なので今回は分割二話投稿です。
男は恋をした。
一人の女に一目惚れした。
どうしようもなく、その脳髄の芯から心の底まで囚われてしまっていた。
彼は、その刃にどうしようもなく惹かれていた。
傍ら、目が届き、一歩踏み出せば手の届く距離。
そこには好戦的に嗤って、黒光りする刃を振り回すサイドテールの彼女が居る。
そんな彼女に、そんな斬島切彦に、男の心は奪われていた
斬撃が彼女と共に舞う。黒の刃は彼女の思うがままにガストレアの体を斬り刻む。
「――――綺麗だ」
ポツリと呟いた声は、周囲の雑音に消えていく。
声は届かない。彼女は刃を振るうのに夢中になっている上、そんな言葉が自分に向けられているなんて微塵も思っていなかった。
男も闘いを、自分の本分を忘れているわけではない。此処が何処で、何をする為に自分が此処に来ているのか。理解していて、解っていて。
けれども。
それでも。
心が離れてくれない。高まる動悸は収まってくれなかった
***
彼が彼女に恋するよりも少し前へ。
それは彼らと真九郎、蓮太郎達が分断され、実質的な役割分担が出来上がった時の事。
多量のガストレア。蠢き唸り声を上げるそれらは民警達と対面していた。
ステージⅠからステージⅢ。人型も多く居るが森より這い出てきた他のガストレア達も闇の中から月光の下へと姿を見せている。立ち向かう彼ら民警に退路はない。物理的に、植物型のガストレアにより背後は塞がれており、前方にガストレ達が出現したということもあるがそれ以上に、彼らは民警である。金のためにガストレアを狩る事を生業としている者も多いであろう。いやそもそも殆どの者達がそれを理由として此処に立っている筈だ。
しかし、けれども。
彼らは引かない。
胸にある
剣が、銃が、拳が、脚が、あらゆる得物がガストレアへと向けられた。
戦闘開始。
合図はない。強いていうならば放たれた銃弾、その銃声こそが始まりの一撃で、合図だっただろう。幾多の銃弾は同じ螺旋を身に纏い、ガストレアへ着弾。幾つもの真っ赤な花が鮮やかに月下で咲き乱れる。
イニシエーター達はありあまる膂力に身に宿した因子特性を用いた攻勢を開始。剛力の前に一体二体とガストレアの頭部が粉砕され、至近距離より放たれたショットシェルが人型のガストレアの腹部に穴を開け、次いで放たれた弾丸が頭部に幾つもの弾痕を開けた。 だが、それは始まりに過ぎない。
果敢に挑みかかる民警達を前にして、ガストレア共は、
「――――――」
一瞬の膠着の後。
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッッ!!!!!』
――――咆哮を上げた。
響き渡るは開戦の雄叫び。雄々しく逞しく、空気を震わせ、対面する民警達の臓腑をも震わせる。あまりの迫力に何名かイニシエーターが脚を止めてしまう。
嗚呼、それこそが死への一歩であることを彼女等は理解していただろうか?
此処は戦場である。脚を止めるというのは死へと逆に一歩近づくという摂理が支配している。死にたくなければ前を向いて、前へ進む。彼女達は、そうするべきだった。そう、そうするべきだったのだ。理解はしていただろう。なんせ彼女等も今の今まで闘争の中でしか生きてこれなかった者達だ。いや、それしかなかった、というのもあるだろう。日常はあっても本質的には人の歩むありふれた日常ではなく、終わらなぬ闘争を彩る飾りでしかないのだから。
だが、遅い。もう止まってしまった後だ。
咆哮をまともに浴び、脚を止めた一人の少女。その彼女の頭部、上半分が突如消失した。露出するのは頭蓋の奥と持っていかれるのを免れた脳漿の残り。そこから半分まで刳られた目玉の下部分が重力に従って地へとゆっくり落ちた。
崩れ落ちる矮躯。広がる血溜まり。スプラッタ極まりない現実がそこにはある。
続けて、止まった少女の命の灯火が途絶えていく。残るは死骸、肉塊である。それを見、何名かのプロモーターが絶叫し、何名かが膝を折り、そして、またその内の何名かが駆け寄った。
無論、辿る末路は語るまででもなく。
「―――――――ッ」
脚を止めず、勢いのままに攻撃を仕掛けるため通り過ぎようとした少女は視界全域に映り込む、あまりにも凄惨な光景に小さく目を見開き、唇を噛んだ。それから彼女は胸で熱く熱を発する感情全てを纏めて、怒りへと変換する。
「このぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
黒色のポニーテールを揺らす彼女の得物は、一本の棍棒。
バラニウムカラー一色のそれは長い柄とその上端は棍棒の肝である巨大な、それこそ柄よりも長い円柱型の打撃用部位があるという風に構成されていた。金属塊である以上の重量は勿論、打撃用部位が多数の鋭いスパイクに彩られている辺りなんとも殺意に満ちている。
少女はそれを片手に携え、軽々と振るいながらガストレア退治と洒落込む。
まず最初の標的は、先程、幾人のイニシエーターを貪ったガストレア。それは、成人男性数人分の太さにその数倍もの躰の長さを持つ斑模様の双頭蛇だ。同時にその開けた口から覗くのは通常の細いチロチロと動く舌ではなく、同じ顔をした多数の、双頭の蛇と同じ柄をした子蛇。それは個々に大本の蛇の口から這い出し、死肉を喰らっていた。
疾走る少女は、次の瞬間には接近し、跳躍している。死肉を夢中で喰らっていた蛇は大本たる親蛇の危機に反応しきれず、それを許してしまう。初手は右の手で握り、今、両手に持ち替えた棍棒、その上部にある打撃部を真っ向から脳天へと叩き付けるというシンプルな行動に出た。シンプル、単純故に強力。
彼女はなんといっても甲虫のイニシエーター。腕力と頑強さに掛けてはトップクラスだ。つまるところ、これが直撃すれば只では済まない。
まあ、それは無駄に終わるのだけれども。
そも蛇というものの感覚器官を侮ってはならない。このガストレアの元となった因子の持ち主である蛇は本来、臆病な性質の生き物だ。それが為に感覚器官は鋭く、非常に優れている。全ては逃げる為、でもあるが迅速に獲物を捕らえる為のものでもある。その生来の気質と生きて行く為に長い年月を掛けて練り上げられた性能からして回避や逃走に察知というものが得意というのは当然の事だろう。
棍棒が空を切る。放たれた力は虚空を薙ぐだけ。何の結果も残さない。ただ、棍棒の先端は振り下ろしたままの体勢を維持した彼女と共に地へと向かう。
蛇には何一つ傷はない。その結果を前にした蛇は、四つの目を細めて嫌らしく嗤った。
我らの紛い物め、我が血肉となるがいい。
まるでそんな事を言ってるかの様な表情をして、双頭の口から多量の子蛇を少女目掛けて放つ。
はやい――。
死を前にした少女の脳裏にそんな言葉が浮かび――――彼女は口元を笑みの形へと変えた。
棍棒の先端が地へと付く。それは子蛇が少女へと辿り着くの一瞬手前。空振った棍棒に触れた地が陥没し、小規模なクレーターが出来上がり、棍棒が地に食い込む。それほどの力がそこにはあったらしい。けれど命中しない限り無意味だ。
だが、それ自体が囮の場合は無意味なのだろうか?
「こんのぉッ!!」
気合の叫びの直後。棍棒が地面を削りながら移動し、それは彼女が廻転しようと膂力を振り絞った為で、結果、彼女の思い通りに動いていた。彼女の脚は弧を描く様な形で振り上げられており、棍棒は再び勢いを乗せて振り上げられようとしている。
そうして生み出されたのは恵まれた膂力より出力された速度が伴う空中での脚撃。脚撃は振り下ろされる踵落としとなり、迫る蛇を纏めて地へと叩き落として、大地に縫い止めた。つまり、蛇の頭は動きを止め、空中で固定される事になった。
廻転。彼女の躰が再び地に降りたということは、棍棒が再び、蛇の頭へと振り下ろされれるということに他ならない。
直後。
蛇の両頭が大地の染みになり、司令塔を失った心臓は動きを止めた。
少女はそれを一瞥し、次の獲物を求めて駆けて行く。
――――事にはならず。
横合いから飛び出たガストレア、ステージⅠだろうか? それの顎門によって頭を持って行かれた。小柄でありながらもそのガストレアは先の事を成せる程の牙と顎を持っていた。
こんな事がこの戦場では多数起きている。
喰らった相手を屠り、直後には喰われてしまう。
食物連鎖、弱肉強食をこの戦場は体現している様に思えた。
その中でも一際目を引く民警ペアが居た。男女ペア。民警の中ではポピュラーな組み合わせだろう。男のプロモーターに女であるのは当然だが女のイニシエーター。この戦場に居るのも多くがその内で、そのペアもそれに漏れない
このペアについて特筆すべきは、そのコンビネーションだ。
男、つまりはプロモーター。くすんだ金髪に飴色のサングラス。夜であるのに外されない辺り、特殊な効果が付与されているということだろう。ジャケットに覆われていても分かる程に鍛え上げられた筋肉が駆動する。徒手空拳、というわけではないが超近接戦であるのは変わりないだろう。
近接戦闘、その中でも格闘術を用いてガストレアとの戦闘を行うプロモーターは少ない。剣やそれと似通ったものの使用者も少ないだろうに、格闘術による超近接など誰が好んでするものか。プロモーターの主な役割はイニシエーターの援護及び監視。わざわざ危険な領域に入る必要など無い。蓮太郎も格闘術が基礎を担っているが、ガストレアに対する場合はXD拳銃を用いた延珠の援護へと回る事が多い。
他に例を挙げるとなれば、その蓮太郎の兄弟子の一人である薙沢彰磨は、ガストレアだろうが人だろうが構わずその身に刻んだ天童流、それを自己流にアレンジした技術を扱い、粉砕している。そんな彼でも拳銃を所持し、使用するのだから拳銃というもの利便性は計り知れない。
まあ、メインに格闘術を用いて、ガストレアへ致命傷を与えられるこの
勿論、このサングラスの男、片桐玉樹も基本的には拳銃による支援が主だ。けれど今回は、状況が違った。
迫るガストレアの顔面に玉樹はその身に染み込ませた格闘術の一端を叩き込む。要は右ストレートだ。同時に、彼の手に装着されたナックルダスターに仕込んだギミックが起動。ガストレアの顔面を一気に削りとる。
玉樹の両手にセットされたナックルダスターとブーツに仕込まれたギミック、それはバラニウム製の
吹き飛ぶ矮躯のガストレア、その躰の向かう先には、死がある。
ガストレアの躰が何かに突っ込んで、虚空で不自然に締め上げられたと思えば上方より影が高速で落下。結果、肉塊が出来上がった。開放された死骸が地に転がる。転がっているのは一体だけではなく、バラバラになったパーツが幾つもそこには存在していた。
「六体目っ!」
くすんだ金髪、玉樹と同じ髪色の少女が右手の親指を立てて、笑顔と共にサムズアップする。それに玉樹も笑みを浮かべ、同じ様に親指を立てて見せる。
「おうっ、グッドだ! 弓月!」
玉樹のイニシエーターであり、彼の妹である片桐弓月の張った罠、蜘蛛の巣という死が此処に展開されていた。糸が木々の間を繋ぎ、形を作って、ガストレアへと口を開いていた。
この戦法を用いて、彼らは幾体ものガストレアを屠ってきた。型に嵌まれば強力無比で、只のガストレア等に遅れを取るなどありえないと彼らは確信している。
そして今も一匹のガストレア、昆虫の様な形状をしたガストレアが蜘蛛の巣に掛かっていた。
玉樹の大地を滑るような高速接近とそれより繰り出される拳がガストレアの躰を砕き、網より落ちた後、弓月による追撃の跳び蹴りが叩き込まれる。粉砕の一言以外でしかその死骸の有り様を示せない程に凄惨な様を晒していた。
張り巡らされた糸を玉樹は器用に躱し、人型ガストレアへと接近し、糸の方へと誘う。この視認が非常に難しい糸を彼が視認可能としている仕掛けは、目を覆うサングラスにある。飴色のサングラスは特注で、弓月とペアを組む以上必要不可欠だと断じた彼があるメーカーに注文し、出来上がった代物だ。世界に一つ、そう胸を張って言えるだろう。
繰り返す。糸を張り、糸を躱し、巣に陥れ、拳と脚を以って砕く。そんな作業染みた行動をこの兄妹は繰り返して確実にガストレアを潰していく。
忘れそうな程に人型や通常のガストレアを何体も潰した頃。疲弊が彼らの表情に色濃く見え始めたその時。
この場に居た民警とガストレア達へ、予測不能な代物が飛来した。
大気を乱し、大地を揺らす。
それは振動。此処とはまた違う場所で放たれた二つが重なった結果だ。
一つは魔人。一つは異形。
二人の人外の起こした現象、その片鱗が彼らを襲った。
「うぉっ!」
玉樹は思わず声を上げる。起こった振動が脚を止める。弓月も同じではあったが、流石はイニシエーターか。動きは止まっていない。こんな時、こんな時だからこそか。構えは解かれていないし、ガストレアを警戒を止めていない。
予期せぬ出来事。地が揺れる。つまり、地に足をつけているのなら、躰が揺れる。
それは、人の形を取っている以上、致命と言えた。長い間ではない。かなり短い時間だった。けれどもだ。それは一瞬の隙を晒す事となるだろう。
相対的にガストレア達はあまり影響を受けていなかった。大型なものは特に、その振動を諸共せずに動く事が可能だったのだ。しかし、小型の者達は民警達と同じ様に唐突な地震もどきに戸惑っていた。
故に、大型のガストレアは構わず彼らへと襲い掛かる。たたらを踏む彼らへと暴威が降り注ぐ。
無論、イニシエーターにプロモーター、どちら共に遅れを取らず反応していた者達は居た。
しかし、それでも。
回避できる者等は少ない。
最初に動いたのは一体のステージⅡガストレアだった。体長三メートル程の大熊に昆虫めいた装甲を各所に装備したガストレアであった。それは大通りを疾駆し、小型のガストレアを蹂躙しながら植物型のガストレアが造り上げた壁を背とする民警達へと迫っていく。それに続く様にして、同じステージⅡが群れを成して駆けて行く。
まだだ。まだこの程度で彼らは絶望しない。
駆け出したイニシエーター達が此処の力を振るう。刃が一体のガストレアを引き裂き、散弾が叩きつけられる。その逆も然り。牙が彼女達の命を貪り、爪が血肉を引き裂く。
そして、この進軍の取りを飾るのは、この戦場最大の化け物。
ステージⅢのガストレア。ただ、平均的なそれらと同じ様に思うのは愚の骨頂。
先のステージⅡよりも一回り、二回りは大きい。体長は七、八メートルか。体表面を覆う皮膚はぬらりとてかる黒一色。その肉は分厚く、弾丸も刃も通り難いというのは目に見えて解った。姿形はまるで戦車で、その脂肪塊の頂点、通常なら砲塔のあるそこで赤く、大きく、人の様な瞳が四つ、ぎょろりと動き、獲物を捉えた。その真下で大きく開かれた口から覗く歯は、やけに歯並びが良く、躰相応に巨大。そして、不釣り合いに真っ白だった。
巨大な、戦車の如き姿をしたそれは金属が軋む様な音と共に、肉塊で形成された無限軌道が大地を踏み締めた。
嗚呼、これこそが絶望。人を蹂躙し、嘲笑する肉塊で造られた獣である。
腕が生える。奇っ怪な粘っこく泡立つヘドロが吹き出す様な音をたてて、ガストレアの躰の中腹辺りから液体が噴き出て、丸太を何本も束ねたような太く逞しい剛腕が高速で構築されていく。
一本、二本、三本、四本――――。
「――――おいおい、嘘だろ?」
玉樹は異様極まりないステージⅢにサングラスの奥の目を見開き、半笑いを浮かべた。そんな彼の頬を冷や汗が垂れていく。
「兄貴……!」
玉樹の傍らに立ち、周囲へと意識をやりながらも横目で彼の眺めるものと同じものを見て、弓月は慄きを隠せずいた。
無数の腕。それを背より生やした巨体がそこには存在していた。
数多の巨腕。それは本体の肉と同じ素材、ぬらぬらとした黒く厚い脂肪で造られた腕は空を薙ぎ、突風を巻き起こす。掌は軋む音を上げながら握り締められ、開かれる。
化物だった。あまりにも巨大で、あまりにも常識外れな代物だった。