【036:一年後】
冬木市にとって『ある意味』幸いだったのは、新都が完全に燃え尽きた事だろう。木造建築は完全に燃え尽きて後形も無くなっており、唯一残った鉄筋コンクリートの建物でさえコンクリート部分は内包していた水分子を完全に失って砂利と化した。その結果、撤去が容易に成った瓦礫は早々に運び出され、新都だった場所には現在幾つもの仮設住宅が立ち並んでいる。
また、深山町が無事だったというのも大きかった。深山町公民館を臨時の市庁舎とする事で、冬木市の行政能力は辛うじて生き存えたのだ。それが、復興をより加速させた要因でもある。――――そんな、焼け野原から復興しようとしている新都の地下。下水道の奥の奥から更に地下へと下りに下ったその場所に、もう一つの都市が築かれていた。
地下に計画的に建造されたその場所は取り敢えず暫定的に『
そして今日。キャスターと龍之介双方にとって念願の施設が完成したのである。
「いやー、こうやってみると正にSFって感じの施設だよね。まだ夢でも見てる気分だよ」
「龍之介殿のご要望を元に我々にとって効率の良い形態を追求した結果なのですが、気に入って頂けた様で何よりです」
「うんうん。此処までCOOLなヤツを作ってくれるなんて流石はヤスミンだ! 俺のアイデアを綺麗に理解してくれるとこ、好きだよヤスミン」
「ははは、お戯れを。……さて龍之介殿、現状の稼働率ですが。完全に完成する前から稼働可能な部分は随時稼働させておりましたので、現状は七割ほどが稼働しております。が、我々用の安定供給にはあと一年。龍之介殿に提供できる物となると後十年ほど。そして公共利用用のモノとなると二十年は掛かるかと」
「うーん、まぁ、確かに長いけど
そう言って五画から一画にまで減少した令呪を示す龍之介。その身体は哀れな近隣住民の魂と令呪四画を受けたマリク達魔術・呪術班によって七ヶ月の時間を掛けて改造され、不老長寿となっている。流石に不死となると難しいにもほどがあるが、不老だけならばそれなりの魔術師ならば出来てもおかしくはない技術だ。――――聖杯戦争に身近な例を上げるならば、アインツベルンのアハト翁、間桐家の臓硯。それ以外で言えば人形遣い蒼崎橙子やコルネリウス・アルバ、荒谷宗蓮などが有名な『不老』である。
そして当然、現代の魔術師に出来る事を『令呪でブーストされた魔術師の英霊』が出来ぬ筈もなく、龍之介は無事めでたく老化とは無縁の肉体を手に入れたというわけだ。――――まぁ週一回マリクの煎じるエキセントリックな味の薬湯を飲まなければならない上、普通に大怪我をすれば死ぬのだが、それでも常人とは比べ物にならぬ能力である。
ほのぼのと長期スパンで計画を練る龍之介とヤスミーン。そんな彼らが建造した施設は、この地下施設の心臓とも呼べる重要施設である。――――その名もズバリ『人間牧場』。拉致してきた人々の中から選出された『繁殖用個体』を用いて、人間を『アリの巣』で誕生させる為の施設である。その用途は魂喰い、龍之介の趣味、サラブレット兵士の製造など多岐にわたり、この設備の本格稼働がなれば『ほぼ完全な自給自足』が可能に成る筈なのだ。
「早く収穫できるようになると良いなぁ。――――あ、ところで寝る前に頼んどいた奴なんだけど」
「日記帳用の『革』と『筆』に相応しい幼児でしたね。無論、その点については滞りなく。この施設の出荷第一号を用意しております」
「おお! 記念すべき第一号なんだ。じゃあ、うんと気合入れて作らなきゃね」
そんな会話を交わした後に二人は施設を立ち去り、龍之介のアトリエへと向かう。――――純粋かつ真摯な『死の探究者』は、自身の居城を得た事で、今までに増してその研究に没頭する。冬木の地下に設けられた非人道的施設の御蔭で冬木自体には被害が出なくなるというのは、実に皮肉なことである。
薄暗い闇の中で生産される『人権を持たぬ』ホモサピエンス達は、恐怖も知らず、ただ刈り取られていく事となる。
* * * * * *
冬木教会は、この一年でそれなりに様変わりしていた。綺礼が代行者時代に蓄えた資金と、『表向きの綺礼の計画』を歓迎した璃正神父の出資によって教会の横に建築された真新しい建物。それこそが、増築された冬木教会の孤児院である。
一年前の大火災で生じた孤児の大半を引き受けたその施設では、綺礼を筆頭とした聖堂教会のスタッフ達が子供たちを養育している。――――孤児に対して『神の教えを説き、救いを与える』というのは聖堂教会にとっても望ましいことである。『神の奇跡』を信じるものが多ければ多いほど、聖堂教会の秘跡は力を増す。その為の投資という事で、この孤児院は割と潤沢な資金を得ていた。とはいえ、只の孤児院に易々と出資する程聖堂教会は慈愛にあふれた組織ではない。この孤児院が多額の援助を受けている理由は、ここで育成された孤児が『代行者』として活躍する事に期待されてのことである。
言峰父子は、その両名共に優れた八極拳の遣い手である。そんな彼らが『運動による健全な心身育成』を目的――綺礼にとっては建前――として教育している八極拳によって、この孤児院の少年少女は身体能力の下地ができているのだ。聖堂教会がその活躍と今後の成長に投資しても良いと思える程度の能力を持つ子供たちが本人達が意識もしないうちに代行者への階段を駆け上る、代行者養成施設としての顔がこの施設の裏の顔である。
――――だが、この施設にはその裏の貌の影に潜む、『裏の裏』とも呼べる一面がある。言峰綺礼の為だけに存在するその要素は、今のところ誰にも気づかれず、彼一人の楽しみとして存在していた。
「昨日は、カレンが昼過ぎに孤児院の数名に罵声を吐いている所を発見し、注意した。……それとは
教会内の自室で日記を記していた綺礼は、礼拝堂の戸が開いた音を聞きつけてカソックの襟を正すと、スタッフ用の通路を抜けて礼拝堂に向かう。――――其処にいたのは、少々珍しい客だった。
「ほう? 当教会に何か御用かな、凛」
「別に。暇つぶしに来ただけよ」
「……私が言うのもなんだが、君の様な小学生が暇つぶしに教会に来るとは、随分と『渋い』趣味だな」
「良いでしょ別に」
「ふむ。確かに構わないとも。――――――だが、悩みがあるようなら折角だ。この神父に告解でもしてみると良い。何ならば、告解室を用意しよう」
「……悩みなんてないわよ。アンタ、そんなにお節介な性格だった?」
「神父として勤めていれば、世話焼きにもなるというものだ」
「あらそう、そんな人間には見えないけれどね……アンタみたいなエセ神父が何で人気なのかしら?」
「エセ神父とは失礼な。こう見えて神学校にも通って居たのだがね。――――まぁ、中退したが」
「やっぱりエセじゃないの!」
久方ぶりの兄妹弟子の会話は、相変わらず噛みつく凛と煽る綺礼という漫才の様相を呈し始める。――――そんな中、綺礼は凛との会話を『愉しんでいる』自身を知覚し、無意識に口角を上げる。聖杯戦争を経験する前であれば、この愉しみに気付けなかったのだ。これ程単純な事に気付かなかったなど、自分が愚か過ぎて笑いも漏れるというものである。
「なにニヤニヤしてんのよ。気持ち悪いわね」
「む、神父の微笑みを見て気持ちが悪いとは心外だな。
「神父ならせめて心をこめなさいよッ!?」
凛が綺礼のボケに関西人の面目躍如な高速突っ込みを見せた直後、もう一度礼拝堂の戸が開き、庭掃除を終えたらしい銀髪の少女が顔を覗かせた。
「あら、『オトーサマ』に御来客ですか?」
「む、カレンか。……そう言えば話していなかったな。此方は遠坂凛。私の師である遠坂時臣氏のご息女であり、私の妹弟子にあたる。――――既に学校で顔を合わせているかも知れんがな」
「確か、全校集会でチラリとお見かけしたような気がしますね。……ただ、私は一年生なので三年生とは教室が離れ過ぎていて中々お会いしませんから」
「……この子、本当にアンタの子供なの? 綺礼」
「凛、初対面相手の猫を被り忘れているぞ。全く、私に子供がいる事がそこまで驚く様な事かね? 私はもうそろそろ三十路目前なのだが」
「アンタの子供が『マトモ』そうなのに驚いてんのよ!」
「あら、お褒め頂きありがとうございます、
「オバッ!? 誰がオバさんよ!? 私まだ九才なんだけど!?」
「しかし、『オトーサマ』の妹分なのでしたら、私から見た続柄は叔母になるでしょう?」
「――――前言撤回ッッ!! 綺礼、アンタの子で間違いないわ、この子!」
「何を当たり前の事を」
「そうですよ、遠坂先輩。私が『オトーサマ』の子なのは当然ではないですか」
「ああ、もう……綺礼が増えるなんて悪夢だわ。はぁ……」
会話に参加してきたカレンによって親子セットになった『言峰』にいじられる凛の渾身の突っ込みと、その後に続く溜息が礼拝堂に響き渡る。――――親子揃った言峰相手に漫才を繰り広げる凛の姿は、その後暫く礼拝堂をにぎやかにするのだった。