹の姿もある。
「ああ、ファッキンシット! 糞だな糞!」
自棄になった様な声を上げて、玉樹は駆ける。自棄に走りたく成る程に、この現実は悪夢らしかった。こんなよく解らないガストレアと戦う事になるとは思っていなかった――というのは言い訳に過ぎない。解っていた、こんなのが出てくるということくらい覚悟していた。
走り、奔り、疾走る。
近づく為に駆けていく。
「オレっち達のォ--」
迫るヘカトンケイルの掌。薙ぎ払われる腕。玉樹は目を見開き、回避に専念する。ブーツに仕込んだチェーンソーが起動、駆動。まるでローラースケートの様な動作で玉樹はそれを扱って、潜り抜け、飛び越える。
「――――じゃ、ま」
直後、眼前にまで迫っていた巨大な掌へとナックルダスターを押し当てチェーンソーを起動。ブーツのそれと併用し、掌の表面と地を抉りながら脇へと回避。
「すんなッ……!!」
そのままの勢いで疾走る。
前よりまた掌が迫るも、横合いより弓月によって放たれた糸によって腕が地へと縫い止められたが――――即座に迫る無数の掌、通りすがった一体のガストレアが掌に捕捉、確保、そうして握り潰された。それを乗り越える様にして掌は玉樹へと向かう。それはまるで雪崩や津波の様相を呈していた。
「弓月ッ!!」
叫ぶ、声に答えは直ぐに返る。答えは声ではなく、行動で示される。
糸が玉樹の躰に張り付くと共に掌の雪崩より救い出す。先まで彼が居た場所へ掌が殺到――と共に彼が糸により引っ張られた方へと追尾を開始した。
しかし、既に四組皆、ヘカトンケイルの眼前へと辿り着いている。
開かれた大口より吐き出され、浴びせられる濃くきつい妙な臭いを纏わせた息。刹那には此方へと襲い掛かるであろう無数の腕と掌。見下ろす四つの
直後に、攻撃が開始されるのは当然のこと。
まずはイニシエーター達から。個々が個々の得物を手に、その身の戦意を開放する。
一人、二人。銀髪を右でサイドテールにしたイニシエーターが急速接近をかけ、両手で携えたバラニウム製の薙刀、地へと向いた刃を踏み込みと共に左上斜めに振るい、浅い傷をヘカトンケイルへと刻みつけて、跳ぶ。
そこへと降る三つの掌。
退避する他のイニシエーターは個々それぞれ行動を開始。
退避の跳躍に後方へのステップ、逆に前のめりな超接近。
斜め前方へ前のめりに超接近をかけ、黄金色の髪を激しく揺らしながら跳んだ彼女は、両手よりその身に宿したガストレア因子を開放した。顕現するは獣の手。モデルタイガー。それが彼女が持つ力の名だ。
跳躍の勢いのまま、彼女は黄金の弾丸となった彼女はヘカトンケイルへと突貫する。利き腕たる右腕に万力を漲らせ。
「ハァアアアアッッ!!」
その顔面、四つ目の中央へと空気の壁を突き破り、衝撃音と共に炸裂する。拳は肉を抉る。
――――否、抉れない。拳は只、肉を叩き、食い込むだけだ。衝撃は通らず、分散する。その分厚い皮膚と肉は彼女の剛力を無力へと変えてしまっていた。
二連打、三連打、四連打。流れる様に脚撃と拳撃を叩き込むけれど、やはり結果は同じ。彼女は舌打ちをしながら、ヘカトンケイルへと再度蹴りを入れ、その反発で離れていく。
しかしそうは問屋が卸さない。
ギョロリと四つの瞳が少女へと集中。と同時に、彼女へと掌が飛来したのだ。横合いから飛来した掌は、ヘカトンケイルより離れ行く少女の頭上で静止するとまるで蝿を地に叩き落とす様な動作でそれが振り下ろされる。
されど彼女は木偶ではない。
戰場での思考速度は常人よりも遥かに優れているし、身体能力についてなど言わずと知れたもの。
けれどもここは空中だ。
虚空よりの落下の最中で、頭上からは掌が迫っている。
彼女には回避は出来ないだろう。当たり前だ。空を蹴りつけて跳躍、そんな事ができる程に彼女の身体能力は極まっていない。
だが、他の誰かが回避する為の手助けをすることなら可能だ。
射撃。プロモーター達による一斉射撃がヘカトンケイルの顔面へと集中して行われていた。弾丸のダメージはあまり通らないが鬱陶しくはあったのだろう。ヘカトンケイルは他の腕を用い、プロモーターへと直接的な攻撃を仕掛けた。
その時には、黄金色のイニシエーターは弓月の糸によって離脱を完了して、自らのプロモーターの回避を手伝いに駆けていた。
プロモーター達は回避行動へ移行――成功。散らばるような回避行動は功を成した。掌が彼らの居た場所と薙ぎ払いが彼らを追ってくるもどうにか彼らは転がり、跳び、疾走り、躱す。
狙撃と同時に糸が空を舞っていた。細くとも強靭なそれは、銀髪のイニシエーターへと振り下ろされた腕を縛り、掌を空中に固定する。抵抗は無論あるが、それに負けぬと糸は追加されていき、結果、空を横切りながら疾走する刃が腕を膾切りにしてしまう。
刃は薙刀のそれ。それの持ち主たる銀髪の少女は鋭い瞳でヘカトンケイルを見据えて、脇に携えていた薙刀を中段に構える。
銀髪の少女へとヘカトンケイルの攻撃が振るわれる。今度は腕と掌のそれではなく、その巨体を活かした攻撃。そう突進だ。しかも腕を縦横無尽に暴れさせながらの突撃。これを喰らえばイニシエーターといえど一溜まりもない。プロモーターについては言わずもがなだろう。
前兆を察知していた四組は再び集結し皆が一瞬の目配せと言葉を発した後、泡を食いながら逃走を開始していた。
けれどもただ逃げるだけではない。
弓月による糸が幾重に張られていく。プロモーター達は手榴弾やらを置き土産としてヘカトンケイルへと投げつけていた。
流石のヘカトンケイルもこれは無視できないようだ。叩きつけられる複数の爆風にそこより飛び出す無数の破片。それらが襲い掛かり、多くの傷を刻み込み、鋭い破片が突き立つ。
だが、止まらない。多数のガストレアを轢殺して血肉をばら撒きながら怒りの咆哮を上げて、無限軌道を唸らせる。
離れ行く彼らを追う為の疾走を開始する。
しかしだ。
こればかりはヘカトンケイルも耐え切れなかったらしい。
無限軌道が数メートルばかり前に進んだ直後。
その足元、右側のの無限軌道が踏み入れた地面が爆音を上げて炸裂した。しかも、一度ではない。二度目の爆音が一度目を合図として、即座に左側の無限軌道の下で爆裂し、連鎖。爆音が何度も鳴り響き、砂煙を上げる。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ?!?!!?!」
あまりの痛みに、流石のヘカトンケイルも苦鳴の叫びを上げた。
突進は止まった。同時にその巨体が脚の破損に耐えられず、倒れ込む。が、腕を脚代わりにしてどうにかそれだけは防いでいた。
この仕掛け人は一人のイニシエーター。四組の内、唯一直接的な攻撃を行わず、ヘカトンケイルより離れた黒髪のイニシエーターによるもの。彼女は背負っていたリュックサックから彼女とそのプロモーターにより改良を重ねた対ガストレア地雷を取り出し、地雷原を作成していたのだ。彼女と彼にとっては何時もの事。爆発物にかけてそのペアは他のペアよりも一歩どころか十歩に二十歩は先に行っているだろう。
更に、先の僅かな会話と合図こそがこの結果を導くのに必須だった。それがなければ罠に嵌っていたのはヘカトンケイルではなかったかもしれない。だが彼らはそれをとれていた。
この四組。互いにあまり識らぬ仲だというのに驚くべき程によく連携がとれていた。それほどに協調性がある民警はあまり珍しくない、というのが相場だが此処では例外だったか、それとも連携を取らざる得ないほどにヘカトンケイルを脅威と見たか。それは定かではない。
そして、今。
好機だ。
四組全員がそう思い、ヘカトンケイルへ一気に接近をかけていた。
けれど。
嗚呼、それは過ちだ。
これ相手に好機などというものはない。一瞬の油断ですら赦されない
――――いいや、油断などしていなかった。そのはずだ。ガストレアと戦うという事を生業とする以上、油断など遠い何処かへと置いてきているはずで、そう、それなのに。
異変に真っ先に気づいた玉樹は目を見張り、声を出す暇なんて無かった。
好機と思ったその時、既にヘカトンケイルは起き上がっていて、既に攻撃は再開していた。
まず、無数の刃が天より降り注いだ。
巨大な刃。それは多分、先まで腕と掌を構成してたものというのは間違いないだろう。これを構成できる程の質量をそれ以外ヘカトンケイルは持ち合わせていない。
戦場が蹂躙されていく。ガストレアと人の死骸、死骸と言えぬ程に断たれ、
そうして今、四組が三組になった。
先の地雷原を作成したペアへと三振りの刃が降り注ぎ、逃げようとプロモーターの手を掴んだイニシエーターの右腕を肩から右脚の脚首に掛けて千切り取った。続く二つ。悲鳴を上げる隙もなく、イニシエーターは真っ二つに裂け、それを至近距離で視認し、手を握り締めたままのプロモーターはまるで袈裟斬りにされた様な軌跡を躰に刻みつけられ、上半身が上下に分かたれ、地に転がった。
そこで漸く逃走した他二組と片桐兄妹は、無事、刃の雨を切り抜ける事に成功――――したように思えた。
次弾装填、直後、射出――――。
絶望は終わりを見せない。
ヘカトンケイルは自らの躰を削り取り、刃と掌へと変換した。残ったのは生きるのに必要なぶんだけ。自らの生命をぎりぎりまで追い詰めてなお、いいや、ギリギリだからこそ輝くのか。その赤く光る四つの眼に燃え盛る
吠える。生きるために、この刹那の先にこの生命を届かせるために、ヘカトンケイルはその
そうして。
また天より刃は大地へ降り注ぐ。主の敵を斬滅する為。
「うおおおおおおおおおおッッ!!」
玉樹は叫び、迫り来る刃を睨め付ける。その脚には決して折れぬよう、拳には砕かんばかりの力込めて、迎え撃つ。弓月は糸を展開し、少しでも彼の役立てるよう、その刃の勢いを殺す為、跳び、糸を手繰り、巣を作り出す。
――――着弾。
砂煙が上がる。壮絶な衝撃と轟音が大地を揺らした。
人が死ぬ。ガストレアが死ぬ。
大地が死骸に満ちていく。
けれども、玉樹と弓月は不動。
唸る拳が刃を砕き、叩き落とす。
自在に舞う糸が刃を絡め取り、投げ飛ばす。
全身に無数の傷を負っていて、息も荒いが彼らは生きている。生きている以上、その瞳の中で燃え上がる闘志の焔は消えるはずがない。
そして、刃の雨は上がった。
静寂が世界に戻ってくる。
静かな夜が暫し、この空間を満たしていた。
先までの着弾の衝撃により舞い上がった砂煙が夜闇に吹いた風の前で散り散りになっていく。砂の帳が、元の場所へと戻ろうとしているのだ。
全身を隈なく覆う痛みに辟易しながらも玉樹は周囲に視線を走らせる。人の気配はまだあるのを感じ取った。ガストレアと言えば――どうやら、ヘカトンケイル以外はとうの昔に逃走したらしい。人型が僅かに残っていたがそれも今、何人のかのイニシエーターによって引き摺り倒され、数人掛かりで囲まれ、物言わぬ肉塊になった。
残っているのは、大体、六組程か。
彼の視界に映ったのはそれだけ。先程まで行動を共にしていた二組もどうにか生き残っていたようだ。肩で息をする銀髪に薙刀のイニシエーター、汚れた金髪に徒手空拳のイニシエーター。それぞれ、自らのパートナーに寄り添っていた。
それから玉樹は何かが自らの鼓膜を揺らしたのを感じ、耳を凝らした。聞こえたのはどうやら呻き声。そんなものが聞こえる辺り、戦闘不能で動けないものも居るだろうから、もっと生き残っているだろう。
その辺りで思考を止め、再びヘカトンケイルの方へと視線と聴覚と思考を戻す。
砂の帳が剥がれた先。闇の帳の中で四つの眼が赤く光る。その四つの眼がゆっくりと近づいて来ていた。先まで動く度に響いていたヘカトンケイルの
夜闇より、赤い眼が覗いて。
「――ッ」
背筋に寒気が走った。避けろでもなく躱せでもない唯一言、《ニゲロ》という言葉で玉樹の脳内が真っ赤に染まった。それに従い、後方へと玉樹は弓月の手を掴み、引いて、素早く大きく跳躍――。
刹那。
――彼の眼前に四つ目の人型が笑みを顔面に貼り付けて出現していた。
細く白い躰をした他の人形と同じ姿形。だが、その笑みの邪悪さは比較にならない。そもそも、他の人型にそんなものを浮かべる機構など備わっていないのだが。
目を見開き――玉樹は着地。同じ様に地へと着地した人型へ彼は流れるような動作で、ナックルダスターを起動、踏み込み、同時に拳を放つ。弓月は彼に併せ、高速移動と同時に糸を展開。人型の手足を拘束する。
「嘘っ」
思わず弓月は驚愕を声にしていた。
彼女の手に返る手応えは無く、あるのは糸が空を泳ぐ空虚な感触だけだった。
その時、玉樹の拳が人型の顎へと叩き込まれた。
「――――おいおい」
嫌な汗が服を濡らす。思わず玉樹は顔面が引き攣るのを感じた。
人型は、後ろに首を曲げて衝撃を逃すような動作をしただけで物ともせず。しかも今この時、首の力だけで玉樹の拳を押し返してきていた。
その時、人型の背が裂け、ねとつく粘液を掻き回す様な音と共に人型の背より暗灰色の腕が六本出現した。人型の頭、通常の人型とは違い、かなり人に近づいた風の四つ目の頭、その口がある場所が十字に裂け、
そこで玉樹は確信する。
ああ、こいつはあのガストレアだ、と。
その思考のまま、彼は叩きつけた拳を引き、ブーツに仕込んだチェーンソウを駆動。地の上を削り散らしながら、クルリと独楽の様に一回転し、右の
狙いは肩。取り敢えずこのガストレアから距離を取るのが目的だった。今も絶えず鳴り響くこの警告は間違いなく致命に繋がるであろう障害、このガストレアを示しているのは経験からして玉樹は理解していた。
だが、このガストレアは彼の経験則を上回る。
開かれた顎門は嘲笑い、余裕を持って彼の脚を生やした腕で受け止め、そして。
「なぁッ?!」
思わず、それに玉樹は驚愕の表情と声を上げた。
彼は決して軽い方ではない。高身長と躰を覆う分厚い筋肉、さらに手足に装着したバラニウム製チェーンソーにその動力。そこらの成人男性では持ち上げる事は困難だろう。イニシエーターでも筋力に劣っているタイプなら難しい。
だが、目の前のガストレアは違う。
今見れば解るように、この四つ目の人型、ヘカトンケイルは軽々と労力を感じさせずに玉樹を腕一本で持ち上げている。しかも、その後――投げた。放り投げた。何の前運動もなく、彼を夜空へ向かって、高速を持って天高くへと。
「がああああああッ?!」
目を剥き、絶叫する。それは急激に脳髄を這い上がってきた恐怖と同時に神経を走り抜ける苦痛故の叫びだ。
彼の脚、掴まれた脹脛辺りには青い、巨大な手形。脛骨――いや細かい事は止めようか。右脚下部、脚首から上で膝より下の骨が砕けた。カーゴパンツとブーツに隠されている為、視認は出来ないが確かに傷は深く、深く刻まれていた。更にその上、裂けたカーゴパンツ、その太腿辺りより覗くは、無残に引き裂かれた皮膚と先までそれに包まれていた黄色く薄い脂肪と肉と骨。
結論から言うに、彼の右脚はこの戦場において使い物にならなくなった。
更に言えば、このままだと彼は戦場より二度と戻らない。彼が笑う事も地に立つ事も二度とないだろう。
なんせ、十メートル強よりの頭を下とした落下だ。常人どころか人であるなら耐えられる筈がない。
墜ちて、落ち――――。
自由落下。虚空から地への距離は遠い様に見えて、酷く近く、堕ちる速度は酷く速い。
嫌だ、認めない。認めて溜まるものか。
弓月は金髪を振り乱して、縋るような瞳を潤ませながら糸を手繰り、放り、叫んだ。
「兄貴ッ!!」
墜ちる寸前、脳漿が地面を彩る寸前。木々を渡り、張り巡らされた糸はクッションとなり彼を空で留めた。
しかしだ。
もう戦況は詰みに近い。
六組、皆がヘカトンケイルへと挑み掛かっていた。確かに彼らはあれ相手に善戦していている。
それでも、それでもだ。
あれは彼らを上回る。
「――――シットっ……!」
吐き出すように言葉が零れた。弓月の糸より解放され、空より地に落ちた玉樹は僅かな衝撃から生じる激痛に顔を歪めながら思わずそう呟く。
そんな玉樹の視界で、一人のイニシエーターがヘカトンケイルの拳によって得物を砕かれ、弾き飛ばされた。追撃、ヘカトンケイルの背より腕が一本、射出され、空中で可変したかと思えば先のようにそれは刃と成った。逃れられずただ飛来する刃を見つめる彼女の視界一杯にそれが映り込み、突き立ち、顔の真ん中を貫いた。
――ということにはならず、代わり、と言っては難だが、割り込んだ男
の背を貫いていた。
精悍な眼差しに黒い短髪の男はゆらりと不安定な足取りで立ち上がり、ヘカトンケイルへと向き、得物を、二振りのショートソードを握り直し、構えた。彼の口が小さく動く。それはきっと彼がイニシエーターへと向ける最期の言葉で、彼女それに答えを返せずただ、異物が突き立ち、真っ赤に染まる背を呆然と見つめるしか出来なかった。
直後、男は疾走り出す。向かう先など決まっている。やることは決めている。
ヘカトンケイルへと突進。その身を顧みぬ最期の疾走を開始。するとヘカトンケイルはどうやら男を脅威と認識した様だ。その四つ目の一つが短髪の男を捉えた。しかし既に彼は接近し、刃を振るっている。
右の横薙ぎ、左の袈裟斬り。
「うおおおおおおおおおおおおッッッ!!」
続けて、左を引いてからの、右の突き――ヘカトンケイルの腕が一閃、彼の右腕、その肘から先が引き千切られ、空を舞う。
「構う、ものかあああああああ!」
男は目を見開き、激痛に怯むこと無く、叫び、放つ。
それはそう。彼の生涯最高の一撃。最期の煌きにして誰も追いつけない、追いついてはならない一閃が今此処に顕現した。
生命の輝きを乗せた絶命の刃が空を穿ち、ヘカトンケイルの胸を貫き、刃は胸から首まで一気に駆け上るとその四つ目の頭部を真っ二つに断ち切るッ!!
その時、ヘカトンケイルの動きが止まり、好機が生まれた。流石のヘカトンケイルも此処まで躰を破壊されれば動きを止めざる得なかったのだろう。小さな苦鳴がその裂けた喉笛の奥より聞こえ、体躯が痙攣する。
短髪の男はしてやったと会心の笑みを浮かべ、背から地へと倒れた。同時に、剣が彼の手から離れて、転がった。
この一瞬を無駄にしない為、消えていった生命を無碍にしない為、彼ら、他のプロモーターやイニシエーターは動いた、そう、動いた筈だった。
先ほど言った様に、この戦いの詰みは近い。
そう、それは今だ。
木々が圧し折れ、倒れる音と地を踏み荒らす金属音に似た音が大気を盛大に揺らす。
ヘカトンケイルの本体とでも言うべきか、先までヘカトンケイルだったそれが巨大な四つ目を赤く輝かせ、無限軌道を軋ませながら突撃してきたのだ。その速度は酷く速い。刃の射出により質量は減っているがそれでも再生が始まり全盛期を取り戻しかけている。轢かれれば再生特化のイニシエーターであろうと無事では済まないだろう。
彼らの反応は間に合わない。視線をやる前に回避には移っている。それでも、間に合わない。
玉樹がその光景を見、その心に諦めを抱く、その刹那。
彼の視界で何かが揺れた。それは、マフラー。派手なカラーのマフラー。一緒に揺れるサイドテール。
気づけば彼女の背中は立ち竦むプロモーターの横合いを高速で通り過ぎ、迫るヘカトンケイルの前に躍り出ていた。右手にナイフを、そしてたった今、地に転がるショートソードの柄を片足で蹴り上げ、空に浮かび上がったそれを左手で掴んだ。
「借りるぞ」
声がした。女の声だった。鋭利な刃の如き声だった。
刹那、刃は幾度閃いて。
こうして、彼は月下の刃に恋をした。
砕けて終わるか、実ってハッピーエンドか、出会うことすらなくすれ違うか。
それはまた、別のお話。