kurenai・bullet   作:クルスロット

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今回は一ヶ月より前に出せました。
最近はメガテンと戦神館に時間を盗られています。

2015/3/8 誤字の修正を行いました。


第十四話

 時間が巻き戻る。懐中時計の針が逆行する。

 それは、真九郎と切彦の邂逅、その少し前。

 

 「……柔沢紅香」

 

 「なんだい? 村上銀子」

 

 二人、一人は不機嫌そうな声色、方やもう一人は飄々として掴み所のない印象だった。

 

 「真九郎の件に関しては――――」

 

 彼女には珍しく目を反らし、嫌々というか渋々といった様子が見て取れた。そんな彼女を見下ろす紅香はにやにやと口元を歪めていた。

 現在、彼女らはこの国津ノ柱の下層に存在するある研究スペースへと静かに降りて行くエレベーターの中で、二人は並んでいた。

 銀子自身は紅香に先の真九郎の時に呼び出されていて、国津ノ柱に到着、真九郎とスレ違いに紅香が迎えに来、現在へと至っている。

 

 「…………感謝しているわ」

 

 暫しの沈黙の後、そろそろ、目的の階層に着こうとする頃、彼女はそう言った。

 

 「何、師匠としてやれることをやっただけだ。それに、君が居なければあいつは変われなかったさ」

 

 と何気なく、紅香がシガレットケースを取り出すと、銀子は小さく「禁煙」と呟いた。まあ、エレベーターの中なのだから当たり前だ。

 

 「解っているよ、火はつけない」

 

 そう言い、取り出した一本を指に挟んで、彼女は苦笑する。

 

 「癖になっててね。真面目な話だとかになると急に恋しくなるんだ」

 

 「それ、真面目な話じゃなくてもそうなんじゃないの?」

 

 鋭い銀子の指摘、苦笑を深める事しか紅香には出来ない。

 

 と、その時、軽やかな音が彼女らの鼓膜を揺らした。同時に、目の前の扉がスライドして開いていく。目的の場所へと到着したらしい。紅香は銀子の車椅子のハンドルを手にとると押し始めた。銀子は何かしら言おうと口を開いたが、その言葉は放たれる事もなく、彼女の口の中で消えていった。人の好意なのだから、一応、受け取っておくことにした。相手が酷く気に食わない女であったとしても、親切心とかそういうものであるのは確かだったから。

 

 降りたったそこは暗いエレベーターホールだった。照明も最低限。視界良好とはいえなくともそれなりには見通せ、しかし、隅々とはいえないとは言えなかった。

 

 「さて、」

 

 そんな二人はそんな言葉を聞いた。視線を声の方へやると、そこには一人の女が居た。裾の長い白衣を身に纏い、薄く何処か不気味に笑う女。長い髪に覆い尽くされよく見なければ解らないが中々の美貌の持ち主である事が伺える。

 

 「地獄(ゲヘナ)へようこそ、お二人様」

 

 道化師よろしく、仰々しい礼を彼女は深く腰を曲げてしていた。芝居がかった動作はなんというか道化師、というよりも悪魔的な雰囲気を銀子は感じていた。

 

 「相変わらずだな、室戸」

 

 「そっちこそ、何時迄も変わらない美貌だ。死ぬときは是非綺麗に死んでくれ。私の部屋に飾りたい」

 

 「……そっちの趣味も相変わらずか」

 

 目に見えてげんなりとする紅香と対照的にシニカルに笑う彼女、室戸菫はとても愉しそうである。

 

 「この人が四賢人の一人、室戸菫」

 

 成る程、話に聞いた通りの変人だという風に、銀子は内心で納得していた。事前情報通り。

 

 「さてさて、お、そちらの彼女が銀子ちゃんかな?」

 

 「ええ。室戸女史。村上銀子です」

 

 よろしくと銀子が伸ばした手を菫は握り、二人の間で握手が交わされる。

 

 「ほら、挨拶は終わったろ。室戸、話に入るぞ」

 

 何処か急かすような言葉に菫は肩を竦め、交わした握手をゆっくりと離した。

 

 「確かに。余り時間には余裕が無いし、始めるとしようか」

 

 そう言って彼女は銀子等へと背を向け、

 

 「ついてきたまえ」

 

 そのまま、歩き始めた。紅香は銀子の車椅子を押して、追従する。

 暗い廊下だった。光源と言えば壁と床の境界辺りに設置された緑の誘導灯くらいである。この薄暗い闇はお世辞にも視力が良いとはいえない銀子の目では中々に見るという普通の事も困難であった。

 少し歩いたら、灯りが見えてきた。恐らく、そこが菫の目的地なのだろう。

 と、それと同時に何かが聞こえてきた。銀子はその何かに眉を顰める。

 

 「……何か聞こえた?」

 

 ぼそりとそう呟いていた。なんだろう。この何かを上から押さえ付けた様な音――――いや、これは声だ。

 

 「ああ、聞こえたかな? 何、唯の実験動物だ。気にしなくていい」

 

 「…………人の声の様に聞こえたけど」

 

 「気のせいさ」

 

 飄々と言葉を返す彼女に、銀子は何か言いたげにしていたけれども、どうせ聞いた所で無駄だろうと判断して、

 

 「そう」

 

 一言、一応納得したような言葉を作った。

 

 同時に目的地たる場所の目の前、扉の前に三人は辿り着いていた。まず、部屋の主である菫が扉を開いていた。スライドドアはゆっくりと開かれていき、中から光が漏れてきた。

 

 暗闇に少し慣れ始めていた銀子は目を軽く目を細めていた。菫が中へと

入るのを追って、紅香が銀子の車椅子を押し入れた。

 

 部屋の中は、雑多としていた。テーブルには所狭しとフラスコやらビーカーが並び、床には山積みになった書類に、本に、何故かR18ゲームの箱。壁にも様々な書類が貼り付けられていた。

 

 「ちょっと前まで他の場所に研究室を構えていたんだが、」

 

 彼女は適当に書類や本を放って除けながら言葉を作る。

 

 「急に此処へ移されてね。傍迷惑極まりない上、まだ片付けが終わってないのにこの事態だ」

 

 やれやれ、面倒は重なるものだね。ぼやく彼女を横目にしながら、銀子は部屋を見渡した。車椅子を押していた紅香は壁に凭れ掛かって、煙草に火をつけ始めている。その視線は片付けをしている菫へと向けられていた。

 

 雑多でゴミ屋敷という程ではないが物だらけの部屋を見渡して、一つ彼女は疑問に思ったことがあった。

 

 あの、カーテンはなんだろうか、と。

 

 そう、部屋の一角、そこだけ、カーテンで覆われていた。病院の病室や学校の保健室に在るようなそれなのだが、閉め切っている所を見る辺り、誰か居るのだろうか。しかも先からなにやらそこで物音がしている。

 

 「そう言えば、竜崎と闇絵はどうした?」

 

 紫煙をゆっくり吐き、紅香は菫に訊いた。本を抱えて、部屋の隅に運んでいた彼女は、

 

 「ん、ああ、闇絵は識らないが、実験動物(竜崎)なら」

 

 なんだか不穏な呼び方をしていた様に銀子は思った。気のせいであればいいけれど。と思うも、それを否定する何かが自分の中に居るのを感じていた。

 

 「そこだよ」

 

 銀子の気になっていたそこ、カーテンで覆われたそこを、部屋に響く音の元であろう場所を本を置いた菫は指差していた。

 

 「ふむ」

 

 紅香は煙草を咥え、件のカーテンへと寄ると、やや勢いをつけて開いた――――。

 

 「…………………」

 

 そして、少しの沈黙の後、勢い良く閉じた。

 

 「……まあ、趣味は人それぞれだ。そんな微妙な顔をするな、紅香」

 

 すごく微妙な顔、そこそこ長い付き合いでもある銀子が見たことのない顔な辺り、結構レアなのだろうと思いながら銀子は、声の主、スライドドアを開けて、今、部屋へと入ってきた闇絵へと視線を向けた。

 

 「こんばんは、闇絵さん。お久しぶりです」

 

 「ああ、銀子ちゃん。こんばんは」

 

 微笑みを浮かべて、彼女は挨拶を返して、こちらを見ている紅香へと肩を竦めてみせた。

 

 「いや、私もなんだ。先ほど花を摘んで帰ってきてみればこうなっててな」

 

 やれやれとばかりに小さな苦笑を滲ませて、彼女は言葉を作る。

 

 「取り敢えず、そういうことだ。人の趣味はそれぞれで、その内出てくるから置いておいてやれ」

 

 何を見たのだろう……。怪訝な表情を浮かべる銀子だが、こんな話になっているのだ、どうで碌でもないのだろうから聞かなかった事して、忘れてしまおう。

 彼女はそんな風に考えて、

 

 「それで、私は何故こんな所に呼ばれたの?」

 

 本当なら、真九郎と一緒に居る予定だったんだけど。尋ねる言葉の後に、不満をつけて彼女は紅香と菫、二人に目を向ける。

 

 「ああ、すまないね。さっさと話を始めることにしようか」

 

 菫は軽く謝ると傍の机に置いてあったA4サイズの紙を数枚、ホッチキスで止めたもの、なんらかの資料であろうそれを持って、彼女は銀子の前に歩いてくるとそれを渡してきた。手渡されたそれに銀子は目を向け、少し目を見開き、素早く資料全てに目を通し始めた彼女は、

 

 「……なによ、これ」

 

 そう呟き、めったに他者には見せない感情を露わにしていた。常に冷静沈着な彼女には珍しく、それほどに怒りは大きかった。

 その震える声は、怒りの発露。

 

 「なんなのよ、これは……!!」

 

 その手に篭った力は強く、怒りに応じて震えている。

 彼女は思わず、菫を睨みつけていた。それを前にした彼女は、憂鬱げに息を吐き、

 

 「ああ、私もだ。君とは比べ物にならないだろうが、それを見、感じ、湧き上がる感情の名は私も識っていて、そして、私も抱いたものだ」 

 

 で、と一旦言葉を置いて、彼女はカーテンへと視線をやった。すると視線に答えるが如く、カーテンは開き、奥から男が、竜崎が現れた。彼の顔は酷くスッキリとしていて、そして、彼はどこか特徴的な臭いを少しさせていた。生臭いというかなんというか。

 

 「それで、どういうことだ。竜崎。研究者としての性か? それとも金? 生きるため?」

 

 菫の問、それに竜崎は解りきっている事だろうと言わんばかりにやれやれと首を振って、

 

 「研究者としての性だ」

 

 そう言った。

 

 「そうだろうな。だから私はお前を赦さない。欲望のままにその頭を使った事を絶対に赦さない」

 

 声に、言葉に怒りが宿っていた。強く責め立てる様な、信じられないとばかりの言葉だった。

 

 「貴女はやはり変わらない。狂気的に求めているのに、一線を超えてもいるのに、人道だけは忘れていない。

 ――――研究者なんて、人道を忘れてなんぼでしょうに」

 

 「私は医者だ。研究者ではない。そして、医者が人道を外れていいはずがない」

 

 睨み合う、いや、それも一方的なものだ。菫が一方的に竜崎を睨み、竜崎はそれに、感情の色のない、何時もの冷めた目をして向かい合っていた。 

 

 「お前の事はもういい。突き出そうにも証拠はないし、その上、他の誰かが利用しかねない。それに、今はこれの問題を片付けるのが先だ」

 

 溜息と共に菫は、話の方向を元へと修正させた。

 

 「そう、この《人工イニシエーター作成計画》とかいう巫山戯た内容についてが先だ」

 

 忌々しそうに彼女が告げる言葉。それが内に孕んだ狂気は計り知れない。

 

 《人工イニシエーター作成計画》。

 

 それは文字通りガストレア因子を宿した存在の作成、現状では天然物しかありえないイニシエーターを人間の手によって生み出すというのがこの計画だ。ただ、この計画では扱う人間の年齢が上昇し、二十歳程の女性となっている。これは、単純に装備面での凡庸性が富んでいるというところから来ている。通常の兵士からの流用品でも代用が可能であり、十歳程度の少女の専用サイズのものを一から量産するのは、酷く手間と時間が掛かり、この計画が破綻した場合に無駄になってしまうからだ。肉体的な成長面、知識、知能面は様々な機器に薬品を用いる事となっており、肉体の耐久性が心配されたが流石のガストレアウイルスである。その辺りは心配など無用であった。

 

 もしこの計画が成就した場合、戦場は変わるだろう。主に暗殺や市街地戦、ゲリラ戦など。多種の因子を掛け合わせる事もできれば戦車砲を真正面から耐える事も、高レベルの空中戦ですら可能となる。

 

 しかしだ。ここまで可能にしたとしてもやはり限界というものが存在する。そう、ガストレア化だ。

 

 首輪を嵌めて、侵食率が一定ラインを超えるのと同時に爆殺、及び、バラニウムの注入などの方法が上げられたが、ただ殺すだけではコストパフォーマンスが悪いと、却下され、結論。

 

 「ガストレア化した後も使用し、人の手で操作するというのに落ち着いた。まあ、その辺は専門外でね。よくは識らないが、どうも《新人類創造計画》の流用、まあ、その他なんやらかんやらを組み合わせたらしい。そんなこんなで大体の問題は片付いたが、他の兵士達、人間側への心的負担が大きすぎるというのがちょっとした問題だったか。当然といえば当然の反応だろうな。

 まあ、そんなもの、イニシエーター相手でもあまり変わらない気がするがね」

 

 微苦笑を浮かべ、彼は言葉を続ける。

 

 「計画概要は決まって、後は根幹たる人工的なイニシエーターの作成のみだった。わりと計画自体順調に進んではいたらしい。詳しくは識らない。なんせその頃、私はゾディアックの方にかかりきりでね。他には見向きも、興味も向けていなかったからな。

 そして、計画の最中、私が当時、ある特別な塩基配列というものを研究していた時、一体の成功作、ある意味での失敗作が私の前で生まれた」

 

 「それが……」

 

 言い淀む銀子に、竜崎は頷き、

 

 「九鳳院紫を素体としたゾディアック・ガストレア巨蟹宮(キャンサー)だ」

 

 言い、言葉を繋げる。

 

 「そう、これは予定外の存在だった。予定外で論外で理不尽だった。なんせ、星噛絶奈の下で進められていた別の研究で生まれたのだ。どうにか作成しようと奮闘していた者等にとっては寝耳に水だろう。そして、上層部にとっての不幸は星噛絶奈が興味をもった、というところだな」

 

 「その結果がこの現状か」

 

 紅香の言葉に、頷いて彼は肯定を示す。

 

 「ああ、あの女にとって丁度いい道具だったんだろう。そして、あの女は自分の障害になるであろう者達、計画に携わっていた者、端的に言う邪魔者を消し始めた。ああ、手際よくものの見事に綺麗さっぱりにされたよ。残ったのは星噛傘下にいた者等、俺とその部下数名、だったがその数名はガストレアになって、他の奴らもそこの御二方によって殺され、一人自分専用の隠し部屋に隠れていた俺だけが残ったわけだ」

 

 「さらっと外道ね。ちなみに、星噛絶奈が消した者達の事、解る?」

 

 飽きれた様子の銀子に、竜崎はニヤリと薄く笑みを浮かべる。なんとも嫌らしい笑み。不快感を隠し切れない様子の銀子を見、彼の笑みは更に深まった。

 

 「褒めるなよ。いや、そんな話を聞いたというだけで内情は識らんな」

 

 吐いた言葉も最低外道。屑の極みである。嬉しげな笑みには酷く腹が立つ。

 

 「……そう。では話の続きを」

 

 銀子の急かしに、やや興が削がれた様な顔をしている竜崎はそれでも言葉を続ける。

 

 「では、このゾディアック・ガストレア巨蟹宮(キャンサー)について話すとしようか」

 

 そうして、話は収束していく。

 

 「ゾディアック・ガストレア巨蟹宮(キャンサー)、あれは、ガストレアに対する絶対的な優位性、上位種とも言える機能を保持している。そこに書いてあるのは統制能力だ。これに関しては色々と検査にテストをして、保持しているという事実の確証を得ている。まあ、これだけでも驚異的だが、さらに、このガストレアにはもう一つ、機能が存在する。データが無く、俺の主観のみでの話であるが」

 

 全員を見渡し、竜崎は言った。

 

 「あのガストレア、ゾディアック・ガストレア巨蟹宮(キャンサー)は、ガストレアウイルスを操る能力を保持している可能性がある」

 

 「ガストレアウイルスの操作?」

 

 眉を顰めた銀子の問に、「ああ、」と言って、彼は言葉を続ける。

 

 「そうだ。文字通り、あれはガストレアウイルスの操作を可能にしている節がある。それを見たのは俺と星噛絶奈に蛭子影胤、蛭子小比奈のみ。実験をする暇もなかった。いや、思えば、今、このエリアに散らばるガストレアがその証明足りえるかもしれない。なんせあれらの材料には俺の部下、そして、外周区に居た呪われた子供達が使用されている」

 

 その言葉を聞いた皆が皆、それぞれ嫌悪に顔を歪ませた。なんということだ。人のやれることじゃない。研究者らに関しては因果応報かもしれないが、子供達には何の罪があるというのだ。

 

 「俺の部下へ施したのは、指向性のあるガストレアウイルスのエアロゾル感染。呪われた子供達にはウイルスの活性化、及び、暴走」 

 

 「その結果が街の惨状か……マズイな」

 

 菫はそう呟き、テーブルの上にある一台のノートパソコンを竜崎へと差し出した。

 

 「これに纏めておけ。今直ぐに。会議は数十分後だ、急げ」

 

 「……仕方がない」

 

 大人しくノートパソコンを受け取った竜崎は、適当なパイプ椅子を引っ張ってきて、テーブルの前を陣取るとキーボードに指を走らせ始めた。かたかたかたかた。タイプ音が部屋に響き渡る。

 

 「今回、何が起こったのかその一部は解った。それで、」

 

 周囲の、此処に集まった者達へと彼女は問う。

 

 「私はどうして呼ばれたの?」

 

 答えたのは、菫だった。彼女は銀子の前に歩いてきて、口を開いた。

 

 「君には、お願いしたい仕事が一つある」

 

 「……さっきの話を聞かせたということは」

 

 「ああ、お察しの通り、先ほどの話関連だよ」

 

 菫の言葉を受けて、暫しの沈黙。その後、銀子の口は開いた。

 

 「いいわ、その仕事受けましょう」

 

 「ああ、よろしく頼むよ」

 

 二人の間に契約が交わされた。

 

 この時、銀子は思う。これを自分が受ける最後の仕事としよう。これで終わりにしよう、と。

 これから先は、彼と歩んでいきたいから。ずっとい死ぬまでずっとずっと。

 だから、そう、搾り取ろう。

 

 「仕事料は楽しみにしておくわね」

 

 不敵に微笑う銀子に、彼女は苦笑気味な表情を浮かべ、

 

 「善処しよう」

 

 そう言った。

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 時間は戻る。懐中時計は正しい時間へと戻って、戻って、また、時間を刻み始める――――。

 

 会議室は暗い青の光が空間に満ちていた。それは、空間に投影されたホログラムの輝き。虚ろを満たす光は彼らの横顔を照らす。真九郎の、蓮太郎の、切彦の、木更の、聖天子の、菊之丞のそれぞれがそれぞれの思いを浮かべた横顔を。

 

 「――――以上がゾディアック・ガストレア巨蟹宮(キャンサー)と呼ばれている人型ガストレアの予想能力概要となります」

 

 菫の言葉が静まり返った空間に満ちた空気を揺らした。真実は酷く残酷で、此処に居る者等の心を乱すのに十分過ぎた。戦意を圧し折るのに。熱意を冷ますのに。恐怖を煽るのに。

 

 「ありがとうございました、室戸博士」

 

 「いえいえ、聖天子様。仕事でございますから」

 

 聖天子の感謝を受け、菫は万雷の拍手を受けた役者の如く大仰に腰を折って、礼をした。それを見てから、それなりの地位に居るであろうスカートスーツを身に纏った女性が言葉を作った。

 

 「この巨蟹宮(キャンサー)には、星噛絶奈と蛭子影胤ペアが護衛としてついていることは安易に予想でき、さらにこの一人と一組を巨蟹宮(キャンサー)から引き剥がすというのは至難の業となると予想されます」

 

 彼女の言葉と共に、投影されていたものが移り入れ替わる。少女から、ゾディアック・ガストレア巨蟹宮(キャンサー)となる前の九鳳院紫の画像からリアルタイムに何処かを撮影する映像へと。

 

 「現在、件の教会上空へ複数台のUAVを飛行させ、監視させています。数分前、星噛絶奈及び蛭子影胤の姿を確認。先の東京エリア内の回線ジャックでの言葉通り、彼女らは此処で待ち構えている様です。周囲にガストレアの徘徊はありません。熱源探知や他レーダーなどでの探査を行うものの発見できませんでした。この事から巨蟹宮(キャンサー)によるガストレアの統制が行われているのは確かの様です」

 

 どうやら星噛絶奈はこちらを招き入れる気でいるらしい。でなければこんな真似はしない。真九郎は説明を聞きながらそう確信する。なに、この場に居る誰よりも真九郎がある意味では星噛絶奈の事を最も識っているのだから、この確信を疑う事は誰にも出来ないだろう。

 

 「では、本作戦の概要をお話します」

 

 彼女の言葉により、また映像が切り替わる。今度は、誰もが直ぐに理解した。なんせ、此処に居る者の大半がそれに乗るなり、見るなりしたことがあるものなのだから。

 

 それは鉄のボディに回転する浮力装置の付いた人の乗り物、そう、ヘリコプターだ。それも軍用機で、多人数を運ぶことを目的とした代物だった。それに並ぶようにあるのは同じヘリはヘリでも攻撃ヘリだ。幾つか覗く黒鉄の銃口は酷く凶悪な様相を呈していた。あれに掛かれば並のガストレアは蜂の巣の挽き肉だろう。

 

 「これらを用いて、星噛絶奈と蛭子影胤ペア、巨蟹宮(キャンサー)の潜む教会へと攻撃を仕掛けます。戦闘ヘリによる直接攻撃は七星の遺産の事もあり不可となっています故、これらは周囲に出現するかもしれない対ガストレア程度にと思っていて下さい。輸送ヘリによる移動は教会直前での下降のみとし、最低限度の接近しか行わない事としています。更に先ほどの説明通り、ガストレアウイルスが空気感染する可能性がありますので全民警ペアに呼吸系を覆うマスクの装着を義務付けます。マスクに関しては、この後、民警諸君を輸送するヘリにて配布する事とさせていただきます。

 星噛絶奈と蛭子影胤ペアの殺害を許可。巨蟹宮(キャンサー)に関しては対人武器では殺害できない可能性がありますので拘束及び無力化を。七星の遺産は回収する方針でよろしくお願いします。

 短いですが、作戦概要については以上です」

 

 質問はありますか――? 尋ねる声が部屋の中に響き、

 

 「――では、本時刻をもって作戦会議を終了させていただきます」

 

 彼女はそう終了の宣言をした。すると、沈黙を保っていた聖天子が椅子から立ち上がった。視線が彼女へと集中する。

 

 「皆様」

 

 聖天子は己を見つめる民警等を見渡しながら、言葉を作る。

 

 「此度の戦いは間違いなく、この東京エリアの存亡を掛けたものです。規模こそは嘗ての第一次、二次関東大戦には劣りますが、そんなことなど関係ありません。これは人類の存亡をかけた戦いになるのは間違いないのですから。そして、この作戦こそが東京エリアの存亡を賭けた一手なのは間違いようがありません。確かに現状は非常に厳しい。苦渋を何度も舐めさせられました。幾多の人々が犠牲になりました。しかし、だからこそ」

 

 静寂の中に響く声は、彼女の言葉だけ。誰も口を挟む事なんできなかった。そもそもそんな考えを抱く者は居なかった。彼女の言葉を遮るなんて出来る筈がない。彼女の声はそう思わせる凄みがあったのだ。

 

 そんな中、蓮太郎は拳を握り締め、勝てるか? と思っていた。思い起こすは、あの仮面。巫山戯た道化師。自分を勧誘してきた男。そして、己の同類。だからだ。あれの相手は自分がしなければならない。真九郎はきっと星噛絶奈へと向かうだろう。彼でなくてはあれには勝てない。だから、あれの相手は。そう思い、蓮太郎は己の握り締めていた拳を広げて、見つめる。

 そして、もう一度思う。 

 

 勝てるか、と。

 

 「蓮太郎は、勝つぞ」

 

 「里見くんなら勝てるわよ」

 

 声がした。隣左右から、聞き慣れた声がした。

 顔を上げれば、彼女達が居た。自分を変えてくれた人が、自分を支えてくれた人が。

 

 「…………そうだな」

 

 小さく蓮太郎は笑みを浮かべて、言う。

 

 「勝つぞ」

 

 「勿論」

 

 彼女は微笑み、

 

 「うん。勝とう、蓮太郎」

 

 少女は爛漫に笑った。

 

 「私達は勝てます。何時の世も怪物は人の手によって退治されてきました。ならば、今だって例外では無いはずです。此処に居るのは今まで、東京エリアを護ってきた英雄達です。そして、私達は度重なる戦いを斬り抜けてきたのです。そう、それなら、負けるはずがないではありませんか」

 

 勝ち気に彼女は微笑んでみせる。普段は見せない様な笑みに打たれた彼らは見惚れていた。男も女も、その美貌に見惚れていた。

 

 「ええ、勝ちましょう。勝って、朝を迎えましょう。私達の明日をこの手に掴み取りましょうっ!」

 

 言葉が彼らの心を鼓舞する。彼女の言葉は、確かに彼らへと届いていた。彼女の言葉に答える様に皆が皆拳を振り上げ、叫ぶ。雄叫びを、勝利を望む声を上げる。

 

 「現時刻を持って、対星噛絶奈及び蛭子影胤ペア、巨蟹宮(キャンサー)討伐、七星の遺産回収作戦を開始します」

 

 興奮し切った者等の中、真九郎は、彼女の演説を聞きながら思っていた。

 成る程。流石この齢でこの東京エリアを収めているだけはある。確かな凄みが、指導者としての絶対的才能がある、と。

 

 「凄いですね」

 

 隣に居た切彦がぽつりとそんな言葉を洩らしていた。その瞳は聖天子を捉えている。

 

 「確かに、ね」

 

 頷いて、真九郎は同意を示した。皆が皆、ヘリへの案内を係の者等に受けている中、二人は壁際に立ったまま言葉を交わす。

 

 「紫にも、そんな才能があった。あの子は誰かの上に立つ人間になると思ってたよ」

 

 そうなる前に終わっちゃったけどね。何処か遠い所を見つめる様に呟く真九郎を見て、切彦は思う。

 

 この人は乗り越えられた様な顔をして、まだ、何も乗り越えられていないんだ、と。

 

 当たり前だ、これから全てを終わらせに行く手前なのだから。

 だけど、痛々しいその表情を彼女は見ていたくなかった。

 

 「……真九郎さん」

 

 「ああ、ごめん、切彦ちゃん。少しばかり呆けていた」

 

 苦笑し、

 

 「なんというか感慨深くてね」

 

 そう言う真九郎に、彼女は微笑みを浮かべ。

 

 「いえ、気にしないでください」

 

 軽く左右に首を振り、

 

 「さあ、行きましょう」

 

 そう彼を促した。彼女の言葉に真九郎は頷いてから、

 

 「……ああ、行こうか」

 

 一歩、前へと踏み出した。




この作品はブラック・ブレットの一巻の範囲で完結する予定です。
つまりそろそろ終わりも近いですがよろしくお願いします。

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