kurenai・bullet   作:クルスロット

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第十六話

 「まだかな」

 

 絶奈は愛しき()の到着を待ち侘びていた。教会に並ぶ多数の椅子だったもの、その中でも原型を留めているそれに腰を下ろして、脚をぶらぶらと子供のような調子で振っている。

 にやにやと笑みを浮かべて彼女は、まだかなまだかなと何度も何度も繰り返す。

 彼が来たらどうするか、どんな風に向かい入れるか。どんな風に挨拶をするか。幾多の言葉が浮かび、幾多の方法を思い浮かべていた。

 そして、少女の如く、あどけなく彼女は嗤う。

 

 「ねえ、紫ちゃん」

 

 にこりと笑って、傍らで同じ様に椅子へ腰を掛ける紫へと彼女は言葉を掛けた。

 しかし返事は返ってこない。隣の紫の顔を不思議そうな表情で彼女は覗き込んだ。

 とそこで彼女の疑問は解消されたらしい。納得した様な表情を浮かべて、

 

 「そっか、寝てたんだ」

 

 そう彼女は言葉を作り、極自然な動作で紫の頭をゆっくりと優しく撫でた。その顔に浮かべているのは先までの戸惑い混じりの不思議そうな表情でも狂気を孕んだ童女の如き無邪気な笑みでもない。

 優しく、我が子を慈しみ愛する母の微笑。

 彼女は極自然にそれを浮かべていた。

 

 「可愛い寝顔……」

 

 小さく呟く彼女の方へと紫はこてんと躰を傾けた。絶奈はそれを受け止めて、また彼女の髪を撫でる。すると少しくすぐった気に彼女は小さく笑みを浮かべた。

 

 「ねえ、影胤」

 

 暫くして、静かに紫の傍に寄り添っていた絶奈が口を開いた。

 

 「なんだい? 絶奈」

 

 呼ばれて、彼は即座に答える。彼は、十字架が設置されている祭壇に腰を掛けていた。その足元では彼の娘、小比奈がこくりこくりと船を漕いでいる。とろんと溶けきった瞳は睡魔に何時呑まれても可笑しく無いということは一目瞭然だった。

 仮面が、その向こうにある目が絶奈へと向けられる。その目に刹那浮かんだ感情は嫉妬。彼女が望む男があまりにも羨ましくてしょうがなかった。自分の手で引き裂いてしまいたい衝動に駆られる――が、それをすれば彼女は間違いなく悲しむだろう。

 ジレンマだった。抜け出せない無限回廊に彼は居た。

 しかしそれをおくびにも出さないのが彼だ。その仮面(ペルソナ)は彼の表情を隠し、彼の心を他者より欺く。

 

 「彼はいつ来るかしら」

 

 絶奈が首を傾げて、影胤へと訊く。

 嗚呼、呪わしい。実に腹立たしい。仮面の奥の表情が僅かに歪む。

 

 「直ぐに来るよ、絶奈。彼は君をそんなに待たせないさ」

 

 そう、さっさと来たまえ。私は君の死骸に唾を吐き捨てたいのだ。忌まわしき恋敵よ。そう彼は内心で付け足す。

 

 「そっか、ありがとう、影胤」

 

 絶奈は彼から目を逸らし、目を瞑る。彼が来るその時まで、彼女は睡る事にした。こんな躰に成り果てても彼女は睡眠というものから逃れられていなかった。それはまだ彼女が人間であるという証明、未だにまだ生物であるという証明に成り得るかもしれない。

 しかし、彼女が下劣外道であり、一つの化外であるということは歴然たる事実だ。

 彼女の意識が黒へと染まっていき、直ぐに夢へと堕ちて行く。ずっと下へ下へと彼女の意識は闇を落下していく。

 夢の中へと彼女はひたすらに潜っていく。

 そして、再び目を開いたそこには彼が居た。此方を向いて笑っている彼が居て、此方に手を差し出していて。

 彼女は手を伸ばし。

 しかし夢は霧散する。広がるは血と屍が溢れ、ただ広がる闇。

 絶奈はふっと微笑する。

 ああ、やっぱり何時もの夢ね、と。

 その中に、彼女は倒れ込み、寝転がる。血肉の暖かさに包まれて、常人なら忌避する死臭を吸い込んで小さく笑みを浮かべた。響く怨嗟の呻きはそれこそ子守唄代わり。心地よい空間を飾り付けるものにしか成り得ない。

 この血肉は、彼女の下に積もり積もる人々、その成れの果てである。例えば、彼女の傍に転がる髑髏は彼女の顔も名も識らぬ両親の物。例えば、彼女がベッド代わりにしている血肉は彼女の従姉妹のもの。

 そう彼女、星噛絶奈は星噛の全てを背負い、そして、完成した存在だ。

 躰は死と執念と悪意と欲望。

 これらが彼女を循環する血液の構成物であり、その身を造った技術ものの構成物でもある。

 つまり、彼女は最初から人として生まれていない。

 彼女は最初から人でなしの仔だった。人を人と見ず、只、彼らが造り上げてきたものを向上させ、進化させる為の材料にしか思わない畜生の仔、それが星噛絶奈の真実、その一つ。

 しかし、彼女は完成して(狂って)いる。

 それを許容している上に、己もそれに加担するどころか中心になっている。彼女にとっての普通であったが故に何が悪かなど理解もしていない。狂気にも気づいていない。

 只、彼女は《星噛》として存在している。《星噛》の定めた悪意と欲望のままに星噛絶奈は此処に在る。

 けれど、そんな彼女でも解る事がある。

 自分は何処までも何処まで行っても。

 (紅真九郎)を愛している。

 

 「ごめんね、影胤」

 

 小さく呟いて、

 

 「やっぱり君ではダメみたい」

 

 瞳を閉じた。

 そうして、夢の中で眠りについた彼女は、現実へと帰還した。

 堕ちながら、彼女は浮上していく。鮮明になる視界。しかし夢心地なこの浮遊感は消えない。ボンヤリとした様な、クリアな様な。そんな視界の中で彼女は影胤の声を聞いた。

 

 「ふむ、来たようだね」

 

 彼の声は彼女から離れていた。声の方へ、出入口の方へと目をやるとそこには影胤の姿があった。そして寄り添う様に立つ小比奈の姿も見受けられ、既に臨戦態勢であるというのは見れば直ぐに解った。

 彼女も彼らの後を追う。と、その前に傍らで眠り続けている筈の紫へと視線をやり、まだ眠っているのを確認した。それから、彼女に手を充てがって、起きないように細心の注意を払いながら静かに離れる。

 それを終えて、彼女は足元にある銀色のスーツケースへと視線をやり踵を返した。これは此処へ置いていく事にした。今からやることには間違いなく邪魔になるだろうし、そもそも必要では無いから。

 歩みは止まらず、ひたすらに前へ。

 彼女は愛する彼へと向かっていく。

 そうして、宿命に導かれた者達は、再び対面した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 「こんばんわ、紅くん」

 

 絶奈は嗤う。童女の様に、幼い無邪気さに溢れた笑みをその顔面に浮かべる。その笑顔は魔性の魅力を纏っていて、彼女を識らぬ者が見れば見惚れてしまうだろう。

 しかし、そこに正気は無い、あるのはやはり狂気のみ。

 ヘリから降り立ち、教会へと続く大通り、左右を多彩な建物に挟まれたそこを暫し歩いた彼らの前に絶奈は現れた。待ち伏せなども予想はしていたが、此処まで堂々としていられると疑心暗鬼になってしまうのも仕方がない事だろう。今も民警等はそれぞれ得物へと手をやっている。いつでも戦闘を開始出来る様に。

 しかし、そんな彼女の視界には真九郎しか入っていなかった。他にも多数の民警、切彦も居るというのに。彼女は真九郎だけを見つめていた。その瞳はいつもの様に愛に溺れていて、恋焦がれていた。

 

 「月が綺麗ね」

 

 彼女は空へと目を向ける。そこには大きな満月があった。月光は世界を、彼らを、彼女を照らす。確かに美しい月だった。大きく、妖しく、輝く月。病的な青を帯びた月(ルナティックムーン)が闇空にはあった。

 答えはない。誰も絶奈の声には答えない。影胤は言葉を口にしない。彼は識っているのだ。彼女が求めている声は唯一つであると。 彼女は声を求めて月を眺めている。ずっと、ずっと。声が返ってくるまで。

 静寂だった。暫しの静寂。虫の声、ガストレアの声すら無い静謐。

 しかし、その静寂も此処までだった。無粋な誰かが此れを無理矢理に切り開こうしたのだ。

 閉じ切った古傷に、錆び付いてボロボロになったナイフを捩じ込むが様に抉り、差し込み、切開するが如く。

 その銃声。それは真九郎のものではない。それは蓮太郎のものではない。それは延珠のものでもない。それは無論、影胤のものでもない。それは絶対にあり得ないが切彦のものでもない。

 並び立つ民警の中にいる、プロモーターの誰かの拳銃から放たれた一発の銃声で。

 それは実に空気の読めない行動だっただろう。きっと今ならあいつを殺れる。必ず、絶対にこの不意をつけばいけると確信を持った行動だった、希望を胸に抱いた行動だった筈だ。けれどもそれは無謀で無茶で無理であった。もしこれを放ったのが彼ではなく、もっと他の誰か。喩えるならば里見蓮太郎、彼が何れ戦う事になるであろう一人の少女ならば可能であったかもしれない。何せ、彼女の弾丸は絶奈という異形の命を射抜く事が出来るかもしれないからだ。

 しかし、現実はその無名の何処かの誰かだ。

 そんなものがこの異形(星噛絶奈)に通じる訳がない。無論、魔人(蛭子影胤)にとっても同じで、怪物(蛭子小比奈)においても同じ。

 こうして。

 幕は上がる。

 幾人かの犠牲と共に戦いは始まった。

 まず、静寂に風穴を開けた銃弾の行方から話すこととしよう。

 銃弾を撃ち出した拳銃、それはFN ブローニングBDMという呼び名の代物で、とうの昔に販売中止の憂き目にあっている筈だが、まあ、それはこの者が物好きだったということだろう。口径は9mm。ガストレアへの再生阻害を行うためのバラニウム弾が最大数まで装填されていた。今、撃ち出されたのもその一つというわけだ。

 銃声、薬莢が弾き出され、弾丸は銃口から大気へと飛び出し、空間にひしめく大気の壁へ削孔を開けていく。螺旋を刻み込みながら描いて、弾丸は虚空を飛翔する。真っ直ぐに、あらゆる障害(・・)からの妨害を受けながらも愚直なまでに黒の直線を描く。

 その速度は音を置き去りにしていて、瞬く間に弾丸は絶奈へと到達する、筈であった。

 銃弾がその身に秘めた殺意を炸裂させる寸前。それを何かが受け止めた。それは何か触手じみた見た目をしていた。しかし生物的な要素は見られない。硬質であろうというのはその外見から察する事もでき、銃弾を軽々と受け止めた辺り、バラニウムの再生阻害も機能しておらず、銃弾本来の貫通力も発揮されていないということだ。

 それはそう、生物の肉ではなく、ましてや金属でもない。

 そう、それは。

 

 「蓮太郎、これは……!」

 

 蓮太郎の隣で驚愕を上げる延珠の瞳に朱が宿り、仄かな輝きを放つ。イニシエーターとしての力を開放したのだ。他のイニシエーター達も同じ。朱の輝きが月光の元に、増殖していく。

 

 「切彦ちゃん」

 

 真九郎は口元を覆っていたマスクを剥がし、放り投げる。そもそもこの女がガストレアウイルスの散布だとかで終わらせる筈がないのだ。故に、邪魔にしかならない。それから隣に佇む彼女の名を口にする。彼の声に宿る意思を感じ取った切彦は即座に行動を開始していた。誰よりも疾く、誰よりも鋭く。刹那の内に彼女の刃が解放される。

 

 「ああ、任されてやるよ」

 

 蠢く植物型ガストレアの触手の如き枝葉を一閃、ついでとばかりに自分の口を覆っていたマスクを斬り刻み、彼女は戦闘を開始した民警等の手助けをするべくそちらへと脚を向けた。絶奈と真九郎、二人へ背を向けてから彼女は跳ぼうと膝を曲げ、ちらりと背後へ視線を向けた。その眼には強烈無比、底なしの殺意が渦を巻いて、全て絶奈へと放たれた。しかし、彼女は殺意に動じる様子はない。切彦は舌打ちを零し、己が任された役割を全うする為、跳んだ。

 

 「植物型ガストレアッ……!!」

 

 そう言葉を零す蓮太郎は、既に臨戦態勢。その手にはスプリングフィールドXDが握られていて、銃口は絶奈の方へと――――。 

 

 「おっと、里見くん。君の相手は私だ」

 

 横合いからした声を蓮太郎は確かに聞き取り。

 直後、蓮太郎と影胤の銃口が交差し、弾き合い、拳が打つかる。数合、それが続く。一瞬離れ、移動し、直ぐ様接近。息を吐く間も無い連撃の嵐。

 

 「蛭子、」

 

 蓮太郎は片手で取り出したXDを影胤へと向ける。無論、銃口が向けられた時には既に引き金は引かれていて、弾丸は影胤へと疾駆している。バラニウム塊は、螺旋に駆動し、その身の権能を遺憾無く――発揮は出来ず、そのまま虚空にて磔にされた。斥力フィールドの限定的な展開だ。弾丸が虚空で先まで纏っていた螺旋とは逆に駆動する。逆螺旋、直後、弾丸が反射し、蓮太郎へと向かう。

 けれど、そんなものでは蓮太郎を捉えられない。躰を低め、弾丸の軌道より逸れることで回避、返しの刃は雲嶺毘湖鯉鮒(うねびこりゅう)――簡単に言えばアッパーカットである――が繰り出される。向かう先は、影胤の顎先。確実に動きを止める為の一手であった。

 今度は首を後方へ逸らして、影胤は回避した。その両手にはいつの間にやら拳銃が、彼の愛銃、ベレッタカスタム、名を《スパンキング・ソドミー》、もう片方を《サイケデリック・ゴスペル》。其れ等が握られていて。

 刹那。

 引き金が引かれた。流石の蓮太郎でもこれには回避を取るざるを得ない。銃口を見ると同時に跳ねる様に彼はそこから離れていた。 直後、銃口からフルオートで弾丸が吐き出される。その様はまるで機関銃の様。無論、その威力は絶大。回避行動をとる蓮太郎を追うように彼は銃口を動かす。蓮太郎が疾走り回る故に弾丸が他へと散らばるがまあ、関係はない。なんせ、既に彼らは他の民警からだいぶ離れている。

 

 「影胤ェッ!!」

 

 少年はその名を叫ぶ。睨むその先には天敵であり同類が居て、笑みを浮かべた仮面を貼り付けている。

 

 「クハハッ!! そうだ、その殺意だ! いいぞ、すこぶる良いぞ! 

里見蓮太郎!!」

 

 仮面の奥にある瞳を弓なりにし、口元を耳元まで裂けんばかり歪めて影胤は同類から浴びせられる殺意に歓喜する。

 正史、此処とはまた違う次元の'話'ならば、影胤が蓮太郎の事を同類だと識るのは最後の最後の話であった。しかし、今、此処はその'話'とは違う。

 これは正史ではなく無数に分岐する分かれ道を踏み間違え続けた物語。死ぬ筈のない者が死に、死ぬ筈の者が生きていて、そして、居ない筈の存在が居る世界線だ。

 影胤が蓮太郎の事を識るというのは、容易だった。彼には本当ならば居ない絶奈が居て、彼女には蓮太郎という存在を識る方法を持ち合わせていたが故に、影胤は蓮太郎がどうやって己の同類へと堕ちて来たのかを識っている。

 そして。

 影胤は蓮太郎へと手を差し出し、彼はその手を振り払った。

 そして、次に蓮太郎が突き合わせていたのは銃口と敵意、そして、影胤は一方的な失望と同じ様に銃口。

 そう。決裂という結末だけは同じで、それだけは変わり様が無かったのだ。

 相容れないと言う事を互いに理解して、いや、影胤は未だに彼を諦め切れていなかったか。けれども蓮太郎にとっては排除スべき敵に成り果てる。

 

 「蓮太郎ッ」

 

 激しい戦闘を繰り広げる蓮太郎と影胤の二人を目にした延珠は彼を呼び、影胤へと跳んだ。無論、蓮太郎への援護だ。少なくとも彼女の身体能力は二人を軽く超えているし、その脚力は目を見張るものがある。なんせ彼女のイニシエーターとしてのスペックはこの東京エリアでも上位クラス。行く所へ行けば今以上の待遇を手に入れる事など容易だ。

 なら彼女が何故そうしないかなど、まあ、そんな事は語るまでもないだろし、日々の彼女を識っている諸君にとっては愚問であろう。

 

 故に、閑話休題(それはともかく)。話を戻そう。

 

 延珠の矮躯が空を疾駆する。彼女はモデルラビットのイニシエーター。その脚力は其処らの有象無象(ガストレア)を一撃で葬り去る程の威力を具えている。そして、それは影胤へとクリーンヒットすれば、いいや、当たりさえすれば必ず戦闘不能へと追い込むだろう。

 しかし、彼女はそれを放てずに居た。彼女は時たまやってくる触手の様な植物ガストレアの一部を蹴り潰しながら、思う。

 合間に入る事が出来ない、と。

 歯噛みしながら。

 極近接戦闘。蓮太郎と影胤の戦いは超近距離まで互いに肉薄した格闘戦であった。蓮太郎は天童式格闘術による高速戦闘、影胤は得体の知れない変幻自在の戦闘術。互いに一歩も引かぬ殺し合いである。引けぬ理由が互いにあるから彼らの殺意は、戦意は天井知らずに高まり続ける。

 つまるところ、この二人は互いしか見ていない。周囲で行われる植物型ガストレアと他の民警等による必死の交戦など既に思考の外側。認知もせず、察知もしない。

 そんな二人を見つめる延珠へと二閃の刃が、黒を纏い迫っていた。

 殺気。プレッシャー。音。言葉は何でも良い。ただ、延珠のモデルラビットとしての特性の一つ、非常に強化された聴覚及び彼女の直感が察知、それの方へ上段回し蹴り(ハイキック)を繰り出す。

 激突。火花と金属音が闇を裂いた。刃の連撃へと延珠は後退とその脚技を用いて対応する。縦横無尽、植物型ガストレアにより生まれた暗がりから月の照らすそこへ移動しながら斬撃をいなす延珠は、月光の下、漸く刃の主を認識する事が出来た。

 

 「お主は……ッ」

 

 驚愕はしなかった。己に立ち向かえるイニシエーターは今回参戦している中では、唯一人だと確信していたからだ。イニシエーターの括りでなければ何人か居ただろうけれども、しかし、イニシエーターであるなら、一度、ぶつかった者であるが故の確信だった。

 蛭子小比奈。蛭子影胤の娘、モデルマンティスのイニシエーターがそこで無邪気に悪辣に嗤っていた。

 

 「延珠ゥ、私と遊ぼ?」

 

 小首を傾げ、可愛らし気に小比奈は延珠に尋ねる。その手に握る刃を彼女は自由自在に操り、空を断つ。それは手慰み染みた行動で、言うならば髪を指先で弄るのに似ていた。幾度も刃がその手の内で空を旋回する。

 

 「――――良いぞ」

 

 少しの沈黙の後、延珠は肯定の頷きと共にそう言った。

 刹那。

 斬撃と脚撃が幾度と激突。その勢いは加速の一方。

 互いにイニシエーターとしての異能を振り絞る戦闘が始まる。

 といってもこの二人、やることが殆ど変わらない。ひたすらに加速し、ひたすらに互いが得意とする絶技を放つ。しかもそれが互角ときたものだからキリがない。

 月下に舞う兎と蟷螂。本来の生態系であるのならあり得ない組み合わせ。だがそれもガストレアウイルスという不条理が可能とする。赤い残光が空をなぞり、瞬く間に彼女らは元いた場所から離れていき、今は小さな林へと突入している。

 地を滑るようにして刃が延珠の首もとへ殺到する。回避行動は跳躍にて行われた。彼女は跳び上がったそこから木々の太い枝をまるで鉄棒の様に扱い、逆上がり。猛烈な速度を有したまま、彼女は空から降ってくる。それに合わせ、振るわれる小比奈の刃、それは二段構えだった。何、二刀を手にしているのだから当たり前の行動。横薙ぎに合わせて、二の太刀の刺突が放たれようとしていた。

 火花が散る。延珠の、彼女専用にオーダーメイドされた靴、バラニウムの仕込まれた安全靴と一振りの刀が擦過、二の太刀の刺突が靴底へ刳り込もうとする。流石に、これは堪らない。故に延珠は体勢を無理矢理変更して、その躰を地へと下ろした。無理な行動が少しばかりの痛みを彼女に齎した。けれど、延珠は止まらない。止まる暇など無いから。

 また二人の視線は交錯する。そして、延珠の下段廻し蹴り(ローキック)が放たれ、今度は小比奈が後退し、躱した。

 二人の距離が離れ、睨み合い――――大地が、互いの足元が大きく刳られた。誰かの攻撃ではなく、彼女らの脚力が齎した結果だ。延珠がやはり疾く、小比奈は彼女よりは遅い。

 しかし、彼女らは対等で。

 闘いは、終わりの兆しを見せない。

 その頃。

 

 「ねえ、真九郎くん(・・・・・)

 

 絶奈と真九郎。二人は未だ、向かい合ったまま戦場の中心に居た。二人の周囲には血風が舞っていて、消え行く悲鳴と響き渡る銃声に劔が刃鳴りを上げる。此処は戦場。人とガストレアが入り混じる殺し合いの場だ。こう、静かに向かい合っている場所ではない。

 いつの間にやら、植物型以外のガストレアが出現していた。殆どが件の人型だ。膂力と再生力に能力を割いた白痴の化物。これが呻きを上げ、人と争っている。植物型ガストレアは真九郎と絶奈を分断しているだけで殆ど動きを見せなくなっていた。

 そもそもこの植物型ガストレアは一体なんなのだろうか。

 まあ、早い話がこれ自体絶奈に従っているということだ。これも星噛の研究結果――というわけではない。

 ブラックスワン・プロジェクト。それを流用した結果、絶奈は特殊な加工を施したガストレアを操れる様に調整されていた。絶奈自身の内部構造へと改造を施し、本来、催眠状態を齎す薬を以ってガストレアを誘導するところを彼女の動作へ関連付けを行う事により精密操作すらも可能としていた。

 結果、絶奈は加工を行ったガストレアを操作する事が可能となっている。

 そんな事を彼は気にも留めない。

 そこで、漸く真九郎が口を開いた。

 

 「――――なんだ」

 

 声の色は抜け落ちている。温度は絶対零度。声を耳にした者の脳髄を凍りつかせんばかりで、その眼も冷たい光を宿している。

 しかし彼の声を聞いた彼女はぱっと嬉しげな笑みを浮かべていた。まるで子供の様な、極普通の、邪悪など欠片もない純粋無垢な笑顔がそこにはあった。

 

 「私、君のことが好き」

 

 そうして飛んできたのは、直球な愛の告白。迷いなく、ただ純粋に絶奈が抱いた感情を彼女は言葉にしている。

 

 「そうか」

 

 真九郎は揺らがない。なに当然のことだ。もう、彼には心決めた人が居る。故にもう、此処にあるのは戦意のみ。目の前の障害を駆逐する。この身にのさばる復讐と狂気を精算し、あの子の形をしたガストレアを討滅するだけだった。

 直後。

 強烈無比な戦意と殺意が暴力の嵐と成り吹き荒れた。




なんだか調子が出ないこの頃

2015/2/27 一部修正しました。話に変化はありません。

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