「崩月流特種第零級戦鬼、紅真九郎」
戦威溢れ、吹き乱れる。
大地は軋みを上げ、大気は悲鳴を上げた。
真九郎の
彼の躰に満ちる力は紛れも無く鬼の如きそれ。
踏み出した脚が大地に沈み込む。彼の背後に揺れるは陽焔。《角》の熱に大気が歪んでいるのだ。
その双眸には、何物であろうと融解せんばかりの熱さを秘めた容赦無き殺意と冷たく燃え滾る憤怒がある。灼熱にして冷徹。今の彼の奥に轟く力はそれらを動力源にしている。
師より受け継いだ一本、そして、姉弟子である崩月夕乃、彼女から受け取った左の一本。
それは覚悟の証だった。
「星噛製陸戦型改式〇〇一号、星噛絶奈」
彼に対峙する彼女も名乗りを上げる。口端を持ち上げ、三日月を作りながら嗤う。双眸に揺れるは狂愛。全身を廻るのは狂乱の熱。躰が炙られる感覚がとても心地よくてどうしても彼女は顔面が緩んでしまう。全身の細胞が蠢き歓喜する。彼が傍に居る、私を視ている。そんな彼が欲しいと。愛しているのだから私のモノになってと。
狂愛が狂熱を上げて乱舞する。瞳の奥で、殺意と愛が高鳴る心臓の鼓動に合わせてステップを踏む。
極限まで凝縮され、漸くぶつかり合う場所を得た力が今、此処で。
解放された。
こうして開戦の号砲は上がった。
始まりは、互いに放つ拳。
大気を穿ちながら真九郎と絶奈の拳は疾走する。
正面衝突。拳と拳が互いに抉り合い、喰らい合う。衝撃波が周囲へ伝播する。大気を乱し、軋ませる。踏み込んだ脚を中心に深い亀裂が刻まれていく。
しかし、いいや、当然か。
当然。そう当然なのだ。そもそものコンセプト、存在している方法があまりにもこの状況は有利。
それが誰にとってかというのは、一目瞭然。
絶奈の腕が、真九郎の右拳と競り合うその腕があまりの衝撃に砕けた。骨が圧壊し、筋繊維を構成する細胞群が衝撃によって潰されてしまう。剥がれ落ちていく皮膚、露出した手先から肩まで構成する骨肉は一瞬でバラバラに砕け散った。
そもそもの話。《崩月》というものはその力に耐えられる様に躰を改造してきた一族だ。骨を捻じ曲げ、内臓の位置を移動させ、無理矢理物理的衝撃への耐性を付けさせる。なんていう馬鹿みたいな方法を用いて先祖から力を継いできた。今となっては遺伝子の異常、とも言えるがそのまま、その力に耐えられる
これも全て彼らが人として受け継いできた《鬼》という化外の力を操るため。鬼の象徴たる角はあるというだけで強烈だ。人にとっては劇物以外何物でもないというのに。
だが、彼らはそれを扱う。力として振るう。
そうでなければならないのだ。彼らは《崩月》だから、そう在り続けなければならない。
例え裏から身を引き、裏十三家自体が衰退しても、滅びたと同然でも。
彼らの力が遺伝子として継がれていく以上、在り続け、識り続け、継ぎ続けなければならないのだ。
真九郎は、本来《崩月》の人間ではない。だから腕に角など在る筈がないし、そんな土台を持っているわけがない。しかし、今、見れば解る通り。彼はその身に《崩月》を宿している。
無論そこに代償は生じている。骨肉を一度
そんな地獄を超えてきた彼こそ《崩月》最後の鬼、そう呼ぶに彼は相応しい。
真九郎の師たる崩月法泉の言葉、そこには《崩月》の闘争についてある。
彼曰く、崩月流は喧嘩殺法。型など無く、唯ひたすらに効率よく一撃を叩き込むということに特化した戦法。
全てはその角より出力される暴力を攻撃として成立させる為。
更に付け加えれば彼は
通常ならば右腕の一本だけであるのに、彼は左腕へ更に一本、角を持っている。
これはあり得ない事態だといえるだろう。しかし、修羅になる事を選んだ彼には必要だった。負けぬ力を、二度と失わぬ力を。そう望んだ彼が、受け継いだ力。
『必要になったら、どうしても成し遂げたい事があれば使ってください、真九郎さん』
彼女は真九郎へとそう言い残して、彼の前から去っていった。二度と手が届かぬ、遥か最果てへと彼女は逝ってしまった。
それは、残された剣は諸刃の剣、けれども、正真正銘最後の切り札だ。
使えば彼は二度と戰場どころかまともに走る事すら出来なくなるだろう。
真九郎はこれからの可能性を、ある筈だった未来の殆どを捧げると識った上で、この力を解き放つ。
それも覚悟の上。
故、本当の意味で《鬼》になった彼の暴力の前には、例え全身をガストレアの細胞に替えた狂愛の異形としても屈するしかない。
つまるところ、この結果は当然の事。
絶奈の右腕が肩ごと消失し、肉片に次いで血飛沫が虚空に散らばる。飛び散る赤が真九郎の拳を濡らした。支えを失った彼女の躰が前のめりに傾いていく。
と、そこへ追撃だ。右拳を引き戻した真九郎が繰り出すのは、左のアッパーカット。拳は音を置き去りにして傾いた絶奈の顎へ迫っていた。
疾い。ひたすらに疾い。《角》という最高の推進力を得た真九郎の拳は、凄まじい轟音を上げてクリーンヒット。絶奈の躰が空に浮かび上がる。直後、彼女を真横へと何かが吹き飛ばし、コンクリート製の壁へ、数メートルほど離れた建物の壁へと叩き込んだ。呆気無くコンクリート壁は崩壊。連鎖的に、建物自体が崩壊、絶奈へと降り注ぐ。
脚。真九郎の右脚による上段廻し蹴りによる一撃が現状を創り出していた。その一撃は確かに絶奈へと直撃し、腹部の内蔵を一通り叩き潰している。勿論、骨や肉も当然。手応えはあった。
常人なら即死。更に今ので死体は原型を残さないだろう。
だが真九郎は苛立ち混じりに舌を打つ。冷たい光を宿した瞳は砂煙立ち込めるそこを睨めつける。
諸君も識っている通り。
この女が、この人外が、この異形がこの程度で死ぬはずがない。
なんせ、昔でさえ鉄道に轢かれて無事だったのだから。
砂煙の向こう側で、何かが蠢く様な影を真九郎は見た。
影が砂煙の向こうから近づいてきて、砂色の帳を引き裂く様に真九郎の目の前にその姿を晒した。
「痛いなぁ……もぅ」
無論、絶奈だ。服装こそ血と砂埃に汚れ、降り注いだ瓦礫や真九郎の攻撃により破れて酷い有様だが、肉体的損傷は欠片も、擦り傷すら見受けられない。完全な無傷だった。
彼女は頬を赤らめて、瞳を蕩けさせる。溢れる吐息は熱い。かつてない興奮状態に彼女はあった。両手がそれぞれ、真九郎が殴りつけた顎と蹴りを入れた腹部をゆっくり撫でる。細い指が官能的に肢体を這い回っていく。
「傷が治るってのは便利だし素敵だけど、君から貰った傷が残らないってのは困りものよね」
少し不満げに彼女はそう言う。真九郎にとっては一秒たりともこの女の声など聞いていたくはないが、仕方がない。今は次へと繋げるタイミングを図っている最中。適当に喋らせておいて、適度な所で永遠に黙らせてやればいい。
「でもまあ、」
口端を持ち上げて、三日月を作り、彼女は嗤って。
「ずっと君の傷を受け続ける事が出来るって考えればすごく素敵ね……あぁ、
ゾクゾクしてきた」
彼女の指が下腹部の辺りを撫でながら、顔面全体を蕩けさせて息を荒くする。
女の顔、発情した雌の顔をこの女はしていた。
醜悪だ。ぽつりと真九郎は呟き、不快気な表情を浮かべる。
何だこれは。気持ちが悪い。吐き気がする。反吐が出る。気色が悪い。殺されそうになってなんでこんな顔が出来る。狂っているとのは解っていた。物だと思おうとしてもこの気持ち悪さは消えない。寧ろ大きくなっている様にも思えた。
早くこんなものは消してしまわなくてはならない。自分の為にも、人の為にも。
世に不要な存在とはこういうものなのだ。廃絶されるべき存在。淘汰されるべき因子。否定だけが似合う物体。疾く砕こう。疾く屠ろう。これはこの地上において最も忌避され、存在痕跡事に消滅するべきもの、ガストレアに劣る下劣畜生だ。
真九郎の身に滾る焔はそう叫んでいる。
けれども。彼は此れに身を捧げてはならなし、投じてはならない。
投じてしまえば最後、今も待ってくれている彼女の元に戻れなくなるから。
何故なら、今までと違って次がない。此処で死ねば勿論先は無いし、達成したとしたとしてもその時には抜け殻になり死にゆくだけの肉塊が残る筈だ。それ程にこの焔は激しい。触れてもいない魂が焦げるまでに猛っているのだ。
たが、彼には、帰る場所が、帰りたい場所が出来た。償わなければならない事がある。
死ぬにはまだやり残した事が多すぎる。
しかし、これは復讐である。
復讐とは達成されるべき行為であり、達成されなければ永遠に囚われ続ける感情の牢獄だ。
だから、真九郎は目の前で嗤う醜悪へ右の拳を叩き込み、全力で殴り飛ばす。
さすれば、この牢獄は砕ける。
この焔に呑まれない。もう二度とこれに身をくべるわけにはいかない。
だから絶奈の言葉への答えはない。真九郎は数発の高速ジャブから、一寸の迷いも見せない右
結果、絶奈の上体が後方へと大きく反る。
が、今度ばかりは彼女も大人しく喰らって居るばかりではなかった。
「次は私の番よ、真九郎くん」
嗤う絶奈は口元に付着した血を舐め取ると、上体を持ち上げる勢いのまま、だらりと先まで垂らしていた両腕を真九郎目掛け高速で振るった。綺麗な傷ひとつも見当たらない細く長い指が彼の顔面へと飛ぶ。
その指を払おうと真九郎は反射的に手を動かしかけ――――脳裏で強烈な警告音が鳴り響いた。警告に従い、後方への回避運動。絶奈の攻撃範囲より逃れる――。
「避けないでよ、ね?」
――事は出来なかった。無邪気な声と共に指は既に眼前へとあり、彼は反射的に首を逸らして避けようとするも、右の指が頬を擦過。掠っただけ、では済まなかった。灼熱の感覚が頬の中央付近を中心として広がっていくのを彼は確かに感じた。
「……ッ! なんだ……?」
広がる痛みに真九郎は眉を顰め、片手を頬にやると自分に何が起こったのかを認知した。
頬の肉が大きく、多量に削げ落ちていた。貫通までは届かなくとも深い傷を作られていたのは確かだった。同時に鮮血が傷口より頬を伝い、口元に辿り着く。直ぐにやってくる焼け付く痛みに顔を歪ませて彼は思った。
一瞬遅ければ首を持って行かれていた。
冷汗が頬を伝うのを感じながら、思考を続ける。
掠めただけだというのにどういう事だ。何だあの指は。どうやったらこんな傷を作れる。
観察。一瞬の間ではあるが真九郎はその指を見、軽く顔を引き攣らせた。
指の腹から掌には、なんと無数の口があった。口を開き、閉じる動作を繰り返す度に口の中で連なる糸切り歯を大気に晒し、水槽の中の金魚が酸素を取り入れる様にして蠢く口がそこには無数にあった。真九郎の目では捉え切れなかったが、なんというか当然か。その口は先ほど削ぎ取った真九郎の肉を大事そうにしっかりと咀嚼し、嚥下。つまり喰らっていた。喰らい終わると舌で口の周りを舐め、口は閉じ、その姿すら消してしまった。
「気色が、悪いッ」
彼は顔面いっぱいに嫌悪を滲ませて、後退したと直ぐ様、地を蹴り接近。接近と同時に絶奈の顔面――を通り過ぎ、その後ろ、後頭部へと手を伸ばし、長い赤髪、艶やかな見惚れんばかりの髪を容赦なく掴む。
「潰れろ」
万力を込め、地に叩き付けた。亀裂が入り、絶奈の顔面が地面に減り込む。追い打ちとばかりに《角》の出力を上げ、頭部を圧潰せんと彼は力を込めていく。彼の掌に確かな手応え、頭蓋が砕ける感触が伝わってきた。しかしだ。先の事もある以上、これでやめてしまえば元通りになるのは目に見えている。
故に。
地面から引っこ抜き、放り投げ――――同時に高く振り上げた右脚の踵を用い、叩き落とす。向かう先はやはり地面。極小のクレーターが広がって、中型程になった。傷の上に新たな傷が刻まれ、大地は苦痛の声を上げる。
地に伏す絶奈へと拳を振り降ろす。
しかし、拳は届かなかった。
絶奈の躰、背の服を突き破って、何かが飛び出した。真九郎へと奇妙な軌道、そう、螺旋を描きながら接近する。
拳を押し留め、ほぼ反射で上体を逸らして回避。すると何かは虚空を貫き、空振り――眼前まで迫っていた。
何かは猛烈な速度を保ったままUターン。再接近と共に真九郎へと襲い掛かってくる。回避を取ることはない。このまま躱し、護りに徹する等愚行であるから――彼の右手が一閃、何かを叩き斬った。
斬り落とした何か――手が地に転がった。歪な手の様な形をした物が転がる。どうやら、触手の様なものの先端だったらしい。先端を無くした触手の様な物は一瞬空中で硬直。震え、元の場所である絶奈へと戻る。
しかし、それは成されず。真九郎の両手が触手を掴んだ。やはりそこは《崩月》。純粋な膂力に置いて隣に並ぶものは居ない。彼の手の内で生暖かい熱を宿したいやに柔らかな触手が身動ぎして蠢く。あまり気持ちの良い感触ではない不気味なそれに思わず真九郎も顔を歪めた。しかし我慢だ。真九郎は万力を以って触手を潰さんばかりに掴み、まるで綱引きの様に触手を引いた。
しかしどうやら根本から分離し、斬り捨てたらしい。返ってきたのは触手だけ。適当にそこらへ真九郎が放り捨てた時、既に絶奈は起き上がっていた。彼女は服に付いた砂を払い除けると、真九郎の方へと向いて、少し拗ねた様な子供っぽい表情を浮かべて、
「もぉ、意地悪しないでよー」
絶奈は口先を尖らせ頬を膨らませるも、直ぐに何か納得した様な表情へ切り替える。
「あぁ、そっか、そっか」
ぽんと広げた左の掌に軽く右の拳を打つ。浮かぶ笑みはにやにやと悪戯っ子の様な邪気無き笑み。
「恥ずかしがってるんだー。もぅ、そうならそうって早く言ってよ、真紅郎くん」
「――――あんた、何を言ってるんだ?」
思わず真九郎はそう言っていた。
なんだこれは理解が出来ない。意味が解らない。どうやったらこの状況でそんな事を思える。解り切っていた事だが目の当たりにするとどうにも処理し切れない。
「あ、真九郎くん、やっと喋ってくれた」
にこりと嬉しげに絶奈は嗤う。
「真九郎くん、君じゃなきゃ私はやっぱり駄目ね」
一人、勝手に彼女は言葉を作り、紡ぎ始めた。真九郎は黙り込んだまま、口を動かす彼女を見つめていた。
「色んな男、私が好きだって色んな男を見てきた。けどね。あんなのじゃ駄目なの。あんな弱くて脆くて小賢しいだけの有象無象じゃ駄目。私の乾きを飢えを満たせない」
饒舌。真九郎が聞いてもいない、聞きたくも無い話を彼女は続ける。
「その点、影胤は良かったわ。強くて丈夫で賢くて。正直、真九郎くんに並びそうな程に魅力的だったわ」
でも。と、一拍置き。彼女は自分の躰をその両腕で強く抱きしめて。
「でも、でも、彼を愛しているそう思って、そう言って、抱き締められて、安心して、心地よくて、愛おしくても。でも、それでも、それでも!」
熱を上げる言葉と同じ様に、彼女の頬は赤く上気している。
「私はやっぱり君が好きなの。君の殺意が愛おしくて、君から与えられる痛みが心地よくて、堪らなく躰が疼くの。君を求めて止まないのよ。大好き。愛してる。陳腐だと思うだろうけどだけどそれくらいに私は君を――」
もう一度、彼女は言う。
「――愛してる」
そこで真九郎は限界だった。
彼が踏み出した脚は、既に絶奈の前にある。
腰だめに構えた右の拳は大気という壁を砕きながら、絶奈の腹をぶち抜いた。
右手が腹を貫通。指先が外気に触れると同時に引き抜き、次いでとばかりに臓物を毟り取っていく。肉が千切れる音がして、絶奈の口から真っ赤な血液が吐き出された。、
腹に大穴を開けられた上、内蔵まで引っこ抜かれた絶奈は後方へと
「ならもう一撃、いいや――死ぬまで殴ってやる」
真九郎は引っこ抜いた温かな臓物を放り捨て、拳を作――ろうとしたが、投げ捨てられなかった。
なんと臓物は変質し、右手に絡み付いてきていたのだ。それだけではない。只の肉塊でしかない筈のそれは、
「■■■■■■■■■■■■ッ!!」
奇声を上げ、牙まで剥いた。
元臓物は凄まじい速度で成長を開始した。腸の切れ端が伸びていき、形成されるのは人肉製の芋虫。形成されると同時に躰が腕に絡み付いていく。
元より、今の絶奈を真九郎が殺すというのは非常に難しい。
嘗ての星噛絶奈なら、今の彼ならいと容易く殺せただろう。それこそ対面し、戦意をぶつけたと同時にだ。それ程に隔絶した戦力差が嘗ての彼女と今の彼には存在する。更に言うと嘗ての彼女の肉体を構成するのは、只の、というには常識離れしているがそれでも通常の物質によって構成された人工物だ。常人にとっては鉄壁の城塞であろうが、今の真九郎にとっては少しばかし硬い壁に過ぎない。簡単に壊せるだろう。
だが、そう。それは嘗ての事。過去の事。
今の彼女を相手にしてはそうもいかない。
なにせ、今の彼女の躰は人型のガストレアそのものなのだから。
故にガストレアとしての特性、強力な再生能力と兇悪な身体能力。更にその上、ガストレアの操作とガストレアの生成などという悪辣なる機能まで搭載している。
けれども。
鬼の前にてそれらは無意味。
彼は復讐鬼。
この十年の間、唯一つの復讐の為だけに牙を研ぎ続けた一体の鬼なのだから。
「邪魔だ」
一言、そして、挽肉が真九郎の右手に出来上がった。地へと先まで絶奈の内蔵であり、ほんの数秒前までガストレアだった死骸が堕ちていく。
再び、彼の拳が唸りを上げる。
また大穴が開く。今度のそれは彼女が上下に分かたれてしまいそうなほどに大きい。更に次いで彼女の右腕が空を舞う。それは真九郎の左腕に形作られた手刀の生み出した結果。剛力のまま千切った断面は荒く、凄惨。
しかし、この程度で絶奈は怯まない。なにせ彼女はこんな傷如き、即座に再生してしまう。腕も、腹も元以上に美しく強靭に。
まあ、彼女にとってはこんな傷すらも彼からの
だから顔面は喜悦に歪む。歓びが喜びが悦びが彼女の全てを埋め尽くし、塗り替える。
真九郎以外を排除し、彼の
記憶から、心から
それに彼女は悦びを感じていた。
「き――――」
何か言葉を発しようとした絶奈の喉を、真九郎の拳が容赦なく砕く。
その声を聞きたくない、黙って死ねと彼の瞳は語る。
だが、彼女の喉は直ぐに再生し、脳が出力した言葉を声にして口から紡いだ。
「君にも、あげる――」
私ばかり味わっていては不公平だからと彼女は嗤って、加速。攻勢へと踏み切った。
真九郎の反応速度、それのギリギリから絶奈の腹より唐突に現れた手が迫る。
疾い。けれど、捉え切れない程ではない。真九郎の感想はそれで、容易くとはいかぬものの強引に千切飛ばす。けれどその先に待っていたのは流石の彼も想定外だった。
斬った断面から、無数の手が生えた。それこそ先と変わらぬ速度で迫りながらだ。
これには堪らず真九郎も回避行動を取らざるをえなかった。まずは射線から外れる為、軽く後ろへ下がり、
「厄介な」
舌打ち混じりに、真九郎はそう呟く。
彼の視界に在ったのは、高速で迫る絶奈の姿。しかしそれは只、彼女が両脚を扱って迫ってきている、というわけではない。
そう、絶奈は翔んでいた。
右から鳥類の翼を生やし、左から何やら昆虫めいた羽を生やしていた。彼女は前者を羽撃かせ、後者を震わせながら虚空にジグザグの軌道を描きながら真九郎へと高速接近する。
真九郎の速度をこの時ばかりは絶奈が上回る。そもそも彼の速度は《角》のより出力されている部分が大きいがため、瞬間的なものではトップクラスであるが細やかな部分では他に劣る事がある。
そして、今回はそうらしい。
迫る絶奈。彼女に浮力を与えていた翼と羽が姿を変える。翼は一気に捻れたと思うと互いに絡み付き、槍となる。片や羽は肩甲骨の辺りから分離し、空中で分解されたと思った直後、破片は鋭い先端と小さな羽を持った生物へと变化。同時に彼の頭上へと円を描くように整列すると一斉に襲い掛かった。
堪らず回避――しかし、それこそ絶奈の思う壺だというのは真九郎も理解していた――――せず。
二本の《角》より力場が出力される。それは唸りを上げ、大気を掻き乱し、風を巻き起こす。風は疾風になり、渦を巻いた。
すると面白いように小さな生物達が発生した力場に巻き込まれ、錐揉みまいになって羽をくしゃくしゃにされると地にその身を叩き付けていく。
真九郎へと槍は既に迫っている。それこそ突き刺さる直前。
このままなら、次の瞬間には彼は胸を貫かれ、串刺しだろう。
そう。
このままなら、という前提が付くが。
真九郎の右拳が先の力場を受けて、出力された推進力をもって撃ち出される。
無論、矛先は槍、その先端を横から叩く。
軍配は――――やはり真九郎。
槍が横合いより押し潰され、千切れ飛んだ。鋼鉄に迫らん程の強度を所持していた筈だったが彼の前では無意味だった。
だが、それは囮。
槍を根本より切り離して、絶奈は一枚、札を切る。
彼女の右肘、そこより、
――絶奈より力場が出力される。
――虚空が悲鳴を上げ、彼女の躰も悲鳴を上げる。
――しかし彼女は構わない。笑みを浮かべて、拳を握る。
直後、彼女は殺人的速度で加速した。
空を彼女が疾走する。
大気をまるでジェット機のような轟音が叩く。
「――――がッァ」
痛みに顔を歪めて、真九郎は呻く。されど躰は不動。当たり前だ。彼の躰はこの数倍以上の出力を叩き出す《角》を二つも搭載しているのだ。これくらいで体勢を崩すなどありえない。
しかし、直撃だ。
それは真九郎の思考へ僅かな空白を造り出すには十分過ぎた。
「アハッ」
真九郎の目と鼻の先で、絶奈の口より笑みが零れ落ちる。
同時に。
彼女の
「受け取って」
彼女はそう言い、
「私の気持ち」
放つ――――。
次の回が久々に長くなりそうです
もしかすれば分割かもしれません